相模原にある違法風俗店街「町田の田んぼ」は立ちんぼへ
町田に来ております。
現在の町田は東京都が実力支配している領土です。歴史を紐解くと1868年に廃藩置県後、町田は神奈川の領土でした。
町田は東京都の領土であり領土問題は存在しない。町田は我が領土!
町田は神奈川固有の領土。歴史にもそう書いてある。町田市を返還しろ!
このように東京と神奈川がそれぞれ領有権を主張している場所です。
109とかが出来て、一時は「西の渋谷」なんて恥ずかしい名前で呼ばれていました。そんな恥ずかしい街町田ですが一応東京を名乗れます。また都心に出やすい場所で小田急線で快速に乗れば5駅です。駅から離れると車無しでは生活し辛い場所ですが、家賃も安いのでしょう。
本日はそんな町田を散歩します。
西の渋谷と言われてたこともあり、街は栄えているのですが私が行ったのは「栄えていない方」です。
横浜線町田駅南口側です。人の気配も少なく、駅前にはコンビニだけ。新横浜駅の裏側みたいな感じの場所です。
こちらは町田駅前ですがほぼ神奈川県相模原市です。境川を渡れば神奈川領地、渡らなければ東京領地。まさに国境のようなところ。
さらには東京側と神奈川側の街の雰囲気がガラッと変わります。若干神奈川側はピンク色。いわゆるホテル街となっています。
かつてこの場所は「たんぼ」と呼ばれてました。
田圃と呼ばれた理由は不明ですが、この付近には境川が流れておりかつては水田として利用されていたんだそう。とくに相模原のあたりは台地となっており農地に使用する水源が少なかった場所です。そのような地域にある水田。その当時は貴重な場所だったためその名残で田んぼと呼ばれていたのかもしれません。
しかしそんな長閑な光景は遥か昔のはなし。戦後は怪しい風俗街になりました。
町田の田んぼにはいわゆる「ちょんの間」と呼ばれる違法風俗店が軒を連ね、この場所は別の意味で貴重な街となったそうです。
少しの間でコトをするからちょんの間。当時は100軒ほどそのような如何わしい店があったようです。
町田の「たんぼ」は青線地区と呼ばれるところでした。
赤線地区は売春が認められた場所、青線は認められていないものの事実上黙認されていた場所。ただこの赤線青線と呼ばれていたのは売春防止法施行前お話。法改正後は赤だろうが青だろうが全て違法となっていました。売春防止法は1958年。今から60年前は売春は合法だったんですからすごいことです。
当然法改正されれば店をたたまなければなりませんが、そのまま営業を40年間続けていたのです。40年後の1990年後半に町田のたんぼは一斉摘発に合いました。関東で有名なちょんの間街は町田のたんぼ、横浜黄金町、そして川崎堀之内です。当然違法風俗店なのでこれら全て摘発に合っています。黄金町も壊滅し、現在は川崎にちょっとだけあるくらいでしょうか。
私はその当時の町田の「たんぼ」の様子を知りません。ここに初めて来たのは一斉摘発があってから数年経ってからのこと。
まだ建物は残っていましたが、ほとんどの店が潰れてました。開いている店はありましたが数店舗程度。一斉摘発後も目を盗んでは営業を繰り返し一部の店舗が残っていたようです。しかし店舗型ではリスクがあるため、そこで働けない人たちは「田んぼ」の近くで「立ちんぼ」になっていました。
あれから10数年。街は大きく変わったようです。2006年の時に違法風俗店は全て撲滅したそうです。
たんぼのあった場所にはマンションやコインパーキングとなっていました。ラブホテルは残ったままですが、健全な街へと変化し始めています。リスクの高い人身売買、違法風俗を続けるよりも駅チカのこの立地であればマンション建てて賃貸収益を得た方が良いのでしょう。曲がりなりにも橋を越えたその先は東京都ですからね。
ただ町田市からすればこれまでいい迷惑だったのでしょう。ちょんの間があったのは町田市とは関係ない相模原市。それにもかかわらず町田が近いから「町田のたんぼ」なんて呼ばれ方をしているわけですからね。
新宿のゴールデン街もかつては町田の田んぼのような場所でした。
ゴールデン街は別の形で新たな街ができました。しかし町田の田んぼはそのように変わることが出来なかったのが残念です。違法は良くありません。法治国家である以上、それを守るのは重要です。しかし穢れているからといって無かったことにするのはよくないでしょう。全てを取り壊し健全な街っぽくするよりも、過去の薄汚れた文化も容認した上で街が作られていく方が味のある街になるのではないでしょうか。
なおラブホテルが近くにあるからなのか、私娼は未だに多くいるようです。