山林生活

【墓石の墓場】よみうりランドのそばにある「ありがた山」【存続危機】

【墓石の墓場】よみうりランドのそばにある「ありがた山」【存続危機】

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緊急事態宣言が解除されました。とはいってもまだまだ自粛傾向です。解除されたら行きたかった映画館が横浜にありました。全国が解除され、神奈川では全職種の自粛解除をすぐに決めましたが、そちらの映画館は自粛解除後も継続して自粛していました。消えてなくなる前に一度は行ってみたい。早く再開してほしいものです。
今回のコロナウイルスで潰れた企業も多くあります。ツイッターで帝国データバンクをフォローしていますが毎日のように倒産情報が入ってきます。「今度あそこの店に食べにいこう」と言ってたら気が付けば店がなくなっていたなんてこともあります。とくに新宿は店の入れ替えが激しいんです。そのため「いつか行こう」と先延ばしにすると結局行けずじまいということも。そのため知ったらすぐに行くべきなんです。

京王よみうりランドのそばに墓石の墓場っていうのがある。

もしかしたらなくなるかもしれないというわけでよみうりランドまで足を運びました。

京王よみうりランド駅ですがよみうりランドは少し遠くにあります。ここからロープウェイで登ったところに遊園地があります。でも遊園地は新型コロナウイルスの影響で閉園しています。そのためロープウェイは動いていません。
今回は遊園地に用事があるわけではありません。今日行くところは墓石の墓場と呼ばれるところがあるということでこちらに来たわけです。駅から歩いて10分程度のところでしょうか。ありがた山というところにそれがあるんだそう。

このあたりは土地区画整理で山を削っています。
京王よみうりランドの先は多摩ニュータウンなどのある地域です。
木を切り山を削り、そこに人の住む町を作りました。ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は多摩市が舞台なんだとか。
開発が始まったのは1960年代。1970年はじめには第一陣の入居者が入ってきたそうです。その当時は活気のある街だったのでしょう。高度経済成長期で子どもたちも多かったんだと思います。自然と調和した街。無機質な建物ばかりではなく、多摩丘陵の豊かな緑と地形を生かしたまちづくりをした結果、多摩ニュータウンはよりよい住環境となりました。

でもそれは今から50年前の話。当時30代で新居を買った人も今では80代です。つまり高齢者が多くなっているようです。ニュータウンだけどオールドタウンとなっているんです。
老人が多くなり子どもがいない。そのため当時あった小学校は現在老人ホームになっているようです。
第一陣が入居してきた永山地区では人口の約半分が高齢者なんだそう。地形を生かした結果、平たんではないため車いすで移動するのも大変。周りに店が無いため生活するのも大変。老人にとっては過酷な住環境になっているようです。

ただ現在もニュータウンは拡張しており、稲城市まで伸びております。
新居が出来れば若い世代も入居します。現在の土地開発は若返りのためということなんでしょう。

こちらのお墓の先に目的地があるそうです。

木々に囲まれて気持ちよく、山の上にあるので素晴らしい眺め。ご先祖様もさぞかしお喜びになれる場所かと思いきや、周りはコンクリートで土留めされ茶色の山肌が見え、重機が大量に投入されている工事現場でした。
ここにはおそらく大きなマンションでも建つのでしょう。そうなると多摩丘陵から望む多摩川や関東平野は見れず、マンションの壁が正面に見えるだけの場所になるんでしょうね。

こちらがありがた山の墓石群です。かなりの数の墓石があります。とくに統一性があるわけでもなく、名前の書かれた墓石も置いてあります。これらの墓石は無縁仏のものなんだそうです。

ここに墓石が置かれるようになったのは昭和の初めころ。もともとこの墓石は本郷や駒込あたりに建てられていたものなんだそうです。しかし関東大震災後、東京は壊滅。それにより墓石も放置されたままだったそうです。その野積みされていた墓石を二年かけリヤカーで駒込から稲城まで運んできたらしいです。その数4000基。
地蔵などもありおそらく宗派とかそういうのは関係なくはこばれてきたのでしょう。駒込から稲城まで約40kmほどあります。ただ歩くだけですら大変な距離です。それを墓石をリヤカーに積んできたわけですからね。まだその当時は舗装されていない道も多かったでしょう。

墓石のお墓といっても捨てられたわけではなくこちらで供養されているんだそうです。
80年間ずっと墓守をしてくれているんだそうです。そのため綺麗に保存されています。

しかし周りは土地開発が続いております。ありがた山の裏側は削られています。おそらく大きなマンションや建売住宅が建つのでしょう。京王電鉄相模原線の京王よみうりランド駅。調布を経由して新宿に30分ほどで出られる立地です。そのため人気の場所となるのでしょう。
しかしその開発によりこの墓石群も消滅の危機に瀕しているそうです。山を削った結果なのかわかりませんが倒壊する危険があるんだそう。そのため取り壊すことになるかもしれないんです。

死人よりも生きてるものに権利を。

死んだ者、しかもどこの誰だかわからないわけです。そんなものよりも生きてる人に権利を与えるべき。墓は金にならないけど生きてる人が住めば税金を徴収できます。そういうことなんでしょうね。駒込の時もそんな感じで端っこに追いやられていたのでしょう。

80年前の墓石ということはそれ以前の情報が記されているわけです。ほかの墓石だと色々と手入れがされていますが、こちらはその当時のままが記されているわけです。戒名などからその当時を推察することもできるでしょう。墓石に彫られた名前を見ると神道っぽい名前が多いようです。また院殿号と呼ばれる武士につけられる戒名っぽいやつもありました。色々調べていけば無縁仏だった理由なども見えてくるかもしれません。

取り壊した場合、今度はどこに連れていかれるんでしょうかね。
なくなる前に一度手を合わせにいってみてはいかがでしょうか。

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