【車中泊】となりには温泉施設もある最適な環境の道の駅芳賀
連日栃木にいます。今はちょうど紅葉の時期でしょうか。本来であれば日光の方に行くべきですが、人も多いし混んでそうだし。そもそも紅葉にそこまで興味ないし。きれいなのはわかるのですが、所詮は枯葉です。人の終焉、つまりおじいちゃんを見に行く感じなのでしょうか。
日光に限らず、この紅葉シーズンは山にある宿泊施設が軒並み混雑いたします。夏場とかは混むといってもお盆時期や週末くらいですが、この時期は平日も混んでいます。仕事もせず年金暮らしとなった老いぼれどもがこぞって山に行くのでしょう。その結果ホテルに泊まることもできません。終期を見に行くと考えると一度は見ておくべきですが、そもそも私は山林生活者を名乗っており、生活はしていないものの山林を所有しています。日光のようにきれいではないにせよ、紅葉は普通に見れるわけで。
そのためこの時期は日光に行きません。
ということで別の場所です。
先日は道の駅ましこに宿泊しました。とてもきれいな場所です。静かですし。居心地もよかったです。
でも探してみるとほかにも道の駅があるため本日はそちらに移動しました。
今回行った先は「道の駅はが」です。
外観は道の駅ましこと違ってかなり古い感じです。
でも広いです。
駐車場も広いし、周りも比較的静かな環境です。
トイレとかも綺麗ですが個人的には比較的新しい「道の駅ましこ」のほうが居心地がよかったです。
ただここの素晴らしいところは隣に温泉施設があることでしょう。入浴施設があると道の駅で車中泊をする人が増えるため混雑します。
入浴料は600円ですが、温泉に入った後車中泊が出来るというのは都合がよいです。
車中泊だとなかなか風呂にありつけないなんてこともあります。銭湯は年々減少。代わってスーパー銭湯とかが増えていますが、風呂だけ入るにしては少し料金が高いです。身体が洗えればいい、湯に浸れればいい。これだけを考えていると風呂入るのに1000円とかは少し高いですよね。600円はギリギリ許容範囲といったところでしょうか。
暴力団関係者お断り。
タトゥー、シールお断り。
泥酔者お断り。
この注意書きについて私は異を唱えたいんです。
泥酔者は命の危険があるからダメ。
暴力団も命の危険があるからダメ。
しかしタトゥーはいかがなものかと。
入れ墨、いや刺青(しせい)は有史以来からあるもので、古の日本つまり邪馬台国のころからあるものです。その当時は装飾として入れ墨が彫られていました。例えばアイヌであれば既婚者女性は口の周りに入れ墨を彫ります。しかし、いつしか罪人を判別するためのものに。その罪人判別を隠す?ためにその上から入れ墨をいれたのでしょうか。気が付けば入れ墨=ヤクザという扱いになってしまいました。
入浴施設で入れ墨が禁止なのは、ヤクザなのかどうかがわからないから。だからヤクザでなかったとしてもタトゥーがあるやつはヤクザ。アンパンマンのシールを貼っている子供といえど判別はできないためヤクザとみなすわけです。子供の背中にあるアンパンマンのシールを見てヤクザだと思って恐怖に感じる人もいるわけです。いちいちヤクザかどうかを判断する手間を省くためなのでしょう。
民間企業が「入れ墨禁止」をすることについては何の異論もありません。
そもそも彫り物を入れている時点で暴力団の有無は関係なく、まともではないと判断するのも当然です。タトゥーは芸術の一つである。ファッションの一つである。個性を出す手段である。いろいろな意見があると思います。ただ日本では刺青=任侠というイメージが色濃く残っているわけです。そのような文化があるのは日本国民であれば認識しています。そのため自らそんなものを彫っているためまともでは無いのでしょう。
先日彫師の裁判で「入れ墨を施す行為は医療行為に当たらず」という判決結果が出ました。まるで彫り物が日本で認められたかのようになっていますが、何も変わっていません。
刺青は日本では悪の象徴なんです。
「海外のスポーツ選手は―」とか「海外の文化では―」といった意見もありますが、その日本の入浴施設利用者とかけ離れた人を対象にするよりも周りの人間に配慮して入れ墨禁止にするのは営利企業として当然です。もちろん海外の入れ墨スポーツ選手も受け入れたい気持ちがあるのでしょう。しかしそれを受け入れれば良からぬ人も受け入れなければなりません。そのため一緒くたに「禁止」とするのは当然でしょう。
やべーやつの集まりに来られても面倒ですからね。
しかし、国や地方公共団体がそれを拒否するというのはいかがなものかと。今回見たのは入浴施設と警察署の「連名」で書かれておりました。この書き方だと警察署から通達している、もしくは同意をしている、同意見であると認識できます。
つまりは地方公共団体である警察も「化粧のため眉墨を彫ってるヤツはヤクザ」「ドラえもんのシールを貼ってるやつは暴力団」「ピカチュウの入れ墨は公共の福祉に反する」と言っているわけです。
日本は法の下に平等のはずです。風呂に入る権利も平等のはずです。しかしここでは警察署が連名で禁止と銘打っているわけです。暴力団の入浴を禁止するのは公共の福祉の観点から理解できますが、入れ墨入れているから禁止をするのはいかがなものでしょうか?
ここについては同入浴施設以外の場所でも多く見られました。とくに清水の次郎長のおひざ元である静岡にも警察署の御用達で入れ墨禁止としている入浴施設もあるそうです。
地域柄その手の組織が蔓延っている、またその手の組織と密接な関係があるのでしょう。だからこそ距離を置こうとしているのだと思います。
タトゥー禁止って、「韓国人は全員犯罪者」とか「イスラム教徒はテロリスト」に近い感じがするんですよね。これは人権問題ですよね。ただでさえ日本は差別主義者の国です(私含め)。爪弾き者は追い出せ!裏切者には石を投げろ!というのが日本人です。それを美徳とするのもよいのですが、それを美徳とするのであれば法を変えるべきなんです。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。ただし入れ墨者と容姿の醜い者は除く。
このように憲法改正がされれば、入れ墨者に石を投げようが外道と呼ぼうが風呂から追い出そうが何も問題ないと思うんです。
しかし、私としては別に暴力団関係者だろうがテロリストだろうが、風呂で裸一貫なわけなので役職や身分、なんだったら性別関係なく一緒に入ればいいと思うんですけどね。別にいいじゃないですか一緒に入れば。減るもんじゃあるまいし。
男湯と女湯があるのは差別である。
話が逸れてしまいました。
入れ墨禁止の件に関しては警察に確認したところ「警察ではあくまでも協力をしているだけであって指導ではない」ということでした。ここで「協力」という言葉について語り出すと長くなるのでこの辺にしておきましょう。
近年の都内はタトゥーに関して隠すことで入浴OKにしている施設も増えてきております。しかし地方は未だに彫ってるだけで暴力団という扱いのままです。
刺青問題だけでなく部落差別もそうです。このような問題が日本には多く存在しています。学校のいじめや村八分とかも恐らく根底の部分は同じなんでしょう。
長い物には巻かれろ。
出る杭は打て。
みんながやってるからそうする。
みんながやってないからやらない。
集団の和を重んじ、和を乱すものは受け入れない。
日本には村社会という素晴らしい文化があるんです。それがこの入れ墨禁止問題の根底なのでしょう。この入れ墨問題。今後に観光ビジネスにも大きく影響してくる問題だと思います。どんどん外国人観光客は増えております。また移民を受け入れるとかなんとか。日本の文化を受け入れられない人が多く流入する中で、これまで通り集団の和とか言ってられる環境ではなくなるのでしょう。
そのため差別問題に関して「皆が皆手を取り合い集団の和を重んじ」行動すればよいのではないでしょうか。
道の駅のお話のはずが後半は人権やら差別やらの話になってしまいました。
最後に重要なことなので再度伝えますが、男湯と女湯があるのは差別であると私は思っています。