【神出海神の国】遊郭があったエロい街「伊勢市歓楽街」
本日は伊勢神宮に来ております。一生に一度はお伊勢参りと江戸の頃には言われたそうです。それだけ人気の観光スポット。
ちなみに私は神宮に来るのは人生で四度目。そこまで信心深くないですが神社に行くのは嫌いじゃない。そんなわけで三重の辺境の割に伊勢神宮は結構来ています。
神への願いはいつも金銭がらみ。ちなみにこれまで様々な神社で常に同じ願い事をしていますがそれが叶ったことは一度もありません。そろそろご利益がないってことで景品表示法の不当表示規制に反していると神社本庁を訴えてもよいレベルになっています。
日本には八百万の神がいて約8万社の神社がありますがその頂点に立つのが神宮です。主祭神は内宮が天照大神で外宮が豊受大神という女神様。ここにお願いすれば何でも叶うはずです。
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伊勢神宮の門前で神都と呼ばれる伊勢。かつては市内に遊郭がありました。
これは神都じゃなくてち〇こ。
遊郭があったのは内宮と外宮の間にある古市ってところ。伊勢街道沿いで現在も古市町という町名が残っています。
伊勢神宮は内宮と外宮の二つがあり、一方だけ参拝して帰ることを方参りや方参宮と言います。方参りは縁起が悪い。両方まわる方がご利益が増すため内宮と外宮を巡るのですが、外宮に行きそのあと内宮に行くのが正式な参拝順序なんだとか。
外宮にまつられている豊受大神は食事の神様。天照大神もまずは外宮から行けと言ったそうなので外宮・内宮の順番で回るのが正式なルートのようです。外宮は伊勢市駅前。外宮から内宮へは伊勢街道を通る。帰りも伊勢街道を通って帰るわけですが、そのルート上に古市遊郭がありました。
お伊勢参りはいわば神事です。神事の際は精進しなければなりません。心身を清め行いを慎む。酒や肉を断ち女遊びも慎む。でもそれは神事を済ますまで。伊勢参りをした後は精進しなくてよいのです。いわゆる精進落としってことで肉も酒も食べ放題飲み放題。そして女も遊び放題。江戸から伊勢までは片道500km。一日40km歩いたとしても12日間かかります。それだけ我慢をしたわけです。すぐにでも遊びたいはず。
神様のいる街伊勢。内宮を出たすぐそばに遊郭があったんです。それが古市遊郭でした。
かなり栄えた遊郭だったのでしょう。だって約二週間の縛りプレイのあとの解放スポットですからね。精進落としという謎ルールのおかげで賑わったそうです。
お伊勢参りをした人の多くが男性。そのため男相手の店がいっぱいあったんでしょうね。ちなみに神宮をカップルで参拝すると別れるって言われています。天照大神が女神で嫉妬するからってのが理由のようですが、ゼッタイ違うはず。これの本当の理由はカップルだと遊郭に行けないから。
カップルで来られると遊郭は客は取れない。男性も妻や彼女が一緒だと遊郭で遊べない。夫婦で参拝に来ないように流言を流したのでしょうね。まぁ実際に夫婦で参拝して旦那が風俗行ったら離婚となるのでしょうが。
最盛期には遊女が1000人もいたそうで、かつての内宮前は破廉恥な店が軒を連ねていたそうです。当然そこで行われていたことは神事でした。
現在はそんなゲスな店はなく普通の住宅地となっています。一応当時遊郭があったという石碑があります。ここには油屋という比較的大きな妓楼があったそうで1796年に古市十人斬りという無差別傷事件が起きています。事件の内容は今風に言うとフリーでキャバクラに入店したのに後から来た客に本指名で目当ての子を取られたからそれに腹を立てて刃物を振り回したって事件。その事件現場がこのあたりにあったようです。もう230年も前の話です。
古市遊郭が人気だったのは幕末まで。明治に内宮へ行く新しい道が整備されると客が途絶えてしまい、娼妓は半分になりました。昭和期も残るも空襲により遊廓は壊滅。その後は元に戻ることがなかったようです。
でも安心してください。神宮のそばにはほかにも遊郭がありました。
こちらは伊勢市駅の西側。駅から500mほど離れた一之木ってところです。こちらにはしんみち商店街というアーケード街があります。正式名称は伊勢銀座新道商店街で江戸時代に整備された道のようです。江戸時代は遊女屋が軒を連ねていたそうですが、明治になり鉄道ができたことで歓楽街へと発展しました。
一之木町、大世古町、曽根町の三つの街が連なっていたことから新古町三遊郭と呼ばれ賑わっていたそうです。その当時は古市遊郭がありましたが、こちらの方が人気となったのは駅から近いのと、娼妓だけでなく芸妓もいたため遊べる幅が広かったのでしょう。
人気の遊郭だったようですが終戦を迎える前に公娼廃止により転業を余儀なくされました。ただ公娼が廃止されただけで以後は私娼窟として発展します。しかしそれも終戦を迎える前にこのあたりは焦土と化し何もなくなりました。
でも神の力は偉大なり。
戦後にいち早く復興したのはこの界隈でした。商店ができ商店街となりアーケードができる。戦後の復興、高度経済成長期の成長により街は賑わっていたようです。
残念ながら現在ははシャッター街。こちらもやはりジャスコに潰されたんでしょうね。でも商店街から脇にそれたところ、今だに飲み屋街が残っています。
いわゆるスナック街です。
伊勢市駅前から外宮に行く参道にも飲食店エリアがありますが、あちらは観光客向け。新古町はどちらかというと地元密着型の店が多めなのでしょう。伊勢市は約半分が山林で住宅は駅近くに集中しています。そのため飲み屋も集中するのでしょう。
しかし飲み文化が衰退しつつある今、地方の飲み屋街も岐路に立たされているようです。
サンパレスというバブルの頃に建てられた飲み屋ビル。だいぶボロボロになっており恐らく廃墟になっています。
入り口には伊勢市役所維持課のバリケードがあります。現在は市が管理しているのでしょうか。バブルの頃に栄えた地方の飲み屋街や温泉街にはこの手の廃墟が複数あります。
こちらのビルも廃墟状態です。建物名は丸二ビル。市内に同名のホテルがありますが、ロゴを見る限り同じ運営会社の所有しているビルのようです。ちなみに多気郡明和町にも丸ニホテル伊勢の郷って宿泊施設がありましたがそちらも閉鎖し廃墟が残ったままとなっています。
壊すのも費用がかかるし壊せば壊したで固定資産税が上がる。2023年に空き家対策特別措置法が施行されましたがまだその効果はないようです。とくに地方の場合は更地にしても活用できないですからね。当分はこのままの状態なのでしょう。
地方創成で活性化を目指す飲み屋街もありますが、伊勢の飲み屋街は遊郭の様子はなく、バブルの頃の雰囲気もありませんでした。
そもそも現在伊勢市には風俗店がありません。古市、新古市以外にも大湊や神社町などの海沿いにも遊郭が点在していた伊勢。かつては精進落としをしたのでしょうが、今の日本人は信心深くないのでしょう。
お参りした後、したくなくなったんです。
八百万の神と言えどちんちんには神様は宿っておらず、日本人はそれを必要としなくなったようで赤線廃止後にその文化は消えてなくなりました。では信心深い人は参拝後、どのように精進落としをしているのでしょうか。
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そう、伊勢の先にある志摩。
的矢湾に浮かぶ秘境があったんです。