【仙台観光】国分町と一番町。サロンは文化交流の場
これより東北新幹線で北に向かいます。コロナウイルスの影響からか新幹線の乗客数はかなり少ないです。一つの車両に100人乗れるわけですが半分以上空いています。まぁこのような時期に遊びに行くこともできず、仕事も在宅ワークに切り替えているところも多いのでしょう。実際に新宿も人が少なくなっています。中国人などのアジア人はかなり少ないです。外国人旅行者は欧米人がほとんど。それでも以前のように多くありません。そして日本人も少ないです。普段の新宿の日中は人通りも多いのですが、閑散としているところも。普段混んでいる店ががら空きだったりしています。皆、外出を控えているのでしょう。
ウイルス蔓延を防ぐため行動が制限されますが仕事上動かなければならないこともあります。行き先は仙台です。
本日は3月11日。
東日本大震災から9年が経ちました。毎年この時期になるとこの話題となります。復興したところも多くありますが、まだまだ爪痕を残したままとなっているところもあります。ちなみに仙台には国分町という飲み屋街があります。やはりここは復興支援のために「飲んで応援」をするべきなんでしょう。
今日は国分町を歩きたいと思います。
国分町自体は知っていたのですが、これまで訪れたことがありませんでした。というより仙台駅界隈を歩くのがはじめてです。仙台へは過去に何度か来てるんですが、中継地として立ち寄るだけなんです。ここからレンタカー借りたり、電車に乗り換えたり。そんなわけで仙台は駅前しか見たことがありませんでした。国分町は少し駅から離れているようです。でも歩ける距離なので歩いて向かいます。
流石は東北最大の街仙台です。店の数も多く人も多いです。商店街はしっかりと整備されています。東京みたいにごちゃごちゃしていないのが良いですね。大阪にもアーケード街がありますが道幅が狭いです。仙台は大分広く作られています。
この先が国分町になります。国分町も他の繁華街同様に遊廓だった時期がありました。でも遊廓になったのは明治に入って以降の話のようです。遊廓はレイプなどの性犯罪抑止を担っており、ここ国分町もその役割で出来たのだとか。また仙台藩は戊辰戦争で幕府側についており敗北。生活に困窮した士族たちは娘を遊廓に売ったんだとか。仙台の遊廓は国分町から移転を何度も繰り返していたそうですが、大まかにこの辺に遊廓があり、以後も花街、歓楽街として発展したということのようです。
街中は色々な店がごちゃ混ぜになっているスタイルです。性風俗店あり、キャバクラやホストクラブもあり、居酒屋もありといった感じ。
サロンってなんなんだろー??よくわからないや。
この“サロン”と呼ばれる店が多いのも仙台の特徴なのでしょう。関東では見かけなくなりました。
サロンとは「文化人相互の交流の場」です。
間違ってはないですね。交流の仕方は様々です。こういった店は年々減ってきております。数十年後に「昔、ここはサロンと呼ばれるところがあってじゃな...」といった感じになるんでしょうね。文化は継承していってもらいたいものです。
厳密にはここは国分町ではなく一番町4丁目というところになります。ここら辺も含めて「国分町界隈」ということなんでしょう。ちょうど三越の裏側です。三越をバックに特殊浴場が見れるのはここくらいなんじゃないでしょうか。そんなことより特殊浴場ってどんなところなんでしょうかね。お風呂屋さんってことでいいのでしょうか。
こちらは東一市場と呼ばれるところで、この通りは通称三越通りと呼ばれているそうなんです。三越といえばオシャレでハイソなセレブマダムたちが集まる場所ですが、こちらは一切そんな雰囲気がありません。小汚い店の集合体です。でも、こういうところっていいですよね。見た目「ちょんの間」の雰囲気です。もしかしたら旧時代ではそういった店だったのかもしれません。現在は居酒屋やスナックといった庶民の楽しむ店が営業しているようです。
この手の場所ができるのは戦後で、ほとんどの場所が不法占拠から始まるところが多いです。これまで見てきた飲み屋街も総じてそのような成り立ちのところばかり。おそらくこちらの場所もそうなのでしょう。看板には東一市場商業協同組合とあります。飲食店の組合なのでしょう。ごく普通の駐車禁止の看板です。でも「ここは私有地です」ではなく「ここは占有地です」となっています。そういったことなのでしょうね。
でも色々と調べたところ戦後は東一公設市場として昭和21年に始まっています。昭和26年には大規模火災があり焼失しているようです。公設市場とあるので元々は自治体が始めたところだったんでしょうね。そうなると不法占拠というわけではなさそうです。仙台には仙台朝市というものがあります。現在は仙台駅の西側あたりで常設しているそうですが、もともと仙台は朝市が有名なところだったようです。
東一市場は市場という形ではなくなり飲み屋街へと変わりました。このような街並みはどんどん減っていってしまいます。震災後もまだ残っているというのは奇跡ですね。
三越の真下で飲む酒というのも粋なんじゃないでしょうか。ちなみに後ろの三越は昭和8年からある東一市場よりも古い老舗でした。
一杯飲んでいきたいですがまだまだ営業時間前。本日はここまで。これより国分町に向かいたいと思います。