浦賀にあった遊里「浦賀遊郭」と「柳町」

本日は神奈川県横須賀市に来ております。
こちらは京急電鉄本線の終着駅「浦賀駅」です。
私は神奈川出身ですが浦賀駅で降りるのは初めてです。終着駅なので途中下車で降りるところではなく浦賀に用事がない限り来ないところ。でも本日はそんな浦賀に来てみました。

浦賀といえば黒船来航でしょう。
170年以上前の話ですが義務教育で習うペリー来航。駅前にも黒船に関した壁画が飾ってあります。
黒船が浦賀沖に来たことで鎖国政策が終り日本は急速に近代化した。日本の歴史の転換点であり浦賀は重要な場所です。
歴史に疎い私でも知ってる黒船とぺリー。ペリーと言えばFLASH動画でしょうか。
歴史に疎かった。
FLASH動画全盛期だった2000年代前半。
開国してくださいよーってやつが流行った時期がありました。
なぜあそこまで人気となったのかは謎です。でも20年以上前のお話。今そのフラッシュ動画を知っているのはインターネット老人会に所属してる人たち。私はあのフラッシュ動画がはまりませんでした。私はインターネット老人会に所属してない人。そんな老人どもと一緒にしないでほしい。
私の知ってる黒船来航はリア・ディゾンでしょうか。
それはグラビア界の黒船。
遥か20年前の話。2006年に突如現れ一世を風靡したリア・ディゾン。
男性を虜にしたグラビア界の黒船。その節はお世話になりました。
私が知っているのはグラビア界の黒船かエロテロリストくらい。
リア・ディゾンかインリン・オブ・ジョイトイ。
知ってるのはリアル老人。
歴史に疎いけどグラビア史には詳しそう。

浦賀は小林一茶とも深い関わりがあるようで初恋の女性が浦賀に住んでいたそうです。
結婚を三回もしたほどの恋多き小林一茶。24年前に愛した女性に会いに行ったのでしょう。
ちなみに小林一茶、若いころから頻繁に娼婦を買ってたそうです。
恋が多いんじゃないただのエロジジイだった。
俳句修行の旅と称して風俗巡ってたおっさん。しかも利用していたのが遊郭ではなく夜鷹という質の悪い街娼だったそうです。現代でいう立ちんぼ。梅毒などの感染症により遊郭で働けずしかたなく街娼となった夜鷹。
そんな底辺ランクの娼婦なので値段は安く一回の料金は蕎麦一杯の値段だったんだとか。
ほぼ大塚のソレ。
大塚のソレは性病リスクは低いですが夜鷹は梅毒などの感染症持ちでした。そのようなリスクの中で性欲を満たす。江戸時代の風俗遊びは命がけです。ちなみに小林一茶は梅毒にかかってました。小林一茶も命がけ。梅毒に感染した後も街娼を買ってたようです。
高尚な俳句が詠めても人としてのモラルが低い。
これがホントのエロテロリスト。
ちなみに奥さんは梅毒で亡くなってます。
小林一茶、人に非ず。
そんな小林一茶の初恋の女性がいた浦賀。
本日こちらに来たのはかつてここに遊郭があったからです。
小林一茶と大して変わらない性への好奇心。

浦賀駅前にフェンスに囲まれたところがあります。こちらは通称浦賀ドックと呼ばれる造船所でした。
造船所ができたのはペリーが来た幕末。西欧諸国に対抗すべく1853年に造船所を建設。翌年には日本初の西洋式軍艦を竣工。戦時中も軍艦が製造され2003年まで船が作られてました。浦賀は造船の街だったのです。
多くの人が往来し町は潤ったのでしょう。
当然そんな街には怪しい店ができるもので私娼窟があったそうです。
浦賀は古くから港町としてさかえた街で造船所ができる前からにぎやかな街でした。そんな街には私娼窟があり浦賀にあった私娼窟は洗濯屋と呼ばれてました。
あっ!あれですか!?洗濯してたら恋に落ちるやつ。
それとも命の洗濯みたいな意味なんでしょうか。
名前の由来は不明ですが遊郭の設置が認められなかった江戸時代。
飯盛女や水茶屋、洗濯屋といったようになにかに化けて営業してたのでしょう。
黒服「当店は浴場です」
200年以上前からシステムは変わってなかった。

こちらは浦賀行政センターの交差点です。この辺は蟹田川の河口で新地と呼ばれてました。
もともとこの辺りは湿地帯でしたが人口が増えたことで埋め立てたんだとか。新地って飛田新地をイメージしちゃいますが新たにできた土地ってだけです。
しかも行政の中心って意味の行政センター。そんなところに怪しい店があるはずありません。ちなみにこの辺りに私娼窟があったそうです。
造船所そばにあった私娼窟。
当時は繁盛したのでしょう。しかし風紀の乱れを懸念したのでしょうか。1901年に浦賀遊郭が移設されます。移設先は元の場所から徒歩3分くらいの場所。
大して遠く離れてない。

こちらが遊郭を移設した荒巻のあたりです。
道が少し広がっています。遊郭のメイン通りがこちらだったのでしょう。
街道沿いでもなく主要駅のそばでもない浦賀。そのため遊郭の規模は大きくなかったようです。でも労働者が多かったためか遊郭は繁盛しました。遊郭は終戦まで続き戦後赤線となるも売春防止法とともに赤線は廃業。今は普通の住宅街です。

こちらにはアパートがあります。
かつては松風という妓楼があったそうですがこちらのアパートの名称は松風荘なんです。
遊郭の流れを汲む店はないけれどかつての妓楼の名を継承するものがある。なんか感慨深いです。
残っているのはそれくらいでしょうか。

赤線街となった浦賀遊郭ですが浦賀にはもう一つ赤線があったそうです。
西浦賀二丁目のあたり。浦賀は造船で栄えそれにより遊郭が出来ましたが漁港としても栄えた街。
近くの三崎港はマグロ漁が有名なマグロの名所。一航海で家が建つと言われたマグロ漁。この界隈には稼いでた人が出入りしてたようです。戦後にこの辺りに歓楽街が形成されました。

街路に柳が植えられた風情ある歓楽街。その様子から柳町と呼ばれたそうです。
赤線廃止後も歓楽街として生き続けたのでしょう。でも現在はその様子はなく普通の住宅街です。
現在は柳町という名称も消えてしまいました。唯一その名残りを残す石碑があります。

老人が多いのでしょうか。
生きがいの家という町内会館があります。横須賀市が運営の補助を行っている生きがいの家。60歳以上の地域の高齢者が集まり実益を伴う作業活動を行ってるようです。このような施設があるのは高齢者が多い証拠。
実際に浦賀地区の高齢者割合(65歳以上)は横須賀市の中では高く31.9%。かなり割合が高めです。
中心地でもないこの辺りは高齢者が多いエリアです。かつては中心的な盛り場だったのでしょう。でも歓楽街の雰囲気は まるでなく老人の街へ。柳町は普通の住宅街です。

ペリー来航により栄えた浦賀。
現在は海辺そばの小さな町となってます。当然現代版の遊郭はなく歓楽街もない。遊びに行くなら横須賀に出るかもしくは横浜や川崎に行くのでしょう。京急であれば川崎堀之内に行きやすいですからね。
遊郭赤線があった浦賀ですがそういう怪しい店はありませんでした。
でもせっかく来てるんです。もう少し観光します。

こちらは西叶神社です。
同社の創建は1181年。ご祭神は誉田別尊 比売大神、息長帯比売命。ご利益は所願成就 縁結び、商売繁盛。すごい願いが叶いそうな名称ですが実際に願いが叶ったからこの名になったそうです。

文覚って人が源氏の再興を願い鹿野山で修業しその願いが叶ったため神社を建立したそうです。
願う鹿野山、願い叶うさ。
文覚さん、韻踏んでる。叶神社、鹿野神社だった可能性がある。

こちらの灯ろうは半五郎って人が寄贈したそうです。
半五郎は江戸屋という洗濯屋を経営してました。洗濯屋ハンちゃん。
洗濯屋ケンちゃんみたいなノリ。
妓楼主が寄贈した灯ろうがあるってことはそれだけ遊郭が繁盛していたって証拠でしょう。
でもそれも昔のお話。この辺りは飲食店もありますが数は多くないです。商店街のようなものも神社の周りにはありません。海沿いの景色の良い地区といった感じです。
ちなみにこちらの神社は西叶神社という名の通り対岸の東側には東叶神社があります。せっかくなのでそちらにも行ってみましょう。

対岸は陸路で行けますが浦賀駅前まで戻る必要があります。徒歩30分くらいの距離でしょうか。
でも歩いて行かずともここは船で渡れるのです。

こちらは愛宕丸という浦賀の渡し船です。
大型船が行き交う浦賀。そのため橋が架けられなかったのでしょう。でもぐるっと回るのはちょっと遠い。
そのため渡し舟があるのです。船で渡れば250m。約3分で対岸に行けます。料金は片道400円。せっかくなんで乗りましょう。

浦賀の渡舟の歴史は古く1725年頃から行われているんだとか。
300年以上の歴史がある渡し舟。現在の船は1998年に就航。観光船のようになっていますが地元民の足としても利用されてるのでしょう。結構利用してる人がいます。現在は横浜まで出なきゃダメだけどかつては3分で登楼できた。遊郭赤線があったころは船に乗って登楼してた。風情がありますね。

浦賀の東側に来ました。
町の中心は西岸側だったようですがこちらにも旅館があったんだとか。

こちらには徳田屋って旅館がありました。
当時数少ない浦賀の宿場。多くの著名人がここに 宿泊したのでしょう。
吉田松陰もここに二度ほど宿泊しており佐久間象山とここで会ったそうです。
洗濯屋のあった浦賀に二度宿泊してる?妙だな?
吉田松陰といえば女っ気がなかった人で有名です。
30歳まで童貞でいると魔法使いになれますが残念なことに松陰は29歳でこの世を去ってます。
浦賀に泊まったのは松陰21歳と23歳の時。
通っててもおかしくない。ここで大人の階段上ってた。
船に乗ればたった3分で遊郭目の前に行ける立地。三ノ輪のビジホに泊まってるのと一緒。
三ノ輪に泊まったらとりあえず吉原行くでしょう。それと同じ。そりゃ旅館に呼ぶなり店に行くなりしたでしょう。
松陰はその手の遊びはしてないってことですが絶対してたでしょ。だって松陰って遊女を呼んでおいて自分を大事になさいって遊女に一時間も説教してたそうです。
呼んでる時点で確信犯。
ソープで手を出さないのが美徳だと思ってるヤツ。
やることやれば終わるのに話さなきゃいけない分めんどくさい客でしかない。
私も松陰と全く同じで一時間後に風俗嬢に説教してました。
それは事後に風俗嬢に説教するおじさん。もっと面倒な客。

こちらは東叶神社です。
創建は1644年。西叶神社を勧請して創建されたそうです。
ご祭神は誉田別命。ご利益は縁結び、恋愛成就、勝運開運。東も西もどちらも同じ神様です。
こちらでは勝海舟が渡米するのに先立ち。航海の安全を祈願し断食をしたんだとか。
その際に使用した井戸がここに残ってます。

こちらがその井戸です。
水のくみ上げは日立の井戸ポンプ。勝海舟もこのポンプで水をくみ上げたのでしょう。
このように勝海舟も訪れた浦賀。遊郭近くの神社で断食?妙だな?







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