【成瀬はTENGAを取り扱う】ほぼ“神奈川県町田市”の成瀬

本日は町田市の成瀬に来ております。こちらはJR横浜線の成瀬駅です。
成瀬があるのは町田市。成瀬は商業地ではなく住宅密集エリアです。
成瀬は1970年代に宅地開発がはじまりました。宅地開発がされた当時は最寄りに駅がなく一番近い駅は隣駅の町田駅だったのでしょう。当時町田駅はまだ原町田駅って駅名で今の駅の場所よりも340mほど成瀬よりでした。
とはいっても町田駅までは2km以上離れており歩くには少し距離が遠い。長津田駅も隣駅ですが2km以上離れている。すごい不便な場所だったようです。そのため1979年に地元民の要望により成瀬駅が開設されました。駅ができたことで成瀬駅の周りの人口が増加。住みやすく利便性の良いところになりました。
とはいってもごく普通の住宅街そばにある駅。商業地ではないため地元の人しか駅を使いません。
町田駅と長津田駅の間にある成瀬駅。そのため何度も通っていますが一度も降りたことがありませんでした。そんなわけですごい印象の薄い駅なんです。そもそもここが町田市とも思ってませんでした。
隣りの長津田は横浜市だし町田駅もほぼ相模原。行政区分上は東京だけど成瀬はほぼ神奈川なんです。

だって駅前にあるのは横浜銀行なんです。
ほぼ神奈川といっているようなもの。

こちらも湘南ゼミナール。
ほぼ神奈川といっているようなもの。

駅前にあるスーパー、相鉄ローゼンなんです。相鉄線が走っていないのに横浜のスーパーがある。もうこれは神奈川県。

そして走ってるバス、かなちゅうなんです。
実質支配しているのは神奈川国。
神奈川が成瀬の領土を主張してもいいレベル。
神奈川要素が強めですが東京都町田市にある成瀬。成瀬にはなにがあるでしょうか。

こちらは成瀬駅前にある成瀬駅前ハイツです。
1980年にできたUR団地。駅前なのでかなり利便性の良い団地です。成瀬駅は横浜線だけしかありませんが隣りの町田駅には小田急線が走っており長津田駅は田園都市線が走っています。乗り換えが必要ですが新宿渋谷にでれるんです。また横浜にも出れるので悪くない駅です。
駅のド正面が団地。
駅前って飲み屋や変なエステがあるもんですが成瀬はそういった店が見当たりません。駅前にあるのは喫茶店くらいでしょうか。
なんか文化的で駅前がお上品な感じ。
これは神奈川県っぽさがあります。

こちらは成瀬駅近くのベンチに座る銅像です。
なんのために設置されているか不明。
そもそも誰が造ったのかも不明。
でも文化的な感じ、神奈川要素が強めなんじゃないでしょうか。
こんな感じで文化的な神奈川要素がある成瀬。
こちらは北口側ですが住所は南成瀬なんです。
どうやら本当の成瀬はさらに北側。恩田川の先にあるようです。

恩田川の手前の高台に公園があります。
こちらには成瀬城跡とかかれた石碑があります。

鎌倉時代にあったとされる成瀬城。
あったとされるって曖昧な表現ですが実際にいつ頃城があったのかは不明。たぶん鎌倉時代の頃にお城があったようです。成瀬城には成瀬四郎太郎って人が住んでいました。それが町名の由来とされているそうですが本当にいたかどうかは不明。

こちらの恩田川が成瀬の由来とも言われています。
名前の由来は不明なところがありますが成瀬に住む人の話では村の伝承があるんだとか。
「この村の中央にわずかなる流れあり。雨降りてまさに晴れんとする時は川の瀬鳴り響ひびきてかまびすしきゆえ此名あり。されば鳴瀬とかくべき」
諸説あり。
つまり成瀬と呼ばれるようになった理由、わかんねぇってことです。

こちらは都営成瀬アパートです。
成瀬アパートができたのは1979年。ちょうど駅が新設されたときにできたのでしょう。

この界隈は団地が多いエリアです。
その団地の近くに工場がありますが、こちらはオーディオテクニカの工場です。
国産なのになぜか安いヘッドホン。
値段の割にはちゃんとしている。
BOSEやSONYは買えないけどオーディオテクニカなら買える。
実際に私が使ってるヘッドホンは同社のものです。なんだかんだでお世話になってるようです。

オーディオテクニカの本社って成瀬にあったんですね。
同社は1962年に新宿で創業し、3年後の1965年に成瀬に移転。以後成瀬を拠点として活動しています。ある意味成瀬はAV機器の街とも言えますね。
ちなみにオーディオテクニカの人気商品は世界シェア2位の寿司ロボットのようです。
寿司の街だった しかもシャリだけ。

成瀬駅の南側に来ました。
こちら側は駅裏って感じの駅前です。駅前は喫茶店があるくらい。
成瀬、何もなさそう。

駅のそばにリラクゼーションサロンがありました。でも女性専用。
成瀬は商業地ではなく住宅地。そのため歓楽街のようなところはありません。でも住宅街だとしてもあるじゃん。
駅前にちょっと怪しげな飲み屋街があったり怪しい中華系のマッサージ店があったりそういったものが必ずあるもんですがどうやら成瀬、エロの店がないようです。
成瀬駅前はこんな感じ。
1980年以降に栄えた街。古くからある商店街みたいないので怪しげな店は出来なかったのでしょう。
町田までは一駅。
飲みに行くのも遊びに行くのも町田に出るのでしょう。

こちらは町田街道です。
かつては養蚕が盛んだった八王子から横浜を結ぶ絹の道と呼ばれた主要街道です。
戦国時代の頃からある街道。なんかありそうだけど何もありません。
やっぱり全ては町田に集約されているのでしょう。成瀬駅が開業したのは1979年。そのころの町田には田んぼと呼ばれるちょんの間がありました。
日本にはかつて遊郭がありましたが敗戦により公娼制度はなくなります。戦後に遊郭は赤線街へと生まれ変わりますが売春防止法施行後、赤線は廃業となります。
遊里は解体され普通の街へ変わるか、もしくはソープ街になるか。
町田には遊郭はありませんでしたが、私娼窟があったそうです。その私娼窟が戦後青線街へ。売春防止法施行後はソープ街でも住宅街でもなくちょんの間街になったそうです。そもそもの出自が違法だけど黙認されてた青線街。そのままの状態で営業が続いたのでしょう。
ちょっとの間でことを致すからちょんの間。違法だけどソープより手軽に利用できる。そんなわけで人気スポットだったのでしょう。
関東近県にはいくつかのちょんの間街がありました。川崎堀之内、横浜黄金町、そして町田の田んぼ。かつては三大私娼窟と呼ばれていた地域でした。しかし管理売春は違法行為。摘発され、壊滅させられる運命だったのです。横浜黄金町は2006年に川崎堀之内は2009年に摘発により壊滅しました。
町田にあったちょんの間も2000年を迎える前に摘発があり規模が縮小。その後は細々と生き続けるも相次ぐ摘発により2006年には町田の田んぼは壊滅しました。
成瀬駅開業から27年、それまで成瀬の人は町田に行ってたのでしょう。でも町田にはもう 田んぼはありません。成瀬の人たちは行き場を失ったのです。
ちなみに町田の田んぼと言ってるけど住所は相模原です。
文化的な神奈川県。
気軽に通えるように駅を新設したのに20年も前に消えてしまった私娼窟。近場にそんなお遊びスポットがあったのに近くにはそういう店がないのです。駅前にはスーパーがあって買い物に便利だけどアッチの方の利便性がぜんぜんよくない成瀬。急にムラムラって来たとき成瀬の人はどうするのでしょう。町田市は性犯罪が多いって聞くし...。どうやって処理してるの!?

自家発電だった。
かつては田んぼがあったけど今は遊べるとこがない。風俗もない、遊べるスポットもない。そんな成瀬の人が選んだ道は自家発電でした。
自家発電だったら風俗なんていらないじゃない。自分のタイミングでどうとでもできるじゃない。
だって成瀬にはソフトオンデマンドがあるんですから。
しかもこのSOD、DVDだけじゃなく大人のおもちゃの取り扱いもあるんです。
成瀬はTENGAを取り扱う。
なくなった町田の田んぼの代替がアダルトビデオショップ。ここは成瀬の人たちのオアシススポットです。
最近じゃアダルトビデオはネットでも買えるしストリーミング再生ができるのもあります。わざわざ手元になくてもいいんです。現在はエロ動画を持ち歩ける時代なんです。
でもあえて実店舗で買う。
あえてパッケージを買う。
これがいいんでしょうね。
実店舗に行っても中身が見れるわけじゃない。
パッケージの外見しか見えない。
だからネットで買うのと何も変わらないのですが、カーテンの先にある秘密の花園で同志たちが黙々とアダルトビデオを選ぶ特異な環境。選んでるのはAVだし来てる客は変態だけど、あの空気感は実店舗じゃなきゃ味わえません。
ネットで買えば いいじゃないって言ってる人。
何もわかってない。
AVはただ観るだけじゃなく、店に行き、商品を選び、顔の見えない店員と取引する。
ここも含めてAVなんです。成瀬にあるこの店はそれを味わうことができます。成瀬に来ることがあればぜひ訪れてみてください。
成瀬はAV機器の街じゃなくAVの街だった。
関連記事
夜空に輝く星になれ!キャンパブが消えたシャッター街「柳ヶ瀬歓楽街」

本日は岐阜に来ております。
こちらは岐阜市内にある柳ヶ瀬商店街です。
岐阜の中心地はもともと長良川沿いでした。柳ヶ瀬は田畑や湿地帯があるところでしたが明治になり鉄道を敷設され岐阜駅が開業。駅と街の中間にあった柳ヶ瀬にも店ができはじめ商店街が形成されました。
空襲により岐阜市内は焦土と化しますが終戦後すぐに露店が並び闇市が形成され今ある商店街の原形が出来上がりました。高度経済成長期にアーケード街となり百貨店や小売店ができ街が賑わいます。また映画館や芝居小屋などの娯楽施設、さらにはキャバレーなどの飲み屋も活気づき、多くの人が柳ヶ瀬に訪れたそうです。週末になると歩けなくなるほど人でごった返し、東海地方で一番の歓楽街といわれていました。でも現在はその様子はなくだいぶ静かです。

デパートや百貨店は撤退し、個人商店もシャッターが閉まっています。店がやってないから人も来ないのは当然で、人が来なくなるから店もどんどん閉まっていく。その結果柳ヶ瀬はシャッター街化しています。歩いている人はいますがそこまで多くない、開店前かもしれませんが多くのお店が閉まっています。
バブル崩壊、繊維業衰退、少子高齢化。
衰退した理由は様々な要因がありますが一番は使い勝手が悪いからでしょう。
岐阜駅から柳ヶ瀬まで歩くのはちょっと遠い。そのためバスに乗らなければなりません。かつては路面電車もありましたが廃線となり、現在は駅から離れており交通の便が悪いです。路面電車が廃線となったのは岐阜が車社会だから。
岐阜は自家用車保有率が8番目に多い地域です。車がないと生活がしづらい環境なのです。では車で柳ヶ瀬に行った場合どうでしょう。
アーケード街だから商店街の中に入れない。
古くに形成された町だから駐車場が少ない。
駐車場があったとしても無料ではない。
そして市街地だから渋滞に巻き込まれる。
このように柳ヶ瀬は何かと不便なのです。
幹線道路沿いには駐車場が無料の店舗があります。そちらの方がアクセスしやすく買い物もしやすい。そうなれば客はそっちに行くでしょう。
自動車移動の人には行きづらいし公共交通機関を利用する人も行きづらい柳ヶ瀬。
商店街を根本的に変えない限り以前のような活気を取り戻すのは難しそうです。

私は3年前にこちらに訪れています。その時はちょうど感染症蔓延時。人と接するのを良しとしなかった時代でした。そのため今以上に人はおらず静かな街でした。
柳ヶ瀬はキャバクラなどの店がある地域です。感染症の影響はかなり受けたのでしょう。もともとシャッター街化していましたがさらにひどいことになっているかもしれません。
でも岐阜市内では一番の歓楽がである柳ヶ瀬。東海一ではなくなりましたが、まだまだ歓楽街の様子は見れるはずです。柳ヶ瀬にはアッチ系の店もあったって話だし色々期待できるかもしれません。
柳ヶ瀬は約500mの距離があるアーケード街。
一つの商店街ではなく複数の商店会が集まってできている商店街です。そのため多少特色があるようです。

柳ヶ瀬商店街の東側、フローレンス柳ケ瀬と呼ばれる柳ヶ瀬本通り。一般的に知られる柳ヶ瀬はこちら側なのでしょう。
高度経済成長期に発展しかつては大型商業施設が5店舗もあったそうです。しかしバブル崩壊後に閉店する店舗が増え2024年7月に高島屋が閉店したことで大型店舗はゼロになりました。
現在岐阜県内には百貨店が一軒もないそうです。
名古屋まで30分かからずにでれる岐阜。買い物するならば名古屋にでればよいのです。そのため百貨店を必要としなくなったのでしょう。現在は個人経営の店が多くあるのでしょうか。洋品店 飲食店 衣料品店が軒を連ねるエリアです。よくある地方のアーケード街って感じのところ。

こちらは弥生町パラダイス通りってところ。こちらの通りは先ほどの通りと違いスナックやパブなどが軒を連ねるエリア。いわゆる大人の街、まさにパラダイスです。

弥生町に隣接して小柳町があります。スナックやパブなどが軒を連ねるエリア。

いわゆる大人の街、まさにパラダイスです。

こちらはスタープレイス柳ヶ瀬という商店街。スナックやパブなどが軒を連ねるエリア。いわゆる大人の街。
いわゆる大人の街しかない柳ヶ瀬。
そもそもの街の発展が繊維業隆盛によるもの。
仕事終わりに一杯、取引業者の接待。そういうのに利用されていた街だったのでしょう。キャバクラやスナック、パブがあるのも当然です。
とくにスタープレイス柳ヶ瀬。ここは岐阜で一番の歓楽街になるのでしょう。

スタープレイス柳ヶ瀬、通称 西柳ヶ瀬。
地元民からは「にしやな」と呼ばれる地域で柳ヶ瀬商店街の西側にあります。
看板の背景には星がちりばめられています。名前の由来はわかりませんがここは飲み屋街です。
夜になると光り輝くのでしょう。
まるで夜空に輝く星のように美しいのでしょう。
そんな意味を込めてこの名にしたのでしょうね。
ここはパラダイス要素が強めの街です。
要はキャバクラ街です。いや、もう少し過激なほうでしょうか。かつてはこのあたりにピンサロが複数ありました。
岐阜駅そばに金津園というソープ街がありますが元々金津園は岐阜駅そばにあったのではなく西柳ヶ瀬で遊郭を開設したのが始まりです。
西柳ヶ瀬の遊郭は終戦前に移転させられますが「風俗は滅びぬ何度でも蘇るさ!」という感じで戦後西柳ヶ瀬は風俗街となりました。
おそらく今の金津園があるところは赤線街で西柳ヶ瀬は青線だったのでしょう。売春防止法施行後金津園はソープ街に、西柳ヶ瀬は飲食店らしからぬ飲食店、いわゆるピンサロ街に発展していったようです。
もちろんピンサロだけじゃありません。
居酒屋にスナックにパブ、それにキャバクラ。セクキャバにオッパブ、韓国エステに中華エステ。
後半がほぼ風俗店。
岐阜駅前に東海一でかいソープ街があるのに柳ヶ瀬もほぼ風俗街だったのです。
柳ヶ瀬の中心でムラムラってなったとしても岐阜駅まではちょっと遠い。そのような人向けに飲食店らしからぬ飲食店が柳ヶ瀬にはあったのでしょう。それと値段の高いソープより手軽で安いピンサロ。安くチャチャッと済ませたい人には柳ヶ瀬にあったピンサロが最適だったのでしょう。そんなわけでここには過激な店が多かったのです。10軒以上のピンサロがあったでしょうか。
状況が変わるのは大震災のあった2011年頃。岐阜県内で国体を開催することを受け、岐阜県警が違法風俗店の一斉摘発を行いました。
オリンピックや万博などイベント時に摘発されるのは性風俗店の宿命です。大阪でも万博に向けて松島新地が摘発されました。そもそも大阪にソープがないのは花博が理由です。岐阜にあったソレも浄化作戦で摘発されました。
国体開催に向けて風俗店を3軒摘発。不備のあったキャバクラ店に行政指示をしてます。このようにして西柳ヶ瀬の風俗店は壊滅しました。
いや3軒しか摘発されてないけど!
そう。浄化作戦で店は摘発されましたが、そもそもそれ以前からピンサロは閉店してました。引導を渡したのが国体の摘発だったってだけ。消えるべくして消えたのでしょうね。もう西柳ヶ瀬にはピンサロはありません。

いや、残ってる。
岐阜ではピンサロのことをキャンパブといいます。まぎれもなくこちらはキャンパブ。潰れたのに残ってます。
いや、もしかしたら看板そのままなだけかも。摘発から14年も経ってるのに?
看板はそこまで古くなさそう。こちらのお店がやってるかは確認が必要です。もしかしたら繊維業で栄えた当時を味わえるかも。
そんなことより繊維業者。
仕事終わりに一杯、取引業者の接待。どんな接待してたん?

こちらはキャンパブの隣にある路地「柳ヶ瀬センター」ってところです。ここにも3年前に訪れてます。
ここはかつて私娼窟だったところで以後スナック街になったのでしょうか。現在は廃虚となっています。

以前立ち寄った時より酷い状態になってます。雰囲気の良い路地ですが崩壊寸前の状態です。廃虚ツアーで人気スポットのようですが崩壊具合が危険レベルに達しています。
2023年末に空き家対策特別措置法が改正され管理不全空き家に対し行政指導ができます。ここも行政指導がはいるかもしれませんね。この景色もいつか見れなくなるのでしょう。

3年前に柳ヶ瀬に立ち寄った時は土砂降りでした。そのためアーケードの中を散策しただけでしたがアーケードから脇に延びる路地。むしろこっちの方が西柳ヶ瀬っぽさがあります。
8割がシャッターが閉まっているシャッター街といわれる西柳ヶ瀬。でもそれはアーケードの店を指してるのでしょう。脇にそれるとスナックの看板が結構あります。
かつてはこのスナックに混じってピンサロ店があったんでしょうね。でも摘発で壊滅してしまいました。
そこにあったサロン店。
西川口を源流とした秘儀「NK流の一派」ではなかったのに摘発されたんです。
なんで飲食店なのに摘発されるのでしょう。
飲食店?
なんで健全店なのに摘発されるのでしょう。
健全店?
だって似たような店、どこでもあるじゃん。
警察の匙加減で市民の楽しみを奪う。国家権力が憎いです。

リーマンから後期高齢者まで。
ゆりかごから墓場までみたいなノリ。
地方の高齢化を物語ってます。
摘発以前にすでに衰退していたピンサロ。その理由はこの高齢化なのでしょう。若い人には飲食店でパンツ脱ぐなんて理解されないしいつか消えゆく業態だったのでしょうね。

こちらが柳ヶ瀬商店街の外れです。街の外れにある銅像。こちらの像は岐阜出身の彫刻家・神戸峰男氏作、タイトルは「輝き」です。
夜に輝くネオンが夜空に輝く星と同じ。
スタープレイスという地にふさわしい像です。
下着姿の女性の像。
スタープレイスという地にふさわしい像です。

ここがアーケードの外れですがその先にはまだ気になるお店があります。こちらにはヌード劇場と書かれた看板があります。

まさご座ができたのは終戦後の昭和22年。
元々は芝居小屋として始まったそうです。しかしテレビの普及とともに客足が低迷。その際にストリップへと変更したそうです。
75年以上の歴史があるってすごいですね。東海三県では唯一のストリップ劇場。見た目はキレイだしちょっと気になります。

朝日劇場という成人向けの映画館があります。
ネットで手軽にエッチな動画が見れる時代にあえて劇場で観賞する。
粋ですね。
ちなみにこの劇場の上はビジネスホテルなんです。なんというユーザビリティの高さなんでしょう。
そしてこちらの劇場、ハッテンバなんだとか。
なんというユーザビリティの高さ。

スナック、パブ、キャバクラ、ラウンジ、ガールズバー、クラブ、ホスト、コンカフェ、ストリップ、ポルノ映画、ハッテンバ、ピンサロ。

なんでもありそうな西柳ヶ瀬。なんでもあるからこんな店もあります。こちらはサリサリストア。
ここはマニラか!

フィリピンパブは地方の飲み屋の代名詞。ここ西柳ヶ瀬にも赤と青と白の国旗を目にします。そこで働くキャストはフィリピン人。そのためフィリピン人向けの店があるのですがサリサリストアはレアじゃないでしょうか。この店があるってことはフィリピンパブ、営業してそうです。

でも西柳ヶ瀬は夜の街。日中は営業してない店が多いし客もいません。これでは街の様子もわからない。営業してるか判断するには夜に来るしかないようです。

ってことで夜に来てみました。
時刻は20時少し前。
夜の街がはじまる時間帯ではないでしょうか。
商店街の様子は変わらず静かです。
ほとんどのところがシャッターが閉まっています。この辺りは普通の店舗。そのためこの時間は営業していないのでしょう。営業しているのは薬局と居酒屋くらいです。

キャバクラやラウンジっぽい店がありますが今日はお休みなのでしょうか。

こちらは西柳ヶ瀬です。
人はボチボチ歩いています。一応看板に電気がついているところもあります。

でも無料案内所が閉まっています。案内する店がないってことなのでしょうか。

明かりがついているのはカレー屋くらいです。

パチンコ屋も閉店しちゃってるみたい。
駅が近くないのに駐車場のないぱちんこ店。
地方では営業が難しいのでしょう。ちなみにこのパチンコ店は5年前に閉店してます。5年も前ですが看板は残ったまま。街の新陳代謝がされていない証拠です。

ほとんどの店が閉まっています。
営業していたのは先ほどのカレー屋くらい。
あと営業しているのはカレー屋くらい。
カレー屋しか営業してねぇ!西柳ヶ瀬、南アジア人街。

さて気になっていたキャンパブ屋さん。
なんか営業してそうな雰囲気ですが明るいのはサリサリストアの方。この時間営業してないってことは閉店してるようです。

柳ヶ瀬にあったキャンパブ。
調べたところ2011年に全店閉店してます。つまりこの看板、14年前から放置されたまま。トリチウムの半減期は12年なのに放射性物質以上に放置されたままのキャンパブ。ここは震災当時のままの状態で残ってます。

日本一のシャッター街の名に恥じぬシャッター閉まり具合。
営業しているのはカレー店とカレー店でした。

一応路地に入ると営業してる飲み屋はあります。でも数はかなり限られている感じです。
店が営業してないから客が来ない。
客が来ないから店が営業できない。
少子高齢化で飲みに来る人が少ない。
そもそも人口が少ないので人が来ない。
そして駅から離れているのでアクセスが悪い。
車で飲みに行けば代行を呼ばなきゃならない。
ないない尽くしの結果が今の西柳ヶ瀬なのでしょう。

むしろ東側の方が明かりが灯ってる店が多いです。こちらは弥生町・小柳町界隈です。人通りは少ないものの営業してる店は多いです。

キャバクラっぽいところもあるしフィリピンパブもあります。

こちらは御浪町・美殿町界隈。
通称東柳ヶ瀬と呼ばれる地域です。
御浪町発展街と呼ばれる路地。なんかハッテンできそうな感じ。

東柳ヶ瀬も飲み屋街のようです。
クラブやスナック的な店の看板が目立ちます。西側より東側の方が雰囲気がよさそうな感じ。でも夜の街にしては少し寂しい感じです。感染症によりこうなってしまったのか。それとも以前からこんな感じだったのか。おそらく以前からこんな感じだったんでしょうね。
岐阜市の人口は39万人とのことです。
これ、人口の割に飲み屋街が大きいと思うんです。しかも岐阜駅北口側にも飲み屋街があります。そりゃ客が分散されるでしょう。
とくにアクセスしづらい西柳ヶ瀬。よほど魅力的な店がない限り客は来ません。以前はキャンパブという特殊な飲食店がありましたが、それだけでは客が集まらないのでしょう。ただでさえ飲みに行く人が減っています。私も最近この手の店はあまり行かなくなりました。行ってはいるみたい。
関連記事
在住外国人の5割が中国人の美浜区にあるチャイナタウン「稲毛海岸」

本日は千葉県美浜区に来ております。
こちらはJR京葉線の稲毛海岸駅です。
1986年にできた駅。
稲毛海岸駅は海岸って駅名に入ってある通り比較的海岸そばにある駅です。というより駅がある美浜区は全域が埋立地でかつては浅瀬だったところです。埋立がはじまったのは1950年以降。日本は高度経済成長期で都市人口が増加、千葉市も1950年代の人口は20万人でしたが60年代には50万人近くまで膨れ上がります。そのため宅地開発が急務となりこの辺りにも多くの団地が出来ました。

稲毛海岸の辺りが埋め立てられたのは1964年。1966年には稲毛団地ができます。
その後千葉海浜ニュータウン構想が立案され1970年以降に高洲高浜地区に団地ができます。80年以降には大型商業施設ができ、京葉線開通により稲毛海岸駅が設置されました。
稲毛海岸地区の人口は10000人。
高洲地区の人口は約25000人。
高浜地区の人口は約14000人。

ちなみに美浜区の人口は15万人なので約3割がこの界隈に住んでいるようです。
都心に通いやすいし千葉の中心にも出やすい。
住むのに悪くなさそうです。

築50年を超える建物もありますが新しいマンションもできているようです。

この界隈に建っているのは公団住宅。UR賃貸住宅です。
URのあるところ、外国人あり。
URは保証人不要。保証人を用意できない外国人は便利な賃貸物件です。そんなわけでURがあると外国人割合が高くなります。
千葉市の外国人住民数は41000人もいます。千葉市の人口は約100万人のため外国人割合は4%以上と全国的にも高めです。とくに千葉市の中心の中央区は外国人住民が多く9300人と市全体の22%を占めます。
でも美浜区の方が中心地よりも外国人が多く10400人、25%を占めています。そして美浜区に1万人いる外国人多くが稲毛海岸のこの界隈に住んでるようです。
URは保証人が不要で外国人でも入居しやすい。このように誰でも入居できそうな感じですが、保証人が必要ない分、入居審査は厳格でだれでも入居できるわけではありません。当然収入証明は必要だし預貯金の確認もあります。また外国人の場合は在留資格が永住者や中長期滞在者に限られます。つまり不良外国人のような人が少ないのです。収入があって身元もはっきりしている人。なんだったら日本人より優秀な人なのでしょう。
もちろん文化の違いでトラブルになるかもしれません。でもちゃんと共存できているようです。
このように稲毛海岸の辺りは外国人が多いようですがこの辺りは少し特殊なようです。
美浜区の外国人数は10400人で千葉市トップ。
最近だとベトナム人が増えているのでしょうか。美浜区の外国人の割合で一番多いのが中国人。
中国人はどこにでもいます。どこの自治体でも中国人が割合が一番多いです。でも美浜区の中国人割合は非常に高く外国人の5割以上が中国人のようです。つまり稲毛海岸は千葉にあるリトルチャイナなのです。

こんな感じで標識があります。こちらには日本語と英語と中国語がかかれてます。中国人が団地に多く住んでいるからなのでしょう。

中国人は5000人超えですがベトナム人は1000人程度。中国語よりベトナム語の方が上に書いてあります。ベトナム人に注意喚起しなければならないのでしょう。
ベトナムも分別がされるようになりましたがついこの間まではゴミを分別せずに捨ててました。
ゴミかゴミじゃないか。
ゴミの扱いが自国では適当だったため団地のゴミ問題でトラブルとなるのでしょう。

稲毛海岸駅前にも中華要素があります。
駅前にある中華飯店。東北中華料理のお店のようです。日本語表記もあるけれど中国人向けのような雰囲気がある店構え。

こちらは中国ガールズバーでしょうか。フリガナ振ってないとわかりづらい店名。居酒屋って書いてあるけど居酒屋要素薄め。

ぜんぜん日本人が対象じゃなさそうな感じ。
普通の中華料理じゃ満足できない人のためにこういったお店もちゃんとあるようです。

こちらにはインターナショナルパブがあります。
結構稲毛海岸駅前、怪しい店が多い。
郊外の住宅地の中にある駅だと思ってましたが店があるってことは需要があるのでしょう。やはりここも例に倣い中国人パブなのでしょうか。

日本、フィリピン、ロシア、ルーマニア、コロンビア、ブラジル。
中華要素ゼロ。
そりゃそうです。だってこの店はインターナショナルパブです。中国人から見たインターナショナルパブですから中国人がいるはずありません。その代わりに日本人が含まれているんです。
日本なのに日本人をガイジン扱い。ここがリトルチャイナだという証拠です。

こんな感じで中華要素が強めの稲毛海岸。最深部へ行くとさらに中華が強くなります。こちらは駅から10分くらい歩いたところ。住所は美浜区高洲1丁目。埋め立てられた際に最初にできた団地のそばです。
マイショップ高洲と書かれたアーケード街。
今では稲毛海岸駅から徒歩10分の立地ですが駅ができたのは1986年。それ以前の最寄り駅はJR稲毛駅でした。駅から2kmほど離れていたのです。
また埋め立てられたばかりで周りに商店がない。そのためこのようなアーケード街ができたのでしょう。

自転車店、米屋、青果店に中華料理店。

こちらの店は街中華っぽい感じ。
よくある日本の中華料理屋。

でもこちらの方は中国料理って感じ。
日本向けの感じじゃない。

青果店もなんかイメージと違って中華要素が強め。日本向けの感じがしない。
もともとはこの界隈に住む団地の人たちが買い物をするためのアーケードだったのでしょう。しかし稲毛海岸駅ができ駅前にデパートができる。商店街の役割は徐々になくなり店が閉店し、空き店舗に中国人が入居した感じでしょうか。ここは中華街なのでしょう。

中華街だけど日本人向けじゃない感じ。
麺料理のことを面食とは言いませんからね。ここはこの辺りに住む中国人向けの店のようです。
日本の中華料理屋では見かけない料理のラインナップ。

この界隈には居抜き店舗に中華店が入居してます。薬局やクリーニング屋だったところが中国料理屋になっています。

アーケード街の向かい側。こちらも中華飯店があります。ぜんぜん日本じゃない感じ。右上にひらがなが見えますが日本語の塾でした。

「宝蒂自由空间嗨吧」と書かれた案内板。
何かいてあるか全く読めない。でもなんか感じるものがある。右の挿絵が物語っている。なんか姑娘に会えそうな感じがします。
ここはリトルチャイナ。
中華料理以外にも中国要素があって然るべきです。
当然そういう店があっても問題ありません。でも案内の様子から日本人は受け入れてなさそう。
こんな感じでこの界隈は中国要素が強めです。せっかく中国要素が強めの街にいるんです。本場の中華食べたいですよね!

ってわけでこちらの店に訪れました。
こちらは揚州地方の料理屋さんでしょうか。
揚州は長江の下流部に位置する都市。長江を揚子江と呼ぶのは揚州からきています。上海に近いため上海料理に似ているようです。

麺を選べるシステム。
ここはやはり中国らしく揚州麺を選ぶべき。

こちらが酸辣湯麺。
ふわふわのタマゴに味が染みたしいたけ。酸味と辛味のあるスープとそれに絡み合う麺。
この日本っぽくない味付け。なんか中国に来た感じがして美味しいです。
日本の料理も美味しいけれど、さすがは中華4千年の歴史がある中国料理です。これはリトルチャイナじゃなきゃ出会えない料理です。
日本には中華料理店がどこにでもありますがこういうのは中華街じゃなきゃ食べられません。稲毛海岸の人は気軽に食べられていいですね!
ちなみにこちらのお店、関東に38店舗あるチェーン店でした。ぜんぜんここの中華街関係なかった。
そういえば歌舞伎町で見たことある看板だった。
戦前に中国から渡ってきた人が始めた店なのでこちらの店も中国要素がある店舗です。でも、ここで食べなくても食べられる店。なんかちょっと複雑。
っていうよりそもそも酸辣湯麺って日本で作られた日本式中華料理だった。
東京の赤坂にある中華店が発祥で1970年頃にできた料理なんだとか。
メイドインジャパンの中華。
酸辣湯は中国の料理でごく普通に飲まれてますがそこには麺をいれないんだとか。要は味噌汁に麺をいれて食べてる感じでしょうか。
つまり中国関係ねぇ。
でもそういうのがあるのもリトルチャイナだから。
中国人が多いけれどもここは中国ではなく日本の千葉です。そのためこういった店があるのも当然です。
でもなんか解せない。
せめて中国っぽいの食べたかった。
つまり私は、「これがイタリアの味か。地中海の海風と太陽を浴びた食材を使った料理。この飾らない感じ やっぱりイタリアって感じよね」って言いながらナポリタンを食べてるのと同じ。
サイゼリヤで食レポしてそう。
この付近の中華街の中で一番入りやすそうなところを選んだのですがそりゃ入りやすいです。だって日本人向けの店なんですから。でもまぁ、リトルチャイナ味わえたんじゃないでしょうか。料理はおいしかったです。
本日は美浜区にあるリトルチャイナを巡りました。中華街のような感じではありませんが中華店が複数あるので通う楽しみが出来ました。
関連記事
なぜか特殊なお風呂屋さんがある森鴎外らが愛した高尚な街「文教都市稲毛」

本日は千葉県稲毛区に来ております。こちらは総武本線の稲毛駅です。
千葉駅にも出やすく都心にも通いやすい稲毛区。南側には京成線もあるし少し離れますがさらに南には京葉線もあるんです。
また稲毛区には千葉大学があります。ほかにも大学が複数ある地域で稲毛区は文教都市と呼ばれているそうです。
駅前に風俗店があるかな?って思ったけどどうやらキャバクラすら見当たりません。探せば多少はあるのでしょうが飲み屋街のようなところはなく至って真面目な街。
稲毛駅は真面目な街なんです。
夜遊びができない街なんて存在意義がないじゃん。
やっと自宅最寄り駅に帰ってきたって気持ちが落ち着いたのにご褒美が何もない。せめてマッサージ店くらいあってもいいじゃない。
学生だって抜きたいはずです。
学生だって息抜きしたいはずです。

稲毛区は初めてです。そりゃそうです。
住宅街がある地域だし縁もゆかりもない文教都市。私にとっては詰まんない街。でもせっかく来たんですからちょっと散策します。

稲毛って地名。
古代の官職名「稲置(いなぎ)」が由来みたいですが充てる字、間違ったんじゃないでしょうか。なんか毛が生えてる感じがする地名です。
ちなみに東京には稲城市があります。
稲城市の辺りはもともと稲毛氏の所領だったためそれにちなみ稲毛村の名称にする予定でしたが、その名で申請したところ却下されたんだとか。許可されなかったのは「毛」だったからでしょう。なんかちん毛みたいなかんじじゃないですか。
たぶん稲毛に住んでる人も思ってるはずです。私の住んでるところ「毛」なんだよなぁって。「毛」って字は普段使わないですよね。ちん毛っていうときに使うくらい(いやちん毛なんて普段滅多に使わない)。字面があまり良くないんですよね。

ほらこちらの店なんか毛のようそ無くしちゃってるし。ベトナム人にだって毛の要素を消されてる。

こっちのビールも毛の要素を消されてる。飲食店で毛がはいるとイメージが悪いですからね。どこも毛の要素は消したいのでしょう。
でも室町時代の頃から呼ばれていた稲毛。
変わることはないのでしょう。

こちらは稲毛せんげん通りです。
せんげんの名前の通りこの道を進むと浅間神社に行けます。ここは参道みたいなところでしょうか。
浅間神社の最寄りは京成線の京成稲毛駅ですが駅ができたのは大正時代。総武線の稲毛駅は明治の頃にできているため、かつてはこの道を歩いて行ったのでしょう。浅間神社までは1kmちょっとあります。少し長めの参道です。
かつては商店が軒を連ねていたのでしょう。今はだいぶ静かな街並みとなっています。とはいっても飲食店はあるし飲み屋もあります。

京成稲毛駅のところまで来ました。
浅間神社まではあと200mほどです。鉄道が開通したのは明治大正。それ以前は徒歩移動でこのせんげん通りは房総往還のルート上でした。
船橋から館山までをつなぐ房総往還。千葉は海上交通が盛んでしたが歩いても行けるんです。街道沿いのこの界隈は賑やかだったのでしょう。

今は商店がかなり少なくなっているようです。コンビニが一軒、スナックに床屋、時計店に花屋、寝具店に電器店。個人商店がいくつか残っていますが静かな街並み。
稲毛駅の北側にはイオンがあります。個人商店で買うよりもスーパーの方が便利。そんなわけで客はイオンに取られてるんでしょう。競合店があると個人商店は淘汰されてしまいます。この街も岡田家によってイオン化されています。

こちらが稲毛浅間神社です。
同社の創建は808年。富士山の浅間神社から勧請したのが始まりです。
現在は海まで遠くなっていますがかつては国道14号線の辺りが海岸線だったので東京湾の目の前にあった稲毛浅間神社。
富士山に向かうように本殿が建てられたんだとか。

こちらが浅間神社の社殿です。
現在の社殿は1966年に建てられたものです。
ご祭神は木花咲弥姫命。
女神様なのでご利益は安産祈願や恋愛成就など私には縁もゆかりもないご利益ですが意味なく手を合わせます。

かつて海のそばだった浅間神社。
松林の生えた公園があります。もともとは防風林だったのでしょうが今はキレイな松林となっています。
今は住宅街となっていますが明治初期は県内初の海水浴場ができ稲毛海岸はリゾート地だったそうです。海風が流れ込む稲毛は避暑地としても有名で島崎藤村や森鷗外など 多くの文人が滞在したんだとか。
東京から程よく離れた稲毛は滞在に適していたのでしょうね。
文教都市といわれるようになったのは文人たちが愛した稲毛だったから。稲毛は古くから高尚な街だったようです。
さすがは文教都市稲毛。
私のような低俗な人間が来る場所じゃなかった。でも本日この街に訪れたことで多少は俗っぽさが消えたかな。
かつては高尚な人が集まるところ。文人たちが稲毛海岸に集まっていたのでしょう。
文人たちが執筆に勤しんでいたんですね。

文人たちが好きそうな店。
なぜかこんなところにあるソープランド。
本日の目的地、ここでした。
やっぱり私は低俗な人間だった。
以前からすごい気になっていたんです。千葉の風俗街といえば千葉駅そばの栄町。栄町はソープ街となっています。
でも千葉ってポツポツ店があるんです。
五井、姉崎、船橋、松戸。
住宅街の一角にソープランドがあるんです。そして稲毛海岸のソレも住宅街の中にあります。
といっても街道沿いでここは参道です。かつては人通りも多かったのでしょう。

同店ができたのは1960年代でしょうか。戦後だし売春防止法施行後にできたお店です。でもここにこのような店ができたのは、かつてこの辺りがリゾート地だったからでしょう。リゾート地にそういった店がなければそこはリゾート地じゃないんです。
かつて熱海温泉が人気だったのはソープランドがあったからです。
社員旅行で熱海温泉に行くバブルのころはそういうのが恒例でした。
でも手前に箱根あるじゃない?
手前に湯河原があるじゃない?
それでも熱海に行く理由、秘宝館とストリップとソープがあるからでしょう。保養地やリゾート地にはエロがつきものなんです。
稲毛海岸も明治のころはその手の店が多かったのでしょう。
たぶんストリップ的な店もあったはず。
たぶん秘宝館的な店もあったはず。
たぶんあいまいなお店もあったはず。
そしてこのソープランドはその名残りなんです。
明治の文人は遊郭が好きなんです。ある意味私と同じ星に生まれた人たち。森鴎外も島崎藤村も遊郭に出入りしてたそうです。
稲毛海岸の景色を見て松林が素敵だね、海がきれいだねって言いながら一日を過ごす。
たぶんソレ、一日で飽きる。
ゆっくり休んだあとはたっぷり遊びたいじゃん。でも当時は鉄道もなく吉原までは遠い、栄町にもソープがなかった時代。そんな何もない場所に長期滞在はできません。でも鴎外や藤村が長期滞在できたのはそこに遊郭と似た店があったからなのでしょう。ここは鴎外や藤村が使ったかもしれない店と同じ。
つまり両名と同じ体験をこの店に立ち寄ることで私も文人になれるかもしれないんです。
形は違えど同じ文字を書くのを生業としている私。
やはりこれは聖地巡礼をするべきですよね!
関連記事
各務原自衛隊岐阜基地そばにある米軍の残したエロの遺産「租界那加歓楽街」

本日は岐阜に来ております。
こちらは各務原市役所前駅です。
各務原市は難読地名の一つ。
明らかに「かくむはら」ですよね。ただでさえ分かりづらい地名にもかかわらず読み方もバラバラで、「かがみがはら」「かがみはら」「かかみがはら」「かかみはら」。書き方も各務ヶ原だったり各務原だったり。
市名は各務原(かかみがはら)を採用してますが市内にはいろいろな表記があるようです。初見殺しの難解地名。地名はわかりやすくあるべきです。

こちらは名鉄各務原線の路線図。市は難解地名ですが駅名はわかりやすいです。
市役所の前だから市役所前駅、市民公園前だから市民公園前駅。アクセシビリティが高いです。

市役所駅前の隣駅は六軒駅があります。
この駅名になった由来は駅開設当時、六軒の家があったんだそう(だいぶ雑な名前の駅)。
でも明確ですね。

ちなみに二十軒駅もあるのですがこちらは開設当時に20軒の家があったそうです。
駅名を付けた人のセンスのなさ。
めんどくさくなっちゃった人がつけた駅名。

各務原市役所前駅。
その名の通りこの駅のそばに市役所があります。
こちらが各務原市役所です。
2023年に建てなおしたばかりの新しい庁舎。各務原の中心みたいなところでしょうか。
人口14万人の各務原市。名古屋や岐阜に出やすい立地のため人口は多く岐阜市、大垣市に次いで三番目なんだとか。
各務原って何か名物あるんでしたっけ?
各務原の名産は人参で年間生産量は4000トンもあるんだとか。岐阜県全体の生産量は5340トンなのでほとんどが各務原で生産されています。これは凄いですね。
ちなみに1位の北海道の生産量は20万トン(5分の1だった)。
そして岐阜の隣りの愛知は2.1万トン。
名産というわりには愛知の方が生産量が多い!
ほかにも名産品がありキムチが有名のようです。
各務原に在日朝鮮韓国人が多いのかな?
それともキムチの起源を主張するやつかな?
と思ったんですがどうやら町おこしの一環なんだとか。
2003年に冬のソナタが流行ったことをきっかけに各務原市は韓国の春川市と姉妹都市を提携。それのイベントでキムチを作り学び 名産品にしました。各務原キムチは名産のニンジンを使うこと。
やっぱ名産品はニンジンだった。
各務原キムチが出来てから20年しか経っておらず各務原市とキムチは一切関係ないけど、このようにして町おこしをしているのです。それもこれも各務原には名産品が少ないんです。そもそも各務原は農業や商業都市ではなく工業都市なんです。

岐阜は空港がない県といわれてます。でも各務原は飛行場があります。こちらは飛行場通りって名前の道です。
この道を南へ下ると自衛隊の基地があります。そう。各務原にある飛行場は自衛隊の基地です。

こちらが航空自衛隊の岐阜基地です。
各務原にある飛行場は現存する飛行場の中で最も古く1917年に開設されています。
大正時代に各務原陸軍飛行場として開設。戦後アメリカに接収されるも現在は航空自衛隊の基地として利用されています。
各務原が工業地帯なのは自衛隊駐屯地があるから。航空機材製造のプラントが市内に多くあります。
名物になりそうな駐屯地がありますがさすがに自衛隊饅頭はつくれないのでしょう。試行錯誤して出した答えが各務原キムチでした(各務原、ぜんぜん関係ないけど)。
ちなみに飛行機餅ってのはあるそうです(あるんだ)。

各務原市那加官有地、無番地。航空自衛隊岐阜基地。
陸上自衛隊と航空自衛隊が駐屯する基地です。
基地の大きさは各務原市の約5%を占めるようです。田舎の長閑な景色とは違い物々しい雰囲気。
1958年から自衛隊基地として利用されていますが戦後は一時アメリカ軍が駐留していました。
米軍基地「キャンプ岐阜」、通称那加基地。
1945年8月 日本は第二次世界大戦で敗戦し連合国軍の占領下に置かれることになりました。各務原飛行場は1945年10月に米軍に接収、終戦から13年間、アメリカ軍が居座る形になります。
1950年にはじまった朝鮮戦争。キャンプ岐阜は前線への補給地となり多くの米軍兵士が駐留しました。
ここに駐屯していた兵士は8000人ほど。1940年の那加地区の人口は13000人なので外国人兵士とはいえ一気に人口が増えたわけです。キャンプ地ができたことで街が潤ったのでしょう。
街の看板はアメリカ軍兵士向けに英字に書き換えられキャンプ地の近くには飲み屋街が形成されました。
キャバレーやビアホールがありアメリカ軍兵士が街に溢れたそうです。
「租界NAKA」と呼ばれ、ここは、アメリカでした。

こちらはJR高山本線の那加駅です。
1920年に開業した那加駅。近くに1926年に開業した新那加駅があります。地方によくある寂れた雰囲気のある無人駅ですがかつてはこの辺りが中心地だったそうです。

こちらの町名は那加楽天地町です。
陸軍飛行場そばにある街の中心地。
陸軍いるところ、接客サービスの店あり。
この界隈は料亭街だったそうです。
現在はそのような店はほとんどなくなり、あるのはフィリピンパブくらい(フィリピンパブは現代版の料亭みたいな言い方)。

看板にはフィリピンパブとは書かれていませんがマラテはマニラにある歓楽街です。その名を店名に冠してるってことはここはフィリピンパブなのでしょう。しかも二号店なのでここはほぼリトルマニラ。
各務原、フィリピン要素が強め。
この手の店はあるのはかつて料亭街だったから。でも戦後に飛行場がアメリカ軍に接収されると、この界隈はアメリカ軍兵士が集まるようになります。
現在は残っていませんがかつては新那加駅より三柿野駅を介して基地内に路線があったそうです。物資や人を輸送するための専用路線だったようで降りた先はここ那加駅でした。「遊びに行くぜ」ってなるとここにきてたのでしょう
料亭街だった街はアメリカ軍兵士向けの私娼窟となったようです。

敗戦国の女性は戦利品。
負けた相手国にはなにをしてもよい。
これは古代から21世紀の現在まで変わらず、戦争が終われば平和が訪れるのではなく凌辱がはじまるのです。
占領地で強姦があるのはいつの時代も同じで日本も敗戦後に強姦事件が多発していました。いや、事件にすらなっていないのでしょう。性犯罪が起きてもそれを咎められなかったのです。
そのため日本政府は戦後すぐに進駐軍兵士による性犯罪を防ぐ目的で進駐軍向けの慰安所を設置することにしました。
慰安所は都内に25カ所も設置され、当然岐阜にも慰安所が用意されました。
現代でも風俗嬢を集めるには怪しいキャッチ集団の紹介か宣伝トラックで求人広告を出す形になります。働き手を見つけるのが難しい業種。でも岐阜はすぐに慰安婦を集められました。
那加駅から西に3kmほど離れたところに手力町という街があるのですが、そこには岐阜駅南口にあるソープ街「金津園」の前身である手力特殊飲食店街がありました。
つまりすぐにでも始められる人たちがいたのです。手力の私娼らが慰安婦を勤めたんだとか。
慰安所が出来れば性犯罪も軽減できる。
彼女らは日本女性の防波堤となったのです。
しかし性風俗と切っても切れないのが性感染症。すでにペニシリンは開発されていましたがそれでも年間17万人以上の患者がいたそうです。
ちなみに現代でも毎年1万人の患者がいるそうでその患者の4割が性風俗従事者なんだとか。それは昔も同じで性病にかかりやすいのは娼婦でした。
私娼窟は性感染症が蔓延していたそうで娼婦の半数が梅毒や淋病でした。当然それを利用すれば兵士も性感染症となります。どんどん被害が広がる一方だったためGHQは特殊慰安所を閉鎖されました。
日本の防波堤だいぶ脆かった。
これで性病蔓延は阻止できるみんなハッピー!とはならず性欲に飢えたアメリカ軍兵士が街にあふれ出たそうです(ほぼゾンビ映画のよう)。
また特殊慰安所で働いていた娼婦は街娼となり街に溢れ出ました。要は公娼から私娼に変わっただけでした。那加はそういう街だったそうです。
でもそんなことがあったのは今から70年前の話。今はもう米軍は撤退しており自衛隊の基地です。そんな怪しい街が残ってるはずありません。

いやちょっと残ってる。
航空自衛隊岐阜基地の最寄り、那加バイパスと市役所通りの交差点のところ、スナックが軒を連ねてあります。
おそらく普通のスナック。
おそらく普通のガールズバー。
おそらく普通のナイトラウンジ。
おそらく普通の飲み屋街です。
怪しい街だったのは70年以上前の話。
数年前まではキャンパブがありましたがもうここにはそのような店はないのです。
数年前までまだ怪しかった!
平和を仕事にする自衛官がいるところ、その自衛官をさらに平和にしてくれるスポット。飯食う店もありますが多くは飲み屋さん。
かつてはキャバレーがあったようですがその名残りが今のスナック街なのでしょう。でも私娼がいるような街ではないようです。

おっと韓国エステもある。
飲み屋街にある韓国エステ、果たしてどんなところでしょう。
各務原の名産品、各務原キムチとコリアンアガシ。

新しい風の時代?風俗のことかな??

古い看板もありますが新しい看板も見かけます。つまり現役の飲み屋街です。
ここは岐阜の地方駅の近くですが駅のそばには自衛隊駐屯地と市役所がある。ここは公務員の福利厚生施設。
令和最新版の租界NAKA。

ワンセット60分2000円は結構安いですね。
一般的な料金はワンセット6000円くらい。
都内のキャバクラだともう少し高いでしょうか。
早い時間帯ではありますが良心的な値段設定です。インフレ物価高で悩まされている昨今、公務員の懐事情まで考慮してくれてます。

ここの飲み屋街はフィリピン要素の店があります。
やっぱりフィリピンだった。

フィリピンパブが増えたのは2000年前半まで。2005年に興行ビザの規定が変更され衰退しました。これらは歴史あるパブかもしれません。
自衛隊基地前にあるフィリピンパブ。
これは南シナ海の安全が守られてそうな感じ。

スナック街を一通り見ましたが風俗店っぽい店はなさそうです。
かつては数軒のキャンパブがあったようですが自衛官のキャンパブ通いは不適切だったのか。それともキャンパブじゃ満足できなかったのか。
さすがに基地前にあるのは問題だったのでしょう。すべて壊滅したようです。
そもそも各務原市は岐阜市に隣接する都市で岐阜中心地まで10kmも離れていません。多くの自衛隊員は金津園に行くのでしょうね。
もうこれは金津園は国防の要。日本の防衛を間接的に担ってる!
関連記事
名古屋駅東側のお遊びスポット!飲み屋に市場に熟女がいる街「名駅歓楽街」

本日は名古屋に来ております。
こちらは笹島交差点角にある商業ビル「スパイラルタワー」です。
2008年に開業した36階建ての高層ビル。

このビルのように名古屋の駅前は高層ビルが多くあります。大都会、名古屋ですね。
現在の名古屋駅は1937年に建てられましたがもともとと笹島交差点近くに駅が開設されました。
名古屋の中心地は堀川を渡った先の錦や栄。現在もそちら側が中心地ですが駅前は本当に何もないところだったのでしょう。

笹島交差点より東に延びる道、こちらは広小路通です。
名古屋の中心地に行けるよう納屋橋から名古屋駅まで道を拡張延伸し市電を走らせたのがこの広小路通です。
かつては人気のあるスポットだったようで広小路には鉄道開業から高度経済成長期まで多くの屋台が軒を連ねていたそうです。この道を栄まで歩くのが流行っていたんだとか。

高度経済成長期には多くの人が往来した広小路通。そんなところにあるキャバレー花園。
花園あるところ、歓楽街!
でも見た目はこんなですが昔ながらの普通のキャバレー、名古屋を代表するキャバレーです。
この界隈はサラリーマンが仕事終わりに飲みに来るエリア。名古屋駅の西口側は飲み屋街となっていますが東口側も飲み屋がけっこうあるようです。

広小路通りの一本北側にある錦通り、こちらには駅前横丁と書かれたビルがあります。
名古屋駅から徒歩10分。駅前と呼ぶには少し遠いですが一応駅前。横丁って名前ですがビルとなっています。
消防法の関係で昔のような細路地の横丁は作れませんがモール化した飲み屋街であれば作れます。昭和な雰囲気だけど消防設備も整ってる。雰囲気がよさそうです。

スナックのような店はなく居酒屋やご飯屋さん。さすがに女性が接客する店はここになさそうです。普通の飲み屋さんが多くある地域です。

でもちゃんとキャバクラもあります。
先ほどのは飲み屋横丁でしたがこちらは風俗営業1号もしくは2号営業横丁。
コスプレ、バー、キャバクラ、ラウンジ。
ここは選択肢があって楽しそうなキャバクラビル。酒飲んだあとはどんな奴でもすること同じです。さっきの横丁からこっちの横丁にハシゴするんですね。わかります。

こちらは熟女キャバクラです。
美しく酒で乱れる。
ドイツのタイヤメーカーをほうふつとさせる店名。
こちらは30~40代の熟女がいるそうです。
関東にも多くある熟女キャバクラ。でも西に行くほど増えるんだとか。
関東は若い人を好み関西は年配を好む、西高東低の配置になっているそうです。
中間に位置する名古屋は若いの人でも良いし年配でもよい。名古屋人、穴があいてりゃ誰でもいいみたい。

こちらはコンセプトラウンジです。
2020年以降、日本では宅飲みが増えました。外で飲むよりも宅飲みのほうが安く済む。帰りのことを気にしなくてよいしゆっくり飲める。そんなわけで感染症が明けたあともそのまま宅飲みを続ける人が多いようです。
感染症が明けたのに客が戻ってこない。
「これは、宅飲みのせいだ!」ってことで考え出したのがこの店(適当)。
家に帰らずとも職場そばで宅飲みができる。出張時、ホームシックになっても安心。
まるで家にいるかのように飲める。
そしてなぜか家に知らない女性がいる。
そんな設定があるコンセプトラウンジ。
これはよさげです。

こちらは飲食店でしょうか。
これはサラリーマンの憩いの場。穴が開いてりゃ誰でもいいの真骨頂。一応飲食店のはずです。

あなたの選べる二人だけの空間。飲食要素ゼロ!
でもキャンパブってピンサロ、つまり届出上は飲食店のはずです。

こちらにサービス内容が書いてあります。
キャンパブがどんなシステムの店かわからなくなった。

こちらは柳橋中央市場です。
公設ではなく私設の市場でもともと笹島交差点に青空市場があったのを1910年に市場としてまとめて市場にしました。4000坪の中に300軒ほどの店舗があります。
アーチの絵の通り青果と鮮魚が主のようですが食肉やら乾物、総菜や調理器具まで売ってます。また食事を提供している店もあります。
私設の場外市場なので一般客も利用できる。名古屋駅から近いので観光客にも人気の市場で休日はかなりの人だかりになるそうです。
三河湾や伊勢湾で獲れた魚をここでは味わえます。そりゃみんなここに立ち寄るのでしょう。やはりお寿司やおさしみを食べるのでしょうね。名古屋に来たら名古屋にしかない地物。食べたいですよね!

ほらアーチをくぐった先、鮮魚店があります。
これは吉祥寺発祥の店!
まぁ安いですからね。普段使いするならチェーン店の方がよいし、こちらの店は外国人向けかもしれません。
大阪や京都、東京に比べて知名度が低い名古屋ですがそれでもセントレア国際空港があり、中国や韓国、東南アジアから多くの観光客が来ます。柳橋中央市場にも多くの外国人が来るのでしょう。

市場内には美味しそうな定食屋があります。でも値段は観光地価格。金銭的余裕があればここでランチにしたいですが、ここはグッとガマンです。

市場内、こちらにはパチンコ店がありますが以前は柳橋中央水産ビルっていう水産市場でした。コロナ前に来たときはここの駐車場に停めました。どうやら建て替えてパチンコ屋になったようです。
1965年に建てられた柳橋中央水産ビル。多くの水産加工業者が入居し活気がありました。ここは名古屋駅前の魚市場でした。それなりに同施設利用者はいたと思いますが築50年以上が経過し建物は老朽化していました。耐震性の問題があり建て直しが必要でしたが建て直さずに土地を売却したそうです。入居していた店舗は移転したか廃業したか。街の様子はだいぶ変わったようですね。

市場の近くに柳橋駅を作る予定もありましたがその話も頓挫したそうです。市場が縮小してしまったためここはどんどんさみしくなるかもしれません。

こんな感じで名駅の南側は飲食店が多いエリア。
キャンパブとかあるし。飲食店?
あと熟女キャバクラもあるし。飲食店?
飲み屋が多い街ですが鉄道が敷設される以前は静かな場所でした。

こちらに史跡の案内看板があります。ここに坪内逍遥少年時代住居跡があったそうです。
坪内逍遥は近代小説の基礎を作った人。私には縁もゆかりもないはじめましての人です。でも日本にとって重要人物だったのでしょう。そんな人が住んでいたところのようです。
坪内逍遥の生まれは岐阜県美濃加茂市でしたが明治になり名古屋へ転居。10代の多感な時期をここで過ごしたそうです。父親は尾張藩士の武士だったため裕福でした。文学に興味を持ち貸本屋で本を読み漁る少年時代。それにより文学の才能が華ひらいたのでしょう。ある意味この場所は近代日本文学の生誕地です。

そんなところにある熟女キャバクラ。
やっぱ熟女キャバクラが多め。
名古屋は西高東低の「西寄り」だった。

この手の店って若いキャストを集められないから熟女路線で行ってると思ってましたがそれなりに需要があるのでしょう。名古屋市内には熟女が溢れてます。
若くてみずみずしい女の子よりも妖艶な空気をまとった女性が望ましい。
また若いと経験不足目につきますが年を重ねていれば相応の技術があります。
同じサービスを受けるなら質の良い方を。
そんなわけで熟女が好まれるのでしょう。
あと熟女だと、持ち帰りができる可能性だってあるじゃない!
ちなみに坪内逍遥の奥さんは根津遊廓の娼妓です。東大に通っていた際、遊郭にも通ってたそうです。
情事色ごとにうつつをぬかすクソ野郎。
そこで熱烈なアプローチをし、結婚に至ったんだとか。
逍遥、持ち帰ってた!
本日は名駅東口の北側を散策しました。
現在名古屋駅前はリニア新幹線の工事中です。旧来あった建物は壊され新しく作り変えてます。

リニア開通は2034年以降のようです。リニアが出来れば新しい別の名古屋が楽しめそう。
飲み屋、市場、熟女、ピンサロ。東口は夜遊びが楽しめそうなところ。
いつもは名古屋駅西口で遊んでいましたが東口を巡ったことで選択肢が一軒増えました。
増えたのキャンパブだけだった。
関連記事
まさに穴場!(意味深)志賀本通駅そばにあった赤線街「名古屋城東園」

本日は名古屋に来ております。
こちらは市営地下鉄名城線の志賀本通駅です。
1971年にできた志賀本通駅。
志賀本通駅は栄まで乗り換えなしで10分、名古屋駅までは17分で行ける立地。かなり使い勝手の良い駅のようです。
隣駅は利用者の多い黒川駅と名城線と上飯田線が乗り入れる平安通駅。二つの駅に挟まれているため利用者が少なく印象の薄い駅なんだとか。利用するのは地元の住民くらいなのでしょう。中心地にアクセスしやすい志賀本通駅ですが地元の人しか利用しないので混雑しない。地元民しか利用しない駅のため混雑しない。そのため逆に穴場のようなところです。

目の前を走るのは名古屋市道名古屋環状線です。
志賀本通じゃないんだ。
大通りに面した駅ですが駅前には店が少ないです。駅を降りたところはマンションだらけ。住宅密集エリアといったところのようです。
そりゃ駅利用者も地元の人の限られるし印象が薄い駅と言われるのもうなづけます。

めちゃくちゃ印象的な駅前。
地元の人以外も利用してそう。
学園って書いてあるからこれは教育機関かな?
性教育しかしてくれない学校。
地元の人しか利用しない駅。逆に穴場(意味深)。

駅前には風俗店があるのは当たり前。なぜなら多くの人が利用するからです。
でも駅前風俗って歓楽街の中にあるじゃない。居酒屋があって飲み屋があってスナックがあってそこに風俗がある。飲んだ後にお遊びするところなんです。でも志賀本通駅前、風俗店しかないんです。
もうこれは風俗のために用意された駅!
本日はこの店に来たわけじゃありません。
志賀本通に来たのはかつて遊郭があったからです。それを散策しにここまで来ました。
でももうその遊郭の姿は消えてなくなりました。
いや駅前に残ってるけど...。
たぶん遊郭とは関係ないお店です。
遊郭は駅から少し離れた場所にあります。
じゃあなんで駅前にあるの?

それは志賀本通駅の住む人たちの民意なんでしょう。求めた結果が学園モノです。
これはいけない課外授業の決定版。
遊郭があったのは志賀本通駅の南側、
駅から歩いて10分くらいのところです。これから向かうのは城東園ってところです。
城東園は厳密に言えば遊郭ではなく私娼窟でした。カフェーがある特殊飲食店街だったようで遊郭に関する情報が残ってません。でも普通に営業できてたってことはある意味、公に認められていたのでしょう。
城東園と呼ばれるようになったのは戦後。
戦後の名古屋市内には名楽園、八幡園、城東園、港陽園の四つの色街がありました。
名楽園は現在の中村大門のこと。
八幡園は尾頭橋にあった花街のなれの果て。
港陽園は稲永遊郭のこと。
そして今向かっている城東園。
これらは戦後赤線街として営業が続けられました。これらの赤線街の現在の姿は、名楽園は名古屋で一番のソープ街になりました。八幡園は住宅街に変わりました(近くにソープあり)。港陽園はラブホテルが残ってる程度でしょうか。
なんか、結構当時の爪痕が残ってた。
遊郭や赤線街の多くが住宅街になるもんですが名古屋にあったそれらの街は比較的残ってます。

こちらが赤線街だった杉栄町です。
この大通りを中心に怪しい店が軒を連ねてたそうです。
もともとは城東園は別の場所にあったそうです。城東園の元となった色街ができたのは昭和初期。平安通駅そばの下飯田町にありました。
大曽根駅から少し離れたところにできた色街。
でも大曽根には三菱の名古屋製作所がありました。工員が通ったんでしょうね。
終戦1年前の1944年には市電も通りました。
しかし1945年5月14日。名古屋大空襲により町が壊滅してしまいました。
でも、色街は滅びぬ、なんどでも蘇るさって感じで北区杉栄町に色街を移転しました。
公娼制度は廃止され遊郭は赤線に変わりましたが、遊郭でもない杉栄町にあった色街もしらっと赤線街へ。売春防止法施行まで赤線街「城東園」として続きます。
名古屋には名楽園、八幡園、城東園、港陽園がありますが城東園以外の3つは名古屋の南側なんです。城東園は名古屋北側のオアシスだったのでしょう。人気スポットだったようです。
ただそんなオアシススポットも1958年まで。売春防止法施行により赤線は廃業となりました。
赤線廃業後は旅館に転業した店が多かったようですが当時の最寄り駅だった大曽根から城東園は離れており、杉栄町は市電も走っていなかった地域。エロであれば来たけど旅館やバーでは客は来ない。そんなわけでその後は衰退したそうです。今は普通の住宅街です。
大曽根駅まではちょっと遠いですが志賀本通駅であればそこまで離れてない。志賀本通駅ができたのは赤線廃止から13年後の1971年。もう少し早く駅が出来ていればここも風俗街になっていたのかもしれませんね。
今では普通の住宅街になって...、

なかった。ソープあった。
名古屋によくあるポツンと風俗店ですがそこら辺にある風俗店とは出自が違います。その辺にあるのは1990年代にできた風俗店。でもここの店は戦後から続く赤線の名残りです。赤線廃業後にこのスタイルとなったのでしょう。
名楽園、八幡園、城東園、港陽園の4名園。
名園と呼ばれてたところ、まだ名園だった。
でも城東園の名残りはここ一軒だけ。ほかは普通の住居に変わってしまったようです。つまりポツンと一軒ソープの状態です。
ほとんどマンションに変わってしまいましたが戦後にできた赤線街。そのため当時の建物が残っているようです。

マンションに挟まれてある古い建物。屋号が残った建物があります。こちらもかつて飲食店だったのでしょう。大通り沿いの店舗なので人気店だったはず。赤線閉鎖後は普通の飲食店へ。今はもう営業してなさそうな感じです。

こちらは旅館でしょうか。
ありました。こちらは赤線の名残りなのでしょう。かつては旅館が軒を連ねていたのでしょうか。今はその様子はなく一軒だけ看板が残ってるだけ。
駅から離れているし観光地でもない。唯一赤線の名残りが一軒だけ残ってますが滞在時間は長くて120分。宿に泊まって登楼する人はいないのでここで旅館業をするのは楽じゃないのでしょう。
旅館の看板は残っていますがすでに閉業してしまったようです。

この通りは大通りの一本となりの路地です。
車が一台通れる程度の狭い路地。この通り沿いも赤線地区だったのでしょう。赤線を彷彿とさせる建物が残っています。

住宅街の中にスナックがあります。比較的新しそうですが赤線街だったとことにあるスナック。歴史を感じます。

こちらは城東園から少し離れたところにある割烹です。ここは80年以上続く老舗割烹ですが先日閉店してしまったようです。歴史あるお店だったんですね。

ちなみ戦前は旅館業を営んでいたそうです。
城東園は色街でしたが付近には花街もありました。今でいえば風俗街そばにキャバクラ街がある感じです。
水商売と風商売、二つは似て非なる業種です。
でも花街にある旅館。今でいえばキャバクラ街にあるモーテルです。マクラ、当時からあったんでしょうね。
二つの業種、ほぼ似てた。
本日は城東園跡地を巡りました。
城東園の名残り、まだありましたね。店の外観はキレイなのでまだ生き残りそうです。
地元民しか利用しない志賀本通駅。まさに穴場です!
関連記事
名古屋にある銀座と呼べない公序良俗に反しそうな歓楽街「錦三歓楽街」

本日は名古屋に来ております。
こちらは名古屋市中区の錦三丁目です。錦三と呼べばよいのでしょうか。
錦三はキャバクラやラウンジなどがある歓楽街。
名古屋で一番栄えているところで東海地方で一番の歓楽街です。
名古屋の中心にある歓楽街「錦三丁目」。およそ500軒の飲み屋が軒を連ねるエリア。
伏見や栄にはオフィスが多くあるので仕事終わりや接待でこの街に訪れるのでしょう。高級クラブがあるため銀座のようなところ。まさに夜の街といったところです。
このように錦は歓楽街となっていますがその歴史は大分古く、17世紀の頃までさかのぼります。
1617年に清州から名古屋へ都市移転した清州越し。その際にこのあたりは町人の街として発展します。商売人のいるところはその手の店ができるもので錦三丁目内にあった蒲焼町は遊里だったんだとか。遊里だったのは1730年、ときは8代将軍徳川吉宗の時代。
享保の改革により質素倹約が徹底されていたため江戸吉原にあった遊郭は次々と閉店したそうです。

尾張徳川家7代藩主徳川宗春は、幕府とは反対の倹約政策の規制緩和に舵を取り吉原の遊郭を名古屋に引き込みこの界隈に遊廓が設置したそうです。これにより尾張の街は賑わったんだとか。
まさに夢の楽園を宗春は作ろうとしていました。
そもそも宗春は頻繁に吉原に通っていたんだとか。
遊郭行きたいけど尾張から江戸はちょっと遠い。
じゃあ、作ればいいんじゃね!
って感じで規制緩和に乗り出したそうです。
個人的な理由で巻き込まれた尾張市民。でも町人はかなり潤ったんだとか。

こちらには浄瑠璃が行われていた跡があります。浄瑠璃って触れる機会も無いし詳しくないですが和製版オペラって認識でよいのでしょうか。
演目の内容は遊女絡みの色恋話。
遊女にほれ込み夫婦の契りを交わした畳屋喜八。しかし周りからは婚姻を反対されます。当時は個人の意思で一緒になれなかった時代。そのため二人は心中をしたのですが失敗します。
心中は死罪もしくは身分刑となるはずですが徳川宗春は罪人を処分しない政策だったためその後夫婦となりめでたしめでたしって内容。
いつの時代もこの手の話は尽きないようです。
その当時の情景が描かれている演目。
宗春の政策は相当画期的だったのでしょう。江戸、京、大坂と比べてかなり賑わったそうです。しかし何でもありの規制緩和をすれば良からぬ輩もあつまるもんで当然治安も悪くなっていくのでした。結果的に風紀が乱れたことで遊郭新設が禁止され1738年には遊女屋廃止が命じられました。これにより遊郭はなくなりました。

こちらは広小路沿いにある朝日神社です。
1611年に清州からこちらに移築したそうです。
ご祭神は天照大神、天児屋命。
境内には稲荷神社などもまつられており様々なごりやくがありそうな神社です。
周りはビルに囲まれた異質な空間。かつてはこの目の前が歓楽街だったのでしょう。多くの人が行き交っていたのでしょうね。
たった数年で消えた名古屋中心にあった遊郭。300年前の歓楽街は短い命でしたがそれは形を変えて今でも生き残っているようです。徳川宗春が描いた夢の楽園はどんなところだったのでしょうか。

錦三丁目はキャバクラ街。
500軒以上の飲み屋があるのでスナックビルが複数あります。

飲み屋街にある黒と白の看板。統一感があって美しいです。シックな雰囲気を出していますが中で行われていることは俗なお遊び。これだけスナックがあってことは飲みに来る人も多いんでしょうね。

姉キャバ。やっぱり熟女が多めの名古屋。
いや、熟女ではなく姉です。
まだ熟していない年ごろ。
あのころの日本を取り戻せって書いてあります。あの頃とはバブル時期でしょうか。
ジュリアナ東京を彷彿とさせる店名。でもジュリアナは1991年創業。つまりバブル崩壊後なんですよね。当時25歳だったジュリアナ世代。現在の年齢は59歳です。
ババキャバじゃねーか!

こちらには無料案内所の看板があります。
仕事紹介、ホスト、キャバ、ソープ、風俗、デリ。
まさに歌舞伎町のラインナップです。ホストは女子大小路のほうが多くありそうですが、名古屋らしくごちゃ混ぜになっているようです。そしてソープと風俗も案内しています。
錦三丁目は高級クラブが軒を連ねるエリアではなく、低俗なお店も軒を連ねてるんです。

キャストの年齢層が高そうなお店。そしてド級のMがいるみたい。
この手の業種はソフトやハードがありますがド級ってことはハード系SMなのでしょう。ソフトとハードの境界線がわかりませんが、ロウソク責めや緊縛プレイはSMの王道って考えると目隠しや言葉責めはソフトプレイなのでしょう。ハードだと「黄金」なるのでしょうか。なかには針で刺すプレイなんてのもあるんだとか。
王道すら躊躇する私はその域まで達してませんが鍛錬を積み重ねればその高みへいけるのでしょう。ここに来る客とキャストはその高みに達した人。
なんてったってド級なMがいる店ですからね。
黄金プレイも可能なのでしょう。

ドMな奥様の隣りホテルがライバルと書かれた簡易宿泊所があります。レンタルルームってなってるのでホテヘルで利用できるのでしょうか。
持込みOKって言葉が意味深です。
飲み屋が多い錦です。
持ち込む人がいるんでしょうね。

けっこうこのビル、色々と情報が詰まっています。さっきハード系SMだったのにこちらはソフト。
錦ってあまり遊びに来たことがないんです。
行ったとしても決まった店だったので街を歩き回ってませんでした。あまり行かなかったのは高級っぽそうだから。
イメージは銀座。
座って10万、20万は当たり前の世界。
そんなところに遊びに行けるわけないじゃない。だから名古屋の夜遊びは名駅西側だったんです。でもよく見ると低級っぽそうな店が多め。なんだったらそっちの方が目立つんです。

錦にある多くの風俗店がヘルスと呼ばれるところ。
名古屋は1990年代にヘルスが乱立したそうですがその名残りが今もまだ残っているようです。ただ昔と違うのは系列店が多いようです。
錦にある店の多くが他の地域にもあるグループ店。吸収合併が繰り返され集約されてたのでしょう。同じような名前のお店をよく見かけます。

こちらの逆セーラーも他の地域で見かけました。大手と呼ばれるところがやってるのでしょうか。
既得権で成り立ってるとはいえ規制の厳しい業界。片手間でできる業種ではなく商才が必要なのでしょう。これまで培ってきた知識を使い洗練されたサービスを提供する。簡単なことではありません。

こちらは逆バニー。
これは洗練されすぎたなれの果て。
名古屋人、逆が好きみたい!

全裸コスプレという新しい言葉。もうそれ、コスプレじゃなく全裸じゃん。

先ほどの店はドMでしたがこちらは甘サドの店。
こちらはうんち食べさせてくれない店。うんち食べさせてくれないライトな店。
例えどんな特殊な性癖でもどこかが受け入れてくれる。名古屋は多様な性嗜好にも対応してるようです。

風俗店があっちこっちにある名古屋。まだこんな感じで店舗型の店が残ってます。
歌舞伎町と似たような感じでしょうか。
アジア最大の歓楽街「歌舞伎町」。
歌舞伎町にも似たような店がありますが店舗型はかなり減りました。
現在歌舞伎町内にある店舗型は15軒くらい。
結構残ってた。
でもだいぶ減ったのではないでしょうか。
むかしはもっと怪しい店があった気がします。
ちなみに錦は20軒以上。
アジア最大の歓楽街をゆうに抜いた歓楽街錦。
本来風俗店は淘汰される存在です。
公序良俗に反しそうな店はこの世から消えて欲しい。
子供の教育に良くない、街の景観が損なわれる。
誰しもがこのように考え消えるべきと思ってます。
でも規制しすぎるとエロい大人が黙ってないのでデリバリータイプにシフトであれば受け入れる。このようにして表舞台から風俗を消したのです。これは日本だけでなく全世界で起きてる事象です。
インターネットが発達した現代。
わざわざ店に出向く必要なんてないじゃない。
ネットで選べばいいじゃない。
そうすればみんなハッピーじゃない。
わかってない。なにもわかってない。
ぜんぜんハッピーじゃない。
店舗型が不要?
店舗型こそ風俗の醍醐味なんです。
キレイな看板を掲げるも古い建物の性風俗店。
換気扇から匂うグリンスとイソジンの香り。
明らかにカタギじゃない丁寧な口調の黒服。
戦がはじまる前の静けさがある待合室。
写真から選ぶからチェンジが許されないシステム。
24歳は無理あるだろってくらいの40代の嬢。
渡されても困る出勤日がかかれた名刺。
これらは店舗型でしか味わえません。
デリバリーでいいんじゃないって言ってる人はディズニーはVRで見ればいいじゃんって言ってるようなもの。そんなのつまんないじゃん。
歌舞伎町がつまらなくなったのはユーザー目線に立たなかったからです。では錦三丁目はどうかというとユーザー目線に立ってる感じです。飲んだ勢いで行く風俗店。
都内じゃ飲み屋街と風俗街が分かれてますが、名古屋はごちゃ混ぜ感が強め。飲み屋の隣りが風俗店なんです。飲んだ後にそのまま隣りの風俗へ行けるんです。ユーザビリティがかなり高めです。
まさに夜の街 錦三です。
錦、ずっと避けていたけどなんかいいかも。
キャバクラ街ではあるけれどキャバクラ要素だけじゃない錦三丁目。でも錦の楽しさは夜なんですよね。まだ午前中なので夜になるのはだいぶ先です。名古屋には所用で訪れていてこの後忙しいのです。

夜に錦三丁目です。
夜の街へは夜に行く、これ常識。日が傾きだしたころ。蝶が舞うにはまだ早い時間帯。あと一時間くらいで飲み屋が空きだすでしょうか。でもこのネオン看板の感じ素敵です。

夜になると怪しい店が分かりやすくなります。
いわゆる高級クラブもあればキャバクラもある。あとはガールズバーのスナック。それに最近増えているコンカフェ。ちょっとコンセプトが強めの店も結構あります。

これらの店が増えたのは需要があるから。もしくは供給しやすいからでしょうか。
女を武器にするにはその精度を高めなければならない。見た目だけでなく所作や話術などを向上させる。ホステスを極めるには努力が必要なのです。しかしそのようなプロ意識があるのはかなり少数。多くは楽に稼げることを願っているのでしょう。
プロ意識が低ければ当然質がさがります。質がさがれば当然客がつきません。その対応策がコンセプトなんでしょう。
コンセプトは免罪符。
多少粗相があったとしてもコンセプトで許される。技量がなくてもコンセプトで通せるんです。だからキャストを雇いやすいし働きやすい。客もコンセプトを受け入れやすいのでしょう。
だから私は思うんです。
飲み屋に行くならば飲み屋然としてる店に行け。女性が接客することをコンセプトにしてる店。王道のクラブに行くべきなんです。学園系や秘書系、コスプレ系や異世界転生系。そういったトレンドに流されない店、錦三にはそのような店があるんです。トレンドに流されない我が道を行くクラブ。そういうのを楽しむべきじゃないでしょうか。
というわけで私は名古屋で王道の逆バニーの店に行ってきます。ちょっと偏った感じするけどこれが王道系。
関連記事
祇園東はキャバクラ街!本当のお茶屋遊びはこれだ!「祇園歓楽街」

本日は京都に来ております。こちらは四条大橋です。
四条通沿いの鴨川を渡るための橋で、四条大橋は1142年にはじめて架けられ、現在の橋は1942年に新設されました。この橋を渡り東へ進むと八坂神社に行けその界隈が祇園と呼ばれるところです。

こちらは八坂神社です。
創建は656年、創建時期は諸説あるようですが古くからある神社に間違いありません。
ご祭神は須佐之男命と奥さんと子供。
ご利益は何でも叶うみたいです。これは神頼みしがいがある。
八坂神社は有名だし人気のため京都の初詣は伏見稲荷に次ぐ参拝客なんだとか。
八坂神社は通称「祇園さん」と呼ばれており、まさに祇園の顔なんでしょう。
八坂神社の門前が祇園なんですが祇園は大きく二つに分かれているようで神社を背にして左、南側のことを祇園甲部、北側を祇園乙部(おとぶ)と区分けされています。

こちらが祇園甲部の花見小路です。
一般的に知られる祇園っぽいところがここです。
風情があって歴史ある街並みって感じですが、祇園甲部が花街となったのは明治以降のようです。
もともとここは建仁寺の境内だったそうですが、明治初期の神仏分離令の際に土地が没収されます。没収された土地にできた花街なので歴史は浅いようです。江戸時代の雰囲気が味わえそうな感じですが実際は大正以降の街並みです。

道路わきには撮影禁止の標識があります。
花見小路は公道ですが脇の路地は私道です。外国人観光客が増えたためこの標識を掲げたそうです。また立入禁止にしたエリアもあるそうです。
京都は観光業で潤っている部分もありますが一見お断りのお茶屋には観光客は客ではない。お金にならない観光客はここの人たちにとって害悪でしかないのでしょう。
祇園甲部は京都で最大の花街ですが紹介がなければ店に行けないしそもそも店に行く原資もない。私には縁もゆかりもない街でした。どうやら私も害悪観光客だった。

甲部は私が通える身分ではない地域でしたが、乙部の方は受け入れてくれそうな感じです。こちらは祇園乙部側になります。
祇園は明治時代に甲乙に分かれました。
甲と乙に本来優劣はないのですが、危険物取扱者では甲種のほうが優れてるし、契約書でも先方を甲にします。なんとなく乙って二番手の感じがするじゃないですか。乙部は戦後に祇園東に変更します。二番手の祇園みたいなのが嫌だったのでしょうね。
祇園甲部とは街の雰囲気がガラッと変わり祇園東はスナックやキャバクラなどが多いです。現代版の花街といったところ。
祇園はこの地域に茶屋ができたことが始まりです。
お茶を出す給仕と客が恋に落ちる。似たような形式の店が現代でもありますが、お茶屋さんにはマットとベッドがあったのでしょうか。
そんなちょんの間やソープまがいの店があればそりゃ人気の場所だったんでしょう。多くの人がお茶屋さんを利用していたため幕末には花街として認められます。
元々の出自が私娼窟だった祇園。そのため娼妓が多くいた花街だったそうで戦後は赤線街になったようです。その赤線のなれの果てがスナック街です。
赤線街ってソープ街になるもんですがそんな下品な街を京都は受け入れなかったのでしょう。
上品な街になっています。上品?

ほら、こちら風情ある外観ですが薬局なんです。
街の景観を壊さない薬局。薬局ですら景観条例を意識してるのです。和風な外観の薬局、上品で素敵です。

でも売っているのは勃起不全改善薬。
ここは普通の飲み屋街、ここは普通の飲み屋街なのになんで勃起不全改善薬が売ってるのかな?
なんで?なんで?何に使うのかな?

もしかしてこの店の中に連れ出せる店があるのかな?

もしかしてこの店の中に連れ出せる店があるのかな?ここならなんかありそうな予感。

こちらの店はインターナショナルパブ。
ポールダンスがあるショーパブっぽいようですがこれは芸妓の舞踊の進化版でしょうか。
日本舞踊には流派がいくつかあるようですがここは保守的な舞踊界に風穴を開ける店でしょう。ただのショーパブだけど。

まさに、はんなり!

低俗な店がありましたがそれだけじゃありません。白河沿いのあたり、ここは祇園っぽさが味わえます。

ここは伝統的建造物群保存地区に指定されており江戸末期から明治初期の雰囲気が味わえます。茶屋が軒を連ねていたようでかつてはマットとベッドがあったエリア。風情ある街並みです。

この景観を守るために決まりごとがあるようです。
私有地内での撮影は禁止。
欄干に座ったり寄りかかったりしてはいけない。
私有地内のものに手を触れない。
ほかにもいろいろありますがこれらは地域関係なく守るべきこと。

でもこれ、何が問題なのでしょうか?
近隣住民の迷惑を考えて撮影の規制をしてる。建造物の保護のため触るのを禁止している。
これはまぁわかるんです。
過度な愛情表現、何が問題なのかわからない。そもそもキスって過度な愛情表現なの?
この写真を見ても過度な愛情表現とはいえません。

いい景色ですね。
昼間は外国人だらけになるでしょう。ここに来るならば朝がよさそうです。こちらは切通しといわれる細い路地です。石畳で舗装されキレイな街並みがみれます。

こちらは切通しにある京料理店いづうです。
創業200年を超える老舗で鯖寿司が名物です。切通しは風情あるお店が多いですね。

ほら風情あるお店。
いやこれは風情ない風俗。老舗が並ぶ祇園東の街中にあるちょっと怪しいファッションヘルス。創業33年の老舗です。

人妻とオフィス。会社っぽい雰囲気だけど18禁のオフィス。
京都は景観条例により華美な看板は禁止されています。白と黒の落ち着いた看板。でも店の中は落ち着いてない。
風情ある街並みだとしても所詮は歓楽街。元は私娼窟で赤線だった祇園東、そりゃあって当然でしょう。

風情ある街並みの京都。

これが風情ある街並みの京都?

京都のはんなり文化。

これが京都のはんなり文化?

古都京都らしい町並み。

これが古都京都らしい町並み?ほぼ飲み屋街なんです。

ほらまた飲み屋街に薬局があります。
やっぱりここも勃起不全改善薬を売ってるかな?

斜め上行く商品ラインナップ。薬ですらねぇ!

なんかお座敷遊びができるところみたいだけど、ここのお座敷遊びはハッスルタイム。キャバクラっぽいけどいわゆるセクキャバ。
過激な愛情表現過ぎる店。

美人茶屋。茶屋ですらねぇ!
でもそうなんです。江戸初期にできた茶屋。その当時から茶屋ではなかったのです。むしろこれらの店こそが300年前から続く文化を継承してる店。
「金毘羅船々追風に帆をかけてシュラシュシュシュ」とかいうお座敷遊びがありますが昔はそんなことしてなかったんです。江戸時代の頃からハッスルタイムがあったのでしょう。

本日は祇園を巡りました。古都京都。京都らしいところが見れたかな?
京都は観光地は外国人観光客だらけだし祇園のこの辺りも外国人だらけです。でも外国人はお座敷遊びはしないでしょう。そのため比較的すいているようです。
祇園には300年前から継承してるオッパブがあります。オッパブは祇園じゃなくてもありますが古都京都で味わうおっぱい。これこそがまさにはんなり。そういった京都観光もよいんじゃないでしょうか。
ゴミのような京都観光。
関連記事
京都花街のはんなり文化!木屋町通のある怪しい歓楽街「四条河原町」

本日は京都に来ております。
こちらは四条通です。四条河原町交差点を中心に京都の東西を走る道。ここが京都市で一番栄えているところです。
ここはデパートや高級ブティックが建ち並ぶエリアで平日でも人通りが多いところですが日が出てから時間が経っていないため人が少ないです。
観光客だらけの京都でもこんな景色がみれます。
早朝に営業している店があれば別ですがこの界隈の店は11時頃からあくのでしょうか。こんな朝早くから出歩く人なんていません。

こちらは四条河原町交差点です。
大丸、高島屋などの商業施設があるため東京でいう銀座と称されることもあれば、若者が多く文化の発信地のようなところなので新宿や渋谷とも言われる四条河原町。この界隈は歓楽街となっています。お店もいっぱいあるので買い物にも便利だし飲食店も多いので京料理も食べられる。
そんなわけで外国人にも人気のエリアです。
現在の京都は日中外国人でごった返しています。感染症により一時は観光客が減りましたが感染症明けと円安の影響で訪日外国人が増加。それにより多くの外国人が京都に来ています。
京都の観光客は一年間で7500万人もいるそうです。そのうち外国人観光客は500万人ほどです。
数値だけ見ると案外外国人って少ないんですね。
オーバーツーリズムだなんだと叫ばれていますが京都に来る外国人観光客は全体の1割以下。ぜんぜん観光公害じゃなさそうな感じがします。文化の違いや見た目で外国人が目立ちますが実際は日本人観光客の方が多いようです。
そもそも京都は修学旅行で学生がくるところ。
だから日本人割合が多くなるのでしょうね。と思ったのですが修学旅行生数は100万人程度。そこまで多くないようです。
じゃあなんでこんなに日本人が多いのか調べたところ、京都に来る観光客の7割が50代以上なんだとか。
これは観光老害。

京都が観光地として人気な理由は独自の歴史や文化に触れられるからでしょう。
和の要素、風情ある街並み。京都らしさを味わうために観光に来るのです。こちらの路地はまさに京都らしい町並み。
鴨川手前にある細路地。こちらは先斗町です。

先斗町は花街です。
京都には代表的な花街が五つあり、祇園甲部、祇園東、宮川町、上七軒、そして先斗町を合わせて京都五花街と呼ばれています。
京都五花街のひとつに数えられる先斗町。
ここは歴史遺産型美観地区に指定されているため古い町並みを楽しむことができます。
日本には全国に花街がありますがどこも衰退してます。東京にも東京六花街がありますが縮小してます。ほかの地域の花街も衰退もしくは消滅しています。でも京都の花街は事業としてなりたっています。料亭やお茶屋さんが軒を連ねる景色が見れるので花街の雰囲気を楽しむのなら京都が一番です。

先斗町が花街に指定されたのは1859年、横浜港が開港した幕末と呼ばれる頃でした。
江戸時代からある花街ではありますが、そこまで古い歴史ってわけではないようです。でも花街となる以前も先斗町はそれに準じた街だったようでここは私娼がいるエリアだったそうです。
江戸時代の京には嶋原遊郭がありました。
江戸の吉原、大坂の新町、京の嶋原。これらは三大遊郭と呼ばれかなり賑わってました。でも京にあったのは嶋原遊郭だけで、しかも遊郭外に出張が禁止されていたそうです。今のようにあっちこっちに風俗があるのではなく当時はちゃんと棲み分けができていたようです。
でも四条河原町から嶋原のある西新屋敷までは3km。歩くと45分くらいかかるんです。ムラムラって来たときの45分は長いですよね。
焦らしプレイはM性感の店だけにしてほしい!
当時の人たちはこのように思ったことでしょう。
そんな可哀そうな人を救うべく京にはあちこちに私娼がいたそうです。
結局今と変わらず棲み分けが出来てねぇ!
祇園には茶屋が軒を連ね、その茶屋に茶立女という給仕が働いてたんだとか。
茶立女はあくまでもお茶を提供する給仕。
でも給仕だって女の子だもん。急に客と恋に落ちることもあったのでしょう。客と恋に落ち、その場で致すってことも。
なんか聞いたことがあるシステム。
京では遊郭が認められたのは嶋原だけだったので多くの私娼窟、いわゆる岡場所があったようです。
先斗町も高瀬川を行き交う客目当てに私娼が集まったのが街のはじまりだったようです。私娼が集まったのは1700年ころ。ここは300年以上続く私娼窟だったのです。
天保の改革で茶屋営業は全面禁止になるも改革が実質失敗すると公娼街へ生まれ変わります。つまり先斗町はお茶屋と呼ばれる私娼窟だったのです。
花街は芸妓が芸事を披露する街。
現代ではそのような形式となっていますが、その当時は遊郭と大して変わらないシステムで芸妓もいれば娼妓もいたのでしょう。「ここは遊郭とは違うどす」感を出していますが実態は私娼窟だったのです。
そのようなサービスがなくなったのは戦後でしょうか。今は普通の花街です。
早い時間帯にはいませんが夕方になると舞妓さんを見ることができます。先斗町にあるのは料亭でしょうか。

でもこんな感じでお茶屋ってかいてあるんです。
舞妓や芸妓と遊ぶことをお茶屋遊びといいますが私娼が由来だったんですね。
労働基準法や児童福祉法。
舞妓ってけっこう法的にグレーですが、そもそも発祥がグレーな業態でした。そりゃそうなるべくしてなってるのでしょう。
文化に触れられる街といわれる京都ですが、その文化、掘り下げると結構闇があるようです。今はそういうエッチな遊びはないはず。
ホントに?
でもこれがはんなりってやつなんですね!はんなりの使い方を間違ってる。

こちらは先斗町の一つ西側隣りの筋、木屋町通です。二条通から七条通まで高瀬川に沿ってある路地。四条通のあたりは飲み屋街となっています。

居酒屋、スナック、バー、それにキャバクラ的な店もあります。チェーン店ではなく個人商店があるエリア。雰囲気のよさそうなお店がけっこうあります。

高瀬川を使い木材を運ぶ木材商がいる地域なので木屋町と呼ばれた町でしたが、次第に旅人向けの店が軒を連ねるようになり1700年頃に今のような飲み屋街になりました。坂本龍馬もこの界隈の店をしてたそうなのでここに来れば幕末の志士と同じことができるはずです。この街も歴史があるんですね。

こちらは飲食店ではたぶんないニュープレイスポット。おそらくサロン的な店でしょうか。閉店していますがこちらは俗店です。
そう木屋町通のこの界隈、江戸時代の茶屋の歴史を受け継ぐ店があるんです。

痴漢系ファッションヘルスという特殊な店。
これ、AVで見たことあるシチュエーション。時間停まったりするやつ。
明らかに犯罪系ファッションヘルスですが、ここで行われているのは合法です。倫理観に難あり。
でもこの店は性犯罪の抑止力になってるのです。
痴漢の年間検挙率は約2300件程度。一日6件ほどあるのでしょうか。
少ないですがこれ、検挙数です。実態はもっと痴漢があるのでしょう。
痴漢は犯罪ですが痴漢系は犯罪じゃない。この店を使えば問題ないのです。
この店のおかげで痴漢が減っているのか。
それともこの店のせいで痴漢が増えているのか。
そのへんは定かではありませんが実際に昭和の頃と比べると性犯罪は減ってます。どちらにせよこの店の中であれば捕まりません。

ぜんぜん京都っぽくないけどこれが京都なんです。ほら、けん玉成功で値引きしてます。
まるでお茶屋遊び。京都っぽさをここで出してる。

風俗過疎地の京にあるビルごと風俗店。ぜんぜんカフェっぽくない挿絵。しかも未成年者お断り。
明らかに普通のカフェじゃない。

まだ日が明けてからさほど時間が経ってませんがすでに営業中です。まさに日の出営業。
朝早くから四条に来るやつ風俗利用者だった。
日の出営業といえば特殊浴場の十八番ですが京都にはソレが一軒もないんです。かつては嶋原に一軒あったようですがそれも閉店。京都にはソープがないんです。
山を越えればそこは雄琴。
京都人「ソープどすか?お上品すぎて京には似合わんわ。近江さんでしたらよう似合いはりますの?」
って感じで滋賀にソープ街を譲ったのでしょう。
そもそも京都には私娼窟があったのでソープは必要なかったのです。でも私娼窟はなくなり京都は風俗過疎地となりました。このように京都にはソープはないのです。でも川崎には京都という名のソープがある(本場にないのに京都を名乗る川崎ソープ)。

こちらは外国人向けの風俗情報サイト。
英語表記もされており外国人も手軽に利用できます。かつては外国人NGが基本だった性風俗店。今はむしろ外国人向けの店が多いのでしょう。特に京都は訪日外国人が多いですからね。
京都の文化を知る、お茶屋遊びの原形を知りたいなら風俗店に行くべきでしょう。これこそがまさに京都のはんなり文化です。

こちらは木屋町通の南側です。こちら側にも飲食店と混ざって風俗店があります。京都は風俗街が少なく市内だとここくらいです。かつては五条にちょんの間街がありましたが摘発により壊滅しました。またJR線沿いには風俗街ができるものですが京都にはそれもありません。やはり花街が影響しているからでしょうか。
京都以外の花街の中には戦後赤線街となり、売春防止法性交後はソープ街になったところがあります。でも京都は戦後赤線街になったあと、再度花街に戻りました。
下世話な風俗街がない代わりに上品な花街がある。だから風俗店は必要ない。
もしかしたら京都の花街は売春防止法施行後も昔ながらのサービスをしていたのかもしれません。そのため風俗街を必要としなかった。
ただでさえ一見しか行けない閉鎖的な環境です。そういったサービスがあっても不思議じゃありません。
でもそれはもう昔の話。
今は健全な花街になりました。
日本の古き良き文化を味わえる花街。お茶屋遊びができる街なのです。
お茶屋遊びを楽しめるかはその人の素質によります。節度、礼儀、所作、社交性、柔軟性、人間性。相応の人間じゃなきゃ楽しめないのでしょう。私はまだその域には達していないようです。
いつか行けるようになる日が来るのかな?
舞妓さんとお茶屋遊びができるかな?
お茶屋遊びができるようになるよう精進します。
ちなみにグーグルマップで風俗を検索するとお茶屋さんがヒットします。
舞妓さんとお茶屋遊びの意味。

















































【成瀬はTENGAを取り扱う】ほぼ“神奈川県町田市”の成瀬
夜空に輝く星になれ!キャンパブが消えたシャッター街「柳ヶ瀬歓楽街」
在住外国人の5割が中国人の美浜区にあるチャイナタウン「稲毛海岸」
なぜか特殊なお風呂屋さんがある森鴎外らが愛した高尚な街「文教都市稲毛」
各務原自衛隊岐阜基地そばにある米軍の残したエロの遺産「租界那加歓楽街」
名古屋駅東側のお遊びスポット!飲み屋に市場に熟女がいる街「名駅歓楽街」