調布赤線街「調布百店街」に現存する遊廓の名残を求めて
調布にきてます。
調布は23区外なので都下と呼ばれるところですが、新宿にも出やすく便利な所です。明大前で乗り換えれば渋谷や吉祥寺にも出れます。23区外なので家賃も多少安い。多摩川もあり自然も多い。そのため人気なんだそう。
昔は少し汚くヤバそうな雰囲気がありました。
調布の近くには競輪場の京王閣競輪場があります。隣の市府中には競艇場のボートレース多摩川、競馬場の東京競馬場かあります。
ほぼ調布は東洋のラスベガス。
公営ギャンブルの聖地ではありますが、かつては私設ギャンブル場もありました。
その手の店を仕切る人もおり、ガラの悪い連中も多く、雰囲気が悪い地域でした。
学生の頃アルバイトをしようとしたところが調布でした。
しかし面接に行ったところがけっこうヤバそうな人たち(カタギじゃない系)でした。いまでいう闇バイトに近いヤツ。
反社が運営するようなところがアルバイト雑誌に載っていたこと自体がおかしなことなんですが、そういうのがごくまれに混ざっていた時代だったようです
面接をして採用となったのですが「これゼッタイヤバいヤツ」と思い、辞退しました。それ以降あまり調布には近寄りませんでした。
たぶんその人たちはもう隣町の塀の向こう側にいるので安心でしょう。
現在はキレイになりました。
京王線は地下を走り、駅前はキレイに整理されています。なんとなく当時の面影が残っているところもちらほらありますが、駅前は大きな商業施設ができ、昔のようなきな臭い雰囲気はなくなりました。少し寂しい感じもしますが、このように街は変化していくものです。でも探せばかつての調布があるかもしれません。本日は調布駅前を散策します。
調布にはむかし遊郭があったそうです。
調布は甲州街道沿いにあります。甲州街道は都心から新宿を経由し山梨まで行く街道で、その道中にあるのが調布です。
新宿、高井戸、そして調布の順番で宿場町があり、ここ調布に遊郭ができたんだそうです。まぁ新宿にも現在の二丁目あたりに岡場所があったし、府中にも飯盛り女がいたそうです。下高井戸にも大正の頃に遊郭ができたそうです。
結局どの宿場町にも遊郭があったようです。
調布という名前は税金のことを指す租庸調の「調」の字と「布」からきているんだそうです。
このあたりは布の製造が主な産業だったんだそうで年貢の支払いも布で支払っていたそうです。そのため「調布」となったらしいです。調布市内の町名をみても「布田」や「染地」といった布が関係しそうな名前のところもあります。
昔は町名にある「布田」と呼ばれており国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿を合わせて布田五宿といったそうです。どれも小さな宿場町だったので「5宿揃って布田五宿!」と言っていたのでしょう。
甲州街道の起点は日本橋。
最初の宿場町は内藤新宿、下高井戸、上高井戸と続き、次が国領宿となります。日本橋から国領までの距離がおよそ23km。当時の人は一日40kmくらいの距離を歩いていたんだそうです。日本橋から調布だとちょっと近いです。府中で30kmほど。初日の宿は府中あたりを選んでしまいますよね。反対に山梨の方から来た場合、神奈川の与瀬宿(現在の相模湖駅付近)がちょうど40kmの距離です。でも山梨から来る場合も手前の府中宿に立ち寄った人が多かったのでしょう。府中と調布の距離が5kmですからね。このように客の多くは府中に取られていたのでしょう。
そもそも調布はそこまで大きな宿場町ではなかったようです。
でも小さくても遊郭があります。遊郭を餌に客を呼んだんでしょうね。まぁどこもかしこも宿場町は遊郭だらけですが...。
こちらゲゲゲの鬼太郎です。
水木しげるといえば鳥取のイメージがありますが、調布も水木しげるゆかりの地のようです。
川崎にも藤子・F・不二雄関連の施設がありますが、全く藤子不二雄と川崎がつながらないんですよね。
藤子・F・不二雄が結婚後川崎の生田に引っ越してそこに住んでいたため、それがゆかりの地の理由なんだとか。
水木しげるのゆかりの地ってのも当人が調布に住んでいたことに起因します。
この天神通り商店街は布田天神の表参道でしょうか。道の両脇には飲食店が並んでおります。
商店街入ってすぐのおもちゃ屋さん。水木しげるのあやかって鬼太郎グッズ前面に出していると思いきや、鬼太郎関連のものは特に売っていません。
参道にはオシャレなカフェもありますがホルモンを扱う焼肉店や博多料理屋が目立ちます。
布多天神社で祀られているのが菅原道真公だからなんでしょうか。
ってわけではなく、博多料理が人気なだけでしょう。
こちら布多天神社です。調布の守り神なんだそう。
神社の手水舎ですが最新式となっています。
新型コロナウイルスの影響で柄杓を使わない神社が増えています。これも「新しい生活様式」となるのでしょうね。コロナの影響で「右手で柄杓をもってー」みたいな作法は消えてなくなるかもしれません。
こちらの手水舎は人感センサー搭載なので近づくと水が勝手に出るんです。こうやって神社も進化していくわけですね。
境内は撮影禁止。お参りはしておきました。
この布多天神社は調布の守り神的な存在。
ここは調布の中心地で、ここより少し東側に宿場町があったんだそう。
甲州街道の南側に旧甲州街道が走ってます。この道沿いに宿があり遊廓があったようなんです。
でも時代も変わり、あたりは住宅街になっておりました。
現在も道の拡張工事が続いており、遊廓の雰囲気は一切ありません。遊廓が解体した後は仲町特飲街として赤線営業をしていたようですがその跡形も残ってません。現在は飲み屋が数件とマンションが建っています。
このように街は変貌を遂げましたが、一箇所だけそれっぽいところがありました。
調布百店街です。
原色の黄色い看板に黒のゴシックフォント。昭和な感じが凄いします。
この雰囲気、オラ、ワクワクすっぞ!
居酒屋、中華にスナック、ガールズバー、そしてそれ系のサロンが一つ。
ここが江戸時代から続く布田五宿の流れを汲む場所です。調布駅前は再開発され大型商業ビルだらけです。ビルの中には飲食店がありますがチェーン店や少し小洒落た雰囲気の店ばかり。この商店街にあるような接客を伴う飲食店や昭和の頃から地べたに足つけて営業している居酒屋はここにしかないのでしょう。
「百店街」とついていますが店舗数はそこまで多くありません。
レディースパブおしゃれ泥棒。オードリー・ヘプバーン主演の映画「おしゃれ泥棒」から名前を取っているのでしょう。
スナック来夢来人(ライムライト)に並んで日本国内で多い名前です。おしゃれ泥棒という店名も素敵だし雰囲気がいいですね。
いわゆるここは夜の繁華街。スナックやクラブ的な店は多くあります。それと一緒に美容室もあれば化粧品店もあります。
フィリピンパブもあります。
一階には居酒屋が、二階には接客を伴う飲食店の造りになっています。
規模は小さいですがこじんまりしている飲み屋街も素敵ですね。
一応ここが宿場町だった名残りのある場所でしょうか。料亭や旅館でも残っていれば雰囲気が楽しめたのですがね。
下布田宿は遊廓解体後にカフェーという特殊飲食店に変わり、このあたりは赤線街になったそうです。そして売春防止法施行により赤線は解体。唯一残ったのがピンサロ(飲食店)でした。
このピンサロ、当時のカフェーと考えてよいんじゃないでしょうか。届出上飲食店だし。
ここに来れば赤線時代を味わえるかもしれないし、味わえないかもしれません。
昔のように交通の便が悪いわけでもなく電車で20分もあれば新宿に出れる距離です。調布だと新宿から深夜バスも走っています。そのためここで飲むよりも店の多い都心に行く人が多いのでしょう。さらには感染症の影響で飲み屋の営業はしんどくなっています。ワイワイガヤガヤするような飲み方は好まれず、宅飲みに移行している人も多いのでしょう。
調布百店街も今回の感染症騒動で苦境に立たされているでしょう。飲食店はどこも大変です。調布のピンサロも生き残って欲しいです。
でもこれって性風俗店ですよね。
違います。何度でも言いますがピンサロは飲食店です。たとえ食べ物が提供されなくても、提供されるのがウーロン茶しかないところだとしても、ここは飲食店なんです。黒服が懐中電灯もってないと案内できないくらい薄暗い室内ですが、これは飲食店。現代版のカフェーです。
遊郭だったところが赤線のカフェーを経てピンサロへ。
これこそが江戸の頃から脈々と続く調布の文化。今後もこの文化を次の世代に継承していってほしいです。