山谷ブルースは聞こえない-山谷ドヤ街の現在
南千住に来ております。
実際は浅草の方に用事があり本来であれば浅草駅に行くべきところですが南千住にいるわけです。
浅草に行くことなど稀で、10年以上行っておりません。そして電車で行くのなんて子供の時以来です。このあたりに行くとなればバイクや車だったため、目的地で用事を済ませたらそのまま帰るというパターンでした。せっかく浅草に行くんだから満喫しようということで観光ついでに来てみました。
その観光ついでに降り立ったのが南千住です。
北千住はなんだかんだで乗換えとかで使用します。南千住駅で降りるのは初めてです。北千住は現在住みたい街ランキングで上位に行く勢いがあります。実際に駅前は再開発されかなり綺麗になっています。利便性もよい場所で住むには良いところなのでしょう。しかし北千住が南に変わるとかなり様相も変わります。
駅前?でしょうか。少し寂しい感じがします。そして駅前に寺があります。
こちら、小塚原刑場跡地です。
どうやらこの南千住には昔刑場があったそうです。昔といっても江戸時代の頃の話です。大井にある鈴ヶ森刑場とこちらはそれなりに有名な場所らしいです。犯罪者といえど人の子。ちゃんと供養するため寺があったのでしょう。もしくは刑場跡地に寺ができたのでしょうか。
観光に訪れたのですが、一番最初に行った場所は処刑場です。
これから先、色々な観光スポットに行くわけです。
浅草といえばなんでしょうかね。
雷門でしょうか、浅草寺でしょうか?それとも花屋敷でしょうか?
無難なところはこんな感じだと思います。しかし浅草といっても駅前だけではないのです。今回行った先は“裏浅草”です。
表があれば裏がある。光が強ければ影は色濃くなるわけです。その“ウラアサ”を満喫するため浅草駅ではなく南千住駅で降りたわけです。ここ小塚原刑場では20万人以上が処罰されたらしいですね。そんな薄暗い過去のある南千住駅から浅草方面に南下していきます。
まずは泪橋交差点です。
この付近はあしたのジョーの舞台でもあり、ジョーが飾ってあります。
どうやら近くにはジョー像があるようです。
一応付近を探したました。だけど、ルルル...。
ジョー像はどこかにあるようです。
刑場の近くには泪橋があります。鈴ヶ森でも同じように泪橋がありました。
罪人にとっては俗世との別れ。処刑されるうえに行先は地獄なわけです。もちろん涙したことでしょう。そして親族はこの橋より向こうには渡れないわけです。刑場はあの世とほぼ同じ場所です。ここが最後の別れの場所なわけです。
その場所に“泪橋”と名前を付けちゃう中二的な発想。そういうの好きです。
そしてその泪橋あたりからカラオケ居酒屋的な店がチラホラと現れます。
この光景、大阪のとある地域で見たことがあります。
本来泪橋は刑場に向かうための橋ですが、別の理由で涙する場所がこの近くにはあるのです。
西成の釜ヶ崎もカラオケ居酒屋がありました。そうです。本日は日本三大ドヤ街の一つである山谷に来ました。
西成、寿町、山谷。
山谷はかつてドヤ街といわれていた場所でした。
私が初めて訪れたのは20年以上前の話です。その当時は学校の真裏が立ち飲み屋という本来あるべき姿ではないところでした。朝にもかかわらずおじさんたちが酒盛りをしているわけです。その横を学生が通る異色の場所でした。あれから20年、一度も訪れたことがありませんでしたが、今回やっと“聖地巡礼”出来るわけです。
しかし、私が知っている山谷とは大きく変貌を遂げていました。
一応簡易宿泊所は点在しています。しかし路上に座っている人はかなり少ないです。住宅街なのに人が歩いている数が多いという感じはしますが、身なりは綺麗でごく普通のおじさんといったところです。20年前はボロキレを着た異臭がする肌の黒いおじさんがワンカップ片手に“私には見えない人”に怒りをぶつけていたもんでした。まさに「今日の仕事は辛かった。あとは焼酎煽るだけ」という山谷ブルースそのものでしたが今は違います。
どうやら山谷クリーン化計画みたいなのがあり、ここにいた路上生活者は一掃されたそうです。その方たちは施設などが引き受け、ここは健全な街へと変わっていったそうです。
もともとここが学校だったと思います。そしてこの裏手に自販機飲み屋街があり、早朝から酔っ払いだらけでしたが今は綺麗な街並みとなっています。今回は電車で来たので一杯ひっかけようと思っていたのですが的外れとなりました。
とはいっても未だにそのような暮らしをしている人がいるのは西成も変わりありません。施設に入るということは人との付き合いもしなければなりません。そういうことが煩わしいと感じる人もいるわけです。中には精神疾患を抱え対人関係が築けない人もおり、そういう方はどうしてもホームレスという形でしか生きられないのでしょう。
公園にはトイレがありますがここで寝るなという御触書があります。
冬場の寒い夜、雨風凌げるトイレは居心地がよいのでしょう。多少匂いがしていたとしてもプライバシーを保てる個室は快適な空間です。
しかしここのトイレは和式のみです。
洋式だと座って寝られちゃうからなんでしょう。世知辛く、そして残酷です。
山谷の中にある玉姫稲荷神社というところです。
こちらにもあしたのジョーのことが書かれています。神社は1300年近い歴史があるようです。
このあたりに住む人に皮革産業や靴製造に従事している人が多いことから、同社では年に二回靴のお祭りがあるそうです。
皮革産業や靴製造に従事している人が多いということに関してはまた今度お伝えしたいと思いますが、そういった場所にある神社のようです。
以前とはかなり山谷は変わってしまいました。なんだったら新宿の方が当時の山谷に近い感じになってしまっています。都庁前の地下はスラムみたいになりつつありますからね。ここにきても特に働き先が見つかるわけでもなく、そして簡易宿泊所もそこまで安い金額で泊れるわけではありません。そのため人も少なくなっているのでしょう。
見た中の最安値で1900円が下限といった感じです。月間57000円。
それにプラス3000円のロッカー代金を合わせて6万円。電気水道代が無料とはいえこれで生活をするというのはコストがちょっとかかちゃってますね。実際にそこまで多くの人がいるわけではないのでしょう。そのため宿泊所側も宿泊費を下げることができないんだと思います。近年では他のドヤ街同様に外国人用の宿として提供しているところも増えているみたいです。
そっちの方が利用者も一定数いて稼げるのでしょう。
労働者の街から海外バックパッカーの街へ。こうやって町は変化していくのでしょう。
山谷は水戸街道のそばで、江戸の出発点であり到着点でした。
ここで荷捌きをして北関東に荷物を運ぶターミナルだったわけです。実際に今でも南千住のそばには貨物列車のターミナル駅「隅田川駅」があるような場所です。ここは江戸時代の流れを汲んでいるというわけです。
そのような場所には人夫が必要ということでこの街は労働者の街へと変わっていったわけです。
その後もドヤ街と変化し。一時期はスラム街になっていたわけです。ただ20年ほどで綺麗な街並みへと変わりました。隅田川沿いにあったブルーハウスも撤去され川原沿いは綺麗に整備されています。そして山谷の中もスラム街という印象はなく、至って普通の住宅街となっています。当然普通の街よりかはホームレスが多い地域ではありますがそれでも昔に比べると過ごしやすい場所となったのではないでしょうか。地元の人は大歓迎なんだと思いますが、このような場所がなくなるというのは少し寂しいところがありますね。
西成、山谷とまわりました。あとは残りの横浜寿町です。近いうちに行きたいですね。
あそこもだいぶ変わってしまったようです。
さて。男の労働者の街があるということは大体は近くに“女の労働者の街”があるわけです。いつも通りそちらも顔を出してみましょうか。