【京都0番地】戦争が生み出した町、東九条、通称トンク
先日に引き続き今日も京都駅に来ております。
京都駅はずっと工事をしていましたが今はキレイな状態になりました。
玄関口が汚いとイメージが悪いですからね。
玄関はその街の顔です。外国人観光客も京都駅を必ず使います。外国人がイメージする京都をちゃんと京都駅で体現できているのでしょうか。
先日は京都駅の東側にある崇仁地区に伺いました。現在工事中でここに京都芸大キャンパスができるんだそう。以前は市営住宅があり被差別部落として煙たがれてた地区も時代が変わることで変化します。都内と同じように京都も時期に区別がつかなくなるのでしょう。
でもこの橋の向こう側はまた違った街が形成されているようです。
場所は東九条です。
ここは京都のコリアンタウンになります。
九条と聞いて頭に思い浮かぶのは京野菜の九条ネギです。もともと大阪に自生していたネギを京都に持ってきて栽培したのがはじまりなんだとか。現在は色々な地域で生産されていますが、九条が主産地だったことから九条ネギと呼ばれるようになったそうです。
以前この九条は一面畑だったそうです。しかし今は畑と呼べるようなものはなく住宅地となっています。
古くは田畑だったところに鉄道が敷かれ人が集まりました。先述の通りこのあたりは崇仁地区と呼ばれている地域。集まるのは社会から爪弾きにされた人たちでした。戦前、ここにコリアンタウンができたそうです。
終戦後、朝鮮人は朝鮮半島に帰国を目指したものの朝鮮戦争によって本国が不安定な状態となりました。そのため東九条の4ヶ町(北河原町、南河原町、東岩本町、南岩本町)と高瀬川沿いにバラックを建て住み始めたんだそう。
一時は8万人ほど在日コリアンが住んでいたそうです。不法に占拠し、屋根も無いような家に住んでいたため近隣の人たちは東九条と呼ばず「トンク」と蔑んで呼んだそうです。
コリアンタウンが作られた経緯は川崎の池上町と同じような感じです。期間工として朝鮮から日本に渡りそのまま居ついた感じです。
現在は河川敷となっていますが陶化橋から北に向かって鴨川沿いを不法に占拠してバラックを建てていたそうです。これも川崎の戸手4丁目と同じです。
戸手4丁目も“戸手無番地”と呼ばれていたそうですが、京都も“0番地”と呼ばれていた時期があったんだとか。
現在は40番地という番号が振りつけられているようです。
街自体はキレイですが空き地が目立ちます。
以前は異臭が漂う街だったようですが土地改良事業によって変わっていってるようです。今ある空地も区画整理が済めば新たな建物ができるのでしょう。
街がきれいと言ったことを訂正します。結構不法投棄が目立ちます。鴨川沿いの路上には大型家電が捨てられています。
京都は盆地のため夏暑いです。扇風機で涼をとりましょう。
都内ではめっきり見なくなった放置車両。ナンバー外して車体番号削り落としたら所有者が誰かわからなくなります。こうやって不法投棄をするのでしょう。川崎でも河原町団地あたりに放置車両を見かけましたが最近は監視カメラも増えて不法投棄が少なくなりました。でもこのあたりは相変わらずのようです。
古めの建物が目立ちます。半壊している建物もあります。
東海道新幹線を敷くときはその付近の人は立ち退きとなったそうです。東京オリンピックの際は東九条にはベニヤ板が貼られ外から見えないようにされていたそうです。つまり誰にも見せてはいけない街が京都駅のすぐそばにあったのです。
昔物流の運河として使っていたと言われる高瀬川が流れています。それに沿うように住宅もあります。
あまりきれいな川ではないですね。整備されずにヘドロのようなものが溜まっているところも。
河川敷に集めてある空き缶です。川崎でもホームレスの人たちがせっせと集めて売っています。これ一袋で500円くらいになるんだとか。
戦前の日本が裕福な時、日本に来れば仕事にありつけるため朝鮮半島からここに移り住んできたそうです。その当時は仕事も多くありました。しかし戦後は一変して仕事がなくなります。占領地から引き揚げた人で街は溢れ、失業率も高くなっていたのでしょう。
真っ先に切られたのは言葉の壁と価値観や文化の違いがあった朝鮮人でした。職にあぶれたため紙くずや鉄くずを集める「クズ屋」「バタヤ」と呼ばれる仕事に従事するしかありませんでした。そのためこのあたりにはリサイクル業者も多くあり、ゴミが集まる場所のため不法投棄が絶えないのでしょう。
東南アジアでよく見るような建物があります。
人が住んでいなさそうですが、中から音がしました。どうやらこちらは倉庫になっているようです。
空き缶集めはホームレスだけじゃない。
本当の所有者が利用しているのかどうかは不明です。そもそも登記がどうなっているのかも不明です。
東九条マダンという建物があります。こちらは在日朝鮮韓国人と日本人の融和を目指す目的で建てられたんだそう。一時は8万人もいた在日朝鮮人。現在東九条には1500人程度に減っているようです。そして多くが高齢者なんだとか。二世や三世は帰化しているケースも多くなっているようです。
日本語交じりの韓国語が聞こえることもありますが、他の地域と変わりありません。
鶴橋のようなコリアンタウンをイメージしていくと全く違う感じです。でも朝鮮半島にルーツをもつ人たちが住む街です。そんなわけでキムチやホルモンを売っている店もあります。
こちらは韓国料理屋さん。ここで食べようと思ったのですがまだ店がやっていませんでした。
そのためこっちの店に行きました。焼肉店ですが牛ホルモンではなく豚ホルモンの焼肉店です。関西で肉といえば牛肉のことを指すのですが、こちらは豚肉のお店なんだそう。
店内は撮影禁止なので写真を撮っていません。
オープンしてすぐの時間に伺いました。お店は家族経営っぽい感じのところ。すでに二組の客がいます。
ドリンクメニューが見当たらなかったのでとりあえずビールとキムチ盛り合わせを注文します。キムチ盛り合わせは白菜、キュウリ、大根のカクテキ。ここの白菜キムチの塩加減がしっかりしていて酒のつまみになります。
肉はハラミとホルモンセット的なヤツを注文します。味付けは味噌だれです。下味がちゃんとしています。メニューで気になった「天肉焼」も注文しました。ホホの肉のことを天肉と呼ぶんだそう。
追加でマッコリも注文。ここのマッコリはおいしいです。低めのアルコール度数で甘みがあり味がまろやか。酸味もちょうどよいです。
マッコリはいわゆるどぶろく的なもの。違法ですが自家製で作っているところもあるんだとか。発酵食品なので醸し方によって味が異なります。漬物と一緒で各家庭で味が異なるんだとか。このマッコリのつくり方を習いたいです。
ひっきりなしにお客さんが来ます。しかし席に座ることなくテイクアウトをしていく人ばかりでした。豚足を買っていく人もいればその場で肉を焼いて持って帰る人も。店で食べるのではなく家で食べる人が多いようです。
そんなわけで豚足を購入しました。一つ下さいと伝えたら足一本がそのままで出てきました。私の知ってる豚足はすでに半分に割られていました。丸のまま見るのははじめてです。豚の足がそのまま。結構グロテスクですね。ご飯のおかずではなく酒のツマミですね。
京都といえば鱧料理やおばんざいといった和風な料理が名物となっていますが、この韓国料理も京都料理ではないでしょうか。焼肉は韓国料理に分類されますが、日本で提供されるそれと韓国のものでは作り方や提供方法は異なるようです。ホルモンなどの臓物料理もこの地ならではなのでしょう。
京都には京都カーストなるものがあるそうです。洛外、洛中でランクを分けるんだそう。当然洛外の人は身下されているわけです。崇仁地区や東九条は洛中にあるのにもかかわらずカーストでは下になるのでしょう。京都はそうやって差別しながら街ができた街です。
今回食べたのはそういった差別の中でできたグルメ。
いわゆる“差別めし”です。まさに京都っぽいんじゃないでしょうか。
東九条のコリアンタウン。まったく差別がなくなったわけではないのでしょう。現状でもヘイトスピーチがどうだとかそういった話題は尽きません。でもむかしのような偏見は少なくなっています。それ以上に抱えている問題は高齢化です。この区域に住む在日朝鮮韓国人の方は自営業者が多く、そのような方は厚生年金に加入していません。またそもそも年金を払っておらず無年金者の人も多くいるようです。そうなると生活保護に頼るしかありません。
在日外国人への生活保護受給は風当たりが強く、それが差別の原因となっています。中には不正受給者もおり、その一部の悪人のせいで余計イメージの悪い状態になっているのでしょう。
この高齢化問題は別に東九条だけの問題ではなく、全国どこでもあります。
そしてそれは日が経つにつれどんどん深刻となっていくのでしょう。そろそろ老人差別が過激になるころかもしれません。