【朝鮮人街】不法占拠で出来た街、川崎池上町コリアンタウン
私の所有する山林は千葉にあります。戻ってくる場合、アクアラインで川崎まで。そして工場街を抜けるわけですが、川崎大師までの道のりの工場街、まさに川崎って感じです。とくに夜光のあたりは川崎コンビナートっぽさ満載です。無機質で人工的な雰囲気がいいですよね。
人の住む場所ではない、工場しかない場所ですが、そんな工場が多くある場所の一角に住宅街があります。
知っている方も多いのでしょうが、本日訪れたのは川崎区にある池上町という場所です。
タイトルの通り、不法占拠で出来た街です。
この池上町というのは日本鋼管(現・JFEスチール)の土地になります。
時代は満州事変のころになります。
歴史の授業でも習っている通り当時日本は強国と戦っていたわけで、その戦うためには物資が必要。
川崎は軍事生産の拠点でもありました。生産するには人が必要。そのため朝鮮人が川崎に来て日本鋼管で働くようになったのだとか。今でもそれが強制だったのかそれとも任意だったのかで揉めているヤツです。
日本鋼管で日本人とともに朝鮮人もそこで働く。
働くためには住まいや飯場が必要。
そのため敷地内には居住スペースが設けられ、寄宿舎などが軒を連ねていたそうです。
しかし日本は先の大戦で敗退。軍事産業の必要は無くなり、日本人従業員も減りました。そこで働いていた従業員は田舎へ、地元に帰っていったのでしょう。
ただ、そこに残った朝鮮人がいたわけです。その人たちが空き家になった家を不法占拠、スラム街へと変わっていったそうです。
それが今日まで続いているそうです。
戸手四丁目に関しては河川敷を占有した形。こちらは元々人の家だったところに住み着いた形です。しかも人の土地のまま。
戸手四丁目同様に不法占拠ですので行政サービスはありませんでした。
当時は水も電気も下水もない状態だったのだと思います。でもそれは当時の話ではなく現在も上下水道の整備がすべてに行き届いていないのだとか。また戦後から区画整理がされていないため、昭和のままの街並みです。
半分崩れ出している家屋もあります。
建物が存在していれば占有を主張できるのでしょうかね。
壊れて更地になってしまうと占有権を主張できないためこんな感じで崩壊しかけていても放置しているのでしょう。
そして建物と建物の隙間がかなり狭いです。
現在では消防法の関係でこのような狭い路地のある街づくりはできません。
まさに昭和を感じられる街です。
どこからが人の土地なんだろう...と考えていましたが、そもそもこの町全体がJFEの土地でした。
当然車が入ってこれるようなところではなく、火災が起きれば一気に燃え広がるのでしょう。新築っぽい建物もありますが、不法占拠とはいえ建築基準法や消防法が適用されます。接道義務を果たしていないので建築許可が下りず、リフォームという形式しか取れないのだと思います。
こういう狭い道とか懐かしい感じがしますね。空襲で都内はほぼ壊滅状態でしたからね。なかなか関東ではお目にかかれません。
家屋は年々古くなるため、いつかは消えてしまうのでしょう。それはそれで少し寂しい感じがします。
でもこのあたりは工場街で住環境に適していない場所なんですよね。上下水も中途半端、ガスもプロパン、道も狭い。住むべき場所ではないのでしょう。
そもそも工業地帯です。最近ではだいぶクリーンになりましたが、高度経済成長期のころの川崎は現在の中国と同じように空気が白く、光化学スモッグも頻繁に発生していました。しかし、引っ越すこともできない人もいるのだと思います。戦後からそのままなんですからね。
はじまりが不法占拠とはいえ、今更言われても困るってのもわかりますわ。
朝鮮人が不法占拠した街というだけあり、表札には朝鮮人らしき名前、和名だけども朝鮮人っぽさのある名前の家が多いです。
川崎自体が異色な街ですが、このあたりは更に異色さを醸し出しています。昔は池上町には近づくなっていうのが基本でした。ほぼスラム街みたいな扱いで治安も悪く、やんちゃな人も多かったんだと思います。今は高齢者が多くなって落ち着いたんでしょうかね。
韓国朝鮮といえばやっぱ焼肉です。
どうやらホルモン焼き発祥の地はここ川崎なんだとか。
もともと臓物を食べる習慣は日本も韓国もなかったようです。在日朝鮮人の方が生きるため、内臓を茹でたり焼いたりしたのが始まりだったようです。被差別部落の人たちが古くからムラのソウルフードとして食べていたという話も耳にしますのでいつが発祥なのか、どこの発祥なのかはわかりません。
でも川崎では「かの国」と同じように起源を主張しているようです。
今日ここに訪れたのは池上町内にある唯一の焼肉店「道飛館」でランチを食べようと思っていたのですが、夜しか営業していないようです。なんやらここのハラミが絶品なんだとか。残念ですが営業してなかったので街をくるっと回って退散しました。日を改めて食べに行きたいですが川崎駅あたりであれば頻繁に行けますがこの工業地帯まで足を延ばすのは少し大変な場所です、
現在もそこに住む人と川崎市、JFEとの間で話し合いをしているそうですが解決の糸口は見つかっていないようです。
戸手四丁目の時のように池上町も金で解決するんでしょう。
戦後中途半端な対応をしたせいでこのような負債となってしまったのは日本の責任でもあると思います。今の状態を良しとしないのであればとっとと済ませて終わらせてほしいものです。とくに韓国や北朝鮮とはここ最近良い話題がありません。金で解決したとしてもまた問題が浮き彫りになるといった感じで繰り返してしまうのでしょうかね。
道路の反対側にはパチンコ屋さんが。産業道路を渡ればそこはコリアンタウンの桜本です。
川崎って朝鮮色強いんですね。
川崎のコリアンタウンは桜本だけだと思っていたのですが、池上町もそうだった。
そんな川崎生まれながら私、朝鮮に対してはあまり良い印象を持っていません。
当然素晴らしい人もいるのでしょう。実際に知り合った在日の方でも気さくな人、面白い人、素晴らしい人はいました。またキムチと冷麺、焼肉?に関しては素晴らしいものと思っています。あとオンラインゲームとかも優れていると思います。
それでも印象がよろしくないんですよねー。ネットとかの影響ではないんだとは思うのですが...。そのため韓国旅行に行きたいとはならないんです。
中国に対しても印象は悪いですが、中国は行ってみたいですね。この違いは何なんでしょうか。
まぁ韓国に行かなくてもここに来れば韓国っぽさを味わえます。今度来るときは夕飯時にでも。