蛋民に移民に本土民に。土地の狭い香港の住宅事情
こちらは香港仔です。香港島の南岸にある地域でアバディーン・ハーバーと呼ばれる港があります。香港と言えば海のイメージがありますが、香港が国名となった起源がこの場所だったそうです。アバディーン・ハーバーは貿易港でここより船で香木を輸出していたため「香りの港、香港」となったのが由来なんだとか。
アバディーンで有名なのが蛋民でしょうか。蛋民って言葉は聞きなれないのですが、中国南部の湾岸沿いに停泊している船に住む水上生活者です。香港映画では必ず出てきた水上生活者。プロジェクトAが放映されていた当時は当たり前のようにいたようですが、今はほとんど見られなくなっているようです。
日本にも家船(えぶね)という水上生活者がいました。都内だと月島や佃のあたりに船を係留したそうで、1万隻以上、3万人以上が住んでいたそうです。ただこれらは再開発により1980年代には消滅しました。横浜も中村川のあたりに水上生活者がおり、水上生活者の子供のための学校までありましたがそれらも消滅しました。
蛋民の歴史は古く西暦400年頃に起きた孫恩・盧循の乱が由来とされています。つまり1600年以上前からです。
その当時盧循という武将がいました。盧循は三國志に出てくる盧植の血族。盧植はゲームの三國志では王朗の軍師となっています。
その盧循が農民らを扇動し一揆を起こすも失敗し、農民らは土地を奪われ水上生活をするようになったそうです。
国から追い出された棄民。朝廷からは陸に上がることを禁じられ教育の機会も与えられなかったんだとか。いわゆる被差別民です。
そのような状態が1000年以上続いたことから独自の文化ができたそうです。
彼らに人権が与えられたのは第二次世界大戦後でした。
1940年代に15万人もいた蛋民は1970年代以降公営住宅への入居が進み1990年代にはほぼいなくなったようです。現在も水上生活をする人はいるようですが、昔ほど環境は悪くないようです。
こちらのホテルはアバディーン・ハーバーの近くにあります。香港の中心地はセントラルや九龍で、アバディーンは中心地からバスで20分ほど離れたところにあります。香港を楽しむのであれば中心地にホテルを取るのが望ましいですが、中心地は10平米以下のベッドしかない部屋で1泊1万円程度。ゲストハウスでも5000円ほど。そしてその金額を出しているのにあまり衛生的ではないってところばかり。感染症が落ち着き観光客が増加、そして円安物価高によりホテル代が高騰しているようで、ちゃんとした部屋に泊まるなら2万円くらい出さなければなりません。でも中心地から少し離れれば5000円程度で20平米の部屋に宿泊できます。
ゴキブリと南京虫に怯えながら共同水シャワーで過ごすよりもちょっと遠いけど快適に寝れる方がよいじゃないですか!ってことでこちらのホテルに宿泊しました。20分で中心地に出れるならば多少不便でも問題ありません。
ホテル名にカリタスとありますのでクリスチャンのホテルでしょうか。
香港では仏教と道教を信仰する人が大半ですが、イギリス領だったこともあり130万人のキリスト教徒がいます。
こちらのホテルの運営者はカリタス香港。カリタス香港は1953年にカトリック香港教区によって設立された慈善団体。設立目的は貧困者に対する救済でした。
戦後中国で国民党と共産党の内乱がはじまり多くの避難民が香港に逃げてきたそうです。戦後すぐの香港は人口60万人でしたが1950年には210万人にまで膨れ上がりました。当然貧困者も増え、新たな水上生活者も出たのでしょう。ここにホテルがあるのはそういった地域だったからなのかもしれませんね。
カリタスが手を差し伸べたおかげでしょうか。アバディーンにいた蛋民はもういません。彼らの多くは陸地に上がることができました。しかしその陸地では住宅問題を抱えているようです。
現在の香港の人口は750万人ほど。香港の面積は1100平方キロメートルで東京都の半分ほどの大きさでしょうか。しかしその多くが山地のため人が住める場所は限られています。そのため世界で4番目の人口密度なんだとか。狭い土地にどうにか住めるようにするため香港では高層マンションが目立ちます。
土地がないため高い建物を建てるしかない。香港の住宅マンション化は1950年代頃から始まりました。
こちらは深水埗区石硤尾にある公営住宅です。第二次世界大戦後、本土中国の内戦により香港に難民が多く流入していたため低下層民向けの住宅が急務でした。
石硤尾の北側は山となっており、この付近は斜面だったため人が住んでいませんでした。そのため多くの難民がここに掘っ立て小屋を建てて生活をしていたそうです。5万人以上の難民がこの付近に住みだしスラムが形成されました。しかし1953年12月24日のクリスマスイブに大火災が発生し、スラムの大半が焼失しました。難民の住まいがなくなり街にあふれだしたのです。そのためそれを機にスラムクリアランス対策として1954年この地に公営住宅を建てたそうです。
現在はタワーマンションが建ってます。公営住宅のイメージとはかなりかけ離れていますが、こちらも低家賃で住める公営住宅なのでしょうか。
出来る限り多く住めるようにするため各部屋を小さくする。香港らしい景色ですけれどこのように窓がいっぱいあるビルが多いのには住宅不足によるものだったんですね。
日本にある公営団地と似たような街の作りとなっています。街の中心には市場がありここで買い物ができるようになっています。
市場の名前はキムオク商場。日本人にはキンタマ商場としか読めません。
香港の人口750万人ですがそのうちの200万人が公営住宅に住んでいるようです。しかしそれでも住宅問題は改善されず、毎年20万件の入居申請があるんだとか。このように公営住宅に住みたい人が多いのは香港の家賃問題があるからです。
香港市内の賃貸物件は狭い部屋が多いそうですが狭い部屋にもかかわらず家賃が高く20平米で一カ月20万円以上。入居するのに手数料で80万円ほどかかるんだとか。分譲マンションも1億円以上するのが一般的のようです。そもそも香港は世界で一番家賃が高い国なんだそうです。
そんな家賃の高い香港ですがそれを支払えるってことは当然給料もよいのでしょう。香港は二番目に年収が多い国で平均年収は約1000万円。月収80万円程度。そう考えると家賃20万円でもやっていけますね。しかしこの1000万円ってのはあくまでも平均年収。新卒初任給は460万円だし中央値は370万円程度しかありません。年収370万円では家賃20万円のところに住むのは無理でしょう。
家賃の目安は収入の三分の一ってのは世界共通でしょうか。香港の年収中央値で考えると家賃10万円が上限。中心地に住むことができず、中心から外れたところだとしても極小ワンルームになるかシェアハウスに住むしかありません。しかもそれは中央値の年収で住める範囲です。それよりも低収入の人はさらに厳しい環境に立たされているようで中には違法建築で作られた賃貸アパートに住んでいる人もいるようです。
日本でも今から10年ほど前に人が寝れる程度の大きさの部屋に仕切った脱法ハウスってのが問題となっていました。消防法や建築基準法に違反していたためそのシェアハウスはなくなりましたが今でも似たような物件は存在しているのでしょう。
香港でも脱法ハウスと似た棺桶部屋、籠の家と言われる極小住宅が複数あるそうです。またマンションの屋上に増築した小屋に住んでいる人もいたようです。収入の少ない人たちや在留資格を持たない人はそのような場所に住んでいるんだそう。そういったところであれば5万円以下の家賃で住めるんだとか。
それでも5万円かかる香港。
貧富の格差は今に始まったものではなく香港では古くから問題視されていましたが改善されることなくその差は広がっているようです。
香港の相対的貧困率はおよそ24%ほど。人口にすると170万人で4人に1人が貧困者のようです。その多くが高齢者で高齢者の5人に2人は貧困者。高齢者の貧困は日本も同じですが、香港は18歳以下の貧困割合も高いんだとか。香港ではストリートチルドレンは見かけませんでしたが潜在的生活困窮者は多くいるのでしょう。
ちなみに日本の相対的貧困率は16%と香港より低めですが高齢者だけで考えると27%と高めです。高齢単身者の貧困率は30%を超えており、女性の高齢単身者の割合は40%以上なんだとか。日本も結構ヤバい水域のようです。実際に年金では生活できずに生活保護を受けている高齢者は多く、生活保護受給者全体の60%が60歳以上なんだとか。香港の心配をしているどころではないようです。
こちらは油麻地にある油麻地果欄です。
1913年から100年以上続いているいわゆるやっちゃ場です。
かつてはこのあたりも治安の悪いところだったようです。
市場の横を通る新填地街沿いには設備関係の会社が多いです。日雇いの仕事は日本も香港も同じでブルーカラーが主なのでしょう。まさにここは香港の山谷だった場所。おそらく簡易宿泊所もあったんでしょうね。ただそれも昔話。現在はマンションがどんどん建っているようです。
日本は東京23区に限定すると人口密度が高いですが日本全体で考えると世界43位とそこまで混雑はしていません。そして少子化によって今後は順位も下がっていくのでしょう。
香港も少子高齢化や中国共産党による政治不安から海外移民が増えており、香港民主化デモ以前は増加していましたがデモとコロナにより人口減少し始めているようです。とくに若者の転出者が増えているようで日本と同じように高齢化問題が加速するのでしょうね。でも中国本土から移住してくる人はいるようです。着々と一つの中国になる日が近くなっているのでしょう。