金物屋の二階にある売春窟!デリーで一番の大人の遊び場「GBロード」
本日はニューデリー駅の東側に来ております。
このあたりはオールドデリーと呼ばれる地域。ムガル帝国時代の1648年に首都をアグラからデリーへ遷都。その際にデリーの街が形成されました。
ムガル帝国時代の建物が多く残っておりイスラム様式の建築物を見ることができます。
オールドデリーで有名なのはレッドフォートでしょうか。また市街地の中心にはモスクもあります。
ニューデリー駅界隈は様々な顔があり、駅西側は安宿が建ち並ぶバックパッカー街。南側は高級ホテルがあるエリア。そして東側の旧市街は商店街となっています。
日本人がイメージするデリーは旧市街のあたり。イスラムとヒンズーがごちゃ混ぜになった街並み。まさにインドらしい雰囲気が味わえます。
こちらはアジュメリゲートです。
デリーには防衛目的または権威象徴のために市内の各所に多くの城門が残されています。有名な門はインド門でしょうか。インド門ができたのはおよそ100年前ですがそれより古い門が市内各所にあります。
アジュメリゲートは1644年に建てられた門でこちらの門は城塞都市の名残りのようです。旧デリーの南西に位置する門でラジャスタン州のアジュメールに通じてるため。その名がつけられたそうです。アジュメールには当時から聖地があったため、こちらの門は多くの旅人が利用したそうです。現在は子供の遊び場となっているようです。
こちらの門の北側、私娼窟があるそうです。
これは大人の遊び場。
スワミ シュラダナンド・マーグストリート、通称GBロード。
元々はガルスティンバスティオンロードでしたが1966年に名称を変更したそうです。でも一般的にはGBロードの名で知られています。一見すると工業部品を扱う店が軒を連ねるエリア。整備業や建設業に従事している人が利用するごく普通の商業エリアです。
またニューデリーから1kmも離れてないので道は結構混雑しています。駐車車両も多いため歩きづらい。でもここには数百の売春宿があり1000人以上が働いているんだとか。
ここは風俗店ですよ!みたいな看板もなく普通の低階層の雑居ビルが立ち並ぶエリアですが金物屋の二階や三階が売春宿になってるんだとか。
これは建設業者の人たちの財布を狙ってる!
ここが売春窟となったのはイギリスが統治していたころに遡ります。旧名称のGBロードは英国人将校ガルスティン バスティオンの名前が道の名称としてつけられたそうです。
1858年にイギリスが統治、イギリスが統治する以前からデリー界隈には複数の売春窟があったそうです。
舞踊や歌で客をもてなす。ムガル帝国時代は宴に踊り子がつきものでした。芸者みたいなものでしょうか。
日本にも芸妓がいるし現在はキャバ嬢がいますがマクラはいつの時代もどの世界にもあるものでインドの舞踊界でも当然ように行われてました。むしろ舞踊は前戯みたいなものなのでしょう。
インド映画って踊ったり唄ったりしますがあれって性表現の一つなんだとか。インド映画は検閲が厳しく濡れ場などの直接的な映像は使えません。その代替措置が歌やダンスなんだとか。
ダンス=性表現。
日本でも「制服JKは性的アイコン」って誰かが言っていましたが、国によって性の表現や認識は違うようでインドではダンス=性ってわけなのでデリーには各所に私娼窟があったのです。
英国人将校のガルスティンさんはそれらをGBロードの一カ所にまとめたそうです。
街の風紀を正すためにまとめたのか。
それとも通いやすくするためだったのか。自身の名がついた道沿いを風俗街にしたのです。つまりここは150年前にできた売春窟なのです。
アジャメリゲートからGBロードに沿って約700m、このあたりに売春宿があるのですがどこにあるのかわかりません。基本的に売春宿が開くのは日が暮れてから。一階の店が閉まってから営業が始まるそうです。
朝から風俗に行くやつなんて日の出営業が身に沁みついてる日本人くらいです。そのため日中から営業はしていないのでしょう。でも歩道を歩いていると女性がいるんです。そして声をかけて来ます。
ポン引きもしくは売春婦でしょうか。
衣類を引っ張り足止めをしてくる女性も。インド人どうやら昼から風俗行く人がいる模様。
階段のところに座って客引きしている人。
街路に立って客引きしている人。
椅子を用意して客引きしている人。
昼間ですがけっこう客引きがいます。
これだけ客引きがいるってことは客がいる証拠。
でも利用客はなかなかのチャレンジャーですよね。
看板こそ出てませんが二階が風俗店なのは周知の事実。一階は金物店で絶賛営業中です。そのような中で階段を登らなきゃならないんです。
風俗店に入店する際は周りを気にするものです。
だって誰かに見られていたら恥ずかしいじゃないですか。そのため人がいないタイミングを見計らい入店するのです。でもここでは人の目を避けるのは困難なんです。すごい人が多いんです。
それもそのはずで金物店は営業しているんです。買い物客が多くいるエリアなんです。そのような中で二階への階段を登っていったら「コイツ、こんな時間から売春宿に行ってるぜ!」って指をさされ笑われるでしょう。
でも日本のように明確な風俗街ってものはなくほかの店舗に混ざって存在するインドの売春宿。インドでは恥ずかしいとか気にしないのかも。
それよりも今この街にいる人たち、金物屋の客だと思ってたけど売春宿利用者の可能性もあるのかも。これは金物屋の客を装って2階へ行くスタイル。
間違って2階に行っちゃった!てへっ!ってやつ。
それがここではまかり通るんです。
あくまでもこの街は金物屋街です。どこにも風俗店がありますよ!なんて書いてないごく普通の街なんです。街を歩いている人は普通の人、つまり私も普通の買い物客なんです。
逆に風俗街じゃないからここにいても怪しまれないしササっと階段上れば周りに気付かれない。金物買いにきている体を装えばいいんです。
カーナビ履歴に台東区千束があったら疑われますがGBロードであればいいわけができるんです。
「それはほら金物買いに行っただけだから。一階の店のところの。金物買っただけ」
こんな感じで誰にも気づかれずに遊べるんです。そんなわけで私も金物買い物客を装ってます。
ここが異常なのは値段です。
デリーには多くのスパがあります。中にはマッサージイカガデスカ的なのもあり値段もピンキリです。安いのであれば500ルピーからありますが外国人向けのスパは1000ルピー以上です。スペシャルサービスをつければさらに高くなります。でも高いといってもさすがはインド、1000ルピーだと1800円くらいでしょうか。充分安いんじゃないでしょうか。
でもGBロードの売春宿は1000ルピー以下で利用ができるようで中には500ルピー以下の店もあるようです。
これは一階に売ってる金物よりも安い!
利用するのは地元の人か、ガチでマジの変態の外国人観光客。金物よりも安い値段で利用できるならば買い物ついでに寄っていく人もいるのでしょう。
一階の階段脇に客引きがいましたが二階には鉄格子をされた窓から女性が見えます。こちらに気付くと手を振ってくれます。
まさに飾り窓スタイル。
ここで働く人の中には騙されて連れてこられた人、誘拐されて連れてこられた人、親に売られて連れてこられた人などがいます。
日本の風俗店には風俗嬢が従事していますが、ここでは従事させられている人がいるのです。そして中には未成年がいるってことも。
こちらには非営利団体が入居する建物があります。1000人近く売春婦がいるGBロード。夫に先立たれて生活のために売春をする人など子持ちの売春婦は多くいるようで、その子らのための児童養護施設のようです。また人身売買された子供が働いているためそれの手助けをする非営利団体もあるのでしょう。定期的に摘発していますが普通に営業しています。一時よりは縮小しているものの壊滅する気配はないようです。
現在GBロードはシュラダナンド・マーグに名称が変更されました。悪名高い売春窟として世界に知られたGBロード、その汚名を消そうとしているのでしょう。ほとんどの看板は修正されていますが一部GBロードとかかれた看板があります。名前を変えても本質がそのままなら何も変わりません。GBロードがSMロードになるだけです。
なんか余計卑わいな名称になった気がする。
まるでバスケットボールストリートみたいです。だれもバスケットボールストリートなんて呼ばず渋谷センター街と呼ばれています。GBロードもGBロードのままなのでしょう。ちなみにシュラダナンド・マーグは人の名前でインド独立運動家で僧侶なんだとか。
売春窟のある道に僧侶の名をつけちゃうインド人。
本日はデリーの風俗街GBロードを巡りました。
インドの三大置屋と言われるGBロード。70軒の置屋があり1000人以上が働いてます。首都デリーで一番の売春窟なのでしょう。ちなみに吉原の店舗数は100軒以上、各店舗で20人のソープ嬢がいたとした場合、吉原は2000人以上風俗嬢がいる計算です。
日本の方が闇が深かった!