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芸妓も娼妓もデリバリーの時代へ!養蚕業で栄えた桑の都「八王子花街」

芸妓も娼妓もデリバリーの時代へ!養蚕業で栄えた桑の都「八王子花街」

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本日は八王子に来ております。

こちらは八王子駅北口側にある商業施設「桑都テラス」です。

かつての八王子は市街地から外れると桑畑が広がっていたそうです。市街地から少し西に行けば山間となる八王子。あまり農業に適した地域ではなく、農業だけで生活するのは困難でした。そのため副収入が得れる養蚕が盛んな地域でした。桑の都と呼ばれていたのはそれが由来です。

古地図を見るとYの字の下に横棒がついた記号が市街地にたくさんありますが、こちらは桑畑の地図記号です。現在は桑畑の記号は使われなくなりましたが、当時は日本全国で桑畑が多かったため必要な地図記号だったのでしょう。

日本の養蚕業が盛んになったのは幕末のころから。ヨーロッパで蚕の病気が蔓延し生糸の生産ができない時期があったそうです。

日本の生糸は中国に比べて品質も良かったことから海外で人気となりフランスやアメリカに輸出されるようになりました。日本はその当時、世界一の生糸輸出国でした。

街道沿いであり横浜にも出やすい八王子は一大産業地となり、副業だった養蚕業が本業となりました。大正時代には農家の9割が養蚕農家だったそうです。市内には紡績工場もでき、絹織物も八王子で生産され、海外に輸出されました。
このように生糸の産地となったことで八王子市から横浜までの道を絹の道、シルクロードと呼ばれていたそうです。

しかし世界恐慌、太平洋戦争、化繊の発展により養蚕業は衰退していきました。ただ戦後も紡績工場は営業が続き、繊維街としての役割が残ったそうです。

八王子町内にはブティックや呉服店などの路面店が目立ちます。

こちらは荒井呉服店ってところ。ユーミンでお馴染みの松任谷由実の実家がこちらなんだとか。中央フリーウェイは実家に帰る歌だったんですね。

このように繊維業が発展し市内にはアパレルショップが多くあり当時は潤っていたのでしょう。その理由にこの付近には花街がありました。
八王子は1897年に大規模火災が起き、この付近は6割ほど焼失しています。花街はその時に形成されたのでしょう。なんとなく花街っぽい雰囲気の場所があります。

桑都テラスのあるところは黒塀通りとなっており、雰囲気が良い感じです。一度消えかけていた花街ですがかつての雰囲気に作り替えたんだそう。

こちらには東京八王子酒造と書かれた看板があります。八王子のど真ん中、ここに新しい酒造が出来たんだそう。

お酒は二十歳になってから。このように飲むのに規制があるのと同じように酒造りに関しても「お酒は免許を取ってから」って決まりがあります。日本酒は「國酒」と呼ばれ、日本の酒といえば日本酒です。日本酒は日本の文化という割には成り手は少なく業界自体が縮小しています。若者のアルコール離れも原因の一つかもしれませんが、一番の理由は既得権があるからなのでしょう。

新規の清酒造免許はまず取得できない。

ビールやジンなどの酒造免許は比較的緩くなりましたが日本酒に関しては未だ厳しい状況のようです。製造設備などを用意しなければならない理由もありますが、そもそも免許を与える国税庁次第のところがあります。例え清酒を作れる環境が整っていたとしてもお上がダメというならそれはダメなんです。

輸出用清酒製造免許に関しては緩和したそうで、それで清酒が作れるようになりましたがあくまでも輸出用。つまり日本で作られた酒なのに日本で飲むことができない酒なんです。

新しい酒が生まれないのはこれが原因。既存の酒造しか酒が造れないし新規が参入できず寡占状態となっているんです。そんなクソみたいな日本酒業界。そりゃ成り手も出ないし酒離れも加速するでしょう。新陳代謝しない業界の末路なんてたかが知れています。

そのような厳しい酒造業界の中で生まれた八王子酒造。すごい気になっててお店まで来たんですが週末しか営業していませんでした。また、製造量が少ないため初出荷後すぐに完売していました。

このように新しいものに興味を持つ人は多くいるんです。江戸っ子は初物好きなんです。権利に胡坐をかいて腐った酒を売ってる酒造より新しい技術を用いた酒の方がおいしいに決まっています。今はまだ数量が限られていますがいつかは八王子の料亭で飲める日が来るかもしれませんね。

私は料亭で酒が飲める身分ではないため当分は飲めなさそうですが。

こちらには八王子三業組合と書かれた看板があります。花街は現存しており、現在も6つの置屋と20名ほどの芸妓がいるそうです。
芸妓を今風に言えばイベントコンパニオン。派遣場所がなければなかなか成り立たない仕事です。料亭も旅館も減っていく中で続けていくのは困難でしょうね。繊維産業が衰退していく中で八王子花街も縮小していきました。

花街といってもスナックが多めの地域。これに関してはどこも同じで木更津にあった花街もスナック街だったし、本場京都の祇園だって低俗な店がありました。結局はどこの街も似たような状態になるのですね。

明治の頃の大火、太平洋戦争時の自粛、八王子大空襲、八王子の花街は厳し環境に晒されたようですがそれでも生き残り続けました。東京の西の玄関口と呼ばれた八王子。一応遊郭があったものの駅から少し離れていました。そのため駅前にもその手の店があったのでしょうね。

プレミアムサロン。やっぱりあった。

都内では壊滅したと思っていたサロン的な店。案外生き残ってるんですね(都下だけど)。

といっても少し前までもっとあったようですがどうやら潰れているみたいです。

こちら黒塀通りにもピンサロがありました。風情ある黒塀通り。

そこにあった風情無い店舗は生き残れなかったようです。

でも町内にはラブホテルがあります。

もうなんでもありの中町。

デリバリー専門の花街の芸妓。娼妓もまたデリバリー専門が主流となったようです。

遊郭は1900年よりも前に移転しているんでこれらは遊郭の名残りとかそういったものではありません。風紀上の問題もありますが、この手の施設がないと風紀が乱れる恐れがあります。ラブホが今の八王子の治安を守っていたのでしょう。

夜の八王子です。駅前にある八の字が書かれたオブジェがありますがこちらは絹をイメージしているんだとか。繊維街八王子の名残りです。

花街に来ました。ピンク色の妖艶な灯りが見えます。居酒屋は営業している様子。スナックは扉を開けなければ営業しているかわかりません。

見番は明かりがついていました。ちょうど忙しい時間帯。一度は衰退していた八王子花街ですがこのように復活しました。娼妓と芸妓はほぼ同じと私は思っていましたが、どうやら八王子のは少しことなるようです。今風に言えばイベントコンパニオンと言いましたがそれもちょっと違うのでしょう。私のような下賤な身分では芸妓の世界を知ることはできないのでしょう。私が知れるのは芸妓とも娼妓ともつかないちょっと怪しい夜のお遊びくらいです。これよりそちらで夜の花びら回転をしようと思います。

やってねーし。

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