山林生活

梅毒感染者日本一の熊本にあった遊里「二本木遊郭」

梅毒感染者日本一の熊本にあった遊里「二本木遊郭」

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本日は熊本に来ております。

こちらは熊本駅です。関東から熊本に行く際は飛行機なので熊本駅のあたりはあまり立ち寄りませんでした。駅前はキレイに整備されています。

駅前には「おてもやん」の像があります。
おてもやんは熊本を代表する民謡です。きつめの肥後弁なので何言ってるかわかりませんが現代語訳すると次のような感じ。

結婚するつもりだけど彼ピッピの顔面崩壊レベルが臨界点突破しすぎちゃってるからもぅマヂ無理、馬刺し食べよ。

翻訳するとこんな感じの唄です。
おてもやんは幕末の熊本の花柳界で流行ったそうです。昭和になってレコードが発売され全国的に有名になったんだとか。

おてもやんは三番まで唄があります。三番目を現代語訳すると次のような感じ。

人生天地之間 和白駒之過隙 人生自古誰無死 留取丹心照汗青

翻訳するとこんな感じの唄です。
要は人生いろいろあるから頑張りましょうって唄のようです。

そんなおてもやん。どうやら実在する人らしく当時料亭で働いていたんだそう。そしてその料亭は熊本駅近くにあり、駅近くに遊郭がありました。
元々熊本の遊郭は南区の川尻のあたりにあったそうです。川尻は水上交通の要であり宿場町でした。人の往来の激しかった場所に遊郭が設置されたそうです。明治になってから熊本の中心に遊郭を移設しました。移設先は中央区京町のあたり。しかしこちらの遊郭は1877年に起きた西南戦争で焼失。その際に熊本駅のそば、二本木のあたりに遊郭を移設したそうです。以後売春防止法が施行されるまで色街として栄えたそうです。
おてもやんのモデルと言われている富永登茂は1855年生まれ。1873年には料亭で下働きを始めていたそうなので当初は京町で働いていたのでしょう。

遊郭があったのはこの橋の向こう側。
遊郭は周りを塀やお堀で囲い廓の中と外を明確にしてあります。当初は遊女が逃げないようにしていたのでしょうが近代に出来た遊郭は街の風紀対策や遊郭っぽさを出すための演出だったのでしょう。二本木遊郭も他の遊郭と同様に川に囲まれていました。中洲のような場所で東には白川、西側には坪井川が流れています。

遊郭の入り口は三嬌橋が架かっているところ。出入りできたのは当時この場所だけでした。遊郭があったころは相思橋と呼ばれていたそうです。相思相愛って意味が込められているのでしょうか。

遊郭の入り口に架る橋の名称は思案橋ってのが一般的です。遊郭に行くかどうかを思案する場所だったのでそのような橋の名前になったようですが二本木遊郭に架る橋は遊郭に行くのが前提だったようです。夜の世界は嘘がつきもの。何度キャバ嬢の営業メールに騙されたことか。相思相愛なんてのはまやかしです。でもそのまやかしを楽しむために旦那衆はこの橋を渡ったんでしょうね。

現在の橋の先にあるのは餃子の王将だけ。

明治以降に新設された二本木遊郭。
九州では人気のスポットだったようですが売春防止法により解体。現在は住宅地となっています。熊本駅のそばっていうとすごい栄えてそうな感じがしますが駅が立派なだけで周りにはお店が少ないです。熊本の中心地は1km以上離れています。旧国鉄の駅は粉塵対策のため中心地から少し離れた場所にあり、またこの界隈は遊郭があったため隔離された地域だったのでしょう。やっぱりあるのは餃子の王将だけです。

住宅街となりましたが鉄道の出発地である熊本駅。そのためビジネス旅館が町内にはあります。おそらく遊郭や赤線の当時に旅館だったところなのかもしれません。しかしその旅館も年々減少しているようです。

こちらにも旅館があったようですが更地となっていました。また新たに旅館ができるのでしょうか。それとも普通のマンションができるのでしょうか。

こちらには現在熊本コロニー作業所という障害者の就労施設がありますが、ここには二本木避病院って伝染病専門の病院がありました。

淋しき病に梅の毒。

廓と性病は切っても切れない関係で梅毒や淋病は花柳病と呼ばれ江戸時代の遊郭では一般的な病でした。その当時は治すすべはなく梅毒は死の病だったのです。反対に梅毒を遊女から移されることが美徳と考えられていました。そんな中、熊本は全国で一番梅毒感染者が多い地域でした。

病院ができたのは遊郭が移設された翌年の1879年。その当時はまだ梅毒の特効薬はありませんでした。特効薬ができるのはそれから30年後。サルバルサンという梅毒の特効薬は1910年に発見され5年後の1915年には日本で精製、翌年には販売されるようになりました。特効薬ができたことで不治の病が治るようになりました。そのため1928年には花柳病予防法が施行され遊女の定期検診及び感染者の隔離と治療を徹底したそうです。二本木にあった病院では多くの遊女を治療したのでしょう。

病院の名残りはありませんが建物を囲うレンガは少し古めです。もしかしたら当時使用されていた壁なのかもしれませんね。

こちらは町内にある二本木神社です。
西南戦争の際に薩摩軍がここに本陣を構えたそうで西郷隆盛もどっかその辺に座っていたのでしょう。

同社の御祭神は健磐龍命。阿蘇山の神様ともいわれており火山の神様。神武天皇のお孫さんなんだとか。ご利益は厄除け、家内安全。
遊郭ができる前からここに鎮座する神社だったそうです。でも遊郭ができたことで遊郭関係者も参拝に来ていたのでしょう。

二本木町博多楼と書かれた登楼があります。

形がほぼ男性器のソレですがこちらは狛犬です。
遊郭っぽい店はここにはなくその名残もほぼありません。でもこのように玉垣などにその名残が残っています。
もう何も残ってませんが、実は数年前までこの地域にも遊郭の流れを汲む店があったそうです。

こちらには現在マンションがありますがかつてはソープランドがありました。
ソープがあったのは2016年まで。閉鎖した理由は熊本地震により震災被害にあったためです。

ソープランドは建物は簡易的な補修は出来ますが建物の建て替えや新築はできません。例えば火災で建物が焼失すれば新しく店を続けることができないのです。もちろん震災被害でも同じです。未曽有の震災だからってことでお情けで新設できるものではなく、建物が壊れれば性風俗店は続けられなくなるのです。二本木にあったその店もたたむしかなかったようです。

江戸時代を経て幕末の騒乱に巻き込まれ、太平洋戦争では空襲に遭うも戦後復興し昭和平成と生きながらえた熊本の遊郭。その歴史は震災によって消えてなくなりました。もうここには遊郭の名残りは無いようです。でも熊本にはソープ街があるんです。

ぜんぜん遊郭の名残り、残ってる。

これよりそちらに向かいます。

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