土佐中村にあった赤線街「岩崎新地」はスナック街となる
高知県は東西に長く190kmほどあるそうです。新幹線に乗っているとき静岡が長く感じますが155kmなので高知はそれよりも東西の距離があります。せっかく高知にいるんだから市内だけでなく別のところを観光したいと思っても高知市は県の中部に位置するため西に行くにも東に行くにも100km移動しなければなりません。つまり東西どちらかを選ばなければなりません。
ってことで西の四万十市に行きました。
四万十市は過去に二度訪れています。四万十市の中心地は中村ってところ。ここは元々中村という村でしたが明治31年に中村町にランクアップ、昭和29年に中村市にクラスチェンジ、平成の大合併の際に四万十市にメガ進化しました。ただ県内には四万十町があるためこのあたりは「中村」と呼ばれ、道路標識にも「旧中村」と表示されています。
中村の中心地は京都をモデルとした都市づくりとなっており、「土佐の京都」や「小京都」と呼ばれてるそうです。土佐にいながら京都を味わえるなんてサイコーじゃないでしょうか!はたして土佐の小京都はどんなところでしょうか。
こちらが京町通りです。どうです。この京都らしさ。京都で見た気がしなくもない寂れた感じの道。
まぁ小京都と呼ばれていたのは昔のこと。四万十川を桂川、後川を鴨川と見立て碁盤の目状に街を整備していたそうで、その区画はまだ継承されていますが昭和21年の南海地震で建物はほとんど残っていません。
こちらは一條神社です。もともとこのあたりを統治していたのは土佐一条氏で土佐中村の基礎をつくった方でした。1508年に長曾我部に討たれたのですが一条氏の関係者により1607年に祀ったのが始まり。現在の本殿は1944年に建立しました。
元々は現在の四万十市役所のあたりにあったそうですが1953年に現在の地に移動したそうです。天神様も祀られているためこちらでは合格祈願のご利益があるそうです。勉学に勤しむこともなく、ただただ遊び続ける毎日ですが何らかの資格を取るときに効果が出ることを願い、祈りを捧げます。
こちらは天神橋商店街です。四万十市唯一のアーケード街。街の中心地ってところでしょうか。京都でいえば四条の錦市場でしょうか。錦市場は全長400mの細路地に130軒の店が連なり1日あたり2万人が訪れる京都でも人気スポットです。錦市場も錦天満宮、つまり天神様が祀られている神社の参道です。ほぼ同じといってよい場所です。
シャッター街ってわけではありませんが、日中でも人は少なめです。
こちらには秋葉神社の小さな社があります。
神様に塩をお供えしてあるのですが、だいぶ雑なお供えの仕方。
こちらのお稲荷さんにも塩が丸ごと供えられてあります。これって高知ではデフォなんでしょうか?
1966年にできた全長157mある天神橋アーケード。地方の寂れた商店街というわけではなく若返りを目指して色々施策をしているようです。助成金を使って家賃を安くし若者の起業の手伝いをしているそうで、一定の効果があるようです。
四万十市も他の地方都市と同じように高齢化や人口減少といった悩みを抱えており、消滅可能性都市に該当します。交通の便が良ければ良いのですが四万十市は高知の中心地から100km程度離れています。鉄道はありますが本数は少なくアクセスし辛いところです。私は高知から電車で行くことも考えたのですが帰りの電車の時間が不安だったため諦めました。そのような場所なのでなかなかここに住みたいって人が現れないのが現状なのでしょう。
確かに中心地から離れていますが、一通りの店があるし生活をするのには不自由ない感じです。田舎暮らしにあこがれているならば土佐中村はよさそうですね。一応飲み屋街もあるんです。
表の通りは飲食店や衣料品店がありますが、脇道をそれると飲み屋やスナックが軒を連ねる飲み屋街となります。京都でいえば祇園みたいなところでしょうか。
パブスナック、ラウンジ、ガールズバー。キャバクラは流石に無いようです。私は5年ほど前にこの付近のスナック行ったことがあります。高齢のママがいてカラオケができて酒が飲めるってだけのスナック。カウンター越しに女性が話し相手になってくれるようなところではありませんでしたが、居心地は悪くないんです。
おそらくそのような店が何軒もあるのでしょう。この辺りは中村栄町というところでかつては赤線地区だったんだとか。
高知には高知市内に遊郭がありましたが中村にも遊郭がありました。ここにあったのは岩崎新地というところで大きな遊郭ではなかったようですが、高知の端っこにも必要とする人がいたのです。ちなみにさらに西側の宿毛町にも遊郭がありました。
中村栄町の南側に岩崎神社があります。そちらが名前の由来なのでしょう。遊郭のあった場所は定かではなく、市内には中村岩崎町というところがあるためそちらの可能性もありそうです。ただこの飲み屋街の雰囲気はなんか感じるものがあります。
このあたりは空襲と南海地震によって戦前の建物はほとんど残っておらずここにあるのは戦後に建てられたものです。なんとなく建物が架設感がします。でも雰囲気のある街並みです。私が行った店はこの路地にあるスナック(場所は覚えてない)。その当時はなんも意識していませんでしたが赤線地区だったところに飲みに行っていたってのは感慨深いですね。
高知市からレンタカーを借りて土佐中村にある旧赤線街を巡りました。本日はこちらに宿泊するのではなくそのままとんぼ返りします。つまり一時間ほど街を歩き、ただ帰るだけです。中村に泊まろうと思いましたがそれはまた今度ってことで。やっぱり高齢のママよりも、若い方がいいんです。