山林生活

ビルの隙間に住む人たち。ホームレス村の住人こそ新宿の目

ビルの隙間に住む人たち。ホームレス村の住人こそ新宿の目

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こちらは新宿の地下街にあるパブリックアート「新宿の目」です。アーティスト宮下芳子さん制作のレリーフです。

この場所はスバルビルの地下でした。現在スバルビルは解体され新たなビルを建設中です。その際に新宿の目が撤去されるかもと言われていましたが、今のところ撤去する予定はないそうです。新宿の象徴でもある新宿の目。これは残してほしいですね。

この新宿の目は1969年に制作されました。
それから50年、新宿は大きく変わりました。この目ができた当時は新宿新都心計画が発足したばかりでまだ高層ビルが建つ前。西新宿は淀橋浄水場があり、今のような雰囲気はありませんでした。
1970年代に入るとビル建設ラッシュとなり、今の高層ビル群のある街へと変わりました。しかし今建っているビルは老朽化のため建て直しの時期のようです。スバルビルの解体もそれが理由なのでしょう。このように街は常に変化しています。そのような街の地下にある新宿の目。新宿の様々な変化を見てきたのでしょう。

制作の意図は「世相を見る」ってことのようですが、それは表向きの説明のようで、本当は「いい男を物色している目」なんだそうです。

三大欲求の一つである性欲。性への探求心は生きる上で必要不可欠なのでしょう。

そう考えると浅草にあったこのオブジェも性への探求心の表れなのでしょう。

新宿西口の地下道。新宿駅から地下道を西に行くと都庁に着きます。今はキレイになりましたがかつては地下道に多くのホームレスが住んでました。バブル崩壊後の1992年頃から段ボールハウスが目立ち始め、一時は多くのホームレスがここに住み、村が形成されていました。まだ私が子供の頃ですが、西新宿の地下街は饐えた匂いとアンモニア臭が混ざり合い、通るのをためらうくらい酷い場所でした。

1996年に動く歩道を設置するため強制排除に乗り出し、通路の段ボールハウスは撤去されました。その後も地下広場のところにホームレス村が形成されましたが1998年に不審火により火災が発生、それにより死者が出たためホームレス村はなくなり、そこに住んでいた多くの住人は施設に移住したそうです。

今はホームレスがいなくなりました。新宿地下街の一部は23時を過ぎるとシャッターが閉まり通れなくなります。また監視カメラがあるので路上に寝泊まりをしている人がいたらすぐに排除されるのでしょう。

世界一乗降者数の多い駅新宿であり、外国人利用者も多い場所です。そのようなところにホームレスはいません。今はクールジャパンを前面に出しているようです。

クールジャパン!

首都東京のシンボル、東京都庁舎です。バブル期に建てたため「バブルの塔」と言われていた時もあったそうです。都庁はよく行くのでここの4階にある食堂も頻繁に行きました。

そう。ここは東京の中心地なんです。

そのような巨大ビル群の狭間に住む人たちがまだいます。

都庁駅の入り口脇なので徒歩ゼロ分の立地。

かつては都庁通り下のところに多くのホームレスが住んでいました。98年にホームレス村がなくなり住民らは施設に入ったとのことですが、全員が入ったわけではなく、また入居したものの馴染めずに逃げ出した人もいたでしょう。そして新しいホームレスは毎年出てくるので、対策を講じなければ増え続ける一方です。

突き当りのワシントンホテルのあたりから都庁駅までの300mの間、NSビルの脇に段ボールハウスがありました。段ボールハウスというよりダンボールを床に敷いてるだけの人が多かったです。家をつくるのではなく朝が来たら別の場所に行き、夜に戻ってくる。または別の場所に移動する、古い言い方をすればジプシースタイル。最近の言い方をすればアドレスホッパー(住所不定だけど)。

この形であればそこまで迷惑をかけないのですが、東京の象徴である都庁の真下が、東京の象徴になるのを恐れたのでしょうか。東京オリンピックが決まったころ辺りから排除するようになったようで、今はホームレスがいません。ただ移住型ホームレスなので夜にならなければ現れないのかもしれません。

ってことで夜にまた見てまわります。

こちらは新宿中央公園です。ここにも多くのホームレスがいましたが今は一軒だけのようです。

この通り沿いは酷かったんですが、もう居住者は少ないです。
ホームレスの一人がポイ捨てされたタバコを拾い集めほぐして新しいタバコを自作していましたが、喫煙率の低下、電子タバコの発達、喫煙場所の制限によって拾えるタバコは減っているのでしょう。禁煙文化は喫煙率の高いホームレスの楽しみを奪ったようです。

昔は木々が生い茂ってて日中でも暗かったのですが木を伐採し明るくなりました。
排除した結果なのでしょうか。ホームレスしかいなかった公園が日中は遊具で遊ぶ子供を見れるようになりました。たしか震災の頃にホームレス小屋は一掃されていました。それ以前はあまり近寄りたくない場所でしたが今は普通の公園です。

新宿にホームレスがいなくなったわけではないので寝泊まりできないように椅子は座れなくなっていて鍵がかけられています。

トイレに企業名がついています。おそらくネーミングライツ施設なのでしょう。企業としてもトイレが汚いとブランドイメージが悪くなります。そのためちゃんと清掃が行き届き、ホームレスが寝泊まりしないよう警備員が巡回、監視しているようです。

都庁下のところにきました。立入禁止のポールがあるため人はいません。
誰かが入り込んでもすぐに警備員が駆け付けるのでしょう。監視社会によりホームレスも生きづらくなりました。

ホームレス小屋があるのはこの道くらいのようです。ほかは撤去されたけどここはできない理由があるのでしょうかね。

ペットボトルの蓋はキロ10円くらい廃プラ業者が買い取ってくれるようです。蓋の重さが一つ2.5gなので400個は必要になりますね。400個集めても10円にしかならないのです。でも最近ではメルカリで100個300円で売れるようです。子どもの工作で利用するのに使うそうで、ネットを駆使すればゴミがマジで宝になる可能性を秘めています。やり方次第では都市型ホームレス生活も有意義に過ごせるかもしれません。

都庁前はこんな感じですが、最近思い出横丁から新宿東口に抜ける旧青梅街道の角筈ガードのところにホームレスが増えています。西口から東口に行くショートカットの道で利用者も多いのですが、ちょっと臭いがアレだしどうにかしてほしいものです。

角筈ガードは以前ホームレスのたまり場だったのですが、2009年に改装工事をした際に排除されました。
キレイになり通りやすい道になったのですが、多分コロナが始まってから増えだしたのでしょう。今は道の半分に寝泊まりしている人たちがいます。

雇い止めや解雇によって働き口を失った人たちが新宿に集まります。今回のコロナで職を失った人もいるでしょう。家庭を失った人もいるかもしれません。
福祉が充実していると言われる日本ですが、手続きが複雑でそれを理解できない人もいます。貧困者向けのNPO法人が手助けしてますが、中には貧困ビジネスの駒としか思っていない団体もいるようです。助成金や補助金、生活保護費を吸い上げられ、当事者は貧困のまま。施設に入っても人道的な扱いをされないため逃げ出す人も多いようです。その結果、再度新宿のビルの隙間に戻ってくるのです。このような事例は以前から一定数ありますが、2020年以降にそれが増え始めたようです。

感染症に戦争。まだまだその影響は続いています。世相がそのまま新宿の街に反映されているようです。まさにホームレスこそが“新宿の目”なのでしょう。

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