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【東上野】東京三大貧民窟と呼ばれた「下谷万年町」の今

【東上野】東京三大貧民窟と呼ばれた「下谷万年町」の今

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東上野コリアンタウンから浅草通りを越えた先には台東区役所や警察署などがあります。昭和通りを越えなければなりませんが上野駅から徒歩数分の場所。徒歩数分で上野に行ける距離ですので一等地といってよい場所でしょう。

こちらは下谷小学校で現在は使用されていないそうです。大正12年に起きた関東大震災。上野界隈は甚大な被害だったそうです。その当時の家屋は木造建築が主でした。隣町の浅草は9割が火災により消失。小学校も同様で、震災で焼け野原となったそうです。現在は災害があれば小中学校が避難場所になります。そのようになったのは関東大震災があったからなんだとか。この下谷小学校は震災復興小学校と言われ、鉄筋コンクリート造の不燃建築で建てられ、以後は防災拠点となったそうです。

この校舎が出来たのは昭和3年(1928)。かなり古いですね。見た目もだいぶボロです。
下町のこのあたりは昔は人口も多かったのでしょう。しかし徐々に人口も減り、平成2年(1990)には清島小学校と統合し閉校となりました。その後も臨時教室などで貸し出したりしていたそうですが、建築されたのが今から90年以上前なので耐震構造の問題も抱えているのでしょう。現在はそのまま放置されている状態です。

上野駅から徒歩数分の距離にあるのに取り壊すこともせず、利用もせずそのまま放置されている土地があるんです。昭和建築として一般開放をすることもせずそのまま放置するくらいだったら更地にして台東区役所の駐車場にでもした方がよいと思うんですけどね。そのまま放置されているのは大人の事情的なものがあるのかただの職務怠慢ってやつなんじゃないでしょうか。このままこれを放置しておくと廃墟となってしまいます(すでに廃墟感満載)。
これ、割れ窓理論に当てはまっちゃうんじゃないでしょうか。
建物の窓が割れていたり、廃墟があるとそれが街の当然となって犯罪が多発するっていうのが割れ窓理論です。ゴミ拾いや違法駐車、街の美化をすることで治安の悪化を防ぐ効果があるんです。ここは警察署のすぐそばですが、この廃墟が原因でスラム街へと発展する恐れもあるのです。

ちなみにこのあたりは「下谷万年町」という町名で江戸時代は貧民窟、明治に入ってからはスラム街だったそうです。

夜鷹に残飯屋。谷の底のスラム街「四谷鮫ヶ橋」の今
夜鷹に残飯屋。谷の底のスラム街「四谷鮫ヶ橋」の今

東京は関東平野にあります。平野といっても実際のところそこまで平地ではなく起伏が激しいのです。東京

先日四谷の鮫が橋に行きました。あちらも貧民窟だったそうですが、東上野も同じように貧民窟だったそうです。東京三大スラムの一つなんだとか。

江戸時代のころ、東上野の界隈は被差別民が住む村だったそうです。皮革産業などの特殊な職業についている穢多ではなく、乞胸と呼ばれる一種の物乞いの住む場所だったそうです。明治に入ってからは地方から上京する人がここに定住しくず拾いや人足、人力車夫といった貧民が多く住んでいたそうです。上野駅が出来たのは明治16年(1883)なのでそれに関する仕事をしていたのでしょう。大都市のきらびやかなところにはこのような影のある場所が存在するものです。
現在は貧民窟ではなく、上野駅まで徒歩数分の好立地の場所となっています。渋谷だって昔は谷があって住むような場所ではない、歌舞伎町も元々は窪地で住む場所ではない(現在も住む場所ではない)ところでした。でも時代が変わるとこうやって一等地になるんです。

こちら、町内にある踏切ですが、普通の踏切とは違います。

ここは東京メトロの踏切で、地下鉄で唯一の踏切なんだとか。

こちらは上野検車区ってところで車両基地のようです。全然電車とか興味ないけど、「日本にここだけ!」って言われるとワクワクします。

ワクワクしてても壁に囲まれていて外からは何も見えません。
ここに車両基地が出来た経緯はわかりませんが、差し詰め土地代が安く都が買収しやすい場所だったのでしょう。これが貧民窟だった証みたいなものでしょうか。

貧民窟だったのは江戸時代と明治~昭和のはじめころまで。江戸時代や明治のころの面影は関東大震災で跡形もなく消え、大正以降の街の面影は空襲によって消えてしまったのでしょう。神社仏閣などは残っているものの、東京の街並みはここと同じようにほぼ残っていないのでしょうね。

東上野から少し歩いたところに伊能忠敬のお墓があるのでそちらにお邪魔しました。

地図作ったスゲー人。

高橋至時さんの墓。天文学者でどうやら伊能忠敬のお師匠さんのようです。

知識がないためなんも語れない。

教養がないとこういうところを回ってもただの昔のじいさんの墓という認識になってしまいます。
知識とは楽しむために必要なものなんですね。伊能忠敬は地図作った人ってことをギリ知ってる程度、高橋さんは何した人なのか知りませんでした。いろんなところを旅行していてこういうの痛感します。

歩き回ってちょっと汗をかきました。せっかくなんで銭湯に入ろうと思います。
10月10日は1010(せんとう)の日。ちょうどそのタイミングでした。
このあたりの下町には銭湯が多いようです。そんななか一番近い東上野にある寿湯というところに行きました。

緊急事態宣言も明け、休日。さらに銭湯の日だったので午前中ですがかなり混雑していました。銭湯って老人ばかりですが若い人が結構います。
下町の銭湯に入るのは初めて。もっと古臭いところをイメージしていたのですが、設備の充実度がスーパー銭湯並みです。サウナが遠赤外線と塩サウナの二種類あって内風呂と露天風呂もあり。水風呂も洞窟みたいになっています。銭湯だけだと480円。サウナにタオルセットをつけると800円。それでこの充実度はいいですね。かなり混んでるのでゆっくりはできませんが、上野駅近くであのクオリティのお風呂に入れるっていうのは素晴らしいです。

銭湯の日だったのでゆっポくんが描かれているタオルがもらえました。ちなみにこのタオルすでに3枚あります。

午前中に散歩して汗かいたのでお風呂に入りました。あとは食事ですね。

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