線路脇に取り残された戦後にできた飲み屋街「川崎どぶろく横丁」
本日は川崎駅に来ております。
南武線・京浜東北線・東海道本線・上野東京ライン、そして京急本線と大師線の乗換駅である川崎。多くの人が利用する駅ですが京急線とJRは少し離れた場所にあります。
距離はおよそ200mほど。乗り換えるのに5分ほどかかります。
そこまで遠くなく地下でも繋がっているので雨の日も濡れずに行き来できます。でも毎日通勤や通学で乗り換えるのにはちょっとだけ面倒な距離です。京急線と東海道線って並行しているので横浜や品川に行くならどちらの路線でもよいのですが京急線は駅が細かくあります。痒い所に手が届く路線なんです。あとは羽田空港にも行けますしね。なんだかんだで利用します。
たかだか200mの距離の乗換えですがその道中には複数の飲食店があります。乗換えついでに一杯ひっかける、そんなこともできるんです。
京急線の目の前はそのままズバリ駅前本町って町名です。今はキレイなビルが建っておりますが20年くらい前はまだ怪しい飲み屋が軒を連ねるエリアでした。望郷横丁と呼ばれており立ち飲み屋がありました。
こちらはクリエ川崎って商業ビル。たしかこのあたりに私の行きつけの立ち飲み屋がありました。午前中から営業している立ち飲み屋。カウンターにいつから置いてあるのかわからないあまり衛生的ではない大皿料理をアテにメニューに「お酒」と書かれたなんの酒かわからないお酒を手に朝からここで飲むのが川崎市民の習わし(偏見)
それで昼過ぎまで飲むのが川崎市民(偏見)
そして夕方別の店で飲むのが川崎市民(偏見)
乗換えのための道なのにこの界隈には人生に乗り遅れた人が集まる飲み屋がありました。私はその乗り遅れた川崎市民の一人。京急川崎目の前の飲み屋街にはほぼ腐ったような人しかいないエリアだったのです。
現在もまだそれっぽい店が残っています(まだ腐ってやがる)。
こちらの立ち飲み屋は当時の名残りなんだとか。なんか川崎っぽい雰囲気があります。そう。川崎ってこんなイメージなんです。
あとはパチンコ屋くらい。川崎っぽいイメージ。
あとは焼肉のイメージ。川崎っぽいイメージ。
なんでぱちんこなのかな?なんで焼肉なのかな?
でもこれが川崎っぽいんです。
かつては飲み屋が軒を連ねていた乗換えルートは現在も飲食店があるエリアとなっています。でも昔のような立ち飲み屋があるのではなく雰囲気がよさそうなオシャレな飲み屋があります。多くの人が往来しているし大都市川崎のイメージにあった街並みです。
そう。かつての川崎っぽい雰囲気はなくなりました。
今の京急川崎駅前は健全な街になったようです。でもなんとなく20年前の空気が漂っています。
確実に社会の底辺で腐りかけのクソ汚れた掃きだめのような街だった京急川崎駅前の飲み屋街。再開発により消えてなくなった街並みですがもしかしたらまだその雰囲気が味わえそうな感じ。
本日は川崎の外れにある怪しい町を散策します。
こちらはヨドバシカメラです。川崎には南側の川崎ルフロンにヨドバシカメラマルチメディア館があります。駅前本町にあるヨドバシはアウトレット館です。ボウリング場だったところに入居したそうで少し殺風景な感じのあるお店ですがアウトレット品なので家電が安く手に入るんです。
ヨドバシのさらに奥は専門学校街になっています。語学の専門学校ですが日本語科のようです。つまり外国人のための専門学校。そんなわけで行き交う人の多くが外国人。若い人が多いですが日本語を話していません。
このあたりは一般の人が立ち入らないエリアです。
あとはラブホくらい。このあたりは一般の人が立ち入らないエリア。
駅前本町と本町のあたりはラブホ街になってます。
ホテルがライバルと書かれた個室ビデオ。この界隈にあるのはそっち系のホテルですが何をライバル視しているのでしょう。あれかな?
かつてはビデオボックスで手淫サービスをしているところがありました。果たしてこの店は宿泊に特化しているのか、それとも別のサービスがあるのか、これは調査が必要です。
このように乗換えルートから外れるとちょっと特殊な街並みが見れる川崎駅前。でもここは西口に行ける数少ないルートなんです。
幸区と川崎区はJR線で分断されており気軽に行き来出来ません。駅の反対側に行くには駅構内を通るか、駅南側の市電通り、多摩川沿いの大師道、日進町の矢向踏切、横浜との市境の並木踏切、そして府中街道が通るこのアンダーパスだけです。反対側にはオフィスビルがあるため京急利用者がこの道を使用するのです。そんなわけで多くの人が通るのですがアンダーパス向って左側、少し高台のところに古い建物群があります。こちらはどぶろく横丁と呼ばれるところです。
川崎は在日朝鮮韓国人が多い。
これは朝鮮合併後に多くの朝鮮人が来日したからです。本土に行けば仕事がある。そんな感じで工業都市の川崎に多くの朝鮮人が住みだしました。川崎の桜本にコリアタウンは職を求めて朝鮮から来た人のコミュニティーでした。戦後になり多くの韓国人が母国に戻りましたが日本にとどまる選択をした人もおりそのような人が駅近くで商売をはじめたそうです。この一画は朝鮮人が多く集まるエリアでした。手軽に始められる商売は飲み屋だったのでしょう。しかし食糧難で物資がない上にそもそも配給統制で食糧が手に入らない。食べ物も飲み物もない状況でしたが統制品ではない食べ物と密造酒を扱うことで飲み屋が営業できました。戦後すぐはほとんどの食糧が統制品でしたが臓物は統制品に指定されませんでした。もつ焼きやモツ煮が飲み屋で提供されるのは戦後の配給統制が理由です。この界隈ももつ焼き屋が軒を連ねてたのでしょう。密造酒に関しては在日韓国人の飯のタネで大久保が近い新宿でもどぶろくが出回ってました。そして川崎もどぶろくがつくられていました。
どぶろくの製造は違法である。現在も無免許で酒造りをすれば当然罰せられます。令和の時代に自家醸造で逮捕されるなんてことは密造酒を販売をしない限りないのでしょうが戦後の頃は逮捕者が多く出ており普通に密造酒が市内で飲めたそうです。今でこそ酒税の税収は大したことありませんがかつては酒税が国の税収の3割を占めるほど。重要な財源だったそうです。
明治期に自家醸造が禁止されたのも日清・日露戦争の出費をカバーするためでした。このように日本では自家醸造が禁止されてますが川崎の桜本ではどぶろく製造が横行していました。
朝鮮半島にもどぶろくと似たマッコリがあり朝鮮では自家醸造が一般的でした。日常的に酒造りをしていたのでノウハウがありました。桜本ではどぶろくを作り販売をしていました。
戦後の食糧不足で米がなく酒蔵では酒造りができず酒の製造量が落ちてましたがその代わりに密造酒が市内に出回っていました。正規の酒の倍以上の量が出回っており酒税減少の影響は避けられませんでした。そのため自家醸造を厳しく取り締まるべく1947年6月に桜本で一斉捜査を行いました。その結果100名以上が検挙されたそうです。その際に税務職員が暴行され亡くなられています。
このように殺人事件にまで発展したどぶろく。川崎とどぶろくは切っても切れない関係なんです。
摘発後も変わらずどぶろくは製造されていました。生きていくためにはやめられなかったのでしょう。ここがどぶろく横丁と呼ばれるようになったのはそれなりの理由があったんです。
モツをアテにどぶろくを飲めたどぶろく横丁。時代が進むにつれ市販の酒の品質が向上、どぶろくを飲む人が減っていったのでしょうか。摘発リスクを考えると割が合わないとなったのかいつしかどぶろくは作られなくなったようです。
現在はここでは密造酒のどぶろくは飲めませんが朝鮮人が多くいた地域だからか焼肉店があります。市販のマッコリは飲めそうですね。
こちらにはイエス・キリスト会「ベテル教会」があります。国民の三割以上がキリスト教の韓国。
この手の施設があるのは当然です。こちらの教会は現在も営業しているかは不明。ちなみに隣の幸区には同教会と同じ名称の韓国系のプロテスタント教会があります。もしかしたら同じところかもしれません。
麻雀店の看板ですがだいぶ傾いています。店名はナンチャンでよいのでしょうか。どうやらこちらは潰れているようです。
飲食店が数軒営業しているだけのどぶろく横丁。昔のような活気はなさそうな感じ。この手の飲み屋街って日中も営業してそうですがやっていたのはドライカレー屋さんだけでした。
線路脇で駅に近い場所ですが少し外れたところにあるどぶろく横丁。あまり人が来ない場所なのかもしれませんね。
こちらには焼け焦げた家屋があります。
2022年11月に火災が起きています。もう二年以上前の火災ですが消火器は放置されたままで建物も火災当時のままとなっています。
細路地の中にある建物、現状では再建築ができないのでしょうか。路地の中には更地になっているところや入居者がいなそうな建物もありました。おそらく狭い土地に地権者が多くおり売買するのも楽ではないのでしょう。川崎駅から徒歩5分程度の一等地なので権利関係に問題なければ商業ビルや高層マンションができるのでしょう。そうなれば人の流れもかわるのでしょう。
酔っぱらい、ホームレス、外国人、ヤクザ。
川崎は治安が悪くてごちゃごちゃした街でした。
でも再開発によりごちゃごちゃ感は薄れヤクザも少なくなりました(いるにはいる)。ゼッタイに今の川崎の方が充実しているんですが昔の殺伐とした川崎が嫌いじゃないんです。ダメな社会を覗き見ることができるのってなんかいいですよね。
その雰囲気が少しでも味わえそうなどぶろく横丁。個人的にはこの街を残してほしいです。
やっぱりここは飲んで応援じゃないでしょうか!
川崎市民は昼から飲む(偏見)
私も川崎市民の端くれです。例に倣い昼飲みはじめちゃいましょう!
どぶろく横丁でモツを食べたかったんですがやっていないので近くの店に行きます。
こちらは横丁近くにある丸大ホール本店です。かつては幸区に支店があったそうですが現在はこちらに一店舗だけです。
創業1936年、つまりどぶろく横丁ができる以前からあります。こちらの店は飲み屋兼食堂のようなところで普通に食事もとれるし酒を飲むこともできる、食事をしながら酒を飲むこともできます。昼時なので少し混んでいます。
てっきりサラリーマンであふれていると思いきや店にいるのはサラリーをもらえないある意味FIREした人たち。私含め社会不適合者が集まっています。この店では食事ができる店とお伝えしましたが客の100%が飲んでます。
活気があっていいですね。こちらの店は何十回と利用しています。いろんな料理があるから安心するんです。
でも注文するのはいつもモツ煮にビール、やっぱりこの組み合わせです。
次は何を飲みますか!
やっぱりここはホッピーですよね!
高いビールが飲めない人のためのホッピー。最近じゃホッピーの値段も高くなっちゃってビールでいいんじゃないかと思ってしまいますがやっぱり雰囲気を味わうならこれでしょう。あとホッピーはプリン体がゼロなんで痛風の人も治るみたいなんです。
治るはずがない!
モツ食べた時点で親指が痛くなるのを受け入れろ!命を頂くってことは命を削らなきゃダメなんです。
こちらはちくわの磯部揚げです。
安くてうまくて酒にもメシにも合うおかず。考えたやつは天才のなにか。まだ外国人に知られていない食材じゃないでしょうか!これだけあれば何もいらない。
と言いつつすでにマグロ納豆も食べてます(これは痛風セット)。マグロ納豆もまだ外国人に知られていないはず。
そして飲むのはひれ酒です。まさにジャパニーズカクテル。これもまだ外国人には知られてないはず。フグによってはヒレに毒がある種類もいますがひれ酒で使うとらふぐはひれに毒がないようです。
毒があるか知ってるのは先人の知恵によるもの。ひれ酒はまさに日本の文化そのものです。こういうのが安く飲めるのっていいですよね!
川崎の飲み屋、最高です。何が最高って、これ午前中なんです。
それはもうゴミでしかない!
一般的には許されないけど川崎駅前なら「まぁ いいかな」で済む話。だから「好きです川崎愛の街」なんです。
ゴミ収集車の曲!
もうやっぱりここは掃きだめ、クソ汚れたゴミでしかない。リサイクルすらできない人が集まる街。
午前中から飲むのは川崎でも許されない。
許されてはない、ただ飲んでるだけ。「川崎ならいいでしょ」って勝手に思ってるだけ。それが何十年も前から当たり前になってる。戦後から変わらず掃きだめのような街でした。