台北のリトルサイゴン 貧困層が多い街「興隆社會住宅」
本日は台北市の文山区にいます。こちらは文山区内にある木柵公園です。住宅街の中にある公園。かつては環境が悪化していたようですが現在は湖にホタルが集まる群生地となったようです。また水生生物や昆虫が増えたことで渡り鳥も訪れるようになったんだとか。
台北の中心地から離れた地域ですがそこまで遠いわけではない木柵公園。環境がよくないと現れないホタルが見れるってことは日本と違って台湾は比較的環境が良い場所のようです。
そもそも木柵地区は茶葉の生産地です。100年前に福建省から茶の木を持ち帰って植えたのがはじまりなんだとか。傾斜地だったこの地区は茶生産に適している場所だったのでしょう。木柵鉄観音っていう品種で台湾で有名なウーロン茶のようです。
でもお茶が生産されているのはもう少し南にある山側。現在いる場所は北側、平地のある場所です。
この付近には墓地がありましたが現在はマンションが建っています。比較的新しくキレイなマンションですが、かつてこの場所はスラムと呼ばれる場所でした。こちらがスラム街だったのはベトナム戦争が関係するそうです。
1975年、ベトナムは社会主義国として統一され20年続いた戦争は終結しましたが、社会主義となったため個人の資産保有が認められないと危惧した人たちがベトナムから国外に脱出しました。脱出先はタイやインドネシアなどの近隣諸国だけでなくアメリカや日本にも難民として脱出しました。神奈川県大和市にベトナム戦争難民施設があり近隣にベトナム人街ができたのもそれが由来。そして台湾にもベトナム難民が多く訪れました。
台湾に来たのは華僑のベトナム難民。ホーチミンにはチョロンというチャイナタウンがあり、戦争前は100万人以上の華人が住んでいたんだとか。しかし戦争により90万人がベトナムを脱出、多くが中国に戻ったようですが、台湾でもベトナム華人難民を受け入れたんだとか。
受け入れるには住居が必要。そのため1961年に墓地だったこの付近を改修し住宅を建てました。こちらには安康社區と呼ばれる国民住宅がありました。
国民住宅とは政府が供給する住居。日本でいう市営住宅のようなものでしょうか。社会的弱者や低所得層が住めるように整備したようで、当初は居住者の多くがベトナム戦争の難民でした。つまりここは40年前に出来たリトルサイゴンです。
リトルサイゴンといってもそこまでベトナム色が強いわけではありません。一応ベトナム料理店もありますが中国要素が強め。そもそも移住してきたのはベトナム華僑の人たち。ほぼ中華なんです。でもせっかくリトルサイゴンに来てるんだからベトナム料理食べたいですよね!
ってわけでこちらの店に立ち寄りました。越南はベトナムって意味。廣式ってのは広東式でしょうか。華僑の人たちが作るベトナム料理なので中華ナイズされているのでしょう。
定番の生春巻きやフォーなどもありますが、そこまでお腹空いていないのでバインミーとベトナムコーヒーを注文。
豚肉のパテが挟まったパン。ちょっと味が違うかも。ベトナムで食べるバインミーの方が個人的には好きな味です。そもそもベトナムだけでベトナムじゃないわけですからね。たまたまベトナムにいた中国人ってだけです。そのためほぼ中華。
しかしベトナムに住んでいたわけで同じ中国人といっても言葉も文化も異なるのでしょう。言語の問題があり満足に収入を得れる環境ではありませんでした。いわゆるここは低所得者が住む街となったようです。
日本も戦後の住宅不足によるスラム化があり、スラムクリアランス事業として公営住宅を建てていましたが、興隆住宅はそれと同じようなもので、ここは台湾最大の公営住宅が集まる地域なんだとか。
低所得層が集まる街だったため治安が良い場所ではありませんでした。木柵公園も当時はホームレスが集まる公園だったようで人が寄り付かなかったそうです。でもこのようにして新しいマンションができ公園もキレイに整備されています。このように環境が変わってきているのは台湾の住宅問題があるからのようです。
九州と同じサイズの台湾。九州の人口が1200万人に対し台湾の人口は2400万人。同じ大きさの島に倍の数の人が住んでいます。しかも山岳が多いため住める場所が少ない。
とくに台湾は世界で二番目に人口密度が高い国です。そのような中で台北都市圏の人口は700万人ほど住んでいます。日本と同じ一極集中となっているため、台北近郊の住宅事情はあまり良くありません。台湾でも日本と同じように地方に行けば土地は安くなりますが、一極集中では当然仕事はないわけで生活をするためには都心部に近い場所に住むしかありません。しかし供給する土地がない。そんなわけで台北の家賃は高騰し東京と同じくらいの金額。収入の少ない若者は実家を出ることができず、「こどおじ」や「こどおば」になってるんだとか。実家が近くにない人は雅房や套房というシェアハウスに住む人もいるようです。このように台湾の住居問題は深刻で、近年は公営住宅を増やしているそうです。
日本も公営住宅の割合は高くありませんが約5%ほど、つまり20世帯に1世帯の割合です。日本の貧困率は15%ほど。日本も住宅供給が足りないのが現状です。台湾の貧困率は10%ほど。日本よりも優秀ですが台北市の公営住宅の割合は0.8%とかなり低い数値。
いや、
日本は住宅は5%で貧困層は15%だと10%足りない。でも台湾は住宅が0.8%だが貧困率は10%なので9.2%足りない。
日本の方がクソじゃねーか!
色々な資料を見て「台湾は貧困対策が進んでないな」と思ってたけど、実は日本の方が進んでませんでした。しかもこの割合は2017年時点。
台湾は住宅問題改善に舵を取りました。今後は公営住宅を増やし住環境を整えていくそうで高層マンションができています。
こちらはまだ手付かずの状態で残っている国民住宅です。コンクリートでできた四階建てのアパート。各部屋の窓は鉄格子がされています。
このアパートを取り壊して16階建てになれば単純に4倍の人が住めるようになるのでしょう。しかし新しくなれば賃料も上がってしまうのではないでしょうか。そうなると入居も難しくなるのでしょうね。
公営住宅の入居条件は以下となります。
・20歳以上。
・台北市内に戸籍があり修学就労のために住居が必要な人。
・本人、配偶者、直系親族とその配偶者に持ち家がないこと。
・配偶者、親族が公営住宅を借りてないこと。
・世帯収入が台北市の平均所得の40%を下回っていること。
日本の公営住宅は生活保護受給者、障害者、収入の少ない家族、老人に限られますが、台湾では20歳以上であれば公営住宅に住めるようです。ただ日本と同じように収入制限があるようで世帯収入が台北市の下位世帯収入平均額の40%以下、かつ一人当たりの月収が台北市の最低生活費平均値の3.5倍を超えないこと。これが条件のようです。ちなみに2020年度の最低生活平均値は19013台湾ドル。
現在の為替だと日本円で一か月9万円。それの3.5倍が上限なので月収315000円を超えてなければ入居要件を満たしています。
ちなみに日本人の平均月収は33万円ほどですが手取りだと27万円が平均です。つまり日本人の多くが低所得世帯ってことになります。
入居条件が日本の平均手取りと同じくらいの金額ですが、実際の台北の平均月収は23万円ほど。若年層に至っては13万円程度しか収入が無いようです。つまり多くの人が公営住宅に入居できるんです。入居条件が緩い、そして住宅がない台北では公営住宅が人気のようで入居の抽選は180倍くらいだったそうです。
沖スロのハナハナ30の設定4の合成確率と同じ180分の1。つまり3枚のメダルだけでハイビスカスを光らせなければならないんです。
抽選はよほど運がよくない限り当たらなそうです。
かつては台湾も公営住宅の入居条件は厳しかったそうですが2012年に住宅法が改正され、入居条件を緩和したそうです。緩和した理由は公営住宅のイメージ改善のためのようです。
現在の日本の公営住宅は高齢者が多くなってますが、かつてはヤンキーが多く治安が悪いとされていました。それは台湾でも同じようで、貧困者の多い地域は治安が悪いとされています。
興隆住宅の居住者はベトナム華僑は20%ほど、障害者が23%、ひとり親家族が27%、未成年が29%です。ベトナム華僑のために建てた住宅ですが今は未成年者が多くなっておりそれが問題となっています。
スラムクリアランスとして建てられた住宅ですが、家庭環境があまり良い状態ではない場所です。貧困は教育の機会を奪うのはどこの世界でも同じです。この界隈に住む青少年は薬物に依存している人が多く治安も悪く貧困者が多いんだそう。そのイメージを払拭するために居住条件を緩くしているようですが、貧困者の入居枠が減るってことは街にホームレスが溢れてしまうのではないでしょうか。
こちらには食物銀行と書かれた建物があります。いわゆるフードバンクです。日本でも市営住宅そばにNPO法人がフードバンクを設置している例がありますがそれに似たようなものです。週に三回午前中に食糧を配布しているようです。この施設があるってことはそれを必要としている人がこのあたりには多く住んでいるのでしょう。
こちらは現在建設中のようです。ワンルームから3LDKの部屋まで。地上17階のRC構造で2025年には完成するようです。出来るのは公営住宅。入居者は最貧困者だけでなく一般的な所得の人も増えるのでしょう。
新しいマンションが建ち最貧困層の人の割合が減れば街の雰囲気も変わるのかもしれません。現在の安康はスラム街の雰囲気はなく今後も改善していくのでしょうが結局は貧困層を追い出す形になるのでしょうね。