朝の釜ヶ崎。朝の飛田新地。
こちらは釜ヶ崎の東側阪堺電車のガード下です。
こちらのガード下はションベンガードと呼ばれているそうです。
こういったところはどこの町にも存在します。新宿の思い出横丁から東口に抜ける旧青梅街道、JR線をくぐる人道がありますが、あそこもションベンガードと呼ばれていました。池袋にも似たようなところがあります。
なぜ人は外なのに閉鎖的なところでトイレを済ますのでしょうか。一種の恥じらいなんでしょうか。ここはかつて立ちションスポットだったようで夏場は臭気が漂っていたそうです。今は一応キレイに保たれていますが、ションベンをする人は街中にまだいます。
釜ヶ崎内には公園があります。公園にはトイレがあります。公園以外にも各所に公衆便所が用意されています。普通の町よりも公衆トイレが多いです。その理由は路上で生活する人が多いから、それと昼間っから路上で酒を飲んでいる人がいるからです。昨年はコロナで路上飲みが流行りましたが、ここ釜ヶ崎ではコロナ以前より日常的な光景でした。
酒を飲めばトイレが近くなる。酔っぱらってます。その辺で済ませちゃう人が多いのでしょう。それでもやっぱり恥じらいがある。そんなわけで周りが囲まれたガード下で用を足すのでしょう。現在朝6時。立ちションしている人はいませんでした。
このトンネルを抜けると飛田新地に行けます。
トンネルを抜けたところにお地蔵さんがいます。素通りするのもあれなんで手を合わせていると自転車に乗ったおっちゃんに声をかけられます。
この地蔵の脇、大きな切り株があります。ここには以前ニセアカシアの木があったそうです。
ストリートビューで見ると2016年9月に撮影されています。2022年4月現在で木を確認できます。
チャリのおじさんの話ではこの木は西成のシンボル的な存在だったんだとか。木が伐採されたことでこの道は明るくなったが、ずっとあったものがなくなるのは淋しいねぇと言ってました。
なんかよくわかんないけどそんな歴史がある場所だったようです。
朝早くから動いているのは今日の予報が午後から雨なのと、早い時間であればゆっくり飛田新地を歩けるから。
お店が始まると店に入らないと迷惑な客です。あと急に恋に落ちちゃう危険性もあるじゃないですか。欲望には勝てないんです。それであればオープン前に街を見に行こうと思いました。
やっぱりここはちょっと異色ですね。大阪五大新地すべて回りました。尼崎のかんなみ新地も見ました。川崎堀之内、名古屋大門、そして東京吉原。同じ遊郭があった場所ですが、飛田新地だけはちょっと様子が違います。
何度来てもこの雰囲気はここでしか味わえません。これがいつかなくなるかもしれないのはちょっと残念ですね。
客との濃厚接触は避けられない業種。今回のコロナで結構大変だったでしょう。一応飲食店だから給付金が出たんですかね。
ゴージャスな看板が出来ています。これまではひっそりと営業していた飛田新地。でもネットの普及により世界に発信されました。それにより外国人観光客も増えたのでしょう。この柄は飛田新地料理組合の紋のようです。制作者は豊後鏝絵師の仁五という方。
飛田新地の北門にも同じ方が制作した白龍が展示されてました。龍は飛田新地の守護神。
やってることがやってることなんでなかなか表立って宣伝できない部分もあります。10年後、この街はどうなっているのでしょうか。
次回来るときは営業しているときにきて恋に落ちようと思います。