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【芦原橋】大阪人権博物館に行ってみた【浪速部落】

【芦原橋】大阪人権博物館に行ってみた【浪速部落】

[更新日]

先日浅草の裏側を見て回りました。山谷に始まり吉原遊廓、そして浅草雷門。
その際に弾左衛門のことにも触れました。

浅草の光と影-裏浅草で何を見たか
浅草の光と影-裏浅草で何を見たか

雷門です。やっと浅草のメインのところまでたどり着きました。 雷門の前は何度もバイクや車で通り過ぎて

弾座衛門は非人頭という立場の人で、その当時被差別部落といわれた身分の人をまとめていた方でした。これの話は江戸のころのこと。明治に身分制度は廃止されたわけです。そのため関東ではそれは薄れていきましたが、関西ではまだまだ色濃く残っているようです。

本日訪れた場所は芦原橋というところです。以前は浪速部落と呼ばれていました。

部落とは集落のことですが、今回ここでいう部落は被差別部落のことについてです。この手の話は大分複雑でそして色々な問題も抱えております。本日は芦原橋に行ったわけですので、この手の話を歴史を交えながら話したいと思います。

なお、当方は浅い知識しかありませんので若干ズレがあるかもしれませんがあしからず。

まずはこの街の話の前に日本の身分差別について少し話をしなければなりません。

士農工商という身分が昔あったわけですが、その身分に含まれない身分があったわけです。
その身分とは穢多、非人というものです。

言葉通り「穢れ(けがれ)が多い」と「人に非ず(あらず)」という身分です。

士は侍、農は農家、工は工業、商は商人。
このように仕事によって身分が分れており、その当時は好きな仕事につけなかったわけです。この辺は歴史の授業で習っているところだと思います。ただ実際はここまで厳密に職業を分けていたわけではなく、江戸時代などでは武士と平民という程度だったようですね。

仕事を限定させたのは宗教的な側面もあるのですが、根本的な部分は生産性を保持するためでもあったのでしょう。とくに食糧生産を担う農家は絶対に必要な業種で辞められるのは困るわけです。それであれば生まれつきその仕事しか就けないとしておけば困らないわけです。

ただこの四つの身分だけではすべてが賄えないわけです。

例えば葬儀を業とする人たちはどこの身分に該当するのか?芸能は?キャバクラは?風俗店は?

士農工商の中だけでは足りない業種もあったわけです。
その一部の業種を穢多、非人という身分の人たちが対応していました。

とくに穢多と呼ばれた人たちはこの人たちにしかできない仕事がありました。それが死体処理です。

死体処理とは人だけでなく動物の処理もこの人たちしかできなかった仕事です。
昔は馬を乗り物としても利用していたわけです。人も馬も死ぬときは死ぬわけでそれの処理をしなければなりません。その仕事を一任されていたのが穢多と呼ばれる人たちでした。ある意味独占権を与えられていたところがあったので公共事業に近かったのではないでしょうか。

このように独占権を与えていた理由は衛生上の問題があったからなんだと思います。

宗教上は死にかかわる仕事は「穢れ」がある。死体に触るのも穢れ。つまりは触ってはダメなモノとされてきました。かといって処理をしなければなりません。その役を担ったのが穢多という身分の方だったのでしょう。

死ぬということは何かしらの病気に罹っているわけです。現代とは違い、老衰や癌よりも感染症などで亡くなる人も多かったわけです。そしてその病気が何なのかが解明されてもいない時代です。「流行病」という言葉で片づけられていたわけです。
当然それで亡くなった人を触れば感染する可能性もあるわけです。皆が死人に触れば感染するリスクが高まるわけです。このような理由があり、触れる人を限定して隔離したのでしょう。

人の処理だけでなく動物の処理も行ってきました。

馬の皮は武具をつくるのに必要なため皮を剥いで鞣していたわけです。これも穢多の人たちの仕事でした。皮をなめすためには大量の水が必要とされ、住まいも川のそばだったそうです。死肉を扱うため衛生上もあまりよくない。そのため住まいも一か所に限定されていたのでしょう。それが穢多部落と呼ばれるようになったのでしょう。

ここ芦原橋もそのような場所だった経緯があるようです。

ここ芦原橋は皮革産業は西日本でもかなり大きな規模のようです。港も近いので輸送もしやすい。そんなわけなんで皮革産業が盛んとなったのでしょう。その名残は未だに残っていて駅前には太鼓の専門店というのがあります。

太鼓は革製品です。そのためこの地で作られていたのでしょう。
古くは武具などもここで作られていたんだと思います。近代化で革靴を履くようになってからは靴の生産もしていたそうです。ほとんどの革製品を作っていたという感じでしょうかね。

芦原橋には浪速玉姫公園というところがあります。
そういえば山谷には玉姫神社というのがありました。山谷の玉姫の名前の由来は弘法大使が玉を秘めていたみたいなのが発祥とのことでした。
あちらは靴の神様が祀られているということでしたが何か関係があるのでしょうかね。
浪速玉姫公園の脇には小さな社があり、そこには玉姫大神が祀られているようですのでこれが名前の由来なのでしょう。玉姫大神は商売繁盛の神様ということですが、何か皮革産業と深いかかわりがありそうな感じがします。

こちらは太鼓屋敷の跡地があった場所のようです。
時計のついた社がありますが、これは時計のようで太鼓で時報を知らせているようです。

このあたりは昔は渡辺村と呼ばれていたそうです。昔は劣悪な環境だったのでしょう。
現在は同和対策事業が進み周りは市営住宅が建っております。

このあたりは差別的な扱いを受けていたのでしょう。
そして現在もそれが残っているところがあるんだと思います。

今回立ち寄りたかったのはこの街の中にある「大阪人権博物館」というところです。
浪速部落といわれた街の中に人権博物館があるわけです。

日本ではここだけのようなのでずっと行きたいと思っており、やっと来ることができました。

館内は人権の問題があり撮影禁止となっております。内容としてはアイヌや琉球の民族差別、ハンセン病の差別や水俣病などの公害による人権侵害といったもの、そして同和関連の人権侵害に関してです。

すこし人権の部分に偏りがある感じがしますが、そもそもが同和対策事業で作られた施設です。そっちの方が強く表現されるのは当然であり、そういう土地にある施設なんだからむしろその話だけでもよさそうな気もするのですが、そういうわけにはいかないのでしょう。なんだか同和関連以外は「とりあえずはじめました」って感じがしました。
これに関しては以前の市長が「差別や人権に特化して、子どもが夢や希望を持てる展示になっていない」ということで改善を目指したそうです。府と市からの税金が投入されている施設ですからね。しかしそれも虚しく2013年から補助金は停止されてしまったそうです。さらには大阪人権博物館の敷地所有権を大阪府より提訴されており現状も係争中のようです。

現状だとリバティおおさかは火の車の状態。

個人的には人権や差別に特化しててもいいと思うんですけどね。

冒頭で話した弾左衛門のことも出てきてました。
そして江戸時代の身分差別だけでなく、現在の差別に関することも。
寝た子を起こすなという考えもいいのでしょうが、身分差別は日本の歴史を語る上で必要な問題だと思います。そのためちゃんとした教育をしたうえで理解を得られる環境づくりが必要ですよね。

「差別、ダメ」でどうにかなる問題ではないと思うんです。

関東の人と関西や九州の人とでこの問題の考え方も違うのでしょう。当方は「どうでもよい問題」という感じですが西の人は「避けられない問題」なのでしょうかね。

そもそも関東の人や西の人という形で分けること自体が差別につながるのではないでしょうか。

当方はそもそも差別主義者でした。

人は差別する生き物なんだと思います。これに関してはいじめ問題と同じなんでしょう。差別することで自分の立場が分かるようになるのでしょう。弱い人間だからこそ優劣を決め、常に上に立ちたいのだと思います。下を作ることで今いる立場が安定しているというのを知りたいのです。そのため人を見下したり、年齢や性別で判断をしたりするわけです。区別したつもりだが受け手は差別だと思うこともあるわけです。これの解決は難しく、現在抱えている同和問題がクリアになったとしてもまた別の差別も出てくるのでしょう。

この差別問題とかは知識が浅いので詳しいことが話せません。難しそうなことを当方が発言したところで中身は薄いんです。
詳しくは大阪人権博物館にでも行ってみてきてください。

皮革産業ということは当然食肉も取れたわけです。
関西の“肉”は牛肉のことを指すのはそれだけ牛肉が普及していたからなのでしょう。

精肉は市場へ、くず肉は食卓へ。

放るもんだからホルモンと呼ばれていた臓物も被差別部落の食事の一つ。

ホルモン、さいぼし、煮こごり。牛筋なんかもそうだったのではないでしょうかね。
最近ではどこに行っても食べられるものになりましたが、せっかくだからその土地で食べてみたい。
ということで駅の周りを探索します。

このあたりは市営住宅が多くあり、ベッドタウンとなっております。
そのため飲食店がそこまでありません。
ネットで調べたところ昔は“部落めし”と呼ばれるものを出している店舗があったそうです。現在はそのような店は無いようです。これもどこでも食べられるようになったからなのでしょうかね。

結局ふつうのうどん屋さんへ。
でも、ここだったらかすうどんがあるかもしれません。
油かすもそういった人たちのソウルフードなんじゃないでしょうか。せんじ肉って呼ばれていたやつですよね。かすうどんの本場は羽曳野市ということですが、肉を扱う街であればあぶらかすも手に入ったはずです。そのため芦原橋でも似たように手に入る食材だったのでしょう。
最近ではかすうどんもどこででも食べられるようになっていますが、そこはやっぱり地元めしとして食べたいです。

普通の定食屋でした。

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Author:小鳥遊々
   (NOMA TAKANASHI)

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千葉に山林を購入しました。
小屋暮らしをするため、土地持ちホームレスを目指し開拓中

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