【消えた香港の凶悪スラム】令和最新版の九龍城砦を探せ!
こちらは香港市内にある九龍寨城公園です。かつてここに九龍城砦というスラム街がありました。
九龍城砦がスラムとなったのには理由があります。
イギリスはアヘン戦争の末1843年に香港島を、1860年に九龍半島南部を中国から譲渡され統治しました。そして1898年「香港の防衛のため」という名目で99年の期限付きで新界地区を租借しました。九龍城砦は租借地内にありましたが、特別条項で管轄権は中国のままとなりました。
飛び地を作った理由は定かではありませんが、あわよくば香港を奪い返そうとしていたのでしょうか。城内に清朝兵士400名とその家族200名が滞在しました。つまりイギリス領の中に中国があった状態でした。
しかし翌年には清朝役人を追い出しています。追い出した理由は役人が祝い事で爆竹を鳴らしたのでイギリス人がびっくりしたから。
びっくりしたから出てけ!ってことで役人がいなくなった九龍城砦。役人がいないためイギリスは九龍城砦を占領ができる。でも占領すれば条約違反となる。そのため九龍城砦は誰にも管理されていない土地となりました。
その後香港は日本が統治したり再度イギリスが統治したりしましたが九龍城砦は手付かずの状態でした。
九龍城砦は統治する人がいないため秩序の無い世界だったのです。
戦後は中国の内戦で香港に難民が押し寄せ九龍城砦に住むようになったんだとか。つまりここは異国の民が集まる場所だったのです。また難民の中にはカタギじゃない人もいたようで三合会っていう暴力団も誕生したそうです。
ヤクザのいるスラム街。治安はかなり悪かったようです、
状況が変わるのは1984年の英中共同声明。予定通り99年の租借が解除され中国に返還させる話が現実味を帯びたため香港政府が九龍城砦の取り壊しに着手するようになりました。取り壊し当時の人口は5万人。九龍城砦の広さは東京ドームの半分程度の広さ。ちなみに東京ドームの収容人数はコンサートの場合55000人なので九龍城砦の狭さがよくわかります。
九龍城砦はもうなく、キレイな公園となりました。この付近は多くの公園がありますがそれらすべてスラムだったところなのでしょう。九龍城砦のスラムは酷く売春、薬物、賭博などが横行し無法地帯でした。九龍城砦の内部は治外法権で危険地帯でしたが自警団が治安維持をしていたためまだ安全でした。それ以上に近隣は荒れていたんだとか。でもそれらも一掃されたようです。
こちらには九龍城砦の模型があります。
継ぎ足し継ぎ足しで違法に作られた家。主権が及ばない無法地帯だったためどんどん広がっていったのでしょう。
東洋の魔窟「九龍城砦」
今の香港は治安が維持されている法治国家です。もう九龍城砦のようなところはないのでしょう。
でも九龍城砦に雰囲気が似たところが香港市内にはあるようです。
こちらはチョンキンマンションです。
1960年に建てられた複合ビルで両替所や飲食店、簡易宿泊所などいろんなものがごちゃ混ぜで入居している雑居ビルです。
ネイザンロードという目抜き通りのようなところに面しており付近にはハイブランドの店もあるのですが、それとまじりあってチョンキンマンションはあります。外観は至って普通ですが、マンションの中は異世界になっているようです。ゲストハウスや商店を営業しているのはインドやパキスタン出身の人が多いようです。そんなわけなんで飲食店もインド料理が多いんだとか。
香港はフィリピンとインドネシア人が多いようですが次いでインド、パキスタン、ネパール人が多いようです。インド人が多いのはインドも香港もイギリスが統治していた時期があったため。
人手不足でインド人を移民させたのが香港に多い理由なんだとか。そういえばジャッキーチェンの映画プロジェクトAにもインド人の傭兵みたいなのが出ていました。その当時は香港のコメディカンフー映画って認識でしたが、歴史背景を知るとまた違った楽しみ方ができそうです。
実際のチョンキンマンション内部はインドだけでなく中東系の人もいるようです。パキスタン人の店でしょうか。ハラル料理店があります。
チョンキンマンションの二階です。シャッターが閉まっていて営業している店は少ないです。店はスマホ販売店と飲食店。こちらも南アジア感が強め。海外に行くとスマホを扱っている小売店を多く見かけますが果たして生計が立つのでしょうか。店舗を借りれるってことは採算がとれているのでしょうがナゾが多いです。
こちらはチョンキンマンションの近くにあるミラドールビルです。結構ディープな雰囲気があります。両ホテルともバックパッカーに人気のようで安宿が結構あります。香港中心地ではリーズナブル。といっても円安物価高で安くても3000円ほどします。部屋は狭くベッドしかないようなところ。そして衛生的ではない。ゴキブリを見ない日のほうが少ないようで安宿に泊まるのを躊躇してしまいました。
チョンキンマンション同様に一階には両替所と飲食店、そしてナゾのスマホ小売店。
ネイザンロード沿いは歓楽街になっており香港らしい雰囲気を味わえるスポットになっています。アクセスがよく賃料の安いこれらの安宿は香港旅行者に人気があるのでしょう。
そしてパキスタン人っぽい人が多め。香港にはこんな感じで外国人コミュニティが複数あるのです。
香港の日曜日。セントラルのあたりではフィリピン人が路上でシートを敷いて休日を満喫しています。香港における外国人の割合は8%ほど。約60万人ほどいるのでしょうか。その在留外国人の半数以上が阿媽と呼ばれる外国人メイドなんだそう。
香港の富裕層は外国人メイドを雇っている人が多く、メイドの多くがインドネシアとフィリピン人なんだとか。フィリピン人が雇われる理由は英語が話せるから。子供の教育のために英語が話せるメイドの方が重宝されるんだそう。インドネシアも英語が第二言語のためコミュニケーションがとれるってのが採用されている理由なのでしょう。
三食食事つきで寝床もあるため収入が少なくても人材は供給されるようです。住み込みで働いているため平日はずっと仕事。休日にこのようにして集まるようです。
こちらは旺角駅近く。こちら側はムスリムっぽい人が多く集まっています。おそらくインドネシア人のコミュニティ。仕事が家政婦なので女性ばかりです。このように週末になると外国人を目にします。
こちらは馬頭角十三街ってところです。土冠湾に面したこの場所はもともと工場地だったようですが1950年代後半に住宅地となったそうです。ここにある建物は築60年以上。エレベーターもなく比較的安い賃料で借りれるんだとか。そのため外国籍の人を見かけます。
ハラル料理店もあり中東系の顔立ちの人が多め。そして中東系のところには必ずある自動車修理工場と解体屋。どうやらこの地区には200軒ほど自動車関連の工場があるんだとか。
カラフルな建物が写真映えするってことでフォトジェニックスポットになっているようですが、この界隈を流れる空気は若干重ため。チョンキンマンションよりも十三街のほうが九龍城砦の雰囲気が味わえます。
香港市内はあちこちで再開発をしており、十三街も再開発が検討されているようです。しかし権利関係が複雑で行政が手を出せない状態のようです。中国であれば鶴の一声で権利を白紙にして再開発ができますが香港はまだ民主的なのでしょう。しかしその民主的なところが足枷となり倒壊の危険のある建物が残ったままとなっています。
でも建物が古く危険だから家賃も安く住めるのでしょう。そのような場所に住むのは香港人ではない他の国の人。まさにここが21世紀の九龍城砦なのでしょう。九龍城砦はもう無いため見れませんが、移民の多い香港。低収入のため低廉な家にしか住めない人がいます。そのような人が集まり寄り添いながら自然発生的に第二のクーロン城砦ができるのでしょう。徐々になくなりつつありますが香港には不安要素たっぷりの街が探せばあります。