これであなたも擬似穴兄弟!堀田駅前の私娼窟「平和園」の名残り

本日は名古屋市瑞穂区に来ております。
こちらは名鉄線の堀田駅です。
堀田(ほった)じゃなく堀田(ほりた)です。知らなきゃ確実に堀田(ほった)って読んじゃいます。
私はこの駅で降りるのは二度目。以前は乗換えで降りました。
同駅の南側に地下鉄名城線の堀田駅があります。このように堀田駅は乗換駅ですが二つの駅は400m離れているんです。地下通路のようなものはなく雨の日は乗り換えるのに傘が必要です。名城線と名鉄線は金山でも乗り換えられます。わざわざ堀田で乗り換える人はいないのでしょう。
私はわざわざ乗り換えた人だった。
そんな地味な駅ですが結構利用者が多いです。利用者が多い理由は企業があるため。
ブラザー工業、トヨトミ、パロマ、フルタ電機。ほかにもこの界隈は工場が目立ちます。堀田は町工場が多い地域のようです。

こちらは国道一号線の交差点「内浜」です。ここは旧東海道が通っていた道。西へ向かうと東海道最大の宿場町「宮宿」です。
通り沿いにはトヨトミとパロマの看板が見えます。
トヨトミは石油ストーブなどの空調機メーカー。
パロマはガス器具メーカー。
兄弟会社っぽいんですが二つの会社は別企業。同業他社のライバル企業のようなところですがそれが隣り合ってあるんです。ここが工場街だから大きな企業があるのでしょう。

そして一番目立つのがブラザー工業です。ミシンメーカーとして有名なブラザー工業。私は以前ブラザーのパソコンを使ってました。また複合機も同社の製品を使ってました。このようにPC機器の印象が強いですが元々のはじまりはミシン製造で今でも同社の主力商品となっています。
同社は1908年にここ堀田で創業。安井ミシン商会の名前でミシン修理業をはじめました。1925年に創業者が他界したことで創業者の子供10人が事業を継承。安井ミシン兄弟商会に屋号を変更し熱田伝馬町に店を構え修理業を続けたそうです。しかし不況によりミシン修理の需要が減少。そこで修理ではなくミシン製造に着手しました。現在の堀田は町工場の多いところですがかつては田園風景が広がる地域だったそうです。
堀田の地名の由来は増水すると田んぼが堀のようになるから。つまり田んぼが多かったのでしょう。また堀田駅の周りには苗代町など稲や田んぼを連想させる地名があります。そもそもの瑞穂区もみずみずしい稲穂が由来で平坦だったこの場所は田んぼに適してました。
穀倉地帯では副産物として藁が手に入ります。そのためここでは麦わら帽子の製造も盛んでした。それに目をつけたのが安井ミシン兄弟商会。
麦わら帽子を製造するミシンを開発。ブラザーの商標で販売を始めたそうです。兄弟が力を合わせて作ったミシン。ブラザーってそのままの意味だったんですね。そして堀田だったから作れたミシンでした。
ここはブラザーの発祥の街だったのです。
ミシンの修理業から始まったブラザー工業。今じゃ日本三大ミシンメーカーになっており堀田駅の周りにはブラザー関連の建物が多いです。もう堀田駅じゃなくてブラザー駅でもいいんじゃないかってくらいです。それくらい堀田に貢献しているのでしょう。

多くの社員が行き交う堀田駅。仕事終わりに一杯ひっかける人もいるはずです。駅前には飲み屋があります。
スナックビル的なヤツでしょうか。ブラザーが仕事終わりに飲みに行く店がちゃんと用意されています。

こちらはエビス大黒市場で公設の市場のようです。だいぶ年季が入った市場ですがその隣の路地。スナックがあったであろう街並みが見れます。

ブラザーがここで一杯飲んでいったんでしょう。
それもこれもこの界隈は工場街だから。
ライバル企業で敵対してるとしても仕事が終わればみな兄弟。もしかしたらほかの企業の社員とともに酒を酌み交わしていたのかもしれません。でもその様子はもう見れないようです。
需要があるから供給がされる。
かつてはそれを求められたのでしょうが今は仕事終わりに飲みに行く頻度も減ってます。
おでんにもつ焼き モツ煮に土手焼き、名古屋料理を扱う居酒屋も多かったのでしょう。またスナックも結構あったのでしょう。
仕事終わりに飲みに行くのが当たり前だった時代。もうそんな時代ではなくなりました。堀田の飲み屋はだいぶ減ったようです。

堀田駅前の飲み屋は減ってしまいましたがそれでもこの界隈は工場街となっています。
かつては穀倉地帯だったのが工場街へ。それにはいろいろな歴史があったのでしょう。なんか歴史を感じれるし感動的です。
ちなみにブラザー瑞穂工場に隣接する神穂町にはかつて私娼窟があったそうです。
いろいろ感じれるところで全然感動的じゃない。
風俗街があったから工場を建てた可能性もある。

こちらは神穂町にある東ノ宮神社です。
ご祭神は熱田大神。
明治以降に建てられた神社のようです。現在は神穂町ですが古くは八丁畷という町名で東海道の宿場町「宮宿」から八丁離れていたためその名で呼ばれていたそうです(諸説あり)。

熱田神宮へ奉納する供米田があったことから神穂町と呼ばれるようになったのでしょう。また瑞穂区の由来もこの地が関係しているようで明治元年に明治天皇が東京行幸でここを訪れた際、初めて農作業を見たそうです。それが由来で瑞穂と呼ぶようになったんだとか。そう考えると結構神聖な領域ですがこの神社の門前に私娼窟があったそうです。その私娼窟は平和園というところで戦後にできた風俗街でした。

ここは瑞穂区神穂町。
名前の通りこの界隈は田畑が広がる地域。辺り一面田園風景、人通りの疎らな場所。唯一あったのがブラザーの工場でしょう。
誰がための風俗街だったのか容易に想像できる。
風俗街があったから工場を建てたわけではない。工場があったらか風俗街ができたのです。

まぁどちらが先にせよ、その利用者はヘイブラザー。工場街の憩いのスポットだったのでしょう。
でも売春防止法施行により平和園も衰退。その後も生き残ってはいたのでしょうが自然消滅したのでしょう。5年前まで平和園の街並みが見れたそうですが今はキレイな街並みに変わりました。

私娼窟だった様子はなく、ぱちんこ屋があるくらいです。
神聖な領域!
ブラザーの工場の目の前に私娼窟があったなら、まぁ通っていてもおかしくないでしょうね。でももうそういった店はここにはないようです。
ここで働く工員らは寂しい思いをしてたでしょう。とつぜん目の前の風俗街が消えたんですからね。
私も川崎堀之内に住んでいた時、ちょんの間が摘発に遭い壊滅しました。それを目の当たりにしたとき愕然としました。
明日から私は何を目標にして生きればいいのか。
そんな風に悩み、夜も眠れず早朝になってからソープに行きました。
何も変わってなかった。
堀田で働く工員も多分同じ悩みを抱えてたはず。
でもなんとかなっていたのでしょう。
だってここは名古屋ですから!

商店街の方に戻ってきました。
こちらは町内にある喫茶店です。
名古屋といったらモーニング。この界隈の喫茶店は必ずモーニングがあります。
朝ご飯を悩む必要がないのが名古屋の良いところ。小倉あんトーストも名古屋飯のひとつでしょう。甘じょっぱいこの感じ、名古屋らしさを感じされます。
朝ご飯はご飯に味噌汁が一番ですがたまにはパンとコーヒーってのもいいもんです。こういう喫茶店で朝飯を食べるの、まさに名古屋って感じ。

その喫茶店の上の階、ヘルスがあります。
まさに名古屋って感じ。
名鉄線堀田駅近くの商店街、地域密着型の商店街ですが商店街にあるべきではない店があります。こにあるのは密着系のヘルスです。
神出鬼没の風俗店。
町内の一画、ポツンと一軒ヘルスがあります。名古屋らしいと言えば名古屋らしいです。
なぜか名古屋は普通の商店街に普通の商店みたいな感じで風俗があるんです。八百屋、精肉店、風俗店、鮮魚店みたいな感じ。なんか町内に溶け込んでるんです。
いや溶け込んではない。

でもポツンではなくもう一軒あるんです。
町内に紛れ込む風俗店。いやあまり紛れ込んではない。
なぜこんなところに風俗店があるのかな。
利用者が多いのかな。
需要があるのかな。
あっ!そういえば堀田駅の周り、工場街だった!
これは第二の私娼窟。工員のための憩いの場。
パロマやトヨトミ、実は穴兄弟だった!
かつては平和園という私娼窟がありました。
戦後にできた私娼窟。でも1950年代末期には閉鎖されてます。その後長らく工員たちは寂しい思いをしたはず。仕方なく電車に揺られ別の街に遠征してたのでしょう。でも新たなお遊びスポットが堀田にできたのです。この界隈の店は90年代にできたのでしょうか。わざわざ電車に乗らなくても堀田駅前で乗れる。この界隈で働く多くの人が来たに違いありません。
たった二軒の風俗店。
大企業がいくつかあるし小さな工場もある堀田。
そりゃ大混雑ですよね。
いや...さすがに職場のそばの風俗はちょっと...ってなるのがまともな大人の考え方です。
そりゃそうです。
もし入店するところを同僚に見られたら。
もし入店するところを上司や部下に見られたら。
職場の空気が気まずくなるじゃないですか!
だから控えるんです。まともな大人は。
でも風俗行くやつってまともな大人じゃないんです。もちろんこの界隈で働く多くの人がまともなんです。でもいるでしょ?ちょっとまともじゃない人。
この界隈でどれくらいの人が働きどれくらいの男性がいるかはわかりませんが大きな企業があるってことはそれなりに男性従業員はいるはずです。であればその中に変態がいてもおかしくはない。
つまりここの風俗利用者は必ずいるはずです。
トヨトミ、パロマ、フルタ電機、そしてそれはブラザー社員の中にも。
つまりブラザー社員も兄弟だった。
一応ここはヘルス店。
正確に言うなら擬似穴兄弟。
それ兄弟でも何でもない。
本日は堀田を散策しました。
名古屋駅からさほど離れていませんが観光客が来ることがあまりない堀田駅界隈。でも企業が複数あるので仕事で来たことがある人はいるのでしょう。
仕事終わりに一息。
そんなこともここでは実現可能だし実現した人は一人や二人どころじゃないはずです。
多くの兄弟を産んだのでしょう。
時間は10時。
お店がそろそろ開く時間帯。
というわけで私はちょっと一息ついていきます。
これで私もブラザーのブラザーになるのか。
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消えた駅前公娼街。台中は健全な街に生まれ変わるのか?

本日は台湾の台中に来ております。
こちらは台中駅北口側です。
台中駅は台湾鉄道全線で二番目に利用者が多い主要駅です。
一日7万人が利用する駅。そんなわけで駅前はきれいに整備されてます。
でも逆側の出入り口は少し様子が違います。
台中中心地は駅北側なので駅前は賑やかで利用者も多いですが逆側の南口側は静かです。

こちらが駅の南側です。
こちら側はじゃないほうの駅入り口。
利用者も少なそうだし寂れた感じの出入り口。日本でも駅の出入り口で差がありますよね。
入り口があるのに駅裏って呼ばれてたり特に国鉄に多い気がします。
例えば新横浜が顕著です。
北口側は近代的なのに南口側は牧歌的。少し前まで南口側は田畑が広がる駅前でした。当然利用者も少ない出入り口です。
岐阜駅もそうです。
メインの出入り口は北口側です。北口側は商業施設も多く飲食店もあります。
また名鉄線との乗換え口なので利用者が多いです。逆の南口側はソープ街になってるんです。
じゃないほうの出入り口って怪しい店があったりします。
もしかしたら台中駅にも。駅前ソープ的な店があるんじゃないでしょうか!
いやいや日本の駅前と一緒にしないでください。そんな怪しい店が駅前にあるはずありません。
台中駅前は健全。

台中駅南口にはこのような施設があります。
駅から少し離れたところにモールがあるんです。こちらは三井ショッピングパークららぽーとです。
ほぼ日本。

2023年にできたららぽーと台中。日本のソレとなんら変わりありません。
ららぽーとは海外展開をしており日本国外だと中国上海に二店舗。それとマレーシアのクアラルンプールに一店舗、あとは台北とここ台中にあるようです。
出店している店舗は現地企業もありますが日本の店も出店してます。
日本のららぽーとと大差ないラインナップです。

とくに飲食店は日本食レストランが多め。
日本で食べるよりか少し値段が高いのでしょうか。でも中華ナイズされてない日本食が食べられる。
現地の人だけでなく日本人も来るのでしょう。
こんな感じで発展しつつある 台中駅の南側。ショッピングができる店も充実してるようです。
駅目の前にもショッピングモールがあります。

遊園地なども併設されてる複合型商業施設。
台中駅から 徒歩2分の立地なので駅前ショッピングセンターのようなところ。
こんな感じでじゃないほうの出入り口だけど賑やかで健全な駅出入口なんです。
多くの人が行き交う台中駅南口。じゃないほうの出入り口だけどじゃないほうではなかった。
日本のじゃないほうの出入り口と全然違って健全で文化的な街並みが広がってます。
駅前ソープみたいなのがある?そんなのあるはずないじゃない。
このように台中駅前は健全な街ですがかつてこのショッピングモールの横には風俗街がありました。
やっぱ駅前ソープがあった。

大勇街の西側、駅前の割に静かな路地があります。
路地の中心には大きめの駐車場。また駅前だからかバイクの駐輪場もあります。でも商店などの店はなく人通りもありません。再開発から遅れたような様子でまさにじゃないほうの駅入口そばといったところ。かつてここは風俗街でした。
台中駅南口側に風俗街ができたのは終戦から11年後の1956年頃。台湾は1895年から終戦後の1945年まで日本が統治していましたが第二次世界大戦で日本が敗戦すると蒋介石率いる中華民国国民党軍が台湾に上陸。中華民国が統治しはじめます。しかし中国国民党と共産党が対立し内戦が勃発。内戦は共産党勝利により中華人民共和国が樹立します。負けた国民党は台湾へ逃亡。その際に多くの大陸出身者が台湾にきました。
その数およそ120万人。当時台湾の人口は600万人だったのでかなりの人数が移住したようです。その120万人のうち約半数にあたる60万人が独身の若い兵士だったそうです。
国民党が来たことで台湾は混乱状態となったので1949年5月に政府は戒厳令を布くのですがその際に兵士への禁婚令を発令します。禁婚令とは読んで字のごとく結婚を禁止すること。日本も戦前における兵士の結婚は条例で規制され婚姻をするには上官の許可が必要でした。また階級の低い兵士は結婚が禁止されてました。このように兵士の結婚を制限する理由は財政状況や戦力維持が理由のようです。しかし結婚ができないとなると困るのが性欲です。兵士は20代が一番多いわけですがその年頃は性への好奇心が高い時期です。そのような人の性欲を抑制していたら性犯罪が蔓延してしまいます。
兵士の性欲管理は軍部の務めです。そんなわけで日本では遊郭を設置して兵士の性欲管理をしてました。国民党軍兵士も平均年齢は20代前半でした。そのため日本が遊廓を設置したように台湾政府も公娼制度に似た制度を作り1956年に公娼街を設置しました。それがこちらの路地でした。

いわゆる駅前風俗街。
アクセス良い立地にできた公娼街。最盛期には10軒以上の売春宿と数百人の売春婦がいたんだとか。とくに台中には台湾最大の空軍基地があります。そのため多くの軍人がここに通ったのでしょう。またその空軍基地には米国空軍が駐留してた時期がありました。わざわざ基地から遊びに行ってた可能性がある。人気の公娼街だったのでしょう。

でも現在は何もない路地になっています。
こちらの駐車場のあたりが路地の中心ですがその当時ここには劇場があったそうです。劇場ができたのは日本統治時代の1936年。天外天劇場という建物がありました。劇場の名の通り映画やオペラが鑑賞できる施設でそれ以外にもダンスホールや食堂もありました。当時台湾の民間劇場のなかでは最大規模で東京宝塚劇場に匹敵する規模だったそうです。戦時中閉鎖をしますが終戦後翌年には劇場を再開。オーナーが変わり国際 大劇場に改称しますが経営難により1964年に閉鎖しました。
以後は別事業に転用されるも借りる人がいなくなり 2012年に廃墟へ。重要文化財に指定する話もありましたがその話も頓挫し、2021年に解体されました。現在は駐車場になってます。

ここにあった公娼街も劇場と同じでときの流れとともに衰退していきました。
かつては10軒以上の売春宿がありましたが90年以降にデリバリー形式のソレが出現すると客をそっちにとられるようになったそうです。さらに公娼制度が廃止されたことで売春婦の免許更新ができなくなりました。売春婦は登録制となっていたようですがその登録ができない状態になりました。
つまり新しい女性を雇えなくなったのです。
新陳代謝しない風俗店の末路は酷いもので「26歳です」って平気で嘘つく52歳の風俗嬢がいるんです。
高齢者ばかりの売春宿には客は来なくなります。
そんなわけで2000年代頃には売春宿は3軒まで減り売春婦も10人以下しかいなかったんだとか。その3軒のうち2軒も2018年初頭に閉店。最後に残った店も同年7月末に閉店しました。
最後に残っていた売春婦の年齢は50代だったそうです。
もう8年も前に閉店してたんですね。
来るのが遅かったです。
営業してたら行く気満々だった!
ここには風俗街もなくなり劇場もなくなりました。
現在は駐車場だらけですが再開発できれいな街並みになるかもしれません。ここはもう健全な駅前。きれいな街に生まれ変わるのです。

いや健全じゃなさそうな駅前店舗。こちらはパチンコ店です。
やっぱ健全じゃなさそう。
駅前にパチンコ屋がある街、健全じゃない!
日本の駅前!
台北では規制されてますが台中ではされてない。そんなわけでパチンコ屋があるんです。あくまでも健全なパチンコ。

こちらには三班助理 って書いてあります。
三店方式みたいな文字。
これはそうではなく従業員募集の張り紙です。三交代勤務なんでしょうね。台湾のパチンコ店って24時間営業なんです。
不健全そうな営業スタイル。
いやいや何言ってるんですか。ここはあくまでもゲームセンターなんです。
ちなみに台中駅の北側、徒歩10分くらいのところにある台中公園前には現代版の遊郭とカジノがあります。台中、普通じゃなかった!
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明日に向かって元気になる!野良風俗嬢がいる街「金山歓楽街」

本日は名古屋に来ております。
こちらは金山駅です。
JRの中央本線と東海道本線、名古屋市営地下鉄名城線と名港線、そして名鉄名古屋本線の5路線乗り入れる金山駅。一日の乗降者数は40万人以上。愛知では名駅に次いで二番目に利用者が多いです。
名古屋駅までは4分 栄駅までは8分、さらにはセントレア空港までは24分とどこに行くにも便利な金山駅。そのため多くの人が乗り換えで利用します。乗換えにすごい便利でどこにでも行けるため金山駅の外に出ることがないと言われたのは昔のお話。今は駅前がキレイに整備され利便性が良いため住みよい街になったのでしょう。

こちらは駅前にある商業施設アスナル金山です。
2005年に開業したアスナル金山。
「明日に向かって元気になる!」がコンセプト。「明日なる!」だからアスナル。
雰囲気がキャナルシティ博多っぽい感じ。
広々していて過ごしやすそうです。
地上四階建ての60店舗が入居する商業施設。比較的若い人向けのお店が多いんだとか。
今では金山の顔になっているアスナルですが2028年に閉鎖することが決まってるようです。どうやら期間限定で借りていた土地で借地権が切れるが2028年なんだとか。

この景色が見れるのもあと2年です。
跡地には新たに複合施設を建てるんだとか。でもそれができるのは2032年以降。また金山のイメージが変わるのでしょう。
皆さん金山のイメージでどうでしょうか?
今の金山は住みよい街のイメージなのでしょうか。鉄道は5路線あるから便利だし駅前に商業施設があるから便利。程よく栄えているけどそこまでゴミゴミしてない。住むのにはちょうどよい街。
こんな感じで住むのに適した街のイメージですがはたして金山ってそんなところでしたっけ。
私のイメージする金山は少し違っていて金山のイメージ、キャバクラとピンサロなんです。金山に対するこのイメージ、私だけじゃないと思うんです。
少なくとも金山を利用したことがある人、私と同じイメージをしてるはずなんです。だって金山ってピンサロがあったじゃん。いやキャンパブになるのでしょうか。どちらにせよ質が悪そうなイメージ。金山って歓楽街のイメージなんです。
いつも名古屋に来るときはホテルの予約をせずに名古屋入りするんです。東京と名古屋は1時間半で移動でき、場合によっては日帰りもできる距離です。そのためホテルを取らずに名古屋入りをしてその時の気分で泊まるか帰るかを決めるんです。このように名古屋は自由度が高いんです。
でもそれには弊害もあって当日ホテル探しをするため名古屋駅前のホテルは満室ってこともあるんです。そうなると別の場所のホテルを探すのですが金山だと名古屋駅から離れていないし使い勝手がよい場所なんです。ってわけで金山駅そばのビジネスホテルに泊まる。
そして夜に駅の周りを散策する。
そこにあったのがキャバクラとピンサロでした。
駅前にそんな店があるんだったら、そりゃ行くよね。据え膳食わぬは男の恥って言うでしょ!
私のイメージする金山はピンサロとキャバクラ。でもそれはアスナルができた頃の話。それからもう20年の月日が経ってます。街並みは変わっているのでしょう。

こちらは金山駅南側にある神社「金山神社」です。創建は15世紀頃、当地に住む鍛冶職人が勧請したのがはじまりです。
ご祭神は鍛冶鋳造の祖神「金山彦命」。ご利益は金運財運。
いつもより2割増しのお賽銭を納めておきます。
こちらの神社が金山の地名の由来のようです。中世の頃は鍛冶職人が集まる街だったんだとか。
金山神社は川崎にもあります。
川崎の金山神社は男性器をまつってあります。「かなやま」と「かなまら」をもじってるようで宿場のあった川崎では性病が多かったことから川崎の金山神社は性病除けのご利益があります。性病のご利益があるなら5割増しにするのですがここにはちんこないのかな?
歓楽街があるところならありそうな感じですがそもそも金山の辺りは古くからある町ではなく駅が開業したのは1944年ころです。昔は何もないところだったのでしょう。駅ができたことで急速に発展し駅前歓楽街になったのでしょう。

ほら、やっぱりあったキャバクラ店。こちらは駅の北側です。普通飲み屋って一カ所にまとまってあるんですが金山の場合、全体的に広がってるんです。
飲み屋があるのは駅北側と東側、あとは南側。

ほぼ飲み屋街。

こちらは金山駅の東側にある波寄町です。この辺りも飲み屋街となっています。そもそも金山駅は元々この辺りにあったそうで当時は金山橋駅って名称だったそうです。現在の場所に移ったのは1989年。まだ40年も経ってないんですね。この辺りが元駅前だったってことなので飲食店がけっこうあるようです。

こちらはどんぐりひろばという公園です。
公園は都市公園法によって設置基準が定められてます。また様々な規定があり設置が容易ではありません。このどんぐりひろばは都市公園とは異なり地域の用事の健全育成を図る目的で地域住民と行政が協同して設置した遊び場です。いわゆる子供の遊び場的なヤツ。ドラえもんに出てくる空き地みたいなところです。

ほら子供の描いた絵が飾ってあります。
これはドラえもんと思いきやうまい棒のキャラ「うまえもん」。

元気よくあいさつ 良い標語です。
こんな感じで子供の遊び場のどんぐり広場。その目の前、大人の遊び場です。

都内にも増えている熟女キャバクラ。特に名古屋は多いです。こちらの店があるところは大体歓楽街です。つまり金山も歓楽街。

ほらこちらにはキャバレー花園があります。
花園あるところ、歓楽街。

黒川、今池、名駅、住吉、柴田、桑名、そして金山店。私はこれで花園全制覇(入ってないけど)。
見た目ピンサロっぽいけどピンサロじゃない。普通のキャバレーです。

でもキャバレー花園に描かれた女性の絵、ロンドンと大差ないんです。

むしろ花園の絵の方が卑わいな感じがする。健全じゃなさそうだけど健全店なんですよね。

こんな感じで雰囲気ピンサロ店はあるんですが、かつてあったピンサロがどこにもないんです。たしか表通りにピンサロがあった気がします。金山橋のあたりにあったはずです。

こちらはこの界隈の地図です。
現在焼肉店があるところ以前はピンサロでした。
金山といったらここのイメージなんです。でもどうやら健全な街になったようで現在、金山にはピンサロがなくなりました。

たしかこの辺りにセクキャバがあった気がします。どうやらその店はなくなり別の店になってます。ピンサロもなくなりセクキャバも消えた金山。もう健全な街になったようです。
ちなみにこちらはクラブと書いてありますがセクキャバのようです。
店名が変わっただけだった。
金山にはピンサロがなくなりましたがセクキャバは結構残ってるんです。

この裏路地にもピンサロがありましたがセクキャバになってます。昼からにしては少し過激な感じの店。

夜は夜でだいぶ激しめの感じ。

その隣は普通の熟女キャバクラかな。
「絶望的な」「必死な」を意味するデスペレート。絶望的な熟女、必死な熟女。こっちの店の方が激しそうな感じ。

こちらのビルはセクキャバビルでしょうか。

セクシーと書かれたお店。ほぼ見た目ピンサロの看板。

こちらはガールズバーのようですがセクキャバやピンサロにありそうな店名。スプラッシュって書いてあるし。なんか飛沫がでそうな感じがする店。

ミニスカフェ。
たしかこれって女子大小路にありましたよね。
なーんだパンチラ喫茶か。
違います。こちらはあくまでもミニスカがコンセプト。チラ要素はないんです。
こんな感じで金山は変わりました。
20年前と変わってねぇ。

こちらは八熊通と大津通が交わる沢上交差点です。このあたりが金山の端っこになるのでしょうか。目の前を走る大津通、飲食店が軒を連ねてあるんです。

近くにはスナックビルがあります。かつては市電がここを走っていたそうで交差点のところに停留所があったそうです。昔は賑やかな場所だったのでしょう。

その交差点の奥にそびえたつ建物、こちらラブホです。ペントハウスという名のホテル。ペントハウスとは最上階の部屋を指す言葉ですが私にはアメリカのエロ本のイメージしかありません。
高級感を出すためにホテルをこの名にしたのか。
低俗感を出すためにホテルをこの名にしたのか。
そのあたりは定かではありませんが部屋を借りるのは低俗なことをする人たち。

この界隈ラブホテルが二軒あるんです。
セクキャバはあるが風俗過疎地となった金山。唯一のオアシススポットがここなのでしょう。
店舗型がない代わりに宅配型が発展したのです。

また金山駅前の橋の上。
ここには夜な夜な人が立っているとかいないとか。どうやら立ちんぼがいるようです。
名古屋のソレは納屋橋が有名ですが金山もそれなりにいるそうです。駅前で人の往来もあるし近くにはホテルがある。そんなわけで街娼が現れるそうです。

またこちらには一風変わった店があります。
こちらは 喫茶店です。
これを喫茶店というのは喫茶店に失礼。
こちらは出会い喫茶です。
カフェや喫茶と名称についていますが法律区分上は店舗型性風俗特殊営業の6号営業で、専ら面識のない異性との一時の性的好奇心を満たすための交際を希望する者に店舗内に設けた個室において異性と面会する機会を提供し異性を紹介する業務。それが出会い喫茶です。
やっぱ喫茶店じゃなかった。
2000年以降から台頭し始めた出会い喫茶。一時期は衰退しかけていましたが最近は利用者が増えているんだとか。ネットを介せば気軽に出会える時代。でも直接会って話したいですよね。
それを叶えてくれるのが出会い喫茶なんです。
自身の好みの相手と出会える、素晴らしいお店なんです。

あくまでも男女の出会いの場を提供するカフェ。
ここにはこのような記載があります。
女性とお話して意気投合したら即デート。
「女性と」と書かれているあたり明らかに男性のための店なのでしょう。
即デート。
デートとは食事や買い物を楽しむものですがここでいうデートは少し異なり、男女双方の同意のもと、代価を支払い関係をもつ。ここではそれをデートと言うそうです。
それを日本では売春って言うんだぜ。
ほぼほぼ室内型の大久保公園。立ってるか座ってるかの違いだけ。でもここは売春斡旋施設ではないんです。お店はあくまでも出会いの場を提供してるだけ。むしろそのような利用を推奨してません。以後のことは客が勝手にしたこと。何をするかは店は関知してません。
お話して意気投合ってのは値段交渉でしょうか。
金額が見合えば外の連れ出す形ですが、相場はある程度決まっているようです。
まさかの立ちんぼカルテル。
自由経済の原則に反してる。
公正取引委員会に通報レベル。
このシステム、悪くないですよね。
寒空の中で女性は街ナカに立つ必要はない。
風俗店とは違い女性側も客を選ぶ権利がある。
自由に出勤できるし帰ることもできる。
このように売る側にメリットがあります。
また買う側にもメリットがあります。
風俗を利用してる感が薄いから罪悪感がない。
実物から選べるからパネマジがない。
そして素人と出会える。
いやここに来る人が素人のはずはない。
野良風俗嬢ってだけで手練れ。
むしろ、プロ中のプロ。
本日は金山駅界隈を散策しました。
いや偏りのある街散策。
金山の街並みはだいぶ変わったようです。ピンサロも潰れてたし怪しい雰囲気が薄れました。賑やかな街だけど店舗型のソレはなくなった。金山は健全な街へと生まれ変わりました。
このように街並みが変化したのは法律による締め付けの結果でしょう。風俗店は新規出店できないし建て替えもできない。何かあれば摘発に遭い、不健全だと言われる業種。そのため店舗型は淘汰されたのです。
しかし世に男がいる以上需要はなくなりません。代わりに宅配型と街娼が増えたのでしょう。
健全な街に見えるけど実際はもっと不健全になったようです。また近年はニューハーフの店も増えてるようです。それはさらに不健全。

まだまだ不健全な街っぽい金山。
ここであれば明日に向って元気になれそうです。
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【小京都台中】台中の東南アジア「継光商店街」は日本の要素があった

本日は台中に来てます。
こちらは台湾鉄道の台中駅です。
2016年に新設された駅前、なんか大阪駅みたいですごいきれいです。
長い人生の中で私は台湾に来るのは二回目です。前回来たのは2年前でしょうか。
大して長い人生送ってなさそう。
その時は台北・基隆・桃園を観光しました。いわゆる北部エリアと呼ばれるところ。
そのため台北以南に来るのは初めてです。
はじめてくる台中駅。
広く、開放感があります。
白を基調とした清潔感のあるデザイン。

だけど付近はあまり清潔感がない。
駅前広場にはホームレスがめちゃくちゃいます。
ほぼホームレスの住処のような状態。これが台湾の現状です。
台湾は日本と違い社会福祉が充実していなく主要都市の駅前にはホームレスがいます。
台北駅前も当たり前のようにいました。主要な駅前はどこもこんな感じなのでしょう。
一人当たりのGDPが日本よりも高く先進国と呼んでもよい台湾ですが日本と違い社会福祉が行き届いてないのでしょう。昔も日本は主要駅前にはホームレスがいました。20年ほど前は似たような感じでこのような光景が日常に溶け込んでいたのです。でも社会福祉を充実させ今の駅前は変わりました。

ちなみにこちらは5年前の都庁近くの写真です。
台湾とさほど変わらない。日本も社会福祉がそこまでではなかった。そしてGDPも抜かれた日本。
劣等諸国ニッポン。
ほぼ日本の駅前と同じ台中の駅前。ここでは駅前で日本を味わうことができます。こちらも日本っぽさがあります。

こちらは台中駅の旧駅舎です。日本統治時代の1917年に完成した駅舎。
レンガ造りの建物が東京駅っぽい。実際に東京駅と同じ工法で建てられたそうです。ここも日本を感じることができます。
そもそも台中は小京都とも呼ばれています。
台中の街並みは日本統治時代に京都をモデルに都市開発がされたんだとか。
そんなわけで京都らしさを感じれるそうです。そのような景色がここでは広がってるのでしょう。

ほら京都があります。
いやこれはただのカラオケスナック。
これは舞子さんを連れ出せそうな店。
駅前ですからね。こういう店があってもおかしくありません。
吉野山は奈良県の吉野山のことでしょうか。ここは台中の近畿になるのでしょう。
日本っぽいのが台湾ではウケがよいのでしょう。とくに夜の店は日本語を使う店が多いです。
駐在日本人利用者が多そう。
ちなみにここの吉野山はゲイバーです。

こちらは継光商店街です。台中駅にほど近い商店街。
日本統治時代は栄町と呼ばれてたんだとか。
薬局や雑貨店、 衣料品店などの店があるいたって普通の商店街です。
このように普通っぽい感じの街並みですがそれに混ざってアジア系の店が多くあります。
インドネシア料理、マレーシア料理、タイ料理、ベトナム料理。かなりアジアに偏りがある模様。

そしてマッサージ。これは偏りがありそうなマッサージ店。
カタカナのマッサージと書かれた店は120%そっち系だし150%スペシャルがあるマッサージ店。日本と同じ駅前エステ。

なぜか駅前にある東南アジア街。
そういえば台北駅の近くにもインドネシア人街がありました。
駅前は一等地なので地価も高いはずですが台湾ではちょっと違うのでしょうか。
台中もかなりの数の東南アジアの店があります。
このように東南アジアの店が多い理由は多くの東南アジア人が住んでるから。
ここはリトルASEANなのでしょう。
台北に次いで外国人が多い台中。工業都市でもある台中は外国人労働者が多く住んでます。
外国人が住んでればその人たち向けの店も増える。その結果台中駅前は外国人街になっているのです。このように東南アジア人が多いのは国策でもあるようです。かつては中国本土に依存していましたがチャイナリスクを避けるため中国の依存度を下げASEAN諸国と関係を深める政策をとってます。その結果東南アジアの移住者が増えたそうです。
東南アジアからくる労働者の多くは女性。
あっ!海外で春売るやつ。
春を売る仕事で渡台してるわけじゃありません。
台湾に来るのは台湾が少子高齢化だから。
えっ!もしかして人身売買的な...!?
そういうのでもありません。
台湾は出生率が低いため高齢化率が鰻登りで近々日本を抜き 世界一位の高齢国になるそうです。
そのため介護の人材が必要で東南アジア人がそれを担ってるそうです。そんなわけで台中には移民が多くその人たち向けの飲食店があるのです。つまりここにあるのはガチ東南アジア料理屋ってことです。
せっかく東南アジア街にいるんです。
東南アジア料理、食べたいですよね!ってことで店に入りました。

こちらは羊肉庚っていう台湾料理です。
全然東南アジア料理食べる気ゼロ。だって台中初日だったんです。
そりゃ地元料理食べたいじゃないですか!
日本では羊肉を食べる機会は少ないです。
匂いが苦手って人も結構いるようです。でも海外だと多い羊肉。こちらの料理の羊肉は臭みはなくおいしいです。やっぱり台中に来たら台中のもの食べるべきです。おいしい台中料理が食べられました。
ちなみにこちらの料理は高雄が発祥のようです。地元料理じゃなかった!
台湾の普通の定食屋もありますが東南アジア料理が多いこちらの商店街。インドネシア料理屋もあります。
インドネシア料理といえばナシゴレンにミーゴレン、あとはサテでしょうか。日本にも食べられる店はありますが少ないです。日本に在留するインドネシア人は増えていますがまだまだといったところ。でもベトナムに次いで増加傾向にあるので日本もインドネシア料理店が増えるのでしょうね。インドネシアなのでハラル料理なのでしょうか。
日本でも徐々に増えつつあるムスリム文化。ムスリムはお酒を飲まないです。だから私と相容れない宗教。あとインドネシアではポルノに厳しいそうでアダルトビデオの制作や所持は違法なんだとか。
インドネシア人、自慰行為すら自由じゃない。
そもそもイスラム教では自慰行為は禁忌。
自慰が禁忌なんだからおかずはいらないでしょ!ってことなのでしょう。
辛辣!!
婚前交渉もできない上に自慰行為も禁止。
もうそれ、地獄でしかない。神を信じなければ地獄に落ちるけど神を信じれば今が地獄。死後、裁きにあい地獄で業火に焼かれるとしても今の自分を大切にしたい。やはり私はムスリムとは相容れないようです。
でもそういうのを傍から見る分には悪くない。ここであればそういうのが味わえる。ここは異国を味わえる街なのです。

また日本っぽさも味わえる台中。まさに日本っぽい店発見!!
アダルトDVD屋さんのようです。
各種輸入成人用品と書いてあります。
輸入元がどこなのか想像できる。
普通だったらポルノスターって表現になりますがここではAV女優ってなってます。
もうこれは日本語的表現なんでしょう。そして日本のAVを多く取り扱ってそう。つまり台湾人、日本のAV見てる説。
いやいやここは外国人街。外国人向けの店なんです。

ほらこちら、英語とベトナム語、そしてインドネシア語が書かれています。
イスラム法守る気ゼロのインドネシア人。
インドネシアからの移民が多い理由、AV見るためだった!
AV販売店もある台中の外国人街。やはりこのAVは日本由来なんでしょうね。

こちらの店も日本由来。
こちらは東京を冠したサウナです。男性サウナという少し過激そうなサウナ。
過激そうな感じがしますがご安心ください。こちらのサウナは普通のサウナ。ハッテン場ではないそうです。
台湾のサウナってハッテン率が高いんだとか。
トトノウの意味が日本と台湾では違いそうな予感。
ちなみに台中でノーマルのサウナはここだけなんだとか。
ここでは整えないってさ!
ちなみにこちらのサウナの休憩室ではアダルトビデオが放映されてるんだとか。
そこで売ってたAVのヤツ。
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ファッションの街「西心斎橋アメリカ村」はアッチのファッションの街だった

本日は大阪市中央区に来ております。こちらは市内を流れる道頓堀川です。大阪ミナミを代表とする景色、先に見えるのはグリコサインです。
グリコは戎橋から撮影すべきですが戎橋は観光客でごった返しています。ちょっと近づくのをためらうぐらいの人だかり。
難波や心斎橋、道頓堀に千日前、この界隈を総称してミナミというのでしょう。ミナミの中心が戎橋の辺りでその周りが歓楽街となっております。
私が好きな宗右衛門町もこの近くにありますがそれは今夜のお楽しみ。本日は道頓堀に来たわけではありません。西側の西心斎橋に行きます。

こちらは町内にある御津公園です。住所は西心斎橋2丁目。ここは通称、三角公園といわれており、ここの周りは繁華街となっています。

朝方まで飲んで騒ぐ人がいる地域なのでしょう。酔っぱらって公園で寝れるのは日本の治安がよい証拠。朝まで飲んで酔いつぶれて公園で寝る。私も若いころはそんなことをしていました。
しかし年を取ると理性が働くもので記憶がなくなるまで飲む。そんな飲み方はもうできなくなってしまいました。年には勝てませんね。
酔っぱらってゲロ吐いて公園で寝るのは若者の特権。ここは若者が集まる街なのでしょう。この公園の周りは若者の街で通称、アメリカ村、またはアメ村とも呼ばれています。
ここがアメ村と呼ばれ出したのは1970年頃。元々ここは倉庫街でしたが空き倉庫を改装してアメリカから輸入した衣類を扱う店ができました。その後レコード屋や古着を扱う店ができはじめアメリカの文化が味わえる街となりました。1980年にはアメリカ村の名称が定着。若者文化の発信地といわれるようになりました。東京でいう渋谷や原宿みたいなところでしょうか。
もう若者と呼ぶのは色々と無理がある私。私が立ち入っちゃいけない地域なのでしょう。そう。アメ村は若者の街。多くの若者がこの街に集まってくるのです。そのためこんな標語の看板を見かけます。

町ぐるみ みんなでつもう非行の芽。
若い芽、摘んじゃってる!
若者の手を取り一緒に改善を目指すのではなく間髪入れずに間引くのが日本の非行対策です。
強めの選民思想。
アメ村はその摘まれる芽が結構生えてるようです。若者の街って呼ばれるところは大体治安が悪いんです。
福岡の親不孝通りも治安が悪い時期がありました。バブル期にはクラブができ不良が集まるエリアでした。
渋谷センター街も悪そうな奴は大体友達でした。チーマーたちが日々の喜びここに賛美してました。このように若者の街は治安が悪いのです。
アメリカ村も一時期治安が悪かったそうです。渋谷や福岡と同様に90年代に治安が悪化。それにより街が荒廃したそうです。

グラフィティーアート、落書き、シール。これらもアメリカ村のイメージなのでしょうが街が汚い感じがします。町全体に監視カメラを設置したことで以前よりは治安が良くなったのでしょうか。でも同じように監視カメラだらけの歌舞伎町。治安がよいと思います?
いくらカメラで監視してもいくら巡回しても治安の悪い現況を排除しなければ改善しません。悪い若者がいる限りこのままなのです。

やっぱ非行の芽は摘むしかない!

治安の悪化やトレンドの変化により2000年以降は衰退したアメリカ村ですが最近は来訪者数が増えているようです。つまり若者の街としてよみがえっているようです。アメ村は渋谷とは正反対のようですね。
渋谷は若者の街の代表格でしたが今の若い子は渋谷によりつかなくなったようです。渋谷は2013年より駅前再開発が行われてます。完成は2034年頃になる予定ですがすでに渋谷駅の周りは大きく変わりました。現在駅前はビルだらけとなっています。昔の渋谷の景色はもうなくなりました。
かつての渋谷にいた若者は地べたに座ってました。
理由はお金がないからです。
地べたに座り友達と話す。
それであればお金がかからない。
渋谷はお金のない若者も受け入れてくれたのです。
でも今の渋谷はどうでしょう。お金がないと座ることすら許されない。周りを見ても高級店だらけ。若者に見合った街ではなくなったのです。
また再開発によりどこも似たような街並みとなり入居する店舗もどこも似たような店ばかり。渋谷である必要がなくなったのでしょう。渋谷は若者にとってつまらない街になったのです。

でもアメ村はどうでしょう。
一時は若者が街から消えましたがまた来訪者が増えだしてます。理由は街に魅力があるからなのでしょう。
渋谷のようなキレイな街並みではなく落書きやシールはそのまま。ちょっと小汚いくらいがちょうどよい。
チェーン店や高級店はなく個人商店が多いアメ村。個人商店はそこでしか買えない魅力があります。そのためこの街に来る意義があります。
また古着屋だったら手ごろな値段で買い物できる。公園が街ナカにあるのでお金がなくても過ごせる。
そして渋谷と違って地べたに寝ることもできるんです。
このように若者に適した街だから若者が集まるのでしょう。
日本は少子高齢化の国。若者の数はどんどん減っていっています。でもこういう街がある方がいいじゃないですか!
ここであれば非行の芽を摘みやすいですから!
アメリカ村は歌舞伎町よりも広いんだとか。でも歌舞伎町と違って町名になっていません。住所は西心斎橋になりますがどこからどこまでがアメ村なのか決まっておらず人によって範囲が違うようです。
西側は阪神高速まで。
東側は御堂筋まで。
北側は長堀通りまで。
南側は道頓堀まで。

西心斎橋=アメ村とするとこの範囲になります。
実際はもう少し狭いのでしょう。

三角公園の周りが古着屋やレコード店、飲食店、クラブ、ライブハウスなどがある地域。エリア全体で2500店舗。それだけお店があれば客が来ます。週末は20万人ほど来訪者がいるようです。中心から離れるとアメリカ要素が薄まるようです。

アメ村の南側は難波、北側は心斎橋。
この看板があるってことはここはアメリカ村です。
そんな若者の街であるアメリカ村の中心地。

ヘルスがあります。
これは若者の街である証拠。
女子高生は若者の代名詞。いやいや高校生がここで働けるわけありません。ここにいるのは女子高生を模した成人です。
当然本物の女子高生が働いてません。でも40過ぎた人が制服を着て羞恥を晒す。それは逆に萌えじゃないでしょうか!
アメリカ村は若者が好む店があるから発展した。
若者の街だからこの店があるんです。
でもこの手の店が好きなのだいたいおじさんなんですよね。
若い子に縁もゆかりもないおじさんたちがお金を払って青い春を疑似体験。若者と接したくても見向きもされない。だからお金で解決する。
一定の年齢に達したおじさんはお金がないと座ることもできないんです。
そんなことよりアメリカ要素がゼロ。
同じセーラー服ってことでアメリカ海軍かな。セーラー服の発祥はイギリス。
ほらスクール水着はどうでしょう。アメリカっぽいでしょ。スク水は日本の伝統文化。
アメリカ要素が一切感じられない。
若者の街で文化発祥地であるアメリカ村。
アメ村はファッションの街なんて言われてますがこれじゃあファッションヘルスの街じゃない!
こんな感じで西心斎橋はアメリカ村だけとアメリカ要素が薄い地域があります。とくに西心斎橋の南側は風俗街になっています。

さらに南に行くと年齢層が高くなるのでしょうか。さっきは女子高生でしたがここでは女子社員。
若者の街じゃなくなりつつある。そしてアメリカ関係ない。
イメクラ要素が強めのイメクラ村。
ここはもうアメ村じゃない?

安心してください。ここはアメ村です。

こちらは久左衛門町通です。西心斎橋の一番南側。この先は道頓堀となります。ここがアメリカ村なのかは微妙なところ。

だってほら、若者の街なのにさっきより年齢層が高くなっています。女子高生、OL、その次は熟女です。
40代じゃないのに五十肩。中年なのに老眼。
40代はまだ若いみたいな風潮がありますが体のどこかが常に痛みを感じる年ごろ。40代は若者じゃなく初老なんです。さすがにここをアメリカ村とは言わないでしょう。

西心斎橋の南側、この界隈は風俗街となってます。通り沿いに風俗店が軒を連ねまたラブホテルもある地域。若者の街には似つかわしくない街の様子。でも渋谷も奥の方に行くと風俗街があります。若者の街には必要不可欠なのでしょうか。

ちなみにここ西心斎橋の南側、ここもアメリカ村の一部のようです。
大阪人の考えるアメリカの定義。
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大阪出張族御用達の歓楽街 エステとセクキャバが乱立する街「西中島南方」

本日は大阪市淀川区に来ております。
こちらは御堂筋線の西中島南方駅です。
阪急京都本線との乗換駅で利用者が多いようです。その割に駅はこじんまりしています。

こちらは西中島南方駅南口改札の北東側にある阪急線の南方駅きた西改札です。
方角だらけでわからなくなる!
西中島南方は「みなみがた」ですが、南方は「みなみかた」と濁らないようです。ずっと「西中島ミナミカタ」って言ってた。
関東人にはあまりなじみの薄い西中島南方。でも新大阪に宿を取る人は利用している人も多いのではないでしょうか。
新大阪は大阪に出張に来る人が集まるエリア。私も新大阪駅近くの宿に泊まったことがあります。
新大阪駅に着いてすぐに宿に行けるしチェックアウト後すぐに新幹線に乗れる。そして結構手ごろなビジネスホテルがある。でも駅の周りはホテルだけ。
新大阪駅の北側、ホテルとオフィスがあるくらい。
新大阪駅の西側、ホテルとレンタカー屋があるくらい。
新大阪駅の東側、飛鳥地区と日之出地区があるくらい。
新大阪駅の周りは何もないんです。
大阪といえばたこ焼き串カツお好み焼き、ホルモン、粉モン、かすうどん、てっちり、土手焼き、M性感。せっかく大阪出張に来てるんです。いろいろと大阪、味わいたいじゃないですか!
飲みに行くんだったら梅田か難波。でもわざわざ電車乗って飲みに行くの?この界隈で済ませられるとうれしいんだけど。
でも新大阪の駅前、何もないじゃない!って感じで新大阪出張族難民が溢れているんです。
でもその悩みを解決してくれるのが西中島南方。西中島南方駅の周りは夜の歓楽街となっているのです。

飲食店が多いエリアは西中島3丁目あたり、キャバクラやラウンジ、バーや居酒屋。一通りの飲み屋が揃っています。
新大阪駅から徒歩15分ほど。新大阪駅前はオフィスとホテルだらけですが少し歩くと大阪らしい町並みが広がります。

飲み屋街の一角にたこ焼き屋があります。こちらは私が大阪で初めて食べたたこ焼き屋です。
初めて訪れた大阪。せっかくの大阪なんだから大阪らしいとこ行きたいし大阪っぽいの食べたい。
通天閣にも行ったし道頓堀にも行った。
飛田にも曾根崎にも谷九にも行った。
お好み焼きも串カツも食べた。
あとはたこ焼きを食べれば大阪名物コンプリート。しかし新幹線の時間はもう迫っている。
当時はまだ飲食店評価サイトはたいしたことなくネットで検索するのがまだまだの時代でした。新大阪駅構内にたこ焼き屋があったのでしょう。でもそれを見つけられず西中島まで来たのです。その時にこの街を知りました。
大阪といえばキタやミナミが楽しいところ。でも新大阪駅近くにもあるじゃない。それ以降新大阪に泊る機会が増えたのです。

こちらは淀川警察署「西中島交番」です。あまり治安がよくなさそうなところにある交番。でも駐在してない様子。治安維持がされてなさそう。
交番の周りは飲み屋が多くあります。そして朝なのにまだ飲んでいる人がいるようです。
この界隈はキャバクラやラウンジがあるエリア。スナックなんかも多くあるところ。ここが新大阪箔出張族のオアシススポットです。
新大阪の近くにある西中島南方。東京でいう五反田のようなところでしょうか。五反田なのであればあんなことやこんなことが期待できるかもしれません。

駅の目の前にツーショットキャバクラがあります。都内じゃ見かけることがないツーショットキャバクラ。この業態は関西ならではじゃないでしょうか。
キャバクラはちょっとぐらい触ってよいところ。そんなことはありません。手を出した時点でアウトです。キャバクラは酒を飲んでおしゃべりするだけ。キャバ嬢の胸部や臀部をちょっとでも触れば不同意わいせつで逮捕されます。不同意わいせつ罪は10年以下の懲役です。触ってよさそうな雰囲気がある衣装を着てますがそれはまやかし。
目の前のお尻触れば10年の懲役。
ある意味キャバクラは精神と肉体に負担がかかる「精神と時の部屋」なのです。
誘惑の街大阪でわざわざ苦行をしなきゃならない。それは、やじゃん。
でもそんな苦行を味合わなくて済む店が西中島南方にあるんです。こちらのツーショットキャバクラ、セクキャバです。
東京ではこのような言い方はしませんが関西ではツーショットキャバクラ。この呼び方が一般的となってます。ここであれば胸部臀部を触ろうが罪に問われない。関東でいうおっパブなんです。そんなおっぱいがこの界隈には結構あるんです。

しかも西中島はおっぱいがけっこう多め。オッパブなんて一軒あればいいじゃないですか。でもここではオッパブハシゴができるんです。大阪人、おっぱい好きなようです。
西中島には風俗店がけっこうあるんですね。いやいやツーショットキャバクラは風俗じゃありません。キャバクラという通り飲食店なんです。
健全な飲食店。美人な女性が接客してくれるところなんです。かわいい子とツーショットでおしゃべりをする。そんなところなんです。

飲食店とは思えないくらい目線が黒塗り。ここは飲食店ですって言い訳出来ない看板。
というかこの下世話な感じ、やっぱ五反田だった。

五反田と同じなんだったらSMの街なのかな?残念ですがここはSMの街ではないようです。でもマッサージ店はあります。五反田にM性感マッサージがあるような言い様。街の中を見た感じだとタイマッサージの店が多いのかな。

タイの国花を称したマッサージ店。
タイ古式マッサージが受けられそうな感じです。

こちらはタイの旧首都を称したマッサージ店。
その他色々コースありますのその他が気になる。

ここはイサーンマッサージ。イサーン娘がいそう。

タニヤマッサージ。
タニヤのイメージ、風俗しかない!

なんか西中島南方、タイマッサージが多いんです。これらのタイマッサージ店。タイ古式マッサージなのかどうかは不明ですがリラクゼーション、できるんでしょう。

それと韓国マッサージもあります。いや韓国マッサージはどこにでもある。

このように風俗店、じゃなくリラクゼーションサロンが多い西中島。歓楽街のイメージが強いですが最近ベンチャー企業が進出してるんだとか。
なんか五反田に似てる。
梅田や難波は高いけど西中島は家賃が安い。
そして新大阪までアクセスしやすい。
関西版のシリコンバレーを目指すため「にしなかバレー」と呼ばれてるんだとか。
やってることが五反田と一緒。
街の成り立ちに違いはあれど新幹線の駅に近く程よく歓楽街がある。仕事をする上で新幹線駅が近いのは重要です。そして仕事をする上で歓楽街があるのは重要です。
仕事終わりに一杯飲む。
そういった街がなければだめですよね。だから飲み屋街そばに「なんちゃらバレー」ができるんです。
そして五反田と同じM性感も。
ベンチャー企業あるところM性感の店あり。多くの企業があればそれを受け止める店がある。店舗型のそれはありませんが受付型ならある。梅田の方がそういった店が多いけどあえて過疎地の西中島を選ぶ。そういった玄人がここに集まるのでしょう。
梅田や難波に出なくても手軽に遊べる街がある。ちょっとマニアックな街だけどそれが逆に良い。出張ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょう。ツーショットキャバクラに行き、そのあとマッサージをしてもよいし、ホテルに戻って呼ぶっていうのも選択肢の一つ。自分好みの大阪観光ができるはずです。
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本日は大阪府堺市に来ております。
こちらはフェニックス通りです。こちらは湾岸部と内陸をつなぐ幹線道路で戦後になって整備拡張されました。
空襲被害が酷かった堺。
特に市街地のこの辺りの被害は酷く、街の6割が焦土と化したそうです。この道は戦後の復興計画により延焼防止のために道幅を広げたんだとか。もともと18mしかなかった道幅を50mまで広げたそうです。
街路にはカナリーヤシが植えられています。カナリーヤシは別名フェニックス。病害に強く長寿なため不死鳥の名がつけられています。
不死鳥は火に飛び込んで死ぬが再び蘇る。
焦土と化した街を蘇らせる、復興の象徴としてこの木を植えたのでしょう。全長2kmに渡ってきれいな景色が見れます。なんか南国っぽい雰囲気のある街並みです。
この道を東に進めば堺東駅へ。西に進めば堺駅に出れます。堺駅のあたりが旧市街、東堺駅は現在の市街地。そんな感じで分かれてますが、現在いるこのあたりも堺の中心地です。
堺が商人の町と言われ始めたのは室町時代のころ。明王朝との交易の玄関口となってからでした。もともと明王朝との交易は兵庫港が窓口でしたが応仁の乱により港が焼失。それを機に海上交易の中心が堺に移りました。
戦国時代に入ってからは南蛮貿易が盛んとなり鉄砲伝来以降は鉄砲の製造地として発展。
このように国際交易が盛んな地域でしたが徳川幕府の鎖国政策により貿易港ではなくなり商人の街から職人の街へと変わっていきました。
このあたりは旧市街地と称されていますがお店がけっこうあるようです。
本日はこの界隈を散策します。古くからある町。
それだったらアッチ系の店も期待できるかも!

こちらは定食屋です。
以前私はここで食事をしようとしたのですがその時はめちゃくちゃ混んでて諦めました。どうやら堺では人気店なんだとか。まだお店が開いたばかりなので人が少ないです。せっかくなんで食べていきましょう。

定食屋というよりイートインみたいなところ。自由におかずを選ぶシステム。東南アジアの経済飯みたいなやつです。
自分好みの定食をつくる。いいですね。

こちらが私の選んだ朝ごはんです。
卵焼きとマグロの刺身、それにご飯と味噌汁です。
焼き魚とか唐揚げとかも惹かれましたがこの店の主役は白飯です。
シンプルイズベスト。
豪華なおかずよりもこっちのほうがあってるはずです。
朝からこういう食事がとれるのはいいですね。
個人で経営されている定食屋で朝ご飯を食べる。やっぱりチェーン店は味気ないですからね。食事をするなら個人店に限ります!
こちらのお店は1963年に創業したそうです。創業60年を超える定食屋。
伝説の米炊き職人がいる店として有名でした。
しかし米炊き職人の方は引退。現在別の方が事業を継承しています。
個人商店っぽい雰囲気がありますがこちらはフジオフードシステムが経営しています。
フジオフードシステムは、まいどおおきに食堂などを手掛ける東証プライム企業。まいどおおきに食堂は大通り沿いで見かける○○食堂って書いてあるチェーン店です。

チェーン店だった!
どうやらフジオフードシステムの社長が学生時代の頃からこの店の常連だったんだとか。その縁もあって先代から事業を継承したそうです。以前とはだいぶ味が変わったって話ですが果たしてどうなのでしょう。

こちらは紀州街道です。
紀州街道沿いには阪堺電車が走っています。地元の人からはチン電と呼ばれているそうです。路面電車、いわゆるチンチン電車でしょうか。
こちらのチン電、大阪方面は天王寺や今池のあたりに出れます。
天王寺・今池といえば飛田新地があるところ。堺市の人がムラムラってなったとしてもちんちん電車に乗ればちんちんをどうにかしてくれる。これはまさしくちんちん電車。
現在私がいるのは御陵前停留場。
御陵前から今池駅まで40分。今池駅から飛田新地までは徒歩5分。たった20分のために片道45分の旅路。非効率ですよね。
今ですらこれだけ時間がかかります。かつてはもっと時間がかかったのでしょう。そのため堺にも飛田に準じた街がありました。チン電が走る御陵前停留場のそば、この近くには遊郭がありました。
これはまさにちんちん。
御陵前停留場ってことは御陵の目の前ってこと。
この近くには仁徳天皇の御陵、つまりお墓があります。

御陵そばに遊郭があるなんて道徳的じゃない。
倫理観のかけらもない。
不敬でしかない。
ここは本来遊郭を設置すべき場所ではないのです。
ちなみに仁徳天皇陵までの距離は2.4km、歩くと30分以上かかります。
全然前じゃねぇ!
飛田新地の滞在時間よりも長い。
飛田新地の滞在時間と御陵までの時間を一緒にする方が不敬。

紀州街道の東側にある道は熊野街道です。
熊野街道は熊野参詣で利用する道路。熊野参詣がはじまったのは平安時代の中期ごろ。皇族や貴族らが参詣するようになったそうです。室町時代になると一般人の参詣も盛んとなり街道沿いに行列ができるほど人気だったんだとか。人が増えれば商店ができ宿屋ができる。そしてエロい店もできるのでしょう。
900年前も今も性への好奇心は変わりません。鎌倉時代の頃には街道沿いに遊郭ができました。
最初にできた色街はここから3kmほど離れた北旅籠町東でした。当時は遊郭ではなく私娼窟だったのでしょうか。街道沿いなので人気スポットだったのでしょう。しかし1615年の大坂夏の陣で堺市街地は全焼。遊郭もその際に焼失し、ここに移設されました。ここに移ったのが400年前。それでもかなり歴史が古いです。

こちらの旅半山之口橋を渡った先が遊郭です。
遊郭の名前は乳守遊郭。
乳守ってことは巨乳系専門店的なやつかな?
どうやら名前の由来は諸説あるようです。

遊郭に隣接する臨江寺の境内に乳守明神社があります。
乳を求め祈願すると乳がでるようになった、そんな言い伝えがあるようです。つまり巨乳系専門店的なやつが由来のようです。
ちなみに松尾芭蕉もこの地に訪れてるようです。
芭蕉さん巨乳好き説。
千利休は遊女を妾にしたそうです。
わびの精神のかけらもねぇ茶人。
また一休禅師も遊郭に出入りしていたんだとか。
ただの生臭坊主。
歴史のある遊郭ですからね。
著名人が通っていてもおかしくないでしょう。

そんな大人気スポットだった乳守遊郭ですが現在は遊郭の名残りはなく普通の住宅街です。
ここの住所は南旅籠町。旅籠屋があったのが町名の由来ですがかつては遊郭でした。今風で言えばホテヘルになるのでしょうか。
鎌倉時代に誕生した色街。明治になり遊郭に指定されます。しかし市街地から離れた場所だった乳守遊郭。さらには堺中心地にも遊郭があったため乳守遊郭は人気がなく衰退したそうです。
過疎地の風俗街はサービスが低下する。それはいつの時代も同じで乳守も質が低下し人気がなくなったのでしょう。
終戦を迎える前に遊郭は廃業となりました。
現在は普通の住宅街になってます。

遊郭の名残りはなく電柱に名前が残ってるだけでした。
俳人や茶人、僧侶が愛した乳守遊郭。
ここにあった巨乳専門店はもうなくなりました。

かつてはこの道を歩いて熊野へ行ったのでしょう。
お参りついでに遊郭へ立ち寄る。
参詣は精進しなければなりませんが参詣後は精進しなくてよい。そんなわけで参詣帰りに遊郭へ行ったのでしょう。むしろ参詣は口実で遊郭が本来の目的だったかも。
何百年も前はそんなのが日常。
熊野参詣は現代でいう売春ツアーだったのです。
当時は街道に行列ができるほど人で溢れてました。その多くの人が遊郭に行っていたのでしょう。
風俗へ行くために神様にお参りしていたのです。
人間の性への探求心は偉大です。
参拝をした後に女遊びをする。
今じゃ罰当たりとされそうですが当時はそれが普通だったのでしょう。人類が進歩したからでしょうか。当然今はそんなことをする人はいません。参詣後に遊郭へ行ってたのは900年も前の話。

今はごく普通の街と思いきや遠くに見える現代版の旅籠。
900年経っても人は成長してねぇ。
むしろ参詣してない分劣化してる。

閑静な住宅街にポツンとあるラブホテル。
今の時代の遊郭はデリバリータイプ。
昔風に言えば「送り込み形式」。
やっぱ飛田新地まで間に合わない人、堺にけっこういるっぽい。
そもそも堺東の方にもそっち系の店があります。わざわざ大阪の中心地に出なくても堺で充分事足りるんです。
このホテルを利用すれば、一休さんたちと同じ経験ができるかもしれません。
一休「ではそのパネルから娘を出してください」
一休「パネルの写真と違う!チェンジで!」
そんなとんち話を経験できます。できれば経験したくないとんち話。屏風の寅よりも怖い現代版のホラー話。

こちらは堺山之口商店街です。
この付近が堺の中心地だったのでしょうか。千利休の屋敷もこの界隈にあったそうです。

古くから開口神社の門前町だったそうですが江戸時代末期に芝居小屋ができたことで街が発展。堺の一大歓楽街になったそうです。戦前まではこの辺が街の中心地だったのでしょう。

大小路筋を挟んで北側、熊野町東、戎之町東、櫛屋町東など複数の町名があるエリアですがここは通称「天神」と呼ばれています。
名前の由来は近くに天神様があるからです。
天神様といえば学業の神様。学業成就や合格祈願にご利益があるとされる菅原神社。受験時期には多くの参拝者で賑わうのでしょう。そんな学業の神様がいる門前。

ここ、飲み屋街なんです。
クラブ通いを夜のお勉強会って言っちゃうヤツ。
堺東からも堺からも離れたところですがこの界隈はスナックビルが多くあるエリアです。
そもそも天神様の門前って大体こんな感じです。
福岡の天神も歓楽街だし、湯島天神前も風俗があるエリア。神社仏閣の門前は大体こんな感じ。堺の天神もほどよく飲み屋街になっています。
堺ってあっちこっちに飲み屋街があるようです。
堺は堺東駅前に飲み屋街があります。
堺市役所西側にも飲み屋街があります。
堺駅そばも遊郭跡地に飲み屋街があります。
そしてここ天神にも飲み屋街がある。
普通飲み屋って一カ所にまとまっていますが堺って全体的に飲み屋街がある。
堺市、飲み屋街。

ラウンジ、ナイトクラブ、スナックがあるエリア。でもここの飲み屋街、看板を見た感じだとフィリピンパブがないんです。外国人パブ的なのもなさそうな感じ。堺東駅そばの翁橋はフィリピンパブがありました。それがないのが天神の特色なのでしょうか。ちょっと高級路線な感じ。ここは堺の銀座的なところでしょうか。
いや堺に銀座が多すぎる。
堺東駅前も銀座だし、翁橋も銀座と称されてた。
いくら銀座発祥の街だとしても銀座がインフレ起こしてる。

センターというわりには中央感が薄めの街路。
スナック路地って感じ。
雰囲気の良いところです。
こんな感じで飲み屋は結構あるんですが飲み屋しかないのでしょうか風俗的なとこ、ないのかな?

ここは普通のエステ店。
サロン=風俗って思うのはやめた方がよい。

じゃあここは?
エステ=風俗って思うのもやめた方がよい。
やめた方がよいけどここは何か感じるものがある。
リラックスステーションという、いかにもリラックスできそうな雰囲気のある看板。健康エステというわりに健康な感じがしない看板。
看板はあるんですがどんな店なのかが分からない。ネットで探すも情報がありません。そもそも店が営業しているかも不明です。なんとなくやってなさそうな感じ。

飲み屋街だからあってもおかしくないエステ店。
でも地元の人が飲みに来るような場所にある天神。知り合いが多い場所では行きづらいですよね。そもそも電車一本で飛田に行けます。
でも大小路駅から天王寺行きの終電22時56分なんです。トビタシンチまで45分。到着は23時41分 お店が閉まるのは24時。
けっこうギリギリすぎる。
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バブル崩壊で衰退した堺の銀座 南大阪最大の歓楽街「翁橋町歓楽街」
本日は大阪府堺市に来ております。
こちらは大小路交差点です。
交差点の東側が堺東で ここが商店街の端っこです。大小路筋を北西に進めば堺駅に行けます。ちょうど分岐点のような場所です。江戸時代は商人がここを行き交ってたのでしょう。
堺は商人の街といわれていました。室町時代以降に国際交易が盛んな地域となり商人は莫大な利益を得たそうです。
しかし時は戦国時代、そんな街なら当然戦国大名に狙われるでしょう。そんなわけで商人らは街を囲うように堀を作り外敵が侵入しないように街を防衛したんだとか。
この高速道路が通ってるところが環濠の東側で、ちょうどこのあたりに出入り口があったそうです。
つまり右手側がかつての堺、左手側は何もなかったところなのでしょう。でもこの左手側、なにかあるようです。

国道26号と国道310号の交差点、飲み屋ビルがあるんです。スナックやバーが入居する飲み屋ビル。
堺東駅からは徒歩10分くらい離れています。
そのような場所に飲み屋ビルがあるのですがこのビルだけでなくほかにも飲み屋ビルがあるんです。

大阪府堺区翁橋町、こちらは歓楽街のようです。
ここは南大阪の中でも有名な歓楽街。
南大阪は堺エリア、南河内エリア、泉州エリア。定義はあいまいですが堺は南大阪に含まれます。最近は関空ができたことで泉佐野が栄えています。また岸和田の辺りにも飲み屋街はあるようです。風俗街といえば信太山でしょうか。信太山には大阪五大新地があります。あそこも歓楽街といえば歓楽街です。このように南大阪はいくつか歓楽街がありますが、そのような中でも堺は頭一つ抜けています。
政令指定都市である堺。
人口80万人もいて22000社の企業があり多くの人が働きに来る街である堺。そりゃ飲み屋街の一つや二つあってしかるべきです。
でも堺って政令指定都市なのに堺区以外の場所、墓しなかいんです。
街を見渡しても墓だらけ。
墓しかないからそれが世界遺産にもなるほどです。戦後の宅地開発で潰された墓もありますがそれでも墓が多いため飲み屋が一点集中するのです。
飲み屋があるのは堺駅、堺東駅前、大小路駅界隈、そして翁橋町。ここ翁橋町は飲み屋が複数あるエリアでかつては南大阪最大の飲み屋街といわれてました。
スナックやクラブ、ラウンジがある飲み屋街。
いわゆる銀座的なところでしょうか。
銀座商店街よりこっちが銀座を名乗るべき場所だった。
きらびやかなネオン、着飾った淑女。
夜の帳がおりればそのような街になるのでしょう。でもちょっと様子が異なるようです。

夜の街は夜にならないとわからないのですが日中でも寂れた雰囲気があります。こちらの飲み屋ビル、だいぶくたびれてます。

フィリピンパブ、インターナショナルパブ。
シャッターが閉まっているだけかもしれませんが営業している様子が感じ取れない外観です。

うどん屋さんも閉店してしまったようです。

どうやら1年前くらいまで営業していたようです。廃虚のようなビルですがお店はやっているのかも。

二階にファッションヘルスがあったようす。ファッションヘルスはかなり前に閉店してる様子。
あれ、ここって銀座じゃなかったっけ?風俗は銀座にないんじゃ...。
銀座です。ここは銀座です。
間違いなく銀座。ちょっと銀座をアレンジしただけ。そう。ここは堺にある銀座。本家銀座とは少し趣向が異なる店があったのです。

かつては風俗店が複数あるエリアでした。しかしどこもかしこも営業してないんです。看板は残ったままのところもあります。

こちらもピンサロだった感じがする看板。
でもこのように店はやっていません。
そしてその多くが放置されたままとなっています。

堺泉北臨海工業地帯の誕生により大きく発展した堺東。工場街があれば飲み屋街ができるのはごく自然。駅前同様にここも飲み屋街となったようです。
当然酒が入れば男は大体すること同じ。理性のタガが外れるのでしょうか。エロいことを求めるのです。
昔は飲んだ後にそっち系の店に行くのが当たり前だったのでしょう。そんなわけで店が複数あったようです。多くの工員が仕事終わりに遊んでいたのでしょう。このようにして堺東は発展しました。
しかし1990年を境に売上額が低下。
さらにバブル崩壊で景気が低迷しいくつかの工場が閉鎖されたようです。工場が閉鎖されれば工員がいなくなる。景気が悪くなれば財布の紐もかたくなる。
そうなると夜の街に人が来なくなり、翁橋町の灯りは一つ、また一つと消えていくのでした。
かつてあった高級クラブは閉店し風俗店も同じように潰れていったのでしょう。堺の銀座と呼ばれた町の様子は変わりました。クラブがなくなった翁橋町はもう銀座とは呼べない街なのかもしれません。

残ったのは風俗でした。
潰れてたけど新たにできてる。看板が新しいから最近できた店っぽい!

いやいや普通の飲み屋街なんです。ほらちゃんとしたラウンジとかあるしガールズバーなんかもあります。あとフィリピンとタイの店もあります。

こちらなんかフィリピンと日本の国旗を掲げたインターナショナルパブがあります(世界がだいぶ狭い)。

著作権に問題がありそうなビル。ここも飲み屋ビルです。

普通のスナックビル。雰囲気がよい感じです。

こっちにもスナックビルがあります。
この看板の感じ、素敵です。
本家銀座とは若干様子は違うけど一応飲み屋街としての体をなしているようです。

あとはエステ店があります。
誤字なのか私の知らない新しいサービスか。オイルリンパではなくオイルリンバ。排毒という日本じゃあまり聞く機会が少ない言葉。これは中国四千年のリンバ。白い毒が下半身から出そうな雰囲気。

多いわけではないですがエステ店があります。
かつては怪しいピンサロがあった翁橋町ですが今は健全なエステ店に変わったようです。
翁橋町は時代の変化とともに生まれ変わりました。もうかつての翁橋町ではないのです。

こちらはジャンボプラザという飲み屋ビル。
1979年に建てられた翁橋町で一番目立つビルです。居酒屋と寿司屋、それにスナックが入居するビル。ここが翁橋町の中心地なのでしょう。翁橋町の顔といったところでしょうか。
これよりバブルを迎える時代。バブル時はかなり賑わった街だったのでしょう。でも今はだいぶ静かです。
バブル崩壊後長らく街は静かだったのでしょう。それでも何とか続けてきたのでしょうか。しかしその努力もむなしく感染症により飲み屋街は厳しい状態となりました。
ここ数年で閉店した店も多かったのでしょう。
更には飲み文化自体が消えつつあり、仕事終わりに上司と飲みに行く機会も減りました。社会人が夜遊び光景は見れなくなりました。飲みニケーションを必要としなくなったのです。
キャバクラ代を経費で落とすこともできず風俗なんてもってのほか。
飲んで騒いだ後に風俗へ行く。そういう遊びをする人もいなくなりました。そのため風俗店が潰れたのです。必要としなくなったのです。もう時代が変わったのです。この街にはもう風俗がありません。

翁橋町の中心地。
ジャンボプラザの向かいにはラブホテルがあります。
顔の目の前がラブホテル。
ぜんぜん銀座の様子がない。
キャバクラもラウンジも高級クラブもある。そういう人たちが飲んだ後に行く風俗店。かつては店舗型でしたが今は無店舗型へ。そう、時代が変わったのです。
店舗型を続けるのは楽ではありません。警察からも睨まれるしヤクザにも目をつけられる。景気に左右される業界だし法改正で潰される業種。そもそも新規出店できない業種です。
それに比べてデリバリーの場合はどうでしょう。
参入もスムーズだし大きな店も不要。
近隣からの文句もなくトラブルに巻き込まれない。
そのためデリバリーにシフトするのでしょう。
ここのホテルも一時間から貸し出しています。これは40分コースの店に対応してるのでしょう。
そのような利用をする人が多いからかホテル前には車列があるんです。ホテル前にいる人たちは送迎ドライバー。車はホテル前に3台停まってました。まだ日も明るいうちから利用者がいるようです。
ちなみにこちらはラブホそばにあるリバティープラザというシティーホテルですが、もう閉店してしまったようです。ラブホが人気なのに普通のホテルは不人気。

デリバリータイプが人気のようですがここには受付型の風俗店もあるようです。
いわゆるホテヘルという業態のお店で店舗型と無店舗型の中間に位置する業態のお店。
どうやらこの付近に受付所があるようです。

この18禁のマークがあるところがその店。
このマークがあると風俗店。分かりやすくていいですね。
このマークは国家公安委員会告示で定める標示で風俗店は表示義務が課せられてます。
つまり丁寧に警察の人が「風俗店はここだよ!」って案内してくれてるんです。
組織ぐるみで風俗案内。風俗無料案内所よりも優良案内所。
このビル、どうやら受付所があるようです。
はたしてどんな店があるのかな?

結構過激な受付所。
店名はユーザーに店の存在を知らせどんなサービスを提供しているかを印象付けるそのお店の顔そのものなのです。そのため覚えやすく、読みやすく、親しみやすい。
素人。
覚えやすい。
人妻。
読みやすい。
過激。
親しみやすい。
ほぼほぼ三行広告のソレ。
最近では説明書きのような長い店名だったり逆に短いけど意味をもたない店名だったり色々なお店の名前がありますが、ここは漢字二文字で全てを語れる店。単純明快でわかりやすい。なんの店かわかるしどんな店かわかる。

この界隈、風俗店が潰れていると思ってたけど結構残ってるんです。こちらの店もネコカフェっぽいけどにゃんにゃんができる18禁の店。
しかもこちらのお店、日中にもかかわらず繁盛店。客の出入りがだいぶ激しいんです。
ここ、全然銀座じゃなかった。
メインはスナックとキャバクラだけどそこに隠れて風俗がある。昔は多かった店舗型のソレ、減少はしたもののまだ残っているようです。
堺泉北臨海工業地帯が下火になろうと地元の人がこの街を支えているのでしょう。
バブルの頃に比べると減ったのかもしれませんがこの時代でも生き続ける翁橋町歓楽街。さすがは政令指定都市の堺です。
風俗街のない指令指定都市なんて政令指定都市とは呼べません。翁橋町が風俗街の役目を担っているのでしょう。
つまりここは堺の歌舞伎町なのでしょう。
だいぶ限定的だけど。そして堺の銀座よりも二つ名の質が悪い。
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セクキャバは終わらない禅問答!堺東にあるちょっと怪しい歓楽街「堺銀座商店街」

本日は大阪府堺市に来ております。
こちらは南海電気鉄道高野線の堺東駅です。
高野山まで続く参詣路線として設置された高野線。堺東は1898年に始発駅として設置されました。
今の堺東は賑わっていますが駅開業当時は栄えていなかったようです。昔は大阪湾に面する堺駅の辺りそちらが街の中心でした。
堺といえば港町。
「東」の字が充てられてある通り堺東は少し内陸で昔は海側が栄えていました。
古墳がある通り堺市は古くから栄えた土地で戦国時代には貿易港となり商人の町として発展。東洋のベニスとも言われていており、長らく大阪湾に面した堺駅の辺りが中心地でした。近代になり市役所や遊郭が堺駅のそばにでき多くの人が訪れ賑わっていましたが終戦を迎えるころに状況が変わります。
1944年には市役所を堺東へ移設しました。そして1945年に空襲で堺市湾岸部が壊滅。さらには1958年に赤線が廃止されます。このようにして堺駅側は衰退しました。
逆に堺東は町外れでしたが戦後街が発展。こちら側が堺の中心地となったようです。

現在の駅前は商店街がありだいぶ賑やかです。
飲み屋さんなんかもあるのでしょう。
堺東には市役所があります。
当然役所の人間がいるってことはその人たちのための福利厚生施設もあるはずです。これは、アッチ系の店も期待できるかも!

こちらは堺銀座商店街です。
どこにでもある銀座を名に冠した商店街。銀座って東京の銀座をイメージしますが本来の銀座は銀貨の鋳造が行われていた、いわゆる造幣局があった場所です。どうやらその銀座の発祥の地はここ堺なんだとか。
もともと銀細工職人が多くいた堺。
その職人たちが江戸や京都に移り住んだそうです。それにより銀座って名称が広がってったんだとか。
「ものの始まりなんでも堺」って言われるように銀座の発祥は堺。だから堺は、銀座の起源を主張しるのです!
急に銀座起源説が怪しい感じになってきた。
堺の銀職人が移住したってのは事実のようです。でもそれって起源じゃないんじゃ...。

こちらが銀座商店街の中です。
闇市より発展した堺銀座商店街。衣料品店、雑貨店、精肉店、中華料理店。けっこう大きめの商店街です。
最近は事業者が減少し空き店舗も増えてますがそれでも活気がある商店街。ここが堺の中心地なのでしょう。

こちらには大衆演劇の芝居小屋があります。
関西は関東と比べると大衆演劇場が多くあり大阪は一番多い地域なんだとか。人がいなければ劇場は成り立ちません。このような施設があるのは街が繁盛している証拠。

あとこの商店街は居酒屋が多めです。
特に立ち飲み屋が目立ちます。
堺の飲み屋街は高度経済成長期の頃。堺泉北臨海工業地域ができたことで賑わいます。工場で働く人たちが仕事終わりに一杯ひっかける。そういう人たちのために立ち飲み屋ができました。
とくに工場は24時間稼働しているので日勤や夜勤など就業形態が様々です。
夜勤明けの朝方、一杯ひっかけたくても店がない。でも角打ちや立ち飲み屋なら朝から営業している。
今じゃ「昼から飲めるラッキー!」と集まってくる、ろくでなしのたまり場になっていますが昔は労働者の憩いの場だったのでしょう。
大企業があるところ、飲み屋街ありです。
ちなみに堺泉北臨海工業地域には日本製鉄があります。
日本製鉄あるところ スナック街あり。
日本製鉄がある北九州にも千葉君津の日本製鉄そばにも必ずスナック街がありました。仕事帰りにいっぱい引っかけるだけじゃ物足りない鉄鋼職人。堺にもそういった店があって当然ですよね。

ほら、やっぱりあった飲み屋ビル。
さすがは日本製鉄。そしてここは官公庁のそばです。
風営法には保全対象施設というものがあり役所そばでは営業できない取り決めがありますが、やっぱあるじゃん。
公務員だって男の子だもん。
仕事終わりにキャバクラ行きたいですよね。
アーケード街を抜けた先にはスナックが入居する雑居ビルが複数あります。
バーにラウンジ、おかまに割烹。一通りの飲み屋があります。

ワンセット5000円。普通の金額でしょうか。

新しそうなビルですがここもキャバクラビルです。これだけのお店があるってことは利用者も多いのでしょう。

ライキャバという聞きなれない言葉。
スナックとキャバクラの中間、ライトなキャバクラってことでしょうか。ガールズバーに近そうですがちょっと違うのでしょう。
キャバクラほど重めの接客は望んでいない。
でもスナックって感じでもない。
そしてガールズバーとも違う。
その要望に応えたのがライキャバ。
ライトなのでキャストにとっても働きやすい。需要があるからこういう店ができるのです。この業界はどんどん新しいジャンルができますね。
見た感じだとライトな店しかないようです。
役所のそばは性風俗まがいの店があるもんですが堺市にはそんなふしだらな人はいないようです。

こちらはツーショットキャバクラです。
北海道ではキャバクラをニュークラブといいます。逆にキャバクラはセクキャバになります。だから大声で「キャバ行きたい」って言うと北海道では白い目で見られます。
ピンサロを東海地方ではキャンパブと呼び、ファッションヘルスを福岡はトクヨクと呼びます。このように地域によって独自の呼び方があります。このツーショットキャバクラもそう。
風営法の関係で関西ではこの名称になったようですがここはセクキャバです。

こっちはヘビィキャバクラだった。
いやキャバクラですらなかった。
いちおうキャバクラ、いちおう、キャバクラなんですよー。ちょっとハッスルタイムがあるだけです。
届出上はキャバクラになるのでしょうか。でもやってることは抜きのないピンサロ。どちらかというろセクキャバは 風俗寄りです。
実はセクキャバはそこまで詳しくないんです。
理由はあまり行ったことが無いから。
性欲を掻き立てるようなことをするのに最終的に何もしない店。
セクキャバは終わらない禅問答。
ほぼ、修行なんです。
そんなわけで行く機会がないんです。
都内で行ったことあるのは新宿のセクキャバ、それに渋谷と池袋、上野も行きました。あとは新橋神田に錦糸町、六本木、秋葉原、蒲田、大森、五反田、品川。
けっこう行ってるしだいぶ網羅してる。
しかも都内だけでだいぶ巡ってる。
はじめて行ったセクキャバが大阪心斎橋でした。
全く興味のなかったセクキャバ。
吐精のないピンサロ?
そんなの牛肉の入ってない青椒肉絲じゃないか!って思ってましたがあの頃は若かった。
当時の私は間違っていたのです。
今の私はセクキャバを禅問答ととらえず前哨戦、前戯として考えています。
ことを致すには順序、ことわりがあるのです。
理に順えば則ち裕かに、欲に従えば惟れ危うし。
なすべきことをしなさい、さすれば豊かになる。これがセクキャバで悟りをひらいた人の金言。
このように怪しい店もありますがこの界隈はごく普通の飲み屋街。おそらく市役所の人も飲みに来るのでしょう。そんなわけで健全なキャバクラがあるだけ。そう健全な飲み屋街なんです。
ちょっとだけ怪しい店があるだけです。
こちらも怪しい店でしょうか。

これはキャバクラですらない店名。
ここは飲み屋ビルだけど電車って書いてあるからここは鉄道会社かな?
ここはゴーゴーグループ、ピンサロです。
これはちんちん電車。
さすがは役所のそばにある飲み屋街。セクキャバじゃ物足りないって人のためにちゃんと用意されています。
枚方にも同名の店があり昔利用していますがたぶん同じ店舗なのでしょう。
官公庁のそばは距離規制があります。そのためこの手の店は出店できません。でもここは普通の飲食店だから大丈夫!
ちんちん電車なのに?

ちなみにこちらの店、初乗り料金は4900円です。
初乗りの意味。

こちらは何の店なのか不明。
でもクリニックではないだろう看板の様子。こちらはどうやらキャバクラのようです。
ナースなのに?

こちらはピンサロ。学園なのに?なんかこのビル、だいぶ怪しいです。
すでにこちらの店は閉店しているようです。
2024年10月に摘発により閉鎖。女性従業員と全裸男性客が逮捕されてます。
全裸って...。
万博やオリンピックなどの世界的なイベントがあるとその手の店は目をつけられます。過去には大阪花博で大阪のソープは壊滅しました。先のオリンピックの際も都内の店が摘発。浄化作戦と称して閉店に追いやられるのです。
イベントがあるとやり玉に挙げられる風俗業界。翌年に万博を控えていた時期の摘発劇。
国外に日本人の性癖を見せたくないのか。このようにして摘発されるのです。
ピンサロは飯食うところでパンツ脱ぐところ。それなのに全裸だったのがまずかったのでしょう。パンツ脱ぐだけなら飲食店として認められていたはず。だって、同じビルにあるパンツ脱ぐ店は残っていますしね。
このビル、結構よさそうな予感です。5階から順番に店に訪れるのもよさそうです。
でも道理を通すには順に従え。まずは景気づけに一杯ひっかけましょう。
銀座商店街の一角が建ち飲み屋街になっています。
堺東は通称「ガシ」と呼ばれており東堺で飲むことを「ガシ飲み」というんだそう。
そんなわけでここガシにはガシ飲みができる飲み屋が結構あります。せっかく目の前に飲み屋街があるんです。

ガシ飲みしちゃいましょう。

まだ日が傾くには早い時間帯。でも労働者の街だからすでに営業しています。
労働者の街ですが工員はおらず、この飲み屋街に来ているのは私含め社会のレールに乗れずに脱線した人たち。そういう方々と呑む酒、サイコーです。
アテはだいこんとごぼてんです。
こちらは関東風おでんですが関東のおでんと違います。
関西では関東おでんを関東炊きといいます。諸説ありますが関西に移り住んだ関東人が関東おでんを広めたんだとか。
酒を飲むならあっさりの関西おでんよりも味が染みた関東おでんの方が好まれるのでしょう。

こちらははじめましての具材「梅焼」です。
形が梅なだけで梅は入っておらず魚のすり身とタマゴを合わせて焼いた製品です。近いのは伊達巻でしょうか。関西ではおでんの具として食されるそうです。でも伊達巻よりも甘さが控え目。そして出汁を吸ってておいしいです。
それと牛すじも注文しました。
関東おでんには入ってない牛すじと梅焼。
関西人がつくる関東おでん。
これは関西でしか食べられない料理。
こうやって立ち飲み屋で一杯ひっかける。
いいですね。

ってわけでもう一軒ハシゴ酒です。

さっきはおでんだったけど次は串焼きです。

こちらは時雨煮です。関西で肉といったら牛肉です。東京と比べると多少牛肉が安く提供されます。普段は豚かとり肉をアテにしてますがやっぱ肉といったら牛肉でしょ。酒のツマミにちょうどよい味付けです。
こうやって飲み歩くのもいいですね。
呂律が回ってなくて何言ってるかわからない気さくな関西人に絡まれる。まだ17時になるまでだいぶ時間があるのにすでにまっすぐ立つことすらできない酔っぱらい。川崎駅そばにあった飲み屋街に雰囲気が近いです。やはり港湾都市はどこもこんな感じなのでしょう。
港湾労働者はおらずならず者だらけだけど。
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たったこれだけで!?旅行系ユーチューバーのバックパックの中身
私、山林生活は旅行が趣味でして、国内海外問わずいろいろなところに行ってます。じっとしてられない性格、というよりほぼ病気に近いのでしょう。毎年どこかに旅に行っています。
昨年はインドとタイに出かけました。
一昨年は香港と台湾を巡りました。
国内でも九州、東海、関西、甲信越と色々なところに出かけています。その様子を当チャンネルで配信しています。
当チャンネルは旅行チャンネルです。
旅行チャンネル?
えっ!?ここって風俗チャンネルなんじゃ...。
違います。
ここは国内国外の旅行先の紹介をするチャンネル。ご当地グルメを食べたり観光地を見てまわったり、文化的な様子を配信する旅行チャンネルです。つまり私は旅行系ユーチューバーなのです。
少し旅行先に偏りがあるようですが、たまたま行った先が私娼窟や風俗街なだけ。
そう。たまたまなんです。
一般的な旅行系のソレと一緒にするな!って意見もあるかもしれません。でも何のジャンル?って聞かれたら旅行になるじゃん?そんなわけで当チャンネルは旅行チャンネルです。
ってわけで旅行チャンネルらしく旅行のお話をします。いつもは「ここは風俗街なんだよ」とか「西川口を源流としたNK流の一派」とか、クソどうでもいいことを話していますが、本日はいつもと違った動画を作ってみました。今回の動画は旅行の際の荷物についてです。旅行系ユーチューバーっぽいでしょ?
旅行には何を持っていくか何を持っていかないか。「旅のはじまりはパッキングから」と言われるように持ってく荷物を考えるとこから旅ははじまります。
極論を言えばスマホとクレカとパスポート、この三つがあれば旅に出れます。でもそれだと現地で色々買うことになるので非効率だしお金がもったいない。そのため最低限の荷物は持っていきます。
如何にして荷物を軽くしていくか。
それが旅行では一番重要なことです。いろいろと試行錯誤した結果、今の荷物になりました。
まずバッグについてですがバックパックです。かつてはスーツケースだった時期もありました。でもスーツケースって重いしかさばります。日本のように舗装されてるとは限らない海外。そしてうんこ落ちてる率が高いためガラガラ引きずるわけにもいかない。このような事情でバックパックとなりました。

私のはアメリカの企業「マタドール社」のフリーレイン28ってバックパックです。名前の通り28リットル入るリュックでフリーレインっていうように防水加工されてます。
こちらのリュックを買ったのは2021年。
当時は日本未発売だったのでアメリカから取り寄せました。わざわざなんで取り寄せたかというとこのバックパック、めちゃめちゃ軽いんです。

こちらは2019年に使用していたバッグ、重さは890gありました。

こちらは2020年に使用していたバッグ、重さは734gありました。
つまり160gの軽量化。
160gってスマホ1台くらいの重さです。そう考えるとたいしたことないですが、次のように考えた場合どうでしょう。
オカモトのコンドームは12個入りで10g。
つまり192回のチャンスが増えるわけなんです。
そりゃ軽くすべき。グラム単位で減らすべき。

そして今使っているフリーレイン28の重さ、350gなんです。
さらに384gの軽量化。
456回もチャンスが増える。
つまり650個のコンドームをバッグに入れても2019年の時と同じ荷物の重さなんです。そりゃ荷物を軽くすべきです。
ロールトップなのがちょっと使いづらいですが完全防水なので雨具が不要。なんだかんだで気にっています。

さて荷物の中身に関してですが大きく分けると歯ブラシなどの衛生用品、充電器などの電化製品、シャツや下着などの衣類、この三つになります。

まず衣類に関しては一日分しか持っていきません。
3泊の旅行では3日分の衣類を持っていく。4泊では4日分の衣類を持っていく。では10泊は10日分の衣類を持っていくのか。その場合は旅先で定期的に洗濯をしますよね。
じゃあいっそのこと毎日洗濯すればいいじゃない。繰り返し旅行をしていてこの結論に至りました。
風呂に入るついでにその日着た服も洗う。それを毎日繰り返すだけです。これであれば着ているものを含めて二着だけ、一着分の荷物で済むのです。
昨年インドとタイを一カ月ほど旅したのですがTシャツ2枚、下着2枚、靴下2足、ダウンジャケットとパーカーとカーゴパンツ、フリースジャケットと帽子とエアリズムステテコ、それに靴はサンダル。衣類はこれだけです。

ダウンジャケットは日本国内の移動時に着る用。そのため軽量でコンパクトなものを選んでます。こちらはモンベルのプラズマ1000ダウンってやつ。重量が130gなのでかなり軽いです。
もちろん軽量ってことは断熱効果は弱めですが日本の気候であればこれで問題ありません。フリースとダウンがあれば充分暖かいです。
フリースもモンベルです。モンベルはそこまで好きじゃないんですけど性能で選ぶと行きつくのがモンベルなんです。ちなみに靴下もモンベルの旅行用のヤツです。
Tシャツとパンツは速乾性のものを選んでます。洗濯をして次の日の朝までに乾かさなきゃなりません。軽くて速乾性の良いものを選ぶのが旅の基本です。

歯ブラシや爪切りなどの衛生用品はジップロックに入れてひとまとめにしてあります。以前はトイレタリーバッグを使ってましたがジップロックは透明なので中身が見える。旅行先でも手に入れやすいし値段が安い。
ジップロックの中身は耳かき、爪切り、爪とぎ、かみそり、毛抜き、薬、箸、歯ブラシ、耳栓、LEDライト、ニベア、保湿ジェル、小S字フック2個、紐、クリップ6個、殺虫剤、カンファ―オイル、空のスプレー、洗濯用石鹸、簡易ウォシュレットです。

こちらの簡易ウォシュレット。
不浄の手で対処できるので使いませんでした。

耳栓、これも結局使いませんでした。

カンファ―オイルは南京虫対策用ですがゴキブリワンプッシュで代用できます。そのため次回から持っていきません。
こんな感じで毎回手荷物はアップデートしてます。

こちらは洗濯石鹸です。水漏れしない袋に入れています。洗濯石鹸は1つで一カ月ちょっと洗濯できます。この写真の状態で3週間ほどです。

こちらは洗濯をするための袋。

そしてクリップと紐を使って干します。

箸はポテチ食べたりするときにあると便利。

歯ブラシは折り畳みのヤツ。
歯磨き粉はビジホでゲットしたやつです。

薬はロキソニンと整腸薬とビタミン剤だけです。
整腸薬は以前はビオフェルミンでしたがビオスリーを持っていっています。
ビオフェルミンは一回三錠ですがビオスリーは一回二錠でよいのです。ビオフェルミンは3錠で0.6g、ビオスリーは2錠で0.3gなんです。一か月分だと27gの差となります。つまりコンドーム32個分軽くなるんです。
ちなみにかみそりも爪切りも歯ブラシも軽いものを選んでいます。荷物を減らす理由?
その全てはコンドームのために。

電化製品に関してはこんな感じ。撮影機材用にゴープロと周辺機器を持ってます。あとはタブレットとスマホ、それに充電用のケーブル一式。

延長コードも結構使うので持っていっています。

ケーブルは2本、アダプターは2つ。
それと変換できる先っぽも持っていっています。

タブレットはサーフェスGOです。

風呂敷をカバーにして軽量化。


あとはマスクとそれにトイレットペーパー。
手ぬぐいと扇子です。

それと使うのがこちら、エコバッグです。
インドはレジ袋が禁止されタイでは有料です。
ฉันอยากได้ถุงที่ใหญ่พอจะใส่สิ่งนี้ได้
कृपया मुझे इतना बड़ा बैग दीजिए कि यह उसमें समा जाए।
タイ語でもヒンディー語でも言えない私は袋を出して袋入りません感をだすしかないんです。

こちらもミニサイズのリュックです。今回の旅でもなんだか利用しました。

それとセキュリティのための南京錠とワイヤー、それにS字フック。
バッグをナイフで切られれば意味がありませんが出来心の盗難を避けるために南京錠は必須です。移動時もホテルでも鍵はかけたまま。今のところ盗難被害には遭ってません。

書類関係はインドのビザの書類、航空券の控え、パスポートのコピーとワクチン接種の記録簿です。
こちらはワクチン接種の記録簿でいつ、どこで、何を摂取したのかわかります。
私が摂取しているワクチンは狂犬病、A型肝炎ワクチン、腸チフス、破傷風、日本脳炎、麻疹風疹ワクチン、髄膜炎ワクチン、黄熱ワクチン、B型肝炎ワクチン。
けっこうワクチンだらけ。
接種の費用だけで10万超え。
なお自由診療なので健康保険は使えません。
まぁ感染リスクのあるところに行きますからね。
でも重要なのはワクチンではなく感染しない状況を作ることです。野生の動物には近づかないとか不衛生なものは口にしないとか。そういうのをちゃんと心がけていればワクチンが必須ってわけではありません。ちなみにB型肝炎の感染経路は性交渉のようです。
これはワクチン接種不可避。

こちらは黄熱ワクチンのイエローカード。
赤道直下のアフリカや南米入国で必要なワクチン。一度摂取すれば生涯有効なので摂取しました。もしかしたら今年の旅先はガボンかもしれません。
リュックの中身はこんな感じです。
あとはウエストポーチを持っていっています。ウエストポーチには財布とモバイルバッテリー、それに筆記用具と手ぬぐいと扇子をいれてます。入国の際にペンを使うことがあるし中国人との会話は筆談ができます。

財布はこちら、無印良品のヤツです。なんだかんだで使い勝手がいいです。財布には現金とカードが入ってます。

現金は分けて持っています。こちらはマネークリップです。財布は外に出さず普段はマネークリップのを使います。分けておけばマネークリップのお金を取られても財布のお金は取られない。このようにして盗難強盗対策をしています。

パスポートはこちらにいれてます。
いわゆるセキュリティーポーチです。ズボンの中、いやパンツの中に忍ばせてます。
旅先でパスポートを持ち歩くかについてですが、私は常に持ち歩いてます。そもそも泊ってるホテルが安心とは限らないし客室のセキュリティーボックスは使いません。パスポートは唯一身分を証明できる書類です。常に持っておくのがマストでしょう。
これであれば盗まれることはないし強盗に遭っても取られる可能性が低くいです。
パスポートが必要なのは空港、宿、両替えです。両替えはキャッシングだから使わないし空港では別の場所にパスポートを保管します。面倒なのがホテルチェックインの時くらい。でも安全のためには仕方ないこと。

ちなみに現金もここに隠してあります。旅先での旅費の確保は基本キャッシングです。しかしATMが使えないこともあるしキャッシングが難しいときもある。そのため日本から多少の現金は持っていってます。
現金は一カ所にまとめて保管しておらず私は5カ所に分けて保管してます。カードも3枚持っていきましたが別々で保管。これも防犯対策のためです。とくに海外はスラム街とか私娼窟とかに行くので常に盗られると思いながら行動してます。
私の旅行の荷物はこんな感じです。
ちなみに私のバックパックの荷物は3kg切ってます。ウエストポーチと合わせても4kg切ってました。
格安航空会社の持ち込める手荷物の重さは7kg。
厳しい航空会社だと5kgまでですがこの荷物であれば追加料金不要で持ち込めます。
機内持ち込みだとロストバゲージの心配もないし預けないので空港についてすぐに出れます。
荷物が軽いので移動時の負担も少ないし少ない荷物の方が管理もしやすい。旅行の荷物は軽ければ軽いだけよい。足りないものが工夫でどうにか乗り切る。それも旅の醍醐味です。
2019年の頃は7kgくらいありました。
3kgの減量。つまり300ダース、3600個のコンドームを持ち運べるのです。
もうそれは業者のひと。
これ、国内でもさほど荷物に変化はなくパスポートと財布を持っていかなくなるくらい。日数に関係なく手荷物の変化はありません。変化が無いから荷造りもめちゃくちゃ楽。そして何を持っていくか悩むこともありません。むしろここから荷物を減らせないか悩むくらい。
だって荷物が減ればさらにコンドームを持ってけるじゃん。



















































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