【チャリできた】藤枝宿から浜松、そして浜名湖・二川宿へ【浜松餃子】
朝6時です。昨晩雨が降ったようで路面が少し濡れています。雨が降ったおかげか少し涼しいです。でも現在は晴れており太陽も出ています。10時くらいになると暑くなります。そのためこの4時間でどこまで進むかの勝負です。これより浜松に向かいます。
シェアサイクルのバッテリー残量は90%あります。エコモードで50kmほど走れるようです。これよりこの自転車で120kmほど走らなければなりません。そのためできる限りバッテリーの消耗しないように走らなければなりません。どうやら浜松に行くまでに峠道もあるようです。平地ではアシストオフで頑張りたいと思います。
早朝でもこの辺りは朝ラーメンを食べれる店がありますが食べていたら遅くなってしまいますのでまず前に進みたいです。
自転車で走り出してから30分ほどで島田宿まで到着。
まだ7時前なのでお店はどこもやっていません。
古い建物があります。蔵を改装してスナックにしているようです。雰囲気がよい感じです。
大井川を渡ります。昔の人はここを必死にわたったのでしょう。そういえばこれまで結構な数の橋を渡ってきました。その都度渡しや人夫がいてお金を払わないと渡れなかったのでしょうね。
橋を渡った先には金谷宿があります。大井川は雨天が続くと氾濫したそうです。そのため京から江戸に向かう人はここで足止めとなることが多かったんだとか。そのため島田宿も金谷宿も発展したそうです。
現在の金谷宿は住宅街になってしまっています。本陣跡にも何も残っていません。
一里塚も看板があるだけです。
これよりこの山を登らなければなりません。おそらく本日一番の難所だと思います。これを登れば掛川、袋井と続き浜松まで行けるわけです。
結構な急斜面です。そのため電動アシストをフルに使用します。まだ7時ですが自転車でツーリングしている人もいます。しかしちゃんとした自転車。ママチャリでこんなところ来る人なんていないのでしょう。
バッテリーを20%ほど使用して登り切りました。残量であと41km走れます。
登り切ったところにはラブホテルがあります。これが今現在の宿場町という感じでしょうか。平日の朝ですが結構車が停まっています。地方ではすることがないのと実家住まいの人も多いのでこういった施設は重要なんでしょうね。
袋井まで23km、掛川まで13km。ここからは下りです。そのためアシストオフにします。
日坂宿にきました。出発から二時間しかたっていませんがすでに本日三つ目の宿場町となります。
江戸側には金谷宿、島田宿が京側には袋井宿と掛川宿があります。そのため日坂宿はそこまで大きな宿場町ではなかったようです。
でも古い町並みはそのまま残っています。
宿場町の名残でしょうか。日坂宿入り口のところには大きなホテルがあります。こちらもラブホテルという扱いなのでしょう。このホテルがこの地域の人口を支えているといっても過言ではないはずです。ある種の公共事業のようなものです。
しかしラブホテルは風俗業に該当します。つまり今回のコロナウイルスよって給付される持続化給付金や家賃補助などは一切もらえない業種になるわけです。こういうところで“こどもちゃれんじ”している新婚夫婦もいることでしょう。そこを救わないというのは未来を救わないのと同じです。国も少し考えを改めて欲しいですね。
次の宿場町は掛川です。掛川城もありますので街は大きかったんだと思います。現状でも飲食店も多く宿泊できるホテルもあります。もし徒歩だったら宿泊地はこちらになっていたでしょうね。
まだ8時30分です。そのため掛川も立ち寄らずにスルーします。
ただ朝食がまだでした。ルート上に良さげな飲食店が見つからず。そのためコンビニで腹ごしらえです。鮭おにぎりとトマトジュース。汗かくとカゴメトマトジュースがおいしいです。この塩気が体に沁みこんできます。
袋井宿に到着です。袋井宿は東海道ど真ん中と呼ばれている、もしくは自称している宿場町です。27番目の宿場町なのでちょうど中間ということなんだそう。でも距離的には江戸寄りなので“ど真ん中”という表現はあまり正しいものではないような気がします。
本陣があったところが休憩スペースとなっております。ベンチも用意され水場もあるようです。ここで水を汲んでいこうと思います。時代は変わってもこのように休憩スペースを用意しておいてくれるのは旅人にとってうれしいです。おそらく江戸時代もこんな感じで小休止できて水を飲むことができたのでしょう。日本人の優しさを垣間見ることができました。
まるで逃げ水のよう。ぜんぜん旅人に優しくない。
10時。見付宿に到着しました。場所は磐田駅の北側です。袋井と掛川は駅の近くでしたが磐田にある見付宿は少し離れています。
道は整理され古い建物はなさそうです。今日は浜松で宿泊しようと思ったのですが10時の時点で磐田までこれました。おそらくこのペースであれば午前中に浜松まで行けそうです。昼についてもホテルチェックインの時間は15時。3時間くらい待たなければなりません。3時間あれば時速10kmでも30km進めます。明日を楽にするために浜松で泊まらずに先に進めたいと思います。
天竜川を抜けて浜松駅方面に向かいます。ちょうどお昼時。そのためこちらでご飯を食べたいと思います。浜松といえばやっぱりウナギなのでしょう。しかし先日三島でウナギを食べています。そのため別の名物を食べたいと思います。
最近の浜松では浜松餃子というのが名物になっているんだそう。宇都宮餃子を抜いて浜松餃子が一位だったことも。この順位の取り決めは消費量によるもので、浜松の人は餃子を多く食べるんだそうな。そして駅近くには浜松餃子を取り扱う店舗も多くあるようです。
浜松餃子の名店と呼ばれるところまで足を運んだのですが「予約でいっぱい」「当面は持ち帰りのみ」ということでした。
しかたないので近くの中華料理店に入り餃子を注文。「浜松餃子」ではなく「浜松で食べる餃子」です。
そして餃子だけだと寂しいから半ラーメンとチャーハンを注文してしまいました。いつもの炭水化物三兄弟です。昔であればこれくらいの量余裕、なんだったらラーメン大盛りとか食べられたのですが年を取ると小食となってしまいました。でも気持ちはまだ若いまま。そのため食べたいものを注文してしまいます。その結果がこれです。まぁどうにかこうにか食べきることができましたが注文はちゃんと考えないとダメですね。
浜松城です。中に入ることなく外から様子を見ます。浜松はいろいろ遊ぶところもあるしまた別の機会に来たいと思います。
浜松城のところで水を汲めたので給水します。
これより南下して浜名湖を通り過ぎます。浜名湖の北側を通った方が岡崎までの距離は短いのでしょう。でも東海道は南側を通っています。また北側は山の可能性があります。そのため南側に向かいます。
浜名湖の手前にある舞阪宿です。
宿場町というより漁村という感じのところですね。
海の前なので漁港となっています。
弁天島を経由して浜名湖を渡ります。昔は陸続きだったのですが地震で浜名湖ができたんだとか。江戸時代は渡し船で渡っていたそうです。弁天島海水浴場には人が結構います。
弁天島を抜けると新居宿という宿場町につきます。
ここには関所があります。せっかくなので関所の門をくぐり新居宿に入ります。
本来新居宿の次は西側にある白須賀宿というところです。しかし少しばかり遠回りなんです。直接その次の二川宿まで進んだ方が早いんです。現在の時刻は14時。宿泊のことを考えるのであれば豊橋あたりまで行きたいです。豊橋であれば駅前も栄えているのでホテルも選べます。ということで白須賀宿は欠番ということになりました。そもそもこれまでも近くを通っただけでスルーしてる宿場町ありますし、通ったといっても本陣跡撮影して通り過ぎるだけですからね。この旅は京都に行くだけなんでもう宿場町とか気にせず進みたいと思います。
道中ホームセンターを見つけました。こちらで先日紛失したカメラフォルダの部品を調達したいと思います。
たぶん2ミリか3ミリくらいのネジであれば合うと思います。一つずつ試すのが面倒なので二種類買いました。
2ミリのネジだったそうです。ロック機構は使えませんがクイックリリースができるようになりました。
またぬるい水しかなかったので経口補水液を購入。やっぱり水道水よりも冷えている飲み物の方がおいしいです。そして生き返る。
それと瞬間冷却パックを購入。この冷却パックがかなり使えます。持続時間は20分程度ですが、その間ずっと冷たいんです。頭の上にのせて帽子被れば20分は汗かかないし涼しいです。とくに怖いのは熱中症です。150円かかりますが20分間無敵というのはいいですよね。今後も取り入れたいと思います。
二川宿に到着しました。
二川宿は宿場町っぽい雰囲気が残っています。
観光地としての役割も果たしているのかもしれませんね。
二川についた時点で15時です。次の吉田宿、つまり豊橋まではおよそ8kmです。1時間もかからないでつくでしょう。あと少しで本日の目的地となります。