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東京の奥座敷は廃墟だった バブル景気のなれの果て「鬼怒川温泉」

東京の奥座敷は廃墟だった バブル景気のなれの果て「鬼怒川温泉」

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熱海、箱根、伊東、山梨の石和、那須塩原、鬼怒川温泉。関東近県には多くの温泉地があります。都内から通える距離のため東京の奥座敷なんて二つ名もつけられています。ちょっと遠いけど行けない距離じゃない。コンクリートジャングルで疲れた体を癒すため、温泉旅館に泊まるってのも一興でしょう。

本日は鬼怒川温泉に来ました。栃木県日光市にある鬼怒川温泉は1691年に源泉が発見されました。ただその当時は日光詣に来た大名や僧侶のみしか利用できない温泉だったそうです。一般開放されたのは明治になってから。上流に水力発電所ができた際、鬼怒川の水位が下がり川底から複数の源泉が見つかったんだそう。1929年には電車が開通し、温泉地として賑わったそうです。

熱海にはストリップ劇場やソープランドがあり、石和温泉には連れ出しパブがある。温泉地は本来温泉に浸かり体を癒すところですが、保養所という点では心も癒せる方がよいでしょう。心を労う慰安施設が温泉地にはあるもんです。

昭和の初めの頃、にぎわいのある温泉地ができれば鬼怒川にもその手のサービスをする店もできたのでしょう。

現在の鬼怒川温泉駅は少し下流にありますが、当時の駅は1km上流のくろがね橋のそばにありました。駅は残っておらず、その当時使用されていたであろう階段があるだけです。

こちらのくろがね橋は水力発電建設の際の資材運搬用として作られた橋です。

こちらには上半身裸の女性の像があります。この橋を渡った先にそういった店があったってことを教えてくれているのでしょうね。対岸にはかつて色街がありました。

対岸にあった色街は京街ってのと花の町ってところでした。かつては遊楽園とよばれ熱海を凌ぐ歓楽街だったんだそう。

対岸に近づくともう一体の裸婦像を発見。近づくにつれて過激になります。

こちらに京街があったそうです。現在京街という地名はなく、この坂道の看板に名称が残っている程度。飲食店は数軒ありますが普通の街並みで色街だった様子はありません。

カラオケスナックがありましたが、地元用の飲み屋っぽいです。

こちらには鬼怒川温泉ロープウェイがあります。ロープウェイを登るとおさるの山ってところに行けるようです。このロープウェイの麓はかつて花の町と呼ばれ歓楽街があったそうです。

ここが歓楽街だったであろう場所。今は住宅地となっていますが、面影があります。

和洋酒KANENOYAと看板に書かれてあります。酒屋なのか飲み屋なのか不明ですが、街の成り立ちを考えると後者なのでしょう。

こちらは飲み屋っぽいですね。18歳未満立入禁止の表示があります。少し高台にある隔離された飲み屋街。かつては人気のスポットだったのでしょう。

このあたりは赤線地区だったのですが、それは売春防止法施行まで。施行後は普通の住宅地となったようです。

つまり鬼怒川温泉には熱海にあるソープ的な店は無いようです。そもそも駅前にも飲食店は少なめ。とくに飲み屋がそこまで多くないんです。鬼怒川の旅館は大きな規模のところが多いです。温泉で体を温めた後、下駄を履いてスナックに行くなんてことはせず、全て旅館内で済ませるオールインクルーシブシステムなのでしょう。つまり女遊びも旅館内で出来るってわけです。鬼怒川温泉にあるホテルの多くがコンパニオンを呼べるプランもあるようで、わざわざ接客の伴う飲食店に行かずともホテルに接客をしてくれる女性を呼べるのです。

そして中には過激なシステムがあるところも。いわゆるピンクコンパニオンプランです。要は出張セクキャバってやつでしょうか。そういったプランもあり、さらには別料金で一夜を共にできるってのも中にはあるようです。

わざわざ外に遊びに行かずともすべてホテル内で済ませるわけですが、個人的にそれは風情がないと思うんです。ホテルが用意してくれる安心感はあります。でも男の子は誰しも冒険者なんです。

温泉街の怪しいスナックの扉、開けたいじゃないですか!

その経験ができないってのは魅力が半減します。

このように鬼怒川温泉はそういったお遊びスポットはなくなりました。
色街が消えた後も鬼怒川温泉は人気の場所でしたが、バブル崩壊により状況は大きく変わります。かつては流行った温泉地も時代とともに変化し鬼怒川だけでなく温泉地の需要が低下しました。さらには円高により海外へ旅行する人が増えアクセスし辛い鬼怒川の人気はガタ落ちでした。
ホテルニュー岡部、鬼怒川観光ホテルのCMを流していたのにもうそのころには人気が落ち始めていたのです。いや、人気が落ちてたからこそのCMだったのかもしれません。バブル崩壊後から2000年代の間に鬼怒川の街は変貌を遂げます。

こちらはホテルですが現在営業していません。鬼怒川には多くの廃ホテルがあります。2000年代前半に倒産したホテルです。

鬼怒川にあった温泉旅館は銀行から借り入れをして設備投資をし、さらにホテルを大きくする。このように融資を受けて自転車操業で大きくしていったそうです。
しかしバブル崩壊によりその状況は変わりました。客が減少していく中で借り入れをしても返済は出来ず、出資していた足利銀行が債務超過により経営破たんとなりました。返済の滞っていた旅館は新たな借り入れができず、鬼怒川にあった温泉旅館が相次いで倒産したそうです。

ホテルニュー岡部はホテル三日月へ、鬼怒川観光ホテルは大江戸温泉物語へ。このように清算がちゃんとされているところは新たなホテルへと生まれ変われたのですが、倒産後に所有者が夜逃げてしまった、また権利者の所在が不明のホテルはそのまま放置されているんだとか。
もうそれが始まってから10年以上。風光明媚と言われた鬼怒川の景色は廃虚が集まる廃虚温泉地となってしまいました。さらには廃虚マニアが不法侵入をして撮影したものをネットのあげるため、余計イメージが悪くなってしまったようです。

しかし権利関係が複雑のため勝手に壊すこともできない状態なのでしょう。そもそも行政代執行で強制的に解体できたとしても解体費用は一棟あたり数億円。大きいのだけでも四つの廃ホテルがあり、小さい建物も含めると数はかなり増えるのでしょう。

そもそも鬼怒川温泉を抱える日光市には廃虚が複数あるそうです。
ちょっと遠いけど東京から車で通える距離にある奥座敷「日光」。バブルの頃は建てれば客が見込めたのでしょう。市内には温泉施設、旅館、リゾート地、スキー場など。そのまま放置され手付かずの状態で残っている施設が多くあります。

こちらはメイプルヒルスキー場です。このスキー場は1990年に開業。
映画「私をスキーに連れてって」も放映され、日本では1980年代後半の頃からスキーブームがありました。
この付近には複数のスキー場があり、シーズン中は駐車場が満車となることもあったそうです。

バブル崩壊後もスキーブームは続きましたが、2000年代前半にはスキー人口がピーク時から6割以上減少したそうです。
日光にあったこれらのスキー場も1999年に運営会社が40億の負債を抱え破産、2000年に閉鎖されました。都内の企業が事業継続を模索したものの採算が取れないと判断したのか2004年にその話も頓挫しました。自然の国有林に原状回復するとのことでしたが、それから20年経った今でもこのように施設設備が残ったままのようです。

このように世界遺産のある日光にはバブル期に建てられた負の遺産が多く残っているようです。それらを観光資源として使えればよいのですが老朽化による倒壊の危険性があるためそういうこともできないのでしょう。鬼怒川温泉にある廃虚ホテルもどんどん老朽化し危険な状態となるかもしれません。

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