エロに全振りの品川宿だったから今でもソレがあるんじゃない!?

本日は品川に来てます。
こちらは北品川駅です。
北品川駅は品川駅の南側にあります。
南にあるのに北品川とはこれ如何に。
品川とは現在の目黒川のことだったそうで起点となる目黒川の北側にあるから北品川。だから北品川駅は位置関係が正しいです。
品川駅は品川の中心みたいな感じですが駅があるのは東京都港区。全然品川じゃないんです。
元々品川宿そばに 品川駅を作る予定が反対運動などもありズレた場所に設置された。だから品川じゃないのに品川駅になった。おそらくそんな理由なんだと思います。
そもそもこの辺の駅名ってちょっと変なんです。
目黒にないのに目黒駅だしゲートウェイじゃねぇのにゲートウェイだし駅名が則してないんです。
個人的にはあの駅名は芝浜駅がよかったですが芝浜は浜松町の方だから却下されたんだとか。
品川駅と目黒駅の立場。
江戸時代に高輪大木戸があったからゲートウェイにしたそうですがじゃあ高輪大木戸駅でよかったんじゃねって思ってしまいます。むしろ北品川の方がゲートウェイ感があります。
だってここは北品川はかつてゲートウェイだったところ。
ここは 品川宿の入り口でした。

東海道五十三次の最初の宿場で日本橋から約8km。二時間ほどの距離にある品川宿。
中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道の千住宿と東海道の品川宿を合わせて江戸四宿と呼んだそうです。その四宿の中でも京・大坂へ向かう街道のため品川は重要な拠点とされていたそうです。
中心地から8km。二時間で行ける距離なのに重要拠点だったんですね。
ちなみに同駅のそばには品川女子学院があります。北品川駅利用者の多くは同校の生徒なのでしょう。
まぁまぁ有名な女学院。
私の知ってる女学院は「品女」か「平女」。
平成女学園を知ってるのは行ったことがあるから。
品川女子を知ってるのは芸能人を輩出してるから。
同校では有名なアイドル?女優?を輩出してます。
ちなみに品女から京都駅までが460kmの距離。時速185kmなら2時間半で行けます。

こちらが宿場だったところです。
東海道五十三次最初の 宿場町「品川宿」は目黒川を境に北が北品川宿南が南品川宿。そして北品川宿のさらに北に歩行新宿。このように三つが並ぶ大きな宿場でした。でも日本橋から品川までは約8kmほど。歩いて2時間かからないくらいの距離です。疲れたから今日はここの宿場に泊まろうとはならないでしょ!

都内の人は普通は品川に泊まらないんです。
理由は単純で理由がないから。
泊まる理由がない。家に帰ればいいんです。江戸時代の頃もそう2時間で行ける場所に泊まる必要はない。家に帰ればいいじゃない。
そのため人気のある宿場じゃないはずですがどうにかして客をとどめるようにしました。
今の時代もあるでしょう。
例えば広島に出張へ行く。泊まるのは広島駅前か市街地の方か。
帰りのことを考えれば広島駅前に泊まるべきです。でも流川に近いホテルを選びますよね。だってそっちの方が夜楽しいじゃない。
そうなんです。
旅先の楽しみは観光やグルメだけじゃありません。エロも一つの楽しみなんです。
品川宿はエロに全振りしたんです。
その結果どうでしょう。その当時の色街と言えば吉原でした。でも吉原は格式高く値段も高い。庶民が行くにはちょっとしんどかったのです。それは現代でも同じで。高級路線の吉原よりも1000円台で遊べる大塚のサロン店。品川にあったソレも吉原とは違い低価格で遊べるスポットとして人気でした。中心地から歩いて一時間くらいで行ける歓楽街。そりゃ江戸中のエロい 大人が訪れたのでしょう。
江戸を立つ知人の見送りに品川に行く人もいたり旅に出たが品川で散在してしまった人もいたり多くの人が利用しました。このように江戸在住なのに2時間で行けるところに宿泊してたのです。
それだけ盛況な品川宿。
その怪しい店は100軒以上あったそうです。そうなるとどの店行くか悩んじゃいますよね。
でもそんな悩みもちゃんと解決してくれたんです。北品川駅の辺りは歩行新宿と呼ばれるところ。この界隈は遊女屋を案内する茶屋がありました。
今のようにインターネットも写真もない時代。人づての情報こそが生きた情報だったのです。茶屋でいいお店を聞いてから遊女屋に行く現代の無料案内所となんら変わらないシステム。
これは店舗型MANZOKU!!
そんなシステムが400年前からあったのです。

こちらには土蔵相模跡という史跡があります。一階にコンビニがあるマンションとなってますが江戸時代は相模屋という旅籠屋がありました。表向きは宿泊施設ですが実態は遊女屋。飯盛女がいる妓楼でした。お風呂屋さんなのに風俗嬢がいる感じ。相模屋は高級妓楼だったそうで高杉晋作など幕末の志士が利用していたんだとか。
高杉晋作、いろんな色街出入りしてる。

水戸浪士、長州藩士、薩摩藩士。
歴史に名を残す顔ぶれがここ相模屋に訪れてたのでしょう。ここで酒を酌み交わし密談したのでしょう。そしてそのあとは各自遊女と床の間へ。
要はツレ風俗。
ちなみに品川女子学院があったところには建設中の英国公使館がありました。
高杉らが焼き討ち事件を起こした公使館です。
その際も高杉らはこの妓楼に立ち寄ったんだとか。
だいぶ近場で遊んでた。
そして焼き討ちに成功した高杉らは再度品川の妓楼に散っていったそうです。
まさかの二回戦。
400年も前から存在した品川の遊里。かつては100軒以上の女郎屋が軒を連ね1500人以上の遊女がいたそうです。品川にあったソレは明治になると遊郭になるも戦後赤線街を経て住宅地になりました。
現在遊郭赤線の雰囲気はまるでありません。それだけ大きかったんだから残るもんでしょう。
飲み屋街になってもおかしくないですがそういった店はゼロです。
居酒屋やスナックなどはありますがキャバクラはなさそう。また風俗的な店も 全くないようです。

こちらに銭湯があります。
建物は1975年に建てられていますが同銭湯の創業は明治時代。
まだ遊郭があったころから営業してる公衆浴場。その当時は娼妓がここで湯あみをしたのでしょう。

こちらはどこかで見たようなネズミの絵柄。
なんか権利関係に抵触しそうな感じ...。そんなことはありません。
ネズミの絵がネズミの国の専売特許と思うなかれ。これはあくまでもネズミの絵柄なだけなんです。

権利関係!

こちらの居酒屋はどんなところなのでしょう。
ギャグ要素強めの店なのかはたまた偏りある主張を持つ店主がいるのか。少し気になるお店です。

政治色が強めの居酒屋。

おもてはきれいに整備されてますが裏に入ると昭和の雰囲気漂う街路があります。
こちらに旅館があります。創業70年ほどの歴史がある旅館。できたのは売春防止法が施行されたころ。
ここは昔はそんなところだったのかも。ここに泊まれば当時を味わえるかもしれません。

品川宿の周りには寺院が点在してます。人の往来が激しいところだったから寺院ができたのかもしれませんがなんか別の理由っぽい感じ。幕末にはこんな川柳が読まれています。

品川の客にんべんのあるとなし。

品川宿の利用客の大半は侍と僧侶だったそうです。侍の字のにんべんをなくすと寺になります。多くの僧侶が出入りしていたのでしょう。
僧侶は性行為が禁止されてたため医者に変装して登楼してたんだそう。僧侶は頭を丸めてますが当時の医者も坊主でした。見た目同じの医者のふりして登楼したのです。

ここは目黒川に架かる品川橋です。
かつてはここの北側が北品川宿、南側が南品川宿とよばれていました。
今は人通りはそこまで多くないですがその当時は品川駅のようなところ。多くの人がこの橋を行き来してたのでしょう。そしてこの橋の北も南も遊女屋があったのです。そりゃ暇さえあればここに遊びに来たはずです。むしろそのために来た人が多かったっぽい。

目黒川から青物横丁辺りまでが南品川です。宿場の様子はなく普通の商店街のようなところ。
こちらは東海道南品川。青物横丁駅のそばの交差点です。

ここはジュネーブ通りという通りで青物横丁で一番栄えているところです。
この辺りが宿場の端っこだったところでしょうか。色街の名残りはなくごく普通の商店街です。

こちらは海蔵寺です。

同寺院内に無縁仏の供養塔があります。この界隈には非人溜という施設がありました。
溜(ため)とは病人の 囚人を収容する施設。今風に言えば医療刑務所っぽいところでしょうか。
江戸時代は懲役刑ってのがなかったようなので医療が受けられる拘置所に近い施設。

非人頭の松右衛門って人が管理してたようで溜があったのは青物横丁駅の近くにそれがあったそうです。
病気が治れば元の牢に戻されたそうですが医療が未熟だった江戸時代。多くの人がここで亡くなったのでしょう。また近くには鈴ヶ森処刑場がありました。処刑された人、獄死した人を供養したのでしょう。そして遊女も同じようにここに投げ込まれました。

遊女の命は短命で平均寿命は22歳くらい。
身寄りもない彼女らの行き先は投げ込み寺でした。
全く知らない人だけど。全く関係ないとは言えない人たちのお墓。各地の遊郭そばには必ずあるので手を合わせていってます。
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那覇ゆきさんがいる沖縄の歌舞伎町「松山歓楽街」

本日は沖縄県那覇市に来ております。こちらは那覇の中心にある松山です。
那覇にはいくつかこのような街がありますが松山は沖縄県最大の夜の歓楽街です。
クラブやラウンジなどの接待を伴う飲食店がある銀座のようなところでしょうか。
沖縄を代表とする歓楽街で夜になると多くの人で賑わうんだそう。

こちらは松山の端の問屋街があったところです。
かつてはこの辺りが松山の中心だったそうですがもとは飲み屋街ではなかったようです。
飲み屋街となったのは1990年代以降。松山は終戦後に区画整理がされ街として発展。当初は問屋がある商業地でしたが1991年に浦添に新たな問屋街ができるとこの界隈にいた卸問屋も次々に移転。松山は空き店舗だらけとなったそうです。その空き店舗に飲み屋が入居するようになり歓楽街へ発展したそうです。近隣がオフィス街なのも発展した理由でしょう。とくにこの界隈は官公庁が多いエリアです。
歓楽街そばは必ず公務員がいる。松山が県内随一の歓楽街になったのは公務員がいたからです。
沖縄はちゃんと棲み分けが出来てるようで飯を食うなら国際通りへ。
そっち系のお遊びするなら辻の方へ。
酒を飲むなら松山へ。
そんな感じで場所を分けてるのでしょう。
松山は飲む街。
だからそっち系の店がありません。代わりにあるのがこちら。

棲み分けできてなさそうな店。
いやいやここは書店です。売ってるのはDVDとコミック。それにファンシーグッズとコスチュームです。
ファンシーグッズってなんだろ?
調べてみるとファンシーグッズとは主に10代20代の女性をターゲットにした可愛いイラストが描かれた道具の総称。それがファンシーグッズ。

いやこれは20~60代男性をターゲットにした無機質な形をした何かの道具。
でも逆にちゃんと棲み分けができてるからこういう店があるのでしょうね。
松山にはその手の店がないっていう証拠です。

ちょっと待ってください。
なんか本屋の隣りに気になる店があるんです。

癒し屋、洗い屋、添い寝屋。エステ要素ゼロ。
施術内容が怪しそう。

こちらのお店は洗体エステのようです。
洗体エステって沖縄発祥だったんですね。
調べたところ90年頃に沖縄で生まれたそうです。洗体エステって何?って人のために説明します。
洗体エステとは読んで字のごとく体を洗うエステ。あかすりなどから派生したエステでしょうか。エアマットの上で泡を使って体を洗うため泡泡洗体なんて呼ばれることもあります。基本的に手を使って洗うのですが密着して洗うボディ洗いをする店もあるそうです。
それを川崎では泡踊りっていうんだゼ。

いやいや川崎のと一緒にしないでください。
特殊浴場のそれとは違いあくまでも洗体を目的としたエステ店。
そのため多くの店がそんなサービスはしてないのでしょう。健全な店が多いはず。
でも松山にある洗体エステ。こちらはどうでしょう。

沖縄美女に癒される。
ぬるぬる泡で身も心もリラックス。
めんそーれ。
めんそーれって言っておけば免罪符になるやつ。

こちらは松山交差点です。
この辺りが松山の中心地で一番賑やかなところ。
午前中ですがカタギじゃなさそうな人がいます。
銀座じゃなくて歌舞伎町。風林会館前のようなところ。この界隈は歌舞伎町の名に恥じぬくらいキャバクラ多めの街。キャバクラのほかクラブやラウンジなどもあるしホストクラブなんかもこの界隈にあります。ほぼ歌舞伎町と変わらない歓楽街。期待できそうな感じです。

ここに来る客の多くが県外から来た観光客。
つまりナイチャーの人たち。沖縄に観光に来て夜の街に遊びに行く。それを受け止めてくれるのがここ松山なんです。ここなら沖縄っぽさを感じれる。
わけではない。
問題は働くキャストです。
性風俗店でも同じですが地方のこの手の店で働く人って県外の人なんです。つまりナイチャーの人。とくに沖縄にはリゾートバイトってのがあります。
リゾートバイト?海の家的なヤツかな?
リゾート地において人材不足を解消するため県外から労働者を募る、いわゆるリゾバ。
カタカナでおしゃれな感じで言ってますがその実態は出稼ぎ労働者や季節労働者。沖縄は観光地なので観光業のリゾバがあるのです。ホテルなどの運営スタッフもあるのでしょうがリゾートバイトの多くはナイトワーク。つまり水商売や風商売などの業種になります。リゾキャバなんて言葉もあるくらい。松山もリゾートバイトの行き先の一つ。つまりここには多くの「那覇行きさん」がいるんです。
クラブ嬢「私の出身さいたまなんですぅ」
キャバ嬢「ウチの生まれは大阪やで」
エステ嬢「私出身大連ヨ」
じゃぱゆきさんもいる!
こんな感じで沖縄に来てるのに沖縄人と触れ合えない。松山は内地人だらけの街なんです。

こちらも内地人キャストが多そうなビルです。
飲食店があるだけの歓楽街なので性風俗店的な店はここにはありません。
怪しそうな店もあるけれど広義の意味では飲食店。そのためここはすべてがセクキャバで構成された飲食店ビルです。
広義の飲食が広すぎる!

これだけ店があって潰れてないってことは需要がちゃんとある証拠。
官公庁が多い沖縄の中心地。歓楽街を支えているのは公務員。夜になればアフター5で松山に来るのでしょう。公務員がこのような店で飲むんでしょうね。
公務員の飲み方が汚い件。
でもその気持ち、わからなくもありません。
だってキャバクラに行っても県外の人ばかり。地元の話題を話せないし年の差があるから話題が合わない。
クソどうでもいい会話をするよりもハッスルタイムがある方がいいじゃない!
もうお前らはソープ行けよ。

こちら、なんか見覚えがあります。
ちょっと前にAV女優で構成された女性アイドルグループがありましたがそれにあやかっているのでしょうか。ショークラブってなってるんでショーパブ的な店なのでしょう。値段も手ごろで良心的。でもショーパブなんで隣に座らない。ショーを楽しむための店。だからハッスルタイムもありません。
ただの生殺し店。

ここにはいろんな店があるためちゃんと案内所があります。
無料で案内してくれる奇特な人たち。居酒屋やキャバクラだけじゃなく観光案内までしてくれる無料案内所。
つまりここでは舜天王統統治時代の琉球の話や明治時代の琉球統合のことも聞けるのでしょう。日清戦争の起因となった琉球処分。そして今の中国における日本の沖縄領有懐疑論。その辺の話もここでは聞けるはずです。

こちらも無料案内所です。
これは魁!!こちらの店は潔い。意味のない伏字などせずちゃんと書いてあります。
しかも旅行会社のツアーのようなパックプランまであるんです。なんかすごいお得感がある。
こんな感じで飲み屋だらけの那覇松山。
さすがは那覇の歌舞伎町。飲み屋が多いからか客引きも多いようです。
沖縄県も他府県同様に迷惑防止条例により路上での客引きや客待ちが禁止されています。

路上客引き自体が違法なのに客引きのための無線利用は違法だというまるで無線使わなきゃ大丈夫みたいな看板。携帯ではなく無線を使う現代の客引き。連絡がスムーズだから無線を使うのか。それとも客引きの美学がそこにあるのか。

こんな感じでほぼ歌舞伎町みたいな松山。
日中は静かな街並みですがここの本番は夜です。
夜は沖縄で一番刺激的な街になるのでしょう。
ってことで日が暮れてから来ました。

日中よりも人の往来がはげしいです。でも客よりも黒服や客引きが多め。
これに関してはどこの飲み屋街も同じですね。昔はもっと人でごった返していたのでしょう。
その頃より寂れてしまいましたがそのような中で生き残る店は優良店のはずです。でもこの界隈って飲み屋だけなんですよね。

セクキャバがあるじゃない!
いやセクキャバこそ真の生殺しの店。ハッスルタイムとかただただ悶々とするだけの地獄の責め苦のような時間。アレが好きなヤツはドMくらいでしょう。
ドMの店しかない松山。やっぱりそっち系の店はないのかしら?連れ出し的な店がありそうな感じもするけど...。
そんなことを考えながら街を徘徊しているととある客引きから声をかけられます。
客引き「おにぃさん、飲みですか?」
客引き「店紹介しますよ!」
今日は飲む気分じゃない。だから辻へ行く旨伝えました。
だから辻へ行くの意図!
その意図をくみ取ってくれた客引き。
客引き「この時間の辻は おばさんだけですよ!!」
客引き「店紹介します!!」
システムを聞いたところ。
40分2万円、60分25000円。
そして最後までできるとのこと。
せっかくの沖縄。
特殊な風呂屋もいいけれど特殊な飲み屋もいいじゃないですか!

時刻は21時過ぎ。これより真の沖縄を満喫してきます。
めんそーれ。
めんそーれって言っておけば免罪符になるやつ。
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洗練された品川駅港南口の異質な空間!?芝浦屠場と港南商店街

本日は品川駅に来てます。
こちらは品川駅の自由通路です。
ちょうど出勤時間帯。そのため多くの人が品川駅を利用してます。
一日80万人近い利用者がいる品川駅。新幹線で関西方面 京急線で羽田に行ける、品川は交通の要衝です。
多くの旅行者やビジネスマンが利用するため世界トップテンに入る利用者数なんだとか。羽田空港に行く際に、また新幹線に乗り換える際も品川は利用します。
このように利用しますが乗り換えで利用するだけで駅を降りることはあまりありません。私はプリンスホテルに泊まるのに降りたくらい。そもそも品川は遊びに来るところではないんです。

駅東側はオフィス街になっている品川。
品川のイメージはオフィス街。そのイメージができたのは2000年以降、2003年に新幹線の駅が開業。それくらいの頃から駅東側が開発されました。それ以前は品川って微妙な駅だったんです。駅東側は開発されてこなかったエリア。古くは港南口側は海の中だったそうです。
品川駅ができたのは1872年。
当初は品川宿の辺りに駅を設置する予定でしたが反対などがあり鉄道用地を確保できなかったため湾岸沿いに駅が設置されたそうです。駅が設置されると海が埋め立てられ倉庫が立ち並ぶエリアとなりました。また住居がない地域のため忌み嫌われた施設が品川に集まりました。1931年に下水処理センターが1938年に芝浦屠場が設置されます。

長らくそれらの施設しかなかった地域でしたがオフィス街に変わりました。
きれいな街並みです。かつてのイメージはなくなり洗練されたオフィス街に生まれ変わりました。
交通の便も良い品川。大手企業が品川に集まるのでしょう。
企業があるということはそこで働く人がいる。
多くのサラリーマンが働く品川。ってことはサラリーマンの聖地的なのあるかな?
駅前にある港南ふれあい広場を抜けた先、怪しそうな路地があります。

品川駅港南口を出て港南ふれあい広場を抜けた雑居ビルがあるエリア。
高層ビルが密集する駅前にぽつんと現れるおしゃれな街品川とは言えないような開発から取り残されたエリアがあります。なんか夜遊びスポットがありそうな雰囲気。路地なのかビルの隙間か悩むくらいの小道。こちらは品川駅前港南商店街です。
新宿思い出横丁、渋谷のんべえ横丁。
そんな街を彷彿とさせる品川のオフィス街には異質な空間。洗練された街とは違い昭和の雰囲気漂う街並み。
サッカーコートの半分くらいの敷地に雑居ビルが複数立ち並ぶ。
入居する多くが飲み屋。ここは50軒以上の店が軒を連ねる品川で一番の飲み屋街です。

こちらの飲み屋街は戦後にできたそうです。
お話しした通り港南口は 開発から外れたエリアでした。

こちらは終戦後の衛星写真です。
飲み屋街の原型がここに映ってます。なんとなく闇市っぽい雰囲気のある感じがします。
周りは工場しかなく品川駅は遠いです。

こちらは1970年頃の様子です。
この頃も駅は遠い感じ。工場街の様子は薄まりつつありますが品川駅の西側と比べると別の街のようです。

こちらは1990年頃の様子です。
少しビルが増えてますが品川って感じがしません。

こちらは現在の様子です。
30年で町の雰囲気が一気に変わりました。近代都市って感じに生まれ変わってます。
でもこの飲み屋街は昭和の頃から変わってません。
都市開発から外れた飲み屋街。
でもこの雰囲気は嫌いじゃありません。かつては屠畜場や下水処理場で働く人たちが呑みに来てたのでしょう。港南口で働く人たちの憩いの場だったのです。それは現在でも変わらず同じで港南口で働くビジネスマンたちの憩いの場。今も日が落ちネオンが灯るころ、この界隈で働く人が集まるのでしょう。

思い出横丁のような駅前港南商店街。
比較的ホルモンを扱う店が多めの感じ。
飲み屋街には普通に ホルモン屋はありますが屠畜場そばの飲み屋街。日本一新鮮なホルモンが提供されてるはずです。しかも客の中には屠畜場で働く肉のプロがいます。下手なもんは出せないでしょう。美味いに決まってます。

居酒屋が多めの飲み屋街。
でもパブやスナックにガールズバーもあります。

リザーブ・VSOP飲み放題。
最近じゃウイスキーか怪しいものが出回っておりこの手の飲み屋はその怪しい酒しか飲めません。でもこちらはリザーブとVSOP。サントリーが気軽に飲める店なのでしょう。

ガールズバーは4軒くらいあるでしょうか。
品川ってその手の店が少なそうですがあるにはあるんですね。まさに品川駅港南口の憩いの場です。

飲み屋街同様にこちらも異質な建物です。
こちらは屠畜場「東京食肉処理場」です。かつては芝浦屠場と呼ばれたところです。
仏教の思想から江戸時代は禁忌とされてた獣肉食。実際は普通に食べられていたようですが表向き禁止だったため屠畜場はありませんでした。最初にできた日本の屠畜場は1867年。来日する外国人向けに開設されました。

明治になり食肉が一般化されると築地、麻布、三田、千住、浅草などいろいろな地域に屠畜場が開設されます。しかし匂い問題などがあり反対運動もあったそうです。そのため1936年に芝浦屠場を設置し都内に点在してた屠畜場を順次閉鎖しました。つまりこちらは90年の歴史があります。
現在は離島を除く東京ではここにしかなく日本最大の屠畜場です。
屠畜場は6年前に訪れています。
日本橋から京都へ 東海道を巡る五十三次の旅。道中最初に立ち寄ったのがここでした。
立ち寄った理由はここで昼食を食べたかったから。
同処理場内には定食屋があるんです。東海道五十三次 最初の宿場は品川宿。それならば品川に立ち寄るべきでしょ。
当時は屠畜場がなかったけど幕末には宿場で桜鍋が提供されてたようです。
宿場で文明開化の味、楽しみたい。って思って立ち寄ったわけです。
ちなみにその定食屋は朝から営業しています。ちょうどお店が開く時間。せっかくなんで本日もここで食べていきます。

食肉処理場正門を入って左手すぐのところ。
知らなければわからないところに店があります。敷地内なので従業員しかこなそうな店ですが一般人の利用も可能です。私はお店が開く7時過ぎにここに来たのですがさすがは市場。すでに仕事終えて飯を食べに来てる人がいます。朝から好評の定食屋さん。職員がここで食べてるってことはこの店は間違いない味なのでしょう。

定食屋は食肉処理場内にあります。
場内はいろいろな理由で撮影禁止ですが料理の撮影許可はもらえました。
定食屋なのでラーメンやカレーなんかもあります。でもこちらは食肉処理場内の定食屋。そのため肉っけのある定食が多めです。とんかつ・唐揚げ しょうが焼き。何を食べるか悩んじゃいますがやっぱり肉でしょう!!

ってことで名物のモツ煮定食を注文しました。
アルミトレーに入れられた定食。
社員食堂みたいな雰囲気。食肉処理場敷地内にある定食屋。
処理場内でつぶされた肉を直接ここに運んでくる。そりゃ提供される肉は日本一新鮮のはず。そして客のほとんどが屠畜場で働く肉のプロ。肉に精通した人に提供する肉料理。ソレがまずいはずがありません。

スジ煮込みともつ煮込みと生たまごに味噌汁。
さすがは食肉処理場敷地内の定食屋。野菜要素ゼロの肉で米食えスタイル。
ちなみに味噌汁の中にもモツが入ってます。
スジもホルモンも柔らかくて臭みがない。働く男の飯って感じで味が濃い目でおいしいです。

味が濃いのでご飯が進む。
ちょっと白飯が足りないかも。ごはん大盛りにしておけばよかった。
朝から食べるようなラインナップじゃないですがここでは朝から働いてる人もいます。仕事終わりにここで飯を食うのでしょう。こちらではアルコールも提供してます。本日は飲みませんでしたがモツをあてに一杯。そういう楽しみ方もここではできます。
私はどこに行っても大体ビールなんで居酒屋じゃなくていいんです。
町中華で一杯やるのも好きだし定食屋で一杯やるのも結構好き。ハムエッグをアテにビールを呑む。こちらはそういう使い方ができるようです。まさに品川宿で酒を飲む感じでしょうか。
ちなみにこちらの屠畜場の住所は品川区ではなく港区です。そしてここは品川宿とは関係ないところです。
宿場の雰囲気味わいたい。最初の宿場は品川宿とか言ってたけどただ屠畜場で食事しただけだった。
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ここは島人ぬ宝!海の玄関口「前島」はエロの玄関口だった!

本日は沖縄県那覇市に来ております。
那覇市の中心、繁華街からずれたところ、こちらは泊港という港にある船舶旅客ターミナル「とまりん」です。
北海道に次ぐ空港の多さ第二位の沖縄。県内には大小13の旅客空港があります。
北海道と違い面積が狭い沖縄だけど離島が多いため移動手段が飛行機になるのです。沖縄人にとって飛行機は交通手段の一つ。
那覇から離島行は一日40便以上ありますがその多くが石垣島などの観光地路線です。
13空港に対し 有人島は約50島。多くの島に空港がありません。そのため多くの離島の交通手段は船なのです。それの発着するところがこちらのターミナルです。

とまりんに就航する路線は那覇市西側の慶良間諸島のあたりと沖縄本島東側の大東諸島。8島の船便が就航しており久米島行のフェリーもあります。ちなみに久米島には空港があるのですが久米島までの飛行機代は最安値で6000円ほど。一般的な料金は片道一万円前後で乗車時間は40分です。フェリーの場合だと久米島まで大人3450円。乗車時間は3時間30分。時間がかかりますがフェリーの方が断然安い。それとカーフェリーなので車も持っていけます。普段使いはフェリーなんでしょう。
沖縄は九州から那覇行のフェリーもありますが東京から行くなら飛行機の方が安くて速い。まず船で沖縄に行くことはなさそうですが離島の人にとっては日常的な交通手段。普段からフェリーで那覇に遊びに来るのでしょう。ここは遊びに行く玄関口なのです。

そんな玄関口であるとまりん。
とまりんがあるのは那覇市前島三丁目ってところ。
那覇の歓楽街から少しずれたところにありますがかつてここは本サロのメッカだったそうです。
玄関口がピンサロ街。
離島の人の遊び方に問題あり。
沖縄で有数の歓楽街松山の北側川を渡った先に前島があります。現在フェリーターミナルのある泊港の歴史は古く13世紀ころには物流の拠点だったそうで琉球王国時代には船舶が往来する貿易港でした。港の名前が泊港なのも船を停める港だったから多くの船がこの港に泊まったのでしょう。そんなところならばそりゃ怪しい店もあったのでしょう。花街とか色街がその頃からあったはず。

こちらは18世紀頃のこの界隈の地図です。
那覇の中心地は浮島と呼ばれる離島で前島のあたりは当時は海の中だったようです。

この地図は20世紀初頭の地図。
この時もまだ海の中。なかったっぽい!
そもそもここは戦前から製塩業が盛んな地域で塩田だったそうです。
埋め立てられたのは戦後になってから。
第二次世界大戦後前島は軍用地として接収。54年に返還されて以降に埋め立て工事により区画が整理され住宅地に。隣接する松山が問屋街へと発展するとこの界隈も商業地となり賑わいを見せました。でも本土復帰以前は歓楽街ではなかったようです。歓楽街へと発展したのは90年以降。浦添市に問屋街が新設されたことで卸売業者が次々に移転。その空き物件にスナックが入居し歓楽街が形成されました。サロンが出てきたのもその頃でしょう。これが前島がサロン街となった起源です。
だいぶ浅い歴史。
つい最近生まれたばかりの街だった!

90年代以降に増えだしたサロンを称した店。
店舗が乱立したことで競争が激化。本サロが増えました。
明らかに違法だけどどこもかしこもやってる。違法行為が常態化したことでこの街は本サロ街になったんでしょうね。しかし非合法な業態が当然認められるはずはなく当たり前のように行われてた本サロ営業でしたが当たり前のように淘汰され壊滅状態に。前島にはそういった店はもうないようです。
かつての華だったサロン。その華が散れば街も静かになるものでスナックも衰退している感じです。

こちらは普通のサロンでしょうか。
それとも普通じゃないサロンでしょうか。
舞姫でサロンを名乗る店なのであればピンクの方っぽい感じがします。
そして店の外観もそうだったような感じ。でもこちらの店も閉店しています。
こんな感じで閉店してるんですがまだ営業してる店が絶対あるはずなんです。

だってこちらの店はまだ潰れてません。
特異な調剤薬局。
サロンあるところ、精力剤専門店あり。
本土でいう赤ひげ薬局のソレ。
病院のそばに処方箋薬局があるのと同じで風俗店のそばには薬局が必須なんです。
ここに性風俗の処方箋薬局があるならばゼッタイに本丸がここに存在してるはずです。

こちらは平成感のある美少女の挿絵。
安心明朗会計というまるで明朗会計ではない店が多い業種のよう。

具体的な業種は一切不明ですがこのハートマークになにか感じるものがあります。
ただ店の様子から閉店してる感じ。だいぶ前に閉店したのでしょうか。

と思ったのですがどうやら営業してる様子。調べたところこちらの店、平成30年にカフェーとして営業許可を受け、そして令和6年に飲食店で営業許可を受けてます。
どうやら今はスナック?セクキャバ?そんな業種っぽいです。
経営者は一緒で看板はそのまま。かつてはそっち系の業態だったかもですが今は健全?な店のようです。

ちなみに同じ建物にハワイを冠する店もあります。
こっちもなんか感じるものがある!でも営業してなさそう...。

こちらは町内に掲げてある住宅地図です。
当たり前のようにサロン店があったころ。おそらくその当時のこの界隈の地図なのでしょう。
世間に知られたくない悪しき街だった前島。過去を消し去ろうとしたのでしょうか。破れてて地図の役目を果たしていません。でも当時の前島を語ってる店があります。

倶楽部ピンクハウス、レモンハウス、サロンバンビ、ナイトクラブギャル。
スナックやバーの可能性もありますがかつてサロン街だったところにある。甘酸っぱさを感じさせる店名。
これゼッタイサロンでしょ!
前島にはまだサロンがありそうな予感。

ほらやっぱりあった。
こちらはまだやってそうな外観です。他と比べると新しめの看板だし寂れた感がしない。
そして中央に女性のシルエット。これはサロン店じゃないでしょうか!
でもハナハナは乾杯を意味する沖縄の言葉なので普通の飲み屋さんかも。

となりの店も感じるものがある店名。
求愛を意味する和製英語のラブコール。何の店かわかりませんが、っぽいですよね。

リフレッシュな夜、満喫。直訳:すっきりできます。
営業してそうな店もありますがその多くが閉店している前島のその手の店。
スナックなども生き残ってますがまばら。かつては賑やかだったのでしょうが今は廃れた飲み屋街といった様子です。

こちらはここが歓楽街だった証でしょうか。
シアター那覇と書かれた看板があります。
シアター?映画館かな?
歓楽街要素の一つでもある映画館。
高度経済成長期の頃、歓楽街にはいくつもの映画館があったそうです。ここ前島にも40年以上前に閉館しましたが若松国映館ってのがあったそうです。1960年に開館した若松国映館。歓楽街が形成されたのは90年以降でしたがそれ以前からこの界隈は商業地だったので夜遊びするところはあったようです。シアター那覇も当時の名残りでしょうか。
高度経済成長期に黄金期を迎えた映画。当時の娯楽は映画を観ることでした。ここでは娯楽が楽しめたようです。なんか昭和レトロな感じでいいですね。ちなみにこちらのシアター那覇はストリップでした。
高度経済成長期の頃にあったヤツ。昭和の名残り!
沖縄人の娯楽ストリップだった。

こちらの店は違います。昭和の名残りじゃないんです。こちらは2013年にオープンしてます。
平成末期にできたストリップ。
元ショーパブだったところを改築して新たにストリップ小屋を作ったんだそう。
ショーパブ感覚でストリップが味わえる。そんな感じのお店だったのでしょう。しかし思うように客が集まらなかったのか3年後の2016年には閉業したそうです。もう10年前に閉店したのですね。でも看板は残ったまま。どうやら現在は看板を残したまま。カラオケスナックとして営業してるんだそう。ストリップ感覚でカラオケスナックが味わえそう。

それよりも手前のリラクゼーションが気になる。
感じるものがある店の看板。そして感じることが 出来そうな店の看板。
スナックも減り怪しいサロンも見当たらないけどそれに準じた店がありそう。見た目寂れたスナック街ですが探せば必ずあるはずです。かつての凶暴さはなくなりましたがサロンに変わる何かがこの街に残ってるようです。多くの島人が今でも前島に訪れるのでしょう。前島は離島の人にとって島人ぬ宝なんです!
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インド人街の西葛西はランパブがあった歓楽街だった

本日は江戸川区に来てます。
こちらは東京メトロ東西線の西葛西駅です。
各駅しか止まりませんが西葛西は頻繁に来てます。
東西線西葛西駅。路線名と駅名に「西」の字がありますがザイ・ニシ・サイと読み方がすべて違うんです。日本人ならニュアンスでなんとなくわかりますが西葛西は外国人泣かせの難解地名。
このように外国人には難解地名の西葛西ですが皆様ご存じの通りここはインド人街です。西葛西の駅前にはインド系の店が複数あります。
日本にいる在留インド人は56000人ほど。2015年は26000人だったので
10年で倍に膨れ上がっています。その56000人のインド人のうち都内に住んでるのは18000人ほど。そのうち約8000人が江戸川区に住んでいます。
西葛西にインド人が増えたのは90年代後半。
ちょうど2000年問題があったころで日本はエンジニアを必要としていた時期でした。インド人と言えば二桁の計算が暗算できる人たち。2000年問題対処のためビザ発給を緩めた結果、多くのインド人技術者が来日してきたんだとか。
しかし当時のインドのイメージってカレーだったのです。
カレーに部屋は貸したくない。外国人お断りが当たり前の時代だったため部屋を借りるのが難しかったようです。その際尽力してくれたのが西葛西に住んでたインド人。

こちらに紅茶屋さんがあるのですがこちらのお店を経営してる人がいろいろ世話をしてくれたんだとか。それによりインド人コミュニティができ西葛西がリトルインディアとなったようです。
こちらの紅茶屋さんにはよく来ておりここでチャイ用の茶葉を買ってます。
ショウガ、シナモン、カルダモン、黒コショウ、クローブ、八角、ローリエ、フェンネルシード。とりあえずいろんな香辛料をぶち込む。地域によって入れるものも異なり正しいレシピというのが存在しないチャイ。自分好みのチャイを求めて試行錯誤する。チャイは奥が深いです。

香辛料も西葛西で購入しています。
こちらは私がよくいくインド食材店です。香辛料はスーパーで買えますが結構高いんです。でもこちらであれば半額以下で香辛料が買えます。スーパーで売ってるものと違い賞味期限も製造年月日も製造国も不明ですが安さはめちゃくちゃ魅力的。わざわざ西葛西までくる価値があります。

それと西葛西はやっぱりインド料理店ですよね。
インド人だらけの西葛西。インド人向けのインド料理屋もあるし日本人向けのインド料理屋もあります。インドといえばカレーですがビリヤニもおすすめ。
店によって当たりはずれはあるのは否めませんがここに来ればインド行かずともインドを味わえる。そしてインドと違い街もきれいで衛生的な西葛西。わざわざ何万もかけて行かなくていいんです。西葛西に来ればインド完全に理解できるはずです。

こちらは駅南側の清新町のあたりです。
15000人ほどの人口を抱えるエリアで町の中心に団地があります。

こちらは葛西クリーンタウン。80年代に建てられたUR団地です。
民間の賃貸とは違い保証人が不要のUR団地は外国人が入居しやすいです。
そのためクリーンタウンも外国人が多く清新町の外国人割合は2割以上なんだとか。
その多くがインド人なんでしょう。街ゆく人の中にはインド人らしき人が目立ちます。

こちらは小島町二丁目団地です。
こちらも外国人が多いUR団地です。

団地一階は商店があり飲食店のほか外国食材店もあります。

インド食材店もあります。
こちらもスパイスが安く買えるところです。

こちら見覚えあるチェーン店っぽい店。
外観は違うけど名称が近しいチキンのお店。なんとかサンダースがいそうな雰囲気です。これがあるのもインド人街だからでしょう。
ヒンズー教が80%、ムスリムが15%。
ほかにもいろいろな宗教がありますが食の禁忌がある宗教が多いインド。
ヒンズー教は牛を食べない。
ムスリムは豚肉を食べない。
無難なのがチキンかベジなのでしょう。
インドにはマクドナルドもありますが人気があるのはKFCのようです。
人気があるからかそれにあやかろうとインドでは〇FCって店が多いんです。
どうやらAからZまで 揃ってるんだとか。


私もインド旅行をした際に〇FCを観てます。
その流れを汲むであろう西葛西のお店。インドだと許されるけど日本だとどうなんだろ。
フライドチキンはKFCの専売特許じゃない。
肉屋は精肉店を名乗るし魚屋は鮮魚店を名乗る。別にチキン屋がFCを名乗ることに何ら問題ない。

こちらに書かれているジンガー。
ジンガーとはチキンバーガーを指す言葉。
ジンガーはKFCの登録商標ですがパキスタンでは一般名称化してるのでKFCをパクってる わけではない。
いや登録商標の意味。
KFCに似てるって?
そんなことありません。むしろ本家のそれとは違いバラエティ豊か。
こちらのお店ではビリヤニやプラオもあるんです。

チキン要素が薄めのフライドチキン屋。
インドではなく中東料理っぽい感じの店です。
ちなみに西葛西駅前にはKFCがありません。

こちらはトウキョウミタイワラというお店です。
ミタイはヒンディー語で菓子を意味しワラは専門家や「~をする人」って意味。
つまり菓子専門店ってことのようです。

こちらの一階はインドの生菓子を販売。二階はレストランとなっています。
インド料理屋は全国に数多あれどインドのスイーツ専門店は珍しいです。実際にこちらのお店は2019年にできた日本で初めてのインドスイーツ専門店です。
元々は駅北側に店舗を構えていましたが2020年11月に今の場所に移転したそうです。リトルインディアに来てるんです。インド、味わっちゃいましょう。

とりあえずチャイです。
トイレのアクセスは悪いけどチャイへのアクセスが容易なインド。
昨年インドの旅をした際は毎日必ずチャイを飲んでいました。甘かったり渋かったり店により味が異なるチャイ。こちらのお店のチャイはあっさりしてて上品な味。甘くなくお好みで砂糖を入れるスタイル。好みはあるでしょうが私は上品なチャイよりも雑な感じの激甘チャイのほうが好きなのかも。

チャイに合わせるのはジャレビです。
見た目プレッツェルのようですがめちゃくちゃ甘いお菓子です。
小麦粉の生地を揚げてシロップ漬けにしたやつ。インドだけじゃなく中東でも食されてるんだとか。
小麦粉の砂糖漬けなので近いのはかりんとう。でもかりんとうとは違いアホみたいに甘い。味は砂糖の味。
インドのお菓子ってめちゃくちゃ甘いんです。
食べると体が拒否反応を示すくらい甘い。こちらのジャレビは日本人向けじゃない感じ。

ジャレビはインドで食してますがインドで食べたのとほぼ同じ味でした。
ちなみにインドではカレーに浸かってました。
カレーの付け合わせが激甘菓子。

ミタイワラは本場のインドが味わえます。
このような店があるのはインド人街だから働いている人はたぶんインド人。
そしてお客さんもインド人が多いです。ザ・リトルインディアって感じです。
ちなみにこちらの店舗ですが以前はランパブがありました。
突然のランパブ。
まさかのランパブ跡地にインドの生菓子店。
インド人街と言われますが20分で東京駅に行ける西葛西。
急行こそとまりませんがめちゃくちゃ便利な立地。ここは日本人のベッドタウンでもあるのです。インド料理屋も多いけど日本人向けの店もある。ランパブは日本人向けの店だったのでしょう。ここにあったのは繁盛店だったそうでわざわざ都心から通いに来る人もいたそうです。ベッドタウンにあるランパブ。家の近くにランパブあったら一生家に帰れない。
そもそもランパブってなんなの?
ランパブはランジェリーパブの略称。ランジェリー姿の女性が接客するお店です。要はコスプレパブ的なやつでしょうか。そのコスプレがたまたまランジェリーだっただけ。最近じゃ下着姿で歩いていると逮捕されるけど昔はダイジョブだったんですね!
いや昔からグレーな部分ではあったはず。
ランジェリー姿で接客するスタイルが卑わいな行為その他善良の風俗を害する行為に
該当するかどうかはわかりませんが最近まで営業していたってことはランジェリー姿での接客はよしとされてるのでしょう。
しかしここにあったランパブは2020年に閉店したそうです。
2020年といえば自粛のあったころ。感染症の影響で店をたたんだのでしょう。

でもでもまだある西葛西の飲み屋さん。インド人街だけど日本人向けの店がある。
風俗的な店はなさそうですが駅前には飲み屋が結構あるんです。

ほら風俗がない町だから個室ビデオ屋があります。
さみしい大人が一人さみしくヌクお店。さすがはその手の店がない西葛西。飲んだ後に行くとこがビデオボックス。西葛西民はこんな不遇にさらされているのです。

花太郎の下、パジャマと書かれた店があります。
パジャマ姿のキャストが接客する店。これはパジャパブ。
あくまでもパジャマで 接客するだけ。添い寝はしてくれません。

こちらも駅目の前の飲み屋ビル。
当然ですがインド要素はゼロ。宗教上はお酒が禁忌とされているインド。インド人街だとしてもそこにある飲み屋は日本人による日本人向けの店なんでしょう。

こちらには令和というお店があります。
元号になった令和。万葉集から引用されたもので人々が美しく心を寄せ合う中で 文化が生まれ育つ。そんな意味が令和には込められてるんだとか。
日本の和歌に込められた言葉。日本っぽさって感じです。
ちなみにこちらのお店はフィリピンパブです。
令和じゃなくてピーナ。日本人向けの店だった。

こちらにもフィリピンパブがあります。
フィリピンとは 書いてませんがキャストをタレントと呼ぶのは確実にフィリピン。
そうなんです。西葛西はインド人街だしインド人は多いんです。でも江戸川区はほかの国籍の外国人も多く在住外国人が5万人に迫る23区で一番外国人が多い多文化共生エリアなんです。
外国人で多いのは一番が中国人。二番目がインドでベトナム、韓国、フィリピン、ネパール、インドネシアと続きます。だからフィリピンパブがあるんですね。
いや国別なのであればチャイナパブとインドパブがあるべき町。
でもインドもチャイナもない模様。フィリピンは結構あるんですけどね。

ここもフィリピン。

ここもフィリピン。

ここもフィリピン。
もうリトルインディアじゃなくリトルマニラ。西葛西にあるのはランパブとピンパブだった。

あと気になるのはタイのお店くらいでしょうか。

こちらにはタイマッサージ。

こちらにはタイマッサージ。
人口割合多くないのにタイ要素がある西葛西。

あとはリラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。
中国人が多い理由、なんかわかった。
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殺伐とした街の中にある魅惑の花園「鶴見駅前歓楽街」

本日は鶴見区に来てます。
こちらはJR鶴見駅です。川崎駅と横浜駅の中間にある鶴見駅。
鶴見駅ってそこまで利用していません。
鶴見駅には京浜東北線と鶴見線があり近くには京急鶴見駅があります。
三路線もあって便利な駅ですが鶴見線は京浜工業地帯へつながる路線。そのため利用したことがありません。
京急とJRは離れてるので乗り換えには不便だし駅前にあるのは飲み屋街くらい。
鶴見で働く人や住んでる人は駅を使いますが遊ぶなら横浜か川崎か東京へ行くのでしょう。だから鶴見に遊びに来る人はいないのです。
私も駅は利用しておらず鶴見は飲み屋に行ってた程度。
飲み屋には行ってたんだ。
駅前に手ごろな飲み屋街があるので川崎に住んでいた時に遠征してたのです。
飲み屋に遠征するクズ野郎。
川崎の方が飲み屋は多いんです。
仲見世にはセクキャバもあるしおっパブもある。だから選び放題なんです。
でも普通の居酒屋はチェーン店ばかり。個人店もあるのですが人が多くて居心地が悪い。
鶴見の飲み屋さん、なんか居心地いいんです。とくに京急線の東側はおすすめの飲み屋街です。だから駅前の飲み屋をはしごして終電逃して川崎まで 歩いて帰ってました。
本日はそちらの歓楽街を紹介するのですがその前に行きたい場所があります。

こちらは鶴見川です。
鶴見川を渡った先は川崎かと思いきやその先も横浜市鶴見区なんです。
そもそも鶴見って横浜だったんだ。なんか川崎っぽい感じがするけど...。
そうなんです。
鶴見って川崎っぽいのに横浜市なんです。
そして鶴見川が市境のような気がしますが実際は鶴見川より東側も鶴見区なんです。

地図を観れば一目瞭然。
横浜川崎との間に境界線が引かれ鶴見川の東側も鶴見区の領土だと認識できる。
でも鶴見自体がほぼ川崎ですよね。横浜ではなく川崎の雰囲気。文化圏も川崎に近しいし。川崎市鶴見区でよいのではないでしょうか。
このようにあいまいな鶴見区。鶴見は川崎でも横浜でもないDMZ。
鶴見は川崎と横浜の非武装地帯なんです。
鶴見川がまるでイムジン川。そのイムジン川を渡った先、商店街があります。

鶴見駅から徒歩15分。
鶴見川を渡り 少し歩いたところ。整備された街路があります。
長さ500mほどある一直線の道に歩道にアーケードが設置されています。
ここは京浜工業地帯により発展した商店街「ほんちょう通り商店街」です。

明治大正時代に整備された京浜工業地帯。鶴見は1913年から埋立造成が始まりました。埋め立てが進み工場ができると仕事を求め地方から多くの人が移住してきました。そのため人口が爆発的に増加したそうです。生活をするために必要だったのでしょう。この商店街もそれくらいの時期にできたそうです。
戦前は賑やかだったのでしょう。しかし京浜工業地帯は空襲で焼け野原へ。多くの商店街が被災したそうです。でもこちらの商店街は被害が少なかったようで戦後すぐに復興します。高度経済成長期の頃は多くの人で賑わい人混みで歩けないくらいだったんだとか。
しかし1960年代後半になると来街者が少なくなります。

町の中心が駅前に移ったのか。それとも工場がつぶれたことによるしわ寄せか。
理由は定かではありませんがどんどん町は衰退し今は静かな商店街となっています。
町自体はきれいですけど人がいないからシャッターが閉まったままの店も。でも地方都市とは違い鶴見は住民が多い街。対策次第でまた盛り上がる可能性を秘めてます。
なんか目玉があるといいんですけどね。
ちなみにこの商店街の先にはかつて青線がありました。
商店街の先に目玉があった!
そして衰退した理由はソレ。
商店街に人が来なくなった理由。青線が消滅したから。
商店街が衰退したのは1960年代後半。売春防止法が施行されたのが1958年。
10年ほどひらきがあります。売春防止法施行により売春営業は禁止に。赤線は廃業となりました。赤線は警察から黙認されていた地域。青線は黙認されてない非合法な私娼窟。
そもそも非合法な私娼窟だったわけですから、
青線業者「売春防止法が 施行されたから守ろう」
とはならないでしょ!そうならないでしょ!
絶対守らずにその後も続いたでしょ。つまり1958年以降ももぐりの店があったはず。その青線街は商店街を抜けた先。そりゃ人でごった返したでしょう。でも今はもうここには賢者はいません。

その青線街があったのがこの辺り。
鶴見入船カフェー街ってところだったようでカフェーがこの界隈にあったそうです。
売春防止法施行後は長らくスナック街でしたが現在飲み屋はほとんど残ってません。

こちらには朽ち果てた飲み屋が残ってます。窓ガラスも割れており廃虚のような状態です。

割れた窓の隙間から中の様子が見えます。
ブラウン管テレビが転がってます。10年以上前からそのままのようです。

こちらには稲荷神社があります。
戦後にできた歓楽街。町ができる際にできた神社でしょうか。
今でもちゃんと 管理されてるようで牛乳と酒が備えられてました。

飲み屋街はなくなり今は普通の住宅街へ。かつての青線の様子はもうここでは見れません。売春防止法施行後も青線営業が続いたかもですがそれは年々減少。駅前の方が賑やかとなり消えてしまったようです。
ってことは駅前に行けば何かあるかも!

何かないか探しに鶴見駅の近くに戻ってきました。
こちらは鶴見神社です。鶴見神社の創建は古く7世紀初めころ。市内では最古の神社のようです。ご祭神は五十猛神、須佐之男命。ご利益は安全守護、厄除け、病魔退散、病気平癒。

鶴見神社の前は旧東海道が通ってます。
ここは街道沿いでした。
東海道五十三次の宿場は日本橋から品川宿、川崎宿、神奈川宿と続きます。鶴見は川崎宿と神奈川宿の中間。ここには宿場が設置されませんでしたが鶴見は間の宿で水茶屋があったそうです。
水茶屋と言えば女給が接客するスタイル。女給が急に恋に落ちる系の水茶屋もありました。鶴間の水茶屋がどっち系の店なのかは定かではありません。

こちらは京急鶴見駅の東口側です。
私の鶴見のイメージはこの辺り。ここは飲み屋が軒を連ねる歓楽街となっています。
この界隈は大正の頃に花街ができたそうです。

京浜工業地帯のあった鶴見。仕事終わりに遊びに行ったか仕事の接待で使用したか。
工場で働く人たちが集まる盛り場が駅前にでき三業地として栄えました。駅前には水茶屋の流れを汲む店があったのです。
戦前は賑やかな街でしたが空襲で焦土と化します。でも戦後すぐに花街は復興。1960年代後半まで賑やかな花街でした。しかし時代の流れなのか花街は衰退。現在はスナックが立ち並ぶ飲み屋街となってます。

こちらには三業共同ビルって建物があります。
三業地だったからこの名前なのでしょうか。建物はだいぶ古く朽ちてます。

地下街という割には人を寄せ付けない雰囲気。地下入り口はごみ溜めになってます。このように廃虚っぽいところも目立ちますがそれでも飲み屋街は現役のようでスナックやガールズバーがあります。またこの界隈は外国人の店が多いです。

こちらはアジアンフード店です。
鶴見は横浜市で二番目に外国人が多く鶴見川を渡った先には南米タウンがあります。
鶴見に住む外国人は中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジル、ネパール、ペルー、インド、インドネシア、タイ。南米とアジアで占めてますが結構多国籍です。

ベトナム人が増えているのは他の地域と一緒。
そのためベトナム料理店もちゃんとあります。

韓国人も多いため韓国料理屋が目立ちます。
こちらのお店は韓国とは一切書いてませんが韓国語のサランヘ。100%韓国パブ。

インド料理屋もあります。
町にあるインド料理店の多くはインネパ料理店。つまりインドネパール料理店です。
店主はインド人かと思いきや実はネパール人。でもこちらの店は正真正銘のインド料理店。これもインド人が多いからでしょう。

ネパール人もいるのでネパール料理店もあります。
ネパール人もいるんだ。

こちらはモンゴル国旗でしょうか。
最近モンゴル系の飲み屋を観る機会があります。
なかなか旅行で行く機会のないモンゴル。鶴見ならモンゴルを味わえるようです。

飲み屋街であれば確実にみる国旗。
こちらはフィリピンパブです。

飲み屋街であれば確実にみる国旗。
タイです。

鶴見で一番人口の多い外国人は中国人です。
そのため中華系のお店もちゃんとあります。
こちらはチャイニーズレストラン。
本場の中華が食べられそうな雰囲気があります。

勿忘我。
「私を忘れないで」を意味する言葉。また勿忘草のことを勿忘我とも言うそうです。
確実にチャイナパブ。本場の姑娘が食べられそうな雰囲気があります。

あとはエステ。

それとエステ。

それにエステ。
エステが街に多すぎる。中国人が多い理由、エステだった。
中国人が多いからエステがあるんじゃありません。エステが多いのには理由があります。かつての鶴見駅前には風俗店があったのです。
それは何の理由にもなってねぇ。京急鶴見駅東口側。
現在は飲み屋街となっていますが以前は飲食店に混ざって怪しい店があったのです。
ここはサロンとヘルスのある街でした。京浜工業地帯で栄えた鶴見。かつては鶴見川の向こう側に青線がありました。そして駅前は花街があり賑やかな街でした。しかしどちらも高度経済成長期の頃消えました。鶴見は盛り場ではなくなったのです。でもその代わりに現れたのがサロンとヘルス。仕事終わりに工員たちが集まる飲み屋街。
飲んだ後は気持ちが高揚するものでサクッと済ませる店があったのでしょう。
あっ 青線の代替、ここにあったサロンやヘルスだった。
ほんちょう通り商店街が衰退した理由。駅前のピンサロだった。
かつて鶴見は少し治安がアレで街路に客引きがいて近づきたくないエリアでした。
そして歓楽街の中に組事務所もあるアウトレイジな街。でもその殺伐とした街の中にある魅惑の花園。ソレを求めて工員たちが集まったのでしょうね。

サロンがありそうな雰囲気のある街並み。
ここには以前ミス日本というサロンがありました。
看板はその店を表す鏡。
ここには看板通りミス日本級の美女がいたのでしょう。ミス日本優勝者と言えば藤原紀香、叶姉妹。
こんな名店があったとは!
人気があったに違いない。でも現在そのような店はここにはありません。

サロンもヘルスも閉店しきれいな街になりました。その代替で出てきたのがエステ店。確かにサロンやヘルスの代わりっぽい。そっち系っぽいエステもちらほらあるし。かつてのヘルスよりも過激な店もありそう。つまりエステはサロンやヘルスの代替店。
だから、中国人が多いからエステが多いわけじゃない。
いややっぱり中国人が多いからエステが多い。アレなエステは大体中国。
鶴見に中国人が多い理由、チャイエスだった。

このように風俗要素がなくなった鶴見駅前。
それだけでなく飲み屋も減少傾向のようです。現在この界隈はマンションが新しく建ってます。組事務所だったところもマンションになりました。
駅徒歩数分の場所。かつては工員が遊びに来ていた駅前ですがその様子はありません。湾岸部に工場はあるものの仕事終わりに呑みに来る人は少ないのでしょう。
住宅街に変わりつつあり大正時代にできた三業地の名残りはもうここでは見れないのでしょう。

こちら、ピンサロです。
まだ残ってた。
いや、もうこれは返事がないただの屍。
閉店して久しいようですがそのままの状態です。
これは昭和平成の性風俗店の遺構。
左手に在籍してる姫の情報が載ってます。

これはイエローキャブもびっくりのキャスト陣。
こんな名店があったとは!

こちらはJR鶴見駅の西口側です。
こちらはソープです。ソープは残ってたんだ。
店名は変わりましたがまだまだ生き残る特殊浴場。駅前にはチャイナエステはありますがかつてのそっち系の店は壊滅した鶴見。鶴見に生き残る唯一の店。つまりぽつんと一軒ソープ。かつては仕事終わりに駅前で飲み酔った勢いでエッチな店に行ってたのでしょう。しかしそのような遊びをする人が少なくなり店は淘汰されたのです。
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ハッテン場を経て生まれ変わる花街のあった西新宿十二社

本日は新宿区西新宿に来ております。
こちらは日本最大級の超高層ビル群「新宿副都心」と呼ばれるエリアです。
右手に見えるのが新宿NSビル。左手に見えるのが東京都庁第二庁舎。
まさにコンクリートジャングル。新宿らしい街並みです。
西新宿が高層ビル街となったのは60年代以降、それ以前ここは浄水場でした。
浄水場が設置されたのは1898年。東京で初めての近代水道浄水場でしたが関東大震災以降山の手に移住者が増えたことで東村山へ移設する話が持ち上がり終戦から20年後の1965年に浄水場を移設。その後ホテルなどができ91年に都庁が完成。そして今のような街並みになりました。

こちらはかつての浄水場の航空写真です。

貯水槽があったところは低かったわけですが現在もその高低差を残したままとなってます。
なんか歴史を感じますね。

このように高層ビルが建ち並ぶ新宿副都心。
無機質な街並みっぽそうですが比較的緑も多いエリアなんです。

都庁の隣には公園があります。こちらは新宿中央公園です。
新宿は戸山公園や新宿御苑など大きな公園が多く新宿中央公園は三番目に広い公園です。

開放的で自然あふれるきれいな公園。

今はスタバなどがあって賑やかですがかつては鬱蒼としていて近寄り難い公園でした。
ホームレスがめちゃくちゃ多くてお薬を売り歩く行商人もいたし夜になると野外で致す人が現れる青姦のメッカ。そしてハッテン場。
新宿の悪い部分を詰め合わせたような公園。

公園内には公衆トイレがあります。
公園のトイレって汚いイメージがありますがさすがは新宿中央公園。掃除が行き届いててきれいです。
また利用者もきれいに使用してるのでしょう。

多目的トイレも設置されてます。
多目的トイレとは多様な利用者が安全かつ尊厳を持って排泄やケアを行えるトイレのことで法令により公共施設は設置が義務付けられてます。でも目的外利用者が多いようでこのような注意書きがあります。

キレイに使ってない人がいる!
ハッテン場だった新宿中央公園。開放的ですが冬場は寒いんでしょう。だからトイレがある。
だからの意味!

目的外の利用という具体的に書けない行為。でも場所柄なんなのか想像できる。
ある意味多目的で利用されてきたトイレ。公衆トイレでそんなことするとは...。あのお笑い芸人も軽蔑の目で見るはずです。

新宿中央公園脇に神社があります。こちらは熊野神社です。
創建は1403年。600年以上の歴史ある神社です。
十二社熊野神社とも称される神社ですがもとは角筈熊野十二社という名前で名称通り12柱の神が祀られてたそうです。明治維新後二柱を祭神とし熊野神社に改めました。現在のご祭神は櫛御気野大神、伊邪那美大神。
花園神社と並び熊野神社は新宿の総鎮守です。

熊野神社の門前は十二社と呼ばれ江戸時代は景勝地として有名だったそうです。
いわゆる歓楽街のような場所で十二社池という大きな池がありその周りに茶屋や料亭が軒を連ねてたんだとか。

池は埋め立てられて存在していませんがバス停の名称にはその名が残ってます。
この界隈は高低差がありこのバス停は高台に位置するところ。

窪地になっているこの辺りが池のあったところ。今は閑静な住宅街で池の名残はありませんが60年代頃までは池があったようです。

こちらは当時の航空写真。
かつてはこの池の周りに茶屋があったのでしょう。
茶屋や料亭があったってことはあんな店もあったんでしょうね。
新宿は甲州街道の宿場町で地名の通り新しくできた宿場でした。もともと甲州街道の最初の宿場は高井戸でしたが日本橋から16キロほど離れていたため中間の位置である青梅街道との分岐に宿場を新設。新しい宿場って意味で内藤新宿が開設されました。宿場があったのは新宿二丁目三丁目のあたり。今の二丁目はゲイタウンとなってますが江戸の頃は幕府非公認の岡場所でした。
遊郭は幕府公認の色街。性ビジネスが唯一認められた地域です。しかし江戸には吉原しか遊郭がありませんでした。新吉原があるのは台東区千束。今ですら千束は電車で行きづらい立地。なんならお店に送迎を頼むくらいの距離なのに公共交通のなかった江戸時代。遊郭に行くのに歩かなきゃならなかったのです。
それは萎えますよね萎えないけど。
だから各所に幕府非公認の色街があったのです。新宿はまさにそのために用意された街でした。
新宿は日本橋から数えて一つ目の宿場町。距離はおよそ8kmで2時間程度で行けます。当然そんなところに宿泊する人はいません。だから休憩できる宿場があったのです。
これは江戸時代のラブホ街。
新宿は江戸時代からエロの街だったのです。
そんなのが内藤新宿にはあったんですね。でも宿場のあったのは新宿二丁目のあたり。十二社は西新宿4丁目のあたりです。同じ新宿を冠してますが距離は2km離れてます。
都市部って電車移動が主ですが中途半端な距離って移動しづらいんです。歩くかタクシーを使うか。でも歩くと20分以上かかる距離。それは江戸時代も同じで2kmは遠かったのでしょう。そんなわけで十二社にも茶屋を設けそっち系のサービスを提供してたのでしょう。わざわざ町の中心に行かずとも遊べた。新宿は江戸の頃からエロの街だった。

江戸時代景勝地だった十二社は明治になり花街へ。100軒の茶屋や料亭が軒を連ねたそうです。
空襲で被災するも戦後は温泉を掘削。十二社の花街は最盛期を迎えます。しかし時代の変化とともに客足が遠のき料亭・待合は減少。十二社の街並みは住宅街に変わり花街は縮小。ほかの花街同様にバブルを迎える前、80年代半ばに十二社花街は消滅しました。

新宿副都心、高層ビル群の奥の方。
今じゃそんな様子はありませんがかつては花街色町だったんですね。だったら今でも茶屋的な店があるんじゃないかと血眼になり探しもしたのですがそういう店はなくあったのはマンションタイプのメンエスくらい。
メンエスはあるんだ...。
かつてはそういう街でしたが今はそういう店がここにはないのです。
メンエスがあるのに?
そう、西新宿に住む人、働く人は都市部にいるのに不遇な状況に晒されてるのです。
メンエスあるけど...。

こちらは十二社通り沿いにあるマンションですがかつて十二社温泉という浴場がありました。私は閉業直前に一度だけ入浴してます。花街の名残と知ったのはだいぶあとになってから。その温泉ももうありません。

温泉の隣にはきれいなホテルがあります。これも花街の名残でしょうか。
新宿は外国人観光客に人気で宿泊施設も多いです。実際に都内の民泊登録数は一番多くそれが今問題となっています。この界隈にも大小さまざまなホテルがありその多くは訪日外国人向けです。こちらのホテルも外国人向けのようですが以前は新宿ニューシティホテルって名前で出張族向けのビジネスホテルでした。
官公庁だけでなくオフィスも多いため多くのサラリーマンが行き来する西新宿。
地方からの出張族も多いのでしょう。そのため西新宿にはビジホが各所にありここもビジネスマン向けのホテルでした。
少しさびれた雰囲気があったホテル。駅も繁華街もちょっと離れてるため不人気ではありましたが腐っても新宿。結構穴場の出張者向けのビジホだったんです。
私も新宿に住んでいた頃に何度か利用してます。
新宿に住んでたのに?
そうそう新宿住んでいましたが宿泊してました。
西新宿だとニューシティかワシントンホテル、この二つのホテルがリーズナブルで、そして呼べるんです。

ビジネスマン向けのホテルじゃなかった。
出張族向けじゃなく出張呼ぶ向けのホテル。
デリヘルマン向けのホテルだった!

こちらは熊野神社前の交差点です。
オフィスビルと住居が混在するエリアで交差点の西側には西新宿五丁目駅があります。ここは新宿区の一番西側に位置するところで新宿区と渋谷区と中野区がごちゃっとあるエリア。

十二社通りから路地に入ると住宅街になります。
西新宿ってタワーマンションが多いですが一軒家が結構あるんです。この地区は新宿副都心計画から外れた地域のため昔ながらの街並みが残ってます。区画整理がされておらず細い路地が多めです。古い建物も多く雰囲気よさげ。でもこの景色も変わっていくのでしょう。
新宿区の端っこですがここは副都心のそば。買い手はいくらでもいます。
十二社通り沿いにはタワマンが建ってます。新宿西口も現在再開発中です。この界隈も日々街並みが変わっておりこの街路も消えてなくなるかもしれません。

そしてこちらもなくなるお店です。
公衆浴場 羽衣湯です。
物価統制令による価格統制の対象となる代わりに税金や水道代の優遇等が受けられる公衆浴場。
しかしそれだけではやっていけないのでしょう。ピーク時は2600軒以上あった都内の銭湯は現在417まで減ってしまいました。近年は毎年20軒ほど閉店しているようです。そしてこちらの羽衣湯も設備老朽化と燃料費高騰が理由で閉業することに。

かつては諸事情で立ち寄ってなかった羽衣湯。
ですが3年前に立ち寄って以降何度か来ています。
今日は最後のひとっ風呂浴びに来ました。

創業1950年の羽衣湯。
98年に建て直してるので建物はキレイ。でもこれも見納め。
大都会新宿にある銭湯。ちなみに最寄り駅は西新宿五丁目駅ですが銭湯の住所は渋谷区です。
新宿じゃなかった。
サウナ込みで1200円。入浴料が600円にサウナ代が600円。
スーパー銭湯と大差ない値段。でも設備はスーパー銭湯並み。羽衣湯はよくある公衆浴場と違い露天風呂があったりジェットバスがあったりとアミューズメント要素強め。
サウナは大きくありませんがなかなかの高温。そして休憩室もちゃんと用意されています。
オープンすぐに行ったのですが結構な混み具合。タワマンもあるし住宅が多い地域。一番風呂に入りに来る人も多いのでしょう。これだけ混んでるのに店を畳まなければならない。銭湯経営ってのは難しいんですね。
羽衣湯は昔から知ってましたがかつては良い噂を聞かなかったので避けてました。避けてた理由はハッテン場として有名だったから。
アミューズメント要素強め!
全員が裸の公衆浴場。
そういう人たちが出入りすることも当然あります。
私は比較的銭湯に行っており過去にそういうのを目撃したこともあります。
名古屋の某入浴施設のように施設管理者が許可してるなら構いませんが禁止してるのにそんな不衛生な行為。
マジでやめてもらいたいです。中央公園のトイレじゃダメだったのか。羽衣湯はハッテン場でした。
でも2021年に逮捕者が出て以降は減少。今は普通の銭湯になりました。
モラル節操のないLGBTのお客様の入浴お断り。
過去にそういうことがあったからか張り紙にはこのように書かれています。
ジェンダー平等や多様性の尊重において自治体でもLGBTに寛容な渋谷区。その渋谷区にある羽衣湯ですが厳しい対応。
いやこれはLGBT関係なく犯罪抑止のため。
ここは入浴施設。だから多目的トイレのように使うべきではない!ですよねスケベさん。
芸人「ワタベだよ!」
かつてはそんな感じでしたが今は普通の公衆浴場。なんかジロジロ見てくるおっさんはいます。
そういうのはいるんだ...。モラル節操がない件。
ちんちん見てくる人を時折見かけますが、
チンチンを覗くとき、チンチンもまたこちらを覗いてるのだ。
風呂が好き兄ちゃん。
フリードリヒ・ニーチェみたいな言い方。
まぁジロジロ見るおっさんなんてほかの銭湯でもよく見かけます。
よく見かけるんだ。
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本八幡にあるサイゼリヤ一号館に行ってみた

本日は千葉県市川市に来ております。
こちらは本八幡駅です。
総武線に乗れば二駅先は東京だし都営新宿線に乗れば一駅先は東京。つまり本八幡は東京です。
江戸川沿いだから小岩と同じ東京都。本八幡は江戸川区かな?
こんな感じでしれっと東京っぽさ出してるけどここは明らかに千葉。都営新宿線が走ってるけど都じゃねえし京成線が走ってるのも千葉のイメージ。東京っぽさ出してるけど本八幡は市川市です。
本八幡の隣駅は市川駅。
市名を冠してる市川駅の方が栄えてそうですが市の中心は本八幡なんです。なぜ市川市になったかと言うと市ができる際に市川の名を使う代わりに庁舎を八幡に置く形にしたそうです。だから町の中心が本八幡になりました。

そんなわけで本八幡駅の近くに市役所があります。
市川市役所の目の前には藪があります。こちらは八幡の藪知らずです。
国道沿いにあるため何度も目にしてましたがこのように訪れるのは今回が初めて。こちらは不知森とも呼ばれ古くから禁足地で足を踏み入れると生きて出れなくなるんだとか。その噂は江戸時代の頃からあるそうで徳川光圀公も立ち入ったことがあるんだそう。

毒ガスが充満してるから中に入ると死ぬ、底なし沼があるなど諸説あるようですが森のサイズは18m四方なので迷うほどの広さはありません。まぁいろいろな理由で禁足地となったのでしょう。
光圀公も噂に興味を持って中に入ってるし現代でも同じような考えの人はいそうな感じ。
迷惑系ユーチューバーが「八幡の藪知らず入ってみた」って動画を撮りそうですが現代でも変わらず生きて帰ってこれません。同地は葛飾八幡宮の所有地なので正当な理由なく立ち入れば住居侵入罪になります。塀の中に入らずとも社会的に抹殺されそう。藪に入ると社会的に生きて出られなくなる。

街中にある禁足地ってなんかロマンありますよね。
誰も中に入ることができない場所。しかも江戸の頃からそう言われてるんです。
歴史あるところなので観光客も来るためちゃんと藪も剪定されてます。
誰かが中に入ってる!

竹は成長早いですからね。誰かが整備しないと大変なことになります。
たぶん外側だけ。たぶん外側だけ剪定してるのでしょう。
それ以外は手つかずのはず。

こんな感じで手つかずの藪がある本八幡。駅北口側は飲み屋街となってます。
戦後の闇市を経てできた飲み屋街。そんなわけで統一感なく雑多な感じがあります。
まさに戦後から手つかずのままの商店街。
ですが近々その街はなくなるんだとか。
本八幡駅北口駅前地区第一種市街地再開発事業ってのが進んでおり北口の飲み屋街を更地にし44階建てのタワーマンションが出来るんだそう。予定では28年の8月から解体工事が始まり32年に竣工予定なんだとか。もう消えてなくなる街。昭和平成と働く人たちを支えた飲み屋街。それを見に本日ここに立ち寄りました。

こちらが飲み屋街のある八幡一番街。
再開発エリアに指定されてるところです。小売店は少なく飲食店が多め。
そしてその多くはスナックなどの夜間飲食店。夜になればにぎやかになるのでしょうか。

でもそれも見納めです。
ここにタワマンが建つということですが商業ビルも併設されるそうです。
店も入居するのでしょうが今のような飲み屋街にはならないんでしょうね。
これらのスナックは閉業し後世には伝えられないのでしょう。

こちらにもクラブがあります。
建物は古いですけど雰囲気の良いお店です。
30分6000円という少し高めの値段設定。こちらは高級クラブか何かかな?
品の良いお店ですがここも閉店するのでしょうか。
飲み屋街だったところが高層マンションへ。多くの住民が増え賑やかな街に生まれ変わります。でもどの街も画一的な街並みに変わりそこに面白さはありません。
私はこのような店がある街が好きなんです。
毎夜遊びに行ける街。そういうのを残して欲しいものですが今の時代には合わないのでしょう。もうこれらの店はなくなってしまいます。
ちなみにこちらは品の良い高級クラブではなくピンサロです。
下品な店だった!

まぁ値段でなんとなくどんな店か想像できます。
普通のキャバクラは大体1時間刻み。でもこちらは30分刻み。延長は15分から可能。そして午前中から営業してるんです。
最近は朝キャバ昼キャバってのもありますがここはそういうのとはちょっと違うのでしょう。
金額的にはサロンのソレの平均価格。そして謎の料金設定。
延長を長くすればその分時間単価は割安となる。だから15分より30分延長の方がお得なんです。
でも17時台の延長料金は何も変わりません。これなら15分刻みの方がいいじゃない!10時台に至っては15分の方が安いんです。でもでもちょうど良いタイミングで「お時間です、延長しますか?」って聞かれるのは萎えますよね(萎えないけど!!)
だからちょっと高くてもじっくり30分延長。そういう人もいるのでしょう。
でも私は延長をせずにフリーで再入店します。そっちの方がお得なんで!
セルフ花びら回転!

でももうこちらも再開発でなくなる。
って思ったんですがどうやら違う模様です。

こちらは再開発エリアの施行地域ですがここは区域外なんです。
つまり再開発で潰れない地域。ってことはですよ。タワマンの目の前。ピンサロがあるんです。
玄関明けたらピンサロ。
これは新規顧客に期待できそう!
まだまだ本八幡の怪しい部分は健在のようです。
ちなみに同店隣もかつてはピンサロでした。

さすがJR線のガード脇。
ここはそういう地域だったのでしょう。かつてはキャバレーハワイがあったりとこの界隈は怪しい店が集まってました。でもそれらは淘汰され本八幡には一軒だけに。そしてこの一軒ももう...。

こちらは八幡一番街のメインストリートです。
ここも再開発エリアに指定されてます。

老舗っぽいパブスナックもあります。
昭和漂う看板が素敵です。この味のあるフォントいいですね。でもこれも見納めです。

こちらもだいぶ年季が入ってます。
ブルームだと思ったらマイルーム。読み仮名振ってないと読めない店名。こちらのお店も見納め。

そしてこちらも見納めになる店。
イタリア料理レストラン「サイゼリヤ」です。
こちらはサイゼリヤの一号店になります。現在は東証プライム企業にもなった大企業。国内1062店舗、国外670店舗と店舗数では国内二位を誇るサイゼリヤ。その創業地がこちらなんだとか。創業は1973年。50年前に一号店ができたそうです。それがこのお店。
お店と言ってますが同店はすでに閉店しており現在は記念館として運営されています。
こちらも取り壊しが決定されていますが取り壊すまでに定期的に見学ができるんだそう。そんなわけで見学のために訪れました。
オープンまで少し時間があります。せっかく一号店の見学をするんです。だったらサイゼリヤに行かなきゃですよね!

時刻は10時過ぎ。ちょうどサイゼリヤが開く時間です。
一号店は営業してませんが駅前にサイゼリヤがちゃんとあるんです。創業地近くのサイゼリヤで早めの昼食。それもいいんじゃないでしょうか!

ってことで3301です。早めの晩酌!
BR01もとい3301。サイゼリヤはイタリアン。だから3401を飲むべきって人もいるでしょう。
そして3401の値段は100円です。そのため3401に目が行きがちですが私は3401じゃなく3301。サイゼは居酒屋感覚で使うべきなんです。
だからとりあえず3301。

3301合わせるのは2101と1401。お腹が空いてるときは2301も頼むんですが飲むならやっぱり1401です。イタリアンなら1405でしょ!って人もいるでしょう。それもわかります。1405なんて普段食べないですからね。また1410もあまり食べませんね。でも1401のような肉っ気が食べたいんです。

そして2101はサイゼリヤでは必ず頼む料理。
腹の足しにもなるし酒のつまみにもなる。2101を300円で食べられるのはいいですね。
そして私がサイゼリヤで一番良いと思ってるのは3306があることです。

3306は日本でいう粕取り焼酎のようなもの。
3306って飲食店ではあまり見かけません。バーかイタリアンにあるくらい。
でもそういう店ではちょっと高いんです。このように気軽に飲めない3306ですがサイゼリヤは300円で提供してるのです。それは頼むしかないでしょう。だって3306ですよ?たしかにイタリアでは大衆酒なのかもしれません。でも日本ではあまり飲む機会も少ないお酒です。それが300円で飲めるなら飲むべきでしょう。

ちなみに私の3306の飲み方は3301と混ぜます。
これこそがミラノ風爆弾酒。
イタリアでもこんな飲み方してるのかな?
でもこれがサイゼリヤ居酒屋の楽しみ方。
クソみたいな楽しみ方!
さて見学の時間となりましたのでほろ酔い気分で一号館に行ってきます。

こちらがサイゼリヤ一号館です。
こんなの物好きしか来ないと思ってましたが入場制限をかけるほど人が来ています。
ここはサイゼリヤが管理しているわけではなく中小企業家同友会が運営管理しているそうです。一応サイゼリヤからもサポートがあるそうです。

中の様子はこんな感じ。
一号店は大きくありません。小規模のレストランといったところ。
厨房も見ることができます。開業当初は普通のレストランだったのでしょう。半世紀しか経っていませんが今じゃ大企業と呼べるレストランになりました。50年は長いようで短い。でもその短い期間で成長できるのです。

こちらは開業初期のメニューです。
50年前なので値段が安いです。ミートソースが180円。当時の初任給は55000円くらい。現在の初任給が25万円なので給料は4.5倍に上がってます。ってことは今の値段で810円くらいでしょうか。
でも現在のサイゼリヤのミートソースの値段、税込み400円なんです。
これはデフレの申し子。
でも値上げするってことなのでもうサイゼで安く食べられなくなるんでしょう。
居酒屋よりも安いし席料もかからないのでサイゼはよく利用してました。
そして気がつけばビールを番号で呼んでましたが値上げされたら足が遠のきそうです。

かつてはカレーもあったんですね。
ファミレスではなく食堂って感じのラインナップ。
ちなみに開業当初はミラノ風ドリアはなく、もとは賄いだったものをメニュー化したそうです。だからミラノ風ではなく本八幡風ドリアが正しいようです。

こちらのメニューには飲み物が載ってます。
今よりも飲み物の種類が多かったようです。

角にダルマにブランデー。サントリーの息がかかってますねえ。
チェリーブランデーはヒーリングでしょうか。こちらも当時はサントリーが輸入元だったのかも。
さすがはイタリヤ食堂。ベルモットもあったようです。
カクテルもありますがフィズが多め。こちらではシェイカーを振ってたのでしょうか。
ほぼイタリアンバルみたいな感じのラインナップ。

しかもボトルキープもできるんです。
ホワイトホースとカティーサークが6000円。
今なら1000円程度で買える安酒ですが当時の小売価格は3000円前後。
そりゃ店売りだとこの金額にもなります。
スコッチのW5。
こちらは熟成5年と若いウイスキーで欧州で流通していた低価格の酒でしたがそれが店売りで4500円。
当時の舶来品は高かったのでしょう。

酒に合うおつまみも充実してます。
鮭のロシア漬けはマリネ的なやつでしょうか。
チーズにキャビアにアンチョビ。3301に合いそうなラインナップ。
今のサイゼリヤにも置いてほしいです。

こんな感じで本八幡はサイゼリヤを味わえます。でもそれももう見納め。
建物は取り壊しタワマンと商業ビルができます。キレイな街並みになるのでしょう。
大きいビルが建ちきれいな街路樹が植えられ自然と調和した街並みとなる。街がきれいになれば治安もよくなるでしょう。住む場所に飲み屋は必要ないし風俗なんていらないんです。再開発エリアに指定されなかった部分もいずれ浄化されきれいになるのでしょう。
一見キレイだけどどこにでもある街並み。住みやすい街になるけど街の魅力はなくなります。
私は怪しさ満点の飲み屋街の方が好きで多少の治安の悪さはその街の味だと思ってます。危険だけど楽しい部分もあるから人が集まる。だから街が活性化する。そんな街だったからサイゼリヤが生まれたのかも。
果たして50年後。
キレイになった本八幡に有名店はできるのでしょうか。こんな店のように。

ある意味有名店。
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ここが僕たちのニライカナイ!辻歓楽街で日本の端の特殊浴場を探せ!

本日は那覇市に来てます。こちらに那覇市と豊見城市に跨る湖があります。
結構大きな湖なんですが名称を声に出して言いずらいんです。
水量のある湖だったのでもともとは大湖(たいこ)と呼ばれてたそうです。
でも17世紀に訪れた中国の使者が豊富な水がある湖の景色に感銘を受けこの名をつけたそうです。

これは中国人の大罪。
中国の湖は 全部ち〇こにすべき。
湖となっていますが厳密には干潟。
以前は湖でしたが宅地開発で土砂が流れ込み干潟になったそうです。
きれいになりましたがかつては生活排水により水質が悪化し1970年代頃はヘドロが堆積して悪臭する湖だったんだとか。でも行政の対策によって水質は徐々に改善し今はきれいな湿地帯に生まれ変わりました。
那覇は沖縄の中心で商業地ですがそんな商業地から歩いて行けるところにこんな自然あふれる景色が見れるんです。

キレイですね。
湖に沿って公園が整備され市民の憩いの場となっているのでしょう。
私は沖縄に来るのが初めてなんです。
だからいろんなところを観光したい。きれいな湖を見て回る沖縄観光もいいのではないでしょうか。
それとせっかく沖縄に来てるので那覇にあるあんなとことか巡りたいですよね。
ってことでこれより私は特殊浴場街の辻へ向かいます。
そっちは汚いま〇こ。

時刻は現在朝6時過ぎ。まだ日が出ておりません。
沖縄と東京では経度が12度違うので45分の時差があります。東京の感覚だと日が出ててもおかしくないですがあたりはまだ真っ暗です。ですがすでに営業している店があります。つまりここでは日の出前営業をしてるのです。
もともとこの手の業種は日の出営業でした。深夜にこの手の店が営業してると風紀が乱れるし近隣住民にも迷惑がかかる恐れがある。そのため深夜営業は法律で禁止してるのでしょう。24時から日が出るまでを深夜と規定し風適法で営業時間が決められていました。日が出たら店を開けられる。そのため季節で営業時間が異なったのです。
例えば6月10日の東京の日の出は4時25分。6月上旬が一番日の出が早い時期なのでかなり早くから営業ができます。逆に1月初旬の日の出は6時50分。つまり2時間半近く営業時間に差があるのです。
日の出営業は日の出のタイミングが基準なので地域により異なります。日本の西にある沖縄は店が開くのが遅く、日の出が7時を過ぎることもあります。東京と沖縄とでは日の出に45分も差がある。つまり早く行きたくても沖縄の人は45分も待たなければならないのです。
まさか法治国家日本でそんなことが行われてたなんて!それは非人道的行為。日の出の有無でその機会が奪われる日の出営業は日本国憲法第14条法の下に平等に反してます。社会的に差別されないはずなのに沖縄県民はずっと差別され続けてたのです。本土復帰は新しい夜明けと言われたのに日が出ないことで差別を受けてたのです。
ってことが理由かは定かではありませんが2016年の法改正で日の出営業は廃止となり全国一律で午前6時に変更されました。これで沖縄県民は朝から行けるようになりました。冬場の日の出は7時だけど日が出る前からお店が開く。沖縄県民にとってはうれしい限り。割を食ったのは日本の東側にあった店舗。以前は6時より前に営業出来る日もありましたが法改正で営業時間が短縮されました。でも6月の上旬の沖縄の日の出は午前5時ころ。
一時間も短くなってる!
これは憲法第11条の基本的人権に反してる!
また憲法第25条の生存権にも反してる。これは法治国家である日本にとって由々しき問題。

まぁいろいろ問題を抱えてる業界ですが法改正で沖縄は早く営業できるようになりました。そんなわけで日が出る前から営業しています。そして特殊浴場の近くには無料案内所もあります。まだ日が出てませんがすでに営業してる様子。こんな時間から営業してて客がくるのでしょうか。立ち寄ってみましょう。
ここに客がいた!
案内所の話では早朝営業しているのは5軒だけ。
そのうち3軒はハズレのお店なんだとか。どうやら出てくるのがおばちゃんなんだそう。

少し日が出てきました。といってもお店が開くわけではなく町はしずか。ほとんどの店が9時過ぎにオープンするようです。やはり朝から行くのは川崎市民くらいのようで日が出ても人が全然歩いてません。
今回辻に来たのには理由があります。
ここは日本の最西端で最南端にある特殊浴場街。
以前佐賀の嬉野温泉に行ったのですがそこには最西端を名乗る特殊浴場がありました。
でも最西端は離島を除く。もしくは沖縄返還前を基準とした場合で最西端はここ辻なのです。
そして最南端もここです。つまりこの街の中に最南端と最西端の店が二軒あるんです。

まず最南端にある店がこちらです。
特殊浴場街の南側の通りに面したお店。通りに沿って3軒お店が並んでおりそのどれかが最南端になります。
地図を見たところ道の東側が南寄りのようです。
そのためこちらが日本最南端の店。ですが休業中のようです。

そのためこちらが日本最南端の店になるようです。

最南端の店はこちらですがプレイルームの場所次第でここの店が最南端かも。
これは入店して確かめなければなりませんね。

最西端があるのはこのあたり。
左手側が西側になるのでこちらの店が最西端になります。
しかしこちらの店も閉店している様子。

そのため手前か奥の店のどちらかが最西端。
奥の店の方が西側っぽいですがこれも確認が必要ですね。
でもこうやって最南端や最西端の店に行けるのは感慨深いものがあります。ここに行くことで将来自慢ができるでしょう。
僕はね、東西南北端っこの特殊浴場に行ったんだ。
なんの自慢にもならない!
辻は遊郭があったので立ち寄りたかった場所だったのです。
沖縄の遊郭の歴史は古く1670年代の琉球王朝時代にさかのぼります。当時の沖縄は中国と薩摩の貿易の中継地で多くの外国人が出入りしてました。その渡来する商人や役人をもてなすために遊郭を設置したのが始まりのようです。
当初は辻、仲島、渡地の三つの遊郭がありました。三つの遊郭は棲み分けがされており最上級は辻、次点が仲島だったんだそう。沖縄音楽のハイサイおじさんの歌詞にも「辻・仲島・渡地とぅ おじさんあまぬ株主ど」って3つの遊郭の名前が出てきます。その3つの遊郭は比較的近くにあります。

こちらは那覇港の近くですがこの辺りに渡地遊郭がありました。
こちらは1700年頃の那覇の様子ですが渡地は島だったようです。もとは宿だったところを遊郭に変えたそうで離島のため利用者は船乗りが多かったそうです。現在陸続きとなっており遊郭の名残りは全くありません。

現在バスターミナルがありますがこちらが仲島遊郭のあったところです。

石碑があり遊郭のことも書かれてありますがその名残りはなく普通の商業地になっています。

渡地と仲島、それに辻の遊郭。これら三つの遊郭がありましたが1908年に辻に合併しここが一大歓楽街へ。150軒以上の貸座敷が軒を連ねたようです。

辻の風俗街の真ん中あたり一段高くなってるところがあります。

こちらに辻遊郭開祖之墓って墓標があります。改葬は昭和二年となっているので当時の貸座敷組合が墓地を改葬したのでしょう。これらも遊郭だったころの名残りです。

こちらにある新思会は貸座敷組合を前身とする組織のようです。
これも遊郭があった証拠です。辻の遊郭は遊郭ではありましたが本土と異なりどちらかというと花街要素が強かったそうです。もちろんすることはしてたのでしょうが芸事を見せる花街に近いところだったのでしょう。
沖縄では遊女のことを ジュリと呼んだそうです。
ジュリまたはズリと 呼んだ理由は春を売るのに這いずり回ったからジュリ、女郎からジュリとなったなど説は様々。ちなみに奄美では遊女をゾレと言うそうで南方ではこのような呼び方だったのでしょう。娼妓より芸妓の側面が強かったジュリ。それは利用者に求められた結果なのでしょう。
ソレしかしない遊郭ならば琉球でなくてもよい。
わざわざ琉球に来たんだから地元を味わいたい。
現代だってそうでしょう。沖縄の店なのにいるのはリゾバで来てる東京都民。
誰しも沖縄に来たら沖縄を味わいたいんです。だから当時の遊郭も本土と違っていたのでしょう。
沖縄独自の色街文化がここにあった。
同団体は文化を残そうとしてるのでしょう。
辻に来ればそんな歴史を感じれるかも。
ちなみに文化を残そうとしてる組織のとなりは今の辻の文化を発信してる店があります。

これはマンゾク。

辻に伝わるジュリ文化。でもそれも徐々に消えつつあるようです。
こちらには左馬という料亭がありました。那覇の三大料亭の一つに数えられた店でしたが現在は老人ホームに生まれ変わったようです。

こちらにも那覇三大料亭の一つ料亭松乃下がありました。
こちらも2007年に閉店し老人ホームになってます。老人ホームの名称に松を冠してるのは料亭の名残りを残そうとしたのでしょうか。

こちらは1949年創業の老舗料亭。戦後にできた料亭です。
辻は空襲で町全体が焼失しており先の大戦で置屋や貸座敷は全て消滅しました。
この手の街は戦後すぐに復活するのですが沖縄はアメリカに占領されます。
キリスト教国のアメリカ。公娼なんて認められる職業ではないので公娼制度は廃止となり遊郭の再開は認められませんでした。しかし遊郭がないため性犯罪や街娼が街にあふれ風紀が乱れる結果となりました。そのため特殊飲食店街を設置しました。
沖縄では社交街という特別地域を設けそこで営業ができるようにしたそうです。
日本の赤線に近い感じ。でも日本の法律とは違うので赤線ではない何か。どちらかというと沖縄のソレは公娼に近い存在だったのかもしれません。
いやいやそんなふしだらな街ではありません。
特殊飲食店はダンスホールがあるところです。米兵がダンスを踊るところ。現代風に言えばナイトクラブになるのでしょう。それを政府が管理していました。そこで働くダンサーは週一で性病検査をしていたそうです。性病検査をしてる辺りそのサービスがあるのは周知の事実。公娼は認められないので料亭としたのでしょう。
料亭と名乗ってましたがその実態はナイトクラブ。ナイトクラブかと思いきやその実態はちょんの間。そんなのが沖縄には 各地にあったそうで辻も社交街になりました。空襲で焦土と化した遊郭跡地にできた社交街。その利用者は沖縄を焦土にした米兵でした。
そもそもが米兵の慰安目的で設置された街。利用者はアメリカ人が多かったのでしょう。それは今も変わりません。アメリカ人の多い沖縄。アメリカ人向けの店あるのかな??

ほらちゃんとアメリカ要素があるよ。星条旗のような看板。
今でもアメリカ人はこの街を利用するようで多くの外国人を見かけます。観光客ではなく駐留してる米軍兵士なのでしょう。そしてこちらの店にはアメリカ人らしき団体が入店してました。

一番の歓楽街である辻。そんなわけでその手の店が複数あります。
これだと店探しが大変です。でも安心してください。この界隈には無料で案内してくれる心優しい人がいるようです。ここではいろんな店を紹介してくれるんです。

こちらはマンション一階にある特殊な物件。家の風呂釜が壊れても安心できます。
風俗付き物件って名古屋だけかと思ってたけど全国にこの手の物件ってあるんですね。お風呂屋さんまで徒歩ゼロ分の物件。まさにこれがホントのマンショントルコ!
こんな感じで特殊な風呂屋が20軒ほどある辻。
かつては70軒近くあったそうなので減ってしまったようです。

こちらはこの界隈の地図です。
料亭だったところは老人ホームにピンク色のところがその手の店になります。でもピンク色の全てが特殊浴場ではないようでこの中にはマッサージを称する店もあります。マッサージなのにピンク色?それおかしくない?だってマッサージって風俗店じゃないじゃない。普通のエステ店でしょ?

普通じゃなさそうなエステ店。
特殊浴場は増改築できないため寂れる一方ですがエステであればこんな感じで新しく始められます。
350年続いたジュリ文化。遊郭特殊浴場街を経てエステ街へと変わっていくようです。つまりここには日本最西端で最南端のエステがあるってことです。
メンズエステだったら西表島にもありそう。
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圧倒的アウェイ感!鶴見沖縄ブラジリアンタウンで異国を味わえ!

本日は鶴見区に来てます。
こちらは区内を流れる鶴見川です。
町田が源流で全長42kmある鶴見川。
この辺りは河口になるのでしょうか。きれいな河川敷です。
鶴見川には不法に建てられた建物はありません。
このようにきれいに整備されている鶴見川ですがかつては不法バラックが軒を連ねてたそうです。
鶴見は京浜工業地帯です。海沿いには旭硝子や浅野造船、東芝などの大企業。そのほか大小複数の工場があります。ここに来れば仕事にありつける。そのため多くの労働者が鶴見に集まりました。しかし日雇いで働く労働者。収入が安定せず住む場所がない。そのため河川敷にバラックを建て住みだしました。最盛期には約200軒のバラックがあり鶴見川の河川敷はその当時、スラム街でした。
河川敷に住んでいた人の9割が外国人。どこの国籍なのか容易に想像できる。鶴見は横浜の中でも特別永住者が多い地域です。そのルーツは鶴見川だったのかもしれません。このように外国人が多い鶴見ですが沖縄出身者も多いんです。
こちらは川崎競馬場です。
この川崎競馬場がある川崎区富士見にはかつて富士瓦斯紡績川崎工場がありました。
1915年に創業した富士瓦斯紡績川崎工場。東洋一といわれる大工場で同工場では2500人も働いてました。工場で働く多くが出稼ぎできた女性で一番多かったのは沖縄出身者でした。川崎と沖縄ではだいぶ離れてますがここで沖縄県民が働いてたのには理由があります。
当時の沖縄の主な産業は一次産業で県民の7割が農業に従事。多くの農家がさとうきびを生産していました。砂糖相場が高騰し好景気の時期もありましたが不況や干ばつの影響で収入が減り生活できなくなった人もいたそうです。経済的窮乏により食糧難となり毒抜きしたソテツを食べて飢えを凌ぐいわゆるソテツ地獄に陥ったそうです。
そのような中生活のために出稼ぎに出る人もおりその受け入れ先が富士瓦斯紡績の川崎工場でした。工場創業当時から沖縄出身者が働きはじめ1930年頃には1000人以上もいたそうです。
出稼ぎにきた多くの沖縄人。当時はまだ沖縄人への差別が残っており住居を借りるのも難しい時代でした。そのため沖縄人同士でコミュニティを作りそこで生活したのでしょう。それがあったのが鶴見区潮田という地域でした。

こちらは潮田にある見沖縄県人会会館です。
沖縄に関係する会館で沖縄県人会があります。
鶴見沖縄県人会は1953年に発足してますがそのルーツは1927年に結成した。
鶴見沖縄県人同志会です。歴史ある組織のようです。しかし県人会は近々移転するそうです。同会館は1980年に建てられたそうで老朽化のため取り壊すことになっているようです。建て直しも検討されましたが費用面で折り合いがつかず移転をするそうです。この姿ももう見納めです。

沖縄県人会会館には沖縄料理店があります。
沖縄タウンにいるんです。だったらここで食べてくべきですよね。

ってわけでソーキそばを注文しました。
スタンダードのソーキそば。ザ・沖縄味って感じ。おいしいです。

鶴見の潮田は沖縄タウン。
沖縄が発祥だからでしょうか。町内にはパチスロ専門店があります。
駅前ですら潰れてるパチンコ店。幹線道路沿いでもない駅から離れた場所ですが現役で営業しています。やっぱここでは沖スロが打てるのかな?

こちらの自販機も沖縄仕様になってます。
こちらにはミキが売ってます。

ミキは甘酒に近い感じの鹿児島や沖縄の飲み物。
名前の由来は「お神酒」からきてるそうです。原型は口噛み酒だったそうです。

こちらはルートビアです。
これも沖縄っぽい感じです。関東じゃあまり売ってないルートビア。薬っぽい味が私は好きです。

そのほか沖縄料理店もある潮田。そこまで沖縄沖縄してはいませんがここは鶴見にある沖縄タウンなんでしょう。こんな感じで沖縄タウンである潮田。

南国っぽい感じですがこちらの店はちょっと違う南国感があります。
潮田マーケットという建物があります。なんとなく闇市をほうふつとさせる名称。
昭和の日本っぽい建物ですがこちらに入居するのはブラジル食材店です。

潮田は沖縄タウンだけど南米人が多くいるんです。
鶴見区の在住外国人の数は15600人ほど。市では中区に次いで二番目に多い地域です。国籍別だと中国、ベトナム、フィリピン、韓国。5番目に多いのがブラジル人。とくに鶴見区のブラジル人割合は突出しており横浜市内のブラジル人は2800人いますがそのうち1200人以上が鶴見区に住んでます。このようにブラジル人が多いのは理由があり沖縄とも関係してます。
戦後の沖縄は海外からの引揚者が帰還する一方で米軍による基地建設のための土地の接収が行われ人口過多で土地不足という状況に見舞われました。その問題を解消するため移民政策が行われ多くの沖縄県民が南米へと旅立ちました。
1980年代後半、今度は南米人が日本に移民してきます。そのころの日本はバブル好景気の時期で多くの企業が人材を求めてました。南米に移住した日系一世も採用の対象でした。日本は好景気でしたがブラジルは不景気のさなか。そのため多くの沖縄人が日本に戻ってきました。そして1990年に入管法が改正されます。改正法では日系三世やその家族の就労が合法化し定住者という在留資格が新設されました。それにより沖縄にルーツを持つ日系三世が仕事を求めて日本にやってきたのです。そして鶴見に集まりました。
つまり潮田は、鶴見人と元沖縄人の鶴見人と元沖縄人で南米人の鶴見人と越境してきた川崎人となぜいるかわからないけど韓国人が住む鶴見沖縄南米タウン (川崎韓国)なんです。結構いろんな要素がある。
南米人の中にはペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、コロンビア、チリ、エクアドルなど。いろいろな地域から来ているようですが多くがブラジル国籍の人。
だからブラジル食材店があるのでしょう。
以前私は群馬のブラジリアンタウンへ行きブラジル食材店に立ち寄りました。群馬のソレはフードコートも併設されてましたがこちらもフードコートがあるようです。ちょうどお昼時、せっかくなんでブラジル味わっちゃいましょう。

とりあえずビールです。飲み物は売り場から持ってくるカク打ちスタイル。
つまり小売価格で飲めるのでお手頃です。こちらはペルーのビール「クスケーニャ」の黒です。
ブラジルなのにペルー。
ペルーとブラジルは違う国。
だけど食文化が近いのでしょう。
ここでは南米らへんの食事が食べられるようです。
南米各国の主食はアルゼンチンは麦、ペルーはジャガイモ、メキシコはトウモロコシブラジルは米です。
地域で全然食文化が違った。

こちらではワンプレートの定食があるようです。
主食の米に主菜とフライドポテト。主菜は豚鶏牛に川魚。ステーキ、とんかつ、フライドチキン。味の想像ができます。

せっかくなんで普段食べないやつがいいですよね。この中だとキャッサバかな。

こちらがフライドキャッサバです。
繊維質のなにか。見た目はサツマイモフライっぽい感じ。
熱帯地域で生産されてるキャッサバはタイやベトナム、カンボジアでも生産してるしタピオカの原料です。おそらく無意識に旅行先で食べてるんです。ちなみにキャッサバは毒があるそうです。
まさかのキャッサバ地獄。
有毒ですがソテツ同様毒抜きすれば食べられます。
キャッサバは生のままだと毒性があるので必ず水に3日ほど浸けてからゆでるんだとか。結構下処理が面倒な食材。
毒抜きを誤れば死に至る場合もありキャッサバ中毒の死者数は年間200人以上います。
やっぱキャッサバ地獄。
キャッサバの味はサツマイモっぽいです。
ほのかに甘みがあっておいしい。でもなんか毒が気になって味わえない。

こちらはピルセンです。
キャッサバをアテに呑み始めてる。
ピルセンはペルーのビール。
比較的ライトな感じで日本の発泡酒に近いです。
こちらのビールは個人輸入品のようです。こういうのに巡り合えるのも外国人街ならでは。
異国情緒あふれるフードコート。
横浜市鶴見区だけどここはブラジルサンパウロ。
4組の客がいますが誰も日本語を話してません。店員とのやり取りも何語かわからない言葉。ブラジルだからポルトガル語でしょうか。圧倒的アウェイ感。
でも電話の受け答えは流暢な日本語。めちゃくちゃ普通に日本語が話せる人たち。
外国感が味わえるけどここはちゃんと日本です。

わざわざ南米に行かずとも、わざわざ沖縄に行かずとも、ここであればどちらも味わえます。南米も味わえて沖縄も味わえて鶴見も味わえる。ついでに川崎と韓国も味わえる。それができるのはここしかありません。コリアタウンのように観光地ではないので店舗数も少なく観光スポットではないですがそれでもなんかここでは異国気分が味わえます。鶴見に来た際は一度訪れてみてください。南国気分が味わえるはずです。








































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