錦糸町にある治安の悪い夢の楽園「江東楽天地」
こちらは錦糸町駅北側にある商業施設「アルカタワーズ」です。アルカとは理想郷を意味するアルカディアが由来なんだとか。もともと操車場や工場があった北口側は開発が遅れた地域でしたが2000年以降に再開発が始まり今ではショッピングモールやデパートなどの商業施設ができました。まさにアルカディア錦糸町といったところ。
こちらは錦糸町パルコです。2019年3月にオープンした商業施設です。このように錦糸町の駅前は大型店舗が複数あります。
パルコがある建物には楽天地と書かれてあります。同ビルは楽天地ビルって名称で1986年に建てられました。オープン当時に入居していたのは西武デパート。なぜか西武線がないのに駅前に西武があるのです。その後スーパーの西友(西武系列)が入居、そして2019年にパルコ(旧西武系列)が入居しました。つまりほぼ西武ってこと。
パルコ内にはトーホーシネマズが入っています。トーホーは西武と一切関係なさそうですが、ここに東宝の映画館があるのは理由があります。
トーホーシネマズの親会社である東宝は阪急阪神東宝グループに属する映画館です。「東」の字が社名に入っているため東京の企業だと思ってたんですが、大本は阪急宝塚線にあるようです、
阪急鉄道の創業者小林一三は1907年に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道を設立、三年後の1910年に鉄道を開業しました。鉄道開通に先立ち路線通過予定地の土地を買収、そして宅地を分譲販売することで利益を上げました。さらに利益を上げるために動物園や温泉などを沿線に作っていったそうです。そして宝塚歌劇団を作りました。つまり宝塚歌劇団を作ったのは阪急電鉄ってことです。ではそれと東宝は何に関係があるかというと東宝の名前の由来は「東京宝塚」を略したものでした。
1932年に株式会社東京宝塚劇場を設立。42年に現在の東宝に社名を改めました。
そしてこの楽天地と書かれたビル。こちらの楽天地ビルの所有者は株式会社東京楽天地。創業者は阪急鉄道を創業した小林一三、阪急阪神東宝グループ企業でした。つまり西武デパートの中にトーホーシネマズがあるのではなく、トーホーシネマズがあったところに西武系の店ができた感じなんでしょうね。
ここに東宝グループがいるのは、錦糸町を娯楽の街にするのが目的だったようです。楽天地ビルができたのは1986年ですが、それ以前からここは楽天地と呼ばれる場所でした。1937年に小林一三によって8000坪の工場跡地に映画館を主体とするレジャー施設ができました。楽土、楽園という意味を込めて「楽天地」と名付け遊園地や劇場なども開業し一大アミューズメントパークとなったようです。東京大空襲で全焼するも戦後すぐに復興。1950年には場外馬券場を開設しました。
現在南口にウインズがありますが、まさにこれは楽天地の名残りです。
場外馬券場ができたことでこれまでのレジャー施設だったところから少し趣向がかわり、男性向けの店が増え始めます。1953年にはパチンコデパートが開業。1956年には温泉ができ敷地内にトルコ風呂があったそうです。1960年にはキャバレーができました。
もうこれは大人の遊園地です。
敷地内にはキャバレーもあるしトルコ風呂もある。まさに楽天地と呼べるような場所。今で考えればシンデレラ城の中にキャバクラがあり、プーさんのハニーハントの隣にソープランドがある感じでしょうか。高度経済成長期の日本、結構ヤバ目です。そんな何でもありの楽天地も1970年代以降は衰退していきました。そんなわけでこれまで通り映画館と劇場だけのビルを建てることにしたのでしょう。トーホーシネマがこのビルに入居しているのは、かつてここにトルコ風呂があったのが理由だったんですね(迫真)。
電柱には楽天と書かれているを見ることができます。かつて栄華を極めた楽天地ですが時代の変化とともに衰退しました。でもその当時の歓楽街の雰囲気はまだ錦糸町に残っています。錦糸町マルイの裏側は今の楽天地のようです。
こちらは五徳山・江東寺、通称江東観世音と呼ばれる寺院です。ご本尊は千手観世音。ご利益は災難除け、延命です。このあとCRぱちんこGANTZで千手観音リーチを出してきます。
こちらの寺院なんですが元々は楽天地のレジャー施設内にあったそうで、江東楽天地がわざわざ誘致したんだとか。空襲により被災し本堂は全焼。1949年に現在の場所に移築したそうです。
千手観音が見守るこのあたり。歓楽街となっています。目の前にはパチンコ屋、その隣は場外馬券場、そして近隣にはキャバクラや風俗がある。飲む打つ買うの三拍子が揃った街。まさに男の極楽浄土、楽天地なんです。
公営ギャンブルの場外馬券場とあくまでも遊技場のぱちんこ店が並んであります。まるでぱちんこがギャンブルなんじゃないかって思ってしまいますが、あれはギャンブルではありません。パチンコ屋のそばにTUCって書かれた小さな店がありますが何の店なのかは不明。
このあたりが錦糸町飲み屋街の中心地になるのでしょうか。無料案内所もあります。キャバクラ、フー〇ク、セクキャバ、スナック。ガールズバー。
こちらの店はキャバクラ、セクキャバ、スナック、フー〇ク、ガールズバー。
フー〇クってのが伏字になっていてなんなのかわかりません。なんでしょうね。
おそらくこの界隈にはフー〇クって店が複数あるのでしょう。それらの店が果たしてどんなところなのかはわかりません。
ちょうどこのあたりが飲み屋街の中心地でしょうか。昼間ですが黒服っぽい人とガールズバーの女性が客引きをしています。客引きと言っても条例で厳しい都内では声をかけてこず値段の書かれたプレートを手に持っているだけ。
そんな歓楽街の中心地にある赤ちゃんの銅像。タイトルも作者も不明の銅像ですが、本来子供がいちゃいけないような場所にこの銅像が設置されているのはなんだかシュールです。この地区は本能のまま、そして裸になれる場所ってことなのでしょうね。
飲み屋街の一角に江東橋防犯拠点更生保護サポートセンターという建物があります。若年者および外国人に対し保護活動を行っているそうで、まさにうってつけの場所にあります。
こちらでは近隣のパトロールもしているようです。錦糸町はかつて半グレヤクザのたまり場でした。カタギと呼ぶには憚られる容姿をした人たちが等間隔で街頭に立ち客引きをしていたのです。一歩進むごとに声をかけられる錦糸町はエンカウント高めの飲み屋街でした。知らない人がおいで♪おいで♪してるんです。そっち系の人が絡む事件も多かったのでしょう。
かつては住みたくない街と呼ばれていた錦糸町、でもそれは過去の話。パトロールなどをして監視を強化し錦糸町の飲み屋街は浄化されたようです。かつての錦糸町は半グレヤクザのたまり場でしたが、今の錦糸町は半グレヤクザがちょっとだけいるくらいになったのでしょう。
まだちょっといる!
歓楽街なのでその手の組織の人は必ずいます。以前よりは歩きやすくなっているようですが飲み屋街の中心は未だに殺伐としてます。日中にもかかわらず等間隔に立っている客引き。条例が厳しいから客引きが声をかけてこないだけ。
そこまで浄化されてない
本日は錦糸町駅前を巡りました。治安が悪いと称されていた錦糸町ですがそれは昔話でした。
多少は悪い側面はあるもののそこまで酷くなく、錦糸町は住みよい町なんです。二路線利用できるし公園もあって自然も豊か。駅前にはデパートもあって買い物も便利で、そして飲み屋街もあるしウインズもある。スナックやキャバクラやガールズバーもあるしフー〇クって店もあるんです。
阪急鉄道の創業者小林一三が描いた娯楽の街楽天地。その名残は未だに残り、駅前には場外馬券場とパチンコ屋が軒を連ね飲み屋街が広がっています。まさに大人のアミューズメントパーク。