タイとの国境からヤンゴンへ。過酷なバス旅
一時間後、やっとバスが出発しました。本当に整備が済んだのか若干不安な感じがします。そもそも出発する時間から整備を始めるというのが理解できませんが、予定された出発時間はあくまでも予定ってことなのでしょう。海外は時間がルーズという話でした。これまではなんだかんだで遅れることはほぼありませんでした。でもこれぐらいルーズなのが基本なんでしょうね。
車内は結構混んでいますが外国人は私一人だけです。隣の人は女性。どこの人か不明ですが恐らくミャンマーの方です。バスに座るなり食事を始めます。
バンコクからミャンマーまで来たバスに乗った際に配られたヤツです。ネットの情報によるとヤンゴンまでは10時間ほどかかり途中レストラン的なところに寄ってくれるようです。ただイメージしているレストランとは大幅に差がありそうな予感があります。そのためパンを今のうちに食べます。ここからがこの旅の始まりという感じでしょうね。
これまでとは状況が違います。まぁ国境など辺鄙な場所で若干道が悪いということがありました。カンボジアでも一部舗装されていない道がありました。でもミャンマーは一部ではなく全部でした。路面が茶色の道が続きます。
走り出してから20kmほどで食事休憩です。まだ10分の1も走っていませんが食事の時間なので仕方ありません。先程パンを食べたのでとくに食事はしないつもりです。
とりあえずトイレに来たのですが更にひどくなっています。置かれている水は茶色に濁っています。たぶん土で茶色なんだと思います。土で茶色くなっていると願いたいです。もちろんこんなところで用は足しません。思うんですがここでトイレをするよりも外でトイレを済ませた方が楽なような気がします。
レストランは座ると勝手に料理が出てくる様子。それを勝手に食べるシステム。うまそうだけど衛生面で不安しかありません。
パンだけじゃ足らずにオレオを食します。非常食はこれが一番です。ヤマザキナビスコのころはあまり食べて無かったのにここにきて頻繁にオレオです。みんなが食堂で食事をしている中、一人さみしく車内飯です。
昼食休憩が終わり再度出発します。同じように未舗装道路を走ります。厳密には未舗装ではなくこれから道路を敷くための工事中という状態です。そのため将来に向かってよい道になるはずです。しかし今はまだ建設途中。この荒れた道が70kmほど続きます。ずっと徐行みたいな速度です。そしてバスのエアコンがかなり弱いです。一応エアコンの風は出ているのですが少し涼しい送風です。海外のバスってエアコン効きすぎて寒い印象があります。このバス、エアコンガスが切れてるんじゃないかってくらいぬるめの風しか出てきません。そんなわけなので扇子をだして仰いでいると隣のミャンマー人に笑われました。そしてエアコンの風が私に当たるように向きを変えてくれました。まぁ向きを変えたところで出てくる風は生温いんで涼しくないのですが。
そういえばほかの乗客はこの暑い車内でも特に不満など無いようです。彼らにとっては快適な気温なんでしょうね。笑われたのも「外国人はこれが暑いっていうのかい?」みたいな感じだったのでしょう。
道中、日本より電話がありました。電話元は役所関係の方より。ベトナムの時に受けた今月中に会って話をする件で日程を決めたいということでした。月末であればギリギリ間に合いそうな感じです。30日は土曜日なので29日はいかがでしょうか?と先方に伝えます。しかし先方はそれを拒否。29日では遅いとのこと。それであれば28日と伝えるもそれも無理とのことでした。先方の話では25日以前じゃないとダメなんだそう。先日の電話では月末までと言っていたんですが?と伝えると「25日も月末でしょ」という回答。つまりそれまでに帰宅しなければならなくなりました。できる限り遅い日程を。それであれば24日はどうか?と聞くも24日は日曜日のため営業しておらず23日は祝日のため対応していないとのことでした。つまり25日期限だが実質22日までにどうにかしなければならない案件。
これってやっぱ月末じゃないでしょ!
挙句先方から提案されたのは17日でした。17日以降は手一杯なんだそうです。その日に会わなきゃダメなんだそう。体調不良などのっぴきならない事情が無い限りは遅滞は受け付けないそうです。つまり私は16日には日本にいなければならず、そうなると15日にはインドを出発しなければなりません。
ただいまの日付は11月8日。
残り9日間で目的地である天竺のナーランダ大学に行かなければなりません。
役所との打ち合わせは決定事項なのでもう変えられません。
これよりヤンゴンに到着します。時間もないので翌日9日の夜行バスでマンダレーへ出発。11月10日にマンダレー着。マンダレーで一泊。そして翌日の夜行バスで国境に向かいます。12日の朝に国境の町タムに到着。そしてインドとの国境越え。そのまま最寄りの街インパールに向かいます。インパールでは行きたいところがあるので二泊します。14日にインパールを出発。鉄道の走っているディマプルに向かいます。翌15日に電車に乗って目的地のナーランダ大学があるビハール州に向かいます。しかし一度にそこまで行けそうになく、現地に到着するためには4日ほどかかりそうです。その時点で19日となります。一日で駆け抜けることができたとしても16日か17日着。ナーランダ大学を軽く見てそのまま日本に向けて帰ろうとするもいるところはインドの片田舎です。最寄りの空港まで移動してそしてデリーの国際空港まで移動。そして今度はデリーから日本に帰る形です。この最寄りの空港から日本までの移動がどう頑張っても16時間くらいかかります。運よくチケットが取れればよいのですが取れなければ間に合わないってことも。
これもう詰んでね?
強行スケジュールで行けば何とかたどり着けるかもしれないです。しかし勝手のわからないインドです。突然電車が動かなかったり予約が取れず立ち往生したりすることもあるのでしょう。それが大きな都市であればどうにかできますが、田舎での立ち往生は予定日に帰れないかもしれないのです。だったら諦める方がよいのではないだろうか。というより諦めます。いや諦めるのではなく目的は達成できるんです。
今回の旅の目的は「天竺に行ってありがたい経典をもらう」というものです。三蔵法師は天竺のナーランダ大学まで行きました。別に三蔵法師のルート通ってきたわけでもなくリスペクトしているわけでもありません。私はナーランダ大学に行きたいのではなく“天竺”に行きたいのです。そのためビザも事前に取得しているわけです。
「天竺に行きたい」=「インドに行きたい」
ということはミャンマーの国境を越えれば目的は達成できるというわけですよね。国境を越えた先の街インパールには空港もあります。国境を越えてこの旅の目的は達成。そして一切焦らず悠々自適に凱旋帰国ができるわけです。そう考えたら急に楽になりました。今回の目的地はインドです。インパールまで行ってゆっくり過ごして帰宅をする。なんていい旅なんでしょうか。予定は予定。バスだって予定通り出発しないわけです。旅も予定通りにはいかないだからこそ楽しいんです。この予定変更が融通の利かない行政のせいだとしてもそこを受け入れてこそ旅の醍醐味を味わえるってことなんじゃないでしょうか。これでいいんです。これで。
ここってウルルンとかに出てた場所じゃね?ってくらいの景色です。あーなんだか旅が楽しくなってきました。
70km走るのに5時間以上費やしました。そんなつらい道でも急ぎ足でインドに行かなくなったことで気持ちの余裕がでてきました。小心者なのでどうしてもリミットを決められると先を急いでしまいます。その結果がベトナム強行電車移動&カンボジア軽く見て終了問題に発展してしまいました。旅をするのであれば心と時間に余裕を持たなければダメですよね。
未舗装区間を抜けると速度を上げヤンゴンに向かいます。ヤンゴンの100km手前で夕食休憩が入ります。トイレは街の中心に近づくにつれてきれいになりました。といっても不浄の手仕様に変わりありませんが。
ここもお昼と変わらず注文の仕方は不明です。それより休憩時間が結構短いです。止まったのは15分くらいでしょうか。注文してすぐに出てくるようなのでそれくらいの時間があれば食べられるんだと思いますが結構急いで食べないとなりませんね。
ここで食べられない私は第二の車内一人飯。非常食キットカットです。キットカットが出てくるってことは「もう後がない」というサイン。ヤンゴンまでは100kmです。そのためこれで凌げるでしょう。
バスは15分ほど停車しすぐに出発します。ここからは有料道路的なところを通っていきます。ミャワディからヤンゴンまでは何度かバスが停車しました。乗客が途中で乗ってくることも。システムなどは一切不明です。それと検問があり軍人が乗ってきて乗客確認をしていました。寝たふりをしていたらスルーされました。起きてたらパスポート見せて色々質問されたかもしれませんね。
もう少しでこのバスも降りれます。正直ここまで過酷だとは思いませんでした。バスが横に揺れるだけで全然前に進まないのを五時間も体験させられると、ここの国境は越えたくないと思ってしまいます。現在道路工事をしているため二年後や三年後にはアスファルト舗装されるのでしょう。そうなれば国境からヤンゴンまでの時間が12時間から4時間くらいに短縮されるかもしれません。まぁその時まで乗ることはないでしょう。これよりヤンゴンです。