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名古屋港沿岸にあった色街、新陽園と港楽園と港陽園と稲永遊郭

名古屋港沿岸にあった色街、新陽園と港楽園と港陽園と稲永遊郭

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本日は名古屋市南区に来ております。
こちらは道徳駅です。

名鉄常滑線の道徳駅。駅自体は小さく無人駅となっています。

かなり珍しい駅名ですが なぜ道徳駅なのか。
それはここが道徳って地名だからです。

地名が道徳となったのは幕末の頃。もともと南区のこのあたりは干拓地でしたが尾張徳川家はかねてより新田開発を行っており8代藩主徳川宗勝が統治してた1741年にこのあたりに新田ができました。

名古屋市内には天白川が流れていますがかつては洪水を頻繁に起こす暴れ川でした。そのため1713年に治水工事をしたのですが、それにより水害がさらに酷くなったそうです。
毎年のように水害に襲われることからその被害に遭った農民に代替地を渡したそうです。それが道徳のあたりでした。

困った農民に替地を用意したオレって凄くね!?

それって「道義を以て徳を施す」だよね。ってことでこの地を道徳と改めたそうです。これが町名が道徳となった大まかな由来です。

閑静な住宅街です。まさに道徳的な町といったところ。ちなみに道徳駅から3駅先には柴田駅があります。柴田駅は駅前が風俗街になってます。

名古屋の南の外れ 普通の街の普通の歓楽街「柴田駅前歓楽街」
名古屋の南の外れ 普通の街の普通の歓楽街「柴田駅前歓楽街」

本日は名古屋市の南区に来ております。 こちらは名鉄常滑線の柴田駅です 同駅南側にある

ぜんぜん道徳的じゃない!

同じ南区ですが柴田駅は川の向こう側。
あっちは人の道を歩んでいませんがこっちは道徳のある人が住んでいる街です。そんなわけで怪しい店はありません。

こちらは道徳公園です。
キレイな公園です。

ここも新田として開拓した土地でしたが1925年に尾張徳川家が民間人に土地を売却。名古屋桟橋倉庫株式会社が宅地開発を行い、その際に道徳公園が整備されたそうです。名古屋桟橋倉庫は道徳の観光地化を目指しました。公園の開園によりこの界隈は歓楽街へと発展。カフェやビリヤード場ができたそうでこの界隈は大変賑わっていたんだとか。

道徳は名古屋の中心から外れてますが多くの人が訪れたそうです。その利用者の多くはこの近くに住む工員。

南区は現在でも湾岸部が工業地帯となっています。かつては近くに日清紡がありました。また今でも近くに大同特殊鋼があり1916年に神宮前駅そばに熱田工場が、1917年に東築地町にて築地工場が、そして1937年に星崎工場が創業してます。そのため道徳には社員寮があったそうです。

仕事終わりに遊びに行く。
ここは工員たちの憩いの場だったそうです。

全然道徳的な感じがしない。

道義を以て徳を施す。
そんな意味を込めて尾張徳川家が名付けた道徳。歓楽街になるとは思ってなかったはず。徳川宗勝も草葉の陰で泣いてることでしょう。

明治以降は歓楽街だったそうですが現在は閑静な住宅街にある緑豊かな公園です。歓楽街があったなんて想像ができません。

この辺りが歓楽街だったのでしょうか。

カフェにビリヤード場。
カフェにビリヤード場。
カフェにビリヤード場だけで大の大人が満足できるはずがない。

おそらく飲み屋もあったのでしょう。
では酒飲んでそのあとは?
まっすぐ帰るの?
だってここ観光地ですよ?

観光地のお遊びといえばストリップと場末のソープでしょう。

写真指名すらできないソープランドにあえて行く
。AV女優のなれの果てをストリップ劇場で見る。
これこそが観光地の楽しみ方なんです。そう。ここにもそういった街を作ろうとしてたのです。

歓楽街を名乗るならそういう店があってもいいじゃない!

道徳の意味。

そう。道徳は名古屋の歓楽街でした。
そのためこの道徳という街に道徳に反するような街を作ろうとしてたのです。

こちら道徳の地図です。
ちょっとこの部分、特殊なまちづくりです。
四隅が斜めの道になっています。

こちらは名古屋駅西側の中村大門の地図です。
つくりが全く同じなんです。
これ、明らかに遊郭を模してますよね。

中村遊郭が誕生したのは1923年。
道徳の土地開発がはじまったのは1925年。
明らかに中村遊郭を模してます。

ここに遊郭を作る予定だったのでしょう。でも遊郭はどうやらできなかったようです。
遊郭に指定されなかった理由は不明です。まぁ不要と判断されたのでしょう。
明らかに遊郭があっただろう街の区画ですがここは遊郭ではなかったようです。でもあったんでしょうね。

これだけちゃんと区画整理をしたんです。そしてここには多くの人が遊びに来るところです。例え公に認められなくても私的な店があったはず。つまり私娼窟があってもおかしくありません。

現在は街の中心に銭湯があるくらいでしょうか。
もしその当時に遊郭に指定されていたら、この公衆浴場は特殊浴場になってたのかもしれません。

ちなみにこちらの町名は観音町です。
道徳的な名称だけど遊郭につける名称じゃない。
別の観音様を拝むところになっちゃう。

観音町という町名になったのはこちらが由来です。ここは遊郭を作る予定だった隣りの区画です。こちらには観音公園ってのがあるのですが、かつてはここに道徳観音山というコンクリート製の人工の山があったそうです。

高さ18メートルの道徳観音山。
山の内部はスケートリンクがあり屋外はプールとなってたそうです。まさに観光地といったところ。

またこの近くには温泉旅館もあったそうです。
こちらも今は公園となっていますが、かつては泉楽園という温泉施設がありました。

こちらは泉楽園の鳥瞰図です。
「さくら」とか「いざよい」とかなんかスナックにありそうな名前がみえますがこちらは宿泊ができる温泉施設でした。娯楽施設もありそこではビリヤードができたんだとか。

でた、娯楽といえばビリヤード。

ビリヤードで大の大人が満足すると思います?
そりゃできるわけないでしょう。
当然お遊びスポットがあったはずです。

温泉旅館のお遊びといえば、ストリップと場末のソープです。

ソープとストリップしか知らない人。

教養の低さをひしひしと感じる。

ソープとストリップはこの界隈にはありませんがこのあたりは私娼窟だったそうです。終戦後に赤線街として指定されました。

赤線街となったのは日本の女性を守るため。

1945年8月、日本は太平洋戦争で敗戦国となり同年9月より連合国軍の占領下に置かれます。10月には名古屋港より進駐軍が上陸。4万人以上が市内各所に進駐しました。

兵士が来れば凌辱がはじまる。日本政府は日本人女性を守るため各地に慰安所を設置したそうです。ここにあった赤線街もそれに類するものでした。ここには戦後、新陽園と呼ばれる色街でした。

もう道徳とかどうでもよくなってる!

戦後すぐに特殊慰安所として新陽園は開業。焼け野原だった名古屋の唯一のオアシススポットだったのでしょう。しかし赤線だったのはほんの一時期だけ。新陽園は移転することになります。移転先はここから2kmほど離れたところ。堀川を渡った先の港陽町でした。

こちらが移転した先の港陽町です。
ここは名古屋港に隣接する地域。新陽園だと港からはちょっと遠い。そのためこちらに移設したのでしょう。

元々ここは高射砲陣地だったそうで空襲で焼け野原に。赤線を整備するのにちょうどよい場所だったのでしょう。
新しく整備された赤線街の名前は港陽園。陽のあたる名古屋港って意味が込められてるんだとか。

ちなみに港陽町に隣接する港楽町に港楽園という色街がありました。
戦前は花街だったそうですが港楽園も新陽園とともに港陽園に統合しています。

新陽園、港楽園、港陽園。
名前が似すぎていてよくわからなくなってきた。
また港陽園から西に3km離れた先。
そこには遊郭がありました。

名古屋港湾岸、大体が風俗街。

名古屋の港のそばにあった遊郭。
稲永遊郭ってところでこちらがその跡地です。

名古屋には大須観音そばにあった旭廓。
熱田神宮そばの宿場町「宮宿」にあった熱田遊郭。
この二つの遊郭がありましたがどちらも神社仏閣の門前で街の中心地でした。遊郭が街の中心にあるのはよくないってことで明治以降に移設の話が持ち上がり1912年に熱田遊郭をここに移設しました。

この付近は稲永新田ってところだったため、稲永遊郭と呼ばれたそうです。住所は稲永ではなく錦町。遊郭があるとわかるような町名にしたのでしょう。

こちらは錦町内にある錦神社です。
遊郭設置の際に勧請した神社なのでしょう。

ご祭神は熱田大神。
ここが稲永遊郭の中心だったところなのでしょう。

戦時中に廃業した稲永遊郭。
その割にはこの辺りは飲み屋があります。
終戦後も遊郭復活を目指したのでしょうか。
でもこれらは普通の居酒屋です。
かつての遊郭のような店ではありません。

中心から離れた結構不便な場所。
それでも港湾労働者がここには来てたのでしょう。しかし太平洋戦争がはじまると遊郭は自粛となり妓楼は徴用され軍事工場の宿舎に転用されました。さらには空襲により街は壊滅。
終戦後、復活することはなく全ての機能を港陽園が引き継ぎました。稲永には遊郭の名残りはないようです。かつては港で働く人のために存在した遊郭。それが必要だったからここにできたのでしょう。港町だから遊郭があった。でももうそれは必要なくなりました。

と思ってたけどなんか少し異質な店がある。
ここは湊町ですよって感じのお店。
駅からも遠く商店街でもない地域。
そんなところにポツンとあるエステ店。
これは明治のころにできた稲永遊郭の名残りなのではないでしょうか。たぶん違うと思う。
そもそもここは普通のエステ店のはず。
普通のエステ店のはず。だから遊郭のサービスを期待しちゃいけない。
ウェブサイトの風俗じゃないって書いてあったし。

もうここには稲永遊郭の名残りはないようです。

稲永遊郭も港陽園へ。
新陽園も港陽園へ。
港楽園も港陽園へ。
ってことは相当大きな赤線だったのでしょう。
と思ってたんですがそこまで大きくなかったようです。

また急ごしらえでつくったからでしょうか。
色街っぽい街づくりではありません。

赤線街ができたのは終戦から4年後の1949年。売春防止法施行まで営業が続けられました。売春防止法の罰則施行は1958年。10年も経たずに色街は消えてしまったようです。そんな短い期間だったため当時の名残りはなく、唯一の残ったのがラブホくらいでしょうか。

いちおう残ってはいた。

赤線跡地には旅館もあるようです。
赤線廃業後は旅館に転業するケースがあります。もしかしたら港陽園の名残りかもしれません。でも風俗的な店は町内に一切ないようです。

この近くには名古屋港があります。赤線ができたのも港があったから。現在名古屋港は日本で一番の輸出港です。一番になる理由はトヨタがあるからです。だったら風俗街があってもおかしくないじゃないって思いますが昔と今は違うのでしょう。

港自体も広範囲に広がっておりここが玄関口ってわけじゃないようです。そもそも船を降りたら即風俗。そんな文化は廃れていったのでしょう。

もう海の男には風俗は必要ない。

港陽園はラブホがあるだけの健全な街になりました。

健全?

本日は名古屋港界隈を巡りました。
かつては港の周りに複数の色街がありました。でもそれらは時代の流れとともに淘汰されました。今では健全な湊町に生まれ変わったようです。

遊郭的な店がなかったのは残念ですがこのような歴史に触れられるっていいですね。

こちらは港陽園のそばにある築地口駅です。
駅前にはボートピア名古屋があります。飲む打つ買うの「買う」はこの街から消えましたが「打つ」はまだ残ってるようですね。

あと築地口駅の周りは居酒屋がけっこうあります。どうやら飲むもまだ健在のようです。

そしてエステ店も港陽園の名残り、まだあった!

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