バンコクの歌舞伎町「タニヤ」2丁目要素のある「パッポン」

本日はシーロムに来ております。こちらはMRTのシーロム地下鉄駅です。
近くにBTSのサラデーン駅がある乗換駅なので同駅利用者は多く周りは賑やかです。
多くの人が行き交い賑やかな街並みが広がるシーロムですがかつては田畑しかない地域でした。田畑しかなかったところに街道ができると19世紀頃には西洋人が風車を設置したそうです。そのころも田畑と風車がある長閑な景色でした。
ちなみに風車はタイ語でシーロム。現在は田畑はどこにも残っていませんがシーロムという名前だけは残りました。
商業地となったのは第二次世界大戦以降、戦後に貸しビルが建ったことで企業が集まりシーロムはオフィス街になりました。現在はバンコク随一のオフィス街となっています。
また金融機関や大企業が多いシーロムはタイのウォール街として知られています。私には縁もゆかりもないようなところのようです。

こちらはラマ4世通りとシーロム通りの交差点、サラデーン交差点です。
交差点のところに高架橋がありますがこちらには日本国旗が掲げられてます。この橋はタイ日友好橋というもので1992年に無償資金援助により日本が建てた橋です。
日本の橋梁建設技術はトップクラスでアジアにはODAで建てた橋梁が複数あります。アジアに親日国が多いのはバラマキがあったから。とくにタイは東南アジアの中で一番の親日国です。
そんなわけで日本に精通している人も多く市内では日本に関するものをよく見かけます。とくにシーロムの辺りは日本のお店が多いです。

こちらはタニヤ通りです。
路地の中で日本食の屋台村イベントをやってます。

ジャパンデイズ、直訳すると日本の日々。
間違ってはいないんですがグーグル翻訳感がある。

本格的な日本料理が楽しめるみたいでウナギに寿司、焼き鳥、お好みやき、ラーメン、あとは甘味処もあるようです。
駐在日本人向けではなくタイ人向けの屋台村。日本でもタイフェスみたいなのがありますがそれと似たような感じなんでしょう。
せっかくなんで日本、味わっちゃいましょう。

角ハイです。ただ飲みたいだけの人。
角とモナンのレモンシロップ、それにソーダ。
今日のバンコクは暑くハイボールにはちょうどよい気候。常夏の国で飲むジャパニーズハイボール。このムシムシした暑さも味の決め手です。
おいしいです!

ちょうどハイボールを飲みたかったんです。けっしてキャンペーンガールに声をかけられそれにホイホイついていったわけではありません。
そしてなにかあるかもと期待してついてったのになにもなくて不満に思ってるわけではありません。ハイボールが飲みたかっただけです。

日本屋台村フェスが行われているタニヤ通り。この界隈は日本人街として有名なところです。そもそも街の造成は日本が関係しているのです。
このあたりに街となったのは1970年頃。それ以前はまだヤワラーの辺りが街の中心地でこの付近は閑散としていたそうですがタイの不動産投資家がこの付近土地を購入。住友不動産と手を組み土地開発をはじめました。
道路を敷設し貸しビルを建てる。
タニヤの発展には日本の企業が関わってたのです。
最初に建てたのは事務所を置くタニヤビルでした。そのビルの名が現在の通りの名前になっています。

ちなみにタニヤビルがあったところは2021年にタニヤプラザに建て替えられ日系の店舗が多く入居するビルになっています。

この界隈で働く駐在日本人も多いのでしょう。
そんなわけで駐在日本人向けの店が多くあります。

カラオケやクラブの看板が多くあります。
どうやらタニヤはタイのカラオケの発祥地と言われており80年代に日本人向けに始めたのが起源なんだとか。それ以前の飲み屋では生バンドが基本でしたがミュージシャンの人件費がかさむため徐々にカラオケがタイに浸透していったようです。
タイはカラオケの文字をよく見かけます。日本よりもタイの方が多い感じ。
タイのウォール街として名高いシーロム。そのそばにある飲み屋街タニヤ。タニヤはバンコクの銀座的な所なのでしょう。駐在日本人がタイにある銀座の夜の街で遊ぶ。ちょっと高貴なお遊びって感じでしょうか。
ちなみにタニヤにあるカラオケ店。女の子を持ち帰りできるんだとか。
だいぶ低俗なお遊び。

ここは銀座ではなくバンコクの歌舞伎町だった。
そうなんです。
遠く離れた海外 不安や悩みもあるでしょう。
少しでも母国を味わいたい。そのため日本人街があるんです。
そこに行けば母国の味が味わえる。
そこに行けば同郷の人に会える。
だから日本食料理屋が多くあるんです。
でも飲み屋は少し勝手が変わります。
女の子が接客する飲み屋。そこに従事する女の子はタイ人なんです。日本のキャバクラ的な店に行きたくてもここにあるのはタイパブなんです。タイで日本人パブに行きたいのにタイにあるパブは、タイ人がいるだけのただのタイパブ。ただのパブなんです。
でも、これらのパブ人気があるんです。
日本人はその手の店が好きなのもあるのでしょう。でもそれだけで満足する日本人じゃありません。言葉の通じないタイ人にお酌をしてもらう。やっぱパブは楽しいね!とはならないでしょ!ゼッタイその後のお楽しみのために来てるでしょ。
タニヤにある飲み屋さんの中にはいわゆる連れ出しスナックがあるんです。
気になるキャストがいたならば交渉をして外に連れ出すほんのひと時の恋愛感情。
そういった飲み屋がこの界隈に存在しその店は日本人をターゲットにしてるのです。
ここに来る駐在員、皆兄弟説。
ここには多くの日本人向けの飲み屋があります。
もちろん普通のスナックもあるでしょう。普通のキャバクラやラウンジもあるでしょう。その普通だと思われる店も日本人向けなんです。いやキャバクラはそもそも普通の店じゃない!

こちらのビルなんてほぼ日本のスナックビルです。日本にいるのと変わらない感じ。それもそのはずです。日本人街は日本人による日本人のための街。経営者が日本人の店が多くあるんです。そのため飲み屋もかゆいところに手が届くんです。

こちらも日本人経営者のお店のようです。
日本語でお店のことをわかりやすく説明してます。こちらの店はタイスタイルのネオキャバクラです。
ネオキャバクラ!?
デートOKという飲み屋にあるまじき文言。100%連れ出しが保障されています。

若干日本人経営者じゃなさそうな店もありますがそういった店も“タイスタイル”なのでしょう。日本にあまりないスタイルの店が多くありますがここは間違いなく日本人街です。
日本人街の要素、寿司、ラーメン、焼肉、風俗。
まさにここはタイにある歌舞伎町でした。

バンコクに歌舞伎町があるとは思いませんでした。でもこういう街は首都には必要ですよね。タニヤがあることでバンコクの治安が守られています。タニヤはまさにバンコクにある歌舞伎町です。

こちらはタニヤの隣にあるパッポンって街です。パッポンは外国人が集まるエリアとなっておりここはバンコク三大歓楽街の一つに数えられます。
歌舞伎町、二つもあった。
バンラック区スリヤウォン地区、シーロム通りとスラウォン通りに挟まれた路地。その一角にある街「パッポン」。3本の路地があり飲み屋街が広がっています。ここは外国人が集まるエリアです。

こちらはパッポン1です。
パッポン1は比較的大きめの通りでここはバーが軒を連ねるメインストリートです。
パッポンはタニヤより歴史が古くこの街ができたのは1950年頃。中国人実業家ルアン・パッポンパニッチが1946年に何もなかったこの界隈の土地を購入。店舗を建設し賃貸経営をはじめました。パッポンの地名はこの中国人が由来のようです。
飲み屋街となったのは1960年後半。ベトナム戦争に従軍する米軍兵士らが休養でバンコクに訪れたそうです。
ベトナム戦争に従軍した兵士は年に一度5日間の休暇が与えられたそうです。休暇先はフィリピンや香港、日本もありましたが一番人気だったのがタイだったそうでバンコクに多くの米兵が訪れました。
バンコクに来たらすることはいつの時代も同じで米兵たちは売春のために訪れたのでしょう。パッポンにナイトクラブができはじめ、1970年代にはゴーゴーバーになります。

以後は飲み屋街として発展し続け世界的に有名な街になりました。現在もその怪しい街は健在。パッポンの主な産業は売春です。

この辺りはタニヤと比べると古い建物が多いです。再開発がされておらず昔のままのようです。

日本人も来るのでしょうか。この界隈も日本語が目立ちます。元々は米軍兵士の休暇の街でしたが今は中国人と日本人向けになってるっぽいです。
この手の飲み屋街に書かれている言語は日本語と中国語と韓国語。そういうのが好きな人種がわかります。東洋人、海外旅行は風俗街。

ただタニヤと違ってこっちは経営者が外国人。文章がちょっとおかしいです。でも日本語に翻訳して日本人を呼び込もうとしてます。
隣町は日本人街のタニヤ。パッポンにも多くの日本人が来るのでしょう。日本人街があるのにわざわざ隣町に行く。そんな日本人も結構いるのでしょう。
タニヤとパッポンは違うんだよ。タニヤは日本人街だけどパッポンは外国人街。二つの街は全然違うんです。
いややってることは同じだし出てくるのはどちらもタイ人。

パッポン3はちょっと特殊な街なんです。いやいや所詮は歓楽街。パッポン1とタニヤが同じ街だったのに路地一本隣に行っただけで変わるはずがない。
パッポン3はちょっと特殊でゲイバーが軒を連ねるエリアとなっています。
ぜんぜん違ってた。
タイはLGBTに対し寛容な社会で2025年1月には同性婚が認められました。街中ではレインボーフラッグを見かけるし、LGBTを受け入れる社会を目指しています。ただ寛容な街だとしても差別や偏見は残っているためこの手のコミュニティが必要なんでしょう。

こちらのお店ですがボーイズって書いてある通り男性ストリップによるショーパブです。
ギンギンになったアレを見せるショーのようでゲイの人だけでなく女性客もいるようです。
造詣を深めるならばその扉を開けるべきですがまだ私はその域に達していないようです。でも行ってみたら行ってみたで楽しめそうな予感。

ちなみにこちらの店はゴーゴーバーでもあるそうです。
はっ!?

ゴーゴーバーが異性愛者の専売特許と思うなかれ。同性愛向けのゴーゴーバーもあるんです。
どうやらこの界隈はそういった店があるようです。

そりゃそうでしょう。
LGBTに寛容な国、性差がない国ならば女性向けの風俗があって当然だしLGBT向けの風俗があるのも当然。
なぜこそこそ隠れてしなきゃいけないんだい?
気軽に風俗利用すればいいじゃない!
ってわけでここには男娼がいるようです。

日本のゲイタウンって出会いの場って感じですがバンコクのソレは男娼を買いにくるところのようです。日本でも出張ホストってのがありますがバンコクは顔見せシステム。日本と違ってパネマジがないんです!この街にはゴーゴーガールならぬゴーゴーボーイがいるんです。

夕暮れのパッポン通りに来ました。
メイン通りであるパッポン1の真ん中には露店が軒を連ねています。
タイといったらナイトマーケット。
この界隈には露店は300軒近く出店しているようで夜になると観光客がここに集まるようです。
不健全店の目の前に軒を連ねる露店。これじゃあ気軽に風俗店に入ることができない!実はそれを狙って露店があるそうなんです。
ベトナム戦争後に歓楽街へと発展したパッポン。世界的にも風俗街として有名になりました。最悪の歓楽街と言われた時期もあったそうです。パッポンはパッポンパニッチ家が所有してます。このような状態をよしとしなかったのでしょう。性風俗排除に乗り出します。
風俗街のイメージを払拭するため露天商に路地を貸し、毎晩ナイトマーケットをひらいているようです。このようにすれば一般客が来るようになる。一般客がいると恥ずかしいから風俗に入りづらい。このようにして街の浄化を目指しました。
しかしここに来る多くは外国人旅行者です。
旅の恥は掻き捨てって言葉がある通り誰に見られても恥ずかしくはないんです。
しかもこのあたりにはSM系の店もある。一般客に店に入るところを見られる羞恥プレイ。もうそれ、逆にご褒美じゃないか。
露店と風俗が入り交じるカオスな世界になっています。

ちなみにナイトマーケットはご飯や土産物屋。
それと衣料品を扱う店があります。衣料品の多くはコピー製品でいわゆるパチモン。
また違法DVDなども売っています。
屋台の方も質が悪そう。パッポンはヤクザのシノギスポット。

こちらは日本人街のタニヤです。夜がはじまるのには少し早い時間帯。夜の帳が降りれば蝶が舞うのでしょうね。こちらもパッポン同様に風俗要素が強め。
タニヤも風俗街イメージを払拭しようとしており買い物に来れる街に変えたいんだとか。とは言っても難しいですよね。
パッポンは露店が並んでも変わらず風俗街です。風俗を求める人がいる限り街は変わらないのでしょう。
日本人男性がこの街に求めているものは風俗です。需要があるから供給がされる。
厳しく取り締まれば減少はするのでしょうが表向きなくなるだけでこの街は残り続けるでしょう。
かつて歌舞伎町でも浄化作戦がありました。暴力団を排除し違法風俗店を摘発。それによりクリーンな歌舞伎町を目指しました。目指した結果が今の歌舞伎町です。
昔の歌舞伎町は治安が悪かった。でも秩序はありました。今の歌舞伎町はどうでしょう。無秩序でクリーンとは呼べない街になってます。結局一度強制的に排除しても元に戻るのです。それならいっそのこと世界一悪名高い歓楽街を目指す方がいいんじゃないでしょうか。

私はこの少しきな臭い街並み、嫌いじゃないです。何かが起こりそうな夜の街。素晴らしいじゃない!
ってわけで私はこれより大人のナイトマーケットに行ってきます。
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本日はヤワラーに来ております。
こちらはサンペーン市場です。全長は約3kmほどある大規模な卸売市場で狭い路地に雑貨店が軒を連ねるサンペーン市場。ヤワラーのこの辺りは中華街として有名な場所でサンペーン市場も中華要素が強めのようです。
どこかで見たことがある製品。
どこかで見たことのあるキャラクター。
明らかにパチモ...インスパイアされた製品が数多くあるようです。
正規品よりもここなら安く買えるはずです。
さすがは中華街にある市場です。

この市場の歴史は古く18世紀末にできました。1782年にバンコクに首都を遷都して以降、中国人が定住したことで中華街が形成されました。世界には中華街があちこちにありますが世界で最も古い中華街がなんだとか(諸説あり)。
1900年前半の時点で100万人以上の華人が住んでいたそうです。

このように歴史があるサンペーン市場。
バンコクは東洋と西洋が交わる交易の場で昔から多くの人はここに立ち寄りました。チャオプラヤ川を遡上しここに荷下ろしをする。多くの貨物船が市場のそばに集まり、様々な国の人が出入りしたのでしょう。人が増えればその手のビジネスもでてくるものでこの界隈には売春宿が多くあったそうです。
現在のタイでは売春が違法です。
違法?
1960年に売春抑制法が施行されたことでタイでは売春は違法となりました。
違法?
また1996年に売春防止及び撲滅法が施行されその法律でも売春は違法とされています。
違法?
まぁ厳密には客を勧誘することが違法なだけで売春自体は法律に抵触しないようです(普通に客引きしていますが...)。
近年は売春を合法化する話が出ているようですが現状では法律に抵触しないけど違法扱いみたいな感じ。でもタイでは売春が合法だった時期がありました。
売春が職業として認められたのは1868年。都市化が進むバンコクでは道路敷設が急務でした。その道路敷設の財政を賄うため売春婦に対し税を徴収したそうです。これにより売春が公に認められた形となりました。
1884年には売春宿の開設が許可制となり、売春婦は登録制となったようです。
行政が売春宿の地区を指定しそこで開業できる形。日本の遊郭と同じようなシステムです。

ヤワラーも指定地区となったようで売春抑制法が施行される1960年までの100年間、ここは、遊郭だったのです。
このように昔のタイは 売春が当たり前でした。いや今でも当たり前な感じがする!
ヤワラーには多くの売春宿が点在していたようでここは中華街だけど私娼窟要素のほうが強くサンペーンは風俗街という認識でした。そのためいつしか売春婦のことを「イーサンペン」と蔑んで呼ぶようになりました。
地名が売春婦の蔑称になるってことは相当ひどい場所だったんでしょうね。ぜんぜん中国要素がない中華街だったのでしょう。
ちなみにここで働いている売春婦は広東省出身の女性でした。
そこは中華要素だった。

1960年より前のヤワラーにはマッサージイカガデスカの人がいたようです。でも1960年に売春抑制法が施行されました。
これでタイに蔓延る売春婦も消えてなくなる!
健全な中華街に生まれ変わる!
はずはなく、その後も売春宿は生き残り続けます。
日本でもそうだったでしょう。かつては公娼がいた遊郭。戦後に公娼制度は廃止されるものの赤線街ができ、売春防止法が施行されたあとは特殊浴場街へ。エロは法律で規制できないのは万国共通でタイの売春宿は形を変え風俗営業を続けたのです。
1980年代のこの界隈には冷気茶室と呼ばれた店がありました。
冷気茶室とは名前の通り冷たい部屋のある茶屋。現在は当たり前のように冷房が効いていますが昔は冷房設備のある店は少なかったのでしょう。
バンコクは常夏の国。冷房が効いている喫茶店。冷たい風を浴びて体を冷やしたのでしょう。そういった喫茶店がこの界隈にありました。
でもその冷気茶室、表向きは喫茶店ですが 実態は売春宿。ヤワラーにあった冷気茶室は春も売ってたのです。
お茶を飲み、その場でことを致すのでしょうか。なんか日本にあるピンクサロンと似た形式。
ウーロン茶に1万円払うやつと同じで西川口を源流とした必殺拳「NK流の一派」の茶室がこの界隈に乱立したようです。
そんな店がいっぱいあるんだったら通いたくなっちゃうじゃないですか!そんなわけでヤワラーには多くの日本人が集まっていたようです。
バックパッカー街といえばカオサンが有名ですがカオサンは1980年代以降にできた安宿街です。それ以前はヤワラーの方が安宿街だったそうでこの付近には安宿がいっぱいあったようです。

こちらはジュライロータリーです。第一次世界大戦にタイが参加したのが7月22日、それを記念してつくられた環状交差点です。
中央に噴水がありキレイな公園です。
でもこの周りにはかつて汚い宿がありました。

こちらはジュライホテル跡地です。当時多くの日本人が定宿と使っていたホテルで一泊数百円で宿泊で来たそうです。同ホテルは1995年閉館。ホテルは閉館しましたが建物は残ったままです。

こちらは楽宮大旅社の跡地です。
こちらは2004年に閉館してます。うっすらと看板が残ったままとなっています。
こちらも日本人の定宿として人気でしたがここのホテルの壁にとある落書きがあり、それが日本人バックパッカーの心に刺さったそうです。
豊かな青春、惨めな老後。
青春を謳歌しよう。
人生は一度きりだから悔いなく過ごそう。
好きなことを好きなだけ楽しめばいい。
若い人に向けてこのように問いかける人がいます。若いころ勉強ばかりで青春を謳歌しなかった人が「あの時やっておけば」と悔やみ今の若者に助言しているのでしょう。
確かに大人になると社会とのしがらみや日常生活の維持、体力的な問題から若いころのようにはできなくなるものです。では青春を謳歌した人はどうなのでしょうか。
若いころに好きなことを好きなだけやり、それが糧となり成功した人もいるでしょう。でもそのような人はほんの一握りで多くの人は若いころに経験を積まなかったせいで大人になって苦労してるのです。
好き放題遊んだ人には何も残らない。
そうなんです。若いころに好きなことしかしていない人はみな、キリギリスなんです。
1980年代のタイは物価が安く若者にとって天国でした。バンコクはホテル代も食事代も安いため少ないお金で様々な欲求を満たせました。そのため多くの日本人がこの界隈に訪れたそうで日本人宿泊者だらけだったときもあったそうです。
街を歩けば街娼がいて手の届くとこに薬物がある。多くの若者がそれに酔いしれたのでしょう。タイ=売春とドラッグという図式ができたのはその当時ここにいた若者のせいです。
快楽が手軽に手に入る。
若者にとってバンコクは楽園。
毎日が楽しい日々だったんでしょう。
でもそんな自堕落な生活は長くは続きません。青春を謳歌したらあとは現実を受け入れる。日本に戻り日常を取り戻したのでしょう。多くの人が普通の大人になりました。でも青春の謳歌を辞められなかった人がここバンコクに残ったのです。
日本でバイトをして日銭を稼ぎ、資金が貯まったら海外で自堕落な生活をする、いわゆる外にこもり。
好きなことを好きなようにする。最初の頃はこれでよいのでしょう。しかしある程度の年齢になると厳しくなります。ではそこから変わろうとしても手遅れなのです。
若いころは勉学に励み知識を身につけ足元を固める。大人になって社会に出て経験を積めば明るい未来が見えてくるでしょう。
しかし若いころに何もせず欲望のまま過ごし大人になっても変わらない生活をしていれば出来上がるのは何もない人間なのです。
バンコクで女買って薬キメていた人。
そんな奴に何かできるわけがないでしょう。適度に青春を謳歌すればよかったのでしょうが豊か過ぎる青春の先は惨めな老後なのでしょう。
豊かな青春、惨めな老後と壁に落書きをした人は現状を語ったのかそれとも戒めだったのか。
おそらく現状を語ったんでしょうね。
現実を抱え込み苦悩の末に出た言葉なのでしょう。
バンコクに来た若者の中にはこのように惨めな老後を送ってるのでしょう。
そして私も惨めな老後に向かう人の一人。
豊かな青春なんてなかったのに!
乏しい青春、惨めな老後。
救いようのない人生だった!
ジュライロータリーの周りの安宿はもうなくなり冷気茶室もなくなりました。ごく普通の中華街の町外れになったようです。
でも、いるんです。

日本は遊郭から赤線を経て特殊浴場となりました。バンコクは売春宿から冷気茶室となりました。ではその冷気茶室のあとはどうなったかというとこの椅子に生まれ変わりました。

チャイナタウンに続くミトラパン通り。

この通り沿いにはプラスチック椅子が等間隔に置かれています。よくある屋台のプラスチック椅子ですがこの椅子には女性が座っており目の前を通る男性に声をかけてます。

タオライ?と聞くと値段を教えてくれる女性。
ここにいるのは立ちんぼならぬ座りんぼ。
ジュライロータリーの周りとミトラパン通り、冷気茶室がなくなったこの界隈には街娼が多くいるようです。

値段はホ別で500バーツ。
大塚のピンサロよりちょっと高めの値段設定。
でもここのはいわゆる一発屋の類いの街娼で近くのホテルでことを致すスタイルのやつです。
ミトラパン通りには若い街娼が多いそうで中には10代もいるんだとか。

こちらはマイチット通りです。
飛田新地同様にここも色分けがされておりミトラパン通りが青春通りならばマイチット通りは妖怪通り。こちらは熟女専門のところのようです。

客がつけばホテルに行くため席が空いているところは接客中。つまり客がついているって証拠です。
飛田新地同様に顔を見て選べるシステムですが当然人気の街娼はすぐに客がつきます。一週見て回って戻ってきたらいないなんてことも。そんなわけで一期一会なんです。

現在昼過ぎですがこんな感じで街娼がいます。
おそらく夜になればもっと増えるはず。

ってわけで夜に来ました。

中国語とタイ語と英語が入り混じるネオン看板。近未来の雰囲気の中にある旧時代のトゥクトゥク。このサイバーパンクな景色。日本も歌舞伎町の街並みが近未来感がありますがヤワラーの方がエモい感じです。

タイでは大麻が合法なので看板があります。なんか裏社会な感じがあって素敵です。

こんな誘惑の街。
当然夜遊びできるはず。

日中は年齢層が高めでしたが若い子が期待できそう。

ではさっそく夜のヤワラーの私娼窟に行きます。

いや片づけられちゃってる!
明らかに閉店しちゃってる感じ!
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性癖を拗らせた弱者男性の街!ゲームにメイドにアニメにSM「大須観音商店街」

本日は名古屋の大須に来ております。
こちらは大須観音です。
真言宗智山派の寺院でご本尊は聖観音菩薩。
創建は14世紀ころ。現在の本殿は1970年に再建したんだとか。周りが賑やかで雰囲気の良いお寺です。地元名古屋の人に親しまれている寺院で初詣の時は50万人も来場する人気スポットです。

浅草の浅草寺、三重の津観音、大須の大須観音。
これら三つを合わせて三大観音と呼ばれており、初詣時期は大変な賑わいとなるようです。
その賑わいは古くからで1610年に名古屋城が整備された際に大須は門前町として発展したんだとか。
今は中心から少しズレており下町感がある地域ですがかつては賑やかだったのでしょう。
東海道と中山道をつなぐ脇街道の美濃路。尾張の中心に行くのもこの脇街道を使います。その美濃路が大須観音前を横切っており多くの人が行き交っていたようです。
人が多く訪れれば宿屋や飲み屋が軒を連ねる。そしてそんな街には下世話な店もあったのでしょう。大須には江戸時代の頃から私娼窟がありました

こちらは北野神社です。
大須観音のそばにある天神様をまつる神社。
幕末の頃にこの界隈は私娼窟だったそうで北野新地と呼ばれていたそうです。明治になり正式に遊郭として認められました。
しかし手狭だったこともあり隣接する日ノ出町に新たに遊郭を設置。1887年に旭廓ができました。

北野神社には旭廓にあった妓楼の玉垣が残ってます。この界隈が遊郭だった証拠です。
大須観音の門前のため人気スポットだった旭廓。
しかし1923年に中村大門に遊郭を移設しています。
遊郭を中村移設した理由は風紀が乱れたため。この界隈はあまり良い人が出入りしてなかったのです。
風俗営業を営むためには届出が必要ですが暴力団関係者は届出が受理されません。そのためヤクザは風俗店を営業できないのです。
では実際はどうでしょう。
カタギじゃなさそうな店。けっこうありますよね。
それは明治大正の頃も同じで遊郭の運営者の中にはヤクザがいたのでしょう。
そんなわけで旭廓は昭和を迎える前に中村へ移設。この町は普通の街になりました。

この界隈にはラブホテルが数軒あります。
私娼は残ってたっぽい。
遊郭は移設しましたが当時の中村はド田舎でした。客のいない遊郭よりも客が多い私娼窟。
大須は多くの人が訪れるスポットだったわけで参拝後にお遊びする人も多かったのでしょう。そのため私娼窟になったようです。
新宿大久保公園の周りにラブホがあるように私娼を利用するにはことを致す場所が必要です。そんなわけで連れ込み宿ができたのでしょう。その名残りがラブホです。
こんな感じで街はずれはちょっと異質ですが風俗はなくラブホがある程度。大須はごく普通の商店街となっております。

こちらは大須観音商店街です。
大須観音とともに発展した商店街。一時はシャッター街となっていましたが、今は活気が戻ってきているようです。

こちらは東仁王門通りです。
こちらの通りは飲食店があるのですがちょっと様子が異なります。ブラジル国旗にインド国旗、ベトナム国旗など、外国料理店が多いです。

ごく普通の商店街じゃねぇ!

でも名古屋らしいと言えば名古屋らしいです。
関東と関西が混ざる、ごちゃ混ぜ文化のある名古屋。別に海外の文化が混ざっても不思議じゃないです。いろんな国の文化が混ざり合い新しいものが生まれる。大須は多文化共生区域なんでしょう。
商店街がシャッター街化するのは客が来ないってのも理由の一つですが、一番は店を貸し出さないからでしょう。
多くが店舗兼住居なのでテナントとして貸し出さない。
年を取って商売をやめてシャッターが閉まる。
シャッターが閉まっているから客が来ない。
その負の連鎖によって商店街が衰退するのです。
でも大須の場合は来るもの拒まずで外国人料理店を受け入れました。
どこも似たようなものしか売ってない洋品店。
どこの商店街でも売ってる和菓子や洋菓子。
そんなありきたりなものしかない商店街より、この異国情緒溢れる店の方が好まれるでしょう。この商店街では各国の食事が楽しめるとなれば何度も通いたくなりますよね。何でも受け入れる体制がよかったのでしょう。

このように何でも受け入れる体制の大須。
一時はシャッター街化した商店街ですが受け入れることで商店街を存続していきました。
大須は電気街としても有名です。それについても受け入れ態勢があったからのようです。
大須は東京の秋葉原、大阪の日本橋と合わせて日本三大電気街といわれています。実際に商店街の中には家電量販店があります。

大須が電気街となったのは1970年代。
こちらにはアメ横ビルって建物がありますが、この店ができたことで電気街に変わったそうです。
もともとここには劇場がありましたが、商店街に客がいなきゃ利用者も減るばかり。
そんなわけで電器店に業種変更したそうです。
名古屋市内にも家電量販店がありましたが秋葉原のような電気街がなかった名古屋。
秋葉原のマニアックな感じを再現したのでしょう。マイコンブームと相まって大盛況となりました。これを皮切りに近隣にPCショップが乱立。このようにして大須電脳街となったようです。つまりここが電気街の発祥地のようです。
ちなみ同ビルの名称は上野のアメヤ横丁が由来でアメ横をイメージしてこの名にしたんだとか。店内は上野ではなく2駅となりの秋葉原。

そして客層もそちらに偏っている感じです。
リュックにポスター差してそう。
チェックのネルシャツ着てそう。
服のサイズがあってなさそう。
だいぶ偏った秋葉系のイメージ。
かつては電化製品を取り扱うでしたが秋葉原と同じように大須も変化しているようです。

まんだらけ、らしんばん、イエローサブマリン。電脳街と言われるようなところにあるショップが大須のこの辺りに乱立しています。こちらは赤門通ってところでサブカル系の店が多いエリアです。中野ブロードウェイみたいなところ。まさにオタクの街です。アニメだけでなくマニアックな趣味の店が多い。サブカル系の店があるエリア。

電気と親和性があるのでしょうか。秋葉原も日本橋も同じような街並みになってます。電脳街というイメージは薄れ、現在アニメやゲームの店が多くあります。

またメイド喫茶やコンカフェも多くあります。
秋葉原も日本橋もコンカフェ街になりましたが電気街の末路はこの手の店が増えるのでしょう。

電気好き、アニメ好き、ゲーム好き。
でも、男の子だもん!
性を売りにした店に行きたいですよね。
でもキャバクラのようなところは避けたい。
なんかキャバクラって怖いじゃん。それに比べるとコンカフェはなんか安心できる。肩ひじ張らずに店に行けるんです。電気街にコンカフェが増える理由はこれです。
恋愛経験がゼロ、彼女いない歴が年齢。
もうすでに魔法使い。
異性に対しアプローチが苦手な人。
奥手で女性との接点が少ない人。
そういう人にとってキャバクラは過激なのです。
何事にも段階ってのが必要でその初期段階がメイド喫茶、次いでコンカフェなんです。

まずはメイド喫茶に通って女性と接点を持ち、そしてコンカフェに行って距離を縮める。このように少しずつ慣らしていく。階段は一段ずつ上っていくのです。ここ大須にはそういった店が多くあるのでしょう。
メイド喫茶、アイドル喫茶、魔界喫茶、妖精喫茶、ナース、男装、異世界、ロボット。
多種多様のコンセプトを持った店があるようです。過激な店がない大須なら安心して遊べます。ここは弱者男性のオアシスなのです。

こちら、SMクラブです。
キャバクラよりも過激な店。ほぼほぼ最終段階の店。
利用者がいるから店が成り立つんでしょう。
恋愛経験がゼロでもSM経験は有り。大須にはそんな魔法使いが多くいるようです。
まさかの大須商店街、SM系の風俗店があるんです。店舗型のSMクラブはかなり珍しいです。
同店はソフトからハードまで、はじめての人でも少しずつ慣らしていくようです。
慣らすスタート地点がだいぶ過激。
大須が発展したのはなんでも受け入れる街だから。
電気街も受け入れ、外国人も受け入れた寛容な街。そして風俗も当然のように受け入れる、その風俗がSMクラブなんです。
だいぶストライクゾーンが広め。
外郭高めでも余裕で受け入れるスタイル。
でも、オタクの街にあるべき店じゃないでしょうか。
ゲームやアニメって大衆文化、つまりメインカルチャーと呼ばれるようになりましたが、そこにはグラデーションがあって大衆には受け入れられないアニメもあるんです。
大須にあるアニメカルチャーの中にはあまり受け入れ難い性癖向けの人のアニメもあります。そんな偏った性癖の人であればSMクラブを利用するかもしれません。
異性に対しアプローチができない?
奥手で女性と接点がない?
安心してください!
SMクラブは基本、受け身です!
身を委ねるだけだから安心。プレイ内容が過激なだけ。

過激なSMクラブがありましたが普通のお店もあるようです。
普通の?
こちらはヘルス店です。
なんかさっきの店を見たあとだと普通の店だと思ってしまいます。
SM系の店と普通の店。このようにちゃんと色分けがされているようです。ちなみにこの二つのお店は同じ系列店なんだとか。
普通の店じゃなさそうな予感。いやそもそも普通の店じゃないですから!
大須には店舗型は二軒だけでしょうか。なんか準風俗店みたいなコンカフェもありそうですがコンカフェはあくまでもコンカフェ。性風俗店とはやはり違うのでしょう。

この二軒の風俗は普通の商店街にある異質な店舗。でもそもそも遊郭があった大須。そりゃ風俗の一軒や二軒あってもしかるべきです。これらは江戸時代のころから続く大須観音門前の歓楽街の名残り。歴史ある尾張を代表する店なんです。
風俗店を名古屋の代表にはしたくない!

錦や栄には歓楽街があり風俗街となっています。でもあえて普通の商店街にある異質の風俗を選ぶ。そういう特異な人が集まるところのようです。
ここは大須のオアシススポットなのでしょう(だいぶ過激だけど)。
本日は大須商店街を巡りました。シャッター街化していた町を電脳街に変え活性化。再度寂れるも外国人を受け入れ活性化。大須はこのようにして何度でも蘇ったようです。今回は人を避けて午前中に大須に訪れましたが楽しむのであればお昼頃がよさそう。大須観音でお参りした後エスニック料理を食べて電脳街を散策しマニアックな雰囲気を味わい、そしてコンセプトカフェを楽しむ。大須は丸一日遊べるスポットのようです。名古屋のお遊びスポットといえば栄や錦ですが大須も悪くなさそうです。
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本日はパトゥムワン区にある駅にいます。
こちらの駅の名前はクルンテープ駅、またはフアランポーン駅、もしくはフワランポーンかファランポーン駅。通称バンコク駅もしくはバンコク中央駅、またはバンコクターミナル、BKK駅。
呼称が様々ありますが国鉄の呼称はクルンテープ駅となっているようです。
現地でも呼び方はバラバラですがどの呼び方でも通じるみたいです。
バンコクは地元の呼び方や観光客の呼び方。古い呼び方など呼称がバラバラのところがあります。そもそもバンコクって地名も正式ではありません。
バンコクの正式名称は、
クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリー ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・ サッカタッティヤウィサヌカムプラシット。
この、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリー ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・ サッカタッティヤウィサヌカムプラシットは名称が長すぎるってことで地元の人は、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリー ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・ サッカタッティヤウィサヌカムプラシットとは呼ばずに最初の部分のクルンテープと呼ぶようです。
そのため本来はこちらの駅の名称もクルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリー ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・ サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅になるのでしょう。
でも、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリー ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・ サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅だと長いのでクルンテープ駅と呼ばれているのでしょうね。
ほぼ寿限無の世界。
ちなみに正式名称にバンコク要素はゼロ。

同駅は元々始発駅でした。
バンコクのターミナル駅でここよりタイ全土に鉄道が伸びていました。日本でいう東京駅のようなところ。「でした」の通りターミナルだったのは過去のお話。現在はここから北に7km先にあるバーンスー駅がターミナルとなっています。移転した理由は渋滞緩和のためでした。

クルンテープ駅はクルンカセーム運河沿いにあり運河を渡った西側は王宮のある旧市街。東側が新市街地となっています。
駅前を走るラマ4世通りは旧市街とを結ぶ道で運河を渡る橋が架けられている主要道路。
また駅近くには高速道路も走っています。
国鉄は運河に沿って路線が伸びていますが地上路線なので踏切があります。交通量が多い、運河があるため渡れる道が少ない。そして踏切によってスムーズに車が流れない。タイは世界でも有数の渋滞都市で国鉄がその渋滞の原因となっていたのです。
そのため2000年頃から駅移設の話が持ち上がり2021年にここから7km離れたところに新駅を開業しました。実際にターミナルの移設が完了したのは2023年。
現在のターミナル駅はクルンテープ・アピワット中央ターミナル駅で通称バーンスー駅もしくはバーンスー中央駅、またはバーンスー分岐駅、もしくはバーンスーグランド駅。新駅も名称が複数ある。
当初はクルンテープ駅を閉鎖する話でしたが現状でもまだ列車が発着しています。ただ本数は半減しており以前のようには混まなくなったようです。確かに駅利用者はかなり少なそうです。

現段階で駅廃止は見送られているようですが現在メトロを延伸中です。メトロが出来れば駅は廃止になるかもしれません。
メトロ開業は2027年のようです。メトロ駅ができれば人の流れも変わるでしょう。

本日私がここに訪れたのは飲みに行くためです。私は前回のバンコク滞在でもここに来ています。その時はちょうどコロナ禍のとき。全世界で感染症が蔓延したことで人との接触は良しとされない時期でした。そのため夜遊びせず慎ましやかにしていたのです。
ソイカウボーイのゴーゴーバーを見に行ったりソイナナのナナプラザに行ってみたり。
ぜんぜん慎ましくない。
別の感染症にかかりそうな行動パターン。
その不安はいつぞやのこと今は三密オーケーになりました。だったら飲みに行くべきでしょう。
バンコクにはゴーゴーバーもあるし日本のキャバクラ的な店もあります。でもせっかくバンコクにいるんです。バンコクらしい飲み屋さん、行きたいですよね。ってわけでクルンテープ駅にきたのです。
ここの駅前にはゴザバーってのがあります。
路上のゴザを敷きそこで飲食をする。いわゆる屋台みたいなものでしょうか。でもバーという名がついている通りそこで飲むことができます。そしてそのゴザバー、店員が女性なんです。
地べたに敷いたゴザの上で女性店員が接客するキャバクラやスナックなどの接待スタイルの店。つまり屋台のキャバクラなんです。
日本にはゴーゴーバー似た店は歌舞伎町にあります。ラウンジやガールズバーも日本にあります。でも屋台キャバクラは花園神社の酉の市にあるくらい(日本にもあるんだ)。
酉の市のは自然発生的にできたキャバクラだし11月の酉の市の日に限定されています。バンコクの屋台キャバクラは常設なんです。ここでしか味わえないあらば行くしかないでしょ!ってわけで来たんですがまだ日が傾き始めた時間帯。さすがにこの時間からは営業してないようです。店は19時くらいから開き始めるんだとか。ってわけで出直しです。
基本的に海外では日が暮れたら外出しません。治安の問題もあるのですが一番は犬が怖いから。強盗の類いならお金渡せば危害はないですが犬の場合は対話もできないんです。でもバンコクは犬が減りました(いるにはいる)。そのため日が暮れても外出できます。
バンコクでは21時を門限にしています。2時間ワンセット、夜遊びしちゃいましょう。

19時です。再度クルンテープ駅前に来ました。
日中とは違い駅前にはゴザを敷いた人がいます。3年前よりもゴザバーの数が減ってる気がします。店によって違いがあるのでしょうか。でも勝手がわからない。
とりあえずものは試しに一軒行ってみましょう。

こちらがゴザバーです。値段とかが不明なのでシステムを聞きます。
酒は一本100バーツ。
以上。
タイムチャージなどはなく飲み食いした分を支払うシステムです。明瞭会計で結構安いです。ゴザに座ると店員がコンビニに行き水を買ってきてくれました。その水をチェイサーにお酒を飲むスタイル。

センソムっていうタイのラム酒の空き瓶に赤色の液体が入っています。こちらはヤードンというハーブリキュールです。
正確な名称はヤードンラオ。ヤードンの意味は煎じ薬、ラオはお酒(蒸留酒)です。
主にタイ米で作った米焼酎を主原料にハーブなどの動植物を漬けた薬草酒です。
タイではお酒の自家蒸留は禁止されていますが地方ではごく普通に作られているそうです。そしてヤードンは各家庭で味が違うんだとか。使用するハーブで効能も変わるのでしょう。なかにはちんちんおっきくなっちゃう系のもあるっぽいしゴザバーにはそういった効果のあるヤードンが期待できそう。
ヤードンはいわゆる密造酒なのでしばしばメタノール中毒で死者が出ています。ちなみに昨年バンコクで8人死者が出ています。
爆弾酒じゃないですか!
日本でも物資が不足していた戦後にエタノールの入った酒が出回ってました。ドカンと当たれば死ぬから爆弾酒。まさかこの時代に爆弾酒が呑めるとは。
果たしてちんちんが大きくなるのか、それともちんちん大きくなってから死ぬのか。
日本と違って酒を飲むのも楽じゃないです。
でもこのゴザバーの酒は大丈夫なはずです。ここのはコンビニで打ってるラオカオに薬局で売ってるヤードンの素を混ぜたものです。ハーブリキュールというよりカクテルに近いです。つまりちんちんおっきくなるだけのようです。
このヤードン、結構おいしいんです。
甘みがあり薄めたカンパリみたいな味。ストレートで飲み続けてもそこまで重くない。おそらく焼酎は水で薄められてます。
容量は350ml。けっこうスルスル飲めちゃいます。
でもこんなガバガバに飲んでいたらちんちんがヤバいことになっちゃうんじゃ。あとがいろいろ大変なことになりそう。
でもここはバンコク、その手の店があるので如何様にもなります。
ヤードンの効果はどんなもんなのかな?
持続力なのかなそれとも硬さかな?
こちらのヤードンの薬効を調べたところ生理不順に効果があるそうです。
なんの役にもたたねぇ!ガバガバ飲んじゃった。

ゴザバーの醍醐味はおつまみです。当然食事も用意されています。むしろそちらの方がメインなのでしょう。ゴザバーで売りにしているのはソムタムです。
ソムタムとはパパイヤを使ったサラダでタイの代表的な料理ですがもともとはタイ北部のイサーン料理です。このゴザバーで働く人は全員北部出身。北部の田舎娘がバンコクの玄関口働いてるのです。ソムタムを売りつつ接客もするし酒も注ぐ、キャバクラ嬢ならぬソムタム嬢です。
私は日本でソムタムを食べたことがありますがバンコクでは食べていません。理由はサラダだからです。生野菜は海外では食べない。その理由はお腹を壊すリスクがあるからです。
衛生的ではない環境下で作られた野菜は食中毒になるおそれがあります。
でも、せっかくソムタム屋台に来てるんです。
これは食べなきゃでしょう!
マイペッと伝えると唐辛子を減らしてくれます。それでもめちゃくちゃ辛いです。

ソムタムの作り方は青パパイヤにライムとトマト、調味料はナンプラーと唐辛子、それに大量の味の素。
大量の味の素を入れたので味は味の素の味。スゲー辛いですが酒のツマミになります。まさか屋台のソムタムを食べる日が来るとは。しかもゴザ敷いた路上で食べています。
ソムタムを食べながらイサーン娘と会話をする。会話をするって言っても多少英語ができる程度。そのためグーグル翻訳を介して会話します。日本語からタイ語の翻訳は以前はクソでしたが精度が上がったのか普通に会話ができます。

ソムタム嬢の方そこまで若くはなさそうです。実際に長くこの仕事をしているそうです。イサーン出身だが今はこの付近に住んでるそうです。
ゴザバーのことを詳しく聞いてみました。
2022年頃は10軒くらいあったでしょうか。どうやら現在ゴザバーは減少しているそうで店が出ているのは4軒しかないんだとか。
2020年より感染症が蔓延し2023年にはターミナルが移管され、フワランポーンの辺りに来る人は減りました。客が来なければ売り上げが立たない。そのためゴザバーは減少していったのでしょう。ゴザバーはバンコクの名物スポットみたいですがゴザバー自体はグレーな業態なんです。
路上で酒を飲むことは国によっては禁止されてます。日本は路上飲酒は条例で禁止地域がありますが基本的には禁止されてません。
タイにはアルコール飲料規制法という法律があり、寺院や公園などでは飲酒が禁止されていますが路上飲酒自体は禁止されていないようです。しかし陸上交通法という法律の規定により道路上で酒類の販売は禁止されています。
路上販売を禁止しているのは飲酒運転を抑制するためなのでしょう。
ゴザバーで飲むことは路上飲みみたいなもの。路上飲みは法律で禁止されていません。
しかしながらゴザバー自体は道路上で酒類の販売しているので違法営業です。グレーというよりクロなんです。そのため警察も定期的に取り締まっているようです。
ただでさえ人通りがなくなったのに捕まるリスクのある商売。ソムタム嬢をやる人も減っているんでしょうね。
かつては駅前に数十軒のゴザバーがあったそうです。当時は今のような屋台キャバクラではなく西川口を源流とした一子相伝の秘儀NK流のゴザバーがあったそうです。
ヤードンにはムラムラッとする効果はないですがソムタムは食べる薬と言われているそうです。ちんちんおっきくなっちゃう系の効果がありそう。
食べてムラムラとなったときに処理してくれる店。かつてのゴザバーはそんなところだったようです。
ちなみにソムタムの効能を調べたところ、生理痛軽減の効果があるそうです。
こっちも関係なかった。
かつてのソムタム屋台は本サロと一緒、ソムタムは本サロのウーロン茶的な扱いです。西川口ではウーロン茶に1万円払っていたんです。
ここも高額なソムタムなのでしょう。
今回食べたソムタムはたぶん50バーツくらい。NK流のゴザバーのソムタムの値段は500バーツ。これはソムタム嬢も食べられそうな値段設定。
現在はそういったサービスはないっぽいです。
ごく普通の、ごく普通?
ごく普通の飲食店です。飲食店?
ソムタム嬢は食べられないようですがどうやらこの界隈立ちんぼが出現するんだとか。
この界隈の立ちんぼといえば運河を渡った先にあるジュライロータリー。そっちに行けば街娼がいますがクルンテープ駅前にも街娼がいるそうです。屋台で食事をした後の客を狙っているそうです。ただ平日ではなく週末に出現するそうです。
週末はソムタム屋台にも結構客が来るんだとか。
屋台ですが毎日同じ場所で営業しています。そんなわけで常連客がいるそうです。ちなみに日本人の常連客も3人いるそうでスクンビットのあたりに住んでいるんだとか。常連と呼ばれるほど日本人も通うようです。たしかにその気持ち、わかります。
アソークの辺りは飲み屋があります。またプロンポンの辺りは日本人向けの店もあります。しかしそのどれもが過激なサービスのところばかり。そして値段も結構する。財布のことを気にせずに落ち着いて飲みたい。のんびり、ゆっくり過ごしたい。そんなとき、ゴザバーは最適なのでしょう。
滞在時間は一時間ちょっと。今回のお会計は270バーツでした。日本円で1200円。
お酒2本と水2本、それにソムタム。
酒の値段が100バーツ。
水は10バーツでしょうか。
そうなるとソムタムは50バーツ。
手軽な屋台キャバクラです。
こういった店でのんびりするのもいいもんです。
ソムタム嬢「また、明日も来てくれる?」
まさかのお誘いです。これはなんか期待できるんじゃないでしょうか。
ゴザバーはかつてそっちのサービスをしていた。現在はそのサービスはしていない。かつてはピンサロ営業だったのでしょう。今は健全なキャバクラ店になったんです。でもキャバクラだって、あるじゃんそういうの。
店外デートとか同伴出勤とかマクラとか。
つまり、通い続ければその可能性はあるんです。1%でも可能性があるならば達成に向けて通うべき。
常連の日本人、1%の可能性にかけてる説。
3人の常連の日本人、すでに兄弟説。
私はこのままだと末っ子になる。
本日はソムタム屋台 ゴザバーに行ってみました。
真っ暗で相手女性の顔もちゃんと見えないほぼピンサロのような雰囲気のゴザバー。でも青空の下で酒を飲むのって気分がいいですね。
日本でもこういう店があったら流行りそうですが法律上の問題で営業はできないのでしょう。つまり、バンコクに来て味わうしかありません。

まだ20時過ぎ。夜はこれからの時間帯。でも私は門限が21時です。あと一時間しかありません。
でもあと一時間あれば充分間に合うはずです。
私はこれよりジュライロータリーの私娼窟を巡ってきます。やっぱ過激なサービスがある方が絶対にいいんです。
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プロンポンは日本人街じゃなくソープ街だった!

こちらはプロンポン駅近くにある麺料理屋さん「ルンルアン」です。ミシュランガイドのビブグルマン認定店で結構人気のお店なんだとか。提供される料理は麺料理のクイアッティオです。
クイアッティオとは米粉麺の総称です。
フォーに似たやつですがフォーはタピオカ粉が含まれるのに対しクイアッティオは米粉のみ使用。食感がフォーの方がツルツルしてる感じ。
ミディアムサイズで70バーツ、280円くらい。安いんですがここは量は少なめなんです。
小腹が空いたときに食べるとちょうどよい感じ。そんなわけでここには頻繁に来ています。
いわゆるタイのラーメン屋みたいなところでスープや麺の種類が選べるスタイルとなってます。

スープはトムヤムスープと豚骨スープ。またスープなしってやつも選べます。スープありがナームでスープナシがヘン。
麺の種類は6種類あります。
スタンダードなのがセンレックという中太麺。つまり汁ありの中太麺はセンレックナームになります。
具材は肉か魚か。フィッシュボール、ミートボール、それと臓物。
私は豚骨スープのセンレックで全部乗せを注文。野菜マシマシニンニクアブラカラメみたいな感じ。
プロンポンは日本人街として有名でこの界隈には日本人向けの店があります。なんとなくラーメンに近いセンレック。日本のラーメン屋にいるような感覚です。

ルンルアンの脇の路地の中は日本語が目立ちます。こちらは飲み屋街でしょうか。この路地は居酒屋が多くあります。タイは仏教国ですがバーなどの飲み屋はあります。でも日本の居酒屋のような食事をして酒を飲むって店は少ないようです。
レストランでもお酒は提供していますがそれだとなんか味気ない。やっぱり居酒屋で一献ってのが日本人が求める形。
遠く離れたバンコクで日本を味わう事が出来る店。ここはバンコクにある飲み屋横丁なのでしょう。

当然そんな飲み屋横丁。居酒屋だけでなくキャバクラ的な店もあります。
キャバクラはただ話すだけの店。
女性に接待してもらうってのは日本特有。日本らしさといったらキャバクラなんでしょう。外国にいてもキャバクラに行きたい!まさに日本を味わうための店です。

こちらはマッサージ店でしょうか。タイにはタイマッサージ店が数多あれど、やっぱり日本式マッサージが好まれるのでしょう。日本人街だからこういった店があるんですね。

まさに日本を味わうための店。
いやこれは店舗型ファッションヘルス、性風俗関連特殊営業の二号営業の店。
さすがは日本人街。
日本人が好きそうな店がここにはあるようです。

この通りはスクンビットソイ26、ソイアーリーってところです。この通りも日本人街っぽい店があります。

普通のマッサージ店って感じがしない店だらけ。こちらにはヌルジェルって書いてあります。
ヌルヌルしたジェル。どんなのか想像ができます。たぶん洗体密着のやつですよね?日本でもメンズエステとかでよくあるやつです。
洗体密着エステは風俗店とは限らない。普通のエステ店もあります。
英語のスライミーではなくヌルと表記してるのはヌルヌルマッサージが日本が起源なんでしょう。
調べたところこのヌルジェルの起源は川崎堀之内なんだとか。
これはマットプレイのこと言ってる。
マットプレイだとわかりづらい。
泡踊りだとわからない。
だからヌルジェル。
ちなみにヌルジェルでネット検索をするとバンコクのマッサージ店しか出てきません。
泡踊りは1969年に川崎堀之内で誕生。人気となり堀ノ内中の店で採用されました。その後マットプレイって名称で日本全土に広がりそれが悠久の時を経てタイへ伝来しました。それがヌルジェル。タイ人には人気なんでしょうね(客のほとんどが日本人っぽいけど!)

こちらにもヌルジェルとかかれた看板があります。タイマッサージ店に混ざってあるヌルジェルの店。看板には日本語と中国語と韓国語のみ。ここは現地タイ人の店ではないし英語圏の店でもない。東アジア人向けの風俗マッサージ店なんでしょう。

ここなんかもう隠す気ゼロの状態です。スペシャルマッサージで通じるんですね。

こちらはチャイナパブでしょうか。
泰國第一華人制服主題店。
タイ初のチャイナドレス専門店。こちらもマッサージ店です。マッサージ店?
ここ、日本人街なの?日本人街というよりここってマッサージ街になってます。

こちらはスクンビットソイ24の1って通り。ここも日本語が目立つしマッサージ店も多いです。マッサージ街なんだけどマッサージ要素が薄め。その代わり風俗要素が強めの路地。

LOVELOVEと書かれてあります。
風俗マッサージっぽい。でもLOVEイコール風俗と判断するのは浅はかです。

こちらにはタイ語が書いてあります。
こちらは求人の募集要項で翻訳したところ、美人を多数募集、高収入って書いてあります。
確実に風俗店の募集要項。

こちらの店もどんな店なのか不明です。
調べたところマッサージ店です。韓国語、日本語、中国語、ヒンディー語。
まさかのインド人もここでは兄弟。
インド人は風俗利用しないと思ってましたがそういえばインドにも私娼窟がありました。バンコクはインド人が多いので利用者がいるんでしょうね。

こちらのお店はコンカフェのようです。
タイの日本人街の一角にある日本人向けコンカフェ。秋葉原にある店がバンコクに出店したそうです。ここは日本人のための癒しスポットなのでしょう。
バンコクに出向で一人寂しく夜を過ごす。遠い海外で暮らすのは不安や悩みがつきもの。その不安を解消するため癒しを求め日本人街の飲み屋に行くのでしょう。この付近の飲み屋街は日本人のオアシスなのです。
でもキャバクラはちょっと違うって人もいます。
キャバクラのノリはちょっと重い。
かといってスナックは入りづらい。
ガールズバーってのもなんか違う。
このように人によって選り好みがあるのです。そういった人のためにコンカフェがあるのです。
コンセプトカフェはあくまでも喫茶店。キャバクラみたいなノリじゃないしコンセプトを楽しむためのカフェ。こちらの店はどんなコンセプトでしょうか。

看板には診療所と書かれています。
つまり病院コンセプトカフェなのかな。ちなみに横浜に似たようなコンセプトの店がありそちらは風俗店でした。

しかもM性感。

こちらの店は具体的なことが書いてないのでどのようなコンセプトがあるかは不明です。でもたぶん健全店なんでしょう。たぶん。

こちらは マッサージ店です。
もうマッサージ要素がほぼ無い看板。
明らかに風俗店の装い。
コスプレ着たままデキる!の「デキる」の部分、何ができるのかな?コスプレしてマッサージができるのかな?挿絵の感じからすると制服着たままなのかな?
なんか沼津で見たような女の子のキャラクター。なんとなく権利関係に抵触しそうな看板です。
どんなサービスが受けられるかは不明。左下のところに中国語が書いてあります。

日式誘人的按摩。
これは日本式の魅力的なマッサージって意味です。
使用胸部和凝膠、擦拭整個身體。
これを翻訳してみたところ、胸とジェルの使用 全身の揉みほぐし
これ、パイズリじゃねーか!
この店もヌルジェルのお店なんですね。
この界隈のマッサージのほとんどがヌルジェル。ここはヌルジェル街なんでしょう。

そういえば以前この辺りにこのような店がありました。看板から察するにスナックの類いかな?明らかに日本人向けの店って感じでした。

ちなみにこちらのお店。同名の店が雄琴のソープ街にあります。
ここ、日本人街でもマッサージ街でもなくソープ街だった。
プロンポンの辺りは日本人が多くいるエリア。
そのため日系スーパーや日本料理屋などがありバンコクでも快適に暮らせる店があるのですがやはり日本が恋しくなるものでタイのよりも日本式風俗が望まれるのでしょう。
その結果ソープランド的な店ができるんです。
でも日本と違うのは早朝から営業してないこと。
ソープ街は早朝から営業しているもんですがバンコクでは早朝営業してない模様です。
日本人は風俗行くのは朝飯前だと思ってたんですが早朝から風俗行く人、そこまで多くないみたい!
客が来なきゃ店が成り立ちません。

ちなみに夕方はこんな感じ。
まさかの再来訪。
いやいや冒頭で立ち寄ったルンルアンに行ったんです。おいしいタイ料理を食べにね。食べたついでにここに立ち寄ったんです。
適当な口実。
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都市化で消えてなくなるスラム「サムセン運河コミュニティ」

こちらはペッチャブリー通りです。
アソークの北側に位置するこの場所はタワーマンションが建ち並ぶエリアとなってます。

地下鉄の駅も近いし空港アクセス線も近くにある大変便利な場所となっています。収入の良い人が住むエリアでしょうか。でもかつてはあまりよい場所ではなかったようで1970年代前半のベトナム戦争時に休暇でやってきたアメリカ兵が集まるエリアでした。
休暇でタイに行ったとしたらどこの国の人でもすること同じ。女を買うのでしょう。この界隈には売春宿や風俗が集まるエリアでした。
かつては賑やかな場所だったんでしょうね。でもそれは50年も前の話。もうそういった店はない。

と思いきやまだそれっぽい店が残っており通り沿いにマッサージパーラーがあります。これがベトナム戦争の爪痕ってやつでしょうか。
歴史を感じれるし色々感じれるお店。この付近のお店はどこも大型店舗のようです。

こちらなんて見た目はほぼホテル。これ、性風俗店なんです。
昔はもっと店があったのでしょうか。日本にもかつては大型店がありましたが性産業は縮小し店舗型は徐々に減りつつあります。
バンコクにあるこれらの店も消えていくのでしょう。十年後にはもうなくなっているかもしれません。楽しむのであれば今しかありませんね!

というよりなんかヤバそうな地域にいるんです。ギャングとかがいそうな雰囲気の場所。放置されている廃虚みたいな雰囲気ですがこちらは空港線と国鉄が走る線路沿いです。

ここに訪れたのは風俗を見るためではありません。バンコクの街を散策するために来ました。
ホントに?
ここの北側にスラムがあるそうなのでそのに向かうついでに立ち寄ったのです。そう。ついでに立ち寄っただけ。まっまさか風俗利用するはずないじゃないですか。たまたま通りかかっただけなんです。アクアがいいとかプラザがいいとか、それともハーレムがいいとか。マッサージパーラーにいくつもりはなかったんです。
ぜったいネットで口コミ調べてる人。
今日はそんな風俗遊びはしません。二日連続は体力的に厳しいですからね!
すでに登楼済みだった。
これより向かうのはクロンサムセン運河コミュニティってところです。
タイにはスラムがありません。実際はスラムはあっちこっちにあるんですが、国内ではスラムと呼ばずコミュニティと呼ぶようです。スラムって言葉が差別的ってことで名称を変えました。国関係なくこういった言葉狩りはあるんですね。

そのコミュニティがマッカサン駅近くにあります。マッカサン駅は地下鉄のペッチャブリ駅のそば。マッカサンは空港から都心に行く際の乗換駅です。そんなわけで多くの観光客が利用する駅ですが駅の裏手はこんな感じで未開発のままです。
マッカサン駅は2010年に開業しました。15年間ずっとこのままの状態ですが近々商業開発がはじまるようです。
現在はスワンナプーム国際空港へ行くための駅ですが将来的には三つの空港に行けるようになります。
スワンナプーム国際空港、ドンムアン空港、そしてパタヤにあるウタバオ空港。
ドンムアン空港への鉄道開通予定は2028年。
ウタバオ空港への鉄道開通予定は2030年。
開通すればますます便利になりそうです。
ちなみにこの路線はさらに延伸予定でタイとカンボジアの国境まで伸び、さらにはカンボジアの首都プノンペンへつなぐ予定なんだとか。またプノンペンとホーチミンをつなぐ路線も検討中で、それができると中国北京からタイまで鉄道だけで移動できるようになります。
私は北京から陸路でインドを目指した経験がありますが、その時はホーチミンからタイの間はバスでした。北京からタイへ鉄道の旅ってなんかロマンがあります。

っていうより、なんか迷子になってるんですけど!明らかにヤバそうなところに来ちゃった。なんとなく質が悪そうな雰囲気のあるところ。

壁に落書きがあります。
weed is healthy
might be cpelled wrong
葉っぱ吸い過ぎで頭おかしくなっちゃったのかな。大麻利用者の質が問われる。タイは合法国ではありますがこういう落書きをみると規制すべきと思います。

なんかヤバそうな燃えカスがあります。
ほぼ北斗の拳の世界。

日中だけど囲まれたら逃げられない路地。
ちなみに私がいるのは大通りの北側。大通りを渡らなければなりません。でもここに歩道があるんだから渡れるはずです。

こちらはチャトゥラティット通りです。
ぜんぜん渡れなさそう。自動車道のような道。当然横断歩道はなく地下道も歩道橋もない。そもそも渡ったとしてもその先には川があります。つまりこのルート、全然ダメだった。
なんか近そうだからこっちから行こうぜ!みたいな日本のノリで歩いて行ったら自動車道を歩かされることになりました。そして当然ですが歩道はありません。首都高で歩行者がいるみたいなのと同レベル。迷惑系ユーチューバーみたいなやつ。でも引き返すのもあれなんで突き進みましょう。

なんとなくインターチェンジっぽいところが見えてきました。道路わきに水路が見えます。こちらはマッカサン湖という人口の湖です。バンコクは頻繁に洪水を起こすため被害を減らすための貯水池みたいなものでしょう。
現在バンコクでは排水トンネルを建設中でそれが出来ればこの湖も必要なくなるのでしょう。
結局1kmほど歩かされラーチャプラーロップってところまで来ました。自動車道の逆側を歩けば目的地に着きますが再度あの道を歩くのは不安なので遠回りします。

でもこっちはこっちでヤバそうな雰囲気。高速道路の真下を通る道。かつてはホームレスがいたような雰囲気です。
そういえばバンコクはホームレスが少なくなりました。まだ駅前にいますが物乞いはだいぶ減りました。逆に外国人が物乞い、というより寸借詐欺をしています。
今回のバンコク滞在で二度ほど欧米人に声をかけられました。一人目は財布を落としたから飯代くれって女性と二人目は宿代が無いから貸してくれって男性。日本でも似たような寸借詐欺に遭遇していますが、手法は似たような感じなんですね。感染症が明けて旅行者が増えたからでしょうか。それに合わせて詐欺師も増えているようです。

住宅街のようなところに出てきました。市営住宅のような建物がありますが、こちらはディンデーンフラットという団地です。この界隈はスラムが広がっていましたが1963年にスラムクリアランス事業の一環でこちらの公営団地が建てられました。
この付近の人口は約10万人。かなり多くの人が住んでいるようです。

低所得者層が住む公営団地。バンコクの平均月収は42000バーツですが、同団地の平均月収は15000バーツ未満。15000バーツを日本円に直すと64000円。ほぼ国民年金と同額の値段です。
つまり国民年金だけで生活をしている日本人はバンコクでも低所得者扱いになるようです。
日本よりか物価の安いバンコクですらこれなんだから年金だけで生きていくなんて到底無理な話です。

こちら、公団住宅を建設中です。築60年経過しており建物が古くなったため2016年以降建て直しが順次されてるようです。新しい住居は月額1000バーツ。ちなみに古い建物は300バーツだったのでかなりの値上がりになります。もともと1500円で住めたんですね。

こんな感じの街並みですがその左手、こちらが本日行きたかったところです。

こちらに看板があります。
サムセン運河コミュニティとかかれた看板。
バンコク、マッカサン地区「クロンサムセン」。こちらは運河に囲まれたコミュニティで川沿いに小さな家が軒を連ねております。

コミュニティ内を流れるのはサムセン運河です。
1800年代に作られた運河ですが現在は水上交通には使われておりません。少し前まではゴミだらけだったようですが見た感じだとキレイです(キレイではない)。

バンコクも日本同様に水運で栄えた都市。そのため市内には運河が至る所にあります。首都高速が運河に沿って整備されているようにバンコクでも運河沿いに高速道路があります。ここはまさに運河沿い。そのため近くに自動車道と高速道路があります。交通量が多い道路のためここは空気が悪いです。

細い路地の一本道。これがコミュニティのメイン通りになります。細い道なのにバイクが駐車してあるので歩きづらい。

このコミュニティはあまり治安が良くないらしくその手の組織の人もいるとかいないとか。強盗やひったくりなんかもあるそうでクロントーイスラムよりも治安が悪そうです。

こちらには洗濯機があります。
インドでも似たようなスラムに行きましたが洗濯は手洗いでした。そもそもインドのスラムは上水道が通っておらず水は井戸水か給水車から取水する形でした。そのため洗濯機が使えなかったのでしょう。
バンコクではライフラインは通っており電気と水道が使えるため洗濯機があるのでしょう。ただ下水設備がないのでしょうか。各家庭に洗濯機がないためかコインランドリーがコミュニティ内にあります。
基本的に排水は垂れ流しのようでそれが原因で水路が汚くなっているようです。ここに関してはインドと似たような感じだし、日本もかつては垂れ流しでした。今では多摩川はキレイになりましたが私が子供のころは泡立っていましたからね。バンコクも時期にキレイになるのでしょう。

こちらはコミュニティ内にある弁当屋の看板です。弁当が20バーツ。かつては20バーツあれば飯が食えましたが最近じゃ飲み物が買える程度になりました。でも探せばこんな感じで安い店もあるんです。
「清潔で美味しく、毎日新鮮」と書いてあります。出勤時間帯にしか営業していないようですがこの街の人はお昼の弁当を買ってでかけるのでしょう。

コミュニティを通り抜けた先はペッチャブリ地下鉄駅のあたりです。バンコクにはこのようなスラムが2000もあります。ただスラムは徐々に減りつつあるようです。
マッカサンの周りは現在再開発中で駅近くは大規模商業施設をつくるようです。今後各空港がつながれば利用者も多くなるのでしょう。それに先立ち付近の土地収用がはじまっておりサムセン運河コミュニティも収用されるようです。つまりこのコミュニティ、近いうちになくなります。

高速鉄道開発、マッカサン駅商業開発、排水トンネル建設プロジェクト。10年後の街並みはかなり変わるのでしょうね。

本日はマッカサン駅界隈を散策しました。予定では一つのスラムに行くだけでしたが迷子になったことでいろんなものが見れました。予定通りに進まないでもそれで新たな発見がある。こういったのも行き当たりばったりの旅ならでは。
ってわけで私はこれよりアソークの繁華街へ行きます。当初はマッカサンそばのマッサージパーラーに行く予定でしたが口コミがいまいちだったので別の場所へ。予定通りに進まないでもそれで新たな発見がある。こういったのも行き当たりばったりの旅ならでは。やっぱマッサージパーラーは行く予定だったみたい。
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岩倉に新たな風俗は生まれるか?ブラジルだけじゃない多国籍団地

本日は愛知県岩倉市に来ております。こちらは名鉄犬山線の岩倉駅です。この駅が岩倉市の中心になるのでしょうか。
名古屋まで特急で11分の距離にある岩倉市は名古屋のベッドタウンとなっています。
人口自体は県内で4番目に少ない市ですが、人口密度自体は4番目に高い過密地域の岩倉市。その理由は市の面積が県内で最も小さく全国的に見ても11番目に小さい都市なんだとか。

こちらは岩倉駅の東口側です。現在は西口側が栄えているのでしょうか。
かつては東側も商店が軒を連ねるエリアでしたが現在はお店は少なくなり住宅街になっています。
このように岩倉駅は普通の住宅街ですが、駅から少し離れるとちょっと様子が変わります。

五条川を渡った先に商店街がありますがこちらには日本っぽくない飲食店があります。
「一回食べたらやみつきになる」
こちらはケバブ屋さんです。
ケバブといえば中央アジアの料理、有名なのはトルコでしょうか。
看板右上には月と星のマークがあります。月と星が描かれた国はいくつかありトルコもその一つ。でも三日月の角度からこれはパキスタン国旗です。ってことはパキスタン料理屋かな?

でも左に書かれてるのはアラビア文字ではありません。また英語でもなさそう。
調べたところこの文字はポルトガル語のようで、ブラジルの朝食、お弁当と書いてあるようです。
ちなみに店名のALATURKAはトルコ風って意味なんだとか。ブラジル風のトルコケバブパキスタン仕様。だいぶ地域がぶっ飛んでるどっかの国の料理。どこの国の料理屋なのか全くわからねぇ。

こちらの店名もポルトガル語っぽいです。
そしてあってであろうブラジル国旗。

すごい異国感がある住宅街。
そうなんです。この界隈は外国料理店が多いです。
こちらは岩倉駅東にある岩倉団地前、どうやらここは外国人街なんだとか。

岩倉団地は約2000世帯住むマンモス団地。
築年数は棟によって異なり、若いところで築28年、古いところは築60年なんだとか。ここは市営住宅ではなくURのいわゆる公団住宅。
URは敷金も礼金も保証人も不要なので保証人を用意できない人が多く住んでいます。とくにURは外国人が多いです。
川口にある芝園団地は4割が外国人。
横浜霧が丘はインド人街で1割が外国人。
このようにUR団地があるところは外国人割合が多く、ここ岩倉団地の外国人割合は35%のようです。そしてその外国人の中で突出しているのがブラジル人なんだとか。
ブラジル人が増えたのは1990年以降、入管法改正により日系人の在留資格が緩和され、それにより仕事を求めて日系ブラジル人が増加。自動車製造工場の多い愛知にブラジル人が増えました。
しかし日本には伝手もなく住む場所もない。
部屋を借りようにも外国人だと門前払い。
でもURであれば借りれたのでしょう。そのようにして岩倉団地にブラジル人が集まりました。
岩倉市は人口48000人で外国人の数は3400人。外国人比率は7.2%と高く、そのうちブラジル人が5%。その多くが岩倉団地に住んでいるようです。
岩倉東小学校の外国人割合は5割を超えています。もうブラジルが地域に根付いているのでしょう。そんなわけでここはリトルサンパウロなんです。

ブラジル人が多い岩倉。
リトルサンパウロと言われる岩倉団地ですがどうやらブラジル人だけじゃないようです。ブラジルに隣接するペルーやボリビア人もいるし、アルゼンチンやパラグアイなど南米が多いですがトルコ料理店があったように中東の人も多くトルコやパキスタン人も岩倉に多くいるようです。
普通のブラジリアンタウンとは少し違いますがいろんな国の人が住む多文化共生社会ならでは。ここでは本場のブラジルとは違ったブラジルが味わえるのでしょう。

団地内の案内にはポルトガル語がかかれてます。
これはUR団地ではよくあることです。でも珍しいのが中国語と韓国語がありません。
日本にいる外国人の多くは中国人と韓国人で300万人いる在留外国人の内、100万人が中国籍と韓国籍です。そのため日本語、英語、中国語、韓国語、この4つの言語がセットのことが多いです。でもここはポルトガル語と日本語だけ。

と思ったらベトナム語もかかれています。
団地にベトナム人が多いのか、それとも不法投棄するベトナム人が多いのか。ベトナム語の標識もこの団地ではよく見かけます。

30年前はブラジル人が増えたようですが、今は若いベトナム人が増えているようです。
ちなみに在留外国人で一番多いのは中国人ですが二番目に多いのがベトナム人です。
近年ベトナム人の犯罪率が増えていますが、単純に人口が増加しているからなのでしょう。良いグエンさんもいれば悪いグエンさんもいる。目につくのが悪いグエンさんなだけです。

こちらは岩倉団地前にある輸入食材店です。
外国人街には必ずある外国人用のスーパー。名前からしてブラジル食材の店なのでしょう。ここであれば本場のブラジルが味わえるはず!せっかくなんでブラジル味わっちゃいましょう。

ってわけでビールを購入しました。こちらはクスケーニャというペルーのビールです(ブラジルじゃねぇ!)。
ブラジルじゃないけど、ペルーはほぼブラジル
日本は中国の領土と言ってるのと同じ。
これは国際問題に発展しかねない発言。
クスケーニャは私のおすすめです。
日本ではなかなかお目にかかれないビールでペルー食材を扱っている店でしか売ってません。そもそもペルー食材店自体がないので買えません。
私がクスケーニャに出会ったのは20年ほど前、ペルー料理屋で飲みました。
ビールってさっぱりしてる飲み物って印象ですがこのクスケーニャは甘くてクリーミーなんです。たまに飲みたくなるのですが通販でしか買えない。しかも通販はダース売りしかしていない。そのため全然飲んでいませんでした。
ネット通販で買うしかないクスケーニャですがここであれば手軽に手に入れられます。
東京からだとぜんぜん手軽じゃなかった。

輸入食材店前にある掲示板です。
日本語の説明はゼロ。英語表記も無いから何かいてあるかわからない。挿絵の様子から求人案内だと思われます。主に土木作業系の仕事が多いのでしょうか。
言葉の問題があるため接客業は難しい。外国人には対話が少ない仕事があっているのでしょう。

こちらの店は中古品買取店。日本語とベトナム語がかかれています。どこの言語がかかれているかでどこの国の店なのかはわかります。

そういえばブラジルはポルトガル語ですがペルーはスペイン語。二つの言語は違いますがポルトガルもスペインも隣同士の国。そのため差はないのでしょう。似た言語なので言葉が理解できるようです。
ペルーとブラジルは隣同士の国。ペルーはほぼ、ブラジルみたいなもんですからね!
これは国際問題に発展しかねない発言。
このように様々な国の人が住む岩倉団地。
新大久保のような観光客向けの外国人街ではなく地域に密着している感じです。中東あり南米あり東南アジアあり。このごちゃごちゃした感じ素敵じゃないですか。
日本にいながら海外気分が味わえる。
しかも愛知要素もはいっている。
この混沌とした感じはきらいじゃないです。

こちらはマッサージ店でしょうか。
こちらの店は英語で書かれています。いやなんだったら店名は日本語。
チャイナ系でも韓国系でもないエステ店。外観はそっち系っぽい雰囲気がありますが、こちらの店はおそらく普通のエステ店。
外国人街って性ビジネスが少ないです。なんかありそうな雰囲気なんだけど存在しない。まぁ存在しないのは在留資格の関係があるから。外国人は風俗店で働けないのです。
いや駅前のある中華エステって...。
あの中華エステはエステ店です。だから、セーフです。
セーフって言ってる時点でアウト!
駅前にある明らかに不健全そうな中華エステ店。
あれ不健全店っぽいけど表向きは健全店なんです。法律上は働けないので表立って営業してない。
つまり外国人の風俗店はないのです。
では在留外国人、性処理はどうしているの?
最近は外国人客も受け入れるようになりましたがそれでもまだ入店不可のところが多い性風俗店。都内には外国人専用の無店舗型風俗もありますがそれらの多くは訪日観光客向けなのでしょう。
在留外国人は風俗を利用できない。
以前からこれ、気になっていたんです。
風俗に現を抜かすなんてあるまじき行為、就労を目的として来日しているから遊ばず働け!
ほぼ刑務所みたいな暮らしを強いられてるんです。これは人権侵害ではないでしょうか。
それとも宗教上の理由で不要なのでしょうか。
イスラム、キリスト、ヒンズー教、これら三大宗教は婚前交渉や姦淫は禁忌です。ユダヤ教もシク教も禁止されています。仏教はその辺り緩いようですが多くの宗教でタブーとされる性交渉。
キリスト教徒が多い南米とベトナム。
キリスト教徒は風俗店は利用しないのでしょう。
いやベトナムには普通に風俗店があった。
南米も私娼がいるし風俗街があるみたい。
それと儒教や道教も婚前交渉はタブーだけど、中華エステと韓国エステだらけだった!
一応中華エステはエステ店。一応ね!

岩倉駅に戻ってきました。
岩倉団地は外国人が多くいる地域でした。異国感が少し味わえたんじゃないでしょうか。
わざわざ新幹線に乗って名古屋まで来てその行き先が外国人街。どうしょもない名古屋観光です。ブラジル人街に行きたいなら横浜鶴見にあります。近場で済ませられるんです。わざわざ名古屋まで行く必要はありません。
それもそのはずで私は外国人街を見に来たわけではありません。岩倉に来た理由はピンサロがあったからです。
名古屋まで来た理由がピンサロ見に来ただけ。
しかも「あった」ってことは過去のお話。
潰れたピンサロを見に新幹線で名古屋まで。
ゴミみたいな名古屋観光。

岩倉駅の西口側です。
東口よりこちら側の方が幾分栄えているようです。といっても地方の郊外の駅。駅前に飲食店が数件ある程度で、駅から離れると住宅街になっています。そんなごく普通の駅前ですがかつては数軒のピンサロがあったようなんです。

すでに店も看板も残ってはおらずピンサロがあったかどうかもわかりません。でもこの辺りの雑居ビルに店があったようです。当時はピンク色のネオンが輝いてたのでしょう。
岩倉にあったそれらの店は西川口を源流とした必殺拳NK流の一派。しかも岩倉にあった一部の店舗は栃木に伝わる秘儀小山流の流れを汲む店でした。
北関東、流派が多すぎ。
「北斗現れる所、乱あり」って言葉があるように北関東スタイルのピンサロがあるところは摘発により淘汰されるもの。岩倉にあった店も営業できなくなったのでしょう。
そもそも名古屋まで一本で出れる立地の岩倉。
わざわざピンサロのために、ここまで来るはずがありません(ピンサロ見に来たはずの人間が言ってる)。
岩倉流であれば安く済ませられるのでしょうが名古屋は激戦区なのでサービスもよいです。自宅前の風俗よりも名古屋まで遠出する。そのようにして客が減少していったのでしょう。
そもそも名古屋に乱立していたピンサロもほぼ壊滅していました。岩倉にあったそれらの店も無傷ではなかったはずです。摘発や利用者減少など色々なものが相まって岩倉にあったそれらの店は淘汰されたのでしょう。

そもそも岩倉は外国人が多い街なんです。
キリスト教徒は風俗利用しないんでしょ?
ムスリムも風俗利用しないんでしょ?
そりゃ利用者も減るでしょう。
つまり移民が増えると風俗が減るのです。
それは由々しき問題!
日本政府の移民政策に断固拒否する!
国民の性生活を守るべき。
でも移民が一般化されれば外国人ピンサロができるかも?
やっぱ移民を受け入れるべき。
すぐにでも法改正してください。
日本は若い外国人に手を差し伸べるべきなんです。外国人ではなく若い外国人。
本日は外国人が多い岩倉を散策しました。
ブラジル人が多い街でしたが最近はベトナム人も増えています。移民受け入れにより今後はもっと増えるでしょう。さらに多国籍化が進みます。生まれも育ちも違うため様々な問題を抱えることになりますが、いろんな文化が混ざることで新たな文化が生まれるかもしれません。
例えば新しいスタイルの風俗店とか。
やっぱ移民を受け入れるべき!
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8割は不健全なマッサージ店!第二の日本人街「オンヌット」はエロだった!
本日はBTSのオンヌット駅に来ております。中心地に行けるバンコクスカイトレイン。ここより一本でアソークやサイアムに行けます。

オンヌットは観光地ってところではないですが利便性のよい場所なので住宅が多くありBTSの中でも乗降者数が多い駅なんだとか。
駅前にはショッピングモールやスーパーがあり現在外国人が増えつつあるエリアのようです。
でも発展しはじめたのが最近なのでローカル店も多く昔の雰囲気が味わえるんだとか。

駐在日本人にも人気のエリアのようでプロンポンから転居してくる人もいるようです。
家賃が安いってのも転居理由のひとつですが生活維持費が安いのでしょう。プロンポンの辺りって日用品が高いんです。日式スーパーもあるけど高級路線で少し高めで日本でいう成城石井みたいなところなんです。
質はよいし日本の製品も扱ってるけど少し高い。普段使いするなら地元のスーパーがよいのですがプロンポン駅の周りは店がないんです。でもオンヌットなら駅前に店があるんです。
駐在員の給与は普通よりも高いようですが日本と違って海外では色々とお金がかかります。
生活費が安く済むならそっちの方がいい。そんなわけで日本人が集まっているようでオンヌットは第二の日本人街とも呼ばれています。

こちらはオンヌット通りの南側。プラカノン警察署の裏手のスクンビット77/1って路地です。
駅から徒歩4分くらいのところにある路地で飲食店が軒を連ねるエリアです。店先に屋台あり食べ物を売ってます。なんとなく昔のバンコクの雰囲気がある路地。なんか懐かしい感じです。
こちらの路地はマッサージ店が目立ちます。
どうやらこの路地はマッサージ通りとして有名なんだとか。

タイマッサージは世界無形文化遺産に登録されてます。そのため市内にはあちこちにSPAがあります。
ショッピングモール内にもあるし空港にも当たり前のようにあるしこのように路面店も複数あるんです。
アソークやサイアムなどの中心地もSPAがありお店はどこも旅行者で混んでいます。
ただ中心地の値段は観光地価格。安くないんです。
でもこの界隈は地元民向けのSPA。低価格でタイマッサージが受けられるんです。
地元向けだけど旅行者にも有名な場所のようでこのマッサージ通りは地球の歩き方にも掲載されてるんだとか。それだけ有名なマッサージ通りなんです。
地球の歩き方には、
オンヌット駅のすぐ近くにあるマッサージ街。腕の良いマッサージ師が多く値段も手ごろ。ほとんどの店が1時間200バーツから。50バーツほどチップを渡すと喜んでもらえる。
って書いてありました。
ここは有名な通りなんですね。

アソークだと300バーツくらいからなのでここは少し安めのようです。価格が安いため日本人観光客も結構来るそうです。気軽にタイマッサージが味わえる。そんな観光スポットのようです。
でもここのマッサージ店。
スペシャルサービスも存在するんだとか。
これこそが世界遺産。第二の日本人街、エロだった!
そういえばそうなんです。
日本人街のプロンポンは駅前にエロ通りがあるし日本人街のトンローも駅前に怪しいSPAがある。台湾の日本人街・林森北路も大人の街だったしベトナムの日本人街もエロマッサージがありました。
日本人街の要件。
寿司、天ぷら、ラーメン、エロマッサージ。
日本人が転居している理由、エロマッサージ目的なのかも!
そんなことより地球の歩き方、具体的な部分を避けて書いてるんです。真実の部分を隠して書いてるんです。
でも本当のことを書いたら旅行雑誌じゃなくなります。
オンヌット駅のすぐ近くにあるマッサージ街。腕の良いマッサージ師が多く値段も手ごろ。ほとんどの店が1時間200バーツから。どの店にもスペシャルコースがありGFと特殊スマタが味わえる。
これじゃあただの風俗情報誌。
全世界版のマンゾク。

オンヌットのマッサージはそっち系の店。でも、日本の風俗エステのようにスペシャルサービスがありますよ!みたいな表現がかかれた看板はありません。どう見ても普通のマッサージ店しかないんです。

こちらはプロンポンの店なんですがスペシャルサービスがある店ってわかります。でもここにはこういった外観の店がありません。
はたしてどこがそっち系の店なのか?
その手の店とわからないようにしているのでしょうか。隠れて営業しているのかもしれません。
タイでは売春は法律で規制されています。売春自体は違法ではありませんが管理売春や客を勧誘する行為は禁じられています。また日本の売春の定義は性交をすることですがタイの定義は性交類似行為も売春の扱いです。つまり手や口だけだとしてもそれは売春なのです。ってことは風俗店はタイにないはずです。でも、実際のところは存在しています。
タイにあるそれらは建前上は普通の店。明らかに風俗店っぽいところでも健全店。
あくまでも入浴の介助。
あくまでもマッサージ。
でも施術者の個人的行動によりそういったサービスが受けられる。
日本のソープにおける一時の恋愛感情と同じで法の抜け穴を突いて性ビジネスが成り立ってるのです。だから街中には風俗っぽい店があるんです。
外観が風俗っぽいけど健全店。でも実際は風俗店。こんな店がタイにはいっぱいあるんです。でも逆に外観は健全店だし中身も健全店。でも実際は風俗店。なんて店も中にはあるかもしれません。
それは夢が広がる。

ごく普通のSPA。ごく普通のマッサージ店だと思ったらそういうサービスもある。タイではその可能性があるんです。
でもそれって危険ですよね。
日本では洗体密着SPAとか明らかに怪しいのに「当店は風俗店ではありません」と掲げる店があります。ウェブサイトにこの文言がかかれているんです。この文言、風俗エステでも書いてあるんです。
これ、届出してない風俗エステでも見かけます。風俗エステは風俗営業の届け出をしていないため警察に摘発されないようこの文言を書いてあるのです。
風俗営業の届け出をしていないモグりの店のため建前上風俗店じゃないと記載しているのか。それとも本当に健全店なのか。
その言葉、真実はどっちだい?
それはホントなの?それとも建前なの?
どっちだかわからない。
誰も教えてくれない。
紙パンツの有無で判断する?紙パンツ履く店は健全店の証拠?でも「もしかしたら」ってのがあるじゃん。
明らかに健全店だけど1%の可能性があるならそれに賭けたい。そうやって手を出して逮捕されちゃう人もいます。
このように風俗店かどうかの判断が難しいんです。

バンコクでもそれの判断が難しいんです。だってタイには建前上は風俗店がないんです。
このエステは風俗かな?建前上は普通のエステ店。
このSPAは風俗かな?建前上は普通のSPA。
じゃあどうやって判断すればいいの?
そのサービスを期待して店に行ったのに期待したサービスは受けられなかった。こんなことになっちゃうんじゃないでしょうか。手を出して捕まる可能性もあるのです。これじゃあ楽しむことすらできない!
でも、安心してください。
どうやらタイのマッサージ店。ほとんどの店でスペシャルサービスがあります。
は!?
タイにあるマッサージ店。健全店っぽところでも付加サービスがあるんです。もちろん全ての店ではないようですが8割くらいがスペシャルサービスがあるようです。
けっこう高めの数値!

つまりオンヌットのマッサージ通り全てがそっち系の店と言えるんです。いや、そっち系の店っていうと語弊があります。基本的には健全な店で普通のマッサージ店です。でもその普通の店でも性サービスが普通にある。タイではそれが当たり前なことのようです。
日本では飲食店で水が出てくるのが当たり前。
タイでは性サービスが選べるのが当たり前。
まさにこんな感じなんでしょう(多分違うけど)。
そういえばプロンポンのスパに行ったとき追加のハンドサービスを提案されました。そこは普通のマッサージ店でした。
プラカノンでスパに行ったときも追加オプションを提案されました。そこもどう見ても健全店でした。
タイではそこまでマッサージ店に行ってませんが高確率でスペシャルサービスを提案されました。
付加サービスがあるかどうかは施術者次第ですが性に対し大らかなタイでは基本サービスなのでしょう。
健全店か不健全店か風俗か否かとかではなく全てが健全店で全てに風俗サービスがある。タイではそれが 当たり前なのです。
紙パンツがどうとかそういった次元じゃなかった。

本日はオンヌットのマッサージ街に行きました。
健全なマッサージ店だけど不健全なサービスもある。8割がそういったサービスをしているようです。ってことはハズレがあるってことですよね。
せっかく健全なマッサージ店があるんです。
しかも低価格で受けられる。だったらマッサージ するべきじゃないでしょうか。

この店は健全な店かな?
こっちの店は健全なのかな?
これ、どこが健全なのかわからない!
日本だと紙パンツの有無で判断できるけどタイだとそれができない!
これは当てずっぽうで行くしかないですね。
8割ならまず外さないでしょう。
コイツ、不健全店をさがしてる!
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スラム跡地に天国を!カジノ建設で消えるスラム街「クロントイ」

本日はバンコク市内のクロントーイに来てます。こちらはMRTのクロントーイ駅です。
クロントーイ駅はクロントーイ地区にあります。
クロントーイ地区は範囲が広くバンコク中心地のプロンポンやアソークなどのスクンビット通りの北側はクロントーイ地区です。

でもクロントーイといえばこの駅の辺りを指します。

こちらは駅近くにあるクロントーイ市場です。こちらは小売店や飲食店向けの市場。
青果、精肉、鮮魚。
ありとあらゆるものが売っており日本では見ることがない蛙やタガメも売ってます。

市場って観光地くらいでしか見ないですよね。日本でも場外市場や朝市はありますが朝が早いしそもそも近くに市場がない。
日本は食材をスーパーで買う人が多いのでしょう。日本じゃこの景色はあまり見れなくなりました。でもバンコクは市場で食材を買うのが一般的でここは朝から活気にあふれています。
どうやらこの市場は24時間開いているそうで夜中でも営業している店があるそうです。

観光客が来るような場所ではない地元密着市場。買い付けに来る多くが飲食店なのでしょう。

いわゆるプロ仕様の市場です。私は金銭的な事情からレストランに行かずフードコートか屋台飯でしか食べてませんがその食材はここで仕入れているんでしょうね。

日本に比べると衛生的ではありませんがインドと比べるとはるかに衛生的です。やはり水がふんだんに使えるのはいいですね。
路上はビシャビシャで確実に濡れます。ここに来るときはサンダルがよいでしょう。
このように市場に多くものがあるのはクロントーイが物流の要だったからでしょう。
築地市場は港のそばにありました。水揚げしたものをその場で売れるし物資を水運で運べるから物資を運ぶのに港は重要拠点でした。そしてクロントーイにも港が近くにあります。

バンコクは海から30kmほど離れています。港って海にあるものですがバンコクは川にあります。バンコク港って川にある港でこちらの線路を歩いていくと行けるようです。
こちらは旅客鉄道ではなく貨物路線で港と都市を結ぶ路線なのでしょう。
バンコクに港ができる話が出たのは第二次世界大戦前の1937年ころ。1932年に民主化したタイは海運業の振興を図るため港湾建設を計画、クロントーイに港を建設することにしました。
港湾建設は大規模事業。多くの労働者が必要でした。そのため他州から労働者が集められたそうです。
政府は港建設に伴い沿岸付近の土地を接収し、そこに労働者のキャンプ地を作りました。
仕事もあり住まいもある。
労働者には良い環境だったのでしょう。
戦争により港湾建設は一時中断するものの1947年にはバンコク湾は開港しました。
開港となれば労働者は仕事にあぶれます。しかし地元に帰ったところで仕事がない。そんなわけで労働者はキャンプ地に居つくようになりました。それにより不法占拠ははじまったようです。このようにしてクロントーイスラムが誕生しました。
港が開港してから20年ほど経ったあと。アメリカがベトナム戦争における軍事拠点としてこの界隈に基地を設置することになりました。
基地を作るってことはまた労働力が必要です。仕事を求め、移民が集まりました。
さらに1970年代に各所にあったスラムを政府が排除することにしました。各所に住んでいた人は移転を余儀なくされクロントーイに集まったそうです。
このようにしてどんどん膨れ上がりクロントーイスラムは東京ドーム15個分。約70万平米の広さになりました。

この路線を進むとスラム街につながっています。というより線路に沿って住宅があります。
線路沿いって汚れているイメージがあります。汚れる理由は客がゴミを捨てたりするからです。
でもこちらの路線は貨物列車専用。そんなわけでゴミが散らからないのです。貨物列車なら頻繁には通らないのでしょう。道じゃないため車が通らないので静か。日当たりもよいし ここは過ごしやすそうです。
実は私ここに来るのは二度目です。
何度も来るような場所じゃない!
でも雰囲気がよいでしょ。
なんかスタンドバイミーの世界が味わえます。
日本でこんなことしたら怒られるけどここであれば怒られない。スタンドバイミーごっこができるんです。

ここの線路沿いはきれいです。
インドでも線路を歩きましたがうんこだらけなんです。それと比べるとかなりキレイ。猫がいるためうんこゼロではないですがすごい清潔感があります。
線路に清潔感を求めるやつなんていない。
でも住むのに最適そう。

ちなみにクロントーイ駅そばには大きなマンションが建っていました。スクンビットから駅二つしか離れてないクロントーイ。めちゃくちゃ利便性がよいのでしょう。この界隈はどんどん開発がされそうで線路沿いの景色は見れなくなるかもしれません。

線路を抜けた先、こちらはアットナロン通りです。ここは駅から少し離れたところです。バンコクはメトロが今でも延伸していますが市民の主な交通手段はバスです。渋滞で全く動かなくなることが多々ありますが安い値段で移動できるバスは使い勝手が良いです。別に駅のそばでなくても不便ではないのでしょう。

この先がクロントーイで一番混雑してるところです。
人口10万人以上が住む住宅密集地、クロントーイ。
多くが地方から転居してきた人が住んでおりまたカンボジアやミャンマーの移民もいます。さらには不法移民も住んでいる地域です。
バンコクは大小約2000のスラムがありますがその中で一番大きいスラムがクロントーイです。

ここがスラムの中のメイン通りでしょうか。
私は今回インドからバンコクに来ました。インドでも散々スラム街を巡りましたが、なんかバンコクのスラムって普通の街に見えるんです。バンコクは急速に発展しスクンビットのあたりは高層ビルが出来ています。そこと比べるとここは昔のままの状態です。昔のままってだけで別にスラムっぽくはない。

おそらくこのあたりは市営住宅でしょう。
建物は古そうですがキレイに保たれています。やはりインドとは異なります。
スラムってもっとゴミが散らかってたりうんこ転がってたりするじゃないですか。

こちらはフィリピンマニラのトンドスラムです。ゴミだらけで汚い感じ、これがスラム。

こちらはインドデリーのスラムです。ゴミだらけで汚い感じ、これがスラム。

タイ、めっちゃキレイなスラムなんです。なんかキレイなジャイアンみたいな言い方ですがタイのスラム、スラムじゃない!
インド行ってからスラムの基準が厳しくなってる。
スラムには定義があるようで国連の場合は、
1.改善された水へのアクセス
2.改善された衛生施設へのアクセス
3.住み続けられる保証
4.住居の耐久性
5.十分な生活空間
これのどれか一つでも欠けたらスラムなんだとか。国連の基準はだいぶ緩めです。
ちなみに私の住まいは定期借家です。
3の住み続けられる保証が危うい。
また、古いため震災には耐えられないようです。
二つも欠けてる!
俺んち、国連の基準だとどうやらスラム。
日本人、1、2はクリアできそうですが3、4、5はクリアできない人、結構多そう。日本にはスラムが存在しないと思ってたけど国連基準だと結構ありそう。
ちなみに日本にはスラムの基準がないんだとか。基準がない理由は「スラムがないから」。
いや、なんかありそうな感じだけど...。
国連基準だとクロントーイはスラムになります。
タイ国内のスラムの定義は、人口が密集し不衛生で住環境が劣悪なエリア。この定義の場合、クロントーイはスラムになります。
バンコク市内には2070カ所スラムがあり約200万人がそこで暮らしているんだとか。
タイ基準でもクロントーイはスラムですがゴミとか転がってないし街並みがキレイなんです。
日本にもこんな感じの街並みはありそうですがここはスラムなのでしょう。でも私の中での基準だと違うんですよね。

スラムってこんなとことか。

こんなとことか。

こんなとこ。

これ、日本だった。しかも全部川崎。
スラムを満たした条件、日本にいっぱいある!
なんだったら日本の方が酷い気がする!

こちらがクロントーイの最深部です。
細い路地が続き、その中に小さな家があります。下水が垂れ流しの状態のためニオイがしますがなんか昔の日本っぽい感じです。

バンコクの中心と比べると差がかなりあります。落差が激しいので汚く感じますがごく普通の住居でスラムっぽさがない。ただここは川岸の近くです。バンコクは雨季の期間中は洪水が発生します。市街地でも冠水は頻繁に起こり当然川沿いであるここも冠水するのでしょう。

床下は水が流れています。
常時床下浸水。

冠水すると酷い状態になりそうです。下水まみれで衛生的ではない。これがスラムといわれる所以なんでしょう。

こちらはスラム児童財団です。
この界隈にはNPO法人が複数あります。
貧困は教育の機会を奪います。
教育の機会を奪われると貧困が繰り返されます。子供が貧困から抜け出すための施設です。この手の施設があるってことはまだ必要な人が多くいるのでしょう。

スラムの雰囲気は弱めのクロントーイですがほかのところよりか安く住めるのでしょう。そのため低所得者が集まる地域です。
ちなみにタイの低所得者割合は約10%。人口7000万人に対し700万人います。
貧困者は国民福祉カードというものをもらえます。カードは日用品購入の割引や列車の割引など生活に最低限必要なものの割引ができ、また毎月一定額の電子マネーが受け取れます。
人口の10%が低所得者。つまり10人に1人が貧困者なのです。先進国の仲間入りをすると言われるタイでもこのように貧困者が多くいるようです。なかなか貧富の差の改善は難しいですね。とくに発展途上国ではその差は激しいのでしょう。
ちなみに日本の低所得者の割合は15.4%。
6人に1人だった。
他国の心配している場合じゃねぇ。
日本は発展どころか後進してる!
日本の生活保護の利用率は1.6%程度。それと比べるとタイの方が割合が高めです。でも生活保護に至らなくても相対的に貧困といわれる世帯は多くありそれが15%もいるんです。
先進国の中では最悪な数値。日本の未来はだいぶ暗いです。

本日はバンコクの最大スラム。クロントーイを巡りました。ほかの国のスラムとは違いキレイな街並みです。日中なら危険は少ないですがここはスラムです。訪れる場合は注意した方がよいでしょう。ただこの景色はもうじき見れなくなるかもしれません。クロントーイは再開発地区に指定されてるからです。ここにアミューズメント施設を建設予定なんだとか。
観光大国のタイですが、現在旅行者が減少しています。コロナの影響もあったのですが物価ダタ過度の影響もあり観光客が激減。中国人観光客は日本が旅行先となり、欧米人はアフリカが旅行先となったようです。このようにしてタイの人気がなくなりました。
観光収入に頼っているタイなので現在本腰を入れて観光客を呼び戻そうと新たな施策を打とうとしています。
タイでは2024年にギャンブルが合法化されました。
規制が緩和されたことで市内にザ・ロイヤルサイアムヘイブンというカジノやホテルを備えた娯楽施設を建設予定です。その建設予定地にクロントーイが含まれていました。
バンコク港を潰し娯楽施設をつくる。
バンコク港は河川にできた港。
水深が浅く大型コンテナの係留が困難なためバンコク湾に面したレームチャバン港に順次機能を移設してます。現在はレームチャバン港がメインの港となっておりバンコク港は不要となりました。そのためカジノ建設予定地となったのでしょう。
バンコク港を潰しカジノとホテルを建てる。つまり港がなくなることになります。港がなくなれば港湾業務がなくなる。
この界隈には港で働いている人もいます。その人たちの職はなくなるのでしょう。また港がなくなればこの路線も不要となります。
そしてここも建設予定地に含まれているなら立ち退きとなるのでしょう。

立ち退きも何も元々は国の土地だったのですがタイも日本同様に時効取得があるのでしょうか。立ち退きや補償など今後はこの問題が加速しそうです。
娯楽施設ができるのは2039年。まだできるまで時間がかかります。カジノができるまでこの景色は眺められそうです。カジノができるころには、もうここはスラムじゃなくなるのでしょう。
スラム排除の一環でもあるカジノ建設ですがスラムのあった場所が金持ちが遊ぶところになる。なんとも不思議な光景です。でもスクンビットから駅二つしか離れておらず歩けない距離でもないクロントイ。ここに舵のが出来れば観光客も期待できます。
日本のカジノは2029年にオープン予定なのでバンコクはその後になりますが、こちらは首都です。観光地としての基盤はすでに出来上がっています。
バンコクのカジノの方が人気になりそうです。これまではバックパッカーの観光地でしたがこれからは金持ちを対象とした観光地になります。バンコクに観光客が戻ること間違いなしです。それにしてもスラムそばに天国をつくるなんて皮肉が効いてます。
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ナイトクラブもあるし街娼もいるバンコクにあるアラブ人街
本日はBTSのナナ駅に来ております。
アソークの隣駅であるナナ駅。スクンビット通り沿いは人が多くお店も色々あります。ナナで有名なところはナナプラザでしょうか。ゴーゴーバーが密集するエリアで世界最大の大人の遊び場を自称する風俗街です。
今日はそういったところには行きません。
そんな不健全なところには行きません。
バンコクに行ったらゴーゴーバーに行く。そんな遊び方はゲスのすること。バンコクで風俗遊びなんてもう古いんです。
寺院を観たりアクティビティーを体験したりバンコクの旅行は健全であるべきです。
ちなみに先日行きましたが客は結構いました。

すでに行ってた。
不健全なアクティビティーを体験してそう。
今日はそんなアクティビティーは体験しません。本日ナナに来た理由はここに外国人街があるからです。

ソイ・スクンビット3と5の間。正式にはソイ・スクンビット3/1。ナナプラザとは反対側にある路地、細い路地の中はタイとは違う景色が広がってます。アラビア文字がかかれた店が軒を連ねるエリア。
この辺りはソイアラブと呼ばれておりここは中東系の店が多いエリアとなっています。

アラブ人が増えたのは1980年代ころ。この付近に中東レストランができたことで徐々に店が増えて街が形成されたそうです。とくに中東の人のビザ発給が緩和されたことでアラブ人旅行者が増加しました。この街はアラブ人によるアラブ人のためのリトルアラビアなのでしょう。
アラブって石油のイメージですがオイルマネーで潤ったアラブ人が来るそうでここはかなり賑わってます。

こちらは香水のお店です。
複数の香水店があるのもアラブ人街の特徴です。日本と違い水が貴重な中東。そのためお風呂に毎日入る習慣がありません。その代わりに香水文化が根づいたのでしょう。

店先には沈香が飾ってあります。
東南アジアでしか入手できない沈香。アラブでは人気で金より高く取引されてます。
お金持ちがいっぱいいそうな感じ。タイは仏教国でアラブはイスラム教国。タイは他宗教にも寛容な国でムスリムは5%もいます。でも食の問題など文化的な違いがあるためアラブ人でも気軽にいれる場所が必要です。この街の飲食店は全てがハラル料理店。アラブ人向けなので気軽に食事ができます。
また近くにバムルンラード病院があるのですが同病院は東南アジアで最大規模の病院なんだとか。アメリカ同時多発テロ以降、欧米で高度な医療を受けられないアラブ人が療養のためにその病院に訪れるそうです。
病院があることハラル料理店があること。
医と食が充実している。
これらがアラブ人が集まる理由なのでしょう。
私はアラブ人ではありませんが本日ここへは食事をしに訪れました。
ハラル料理じゃなきゃダメ、野菜しか食べない。人によって食べられない食材があります。
私は食べられないものはありません。
無宗教なので宗教的な縛りはなくまたアレルギーのようなものもないし嫌いな食べ物もあまりありません。腐ってたり汚染されていたりしない限り出されたものは基本的に食べるスタンスです。虫やゲテモノなんかも普通に食べるし、足がはえてて食べないのは机と椅子くらい。なんでも食べられるならいろんなものを食べたいじゃないですか!
日本じゃ食べられないご当地グルメを食べる。
海外旅行の楽しみは現地の食事です。
だったらタイ料理を食べるべきなんですが連日タイ料理だと食傷気味になります。そんなわけで違う国の料理が食べたくなるのです。
バンコクならばいろんな国の料理が食べれますが和食や韓国料理では味気ない。せっかくだから普段食べないものを食べてみたい。アラブ料理、すごい気になるじゃないですか!
ヨーロッパには行くかもしれませんが中東って行く機会がなさそうです。
中東料理ってのもイメージがつきません。
スパイスとか使うのかな?
豚肉は使わないはずだけど肉は羊肉かな?
主食はお米?豆料理とか多そう。
そもそも中東ってどこからどこなの??
このように中東に関して知識が乏しいのです。

イスラム法に則ったハラル料理が食べられる。それくらいの漠然とした知識しかありません。
日本でもムスリムタウンはあります。でも日本のムスリムタウンってインドネシア、パキスタン、トルコ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、スリランカ、マレーシア。ちょっと中東とはズレています。
ここはアラブ人の街です。
本場のアラブ料理が食べられそうな予感。
せっかくリトルアラブに来てるんです。
アラブ料理、食べちゃいましょう!

中東といっても国は様々です。中東料理とひとくくりにしている店もあれば各国その国ごとの料理店もあるようです。
レバノン料理、イラン料理、イエメン料理、またエジプト料理にパキスタン料理もあります。
イランとエジプト、パキスタンは食べたことある。イエメンとレバノン料理は食べたことがないです。というよりどんな料理か全く想像できません。せっかくですから全くイメージできないイエメン料理を食べてみます。

本日はこちらのお店に立ち寄りました。
イエメン料理屋さん。イエメンのイメージゼロでここに来ています。

メニューは英語とアラビア語?でしょうか。
英語が書いてあるし原料も書いてあります。
見た感じだと羊肉と鶏肉が多いようです。牛肉料理はなく、当然豚肉料理はありません。
あと豆とトマトと玉ねぎを使った料理が多いです。
主食は小麦と米のようですがこちらの店は米料理が多い感じです。写真があると味の想像ができていいですね。

ぜんぜん味の想像ができない。なんとなく吐しゃ物感が強めの料理。
イエメン料理は中東料理の中ではちょっと特殊で、また国内でも地域によって異なるようです。イエメン北部はオスマン帝国の影響を受け南部はムガル帝国の影響を受けているんだとか。
インドっぽいところとトルコっぽいところ。そのいいとこどりみたいな感じでしょうか。

このマンディーってやつが有名な料理なんだとか。ってわけでこちらの料理を注文しました。

こちらがイエメン料理のマンディーです。
インドとトルコのハイブリッド飯。いいですね。
ちなみにこのマンディーは、イエメン東部の料理です。
オスマンでもムガルでもねぇ!
マンディーは「湿ってる」って意味をもつそうで湿った飯ってことなんでしょう(それだけ聞くとなんかまずそう)。
見た目はビリヤニやプラオに近い感じです。味も似た感じ。
香辛料で味付けされたマトン肉、それとフライドオニオン。米は出汁の味がきいてておいしいです。要はイエメンの炊き込みご飯です。
まずくなるはずがない。
でもこれ、ビリヤニと変わんない感じです
タイのカオマンガイとシンガポールチキンライス、ベトナムのコムガーと中国の海南鶏飯みたいなもん。多少調理法や材料は違うけどどれもこれも原点はピラフなのでしょう。
インドのビリヤニも美味しいですが中東のプラウやこのマンディーも外しません。おいしいです。
タイは唐辛子を使った料理が多いですがマンディーはからくないです。でもスパイスは多めのマンディー。そんなわけ水を注文しました。
私は中学英語くらいしか勉強しておらずその中学英語もまともに勉強してないので英会話は苦手な部類なんです。
ディスワン、チェックプリーズ。
お店に行ってもこの二つのワードしか発しません。でもこの二つのワードでどうにかできるんです。
先日まで私はインドを旅していました。インドはヒンディー語ですが第二言語で英語も話します。
インドでは頻繁にインド人に声をかけられました。拙い英語で多少は会話ができました。
英語を習得するなら勉強よりも会話がよい。インドでそれを実感しました。
Water, please.
こんな感じで水を頼むこともできるようになりました。もう、英語で悩む心配はない。私は毎日のインド人との英会話を経てネイティブスピーカーにクラスチェンジしました。

節子、これウォーターやない、コーラーや。
そういえばインドでは水を頼むときパニボトルって言ってました。
まさかのヒンディーネイティブスピーカー。

食事も済んだので街を散策、といってもとくに見るもんがないんですよね。ここにあるのはアラブ人用の旅行代理店と香水屋に貴金属店、それと飲食店でしょうか。

こちらはアラブ人街そばにあるナイトクラブです。アラブ人街に飲み屋とは珍しいです。一応アルコールも出しているようですがお酒はムスリム以外の人向けのようです。またここではシーシャも吸えるそうです。
タイは電子タバコの輸入や販売が禁止されてます。また加熱式タバコも同様に禁止です。さらにはシーシャも禁止となっています。
大麻は合法なのにこれらは違法ってすごいですが電子タバコ、加熱式タバコ、シーシャは違法です。でも観光客は道端で電子タバコを吸ってるし露店では電子タバコを売っています。またシーシャバーってのも普通にあります。
見つかると罰金を取られるそうですがなんとなく街に溶け込んでいる感じ。まぁ中東といえば水パイプのイメージ。宗教上お酒は飲めませんが水タバコは吸えます。この界隈は当たり前に吸えるのでしょう。
このナイトクラブの周り、夜になると立ちんぼが現れるそうです。
イスラム法関係なかった。
売春はイスラム教では重罪。でもアラブ人だって男の子だもん。そういうの利用することもあるのでしょう。
アラブ人向けなのかはわかりませんがこの界隈には街娼が夜になると出没するそうです。
そう、そもそもここってナナプラザがそばにあるんです。東南アジアで一番の歓楽街と言われるナナプラザ。それが目と鼻の先にあるんです。
病院が近くにあるからアラブ人街ができた?
飲食店が近くにあるからアラブ人が集まった?
いや集まった理由はナナプラザがあったからです。アラブ人が集まった理由、風俗を利用するためだった。
でもアラブ人は風俗利用しないんでしょ?
その辺がどうかわかりませんがその代替措置が街娼なんじゃないでしょうか。声をかけられて誘惑された。自分は悪くない。
街娼なら言い逃れができるんです。そんなわけでここには街娼が出現するんだとか。

こちらはスクンビット通り沿いです。
グランド5ホテルの前、まだお昼ですが街娼っぽいのが街路にいます。これはちょっと夜に来てみたいですね。
でもナナは歓楽街。
夜のナナは他の街より少し危険な場所です。
日が暮れたらホテルに戻る。海外では夜遊びはしないってのが鉄則です。

性欲を満たすために命を危険に晒す。
たった一晩のためだけにリスクを冒すべきではありません。人間には理性ってもんがあるんです。

夜のアラブ人街です。
命を賭した風俗巡り。理性を語る資格がない。
やはり外国人が多いエリアだからでしょうか。なんとなく六本木っぽい感じがします。

こちらは日中見たクラブです。まだ時間が早いからかそこまで人はいません。そうなると街娼もいないのでしょう。

こちらはスクンビット通り沿いのホテル前、街娼がいます。
私がバンコクにくる少し前にナナの辺りで街娼の一斉摘発がありました。
新宿の大久保公園と同じように定期的に摘発をしているバンコク。摘発により多少静かになったようですがそれでも街娼は供給されるようです。街娼は外国籍の人が多いそうでまさに外国気分が味わえる外国人街ならでは。この界隈にいる街娼はベトナムなど東南アジアの人が多いようですがアフリカ人の街娼もいるんだとか。
アラブ人街関係なかった!
てっきりアラブ人の街娼がいると思ってましたが売春はイスラム法で禁じられています。ムスリムの街娼はいないのでしょう。
なーんだ アラブ人、味わえないんだ。
イスラム法で裁かれるべき発言。
東洋人じゃなきゃダメ日本人しか相手できない。
人によって好き嫌いはあるでしょう。
私は嫌いなものはありません。
無宗教なので宗教的な縛りはありません。
アラブ人でも大丈夫なんです。
海外旅行の楽しみといえばコレです。
連日タイ人だと食傷気味になります。そのため異国を味わいたい。でも、日本人や韓国人だと味気ない。せっかくだから普段とは違う人がいい。アラブ人、気になるじゃないですか!
でもアフリカの方が凄い気になる。
中東にはもしかしたら行くかもしれないけど行くことがなさそうなアフリカ。東南アジアのタイにある中東のアラブ人街でアフリカの街娼と肌を重ねる。
いろいろとリスクありそうだけどアフリカ人、いくべきじゃないでしょうか!
結局不健全なところに行ってた。
ゴーゴーバーよりたちの悪い選択。














































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