運河沿いのムスリムタウン バングラデシュ難民の多いスラム「トプシア」
こちらはJBSハルディーンアベニューで上を走るのはイースタンメトロバイパスです。コルカタの東西をつなぐ道路で交通量が多いです。本日はトプシアってところに来ています。
コルカタ東部にある住宅密集地域「トプシア」。
トプシアの人口は10万人。インドでは8割がヒンズー教徒ですがこの界隈は90%がイスラム教徒のムスリムコミュニティーのようです。イスラム教とヒンズー教は宗教対立をしてますが多宗教文化が根付くコルカタでも争いが起きないように住む場所を分けています。
トプシアはムスリムタウンなので街中ではムスリムっぽい人を見かけます。
ムスリムタウンとなったのは1971年におきたバングラデシュ独立戦争後。パキスタンを支持した一部のムスリムが難民としてインドに逃げてきたそうです。この辺の話は複雑なので私は詳しく説明できませんが全てはイギリスのせい。
そんな感じです。だいぶ雑な説明。
遠くに見えるのは建物はアトモスフィアという高級住宅です。2017年にできた高層マンションで高さは39階建ての152m。コルカタで4番目に高いタワーマンションです。
見た目はほぼマリーナベイサンズ。というよりマリーナベイサンズを模しているそうでこの34階に設けられたスカイブリッジにはスパやサウナやプールのほか会議室などがあり住人が利用できるようになってるんだとか。
部屋の価格は3憶から。値段もかなり高めです。
インドの平均月収は中央値だと6万円ほど。格差はかなりあり月収1万円の人もいれば月収が100万円を超える人も結構いるようです。中間層は月収17万円程度。中間層では買えそうにないタワーマンション。ここはお金持ちエリアなのでしょう。
コルカタはイギリス植民地時代に栄えた街でフーグリー川の辺りが市街地となっています。トプシアは湿地帯のため未開発エリアでしたが近年になり埋立られ再開発地域となっており大きなマンションもでき高級住宅地化しています。
でもそのような建物のそば。薄暗い路地がここにはあります。
ドクターBNデイロードの南側、運河に沿って小屋が軒を連ねています。
亜鉛メッキ鋼板の屋根、合板の壁、布やビニールシートの粗末な壁。各小屋に窓はなく出入り口があるだけ。その出入り口には扉もありません。
こちらはトプシア運河沿いのコミュニティー。700世帯、約5000人が住むスラムです。ここに住む多くがムスリムで西ベンガル州やインド北部からの移住者です。IDを持っていないため行政サービスが受けられない。
また不法建築のため上下水道もありません。トイレがないため野外排泄しかない。河川で用を足すのでしょうか。
水は目の前にあるのにその水は汚染されています。電線が通っているので電気はあるようですがガスはなくチュルハを使って料理をしてます。
キオスクのような小売店は何店舗かありますが商店は少なく住宅街の中の通りといった感じです。その割に街路には結構人が出ています。
家の中は狭く薄暗いため日中は外にいるそうです。これに関してはホームレスの人に昔聞きました。
私は川崎駅の近くに住んでいた時期がありその時にホームレスの人と知り合いになりました。
まるで川崎に住むとホームレス友達ができるみたいな言い様。川崎に住んでいても普通は知り合いにならない。
たまたま駅前の屋台で飲んでいたらそのホームレスの人がおごってくれたんです。
ホームレスから物乞いするやつ。ほぼ軽犯罪法違反。
その人の家に遊びに行ったこともあります。
多摩川に住むホームレスはホームレスなのにホームがあるんです。
多摩川沿いにある家。家ではなくブルーシートで覆われただけの建造物。当然採光はなく雨風をしのぐための小屋。日中でも小屋の中は薄暗いんです。暗い小屋の中にいると気が滅入るため昼間は外にいるんだとか。
ここのスラムは電気が通っているようですが多くの人が日中は外で生活するのでしょう。
ここに住む人の多くはゴミ拾いを生業としておりそういったコミュニティーのようです。
新宿に住んでた時に出会った戸山公園のホームレスもゴミ拾いを生業としていました。
ホームレスの知り合いがなぜか多い。
ゴミ拾いやぼろ拾いを生業とする。この界隈は貧困層が住むエリアなのでしょう。
コルカタは中心地にホームレス小屋を見かけます。中心地の方が仕事もあるし生活しやすそうですがヒンズー教徒が多い地域には住めないのでしょう。
ムスリムタウンの中にあるムスリムのスラム。
宗教で対立が起きないようにちゃんと区分けしているようです。
日本だと宗教的な対立は少ないしインドのように宗教コミュニティーはありません。
あるのは奈良の天理市の天理教、静岡熱海の世界救世教、東京信濃町の創価学会。
宗教都市、結構あった。
まぁでも戒律は厳しくないのでしょう。でもイスラムもヒンズーも厳しい戒律があります。
牛肉食べなかったり豚肉食べなかったり、あとお酒も飲まないですからね。
インドに来てから結構な日数が断ちますが豚肉も牛肉(水牛以外)も食べておらず、お酒を口にしていませんでした。
コルカタは暖かい地域。
酒も飲みたくなる気候です。
ってわけで飲みに来ちゃいました。こちらはトプシアにあるバーです。
イスラムの戒律、度外視。
ムスリムタウンそばにバーがあるんです。
インドで飲み屋を営業するって大変そうですがお昼の時間でも結構お客さんがはいっています。雰囲気の良いオシャレなバーです。
同店は2016年オープン。幹線道路沿い駅からも遠いムスリムだらけ。明らかに立地が悪いところですがコロナ禍を乗り越え絶賛営業中です。どうやら人気のバーなんだとか。
ここであればおいしいお酒が呑めそうです。
ってわけでビールを注文しました。
今回のインドの旅ではじめてバーに行きます。インドではお酒を目にする機会が少ないです。一部の州では酒の販売が禁止されビハール州は所持や持ち込みも禁止されてます。ほぼ麻薬のような扱いです。お酒を飲む習慣がないのは宗教上の理由でしょう。イスラム教だけでなくヒンズー教も酒は禁忌です。
レストランや定食屋には酒は置いてなく小売店でもお酒は取り扱っていません。では一切飲まないかというとそうではなく街の中には酒屋が存在します。酒屋といっても日本のような店ではなく店は鉄格子がされており中に入れません。店先で商品を頼みお金を渡すシステム。なんか裏取引している感じがします。
ぱちんこの景品交換所みたいなところ。まるで景品交換所が裏取引みたいな言いよう。
外国人向けの酒屋ってわけではなくインド人向け。宗教上禁忌とされても飲む人は飲むのでしょう。そもそもインドはビールやラム酒を製造しておりラム酒のオールドモンクは世界で人気銘柄です。
ちなみにインドのアルコール消費量は世界9位でスピリッツに限ると中国に次いで二位なんだとか。
まぁ人口が多いってのが上位の理由ですがそれなりに酒は飲んでいるようでとくに若い世代は飲酒文化が浸透しています。スピリッツが人気の理由はビールより酔えるから。
アル中の考え方。
私はインドについてからお酒を飲んでません。
別に禁酒をするつもりはなくただ単にめんどくさかったから。
酒屋で買ってホテルで飲むにしても泊ってるホテルが安宿なので酒を飲む気分になれない。飯を食うのも屋台か定食屋。とうぜんそんな店には酒が置いてない。このようにお酒に触れる機会がなかったのです。
でも、飲みたいですよね。
インドのラム酒もよいけど、やっぱりビールが飲みたいんです。
ここ、インドですよ!
それだったらIPAを飲むべきじゃないですか!
インディア・ペールエール。
ポップの苦みが強い上面発酵のビール。
インドがイギリスの植民地だったころ駐在イギリス人のために作られたのがIPAです。イギリスで製造したビールをインドに運ぶのですが当時は冷蔵設備がなく輸送は船だったため味が悪くならないようアルコール度数を高めて防腐剤の代わりに多量のホップを入れたそうです。そのためIPAは苦みの強く度数が高いのです。
日本でもIPAは飲めますがやっぱり飲むならインド。そして首都だったコルカタで飲むべきでしょう!
ってわけでこちらの店に訪れました。
コルカタのバー。IPAビール、絶対あるでしょう。
と思っていたのですがありませんでした。
厳密にはメニューにあるのですが売り切れでした。
こちらの店はブルワリーも兼ねており店内で醸造しているようです。その時により製造するビールも変わるのでしょう。
こちらのビールはドイツスタイルのピルスナー。
イギリスも関係ないしエールでもねぇ。
苦みが弱めでフルーティー。さっぱりしていて飲みやすい味。IPAとは真逆のビールです。万人受けする味だしインド人の好みなのでしょう。
そもそもインドではビール消費量は少なくビールよりもスピリッツが好まれるようでビール文化が根付いていないようです。クラフトビールも飲まれるようになったのはここ15年くらいからなんだとか。
そんなわけでクセの強いビールよりも万人受けするほうが好まれるのでしょう。
こちらはシードルです。
最後にシードルを飲んだのは青森に行ったとき日本ではあまり馴染みのないシードル。こちらはインド産のりんごを使用してるそうです。
シードルも飲みやすく万人受けする味です。
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コルカタで一番治安が悪い ムスリムが多いスラム「パークサーカス」
コルカタは地下鉄がありますがまだ全線開通してないため移動手段はバスになります。
バスは全地域を網羅してるので使い勝手が良いですが渋滞に巻き込まれると全然動かなくなります。そういったときはタクシー移動。とくにバイクは渋滞を気にせず走れます。デリーでは公共交通機関を主に使用してましたがコルカタの移動は専らバイクタクシーです。
バイクはいいですね!
私はかつてバイクを所有していました。バイクがあればどんなところにでも行ける。バイクこそサイコーのコミューターだ!って思ってたんですが年を取ると乗らなくなるものでたまに乗るのがちょうどよい。いつしかバイクも乗らなくなりバイクも手放しました。
ホントなら運転したいけどタンデムでもまぁ楽しめる。インドの汚い空気を浴びながら移動する。これもインド観光ならではです。
本日は市内観光をするため移動しています。
多様性の街「コルカタ」。
コルカタは最もインドらしい街といわれ、魅力的な街なんだとか。インドはどんどん都市化が進んでいますが、そのような中でも昔の雰囲気が味わえます。ヴィクトリア記念堂、セントポール大聖堂、インド博物館、ナコーダモスク。色々巡るところがありそうです。それとコルカタではマザーテレサが有名です。貧困の地コルカタにて手を差し伸べたマザーテレサ。彼女の軌跡をたどるのも楽しそうです。
こちらはプレムダンというカトリック修道院です。
愛の贈り物を意味するプレマダン。
孤児、ホームレス、高齢者、障碍者が入居する施設でマザーテレサによって設立されました。
貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげたマザーテレサ。「隣人を愛せ」そのための施設なのでしょう。ここではボランティアを募っているようです。日本人ボランティアも来るそうですがその大多数は大学生なのでしょう。
大学生が海外ボランティアをする話をよく聞きます。
困ってる人に手を差し伸べてあげたい。
発展途上国の人の力になってあげたい。
貧困で困ってる人を助けてあげたい。
すばらしい!すばらしいことです。
社会のこともよくわかってない若人が言葉も文化も違う中で誰かを助ける。すばらしいことじゃないですか。
なってあげたい助けてあげたい。あげたいあげたい。
まるで上から目線だけど、薄っぺらい表明だけど、いいじゃないですか。それで誰かが助かるんですから。
まぁ多くの人が就職活動の一環なんでしょう。
私は学生時代、海外ボランティアに参加しました。ボランティア活動をとおして―って感じで就活の話題作りのためのボランティア。就活に有利に働くかわかりませんが就職という目的のために対策をしてる感はでます。だからわざわざ海外のボランティアなのでしょう。でもこの施設の本来の趣旨とは大きく異なります。
そもそもマザーテレサの考えは「隣人を愛せ、身近な人を助けよ」です。
自国で苦しんでる人がいるのに他国の人を助ける人は他人によく思われたいだけの偽善者。
さすがにここまで厳しい言葉は発してないですがわざわざ他国に行って助ける必要はありません。
日本にも災害や貧困で苦しんでる人はいます。ボランティアしたいならまず身近な人を助ければいいじゃない!それなのにわざわざ海外に行くんです。
海外にはたくさん困ってる人がいる?
じゃあその渡航費、募金すればいいじゃない?
たぶん、インドでボランティアをする人の多くは観光気分でボランティアをしているのでしょう。学生時代に発展途上国のインド旅行。その旅行のついでにボランティアに立ち寄る。ようは社会科見学的なやつでしょうか。
でもそれでぜんぜんいいんです。
無償の愛なんて誰にもできるわけがない。見返りがなければ誰もやらないんです。そういう人がいるから施設が運営できてるんです。ウィンウィンの関係なのでしょう。
ボランティア活動をして人生観変わりました。
それでいいんじゃないでしょうか!
でも御託をならべてキレイを装うより事実を言って汚くふるまう方が人間らしいと思いますけどね!
私もせっかくコルカタに来てるんです。ボランティアすべきですよね!
ここでボランティアをしていけば、
かつて私はインドでボランティアをしていたんですよ。貧困者や障碍者の手助けになればよいと思ってね。ボランティアを通して色々と考えさせられました。環境問題とかー社会情勢とかー。
大した考えを持ってなさそう。
ボランティア活動したい!人生観変わりたい!
と思ったんですが登録が必要とのことでした。ってわけでボランティアはまた今度にします。
今日ここに来たのはボランティアのためではなくスラムを見に来ました。
ぜったい就活で話しちゃいけないような話。
人生観変えるよりも人間辞めた方がよい。
橋の下に見えるのはパークサーカス駅です。
マザーテレサの施設もこの駅のそばにあります。
スラムがある駅前といったらゴミと牛と犬と人だらけですがここはそこまで汚れていません。
いや結構汚れてるけど!
多少のゴミと犬と人、それくらいで牛はあまり見かけないです(いるにはいる)。比較的掃除が行き届いているのでしょうか。
でもここは最も汚い駅なんだとか。
たしかにゴミが散らかっているように見えます。
駅のホームはキレイに整理されています。
こちらは一日50万人が利用する駅でスラムの真ん中にある駅ですがスラム外の人も利用するのでしょう。
こちらはパークサーカス駅の西側です。こちら側はスラムって様子はなくキレイな街です。この街はムスリムの人が少し多めです。
こちらは駅東側です。こちらの方はかなり入り組んでおり道は複雑です。様々な宗教の人が共存するエリアのようですが大半はイスラム教徒のムスリムコミュニティーでウッタル・プラデーシュ州、ビハール州からの移住者、バングラデシュからの移民が多い地域。ムスリムの人が多く住むエリアでスラム街ではあるもののイスラム街でもあります。
街の中は他のスラムのような雰囲気です。スラムといえば貧困者の集まる場所ですが必ずしも貧困者しかいないわけではないようです。
入国の際、ビザ申請の際、国によっては宗教の記入を求められます。
自分の宗教に関心がない多くの日本人。私は母方が真言宗で父方が日蓮宗ですが墓じまいをした際に檀家を抜けると伝えました。そのため私は無宗教の状態です。そんなわけなので宗教を聞かれると困るのですがNONEと書くと入国できない国もあるそうです。仏教や神道って書けば無難でしょうか。インドでは信仰の自由が保障されています。また国教はありません。しかしヒンズー教が8割のインドではほぼほぼヒンズー教国家なんです。そんなわけで入国の際も宗教を聞かれます。
信仰の自由はあるもののほぼ国教はある。そのため残りの宗教は肩身の狭い思いをしてます。とくにイスラム教とヒンズー教は水と油の関係で交じりあうことなく別々に生活をしています。
インドには宗教ごとにコミュニティがあり、属する宗教のコミュニティーにしか住めないのです。
住めなくはないようですが入居審査がおりないため特定の宗教は特定のコミュニティにしか住めません。ここは宗教で分離されたコミュニティの一つ、ムスリムの人が住める地域なのでしょう。そんなわけで貧困層だけが住んでるわけではなく普通に収入のあるムスリムの人も住んでいます。
街が比較的きれいに保たれているのは住んでいる人に影響するのでしょうね。住んでいる人の民度がよければ街もよくなる。この民度が街をよくするのです。
活気があってよい感じです。
私はデリーでもムスリムタウンに行きました。
デリーの南にあるジャミア・ナガー、それとアフガン人が多いラジパットナガー。
ジャミア・ナガーもラジパットナガーもスラムのようなところではなくめちゃめちゃ犬はいたけど街並みはキレイでした。
ラジパットナガーは区画整理もされていたので比較的新しい街だったのでしょう。
パークサーカス駅の東側はごちゃごちゃしてます。
小さい家屋が多いし道が狭いので仕方ないのでしょう。でも他のスラム街と比べると幾分かきれいだしゴミが落ちていません。あとうんこも街中で見かけないです。
トイレをちゃんと使用しているのか、もしくは線路のところがトイレなのか。
うんちちゃんと片付けられてえらいえらい!
それと牛や犬が少ないのが街のキレイを保つポイントでしょうか。糞尿が放置されていると虫や害虫が増えます。それにより街が汚くなるのでしょう。牛も人と同じにコミュニティを作ればよいのに牛とは共存しようとするインド人。そんなわけで街ナカは牛糞だらけになるんです。牛には民度は求められないですからね。牛がいなければ街をきれいに保てる。
ムスリムタウンだからでしょうか。パークサーカスには牛がいません。
と思いきやガッツリ牛がいます。
牛以外に羊もいる。
動物に生ごみを食べさせて街をきれいにする。
いやキレイになってない。
昔は生ごみしか出なかったのでしょう。動物に食べさせることでゴミ処理ができたのです。ある意味牛は街の掃除屋だったのです。今はプラスチック製品のゴミがたくさん出ます。
インド人、プラスチックも牛に食べさせそうな勢い。
多少はね、多少は動物とかいるでしょう。だってここインドですから。多少はそういった側面がありますがパークサーカスは比較的きれいに保たれてます。
これは民度なんでしょう。
質の良い人たちがこの界隈は多く住んでるのです。だから牛がいたとしても清潔に保たれてるのです。
でもこの界隈、泥棒やスリの温床なんだとか。
普通の街じゃない。
そう普通の街じゃない。
でもゴミは落ちてないんです。
スマホを手で持ってると高確率で奪われるし、財布はすられる可能性が高い。
睡眠薬を飲まされ集団レイプされる可能性もあり、誘拐事件に巻き込まれるリスクもある。
銃をもった強盗犯に襲われる危険性があし、警察が理由なく市民に発砲してくることもある。
ギャングの抗争が定期的にあるし、薬物が蔓延し薬物中毒者もいっぱいいる。
でもゴミは少ない。
いやゴミみたいな人が多い。
この民度。
ムスリムが多い街で貧困層以外の人も住んでいますが貧困者が多く住むスラムにはかわりありません。
やっぱスラムだった。
スラムだとしても必ずしも治安が悪いわけではありません。ただ低廉な住居があるだけのところもあるのです。パークサーカスもそんな地域で大半が普通の人が住んでいます。でも、普通じゃない人も住んでいるのでしょう。
この界隈にはギャングがいるようでギャングがいれば犯罪の温床になるのは当然です。ここは治安が悪いエリアなのでしょう。
日中ならば巻き込まれるリスクは低くなりますが低くなるだけで巻き込まれないわけではないです。人が多くいればスリも多くいる。観光客は格好のカモなのでしょう。そんなわけで観光に来るところではありません。
そもそもヒンズー教徒は近づかないエリアです。
ここはムスリムコミュニティー。
宗教間の争いが起きないように分けてるのです。分けているのであれば近づかないのが鉄則でコミュニティーには立ち入らない。そんな暗黙の了解があるようです。
治安以前にわたしのような人間が立ち入ってよい場所ではなかった。
本日はパークサーカスに立ち寄りました。
治安が悪いという話でしたが日中はそこまで治安の悪さは感じられません。なんだったら歌舞伎町の日中の方がヤバいくらい。安全とは言えないのでしょうが普通の街です。ただムスリムのコミュニティーなので立ち入る際は相手の宗教を尊重しましょう。
そんなわけで私は一時的にイスラム教に改宗します。
こいつが一番わかってないやつ。
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住宅地なので娯楽がない!?スラムクリアランスでできた街「横浜十日市場」
本日は横浜市緑区の十日市場に来ております。こちらはJR横浜線の十日市場駅です。
十日市場という名称、名前の由来は中世の頃この界隈に毎月10日に市が開かれたんだとか。
この界隈は大山道と神奈川道の追分だったらしく古くから人が往来する地域だったようです。
とはいっても十日市場駅は駅開設から50年も経っていないんです。
横浜線自体は1908年に敷設されていますが、十日市場駅ができたのは1979年。70年も駅ができなかったのは当時は必要がなかったからなのでしょう。
恩田川沿いは田畑が広がり拓けていますが、川から離れれば丘陵地帯である十日市場。かつては人が住む場所ではありませんでした。
宅地開発がされたのは1960年ころ。団地ができたことで十日市場の人口が増加。駅新設を望む住民が多くなり79年に十日市場駅が開業しました。
閑静な住宅街がありそうな駅前って感じ。地元民しか降りなさそうな駅ですが昭和大学や横浜商科大学が近隣にあるため学生の利用者が結構多いようです。
駅前にある遊歩道。雰囲気がいいですね。なんかヨーロッパっぽい感じ。
ヨーロッパ行ったことないけど。
町田にも横浜にも出れる十日市場。隣駅の長津田に行けば渋谷にも出れる立地です。駅前にスーパーもあるし住み心地はよさそうです。こんな感じでキレイな街の十日市場ですが、かつてはあまり住みよい街ではなかったようです。
神奈川県横浜市は県庁所在地で県内で一番人口が多く、東京23区を除くと全国で一番人口が多い都市。横浜の中心地は港近くの関内のあたりでしょうか。
横浜はオシャレで先進的なイメージ。
幕末に開港した港町横浜。きらびやかで美しい横浜ですが、光あるところに闇があるとはいうもので横浜の周りには貧民が住む地域がありました。
有名なところは南太田の乞食谷戸でしょうか。
また横浜を流れる大岡川や中村川には舟を係留してそこに住む水上生活者がいました。
戦前から横浜には水上生活者がいたそうですが、空襲で家を失った人や引揚者が横浜には多く水上生活や路上生活をしていたそうです。
今でも寿町にはホームレスが集まっていますが昔はもっと酷かったのでしょう。
もはや戦前ではないと言われた1950年代後半、食糧問題は改善したものの住宅不足は続いており宅地開発が急務でした。そのため全国で公営団地の建設が始まり横浜も市街地に団地を建設しはじめました。
しかし土地の価格上昇で用地取得が難しくなったため、市街地から離れた場所を造成しはじめたそうです。十日市場はそのうちの一つで元々丘陵地だったところを宅地開発し1959年から1964年にかけて十日市場市営住宅ができました。
団地ってコンクリート造をイメージしますがその手の団地ができるのは1964年以降。それ以前は木造住宅でした。
スラムクリアランス事業で出来た市営住宅。木造平屋の住宅を十日市場に建て、横浜市街地にいた貧困層を入居させたそうです。
こちらに十日市場市営住宅バス停があります。十日市場住宅自体はすでに残っていませんがここに団地があったと証明できるバス停。
当時は治安のよい場所ではなかったのでしょう。いわゆる貧民窟といわれたところでしたが十日市場市営住宅1991年に取り壊され新たな団地へと生まれ変わりました。
バス停の先にはキレイな建物が見えます。こちらは2年前にできた分譲マンションです。
駅徒歩五分の利便性の良いマンション。
かつて低廉な住宅があった地域とは思えません。
十日市場市営住宅があったところは十日市場ヒルタウンに名称が変わり、民間、UR、市営の団地が混ざる街区となっています。
スラムと呼ばれていたのはかつての話。今はキレイな街並みです。団地だけでなく街路もキレイに整備されています。
十日市場は鉄道会社や民間企業と市が連携し、持続可能な住宅地推進プロジェクトのモデル地区になっているんだとか。
十日市場が宅地造成されてから60年。他のニュータウン同様に高齢者問題を抱えてます。
現在の十日市場の高齢化率は25%。
横浜市の高齢者割合は25.3%なのでほぼ平均値の十日市場です。ただ今後も高齢者が増え続けることを鑑み、多世代が暮らし続けられる街づくりを目指しています。
横浜にはSDGs未来都市計画というものがあります。なんか胡散臭い感じがプンプンしますが、ざっくりとした内容は少子高齢化対策です。
昔風で言えば「産めよ殖やせよ」です。
横文字でわかりづらくするよりも「生めよ育てよ国の為」って明確にした方が分かりやすいと思うんです。
日本の高齢化率は29.1%。
横浜は高齢化率が低い地域ではありますが高度経済成長期に建てられた団地は人の入れ替えがないため高齢化が顕著です。でも新しく建て替えることにより若年層の新規入居者が見込めます。
新しい団地には若い人が増えてるようでSDGs未来都市計画は成功しているのでしょう。
十日市場ヒルタウンだけで2800戸越え。民間の団地も含めるとかなりの数の家があります。市営住宅が多いと高齢者が多くなりますがURや民間のマンションがあるため若返りがうまくいっているのでしょう。
まさに十日市場は産めよ殖やせよの街。
こちらは十日市場の北側に山あいにある団地です。こちらは横浜市営住宅ですが、高齢化率が50%を超えているそうです。
二人に一人が高齢者。緑区の高齢者割合から考えると異常な数値です。
市営住宅は収入制限や住宅困窮など一定の入居資格条件が必要ですが、単身で入居する場合さらに厳しい条件が必要です。
条件は障害者、生活保護受給者など。
住居資格を満たすのは難しそうです。
でも60歳以上であれば入居資格があります。
今後はますます高齢化率が高まりそうです。
ちなみに団地そばに餅塚という供養塔があるのですがかつて刑場があったところなんだとか。
だいぶすごいところに団地を建ててる!
刑場があったのは鎌倉時代なのでかなり古いです。そんなことより山の上なので高齢者には不便です。
十日市場ヒルタウンも名称通り丘の上にあります。丘陵地なので勾配があります。若い人なら問題なくても年寄りにはしんどい立地。
私は初老といわれる年頃。
坂道がきつい、階段が厳しいってことはなくまだまだ足腰は元気な方だし、アッチの方もまだ現役。そのため丘陵地でも問題ないんですが個人的に十日市場は物足りない街です。
横浜や渋谷に30分程度で出れる立地の十日市場。スーパーもあるし買い物も便利ではありますが飲食店が極端に少ないんです。
とくに飲み屋があまりありません。飲み屋街はなくスナック的な店も少ないようです。当然風俗もありません。
アッチの方が現役の人にはかなり厳しい住環境。
住宅街だから仕方ないんですが娯楽がないんです。夜遊びをするなら横浜や町田にでるのでしょうか。
でもムラムラッと突然感情が芽生えた時、横浜まで電車で移動するのは大変だし、もしかしたら電車内で粗相をしちゃうかもしれません。
どんな粗相?
まぁどちらにせよ精神衛生上よくないんです。
持続可能な風俗がないなんて、全然SDGsじゃない!
電車一本で横浜や町田に出れる。
長津田で乗り換えれば渋谷にも出れる。
このように市街地に出やすい立地ではありますがちょっと距離がある十日市場。でも十日市場から青葉台行きのバスがあるんです。
青葉台なんてもろに宅地開発エリア。
十日市場と同じようにお遊びスポットがあるわけない!と思っていたんですがどうやら青葉台、飲み屋がけっこうあるんです。
居酒屋やバーだけでなくキャバクラもあります。
新興住宅地そばにあるキャバクラ店。
なんか魅力的な感じです。
十日市場にはその手の店がありませんが少し離れたところにちゃんと用意されてます。
青葉台駅までは約3kmほど。
最悪歩けなくもない距離なので飲みたくなったら青葉台まで行くのでしょう。
若い世代を受け入れるための街づくりなのに若い人が行きそうな店がない十日市場。
その点青葉台は、多世代が暮らし続けられる街づくりができてます。
キャバクラが駅前にあること、
これこそがSDGsです。
これこそが持続可能な社会です。
これこそが次世代へつなぐ街づくりです。
日市場は新たに生まれかわった街。2023年に街は完成したようですが街は住む人たちによって生まれ変わります。
需要があれば供給がされる。
今は駅前にスーパーしかないけれど居住者が求めれば新たな店ができるはずです。近い将来キャバクラ街ができるかもしれません。でもそれができるまでは青葉台に通うしかありません。
面倒ですがバスで遊びに行きます。
ちなみに青葉台駅界隈には、洗体泡泡系のエステ店があるようです。
これは青葉台に行くしかない!
行くしかないし十日市場にもできて欲しい店。
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線路沿いにあるコルカタのスラム「ダクリアスラム」
橋の下に見える線路がある場所はカンクリアとダクリア地区です。日本で見る線路とは少し様子が違います線路沿いには調理器具もあるし洗濯物も干してあります。
ほぼほぼ炊事場。
普通に人が立ち入っているし日本じゃまず見れない光景です。
コルカタの南の方にある街「ダクリア」。
ダクリアはショッピングモールがあり犯罪率も低いことから比較的富裕層が住むエリアなんだとか。さっきの線路の様子から想像ができませんが大田区みたいなところでしょうか。
大田区は田園調布があります。そのため大田区は富裕層が住むエリアと言えます。でも蒲田もあります。
まるで蒲田には富裕層がいないような言いよう。
そんなことはありません。
大田区は富裕層エリアなんです。大森とか平和島とか糀谷とか。
ぜんぜん反証されてねぇ。
日本でも富裕層エリアに混ざっているようにインドもごちゃ混ぜになっているのでしょう。おそらく富裕層が多くいるけどスラムもある、そんな感じなんでしょう。
こちらはダクリア駅です。
駅の周りにはスラムとなっており2000軒の家が軒を連ね1万人が暮らしているそうです。
ダクリア駅は主要駅のようで頻繁に電車が往来し乗降者数も多いです。
他のスラムと同様に各家に上水下水道はなくあまり衛生的ではない地域。そんなスラム近くに駅があります。
でも駅自体はそこまで汚くない感じです。
やはり富裕層がいるエリアだからでしょうか。
でも走ってる電車、けっこう汚い感じ。
電車って定期的に掃除するもんだと思うんですがその様子が一切伺えないんです。
電車が全体的に汚い。
割れ窓理論と同じで電車汚いし、まぁいいかなで街が汚れていくのでしょう。
インドが汚いの電車が原因。
インドが汚い原因の電車が通ります。まさかのラッピング電車。そのラッピング電車も若干きたなめ。
インドに来た感じです。
私は都心で働いていた時期があり毎日満員電車に乗っていましたがこの通勤電車に乗れる自信はありません。日本に比べると空いているのかもしれません。でもドアが開いたままなんですよね。
日本の電車は窮屈だけど乗っちゃえば安心できる。インドはぜんぜん安心できない。。
実際に転落事故はけっこうあるそうです。
この旅ではじめて踏切をみました。車は通れないようになっていますが歩行者は踏切は関係ないようです。そもそも私自身も踏切の中にいます。
線路沿いを一直線に歩くスタンドバイミーの世界。
日本でこんなことをしたら大変ですがインドでは線路を歩くのは日常?なのでしょう。車も来ないし安心ですからね。一般の道は交通量も多い上に交通ルールが守られてないんです。駐車車両も多く歩道も整備されていない。歩道があったとしても露店があって歩きづらい。それに比べると線路は歩きやすい。
まぁ線路沿いって高確率でウンコ落ちてるのでうんこ踏む可能性は極めて高いのですがその程度。
いやその程度で済ませちゃう衛生観念。
車にひかれるよりうんこ踏む方がよいでしょう。
き、汽車だー。
上下線とも同時に電車が来てしまいました。エスケープゾーンがあったので大丈夫でしたが線路内を歩くのは危険です。
このあたりはダクリア駅の西側。ダクリアは二路線ありここは線路に挟まれたエリアです。パンチャナンタラといわれるスラムでここは目抜き通りのようなところ。商店が軒を連ね人の往来が激しいです。イメージするスラムとは違い北区や足立区とかにある商店街のようです。さすがに北区でこんなところは見たことない。
目抜き通りっていうか線路沿いだった。
こちらは動画冒頭で見た炊事場の線路。炊事場であり洗濯物干場であり玄関であり子供の遊び場であり作業場でもある線路。
そういえばここ、トイレでもあった。
けっこううんち落ちてる。スラム内にはトイレが用意されていますが一つのトイレに複数の人が利用します。朝はトイレが混むのでしょう。
間に合わない!そんなとき、フリースペースがあるんです。
線路をフリースペースだと思ってるインド人。
実際にフリースペースのように使ってます。
洗濯物とか干してあるし。
でもその洗濯物が干されているところ、たぶんうんこ落ちたしね!
治安の悪い地域ってことでしたが活気があってよさそうなところです。でも夜になると危険地帯なんでしょうね。
ダクリア駅の西側、線路を二つ渡った先。こちらはパンチャナンタラロードです。
このあたりは路地がかなり入り組んでおり小さな家が点在しています。お店がある通りに関してはよくあるインドの街並み。
一般的には危険と言われる地域なのでしょうが午前中のためか危険な感じはしません。やっぱ足立区と同じ空気感がする。雰囲気が足立区ってだけ。足立区にスラムがあるなんて一言も言ってない。雰囲気が足立区名だけです。
せっかくなんでここいらで食事にしましょう。
スラム街そばにある屋台めし。
こちらはプーリーと芋と豆のカレーです。
それに玉ねぎと甘い汁。
チャパティを揚げたのがプーリー。今回の旅ではじめて食べた食材ですが私はこのプーリーが好きになりました。
揚げ物だし朝から食べるには少し重いですがインドでは定番の朝食のようです。立ち食いソバ的なやつでしょうか。芋と豆のカレーも定番のようです。
基本的にどこで食べてもカレーはおいしい。
朝ご飯には優しいカレーです。主食は揚げ物だけど!
サラダは生だから手をつけません。あと甘いなぞの汁、ちょっと不安過ぎて食べられない。
屋台は基本的にどこも衛生的ではないですがお腹は壊していません。一応お腹を壊さないように注意しています。
注意している人は本来屋台で食べないんですが手軽で低料金で食べれる屋台って便利すぎです。屋台を選ぶポイントは客がいるかどうかです。混んでいる店であればあるほど安心度は高いです。食中毒の原因は食材の常温での長期放置でしょう。客がいればサイクルが早いため食材が劣化しないため客がいる店にしか立ち寄りません。
プーリーが熱い。しかも油でベタベタ。右手でどうにもできないから不浄の手発動。
インド人は左手使わないで どうやって食べるの?
本日はコルカタのスラムを巡りました。スラムというより線路沿いの住宅を巡っただけ。普通の街並みではありませんが普通のインドの光景って感じ。デリーで見たのと同じでした。スラム巡りはデリーでさんざんしてきました。
JJコロニー、カリヤンビハール、ザキラスラム、バルジットナガー、アナンドパルバット、サンジェイコロニー、ジャイロワラバグ、クワジャ・ミール・ダード。確かにけっこうめぐってる。
そんなわけでお腹いっぱいなんです。どこのスラムも基本的には変わりありません。小さな家がひしめき合っているだけ。少し治安が悪そうなところもありましたが普通の人が普通に生活しているだけなんです。
つまり足立区と一緒。
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カーリー寺院の門前にあるコルカタ三大私娼窟を探せ!
こちらはコルカタの中心から5km南にある駅「カリガット駅」です。
宿泊しているエスプラネードから6駅先なのでコルカタメトロに乗ってやってきました。
ちなみにコルカタのメトロ、平日は7時から運行がはじまるそうです。日本の電車と比べるとはじまるのが遅いですね。日曜日に至っては14時から運行開始。
遅いどころじゃねぇ。
日曜日は仕事が休み、鉄道会社だって休みたい!そんな感じなんでしょう。この緩い感じ、暖かい国に来たって感じがします。
中心地から南にあるカリガット。
カリガットはコルカタの中でも古い街なんだとか。コルカタは以前はカルカッタと呼ばれてましたが1999年にコルカタに名称を変更しました。なんとなくカリガットと似た感じですがどうやらコルカタの名前の起源はカリガットに由来するんだとか(諸説あり)。
カリガットはカーリー寺院が有名です。
カーリー寺院はヒンズー教の寺院でカーリーという女神がまつられているそうです。
女神って才色兼備で優しいイメージがありますがカーリーはちょっと様子がおかしく肌は黒く、目は赤く三つあり、腕を四本持ち、長く垂れた舌を出して手には刀と生首をもつ悪魔みたいな見た目なんです。それもそのはずでカーリーは殺戮と破壊の象徴とされる女神様なんです。
女神様じゃなくこれはもうSMの女王様。
そのカーリーがまつられている寺院がこの付近にあり隣接するアディガンガ河にガートがあるため「カーリーのいるガート」でカリガートとなったようです。
コルカタの名称の由来、SMの女王様!
こちらは寺院に行くテンプルロードです。
上にはカリガートスカイウォークを建設中です。
テンプルロード、つまり参道ですので当然通り沿いには露店があります。でもここは車も通るため、歩行者、露店、自動車、犬が多くいました。そんなわけで日頃から大渋滞だったそうです。その渋滞を緩和するために2021年よりスカイウォークの建設が始まりました。
スカイウォークを建設するほどカーリー寺院は人気の寺院なのでしょう。私がここに来たときはまだ工事中でしたが現在はスカイウォークが利用できるようです。
こちらがカリガート・カーリー寺院です。同寺院は15世紀に創建され現在の本堂は1809年に建立。昨年改修工事をしたそうで外観がキレイです。こちらは人気の寺院で観光客が多いようです。
同寺院の入場料は無料ですが寺院周りには詐欺師がいてお金を要求されます。
市内にはほかにもダクシネスワールってカーリー寺院がありますがそちらよりもこっちのほうが人気なんだとか。カリガート・カーリー寺院が人気な理由はこちらでは毎日生贄を捧げているんだとか。
血と争いを好む女神様「カーリー」。かつては男児を生贄に捧げていたそうです。イギリスの植民地時代にそれは禁止され現在はヤギを生贄にしているそうです。毎日午前中にヤギの首を落としその場で皮を剥ぎ肉にして販売するそうです。
ほぼマグロの解体ショーと一緒。
その生贄を捧げるイベントが人気のようで結構混雑しているんだとか。
血と争いを好む女神様。
いかにも悪そうな雰囲気がありますが悪を倒す神様として崇められコルカタがあるベンガル地方では信仰されてます。ちょっと変わった信仰ですが日本のなまはげみたいな感じでしょうか。でも私は血生臭い解体ショーは興味がありません。
ヤギの首を落とすところを観光で見る。
ちょっとゲスいんじゃないでしょうか。そんなわけで寺院の中には入りませんでした。
カーリー寺院のそば、ここには私娼窟があります。カリガットに来た理由がこれ。
ヤギ見に来るよりゲスいヤツ。
神社仏閣のそばに歓楽街ができるのは自然の摂理。とくにカリガットはイギリス統治以前からある古い街です。しかも毎日大勢の参拝者が来るんです。ヤギの首を切り落とすやつ見た後どうしますか?
そりゃ私娼窟に行くに決まっているでしょう。
インド人、サイコパス。
どうやらここには1500人ほどの私娼が住み、売春宿が点在しているんだとか。
コルカタにはいくつか私娼窟があります。有名なのはソナガチでしょうか。先日立ち寄ったボウバザールも地元じゃ有名です。そしてここカリガットも有名な私娼窟でソナガチとボウバザールとカリガットがコルカタ三大私娼窟にあたるんだとか。
カリガットに沿うようにあるアディガンガ河。ガートがあり、かつてはもく浴ができる川でした。
カーリー寺院のそば。元々は参拝の際にここで見を清めたのでしょう。今は清めるどころか汚れるであろう水の色。ここはイギリス統治時代に運河を掘削し、水路として利用することになりました。しかしそれにより河川が汚染され1960年代には産廃が投棄されるようになりアディガンガ河はどぶ川になったようです。
ここがコルカタの名称発祥の場所だよ!とは言いたくない川の汚れ具合。さらには私娼窟があるときたもんだ。これじゃあコルカタはそんな街と言ってるようなもの。
そりゃ「諸説あり」と濁して言いますよね。
でも私はここがコルカタの名前の由来だと信じてます。なんか雰囲気が浅草っぽい感じがするんです。なんか浅草付近にそういったところがるような言動。
この川沿いに私娼窟があるそうです。まだ午前中のためどこにあるかがわかりません。路地の中に入ってみましたが普通の住宅街。かなり路地は入り組んでいます。でもデリーのスラムのような汚さはないです。
なんだったらちょっとキレイな街並み。
当然ネオン看板のようなものがあるはずなく日本のように「風俗街はここだよ!」みたいな看板もない。知らない人からしてみれば普通の住宅街なんです。これが海外風俗街の問題点です。
たぶん地元の人はどこが風俗街でどこが風俗街じゃないのかがわかるのでしょう。地元じゃない人間にはその判断が難しいのです。風俗街か否かは空気感で判断しなければならない。日本人は空気を読む人種なんて言われていますが、ぜんぜん読めねぇ!
こちらはカリガットロードです。通りに沿ってお店がある参道のようなところ。神社そばなのでかなり賑やかです。
こちらの路地裏にはNPO法人があります。子供の教育および女性の法的支援をしている団体。NPO法人があるのはそのような街だという証拠。どうやらこの界隈が私娼のいるエリアのようです。
ここで働いているのはネパールやバングラデシュから連れてこられた人たち。毎年1万人近い人が近隣諸国からインドに売られておりそのうちの7割以上が未成年なんだとか。だまされたり誘拐されたりしてここに来るそうです。やっぱりインドの私娼窟は重い話ばかり。そんな重い私娼窟がこの界隈にあるようです。
でもごく普通の街並みだし私娼の気配はないです。この界隈には住んでいるようですがどうやら客引きをしている場所は違うんだとか。
たしかにここは参道なのでお客さんが多いです。参拝客もいるし普通の買い物客も多い中から利用者を見つけるのは困難です。利用者しか来ないところで客引きした方がよいってわけで客引きの場所は橋の上のようです。
チェトラブリッジとカリガットセトゥブリッジ。この二つの橋で客引きをしているんだとか。
買い物客も参拝客も橋の上なら来ません。
橋に来るのは橋を渡る人、そして売春宿を探し求めている人だけです。
こちらはカリガットセトゥブリッジです。この橋を渡るとキダプールってところへ行けるようでキダプールにも私娼窟があるそうです。ここがカリガットの私娼エリアのようです。
橋なので当然向こう側に渡るだけの人もいます。渡る人に紛れて私娼窟利用者もここに来る。私娼窟利用者はこの橋を往復するんでしょうね。そして目当ての女の子を探すのでしょう。
つまり一回だけ通り過ぎる人は橋の利用者、往復する人は私娼窟利用者。客かどうかを判断しやすいようになっています。
橋を往復してみました。
こいつ、往復してる!明らかな私娼窟利用者。
いやまだ利用すると決まったわけではありません。いちおうちゃんと見定めてからじゃないとね。あとは予算とかサービス内容とか。
利用する方向でしか考えてない!
でも私娼はいません。チェトラブリッジのほうがいるのでしょうか。何往復かしてみましたがいませんでした。
何往復もしてる!明らかに利用者。
でもそれっぽい人は立っていない。そもそもまだ9時過ぎです。さすがに早朝からそのような営業をしているのは日本のソープランドくらいです。私娼が立つ時間はもう少しあとなのでしょう。
日本の感覚で午前中に来てしまいました。朝から風俗に行くやつ日本人くらい。
本日はコルカタの三大私娼窟の一つ、カリガットに立ち寄りました。午前中だったため私娼窟は普通の街並みでした。私娼が出てくるのは午後からのようです。
ちなみにカーリー寺院の儀式が行われるのは11時頃。ヤギの解体は1時間ほどかけて行うそうです。解体ショーを見たあとそのまま私娼窟へ行けるシームレス観光。ちゃんと観光客に配慮しているようです。
やはりここは寺院に戻って解体ショーを見るべきでしょうか。
でも私は、このまま橋を往復し続けます。
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コルカタのバックパッカー街!怪しいSPAが多い「サダルストリート」
こちらはインドのケンタッキーフライドチキンです。タイやミャンマーにあるケンタッキーではライスがあるのが基本です。
チキンとコメの相性は絶対に良い。
味が濃い目のフライドチキンとライスが合わないはずがないんです。
日本の主食はお米です。でも日本のケンタッキーにはコメがないのです。唐揚げ弁当、チキン南蛮が普通に食されてるのにケンタッキーと一緒にコメを食べないんです。日本のケンタッキーにもライスを置いてほしいものです。
インドにはコメじゃなくてビリヤニがあります。
当たり前のようにスパイスを使った料理がある。いいですね。
こちらはチキンビリヤニです。チキンとのコンボで280円くらい。定食屋よりは少し高めです。
ケンタッキーがあった場所はエスペラネード駅のそば、ハンイユーンプレイスってところ。繁華街となっており人が多くいる地域です。
本日はエスプラネード界隈でのんびり過ごします。このあたりがコルカタの街の中心で私もこの付近に宿泊しています。
地下鉄も走っているしバスも多く通る。
大通り沿いなのでタクシーすぐに呼べる。
あと宿も安くて食事にも困りません。
観光の拠点には最適な場所です。
こちらはサダルストリートという安宿街です。
バックパッカー街「サダルストリート」。
コルカタに来ている日本人は大体この付近に泊まるのではないでしょうか。ここはバックパッカーの聖地でバンコクのカオサンのような場所です。
インド博物館から突き当りの消防署まで400m。その短い通りの間に安宿や飲食店、旅行代理店、両替所などがあるエリアです。旅行者に最適な街なのでしょう。
バックパッカー街であれば有益な情報が手に入るからコルカタに来る旅人はみなここに集まる。
私もバックパッカーの端くれです。やはりここには立ち寄るべきでしょう。このようにここは旅人の集まる地域です。
でも昔の旅と今の旅の形は変わり今はバックパッカー街を必要としなくなってます。
かつてのバックパッカー街は旅人の情報収集地でした。
インターネットのない時代は情報は人づてで有益な情報は容易に得れませんでした。旅行本も情報手段の一つですが情報は古い。最新の情報は現地で得るしかないのです。しかし現地で入手するのも簡単ではない。でもバックパッカー街なら情報が得れるのです。
旅という同じ目的を持った人が集まり先人たちの知恵を得ることができる街。ネットのない時代のネットワークがバックパッカー街にはあったのでしょう。
バックパッカー街ならホテルが安く泊まれる。
両替も良いレートのところがある。
おいしい料理屋の情報が入手できる。
航空券などが手軽に手に入る。
そのため旅行者はここに集まりました。ここであれば最新の情報が入手できるため旅行者はバックパッカー街に集まったのでしょう。とくにアジア旅行の醍醐味はバックパッカー街に行くことです。情報だけでなく様々な地域の人と話すことができ新たな価値観が生まれる。
バックパッカー街はそんなところだったのでしょう。でも今は状況が変わりました。
人に聞く必要はなくスマホで調べられる。
言語が分からなくても翻訳でどうにかなる。
ホテルも比較サイトを通じて安く泊まれる。
両替はせずにカードでキャッシングができる。
レビューサイトで飲食店の評価が見れる。
チケットもネット経由で取得できる。
インターネットとスマホの普及によりネットで調べれば情報が容易に入手できるためバックパッカー街に泊まる必要がなくなりました。
私自身も両替は初日の空港でしただけで以降はキャッシングにしています。レートは決まってるので不安はありません。
ホテルもネットで予約しています。支払いはネット決済なのでトラブルもありません。
ネットで調べればレストランの評価が見れます。
チケット関係もネットで予約するので問題ない。
そのためバックパッカー街に泊まる意義がないのです。
でも宿代が安いのは魅力的です。
ゲストハウスは安いところだと1000円以下。一般的なドミトリーで2000円前後。普通のホテルは3000円から。
安く済ませるのならばゲストハウスですがその多くが共同部屋です。同じ部屋に二段ベッドが複数あり、知らない外国人と共同生活をする形です。多文化に触れられる、国際交流ができる。ゲストハウスにはそういったメリットがあります。
でも私は陰の者。
陰キャの私がそんなとこに泊まったら恋愛リアリティーショーが始まっちゃうじゃないですか!
ゲストハウスこそがバックパッカーの醍醐味。
旅行者同士の交流こそ至高。
週末は宿泊者同士でパーティーしようぜ。
こういうウェイ系のノリ、苦手なんです。もちろん交流を良しとしない人もいます。そういう人も安宿を利用するでしょう。
でも交流しようぜ!って言ってる人たちって声が大きいじゃないですか!そんなわけでゲストハウスの方針がそっち寄りに偏りがちなんです。
ただでさえ毎日インド人に話しかけられてるのにこれ以上知らない人と関わりたくない。
だからゲストハウスには泊まりません。
ちなみにサダルストリートにある最安値の宿はエアコンなしで水シャワー。
質の悪そうなテラスハウス。
この界隈が安宿があるエリアでしょうか。私はこれまで色々なバックパッカー街に行きわかってしまったのです。
安宿のあるエリアSPAあり。
バックパッカーは歩くため足が痛くなる。
バックパッカーは荷物を持ってるため肩がこる。
安宿街にSPAがあるのは理に叶っているのです。
でも、これらのSPA、体を休めるためのものじゃなさそうです。私はこれまで色々なバックパッカー街に行きわかってしまったのです。
ここにあるSPA。
マハラジャコースがあるってことを。
私娼窟に行き私娼を買う。
これ、人道的な問題がありますよね。
金で女を買うなんて人間のすることではない。
鬼畜生の類い。
人の皮をかぶった悪魔。
私娼窟を出入りすれば後ろ指を指されるのです。
周りから白い目で見られるのです。
でも人は 抗えない欲求ってものがあるんです。周りから白い目で見られずに風俗を利用できないか?
それが、SPAなのです。
SPAはあくまでもマッサージ店。
マッサージをしてただけ。
SPAから出てきても「あーこの人はマッサージしてたんだな」って周りの人は思うでしょう。
表向きは普通のSPAだから誰にも責められない。アダルトビデオショップと同じシステムなんです。
アダルトビデオショップって入り口のところに普通のビデオが置いてあるんです。誰がどう見ても普通のビデオショップ。だからアダルトビデオショップから出てきたところを見られても普通のビデオを買いに来た人と思われている。
いやあれは誰がどう見てもアダルトビデオショップ。ソフトオンデマンドって店が普通のはずがない。なんのカモフラージュもされてない。
SPAを利用する人、8割9割マハラジャコースを選んでるはず。
サダルストリートの奥も安宿街となっています。ただちょっと街並みが変わります。
マルキアスSTとミルザ・ガリブ通りの交差点。ホテルに混ざってハラル料理店が多くあります。このあたりはムスリムエリアのようでバングラデシュ人が多くいる地域なんだとか。
街ナカにはベンガル料理店ってのがあります。
ベンガル料理ってバングラデシュ料理っぽいですがコルカタは西ベンガル州にあります。
ベンガルの名前の由来はオーストロアジア語の太陽神を意味する「ボンガ」が由来なんだとか(諸説あり)。紀元前1100年頃にヴァンガ王国ができ、その名が今でも残っているそうです。インド分割の際に国境で分断されましたがベンガル地方はコルカタやバングラデシュの辺り。ベンガル料理はこの辺の料理ってことでしょうか。つまりコルカタのご当地グルメ。
せっかくコルカタにいるんです。
ベンガル料理を食べるべきです。
コルカタはガンジス河の河口そばだし海も近い。そのため魚料理がこの辺は多いようです。
でも魚って気分じゃないんですよね。
やっぱ肉なんですよ肉、そしてマトン肉。マトン肉が羊なのかヤギなのかはわかりませんがマトンのビリヤニが食べたい。
ってわけでこちらのお店に立ち寄りました。リボンストリート沿いにあるムグライ料理店。
ムグライ料理ってことはムガール帝国料理。つまり北インド料理ってことでしょうか。
ご当地グルメを堪能する気ゼロ。
こちらの店、南インド料理も出してるようです。
よくある定食屋だった。
頼んだのはこちらです。こちらはコルカタビリヤニってやつでしょうか。これ、ベンガル料理でよいのかな?
ジャガイモが丸々一個入っています。肉はマトンです。
ビリヤニはムスリムの代表的料理。
ハイデラバードが有名だと思ってましたがコルカタのビリヤニも有名なんだとか。
っていうか味付けが各地で違うんですね。
コルカタのは炊き込みご飯感が強め。そして地域関係なく量多い件。
スパイスで食べるのではなく出汁で食べる感じ。日本人が好きな味わいです。
こうやってインドのいろんな料理を食べる。そういうインド旅行も楽しいもんです。いろんな南インド料理、食べちゃいましょう。
ってわけで翌日はこちらを食べました。
ビリヤニです。
同じもんしか食ってねぇ!
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消えてなくなる昭和遺産!再開発で生まれ変わる緑区中山「昭和レトロ街」
本日は横浜市緑区にある中山駅に来ております。JR横浜線と市営地下鉄の乗換駅である中山駅。
市営地下鉄は2008年開業なのでまだ20年経っていないんです。でも横浜線が開業したのは明治のころ。
絹製品の一大産地であった八王子から横浜港をつなぐ絹の道。絹の道に沿う形で1908年に横浜線が開業しました。
いまいちピンと来ない駅ですが横浜線開業当初からある中山駅。歴史ある駅なんでしょうね。
こちらに中山商店街とかかれたアーチがあります。明治末期からある中山駅ですが商店街ができたのは戦後でした。戦前は商店街はなく田舎だったのでしょう。現在は使い勝手のよい場所になりました。
中山駅最寄りにはズーラシアがあります。野毛山動物園を移設するためにつくられたズーラシア。
結局野毛山動物園は残ったままでズーラシアは1999年に開業しました。
25年も前からあるズーラシアですが神奈川県民なのに一度も行ったことがありません。そもそも中山駅で降りたのも初めてでした。せっかくなんで動物園に行ってみようと思いましたがズーラシアの最寄りなのにけっこう遠い。
片道3.5kmの距離。どうやらバスで行くようです。
ほぼアマゾン奥地のような秘境にあるズーラシア。
子供でもいれば動物園に行くのでしょうがこの年になると行く機会もなくなります。私が最後に行ったのは、大阪梅田にあった兎我野動物園です。
それはたぶんヘルス店。
こちらは駅に併設されている商業施設「ビーンズ中山」です。もともとは「ロンロン中山」って名前で1985年に開業しました。バブルがはじまる少し前にできたお店です。歴史を感じますね。
吉祥寺ロンロンの流れを汲む店だったようですが2013年にビーンズ中山に名称変更しました。ロンロンってなんか名前がロンドンみたいですね。
ズーラシアがあるので週末は家族で賑わう中山駅。
そんな中山駅そばにはロンドンがありました。
まさに昭和のバブルの頃の店。まさかのロンドンが中山にはあるんです。
今日はロンロン中山でショッピング、その後はロンドン中山A館ってのができたんです。昭和の末期が全盛期だったキャバレーロンドン。こちらは看板が残ってますが閉店した模様です。
地下一階の入り口はベニヤ板で閉鎖されています。閉店したっていうか閉鎖されてる感じ。摘発でもあったのでしょうか。
キャバレーと名乗ってますが本質はピンサロのロンドン。かつてはテレビでCMまで流していましたが飯食うところでパンツ脱ぐ店でした。
一般的なロンドンは手か口でしたが特殊な手法を取り入れたロンドンもありました。しかしそれらの店は摘発。また飯食うところでパンツ脱ぐのが好まれなかったのでしょう。全国にあったキャバレーロンドンは壊滅しました。
私が最後にロンドンを利用したのは2006年。川崎のいさご通り沿いにあるロンドンでした。しかしそちらもいつの間にか閉店していました。
中山のロンドンはいつ閉店したのでしょうか。10年以上前には閉店してそうな感じがします。しかし閉店後も看板は残ったまま。
ピンサロがあったところに入居する店がないのか。それとも日本昭和遺産として残そうとしてるのか。
たぶん昭和を残そうとしているのでしょう。
どうやら中山がある横浜市緑区では昭和らしさを大切にしつつ、誰でも優しい商店街づくりを目指してるんだとか。
まさにキャバレーロンドンは昭和らしさの代名詞。いつか復活する日が来るようです。
こちらには緑新栄会とかかれた看板があります。駅から少し離れたところにある飲み屋街です。
中山駅はJR横浜線と横浜市営地下鉄の乗換駅。中山は横浜のベッドタウンのようなところですがそうではなくこの界隈は工場街で駅北側の恩田川沿いは工場が今でも残っています。
海に面しておらず中途半端なところですが東海道新幹線の新横浜駅まで3駅の中山。平坦なため工場を誘致するには適していました。
田畑だったところに1960年頃から工場が増え、80年代には白山ハイテクパークという企業団地もできました。高度経済成長期からバブル期の頃は多くの人が中山駅を利用したのでしょう。
仕事終わりに一杯ひっかけるってのが昭和時代のアフターファイブ。それを叶えてくれるスポットが中山にありました。それが緑新栄会です。
こちらはスナックや居酒屋が軒を連ねる飲食街。
現在40軒ほど飲み屋があるんだとか。
1960年ころにできた飲み屋街。まさに労働者のための街です。60年経った今も飲み屋街として生き残ってます。
ちなみに緑新栄会は緑区遺産に認定されてます。緑区遺産は区内にある有形の歴史・文化的資源でその価値が地域に認められているものを登録し、区がPRなど支援する取り組みなんだとか。
緑区はロンドンを残そうとしている。
でもかつての状況とは変わってきているようです。最盛期の頃は80軒以上あった飲み屋ですが不景気により付近の工場が閉鎖。客足は遠のき、飲み屋は半分ほどに減りました。
中山にはリクシルの横浜工場がありましたがそちらも2023年に工場が閉鎖しました。
アルミサッシの工場でしたが住宅着工数の減少を見越して閉鎖したようです。跡地にはマンションができるのでしょうか。
すげー矛盾している!
横浜線で新横浜にも出れるし横浜にもいける。
横浜市営地下鉄に乗ればごちゃごちゃってしたところにも行ける中山駅。住まいとしての利便性がよくなったのでしょう。
中山駅の北口側は工場が多くありましたが工場閉鎖後の跡地には住居ができているようです。リクシル跡地にできるのも住居なんでしょうね。
かつては仕事終わりに飲みに行ってましたがそういう人がいなくなり利用者も減りました。そのため駐車場や廃虚っぽいのが目立ちます。
駐車場の脇に小さなプレハブ小屋があります。てっきりパチンコの景品交換所かと思いましたがこちらにもかつて飲食店がありました。
この雰囲気はよさげな予感がします。
創業40年のプレハブ居酒屋。しかし店主が亡くなられたそうで昨年末に閉店したそうです。もう少し早く来ていればこちらで飲めたんですね。
ちなみにこの店、吉田類の酒場放浪記でも来ているようです。
飲み屋街に行くと必ず遭遇する吉田類。
こちらはスナックかキャバクラでしょうか。川崎にも似たような名前の店がありますがそちらの系列店なのかな?もしそうだとするとロンドンと同じ業態のはず。でも調べたところ普通のキャバクラでした。どうやらこの街はそっち系の店がないようで普通の飲み屋街です。駅前にロンドンがあったってことはかつてはそれと似たような業態の店もあったのかもしれませんが住宅密集地の中山には不要とされたようです。
それでもキャバクラはあるんですね。
新しい飲み屋もありますがなんとなく昭和の空気が流れる緑新栄会。
現在中山駅南口は再開発がはじまろうとしてます。
JRと地下鉄が二路線ある中山ですが駅南側は電車が通っていません。そのため多くの人がバスを利用するようで一日400本のバスが駅前を出入りします。しかし駅前の道は狭く通勤時間帯は混雑します。歩道も狭いため危険な状態になっています。そのため駅前再開発が決定しているんだとか。感染症などの影響で工期が遅れてますが2029年には完成するそうです。
飲み屋街の周りには廃墟や駐車場が目立ちますがこの界隈は駅前ロータリーとなります。
駅東側には6階建ての商業施設が、西側には29建てのマンションができるそうです。益々中山駅が賑わいそうですね。
再開発により飲み屋街の様子も変わるのでしょう。ちなみにキャバレーロンドンに関してですが開発地域ではありませんでした。
これはまだ看板が残りそう。
そもそもロンドンのあるビルの名称は三経8ビル、ロンドンの運営元の所有でした。もしかしたら令和11年に、キャバレーロンドンが復活するかもしれません。
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高級住宅地ソルトレイクシティ その周りにある都市型スラム「ビダンナガル」
コルカタは鉄道、メトロ、トラム、バスと複数の公共交通機関があります。その中で一番使い勝手がよいのはバスです。路線を知らなければなりませんがルートはグーグル地図で確認ができます。
バスの乗り方は料金徴収員に行き先を伝えて運賃を渡すだけ。運賃はいくらか知りませんが値段は安いです。
ラッシュ時間帯は混んでて乗れませんがそれ以外は結構快適です。とくにバスは市内全てを網羅しています。
時刻表が無いためバスの時間はわかりませんがけっこう頻繁にバスが走っているのでバス停で待っていればすぐに乗れます。
私はこれよりビダンナガル地区に向かいます。
コルカタの北側にはコルカタ駅があります。コルカタの主要駅は川を渡ったハウラー駅です。コルカタ駅がある場所はもともと操車場でしたがコルカタの鉄道利用者増加により駅が必要となり2006年に旅客駅となりました。
こちらがビダンナガルロード駅です。
ビダンナガルロード駅はコルカタ駅のそば。シールダとラナガットを結ぶ路線のジャンクション駅。
近郊の駅の中でも比較的混雑する駅なんだとか。たしかにめちゃくちゃ人が降りています。
駅の東側にはソルトレイクシティーがあります。ソルトレイクシティーは新興住宅地ですが現在はまだ交通の便が悪いです。ソルトレイクシティーはメトロがあります。でも全線開通しておらず使い勝手が悪い。そして北側からはメトロはつながっていない。そのため北部の人はバスで行く形となりますがその出発地がビダンナガルロード駅のようで駅で降りてバスを利用する人が多いようです。とくに午前中は大混雑するそうで毎日100万人近い人が駅を利用するそうです。
インド人、ずっと人大杉。
そんな駅の目の前、スラム街となってるんです。こちらはバサンティーコロニーってところで線路沿いにスラムがあるエリアのようです。奥には市営住宅が、手前には平屋の住宅があります。
スラムって無秩序に建てられた住居があり統一感がないのですがここは仮設住宅がある避難所みたいな感じです不法にできた住居ではなく行政が用意した住居。トランジットキャンプのような場所みたいです。
駅階段を降りたところは商業地になってます。
今の日本はこういったところはなくなりましたがかつては駅前にこの手のスラムがありました。
戦後のドサクサで駅前にバラックを建て商売をする。そういったのが日本でも日常だったのでしょう。
交通の要衝であるビガンナダル駅前。コルカタの東に行くための場所。鉄道がないためバスかタクシーになるので駅前にはオートリキシャ―がいっぱいいます。
駅前のタクシー行列なのでしょう。
もう動かすのが困難なくらいになっちゃってます。客待ちをしているのでしょうか。ここで待っていて客捕まえられるのかな。人は多いけどリキシャ―の乗る人は少ない。駅前はバス待ちの人ばかり。
これ客待ちではなく自宅前に停めてるだけでしょうか。リキシャ―運転手はスラムで住む人がいます。自宅前に停車している、つまり出勤前。
だってそうじゃないとおかしいでしょ!動く気配ないし、そもそも動かせる隙間がない。運転席にいないリキシャ―もあります。
っていうかリキシャ―だらけで歩きづらい。
リキシャ―の群れの先は住宅地となっています。ここまでく来ると人が少なくなります。駅の近くなので道路に面しているところはお店があるようです。
さらに離れると簡易住居、ジュギがあります。ビダンナガルロード駅東側がスラムになっておりこの狭い地区に4000人も住んでいるそうです。
9割がイスラム教のムスリムコミュニティエリア。そういえば駅前にビリヤニ屋がありました。
ムスリム文化から生まれたビリヤニ。ここでは美味しいビリヤニが食べられそうです。
こちらのスラムは2010年1月に火災が起きてます。
スラム街は狭路で消防車が侵入できない。
建物が隣接しているため延焼が避けられない。
薪や炭、固形燃料を使うため火災のリスクがある。
スラム街では定期的に火災が起きており避難路がないため死者も複数出ています。バサンティーコロニーも大きな火災があり多くの家屋が焼失し死者もでたんだとか。
こちらは空き地になっていますがこのあたりが火災現場でしょうか。もともとは市営住宅のようなものがあったようですが現在は更地になっています。
スラム近くではビルを建設しており、バサンティーコロニーも再開発されこのような景色は見れなくなるのでしょう。
ソルトレイクシティーへ向かいます。バスで行けるようですがせっかくのコルカタ観光。歩いて向かいましょう。
観光って様子じゃない。
幹線道路をただ歩くだけ。
環状八号線沿いを歩いているだけのような観光。
でもこういった海外旅行もいいじゃないですか!
これより向かうのはソルトレイクシティーってところ。塩湖だったところを1960年代に再開発。人が住めるようにしたそうです。
全てを埋めたわけではないため付近には湖が多くありその湖の周りにも人が住んでいるようです。
この界隈は比較的新しめの建物が多いです。
インドといったら平屋の住居になんかカラフルな布がかかってるイメージ。そのイメージはそろそろ更新すべき。
もうインドは先進国に仲間入りする勢いなんです。コルカタはこのようなマンションが乱立してます。昔は汚い池のそばに平屋の簡易住居があり住まいなのか倉庫なのかわからない状態でした。
そんな景色はすでになくこのマンションがコルカタの景色そのもの。
平屋ではなく高層マンション。
洗濯物は室内干し。
白を基調としたキレイな建物。
まさに先進国インドの様相です。
とくにソルトレイクシティーは新興住宅です。新しく出来た街に低廉な住居があるはずがない。もうインドは 昔とは違うのです。
こちらはベンガルケミカル駅です。
ベンガルケミカルは製薬会社の名前でインドの国営企業なんだとか。この付近に工場があるためその名が駅名になっているようです。
東西地下鉄線の一つであるベンガルケミカル駅。東西地下鉄線は西側にあるハウラー駅と東側の新興住宅地を結ぶ路線でベンガルケミカル駅は2020年に開業しました。ハウラー駅からの交通手段は以前はバスでした。地下鉄が開通したことでアクセスしやすくなる。と思いきや地下鉄はまだ全線開通しておらずエスペラネードとシールダ駅は未開通区間です。2024年末に開通するってことでしたが私が立ち寄った時点ではまだ未開通のままでした。
当初は2015年に全線開通する予定でしたが用地買収の遅れやコロナも影響したのでしょう。予定から10年経ちましたが全線開通してません。
でもこの路線が開通すればここも使い勝手の良い駅になるのでしょう。ここよりソルトレイクシティーの中に行けます。
新しく出来た新興住宅。コルカタの中でもキレイに整備された場所で高級住宅街に該当するところのようです。
と思いきやだいぶ香ばしい感じの街並み。
ベンガルケミカル駅の東側。新興住宅地と思いきやスラムがあります。
こちらはダッタバードと呼ばれるスラムです。ここには12000戸、5万人が住んでいます。ソルトレイクはもともと湖があるエリアで湖の周りに漁業関係者が住んでいました。しかしコルカタの人口増加に伴い宅地開発がはじまりそこに住んでた人たちは転居を余儀なくされます。その移転先がここダッタバードだったようです。つまり元住人がここに住んでいるそうです。
新設された駅の近くなのにごちゃごちゃしてます。池の周りそばにある平屋住宅。
まだインド、先進国に仲間入りしてなかった!
ここの湖は全てが埋め立てられたのではなくまだ湖として残っている箇所があります。その湖の周りにスラムが形成されています。漁業関係者はまだいるのでしょうか。ここに住む人の多くは家政婦や掃除夫をしており近くの新興住宅地で働いているそうです。職場も近くここは便利な場所なんでしょう。
地下鉄が全線開通すれば人の流れも変わります。そうなるとこのスラムもなくなるかもしれません。
なくならなそうだけど。
こちらがソルトレイクシティです。
ソルトレイクのあるビダンナガー市、ソルトレイクに隣接するニュータウンも含めこの界隈は新興住宅地となっています。他のコルカタ市街地と比べると区画が整理されていてキレイな街並みです。またIT産業および金融の本拠地でもあるそうで比較的富裕層が多いエリアのようです。
インド全体の識字率は74%程度ですがコルカタの識字率は87%と少し高めです。ビダンナガー地区は90%を超えておりほかの地区よりも識字率が高い地区のようです。識字率は貧富の差と密接に関係してます。ここはスラムがないエリアなのでしょう。
他の街よりもちょっぴりきれいなのかな?なんかキレイの基準があいまいになっていますがゴミは少ないし(あるにはある)。野犬も少ない(いるにはいる)。
多少は汚いところもありますが他のインドに比べると明らかにキレイな場所。そのため高級ホテルもこの界隈にあるそうです。
コルカタの街の中心はハウラー川のほうですが近い将来そちら側は旧市街と呼ばれるようになり、ニュータウン側が中心となるかもしれません。キレイな街で富裕層が多い場所。もうここにはスラムはありません。
こちらはバサンティデヴィコロニーです。
ソルトレイクシティー、ニュータウン。
現在も継続してこのあたりは再開発がされており新しいマンションがどんどん建っています。移住者が多く人口は膨れ上がり、この界隈は住人が100万人に達するんだとか。
人が増えれば仕事も増える。
仕事を求める人も増え スラムができるのでしょう。ただこちらのスラムは50年前からあるようです。
1971年に起きたバングラデシュ独立戦争。
インド軍の介入により戦争は終結しましたが民間人の虐殺などがあり多くの難民が出ました。インドに逃げた難民は800万人もいたそうです。
バングラデシュの国境に近いコルカタ。バングラデシュ難民がいても不思議じゃないです。
バサンティデヴィコロニーは近隣のスラムに住んでいたバングラデシュ難民が1970年ころに転居してきたスラムです。
この地区は450世帯、3000人が住んでおりその多くがバングラデシュから来た難民です。
バングラデシュといえばイスラム教国家ですがここにいるバングラデシュ難民はムスリムではなく人口の約90%がヒンズー教徒のようです。
新興住宅地は道も整備されキレイな街並みですがここはスラムが出来て50年経ちますががいまだに当時のままインフラは整っていません。
レーションショップとかかれた看板があります。こちらは低所得者向けの食糧配給店です。インドでは公共配給制度というものがあり貧困層向けに小麦やコメなどの主要作物、また灯油などの燃料を低価格で配給してます。
日本における生活保護。近いのがアメリカのフードスタンプでしょうか。配給が受けられる貧困層は人口の3割。おおよそ3億人が対象者のようです。
対象者は毎月35kg分の食糧を安く配給され1kgの小麦を2ルピー。コメは1kg3ルピーで購入できるそうです。
小麦1kg3.5円、コメ1kg5.25円。
日本ではコメの値段が高騰し1kg700円にもなった時期がありました。インドだと100分の1以下でコメが買えます。厳しい環境ですが飢えて死ぬことはないようです。
ただこの食糧配給制度、食糧の横流しや汚職の温床になっているそうです。
安く仕入れた食材を転売するする受給者。
配るはずの食材を質の悪い食材に入れ替え、利ザヤをかすめとろうとする配給業者。
このように汚職が横行するし効率を考えると現金給付に変えた方が効率的と言われ始めてます。
日本でもフードスタンプの話は出てきますが現物支給をしたところで不正はなくなりません。管理コストを考えると現金給付の方がよいのでしょう。でもインドはまだまだ保護が必要な人が多いので食糧配給制度は続くんでしょうね。
インドはめまぐるしい経済成長を遂げてますが生活に困窮している人はまだいるようです。
この街はまだこのままの状態が続きそうです。
本日はコルカタ市内を観光しました。
いや観光と呼んじゃいけないやつ。
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かつて踊り子がいた街「ボウバザール」はムスリムの多い私娼窟へ
本日はチャンドニーチョク駅の東側、ボウバザールに来ております。
この界隈は宝石店や家具、楽器や靴などを扱う店が軒を連ねているエリア。活気があってコルカタの街を感じれる地域です。
富裕層がいそうな地域ですが路地に入るとホームレスがおりなんか色々とごちゃごちゃしています。
こちらより北に向かうとカレッジストリートってところに行けます。カルカッタ大学など複数の大学がこの界隈にあり多くの学生が出入りする場所なんだとか。そのため書籍を扱う店が複数あります。
この界隈はアジア最大の書籍市場で世界最大の古本市場でもあるんだとか。東京の神保町みたいなところでしょうか。
ボウバザールはコルカタでも混雑しているエリア。いろんなお店があり様々な人が出入りします。問屋街あり大学ありとごちゃごちゃしてます。インドの縮図みたいな街でしょうか。
ちなみにボウバザールには私娼窟があります。
これはインドの縮図。
こちらはレディー・ダッファリン・ビクトリア病院です。同病院は名前の通り女性専用の病院です。インドでは毎日100件のレイプ事件が起きています。これは警察が認知している件数で実態はもっと多くのレイプ事件が起きています。
インドは女性にとって一番危険な国と言われています。カースト問題や女性の地位の低さ、これらが被害に遭う原因のようでレイプ事件は日常となっているようです。
こちらは市内に貼られていたポスターです。
justice for RGKar.
コルカタ市内にあるRGカル州立病院で2024年8月に強姦殺人事件が起きました。被害者はその病院に勤務する31歳の女性医師。検死をしたところ輪姦の痕跡があったそうですが警察は自殺と判断したことでSNSで炎上。抗議の声が集まり事件が明るみとなったようです。
警察は方針を変えて殺人事件として捜査。それにより犯人がひとり捕まりました。輪姦の痕跡があったって通り複数犯のレイプ事件です。しかしほかの犯人はまだ捕まっていません。
バスに乗っていたら乗客全員にレイプされた。レイプ被害で警察署に行ったら警察官にレイプされた。このような事件がインドでは日常的に起きてます。女性医師ですらレイプされるリスクがあるんです。
ジェンダーフリーなどが叫ばれている昨今ですが差別の多い社会では区別が必要なのでしょう。日本にも婦人科はありますが女性専用病院はないでしょう。でもインドでは必要な病院なんでしょうね。
ちなみに同病院があるのは私娼窟のそばです。
これは女性専用の病院が必要な地域。
ボウバザール、プレムチャンド ボラル通り。こちらは500mほどの短い小路です。この界隈は工場があるエリアです。
コルカタの中心にほど近いこの界隈には倉庫が多くあり荷積みをする人を多く見かけます。このように倉庫街のようなところですが路地には派手な服を着た女性たちが佇んでいます。どうやらここにいる女性の多くは私娼でボウバザールは1万人以上の私娼がいるコルカタでも有数の風俗エリアなんだとか。
元々この界隈は踊り子が集まる地域でした。バイジ―という踊り子がここにはいたそうでインドの古典音楽また舞踊を学び宮廷などで舞踊と歌で観客を楽しませる日本でいう芸妓のような人たちでしょうか。コルカタは舞台芸術の拠点といわれておりボウバザールは芸を見せる小屋があったそうです。祇園みたいなところだったのでしょうか。
芸は売っても身は売らぬ。芸妓と娼妓は別物ですが日本でもその線引きはあいまいです。舞妓が性接待してたって告発もありました。クローズドの飲みの席で女性が接客する商売。ゼッタイにないとは言い切れないでしょう。舞妓は300年前から続く性文化なんです。
そしてインドの踊り子も踊りだけではなかったようで舞踊を披露したあとは娼婦の仕事もしていました。いつの時代もどこの国でも似たようなもんです。ちなみにコルカタにあったその伝統舞踊は衰退しこの街は踊り子の街ではなくなったそうです。でも売春だけは残り続けたようでそれが今のボウバザールの姿なんだとか。飛田新地みたいなところでしょうか。
飛田新地も料亭街。
飴玉しか出てこないけど料亭街なんです。まぁそもそも飴玉すら食べたことない。だって滞在時間が15分しかないんですから。牛どん屋よりも滞在時間が短い料亭。
ボウバザールははたして何分でしょうか。たぶん何分とかではなく一回ってくくりなのでしょう。その部分は飛田新地よりも良心的です。
普通の住宅や商店と入り混じり存在する私娼窟。でもそれは普通ではないのでしょう。
日本同様にインドでも風俗街は悪しき存在で当然子供が立ち入っちゃいけないエリアです。飛田新地同様に子供には「行っちゃダメ」と言ってるのでしょう。親はこの街のことを教えてくれない。そのため子供のころはなんだかわかりません。でも子供も成長するにつれてどのような街か理解するようになるのでしょう。そしていつしかここで大人の階段を登るのです。
コルカタ市民はみんなここで大人になるのです。はじめてここを利用するのは勇気がいりますが金銭的な不安はなくかなり安いようです。
年増の女性であれば一回200ルピー。800ルピーあれば遊べるんだとか。400円から1600円ってところでしょうか。千円台で遊べるなんて日本じゃありえません。
ちなみに大塚のピンサロは1500円。
大塚、日本じゃなかった!
インドの私娼窟と同レベルの大塚のピンサロ。
いや大塚のは飲食店。ウーロン茶くらいしか出てこないけど飲食店です。薄暗くて店内が見えないけどちゃんとした飲食店。ボウバザールにある店とは全然違うんです。
大塚は、手か口です。
いや普通の飲食店で手か口って話は出てこない。
大塚はオーラルですが、ここはれっきとした私娼窟。股なんです。
股が400円は異常な安さ。牛めし一杯以下の値段でお遊びができるんです。
でもお土産もらいそうで不安です。
今はだいぶ落ち着いたようですがかつてのコルカタは性感染症が酷い地域でした。90年代はHIV陽性者が4割とも5割とも言われていました。かなりひどい感染者数だったようです。
でも現在はHIVに対する知識の向上、また避妊具の適正利用で性感染症は減少してます。インド全体のHIV感染率は0.2%ほど。アフリカに比べるとかなり低い数値です。このように数値上は低いインドですがリスクはゼロではありません。
日本の感染者数は0.1%。数字上はインドと差はないですが倍の数値。そしてインドと人口は12倍なので日本と比べて24倍のHIV感染者数がいる計算です。そして問題点はHIV感染者の3割が性ビジネスに従事する人たち。
適切な対応をすれば感染しにくいといっても不安はぬぐえません。
感染率はだいぶ下がっているようですがなかなかインドでお遊びするのは難しそうです。私が遊べるのはベトナムやタイくらいでしょうか。この手のお遊びは東南アジアにとどめておきます。
ちなみにアジアだとタイが感染者数が多く1.1%。
ソシャゲのガチャよりも当たる確率が高い。
ゴーゴーバーがさー!マッサージパーラーがさーとか言ってる場合じゃねぇ!
私娼窟の中にはヒジャブを被った女性がいます。
私を客として引き抜こうとしていたため私娼もしくはポンビキのどちらかです。イスラム教において婚前交渉は禁止され相手が異教徒の場合は厳しく禁止されており売春はときとして死罪になるほどの重罪です。でもここにはムスリムの売春婦がいるようです。禁忌を侵さなければ生きていけないようです。コルカタはムスリム売春婦が多いエリアです。
とくにコルカタはバングラデシュに接しており国境までの距離は80kmしかありません。この手の私娼窟は近隣諸国から連れてこられた人、近場のバングラデシュ人が多いのでしょう。バングラデシュは90%がイスラム教徒。当然バングラデシュから来た娼婦もムスリムで、ここで働く約半数がムスリムなんだとか。
このようにムスリムが多い地域のようですがコルカタ市民の8割がヒンズー教徒。そもそもムスリムは買春をしないので利用者はヒンズー教徒になるのでしょう。
ムスリムがここで働いている通り売春は重罪としても一応抜け穴はあるようです。
結婚した体を装えば婚前交渉ではなくなります。そのため行為前に結婚して行為後に離婚をする。このようにすれば罪には問われません。でもなんか悪いことしてる感じがします。
いや女買ってる時点で悪いことだと気づけ。
女を買うのは罪の意識はないが抜け穴を使うのは気が引ける。そのためムスリム女性は人気がないんだとか。宗教が足枷となり自身の求める仕事ができない。ヒンズー教ではカーストにより就ける仕事が限られますがムスリムでも就ける仕事が限られるようです。そうなると最終手段で改宗するしかありません。
改宗はムスリムにとって重罪です。しかしムスリムのままでは客がつかない。そんなわけでヒンズー教に改宗する人もいるんだとか。そうした方が利用客が喜ぶからなのでしょう。
ギャル系よりも清楚系のほうが人気があるみたいな感じでしょうか。
みたいな感じではゼッタイにない。
本日はコルカタ三大私娼窟の一つ、ボウバザールに行ってみました。バラナシからコルカタまで夜行列車で来てその足で私娼窟巡りです。
コルカタ観光でしょっぱなに行く場所じゃねぇ。
これまでデリーやバラナシの私娼窟を見ましたが多少地域の特性があるようで南のほうは大らかな感じ。やっぱり機構が暖かいからでしょうか。でも生活がかかっているからか客引きは強引です。
バラナシでは外国人は相手にしてませんでしたがここでは来るもの拒まずスタイルのようで目が合うと客引きされます。
なんかモテてるかも!
そんな錯覚をしてしまいそうな場所です。
目が合うのは脈ありのサイン。
そんなわけで私はニカブをかぶった目しか見えないムスリムの人、パネマジどころか顔すら見れないムスリム私娼についていきます。
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歓喜の街コルカタ!魅惑の南インド!スラムに立ちんぼに!
本日はコルカタに向かいます。
現在私はコルカタに隣接する都市、西ベンガル州のハウラーにいます。こちらは市内にある駅「ハウラー駅」です。
コルカタの玄関口であるハウラー駅。インド最大で利用者の多い駅なんだとか。
ちなみに世界で一番利用者が多い駅は新宿、次いで渋谷、池袋と続き1位から8位まで日本がランキングを占めてますが9番目にハウラー駅がランキングされています。
約600本の列車が発着し利用者は一日当たり100万人。ここからデリーやムンバイに行けます。コルカタにはいくつか主要駅がありますが多くの人がここを利用するのでしょう。私もバラナシから夜行列車でここに来ました。
橋を渡った先がコルカタとなります。コルカタにはメトロがあり現在も建設中ですが2024年3月にここよりコルカタ市内への地下鉄が開業しました。市内へは地下鉄が一番手軽で早い交通手段です。渡し舟もあるようですが本日は歩いてコルカタへ向かいます。
こちらはフーグリー川に架かる橋、ハウラーブリッジです。1943年に架けられた橋で長さは705m。この橋は世界で最も往来の激しい橋と呼ばれており渋滞が酷いと渡るのに1時間ほどかかるようです。この橋を渡ると歓喜の街コルカタに行けます。
ちなみにインドでは防衛上の観点から橋の撮影は禁止されています。
眼下を流れるフーグリー川はガンジス河の支流でヒンズー教徒にとっては聖なる川なんだとか。この付近にもガートがあり沐浴できるそうです。
私はデリーから鉄道でアグラ、バラナシを経由しコルカタにきました。デリーからコルカタまでは1500km。ガンジス川に沿ってインドの東まできました。なんか感慨深いです。
インド旅行のモデルコースってデリー基点にアグラやバラナシに行くパターンか、コルカタからデリーへ行くルートが有名です。私はデリーからコルカタへ行く逆パターンでした。私のルートも黄金ルートと呼ばれているそうです。
コルカタを最終目的地にしたのは暖かいから。
デリーは日中は過ごしやすかったですが朝方は10度くらいまで冷え込みました。
寒いところに向かうよりも暖かいところに向かいたいじゃないですか!当初はデリーからムンバイに行くつもりでしたが行き先をコルカタにしました。コルカタは 行かなきゃいけない場所があるんです。
だってコルカタには世界最大の私娼窟があるんです。そんなわけでコルカタに向かいます。
コルカタの中心地は橋を渡って1kmほど離れてます。その手前に少し気になるところがあります。
線路沿いと川沿いは大体何かあるもんです。ここはまさに線路と川沿いでごちゃごちゃしてます。スラムかな?って思ったのですが市場のようです。
こちらはムリックガート花市場ってところでインドで最大の花市場なんだとか。
1855年にできた花市場で170年もの歴史があります。
信仰心の強いインド人。花は冠婚葬祭で必要不可欠なのでしょう。
人が多くいて混雑しています。
こちらの市場は朝4時から夜10時まで営業しており午前中が一番混んでいるんだとか。
現在の時刻は午前9時。一番混む時間帯なのでしょう。
花で飾られた美しくキレイな街並みとは言えない雰囲気のある花市場。どうやらここはスラムに接しているようです。
ストランドバンクロード沿い、花市場を抜けるとスラム街が広がっています。河川敷で線路沿いなんであるとは思っていました。コルカタの玄関口に近い場所ですからね。
コルカタ市の人口は450万人。都市圏の人口を含めると1300万人。インドではデリームンバイに次ぐ三番目、世界では20番目に人口が多い都市なんだとか。当然人口の多い都市なのでスラムに住む人も多く、総人口の3割がスラムに住んでいるそうです。
デリーのスラム人口はおよそ2割。コルカタにはスラムが多くあるのでしょう。
世界で最も汚い街と評されるコルカタってことはデリーよりも汚い街なのでしょう。ですがそこまで汚くないんです。
当然スラム街はあるし路上生活者もいる。
ゴミも散らかっているし野良動物も多い。
そして当たり前のようにウンコは転がってる。
でもデリーに比べると衛生的なんです。
コルカタは空気がキレイなんです。デリーの空気質指数(AQI)の数値は400程度。ちなみに300以上は深刻な健康被害となるそうです。指数の上限は500ですがそれを超えることもあり私がデリー滞在中に999を指していました。それに比べるとコルカタの空気はキレイでAQI数値は150から200を推移してます。この数値であれば健康に悪影響を及ぼす程度。
コルカタでも健康被害に遭う。
空気がキレイの基準がだいぶ低い。
デリーの時はマスク必須でしたがコルカタはマスクがなくても過ごせるんです。
空気がキレイなのも衛生的に感じる理由ですが一番の理由は水でしょう。
コルカタ市内には水場がけっこうあるんです。自噴井戸なのか街のいたるところに水場があります。
コルカタは真冬でも10度を下回ることはなく涼しい時期でも平均気温が20度あります。そのため井戸水で体を洗っている人を見かけます。
風呂ぐらい家で入れよ!って感じですが水道のない家も多いのでここで洗ってるのです。貧しい人が多いのでしょうがすごい衛生的です。手軽に水にアクセスできるってのが街がきれいなポイントです。デリーだと手を洗うのすら大変でしたからね。
めちゃめちゃ汚いってことでしたがぜんぜんそんなことないです。むしろ、きれい。
いやそこまでキレイではない。
汚い街をずっと見てきたから目が慣れてしまってる。汚いないは汚いですがデリーに比べるとマシです。
スラムの通る線路を南に向かうと、コルカタ郊外鉄道のBBDバーグ駅に行けます。BBDバーグ駅裁判所や役所がある行政エリアです。そのため駅り勝者が多いようです。めちゃめちゃ線路を歩いている人がいる、なんだったら遊歩道みたいになっちゃってる。
官公庁の多いエリアなのに、この民度。
たぶんインドでも線路内は歩いちゃいけないんだと思いますが厳密に禁止ってわけではないのでしょう。線路を歩くのがインドでは普通のことなのでしょう。線路って危険っぽそうじゃないですか!?私はデリーでもコルカタでも線路を歩きました。その経験則からいうと、この界隈はそこまでうんちが落ちてません。
危険視しているのがウンコ。
こちらはプーリーカレーです。
屋台で食べる屋台飯。朝ご飯はカレーに限ります。
プーリーとはチャパティを揚げたやつです。
インドってナンのイメージがありますがナンはタンドリーがないと作れないうえに生地を発酵させなければなりません。
プーリーやチャパティは発酵させずに作るそうです。家庭ではチャパティがよく食べられるようでプーリーは揚げ物なので屋台で食べるのでしょう。
オレンジ色のやつはジャレビという甘いお菓子。小麦粉の生地を揚げてシロップ漬けにしたもの。激アマのお菓子ですがカレーと相性がよい。
路上で知らないインド人の隣でカレーを食べる。
インド人「インドはどうだい!?」
飲食店では頻繁にインド人が話しかけてきます。
デリー、アグラ、バラナシ、コルカタ。いわゆる観光地を巡ってきましたが毎日のようにインド人に話かけられました。
一日3人くらい、二週間で42人。
日本にいるときより人と話しています。
会話は英語で。
ぜんぜん英語喋れないし勉強もしていません。それでもなんとなくニュアンスでわかります。インドは英語習得にはちょうどよい国かもしれません。
こちらは市内にある東部鉄道駅シールダ駅です。
ハウラー駅の次に大きな駅でコルカタの中心に近い駅。そのため利用者も多くいるようです。
ハウラー駅が東京駅ならシールダ駅は新宿駅。
コルカタの新宿駅というだけあり賑やかです。
駅のそばには商店街や露店がいっぱいあります。
駅前がひらけておりキレイな駅です。
駅が開設されたのは163年前の1862年。かつてはここからバングラデシュのダッカまで乗り換えなしで行けたそうです。分割後に停止され運休したままですがもし再開すればさらににぎやかになるでしょう。
コルカタの新宿駅と言われるシールダ駅。付近に歌舞伎町のような遊べるところがありそうです。
どうやらこのシールダ駅、立ちんぼがいるんだとか。
ここは歌舞伎町の大久保公園。
駅利用者が多いため街娼利用者も多いのでしょう。
コルカタにはソナガチという私娼窟があるのにインド人はそこに行くまでに我慢できないのか。駅前街娼を利用するのです。
シールダ駅前、国道一号線の高架下。
この界隈に街娼が立っているそうでコルカタでも有名なスポットのようです。
街娼の多くが未成年。この界隈はストリートチルドレンがいるようで子供たちの1割近くが薬物常習者。その子らが薬を買う金欲しさに体を売るそうです。
ここは歌舞伎町のトー横だった。
やってることがトー横キッズのソレ。
やってる薬物が市販品かどうかの違いだけ。
薬を買うために未成年者が体を売る。インドではそういったことが蔓延しているんです。インドってやっぱ酷いんだなって思ったけど日本も大差なかった。
なんだったらインドは対策を講じていますが日本は結構そのままの感じ。国民の自由という言葉を盾にして放置してるだけ。
最近じゃ界隈が各地に広がっておりもう手が付けられない状態。トー横界隈とかグリ下界隈とかなんか特定のコミュニティっぽく言ってるけどそこにいるのストリートチルドレンですから。
まだ日中です。
当然日中には立っている人はいません。
日本だと風俗街は朝から営業しているし風俗は仕事さぼっていくようなところ。夜まで待ってられないんですがインド人は夜まで我慢できるようです。
利用者がいないから日中は街娼がいないようです。
いやさすがに昼間っから未成年の街娼買いに来てたらガンジーが助走つけて殴りにくるわ。
こちらはカナルウエストロードです。
このあたりはラジャバザールってエリアでスラム街のようです。
スラム行ったり街娼見に行ったり忙しいコルカタ。
サーキュラー運河沿いに沿って小屋があります。
サーキュラー運河というとおり元々運河でした。17世紀末に運河として利用されはじめましたがインド独立後には使用されなくなり以後は生活排水用の水路になりました。埋立も検討されたそうですが結局そのまま川沿いに人が住み始め今のようになったそうです。現在の川はトイレ代わりとなっているのでしょう。
デリーでもスラムを見ましたが電気はあるが上下水道がないため水は給水車から取水しトイレは共同トイレを使う。しかしトイレの数が少ないし掃除されてないため多くの人が野外で用を足すのでしょう。
川にすれば道は汚れない。街がキレイな証拠です。
川は汚れるけどね!
ここに住む大半はイスラム教スンニ派の教徒。ビハール州とウッタルプラデーシュ州からの移民の人のようです。
1964年にヒンズー教徒とムスリム間で暴動がありそれによりムスリムが集まった地域なんだとか。現在はコルカタで二番目にムスリムが多いエリアです。
ぼろ拾いを生業としている人が多いようでぼろ拾いしてそうな感じがする街並みです。かつては劣悪なスラム街と呼ばれた場所でしたが90年以降に整備されたそうです。
いや、きれいになってねぇ!
本日はハウラー駅からコルカタ市街地に来ました。
デリーもなかなかでしたがコルカタもいい感じ。なんか楽しめそうな予感です。日本ではこんな景色は見れません。
ちょっと前に川崎の幸区で見れたくらいです。
ちょっと前までは川崎で見れた景色なんだ。
コルカタ到着してたどり着いたのがスラム街。最初に行く場所じゃありませんがコルカタとスラムは切っても切れない関係です。
コルカタのことを歓喜の街というのですが歓喜の街「コルカタ」はスラムの人々の暮らしを形容した言葉です。
当たり前のような生活がそこにある。その当たり前なことが喜ぶべきことなのでしょう。