宿場町として栄えた千住にあった柳遊郭の名残りを探せ!

本日は北千住に来ております。
東京都足立区千住。
えっ!?北千住って東京なの?埼玉じゃないの?
そんなふうに言われることもありますが、北千住は東京23区内です。
北千住は江戸時代、日光街道及び水戸街道の最初の宿場でした。
千住宿と呼ばれ千住大橋の南北に宿場があり、南は南千住駅辺りから北は北千住の辺りまで。千住宿の北側だから北千住となったのでしょう。ちなみに幕府が江戸と定めた領域は隅田川まで。南千住は江戸で北千住は江戸じゃない。
つまり北千住、東京じゃなかった!
いやいやそれをいったら東京の西側、ほとんど江戸じゃなかったんです。
狛江とか調布とか稲城市とか。
今ですら東京かどうか怪しい地域。
そんな江戸の外側にあった北千住。
今も賑やかな街並みですが古くから宿場として賑わっていました。

こちらの浮世絵は葛飾北斎が描いた富嶽三十六「景従千住花街眺望ノ不二」です。
富士山の手前に囲われた家が花街のようです。
江戸時代の幕府公認の花街は江戸の吉原、京の嶋原、大坂の新町の三か所だけ。つまりこちらに描かれてる新吉原遊郭のようです。
1830年代に描かれた浮世絵。200年前の花街が今のソープ街。歴史を感じます。
今のソープ街は花街と違えどやってることは変わりません。吉原では200年前と同じことが感じられます。
肉体的に。
お話した通り花街があったのは吉原だけでした。
それじゃあ江戸の人たちはどうしてたの?
わざわざ遊ぶために千束に行ってたの?
当時は送迎なんてないのに?
それは、めんどくさいじゃない。ってことでそういう人のために幕府非公認の花街、岡場所ってのが各所の宿場にあったのです。
宿場には料理を提供する飯盛女がいました。
飯盛女は読んで字の如く飯を盛る女。要は女給、今風に言えばウェイトレス。人手が必要な宿が女性を雇っていたのです。
でも女給だって女の子だもん。
料理をお客に運んでいたら急に恋に落ちる。そんな恋愛があったっていいじゃない。
江戸時代には一時的に恋に落ちる人がいました。
ほぼソープランドのソレ。
岡場所は幕府非公認といっても黙認どころか飯盛女の人数までも管理されていました。
でも幕府が認めていたのは飯盛女だけ。料理を提供する女給を置くことを認めただけです。
幕府「飯盛女?それは女給です」
警察「ソープ?そこはお風呂屋さんです」
ほぼソープランドのソレ。
まぁこんな感じで現代版の特殊浴場街が全国各地の宿場にあったそうです。
とくに品川、板橋、新宿、千住の江戸四宿には遊郭と同等の岡場所がありました。
江戸四宿は日本橋を起点にした最初の宿場。スタート地点から8kmほどのところにあります。
京から江戸まで492km。目的地まであと残り8kmの地点。そんな宿場になんか立ち寄らないでしょ。
日本橋を出発して8km。そんな近場の宿場には泊まらないでしょ。
江戸を出入りするための通過点。そのため人通りは多いけど宿場利用者がいない。宿泊者がいないのは宿場にとって死活問題でした。じゃあどうすれば泊まってくれるか。色々考えた答えが岡場所だったのでしょう。
今の時代でもあるでしょう。呼べる呼べない問題。
呼ぶ呼ばないは別としてとりあえず呼べるホテルか確認するでしょう。
呼ぶ呼ばないは別として出張先ホテルなのかネットで確認するでしょう。
呼ぶ呼ばないは別として即ヒメがいるかどうか確認するでしょう。
こいつ呼ぶ気マンマン。
江戸四宿では即ヒメを求める顧客をターゲットにしたのです。
つまり江戸四宿は呼べる宿だったのです。
こちら千住宿にも岡場所があり飯盛女が150人ほどいたそうです。
そんなわけで千住宿は大変賑わいました。

こちらは旧日光街道です。
この街道沿いに宿場がありました。現在は千住ほんちょう商店街になっています。
今でも結構賑わいのある商店街。生活に役立つ店が100軒ほどあるんだとか。見た感じだと飲食店が結構目立ちます。

この路地の奥、かつて特殊浴場がありました。
ほぼソープランドのソレ。
住宅街の中ですがソープがあったそうです。
不自然な場所ですがここは千住宿の中心地。これは江戸時代から脈々と続く岡場所の名残り。北千住では歴史を感じることができたんです。

でも2011年には閉店したそうです。
もうここではそれを味わえません。しかもこちらにあったお店、本番なしの特殊な特殊浴場だったのです。
なーんだ普通のお風呂屋さんか。

この辺りが千住宿の中心になるのでしょうか。
こちらは本陣が置かれてたところです。本陣とは大名や幕府役人が泊まる宿泊施設。公務員専用のホテルといったところでしょうか。ここには多くの役人が宿泊してたようです。

その本陣の近くには見番があります。
見番とは芸者を手配する手配屋さん。見番が置屋より芸妓を手配する、今風でいえば風俗受付所になるのでしょうか。
店舗型ではなく受付型。受付を済ませてホテルに行くスタイル。要はホテヘル。
受付所そばに役人の宿泊施設。
今も昔も水商売の上客は公務員だった。

千住には女郎屋が各所に点在してたそうです。しかし1872年に芸娼妓解放令が発令されると翌年には女郎屋は廃業となります。その際に芸妓組合ができ見番を設置したそうです。
芸娼妓解放令は売春を規制したのではなく人身売買を規制した法律。それなので自らの意思で娼妓になるのは別です。解放された娼妓は 自らの意思で売春を始めます。そのため女郎屋は貸座敷に転業しました。座敷を貸すお店だから貸座敷。自らの意思で売春をする娼妓に対して座敷を貸す。つまり個人事業主の娼妓に座敷を貸してるだけ。
ほぼソープランドのソレ。

こちらは北千住駅近くにある寺院「金蔵寺」です。
真言宗豊山派の寺院でご本尊はエンマ大王。
同寺院には遊女の供養塔があります。
いわゆる投げ込み寺と呼ばれるところです。
吉原の近くにも投げ込み寺がありました。品川、板橋、新宿にも投げ込み寺がありました。
遊女は身売りされて連れてこられた人たち。そのため身寄りもありません。
死んだら捨てられる。
その受け入れ先が投げ込み寺だったのでしょう。

こちらが遊女の供養塔です。
江戸時代の遊女の寿命は22歳くらい。主な死因は梅毒でした。

供養塔下部には遊女の戒名がかいてあります。
また大黒屋と中田屋とも書かれています。この屋号は女郎屋のものでしょうか。
明治以前は人身売買が当たり前だったため、売られた遊女の末路はこのお寺だったのでしょう。
江戸時代より300年続いた千住の岡場所。
明治に遊郭となりますが1921年に移転します。
当時すでに北千住駅は開業しており、ここにあった花街はほぼ駅前ソープのソレでした。
人が往来する駅前。風紀的な問題もあったのでしょう。
そのため1kmほど離れた千住柳町に移転します。

こちらが遊郭があった千住柳町になります。
この付近に大門があったそうです。

遊郭のあったところは碁盤の目になってます。
遊郭といったらこの形。中央の道が大門通りなのでしょう。

大門前の道は千住大門商店街があります。
遊郭はなくなりましたが大門の名は残ってます。駅から離れた商店街。
かつては賑やかだったのでしょうが今は静か。
北千住駅まで徒歩圏内の千住柳町なので買い物は駅前で済ますのでしょう。

こちらは商店街にあるお寿司屋さんです。
かなり年季が入ってます。創業70年ってことなので赤線時代からあるお店。
現代じゃ風俗行ったあとはラーメンか中華ですが、その当時は赤線行ったあとに寿司を味わう。そんな粋な遊び人がいたのでしょう。

千住柳町の中はこんな感じです。
空襲被害が少なかったってことですが遊郭が設置されてから100年以上経過してます。
古い建物は取り壊され新しくなってます。遊郭があったと思えないくらい普通の住宅街です。
1921年に誕生した千住柳新地。
隅田川を渡った先には吉原遊郭がありました。距離にして5km。
どうせ登楼するなら日本一の遊郭へ。誰しもが吉原に行ったのでしょう。
近場に吉原があったんじゃ人気がなさそう。
実際に遊郭設置当初は人気がなかったようですが、1923年の関東大震災で状況が変わります。死者10万人、約37万棟が焼失した関東大震災。遊郭も無傷ではなく吉原は広範囲で焼失。都内にあるほかの遊郭も被害が酷かったそうです。でも柳新地は大きな被害がなかったようで都内にあふれる遊郭難民が集まったんだとか。それにより柳新地は発展したそうです。
繁栄は終戦まで続き、戦後は特殊慰安所へ。そして赤線の時代を経て1958年、売春防止法施行とともに赤線は廃業しました。
最寄りの吉原はソープ街にになりましたが、千住は普通の住宅街になりました。
北千住は駅前が栄えてて都心に出やすい立地です。駅前ほど賑やかでなく閑静な住宅街。
程よく駅に近いここは住むのに最適なのでしょう。今は普通の住宅街で遊郭の名残りはありません。

遊郭だったとわかるものは電柱くらいでしょうか。
電柱には廓の文字が確認できます。結構直接的な地域名。

こちらには銭湯があります。
かつて郭内だったところにある公衆銭湯。赤線廃業後に風俗街になっていたらここには特殊浴場ができていたのでしょう。でも千住にはそういう店はできませんでした。

こちらは国道4号線、通称、日光街道です。
宿場こそないですが国道4号線が整備されたのは江戸時代に街道が通ってたからでしょう。そう考えると道を見るだけでも歴史を感じます。
交通量の多い国道。
400年経った今でも主要街道となってます。

そんな国道沿い、なんか怪しいお店があります。
これは花魁が出て来そうな雰囲気のお店。
和風リラクゼーションスパって書いてあります。
なーんだ普通のエステか。
でもこちらのお店は日本人です。大体の店がチャイナかコリア。日本人キャストの店ってのは珍しいです。これは花魁が期待できるかも。

でも風俗店ではありませんと書いてあります。
なーんだ風俗店じゃないんだ。
でもここ、かつてトルコ風呂があった場所です。
なーんだ風俗店か。
交通量がめちゃめちゃ多い日光街道沿い。そんなところになんか怪しい店があるんです。
かつてトルコ風呂があった場所。要は現代版の花魁がいたところ。そんな跡地にあるリラクゼーションスパ。ここは普通のスパなんだろうな。だってここに風俗店じゃないって書いてあるし。
風俗じゃないって書いてあっても疑わしきこと山の如しでしょ。
遊郭があった千住柳町は国道4号線の西側。ここから少し離れたところにあります。特殊浴場って遊郭跡地にできるもんでしょ。でも北千住のその手の店、遊郭関係ないところにできちゃってるんです。かつての女郎屋があった時のように。
柳新地のあったところは駅から少し離れてたし、やっぱ人通りの多い場所に移ったのでしょう。
北千住の駅前に移りたい。そうすれば多くの客が期待できる。でもさすがに駅前はやりすぎ。だから国道沿いを選んだ。遊郭跡地は住宅へ、国道沿いはソープへ。そのあたりちゃんと節度を守ってるようです。

ちなみに東京電機大学がある北千住駅東口側、こちらにはかつてソープがありました。
節度がまもられてねぇ。
駅前だから繁盛店だったのかもしれませんがそちらのお店も平成時代に閉店してます。
大学がそばにある駅東口側。
やっぱりそういった店は必要ないのでしょう。

でも特殊浴場のあったあたりはラブホ街になってます。

北千住は一カ所にまとまってないんです。でもほんとにこんなところに特殊浴場あったの?
だってこの店、風俗店じゃないって書いてあるし。見た目普通の雑居ビルだけど。

こちら、ビル目の前のゴミ置き場です。
ほら、こちらにはヘルス千住の文字が見えます。
これ、歴史がここに残ってるってことですよね。
よくあるじゃないですか。郭そばの神社の玉垣に妓楼の名前があるのと同じ。
これはある意味文化遺産。ここに風俗があったって証拠です。
ってことはやっぱこのエステそっち系なんじゃ...。
いやここは普通の店なのでしょう。以前あった店は特殊浴場からヘルスに転業。しかし2019年7月に摘発により閉店しました。まだ閉店してから10年経っていません。そんな店があったところにあるエステ店。間違ってくる客がいるのでしょう。だから風俗店ではありませんと書いてあるのです。
ホントに!?







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