山林生活

的矢湾に浮かぶ売春島と呼ばれた女護島「渡鹿野島」

的矢湾に浮かぶ売春島と呼ばれた女護島「渡鹿野島」

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三重県の志摩市に来ております。

こちらは近鉄志摩線の賢島駅です。賢島は2016年に伊勢志摩サミットが行われた場所です。こちらでサミットが開かれた理由は都心部からアクセスし辛く海に囲まれているため島に渡る手段が限られており警備がしやすいかったからなんだとか。たしかにこの界隈は入り組んでいるし周りは海に囲まれています。そしてアクセスし辛い場所。
伊勢志摩と一括りに呼ぶことがありますが、二つの市は30kmほど離れているし、そもそもの起点である伊勢市自体もアクセスし辛い場所。ついでに立ち寄る場所じゃないし、志摩市に用がない限来ることがない場所です。

用事がない限り立ち寄らない志摩市。でも志摩市には色々あるんです。

志摩市といったら伊勢エビに真珠などの海の幸。それに志摩スペイン村でしょうか。一時はガラガラで客がいないと言われていたスペイン村ですがブイチューバーとのコラボ、コロナ明け、円安による国内需要が高まったおかげで来場者が増えているようです。

志摩にはスペイン村がある。以上。

ってわけではありません。
そもそもこのスペイン村は近鉄リゾートの一つに過ぎません。
海女さんで有名な志摩。この界隈は水産業が盛んな地域でした。古くから漁業で栄えた地域でしたが、状況が変わったのは戦後の高度経済成長期の頃でしょうか。東京オリンピック、大阪万博と経済が活性化した日本。それに乗っかろうと志摩半島でリゾート開発事業が持ち上がりました。志摩市、鳥羽市の界隈を一大リゾート地にするため1988年に総合保養地域整備法に基づく開発事業が始まります。ホテル、分譲マンション、ショッピングセンター、ゴルフ場、海水浴場、アミューズメント施設などを整備し21世紀までに志摩リゾートを作る予定でした。しかし1988年ってことはその数年後にバブルが崩壊します。当然この開発事業も無傷とはいかず、規模を縮小することになりました。その縮小の中で残ったのが志摩スペイン村だったようです。

つまりバブル崩壊のなれの果てが志摩スペイン村だったようです。なぜスペインだったのかはわかりませんが、おそらく「ヨーロッパはカッコイイ」みたいな風潮がその当時あったのでしょう。
近鉄リゾート志摩スペイン村の名の通り、運営は近鉄。鉄道会社は遊園地を作りたがるもので西武が作ったとしまえん、小田急が作った向ケ丘遊園など鉄道会社は遊園地が好きなようです。しかし例で挙げた遊園地は閉店しています。それらと比べると志摩スペイン村は開園30周年を迎えました。潰れていない以上少なからず成功しているのでしょう。
このように志摩リゾートは家族で楽しめる遊園地があるところです。
しかし皆が皆家族連れってわけではありません。いつの時代にも家庭を持つことができずひとり寂しく余生を過ごす人はいるもんです。
でも安心してください。志摩リゾートにはそのような人たちでも慰めてくれるスポットがありました。

それが渡鹿野島です。もう有名過ぎて秘境でも何でもない島。かつて売春島と呼ばれたところです。

志摩市に私が訪れた用事、まさにコレです。

スペイン村からそこまで離れていません。車で10分くらいのところにある離島です。一応バスでも島へ渡る船着き場まで行けます。また船着き場そばに来島用の駐車場も用意されています。

海の向こう側に見えるのが渡鹿野島です。島へは船で渡れます。船賃は200円。時刻表はあるものの客が来れば時刻に関係なく乗船できるシステム。乗車時間は5分程度です。

的矢湾に浮かぶ小さな島「渡鹿野島」。人口160人ほどしかいない島。一般的にこの手の島の産業は漁業が主となりますが、島内の主な作業は第三次産業で観光業が主な産業。そしてかつてはその観光業の中に売春が含まれていました。

渡鹿野島が売春を生業としていた歴史は古く、江戸時代のころから。江戸と大坂を船で行き来する際、外洋に面したこの界隈は天候があれると高波に襲われる危険がありました。その避難地として渡鹿野島は重宝したそうです。
船乗りが集まれば自然と遊女も集まる。いつしか売春を生業とする人が集まったそうです。遊女が暮らす島なので女護島とも呼ばれていたんだとか。
明治以降も売春島として残り、それは戦後も続きます。戦後は赤線街となり売春防止法施行後に解体するもんですが渡鹿野島のそれはその後も生き続け、平成になっても何も変わりありませんでした。江戸時代に出来た売春島は21世紀になっても生き続けたのです。
バブル期は島に人が溢れるくらい人気スポットだったんだとか。言わばここは日本の地中海に浮かぶイビサ島と言ってもよい場所だったのでしょう。
このように治外法権となっていた理由は孤島だったからでしょう。島に渡る手段が限られており摘発が難しかったんでしょうね。まさに伊勢志摩サミットと同じ理由です。

こちらが渡鹿野島の観光案内図です。島の形は皮肉にもハート形。かつてはこの島に渡る女性は商売女、この島に渡る男性はエロい大人だったようです。現在は性ビジネスは衰退し、ほぼなくなっています(なくなったわけではない)。島の北側は森になっており手前側がホテルや住居があるようです。

渡鹿野島公認のゆるキャラ。ジェントルマンわたるくんという半裸で紳士とは呼べない井出達のキャラクター。かつてはジェントルマンがいなかった島。あの子のハートを射止めるのはショート場合はいくらなのでしょうか。

島の真ん中には神社があります。八重垣神社ってところでご祭神は須佐之男命。島の中にある神社。なんか神秘的です。このあとCR冒険島を打ちに行きます。

須佐之男命の表札。ほぼ家みたいなつくり。

売春島と呼ばれていたのはかつての話。2013年には性産業のイメージを無くし健全な観光地を目指すと観光協会が宣言したそうです。2016年の伊勢志摩サミットの際は警察の視察もあったそうですが、摘発されることもなかったようです。このように渡鹿野島は10年前に健全な島となりました。
しかし一大産業だった性産業がなくなれば島に来る客も減るわけで、島内には廃墟が目立ちます。船で渡った目の前にあるのが廃墟。こちらはおおさかやという旅館だったそうです。

こちらのホテルも廃業しています。シーサイドホテルつたやです。

かつては売春宿として営業していたそうですが廃業したようです。

ホテル裏手にスナックがあります。どうやらこちらのスナックがバブル期に売春島と呼ばれるようになった震源地のようです。様相は普通のスナックですが、その当時は置屋だったそうです。当初は借金のかたに身売りされた少女がここに押しやられていたそうです。いわゆる風俗に売られた人たちがいた場所でヤクザのシノギがここで行われていたようです。

私が渡鹿野島を認知したのは2000年代に入ったころでしょうか。サブカル紙か何かでその存在を知りました。そんな楽園があるんだったら行ってみたいと思い続けていましたが結局島に訪れることなく今日を迎えました。ただ売春島の話をした友人がその当時訪れてくれました。
友人から聞いたところ2005年当時の渡鹿野島も売春島として健在だったそうですが、違法な店で働かせて摘発に合うよりもソープに沈めた方が効率が良かったのでしょう。日本人娼婦は島にはおらず合法な店で働けない外国人娼婦だらけとなっていたそうです。いわゆるジャパゆきさんでしょうか。渡鹿野島は外国人街になっていました。
このように島は変化していったようです。でもそれも20年ほど前の話。今は外国人もおらず観光客も少ない島となりました。

渡鹿野島に立ち寄ったのは休日。てっきり観光客がいると思ったんですが、誰もいませんでした。
健全な島となったため、その辺のリゾート地と何も変わらなくなってしまいました。しかも島には商店が一軒しかないんです。遊ぶ場所が全くない。自然の中で過ごすといってもそこまで大自然ってわけでもない。唯一の魅力は孤島ってことくらいでしょうか。でも案外簡単に渡れるので特別感もないんです。
もちろん一切そっち系のビジネスがゼロになったわけではないようです。島内には置屋はなくなったようですが、ホテルは残っています。そしてホテルにはコンパニオンプランも健在のようです。

ウェブサイトで確認すると次のような文言がありました。

恋人気分を味わえる一人宴会パックもご用意。

そして、

島内コンパニオンはピンクOKな女の子です。

まだ残ってそう。

性産業のイメージを無くし健全な観光地を目指した渡鹿野島。まだまだ簡単には手を切れないようですがかつての怪しい島の雰囲気はなくなりました(たぶん)。

恋人の聖地と名付けられたこの島。渡鹿野島にはこのようなモニュメントがあります。
ハートの形をした島だから聖地として選ばれたのか、それともかつて性地として崇められた過去を払拭するためなのか。売春島と呼ばれた渡鹿野島は現在恋人島と呼ばれるようになったようです。
かつては恋人がいない人のための島でしたが、渡鹿野島も志摩リゾートの一員となり家族または家族になろうとする人たちが集まるリゾート地になったようです。日本にはもう売春島はないようです。かつて桃源郷と呼ばれたその場所は静かな観光地となっていました。このように時代の移り変わりでかつての文化は消えてなくなるんです。

どうやら奄美大島の屋仁川通りに連れ出しスナック的な店があるそうです。現在の売春島は南国へ。急いでセントレア空港へ向かいます。

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