山林生活

【東京の最下層社会】川の先住民が住む集落。六郷土手ホームレス村

【東京の最下層社会】川の先住民が住む集落。六郷土手ホームレス村

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川崎は東海道五十三次の宿場町でした。
日本橋を出て品川の次が川崎。朝、日本橋を出ると昼くらいに川崎に着くんだそう。そのためその当時の旅行者は川崎宿で昼飯を食べたんだとか。

こちらは旧東海道沿いにある「東海道かわさき宿交流館」というところ。当時の川崎宿の様子などを紹介する施設なんだそう。

【東海道中膝栗毛】そうだ京都いこう。東海道五十三次【日本橋】
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日本橋より500km離れた京都に向かいます。暑い夏、何も問題なくたどり着けることができるのでしょうか。現代版東海

以前東海道五十三次を京都まで行きました。その際は昼前に日本橋を出てランチは品川。川崎はそのまま通り過ぎただけ。その時もコロナ蔓延で営業自粛により交流館には入れず。現在は営業しているようですが、蔓延防止措置の状態なので行くのは辞退しました。

川崎が発展したのは多摩川があったから。川を渡る船が出なければ渡ることができず、そこで待機となります。京から江戸に向かう際、多摩川手前の川崎宿で足止めになることも多かったんだとか。多摩川は京と江戸をつなぐ東海道の交通の要所。今日はその多摩川の雰囲気を味わいたいと思います。

多摩川の反対側は大田区の六郷土手という場所。川幅は河口も近いので広いです。向かいの川沿いには木々の隙間からブルーシートで覆われた家屋が見えます。

今でこそ神奈川県の第二の政令指定都市となりましたが、昔は川の氾濫が酷く、沼地の多い場所でした。多摩川は暴れ川と言われており、これまで何度も洪水が起きています。そのような東海道の難所である多摩川に家康が六郷大橋をかけました。しかし洪水により幾度か流され、1688年に流出して以降は200年ものあいだ橋はかからず渡し船で行き来していたのです。作ったところですぐに流されるならば作らなければよいとなっちゃったのでしょう。
再度橋が架けられたのは明治七年なってから。木造の橋が架けられたもののまたもや洪水により流出。コンクリート造の橋が架けられたのは大正14年で現在の橋は昭和59年に架けられたそうです。

これより多摩川を渡り六郷土手に向かいます。
昔川崎に住んでいたころ、この橋を渡って六郷土手まで行っていました。
六郷土手は大田区です。このあたりの主要駅は大森や蒲田ですが、川崎駅の方が近いためこの辺に住む人は橋を渡り神奈川に来るのです。“この辺”とは六郷土手の中に住む人たち。六郷土手には川崎の屋台で知り合った人が住んでいました。同じ匂いがするのか、その時はホームレスの知り合いが多かったです。

六郷土手にある止め天神という天神様。徳川吉宗の馬が暴走した際に落馬を止めたことから「落馬止め神社」と呼ばれるようになったんだとか。天神様は学問の神様なので「落ちない」にあやかり受験生が参拝するんだとか。私はもう落ちるところまで落ちてしまいました。あとは地獄に落ちるかどうかといったところ。ダメ元ですが地獄に落ちないように参拝していきます。

六郷土手駅。こちらには徒歩でしか行ったことが無かったので一度も駅を利用していませんでした。

駅前に老舗っぽい和菓子屋があります。100余年前に創業ってことはコンクリート橋ができたくらいってことでしょうかね。

これより多摩川河川敷に向かいます。

河川敷は整備され野球場やサッカーグラウンドなどが出来ています。こちらは河川敷のゴルフ練習場。休日でコロナ蔓延のため屋外で過ごす人が増えているようで結構混んでいます。

この辺りには屋外に住む人が多く住んでいます。そうです。ボクの友達がいた場所です。
多摩川の川崎側は護岸工事がされており河川敷が狭いです。唯一戸手四丁目あたりの河川敷が広くなっておりそこに住んでいた人がいましたが、立ち退きとなり現在はかなり少なくなっています。
多摩川の六郷土手側はグラウンドが出来るくらい河川敷が広いです。グラウンドの先は川沿いとなりますが、そこに一つの街が形成されています。一時はかなりの数の人が住んでいました。
土手に住むぐらいであれば生活保護を申請した方がよいという考えもありますが、ホームレスになるのは必ずしも金銭的な問題だけではありません。まぁ金が稼げないからこのような場所に住むしかないのですが、対人関係が上手く築けないって人や精神疾患を抱えている人が人目を避けるため河川敷に住んでるってケースもあります。ケースワーカーの人とかかわることを嫌っている人もいます。
人目を避け、河原に住む。そういう人たちが大勢集まり結局コミュニティができちゃってるんです。ここでも対人関係を築かなければならないということです。この街に住むのもこの街の法律を守らなければならないのでしょうね。

住まいではなく家財をまとめてブルーシートをかけてあるだけのようです。

地面は砂地となっており水を含んでいます。水面の高さはこの場所とさほど変わりません。雨量が多ければここは川になりそうです。
橋桁とブルーシートで雨は防げるのでしょうが、増水は対応していないでしょう。

護岸工事、洪水対策が進んでいる多摩川ですが、ここは対策外の地域である河川敷です。雨が多ければ川の中となる地域です。2007年の台風9号のとき、台風による増水で河川敷の住宅が軒並み流れてしまったこともあります。その当時は河川敷に1000人ほど住んでいましたが全ての家屋が流されました。
武蔵小杉に甚大な被害を与えた令和元年東日本台風のときも河川敷タウンは武蔵小杉以上の被害があったようで、川崎側では台風被害以降ホームレスの数が25%減ったそうです。減った理由は河川敷の住まいが流されて住む場所を変えたか、住居もろとも流されてしまったのか。まだその台風の時の爪痕が残ったままのようです。

ほぼほぼけもの道ですがこの先に住宅が点在します。

タヌ公の墓と書かれた木製の墓標。
コンクリートジャングル東京といっても比較的自然が残っている場所があります。この多摩川もそのうちの一つで野生生物が生息しています。名前から察するにタヌキなのでしょう。またタヌキだけでなく野良猫も多く住んでいます。気のいい人たちが猫に餌を与えているのでしょう。

社会に捨てられた人たちが、捨てられた猫を育てているっていう弱者が弱者を救う世界がここにはあります。ネコたちのセーフティーネットはセーフティーネットから漏れた人達が運用しているようです。

知り合いだった人の家があった場所はこの辺りだったと思いますが、台風で壊れ放置された状態です。草木が生い茂っていて中に入ることができませんでした。知り合った人は別の場所に行ったのか、別の場所に逝ったのかはわかりません。知り合ったのは京急川崎駅前にあった屋台です。飲み友達となりお宅訪問をしたことも。名前も聞かず、「川の人」と呼んでいましたが、今はどこに住んでいるのでしょうかね。

川の人って呼んでましたが、ここの人たちみんな「川の人」でした。

家を建てても台風一発でお釈迦となるようでは立派な家は建てないのでしょう。200年橋が架けられなかったのと一緒。壊れるものに注力しない方がよいというわけです。そのため木の棒にブルーシートを引っかけるテントのようなつくりにして、壊れたら捨てるというのを繰りかえしているのでしょうね。

川崎に戻ります。行先は幸区です。

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