YOUは何しに伊那へ!?飲み屋の数トップクラスの伊那歓楽街
本日は長野県の伊那市に来ております。こちらはJR飯田線の伊那市駅です。
こちらにはようこそ伊那節と勘太郎の街へと書いてあるモニュメントがあります。
勘太郎の街ってのは1943年の東宝映画の主人公である勘太郎の出身地が伊那市とされ、映画の舞台がここだったため伊那の入り口である伊那市駅の真ん前にこのモニュメントを設置してあるそうです。映画のストーリーは伊那にシマを持つヤクザを東京で侠客となり一旗揚げた勘太郎が懲らしめるという勧善懲悪、と思いきやただのヤクザの抗争映画。
そんな暴力団の抗争を美化した映画を伊那の玄関口に置いちゃうヤツ。
伊那はヤクザが助けてくれる街ってことなのでしょう。まぁ暴力団組織が牛耳っているってのもあながち間違いではないようです。
勘太郎と同列に書かれてある伊那節。
伊那節とは木曽に伝わる山岳信仰の唄が起源となっている唄で、要は讃美歌みたいなものでしょうか。いつしか馬で運送を生業とする馬喰節となったようです。要はソウルミュージックでしょうか。そしてそれが巡り巡って花街で歌われる座敷唄となったようです。
伊那の中心地は元々駅から9kmほど離れた高遠町西高遠のあたりが商業地で花街があったようですが、鉄道開通により次第に駅界隈が賑やかとなったようです。駅前はだいぶ淋しい感じですが、駅の東側、天竜川沿いに隣駅の伊那北駅までの1kmの区間が市街地となっており飲み屋街が形成されているんだとか。伊那市は人口比率で考えると全国でもトップクラスで飲み屋があるそうなんです。
飲み屋と言えばお花とおしぼり。そういうのを生業としている人たちが多くいる場所なんでしょう。でもヤクザが出入りしていたのは昔話。今は健全な街へと変わっているはずです。本日はヤクザのいない伊那の歓楽街を巡ります。
伊那の繁華街は天竜川に沿って山寺、坂下、荒井、西町って街があり、西町が伊那市駅前あたり、山寺が伊那北駅のあたりです。店が多いのは坂下と荒井で花街があったのは荒井のあたり。
荒井のこのあたりは青木町、元町と呼ばれる地域で明治以降、鉄道や船の定期便が来るようになってから栄えたようです。町内には旅館や料亭が今でも健在です。
だいぶ主張の強い看板がありますが、どうやらこのあたりは昔花街だったようで粋なお姐さんが艶やかな姿で顔を見せたところなんだとか。伊那の柳橋、芳町とも呼ばれるくらい栄えた花街だったようです。
たしかにこのあたりは花街だった雰囲気があります。細路地に用水路、
ここ、めっちゃ面白い。
こちらにはラドン温泉菊の湯があります。同銭湯は1935年に開業。戦後に隣の料亭を買い取り待合をはじめたんだとか。しかし施設の老朽化、燃料費の高騰、従業員の高齢化により2013年末に閉店したそうです。まさに花街にある銭湯ですね。
この界隈にはホテルや料亭はありますが静かな街となっており駐車場が目立ちます。
こちらの看板もそうですが、花街の話は全て過去形なんです。料亭や旅館は残っていますがかつてのようなお座敷遊びができるわけではないようです。戦後は美和ダム建設で多くの人が往来した伊那の花街。しかし時代とともに花街の雰囲気は失われ三味線の音は聞こえなくなり芸妓が歩く姿も見れなくなりました。看板で街を盛り上げようとしていますが逆にかつての盛り場とのギャップがあり過ぎて哀愁を感じます。
こちらは駅南側にある錦町新地です。新地と付く街、何かあるはず。伊那には遊郭があった情報ありませんが、私娼窟のひとつやふたつあってもおかしくないでしょう。まさにここは私娼窟のなれの果てのような場所じゃないでしょうか。
YOUは何しに錦町新地へ?
そんなの決まってるじゃないですか!
かなり古めの建物がありますがこちらにはクロネコという食堂がありましたが2019年に閉店したそうです。
脇の看板には東京銀座カフェークロネコと書いてあります。かつては食堂ではなくカフェーだったようです。
銀座二丁目、松屋の並びに1927年にクロネコというカフェーができました。関東大震災の四年後、その当時は特殊飲食店が乱立していた時期で、銀座のクロネコも現代でいうキャバクラ的なところでした。女給の過激な接客を求め、男どもがそれに群がったのでしょう。
そんなところで働いていた女性がこちらでお店を始めたんだとか。いわゆるのれん分けみたいな感じ、もしくは勝手に名乗ったか。後者の可能性が高そうですが、銀座本場のカフェーが伊那で味わえるってことで人気スポットだったんでしょう。まぁやってることは性風俗営業ですが。
建物は古く築100年以上。そろそろ限界って感じの外観です。でも明治大正のハイカラな雰囲気があって素敵です。
このあたりからスナックが増えだすようでこの辺りは親不孝通りと呼ばれている地域。川を渡った向こう側もスナック街となっています。
こちらは入舟交差点です。地域は坂下エリアとなります。このあたりが伊那で一番栄えている地域でしょうか。いわば伊那の渋谷スクランブル交差点(スクランブル交差点じゃないけど)。
交差点近くには天竜川舟着場跡ってのがあります。かつてここに入舟船着場がありました。江戸時代から船着き場として利用された場所で明治になってからは飯田市の時又までの定期便も運航されていたんだとか。いわばこのあたりは当時の駅前みたいなところだったのでしょう。そのためこのあたりは栄えたそうです。
そんな駅前にあるちょっと怪しいサロン店。フランス語っぽい雰囲気を出していますがフランスっぽくない低俗なサロン店。このあたりはその手の店が生き残っているようです。
ファッションクラブ、スーパーセクシークラブ。これこそ昭和レトロな感じ。
こちらは動物横丁と名付けられた道です。店名に動物の名前がついているんですね。かわいらしいです。
こちらはかもしかアパート。長野県の県の獣のシンボルはカモシカなんだとか。県の鳥や県の花ってのがあるのは知っていましたが、県の獣っていうのを初めて聞きました。
こちらはキリンです。動物横丁って名だけある。
以上です。
そこまで動物がいない。
そんなことありません。こちらには亀がいます(動物ではあるけど...)。
あとほら、虎の頭(それはもう動かない獣)。
韓国人を動物と称す伊那の人たち。
こちらには入舟遊楽街ってアーケードがあります。かなり味のある商店街。店はかなり減っていますが素敵なアーケードです。
入舟遊楽街を抜け天竜川沿いを上っていくと伊那北駅にいけますが、駅まで行く通り沿いにはスナックが点在しています。伊那は現在も飲み屋が点在しているので楽しそうです。
伊那の名物といえばローメンです。ローメンができたのは今から70年ほど前の1955年。こちらの萬里って店の店主が発案したそうです。その当時は冷蔵設備がなく生めんが保存できなかったため麺を蒸して保存したんだとか。その蒸した麺を牧羊の副産物だったマトンと地元野菜を使い濃いめに味付けして提供したところ好評だったため人気が出たんだとか。現在では市内の中華店であればどこでも食べられるようになっているそうです。でもせっかく本家が目の前にあるんです。ここで食べるべきですよね。
お休みでした。