土食という選択。テングノムギメシを食べてみたい
もやしにごま油と醤油をかければ十分おかずになる。
それと白米があれば節約飯がつくれる。
いやいや白米なんて金持ちの食べ物。
時代はオーツ麦。吐しゃ物とほぼ変わらないけど、あれはパーフェクトフード。
金銭面だけじゃなく健康も考えなきゃ。
お金に余裕があれば好きなものを食べれるのでしょう。
しかし金銭的に余裕がない。将来どのようになるかもわかりません。そんなわけで日々の食事をいかに安くできるかってのは常日頃考えています。
そんなこと考える暇があるならもっと働けばよいじゃない!って意見もあるのでしょうが、今回のコロナで前にも後ろにも動けなくなってしまい、何もする気にも慣れないんです。最近では宝くじを買って神社に神頼みをしている状態です。
今回、長野を回っています。
色々と見たいところがありますが、一番見たかったのはテングノムギメシってところ。
長野には様々な伝承や伝説があり、県北部にある飯綱山には天狗がいたという伝説があります。
飯綱山三郎坊って方がこの地域にいた天狗なんだとか。天狗は時には妖怪だったり魔物とされたりします。
天狗って諸説ありますが、私は白人説を推してます。
日本には古くから渡来人が多く、そもそも日本人の起源はトルコやタタールのあたりって話です。白人が海を渡り日本に来ていたとしても何らおかしくないでしょう。背が高く、鼻が長い、日焼けすると赤くなる白人こそ天狗の容姿にそっくりじゃないでしょうか。山奥に住んでいたってのも理解できます。天狗と同様に鬼も同じように外国人だったのかもしれませんね。鬼と天狗の大きな違いは、鬼は常に悪者ですが、天狗は地域によっては良いように伝わってます。そしてこの地域にいた天狗は神様として崇められたんだそうです。
テングノムギメシとは漢字で天狗の麦飯と書きます。
つまり食べ物なんですが、食べ物と呼ぶべきものか悩むものです。その正体は土なんです。
食べられる土らしく、それが長野のこの地域にはあるんだとか。
飯綱山の名称も「飯砂」が語源のようで、食べられる砂ってのがあったんです。
土食文化って結構いろんな地域にあるようでアイヌでも珪藻土を食べていたし、戦国時代、熊本城の壁は珪藻土にかんぴょうを混ぜて籠城できるようにしていたそうです。そしてここ長野でもかつて土が食べられていたんだとか。
あくまでも飢饉の時に限られていたようですが、食べ物がない時にテングノムギメシってのを食べていたそうです。
私は「土が食べられないか?」と模索していた時期がありました。
土はその辺にあるからそれがあればゼロ円生活ができると思ったわけです。色々調べてみると土粥というのを食べていた時代もあったそうです。
腐葉土にはある程度栄養が混ざっています。水に浸けて分離させ、それを煮たてて灰汁の部分を食べるってのが土粥なんだそう。かなりヤバ目の食事ですが、仮に一文無しになったとしてもそうやって生きていくことができるんです。
テングノムギメシは土粥なんかよりも食べやすく、栄養価もあったのでしょう。
土と言ってますが主成分は藻やバクテリアや菌類の一種のようで一応生物の塊でしょうか。
有機物なので栄養もあったのでしょう。飯綱山三郎坊が飢饉の際にテングノムギメシを村民に配ったことから神様扱いをされているようです。
そんなのがあったら食べてみたい!
私は比較的食に貪欲で、足があるものは机といす以外は食べますし、法律で規制されてなければ人間も食糧の一つと考えています。
犬も食べたし、なんだかわからない肉も食べました。当然食べられる土があるなら食べてみたいんです。
でも、もう食べられないようです。
テングノムギメシは長野県中部から北東部あたりに群生していたようですが年々減少。飯綱山のテングノムギメシは絶滅してしまったんだそう。他の地域にはあるようですが、小諸市の場合は天然記念物なので採取禁止、ほか地域でも国立公園なので採取するためには許可が必要です。つまり、食べられないってわけです。
それなのにわざわざ長野まできたんです。
食べられないどころか掘削も禁止されています。
せめてテングノムギメシを拝めればと思ったのですが、見えるのはただの土だけ。
これは食べられない土。
なんか穴が開いてたので覗き込みましたが何もわかりませんでした。
結局何の成果もありませんでした。
ほかの場所で探すにしてもそもそもテングノムギメシ自体を見たことがないので判断できません。ネットで写真は拝見しましたが、あんなの動物のフンと大差なさそうです。動物のフンも有機物。もしかしたら昔の人はテングノムギメシと間違えて犬のウンコ食ってた可能性もありそうですね。
土食べられなかったのが残念です。そういえば五反田に土を出してくれるレストランがあるそうですね。
テングノムギメシではないですが、まずは手ごろに食べられる土料理でも食べに行きます。