山林生活

日出る東の最果て 銚子にある怪しいタイパブ街「田中特飲街」

日出る東の最果て 銚子にある怪しいタイパブ街「田中特飲街」

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本日は千葉県の銚子に来ています。関東の最東端、犬吠埼です。

諸島を除く日本で富士山の次に最初に日の出が見れるのはここ犬吠埼なんだとか。犬吠埼より仙台の方が東側にあるし北海道の釧路はもっと東ですが、赤道に近いほうが日が昇るのが早いため、ここが富士山山頂及び諸島を除く日本で一番最初に日の出が見れるそうです。

【100日後に見る日の出】銚子犬吠埼で初めて日の出は見れるか!?
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去年、正月から100日後に初日の出を見に犬吠埼に行きました。その時は残念なことに天候が曇りで空が明るくなるところを見ただけでした。でも本日はしっかりと日の出を見れました。このように水平線から日が昇るところをちゃんと見るのは人生ではじめてです。

キレイですね。
富士山の山頂とは違い比較的アクセスしやすい犬吠埼。そのため平日の日中で特別な日でもないですが、20人くらいご来光を見に来ている人がいました。

関東の一番東にある銚子市。
比較的アクセスしやすいといっても東京から100km以上離れた所にあります。富士山山頂に比べれば行きやすいところですが実際のところはアクセスし辛いです。

銚子へ行くには電車でも車でも2時間近くかかります。このように時間がかかるのは高速道路が銚子まで整備されていないから。

銚子駅の最寄りの高速インターは40kmほど離れた東関道自動車道の佐原香取インターチェンジ。高速を降りた後、下道を一時間ほど走るため時間がかかるのです。
東金道と連結している「銚子連絡道路」といういかにも銚子まで連れてってくれそうな名前の有料道路がありますが、まだ建設途中で現状では銚子まで延びてなく、こちらのルートも下道区間が40kmほどあります。この道路ができれば1時間ちょっとで行けるようになるのでしょうが、それが実現されるのはまだ先のようです。

このように陸の孤島のような場所「銚子」。でも昔はかなり栄えていたそうです。

銚子は現在でも水揚量日本一を誇る港町。黒潮と親潮がぶつかる銚子沖は魚が多くとれる漁場で、関東の食を支える台所のようなところです。年間通して様々な旬な魚介が取れるところで、銚子は江戸の頃から栄えていました。また江戸の頃の物流は水運です。もともと利根川は東京湾に流れていたのですが、江戸幕府初代将軍の徳川家康が治水事業で銚子のほうに流れるようになったそうです。

利根川沿いにあり太平洋に面した銚子は海路で運ばれてきた物資を利根川の水路で江戸に運ぶための物流の拠点となります。
江戸の頃から銚子は人の往来があり、明治や大正、昭和の初めころは人が多く集まる場所でした。

人が集まれば当然それをお世話する人も現れます。銚子には遊郭がありました。

銚子にあった遊廓は「松岸遊郭」ってところ。銚子駅から総武本線で一駅となりの松岸駅近くにあったそうです。松岸遊郭は江戸の中期ごろからあり、明治初期に一時衰退したものの近代に入ってから再興しました。しかし鉄道の開通で水運から陸運にシフトしていくことにより利用者が年々減少。終戦を迎える前に松岸遊郭は解散したそうです。

こちらは松岸遊郭があったところです。
江戸の頃からある遊郭だったため廓のつくりになっていてこのあたりに西の大門があったそうです。

こっちには東の大門がありました。

町内にはいくつか神社がありますが、遊廓だった様子はわかりませんでした。

こちらは駐車場になっていますが、ここには第二開新楼という妓楼があったそうです。

こちらには松岸第一開新楼ってのがあったそうですが、現在は結婚式場となっています。遊郭跡地に結婚式場ってのもなんかいいですね。

松岸遊郭は銚子の中心地から少し離れているし不便な場所。アクセスし辛いところだったので衰退したんでしょうね。すでに客が少ない状態の遊郭だったそうですが第二次世界大戦の自粛の際に解散となったようです。でも戦時でも三大欲求がおさまるわけではありません。銚子にはここ以外にもお遊びスポットがあったそうです。これよりそちらに伺います。

こちらは銚子市内にある圓福寺です。
真言宗系単立の寺院で観音様がご本尊です。銚子駅からは銚子電鉄で二駅先ですが、このあたりはかつての銚子の中心地で、門前町として発展したそうです。

私がここに訪れたのが午前6時。どうやらここでは朝6時に毎日「朝のおつとめ」という護摩祈祷に無料参加できるんだそう。地元のおじさんから誘われましたが、私のような信心深くなく、俗の塊のような人間が神のご加護を受けるなんておこがましい限りです。

すみません。このあと用事があるもんで...。

と丁重にお断りしました。実際いろいろと用事があったんです。

観音様のある門前は多くの観光客が往来し発展しました。門の目の前だから門前。
では観音様の裏側はどうだったかというと、そちらも発展したそうです。

場所は田中町・和田町・後飯町です。いわゆる飲み屋街で遊郭ではなく花街のようなところだったそうです。

ここに歓楽街が形成されたのは大正末期になってから。中心地にほど近い田中町は人気の歓楽街だったのでしょう。当初は現代でいうガールズバー的な店だったのでしょうが、店が増え、競争となればサービスが過激化するのは世の常。いわゆる私娼窟となったようです。格式高い遊郭よりも中心地に近く手軽に遊べる違法風俗店。後者の方が人気が出たそうで、戦後は赤線街へと発展します。

現在は和田町・後飯町にまたがり飲み屋街が形成されています。

「居酒ック ダイヤ」と看板に書かれてますがもう一つの看板には「MOMO」と書かれてます。居酒屋風スナックのことを居酒ックと呼びます。

居酒屋風スナックと思いきや、マッサージもやっているようです。

これじゃあ、居酒ックージじゃないですか。

飲み屋街が形成されているといっても結構潰れている店があります。こちらは隣町の和田町にある店舗。ここもタイ人の店。
かつてはフィリピンパブだらけだったようですが、ピンパブブームが去り現在は別のアジアンパブが台頭しているようですね。

それと結構ネコが多め。漁師町にはネコが多くいますが、銚子も同じように多いようです。

しかもここのネコは地域猫ではなく野良猫。去勢もされてなく、管理もされてないような感じ。

こちらは和田町と後飯町の地図です。
あきらかにパブスナックが多いです。そして「タイ」の文字も多めです。和田町よりも後飯町のほうがスナックがあるようです。

私娼窟だった田中町は戦後に田中町特飲街となったものの売春防止法施行後に赤線は廃止となりました。しかし田中町はその後ちょっと怪しい飲み屋街として続いたそうで、かつては和田町にトルコ風呂もあったそうです。トルコはなくなり、性風俗店は消えたかと思いますが実際は消えておらず水面下で怪しい風俗店が続いているようです。

こちらは後飯町の飲み屋街。相変わらずちょっと怪しさがあります。

この看板、秀逸ですね。古臭い感じにみえ、今のデザインではありませんがこの看板は全てを物語ってます。
顔は重要ではない、重要なのは下半身ってことなんでしょう。

一見すると普通の飲み屋街ですが、この店の中には大正の終わりの頃から脈々と続く連れ出しタイプのスナックもあるんだとか。ちなみに連れ出し系のスナックはあるものの、この界隈には連れ出し先のホテルは近くにありません。つまり連れ出す場合はタクシーで少し離れたところまで移動しなければならないようです。

連れ出し系のスナックがあるからなのか、ここのアジアンパブが多め。

BUAはタイ語でハスを意味します。つまりここはタイパブ。

サワディーはタイの挨拶。つまりここはタイ。

サバイサバイはタイの言葉。つまりここはタイ。

チェンマイはタイの都市。つまりここはタイ。

もうここは関東の東の最果てにあるタイ王国なんじゃないだろうか?

そんなことはありません。タイ以外にも中国や韓国っぽい店もあるんです。

マンナム、大連、愛に恋。

やっぱりタイでした。

もうほぼリトルバンコク、いや、リトルソイナナじゃないでしょうか。

このようにタイパブだらけの銚子にあるスナック街「田中町」ですが、最近は元気が無いようです。
感染症の影響もあるのでしょうが夜にこの街を見ましたが、静かな町並みでした。一応客はいるようですが、そこまで多いわけではなさそうです。場所柄市外から来る人は少なく、地元の人が飲みに来るのでしょう。しかしその地元の人が減少しているのが問題なんです。

銚子市の人口は1965年を境に減少しており、65年の時9万人いた人口が2023年の時点で55000人となっています。しかも60歳以上の高齢者が26000人と半数近い割合となっており、年間1000人ペースで人口が減少しているようです。さらに人口減少により税収が悪化。出費を減らすため行政サービスを減らしたりなどそのシワ寄せは市民にきているようです。行政サービスが低下しているところに移住する人は少なく、この問題は今後も続くのでしょう。

唯一の頼みの綱が外国人です。現在市内には2500人の外国人が住んでいるようです。割合として一番多いのが中国人。次いでベトナム、フィリピンとどこの市町村でも同じですが、次に多いのがタイ人でしかもタイ人女性が男性よりも倍以上の人口のようです。まさに田中町がタイ人女性の割合を増やしているのでしょうね。
ベトナム、フィリピン人が多い理由は技能実習制度による実習生なのでしょう。銚子市に滞在する外国人の約半数が技能実習生でその多くが水産加工などの漁業関連施設で働いているようです。

銚子市への転入者を増やすため市が戦略を立てているようですが、そもそも日本は国全体が人口減少しています。そのような限られた中で奪い合うよりも技能研修とはいえ外国人を受け入れてきた銚子市には外国人を受け入れる体制ができているはずです。食品の生産企業などを抱えている銚子であればそれが実現可能でしょう。いっそのこと外国人の街に変わるのが良いのではないでしょうか。

外国人が銚子に増えれば、田中町赤線街もかつての賑わいとなり、新たな外国人スナックができるかもしれません。現在はチャイナ、韓国、フィリピン、タイが主ですが、いつかここに南アフリカンパブができる日がくるかもしれません。

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