習志野なのか?船橋なのか?終着駅にある魅惑な飲み屋街「津田沼歓楽街」
本日は習志野市に来ております。
こちらはJR総武線の津田沼駅です。習志野の玄関口である津田沼は東京や新宿に一本で出れる駅なので利用者も多く駅前は賑やかです。
私も何度か津田沼駅には来ております。
飲んだ帰りに電車で寝てしまい起きたら津田沼にいたなんてことが何度かありました。
津田沼は終着駅なのでここに着いて気付くんです。千葉行きじゃなくてよかったって安堵したことか。
でも帰れないから結局同じ!
終電終りで帰る手段がないのでカプセルホテルに泊まるか、漫画喫茶で時間潰すか、始発まで飲み明かすか。
津田沼は始発まで滞在するところ。
そんな経験をしているためあまり良い印象の駅ではありません。
でも千葉の中で利用者が5番目に多い駅のようでそれだけ多くの人が住んでいるのでしょう。
津田沼駅は習志野市の玄関口。
多くの習志野市民が利用するのでしょうが、駅の北側は船橋市なんです。
津田沼駅って駅舎自体は習志野市にあるんですが船橋との市境にあるため駅北側はほぼ船橋市。津田沼って駅北口側のイメージが強いですが、そこ、船橋だったんです。
県境や市境は治安が悪くなるもんです。今の津田沼は治安が改善されたのでしょうか。かつてはあまり治安のよくない地域でした。とくに北口側。
治安が悪かった原因、船橋だった!
たしかに治安が悪い時期もあったのでしょう。でも治安が悪いと言われたのはかつてのこと。津田沼は都心にアクセスしやすい立地なので住みたい街と言われるようになっています。
駅前にはお店も多く買い物にも便利なところです。都心に出ずとも津田沼で買い物を済ませられます。
津田沼といえばデパートのイメージがあります。1970年代後半、津田沼近郊は宅地開発が進み人口が一気に増えたそうです。そのため駅前にデパートができました。
イトーヨーカドー、高島屋、丸井、パルコ、ダイエー、多くの百貨店が進出してきたそうです。
このようにデパートだらけだった駅前ですが現在は静かになってしまったようです。
激戦地と呼ばれたのは90年代まで。
2000年に入ると売り上げが低迷し撤退する店舗が増え、今のような景色となりました。
こちらは元々パルコがあったのでしょうか。跡地には複合型タワーマンションができるそうです。どこも駅前は似たような街並みになりますね。
こちらはイトーヨーカドーがあった跡地です。
津田沼の顔だったイトーヨーカドー。こちらはイオン系列の店になるんだとか。
ちなみに新津田沼駅の北口にはイオンがあります。
郊外の都市、岡田家に浸食される。
このようにだいぶ街並みは変わったようですがそれでも変わらぬところがあります。
こちらは津田沼駅北口側線路沿いにある雑居ビルです。沖縄、韓国、メキシコ料理屋さん。
情報量の多い雑居ビル。
こんな感じで津田沼駅北口側は飲食店が多いです。
閑静な住宅街?
デパートのイメージ?
津田沼のイメージは飲み屋街のイメージです
津田沼駅北口側の路地の一画飲み屋街があります。にぎわい横丁通りという名の飲み屋街。
居酒屋、バーなどの飲食店のほか、スナックやキャバクラなどもある路地です。津田沼駅前ですが住所は船橋。
ノウハウがある船橋市がつくる飲み屋街。
これ新宿二丁目出張所って書いてあるけど西船橋でみたやつ。
こっちの店も西船橋で見たやつ。
やっぱりここ、船橋だった!
っていうより二丁目要素が強めの船橋。需要があるんでしょうね。
私にはわかります。
こちら、ピンサロのはず。
船橋の飲み屋街で見たっぽい店の名前。宝塚を彷彿とさせるやつ。こっちの店は船橋よりシックな看板。船橋のはセーラー服向上委員会推薦店でしたがこちらはその表記がありません。
同店は総武線沿線で展開してるグループ店なんだとか。
総武線延線?多分利用してそう。
千葉の飲み屋街、まだピンサロが健在です。そして一軒だけじゃないんです。
こちらはサロンって書いてるのでサロンなんでしょう。やはりノウハウがある船橋市がつくる飲み屋街、特殊な飲み屋が二軒同じビルにあります。
こちらもサロン店でしょうか。
キャバクラっぽい雰囲気を出していますがキャバクラで写真指名はしないでしょう。ってことはここはピンサロ。
なんだか津田沼、ちょっと怪しい店が多め。
このような街があるのは古くからで津田沼は軍隊の街と呼ばれていました。津田沼駅の北側一帯は明治時代に陸軍演習場が設置されたのです。
陸軍いるところ、歓楽街あり。
津田沼駅界隈は兵隊を相手にした店があったんだとか。花街ではないけどそれっぽい街があったはずです。そしてそれが今の時代まで生き残り、飲み屋街が形成されたのでしょう。津田沼にはそんな歴史があるんです。
たぶんそんな歴史はないはず!
駅北口の飲み屋街は戦後にできたのでしょう。ごく普通の飲み屋街で遊郭や花街の名残りなんてありません。ここは飲み屋街なので風俗は一軒もありません。
一軒も?
飲み屋と同類にすると問題のある店もありますがあれも一応飲み屋街。津田沼にはそういった店がないんです。
でも町内にはなぜかラブホテルがあります。津田沼って普通のホテルも少ないんです。今の津田沼はベッドタウンなのでホテルを必要としません。でもなぜか一軒だけあるホテル。それもラブホ。
ホテルが成り立つってことは利用者がいる。
まぁキャバクラが多いですからね。
アフターで使われたりするのでしょう。
こちらは線路脇にあるゲームセンターです。
アミューズメントと書かれた看板。ここはアミューズメント施設なのでしょう。同じビル内にカプセルホテルがあります。そう。ここは私の想い出の場所。
ついつい飲み過ぎてしまい電車で寝過ごす。終着駅で起こされ駅名を見て愕然とする。このような経験をした人は多いのではないでしょうか。私が一番行った終着駅は大江戸線の光が丘。折り返して都庁前だったこともあります。次いで高尾山口、立川、小田原、八王子、そして津田沼。
駅名を見た時は絶望しかありません。でもどうしようもないのでその状況を受け入れる。逆に知らない街にタイムスリップしたドキドキ感、新たな出逢いがあるかもというワクワク感。
寝過ごしたことをポジティブに考えるようになります。
終電終りなのでほとんどの店が閉まってますが「マッサージいかがですか?」と声をかけてくれる優しい人がいるんです。
津田沼に降りた時、深夜なので店は閉まっており、マッサージいかがですかって言ってくれる女性を探しました。
しかしそんなときに限って見つからないんです。
飲み屋街の入り口で途方に暮れていた時、このホテルがオアシスに見えたのです。
寒空の中街をさまようことなく暖かい部屋で寝れる(カプセルだけど)。しかもサウナまでついているんです。一階にゲーセンがあってサウナもあってホテルもある。まさに男のための雑居ビルだったのです。
そしてビル4階には怪しい店があるんです。
確かここにもサロン的な店があったのです。3年くらい前まではあったのでしょうか。もうその店はここにはありません。
感染症は津田沼の文化まで消し去りました。
でも、なんかまだ怪しい雰囲気が残ってます。
店名がハワイなのにタイ古式のマッサージ店。
ハワイ語でありがとうの意味のガールズバー。
天使という名を冠したフィリピンパブ。
そしてホテヘル。やっぱりあったホテヘル。まだ全然怪しいままだった。
ピンサロがあるのは知ってましたが津田沼、こんな店あったんだ。いつもすぐに寝ちゃってたから気付かんかった。やっぱりちゃんと街は散策すべきですね。これを利用すればホテルにも泊まれるんです。
飲み屋街にあるあのラブホ、この店のためのものだった!
津田沼駅北口にある飲み屋街。ほぼ船橋っていうより住所も船橋。風俗店はほぼ無い(あるにはある)。風俗街のようなところではなく飲み屋街です。飲み屋は店舗数が多いのでよさそうな感じ。
今までは終電で来ていたけど早い時間にくるのもありかも。
飲んだあと帰るのがめんどくさくなったら泊まれるカプセルホテルもあるしラブホに一泊することもできる津田沼。
今宵はどちらに泊りましょうか!
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歓喜の街「コルカタ」を目指せ!14時間の夜行列車の旅
ヒンズー教の聖地「バラナシ」。
多くのヒンズー教徒がこの地に訪れるため街は大混雑です。どうやら最近寺院を新しくしたそうでそれにより観光客が増加しているそうです。
年間来訪者は1億人、一日30万人が訪れるようです。バラナシに数日間滞在するつもりでしたが一泊しか泊まりませんでした。
理由は人が多すぎるから。
街を歩くのもしんどいレベルで人がいるんです。インドでは宗教イベントで死人が出るようで先日も人混みによる圧迫で死者が出てました。韓国の梨泰院でおきた雑踏事故と同じでガートに人が殺到して30人も死んだんだとか。2024年もヒンズー教の宗教行事で100人以上死亡した事故が起きてます。
神に祈りを捧げに行ったら死んじゃいました。
信仰が深いってのは時として罪深いですね。
バラナシもその勢いがあるくらいの人混み。ホテル代が高騰していたのも理由の一つですがただでさえ人が多いインドなのにこの有様です。もう、バラナシから逃げ出したい。
一応火葬場は見たし私娼窟も見れた。最低限の観光はできたでしょう(いや最低の観光)。
破壊と創造の神シヴァ。
私は破壊と創造をバラナシで見てきたのです。
私娼窟を創造の地と言っちゃうやべーやつ。
もうバラナシはいいかな。
当初はブッタガヤに立ち寄る予定でした。ブッタガヤに行き観光したあと三蔵法師が向かったナーランダへ。ありがたい経典を持ち帰るつもりでしたがもう宗教施設の混み具合にうんざりしてたんです。
早くインドから抜け出したい!
そんなわけでコルカタに行くことにしました。
コルカタに行っちゃえばあとは帰るだけ。そう考えると気が楽になりました。
バラナシ出発は17時過ぎ、コルカタ到着は翌朝7時過ぎなので14時間の長距離移動です。
私は5年ほど前にベトナム縦断で40時間寝台車に乗ったことがあります。14時間は序の口です。寝て起きれば目的地に着くんです。寝台車のよいところです。まぁなかなか寝付けないってのが難点ですが日本じゃなかなか味わえないですからね。インドの旅はやっぱり鉄道です。
チケットはネットで予約済みです。本日は深夜便なので二段ベッドの上を予約しました。
こちらが私の予約した席です。
いやこれは荷物置き場。電車の網棚のヤツ。
まだ18時過ぎです。寝るにはちょっと時間が早すぎる。そんなわけで上のベッドに荷物を置き下のベッドで過ごす。座るのは4人。
4人で二つのベッドに座るので荷物を上に置けば広々使えます。
でも、9人いる!
この中に5人予約してない人がいます!
めちゃくちゃ狭い。インドの鉄道は和気あいあい。隣りのインド人と仲良く移動しましょう。
けっこう殺伐としてる。
ここだけじゃなくどこも混雑してるようです。
この混雑は次の駅まで続きました。私ともう一名を残し全員下車。
予約してない人7人いた。
予約していないと次の駅で降ろされるそうですが逆に考えれば次の駅で降りるなら予約なしでも乗れるわけです。でも次の駅に行けば新たな予約してない客が乗車する。夕方の時間帯はこんな感じで混むのでしょう。
荷物もなくなったので本来の予約席に座れます。これでのんびり寝れます。でも夕飯を食べていません。
ってわけで長距離列車の醍醐味、駅弁、食べちゃいましょう!
主要駅に着くと定期的にカーナカナカナカナカナって聞こえます。カナカナって言ってるのは駅弁の販売員。カーナはヒンディー語で食べ物って意味です。ちなみにパニは水なので飲み物販売員はパニパニパニボトールって言いながら売ってます。
買いたい時はカナ!って言えば立ち止まってくれます。
本日のカナはこちらです。
芋のカレーとダルカレーにチキンカレーです。ノンベジ弁当を選びました。デザートっぽいのもついています。
まだ21時過ぎですが明かりを消されました。真っ暗の中で食べる夕飯、なんか便所飯みたいな感じ。
ダルカレーは優しい味。これは日本に帰って自分で作りたいです。芋のカレーも美味しいです。
ジャガイモ入れないカレーが本場のカレー、ジャガイモ入りカレーは邪道だみたいなこと言ってる人いますが本場のカレー、主にジャガイモなんです。
ジャガイモカレーにご飯とチャパティー。炭水化物&炭水化物&炭水化物なんです。
肉は牛がよいとか豚がよいとか言ってる日本人へ。本場のカレーは基本野菜です。
どれも美味しいんですが、このチキンカレー、ちょっと変な味がします。
なんかタバコの吸い殻みたいな味。
さすがに食べちゃダメな感じがしたのでチキンカレーは一口だけ食べて辞めました。
吸い殻が料理に入ってても不自然ではないインド。調理過程が見れないため舌で判断するしかありません。ヤバそうなものは出来る限り口にしない。屋台とかで普通に食べていますが今のところお腹を壊していません。
飯も食ったことであとは寝るだけです。
廊下以外の電気は各自で消す感じ。
廊下の電気はどうやって消すか不明。
カーテンはなくプライベート空間は確保されてません。一等車なので治安はまだマシなようですが盗難リスクを避けるためワイヤーロックで荷物を固定。そしてその荷物を枕にします。
毛布も枕もシーツも用意されていますがどれも不安しかないので利用しません。ベンチに横になる感覚ですが寝心地は以外によいです。
では、おやすみなさい!
朝になりました。
朝になると「ちゃーい」と言いながら販売員がきます。朝はコーヒが一般的ですがインドだとやはりチャイ。
いつものサイズのチャイです。でも作り置きだからそこまで熱くありません。朝の目覚めのチャイ激甘。
車窓から見るインドの風景です。
今回は終着駅まで乗ります。途中駅だと降りれるか不安になってドキドキしますがターミナルだとその不安がありません。到着までゆっくり過ごせます。
コルカタには8時過ぎに到着予定でしたが2時間遅れのようです。インドの2時間遅れは定刻通りとほぼ同じ。
もう少しでコルカタに到着します。
デリーからコルカタまでおよそ1500km。西の都から東の外れまできました。
景色はとくに変わりません。
いつものインドの光景です。
デリーでは朝方10度、日中は20度くらいでしたがコルカタは朝方20度、日中は30度くらい。蒸し暑い気候ですが私は嫌いじゃない温度。観光しやすいんじゃないでしょうか。
デリーではスラム街を見て私娼窟を見て、アグラでは私娼窟を見て、バラナシでは私娼窟を見てとあまり良い観光をしていませんがコルカタではいろんな観光地をみるつもりです。
でもコルカタの知識があまりないんです。
コルカタって何があるのか調べたところマザーテレサの何かがスラムにあるんだとか。
結局スラム。
あとアジアで最悪といわれるソナガチがあります。
結局私娼窟。
そういうの、巡りたいですね。
インドの旅、スラムと私娼窟巡りに徹している。
コルカタに到着しました。
ターミナルの名称はハウラー駅。ここはインドで一番利用者の多い駅なんだとか。そのため駅は大きいです。旅の最終目的地った感じがしていいですね。
14時間の列車の旅。
良い鉄道の旅でした。ほぼ寝てたけど。
これよりコルカタの街を散策します。
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聖地バラナシにある性地!連れ去られて不幸な私娼を救え!「シブダスプール」
本日はバラナシに来ております。こちらはガンジス川です。
母なるガンガーと呼ばれるガンジス川。ここはヒンズー教の聖地なんだとか。そんな場所のため混雑しています。
バラナシに来るなら早朝がよいとのことで夜行列車でここにきました。
日本でもかつては伊勢神宮に行くのが流行ってました。
一生に一度はお伊勢参り。
インドは広いですが一生に一度はバラナシへ。このように考えるインド人は多いのでしょう。バラナシはインド人にとって重要な場所なのです。
ガンガーは女神様。
インド人は女神に会うため遠方からここバラナシに来ているのです。私は一応仏教徒ですが仏教のもととなったのはヒンズー教。そのため私にとっても女神であるガンガー。そんなわけで日本からここに来ました。でもバラナシには別の女神がいるようです。
私が向かっているのはシブダスプール、正確な住所地はマンダワディーってところです。
ここにあるのは私娼窟です。
日本もかつては神社仏閣前に私娼窟がありました。
門前仲町の富岡八幡宮前には私娼がいました。
浅草寺そばにも私娼窟がありました。
湯島天満宮そばには男娼がいたそうです。
神様のいる門前にはその手の街があったのです。
神社仏閣そばにその手の街ができるのは多くの人が往来するから。三大欲求の一つというなれど食事のように取らなければ死ぬわけではない性欲。性産業はなかなか楽な商売では無いようで人の多い場所でなければ続けられないのでしょう。10億人もいるヒンズー教徒。その10億人が必ず目指すであろう聖地バラナシ。その手の店があって当然です。
当初はガンジス河そばに私娼窟がありました。
カーシーヴィシュヴァナート寺院のそば、ダルマンディーのあたりが私娼窟だったそうでガンジス河も近いところなので参詣ついでに売春宿へ立ち寄ったのでしょう。1970年まではこの界隈にあったそうです。でも現在はこのあたりにその手の店はありません。
現在もダルマンディーは繁華街ですがそっち系の営業は出来なくなったそうです。人気が出て風紀が乱れたのでしょうか。やはり聖地そばに性地があるのはよくないです。そのため私娼窟はシブダスプールに移設しました。
私が宿泊しているのはガンジス河のそば。人気観光地なので遊べるとこがあると思ってましたが聖地にはそういった店がないようです。
シブダスプールは観光地ではないようですがどうやら宿泊施設はあるようです。最初からそちらに宿泊すべきだった。
行く気マンマン。
観光地ではないのにホテルがあるシブダスプール。巡礼のために年間1億人が訪れるバラナシ。その多くが女神ガンガーに会いに来てるのですが別の女神に会いに来ている不届き者もいるようでそういう人がジブダスプールに泊まるのでしょう。
私娼窟があるのはバラナス駅そばです。バラナシにはバラナス駅とバラナシ駅があります。
頭文字がVかBかの違い。観光客を惑わせる名称。
そもそも街の名前の表記もバラバラなんです。バラナシだったりバラナスだったりワーラーナシーだったりベナレスだったりバーナラスやヴァーラーナシーとも。何が正解なのかは結局わからずでした。でも現地の人にはバラーナシーで通じたのでアアーアシーみたいな感じでも通じるっぽいです。
そんなアアアシ駅の裏手にある私娼窟。外国人向けではなくインド人向けの店のようです。
そもそもインド人は12億人、半分が男性として考えて6億人。日本の10倍男性がいるんです。またバラナシに来る観光客の9割以上がインド人。別に外国人を相手にせずとも成り立つ商売です。
こちらはラハタルラロードです。バラナシの幹線道路で結構車が往来してます。ガンジス河のあたりが観光地ですがバラナシ首都圏の人口は150万人。川崎市と同程度の人が住んでいるため観光地以外も栄えています。
駅近くですが歓楽街って雰囲気ではありません。でも大通りからそれた小路に売春宿があります。
こちらが売春宿のある通りです。
システムは日本のちょんの間スタイル。店先に女性がいる顔見世スタイル。またはやり手ババアの手引きしてるのでしょうか。
値段交渉をして納得いけば利用する形です。
かつては売春宿は40軒ほどあったようですが最近は減少傾向にあるんだとか。実はここの私娼窟は最近摘発に遭っていおり結構荒れてるし空地も多くあります。かつては2000人ほど売春婦が住んでおり結構賑やかな場所だったようです。
2000人もいれば選び放題。多くの客がここに来ていたのでしょう。でもその2000人の私娼、出自に問題があるのです。
遊ぶ金欲しさに、ホストに貢ぎたいから、楽して稼ぎたいから。
性風俗店で働く理由は様々。でもここで働いている人の中には近隣諸国から連れてこられた人もいるんだとか。バングラデシュやネパール、ミャンマーもいるのでしょうか。また農村部から連れてこられた人もいます。親に売られたのか人身売買で連れてこられたのか。インドの闇がここにあるのです。日本のちょんの間にいる女性とは勝手が違います。でもそのような商売がインドは存在してるのです。
日本にもかつては誘拐された女性が遊郭で働いていたそうです。親に売られた子供もいたのでしょう。遊郭は人身売買の温床でした。
明治5年に娼妓解放令施行により人身売買は禁止されたものの実際は戦後になっても身売りは続いたのでしょう。現在も借金などで身売りするってのはあるし大久保公園のアレだってほぼ身売りと同じです。でも誘拐して監禁して売春させるというような明らかな犯罪は流石に日本ではないはずです。インドはそれが当たり前なのです。
そういう話を聞くといたたまれなくなります。
私もかつては親の借金を返済しなければならないとか、弟が難病でその治療費が必要とか、そういった話を風俗嬢やキャバクラ嬢から聞き憂い悲しんだ時期がありました。
世の中には不幸な人がいるんです。
助けてあげたい気持ちもあったので指名もしたし少しばかり援助もしてました。
いやそれはたぶん騙されているヤツ。
弱者からカネを巻き上げる常套手段。
うん。知ってます。
騙されていたのであればそれでいいんです。
だって弟さんは難病ではなかったんですから!
もうこれは聖人君子。確実に輪廻から解脱できるはず!でも指名している時点で見返りを求めてる。ただただ欲深い人なだけだった。
このように日本の風俗嬢にも不幸な人がいますがインドは冗談を言えるレベルじゃないのです。
この時間でも営業している店があるようです。
明らかに私はインド人ではありませんが何人かは声をかけてくれる女性がいました。
ただ高齢女性、おそらくポンビキの方に「チャイナはいらない。向こう行け」もしくは「ここには中国人はいない。向こうだ」のどちらかを英語で言われました。
現地人向けなので冷やかしと思われたのでしょう。私のようにここに来る外国人はいるようです。とくにインドで有名な観光地であるバラナシ。インド人は多くいますが外国人も結構います。
ガンジス河に行き寺院を参拝する。
火葬場を見てラッシーを食べる。
バラナシ観光はこんな感じで案外することが少ないんです。そうなるとちょっと覗いてみようかな!ってなるのが健全な男の子。そんな外国人が物見遊山で私娼窟に来るようです。
でも外国人だとしても冷やかしとは限りません。利用するのを前提としている可能性もあるんです。
インド人相手だと外国人は利用しない!?
そんなことありません。
私だって外国人との経験はあるんです。
オール日本人の店に行ったのに中国人だったり、日本人エステのはずが大連出身の人だったり、こんな感じで経験があるんです。それなので外国人相手でも無理じゃないんです。外国人、ぜんぜんOKなんです。
私の知ってる外国人、中国だけ。
でも「中国人はいない。向こうだ」と客引きが言っていたなら話は別です。向こうだってことは向こうにいるってことです。つまりこの私娼窟には中国人がいるのです。私のことを中国人と判断して中国人向けの店を教えてくれたのでしょう。でもそうなるとインド人の店だと思って行ったら中国人でしたってケースもあるのです。
それじゃあ日本の店と何も変わんねーじゃねーか。
本日はシブダスプールにある私娼窟を巡りました。どうやら私が立ち寄ったところ以外にも私娼がいるスポットがあるようです。バラナシは観光スポットが少ないって話でしたが探せばちゃんとあるようです。
そんなことより私中国人じゃ ないんですが!
中国・韓国・日本の東洋の平たい顔族。中国人って言っておけば50%以上の確率で当たります。そのため中国人と言われる率は高いです。インドの人には区別がつかないんでしょう。オール日本人の店に行ったのに中国人が出てきても区別できないのと同じです。
いやさすがに日本人の店で中国人が出てきたらわかる。
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なぜバラナシはバックパッカーの聖地なのか?現地に行って理解した。
こちらはバラナシ駅です。
バラナシはヒンズー教徒の聖地でありバックパッカーの聖地。旅行者としては一度は来るべき場所です。
結論から言ってしまうとバラナシはもういいかな!って感じです。その「もういいかな」のお話をこれからします。
まずはこれよりバラナシ観光をしていきます。観光といっても何かあるわけではありません。バラナシはヒンズー教の聖地でヒンズー教徒が多く集まる地域です。母なるガンガーに行くのがヒンズー教徒の喜び。そんなわけで多くのヒンズー教徒がここの集まります。めちゃくちゃ混んでるんです。
右を見ても左を見てもインド人。
観光地では人込みを避ける。それはスリのリスクを回避するためですが人ごみを回避できる余裕が一切ないんです。仏教徒とってそこまで重要ではないバラナシ。でもせっかく来たんで楽しみたいじゃないですか!
こちらがガンジス河です。
ヒンズー教徒の人は死んだらここに流されたいんだとか。
日本の仏教は遺骨をお墓に入れる。
イスラム教やキリスト教はそのまま墓に入れる。
宗教によって死者の取り扱いは異なりますがヒンズー教は遺骨にして川に流すんだとか。
輪廻転生の考えがあるヒンズー教。川の微生物によって分解されそれが肥沃な大地を生む。散骨は現実的にも輪廻転生をしています。墓は土地問題や管理にコストがかかるのである意味川に流すのが一番正しい気がします。
私は数年前に墓じまいをしました。墓にあった先祖の遺骨を粉砕し散骨をしたのです。
私の生まれは神奈川県川崎市。川崎は多摩川に沿って発展した都市。
市民の心、多摩川にあり。
なんてったってゴミ収集車の曲である好きですかわさき愛の街の唄い出しは「多摩川の明ける空から」なんです。川崎市民にとっては多摩川は聖地そのもの。それであれば先祖の遺骨を母なる多摩川に捨て...散骨しようと思ったのですが多摩川を管理する国交省に確認したところ骨をまくのは控えて欲しいと言われました。
これはガンジーでも助走つけて殴るレベル。
インドでは川に流してもよいのに日本ではダメなんです。まるで遺骨をゴミ扱いされてるんです。
国交省は極悪非道。血も涙もない。信仰の自由すら守られてない。死んだあとすら自由にしてくれない悪魔。そんなわけで遺骨は千葉沖まで持っていき捨て...散骨しました。
こちらはマニカルニカー・ガートです。
ガートとは沐浴ができる場所って意味のようです。要は海水浴場的な意味。また葬礼の場としても用いるんだとか。
海水浴している場合じゃない!
とくにここマニカルニカー・ガートは特殊です。ここは火葬場なんだとか。
私が立ち寄ったのは早朝ですがここでは24時間火葬をしているそうです。
入場料は無料。
誰でも荼毘に伏される姿を伺えます。ガッツリ人の形をした燃えカスが見れるところ。これが観光の一つになっているようで詐欺師がこの周りには多くいます。
イスラム教やキリスト教にとっては不思議な光景ですが仏教徒にとっては不思議ではありません。まぁ野焼きってところは考えられませんし人が燃えるところを目の前にするのは異質ですがそこまで衝撃は受けませんでした。
死者が輪廻する。ただそれだけのこと。
バラナシに来たらガンジス河で沐浴をしろ!なんだったら沐浴するのが観光の一つです。でも近くでは遺体を流しているしウンコも当然のように流れているガンジス河。さすがに沐浴をするのは衛生面でひけますがガンジス河で沐浴すると全ての罪が洗い流せるんだそう。
これは浴びるしかない!
衛生面とか気にしている場合じゃない!
全ての罪が流れるんでしょ!?
不起訴になったあの罪、起訴猶予になったあの罪。
僕は検挙されただけ。罰せられてない。
でもそれは、罪なんです。
それらが水に流せる。ゼロになるんです。
ガンジス河、まじスゲー。
とりあえず何かあったらガンジス河に来ればよい。それで全てが無しになるんです。水に流すとはまさにこのこと。
もしガンジス河に入ったのに捕まったらシヴァ神訴えてもよいレベルです。
でもガンジス河、感染症とかけっこう酷いんだとか。実際にウンコも流れているガンジス河。ちなみに人は骨にして流しますが妊婦や未熟児はそのまま流すそうで、たまに人が流れているのを見ることも。有機物が多く流れるガンジス河、あまり衛生的じゃないですよね。ほぼ下水の中に入るのと同じなんです。罪を流すのが命がけ!
それらを知ってもなおインド人は沐浴をしてるんです。
これはインド人、かなり罪深い。
ガンジス河の色、茶色なんです。カレー色の河川かウンコ色の河川か。
バラナシって田舎だから上流だと思うじゃないですか。でもデリーよりも下流なんです。デリーを見てきた身としてはこれに沐浴するのはうんこ食べるのと同レベル。でも私もせっかくここまで来たんです。これまで行ってきた罪、ここで流しましょう。
でも感染症が不安なので靴の裏だけ清めます。
コイツうんこ清めてるだけ!
バラナシには一泊します。
予定ではバラナシの滞在は長めに考えていました。しかし人が凄い多いんです。まぁ多いとは思っていたんですが規制されるほど多いんです。
インド、ずっと人多杉。
これが凄いしんどいんです。
それとホテル代がかなり高いんです。
安ホテルで8000円くらい。ゲストハウスでも3000円くらい。日本と同じくらいの金額です。
宿泊費が高いわりに主だった観光スポットもない。それでもバラナシはバックパッカーの聖地なんです。
たまたま来訪者が多い時期だったのか、それともかつてのバラナシではなくなったのか、何がよいのかわからないバラナシ。でも多くの日本人旅行者を虜にしているのです。
こちらには日本人宿がありました。
日本人向けゲストハウス「久美子の家」
1982年頃に安宿として開業。一晩500円で宿泊できる激安ゲストハウスです。でも現在は休業しているそうです。本当であればここに宿泊したかったんですが昨年から休業しており5年ほど休業するんだとか。
かつてはこの宿に一晩で60人くらい日本人が宿泊していたそうです。それだけ日本人が多くバラナシにいたのですが、はたしてバラナシの魅力って何なんでしょう。
火葬場のあるマニカルニカー・ガートより500m上流にあるダシャーシュワメード・ガート。ここがバラナシで一番有名なガートのようです。写真で見るバラナシも大体ここで撮影されてます。
ガートに行く道は参道になっており出店が出ています。なんかお祭りのような感じ。野菜とか色々なものが売っています。
なんじゃなんじゃこのクサはなんじゃ!?
私の知らない何かが売ってあります。
こちらは安宿が集まる路地裏です。大通りの喧騒とは真逆ですごい静かです。雰囲気の良い路地ですね。路地裏にある喫茶店に入ってみました。
インドでは主にチャイを飲んできましたがここではコーヒーが飲めます。ただここの店、時間の流れが止まっています。お客さんのほとんどが外国人観光客のようですがそのほとんどのお客さん、目が充血しているんです。
なんじゃなんじゃ!これはなんじゃ!?
店内に立ち込める枯れ草を燃したようなニオイ。だるそうにソファーに腰を掛ける外国人観光客。
おそらく欧米人と思われる人に話しかけられます。
欧米人「君はどんな音楽を聴くんだい!?」
ここにいる人はとある方法で悟りをひらいた人たち。サイケデリックミュージックが好きなのでしょう。
どんな音楽を聴くのか?
どんな映画を観るのか?
好きな芸能人は誰?
音楽を聴くのが当然、映画を観るのが当然。生きているのであれば答えられる質問でしょ!?そんな感じで聞いてくる人がいます。確かに映画も観るし音楽も聴く異性にも興味ある。でも明確にこの音楽が好きってものがないんです。そんなわけで答えに戸惑うんです。でもこの「どんな音楽を聴くのか?」って質問は質問者にとっても何の意味もないのでしょう。
ただ単に場を持たせたかっただけ。
キャバ嬢の「どこ住みですか?」と同じ質問。何気ない会話の一言に過ぎないんです。タバコのようなタバコじゃないものを吸ってる人には10分後には忘れている会話なんです。
その後も音楽談議が続くも何言ってるか半分くらいしかわからない。ただでさえ英語なのでわからないのに会話が前後するので支離滅裂。と思ったら電池切れのように静かになるほぼ蝋人形状態。
蝋人形状態になってしまったので会話は終了。Have a good tripと伝え店を出ました。私の最大限の皮肉をその人が理解できたかはわかりません。
日本人がバラナシにハマる理由、これっぽいです。
バラナシは神秘的。
解脱ができる、悟りをひらける、瞑想できる。
そういうのを好む人がバラナシ好きそうな感じですがそれを手軽にできるからハマるのではないでしょうか。どこに行っても枯れ草を燃した匂いがするし当たり前のように吸っている人がいる。
そして声をかけてくるインド人は
「日本人か?ガンジャ持ってるならわけてくれ」
「日本人か?ガンジャいるかい?」
日本人は大麻を持ってるのが当然といった感じで声をかけてくるのです。これが先人たちの築いてきた日本人のイメージ。日本人、ガンガーでガンジャ―をするイメージ。
インドでは手軽に手に入れられるようです。実際に路上販売しているし安く手に入れられます。でも一応インドではガンジャは違法です。一応と言ってるのは厳しく取り締まってないため。そもそも宗教儀式で使われるし大麻草はその辺に自生しています。宗教都市バラナシではかなり緩いのでしょう。
またバラナシにはバングーラッシーっていう飲み物があります。バングーは花冠以外の大麻草を使った大麻の名称。花びらを使用しなければ法律上大麻ではなくバラナシではバングーは合法のようです。そのためラッシー屋で普通に売っています。
こちらは普通のラッシーです。
ラッシーがまじで美味い!
なんじゃなんじゃ?このラッシーはなんじゃ!?
自分の知ってるラッシーじゃなかった。っていうかこれ本当にラッシーなのかな??
夜のバラナシです。
夜は野犬がいるから外出しません。ホテルのテラスから見る夜のバラナシ。日中よりは人が少なくなりましたがまだまだ賑やかなバラナシ。
バックパッカーの聖地バラナシ。
なぜバックパッカーの聖地と言われているのか現地に行ったことで理解しました。まぁそういうところなのでしょう。そういうのが好きな人には聖地なんでしょうね。
先の喫茶店の客のように悟りをひらけばバラナシは楽しい気分で過ごせるのでしょう。バラナシの良さに気付くのでしょう。しかし私はバラナシの良さに気付けませんでした。
インドに行くと人生観が変わる。
インドに行くと価値観が変わるなんていいますが人生観や価値観が変わった人、それに手を出してる件。
前々から気になってたんです。
価値観変わったわー
インドってやっぱいいわー
って言ってる人、具体的な話はぼかすし抽象的なんです。そりゃ具体的に言えないわけです。ブリブリになってましたなんて言えるはずないんです。だからインドを語っても抽象的にしか言えないんです。
インドは凄い!しか言わない人、ゼッタイにソレに手を出してる。
ちなみにホテルにテラス席があるのはそこで吸えるようになってるからのようです。
なんじゃなんじゃ?なにを吸うんじゃ!?
やっぱインドって、スゲー。
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堀川沿いにある怪しい施設 街頭に立つおそらく女性のいる街「納屋橋歓楽街」
本日は名古屋に来ております。こちらは納屋橋です。
納屋橋は運河として掘られた堀川に架る橋で江戸時代に米を貯蔵する納屋が立ち並んでたためこのあたりを納屋町と名付けられたそうです。水路で運ばれてきた米を貯蔵する倉庫街のような場所だったのでしょう。橋が架けられたのは1610年が最初で橋の東側が栄や錦がある名古屋の中心地です。かつての納屋橋は町外れだったようです。
1886年に名古屋駅が開設されると市街地と名古屋駅を結ぶ路面電車が開通。堀川を渡った先に納屋橋東駅ができました。駅ができれば人の往来も増えたのでしょう。それにより街が形成されました。
しかし1957年に錦通に沿って地下鉄が開通。地下鉄ができたことで市電を撤去することとなり納屋橋にあった市電は1971年2月に撤去。それにより人の往来が減ったのでしょう。
とはいっても名古屋駅まで歩けない距離でもなく付近にはビジネスホテルもあります。私はこの辺りのホテルを利用することがあります。栄のホテルに泊まりたいけどちょっと値段が高い。ちょっと不便だけどそこまで不便ではない。そして意外にホテルが空いている場合がある。名古屋駅前のホテルが空いてないときは納屋橋の近くのホテルに泊まることがあるんです。むしろこっちに頻繁に泊まっていた時期もありました。
堀川は名古屋にあるセーヌ川とも呼ばれています。歴史的な建造物と自然が調和する世界遺産として登録されているセーヌ川沿い。近くにはエッフェル塔にノートルダム大聖堂、ルーブル美術館やオルセー美術館などまさに絵画のような美しい光景が広がっています。美しい町並みをみながらのんびりと過ごす。堀川がセーヌ川と同じなのであればもうここはパリなんじゃないでしょうか!
名古屋のパリと称される納屋橋。
パリのような美しい景色が見れる街並みですが本場パリには無い特殊なお店もここにはあります。
風俗店です。リバーサイド風俗。
セーヌ川沿いにあったら世界遺産はく奪される店。
ノートルダム大聖堂の変わりが日本だと性風俗店。
ある意味神がかり的なお店ではあるけど。
名古屋駅前のホテルがない時はって言ってたけど絶対これ目的で宿泊してるやつ。
マジックミラーと逆セーラーの店があります。なんかどこかで見たことある!
ティーンズショップという名の店。
ティーンってことは13歳から19歳。
なんか児童ポルノに引っかかりそうな店の名ですが一応18歳と19歳はギリギリセーフの年齢。
その上の階はビデオパブのようです。ビデオパブはピンサロ的な業態の店。ビデオ鑑賞をする店なのでパブ要素はゼロですが届出上は飲食店になるのでしょうか。それとも個室ビデオとしての届出でしょうか。この店はビデオを見るだけなのでしょう。
全然ビデオを見るだけじゃなさそうな看板。小さな看板なのに情報量がかなり多い!
納屋橋そばにある風俗ビル。かなり激しめです。
この界隈はなぜか結構そっち系の店が多いんです。名古屋は中村大門に遊郭がありました。古くは大須にも遊郭がありました。名古屋駅前は遊郭に付随する私娼窟があり伏見や錦は花街がありました。これらの街は歓楽街なので風俗があるのはわかります。しかし納屋橋はもともと歓楽街ではなく倉庫街。そのため風俗店が多いのが不思議なんですがおそらく立地なんでしょうね。
風俗店は本質的に不健全。
教育上良くないので見えない場所に作るべき。
納屋橋はめちゃくちゃ目立つところにありますが近くには学校などの施設がありません。もし小学校の隣に萌え萌え学園みたいな建物があった場合どうでしょう。子供のころにそんな存在を知っていたら将来ヤバい大人になるのは必須です。そのため学校のそばは出店が禁止されているのです。学校は避難場所に指定されることが多いです。敷地が広大なのも理由ですが水害や土砂崩れの起きづらいところに学校があります。河川のそばは洪水のリスクがあるため学校が置けない。つまり堀川沿いには学校がないのです。
学校がなければ性風俗店が出店できるので萌えを売りにした学園ができてしまうのです。
こちらにはコスプレショップがあります。下の階は大人のおもちゃとDVD販売店。このような店があるのもそういった街ならではエキサイティングDVDと書いてありますがおそらくアダルトDVDのことなのでしょう。なんか店の看板 既視感がありますが気のせいです店名はアジト。
さんをつけろよデコ助野郎。
風俗店も多いですがこの界隈はラブホテルも多め。風俗が多いといっても新規出店ができない業界。新しく出来るところは無店舗型です。それを利用するにはデリバリー先が必要です。そのためラブホテルが結構あるのです。納屋橋は名古屋でも有数のラブホ街なのでしょう。
名古屋駅前のホテルがない時はって言ってたけど泊まってるホテル、これだった。
こちらには廃業したホテルがあります。私は2022年にここに訪れていますがその当時と変わらぬまま廃虚が残っています。感染症によって臨時休業したようですがそのまま取り壊すことなく残っています。堀川沿いに輝いてた南十字星はもうないようです。
こちらはニューづかという店があります。こちらは特殊浴場だったようです。名古屋の特殊浴場は中村大門に集約されてますが遊郭跡地以外にある珍しい店舗です。でも2010年代には閉店したようです。既得権があっても簡単な商売ではないようです。
納屋橋から800mほど川を下るとコロナクラブというホテルがあります。感染症騒動で名前の被害があったかもしれません。でもどうにか頑張っているようです。こちらはホテルは一般的なところとは違いハッテンバなんだとか。
名古屋駅前のホテルがない時はって言ってたけど泊まってるホテル、これだったんですか?
コロナクラブは日本最大級を誇るゲイ専用ホテル。たしかにこの規模のハッテンバは少なそうです。名古屋には女子大小路がゲイタウンとなってます。女子大小路は住所だと栄4丁目でしょうか。池田公園を中心にゲイタウンが広がっており隣接する栄3丁目と5丁目、それに錦3丁目、さらには空港線をわたった新栄1丁目のあたりにゲイ関連の店があるようです。
ゲイタウン、だいぶ広め。
コロナクラブはゲイタウンから離れてます。でも納屋橋のあたりもゲイの店が結構あるんです。堀川沿いにゲイバーが何店舗か残ってるんです。そもそもコロナクラブも元は納屋橋のそばでした。1994年にできたコロナクラブですがそれ以前はドンバラ会館って名称で納屋橋のすぐそばにあったそうです。つまり納屋橋もゲイタウン要素があるのでしょう。
ちなみに名古屋駅西側の国鉄会館のあたり。どうやらそこもゲイバーがあるエリアなんだとか。
これは名古屋のゲイタウンは広いではなく名古屋がゲイタウン。
夜になりました。堀川は日が暮れるとライトアップされます。大正時代のガス灯をイメージした琥珀色の街灯。それが堀川の水面に映し出されて美しいです。ノスタルジックだけど妖艶な感じもします。この雰囲気は素敵ですね。
こちらも日が暮れるとライトアップされます。昭和時代の歓楽街をイメージしたネオン管。それが卑猥な文字に映し出されて美しいです。ノスタルジックではないし若干下品です。でもこの雰囲気は嫌いじゃないです。
堀川沿い納屋橋のあたりはラブホテルが多いです。利用するのはカップルが主でしょうか。時には恋人と時には誰にも言えない秘密の相手と愛を育むのでしょう。あとはデリバリー的な店を利用する人たちが一時の愛を育むのでしょう。また行きずりの人と肌を重ねるってことも。
かつてはこの界隈に立ちんぼがいたそうです。いや今でもいるのかな?少なくとも3年前は立ちんぼを確認してます。最近ではマッチングアプリで知り合った人と待ち合わせしてホテルに行くってのも増えてます。そのため日本人の立ちんぼは少ないようです。
ここにいるのは、おそらく女性、おそらく外国人、おそらく立ちんぼ。
性別こそわからないまでも見た目は女性の人。話しかけてくるのは片言の日本語。利用していないため未確定情報が多いですがこの界隈には外国人立ちんぼが結構いるようです。マッチングアプリは日本語が堪能でなければならない。でも立ちんぼであれば日本語が話せなくても問題ないんです。
魂を震わせる情熱と熱いバイブスさえあれば言葉なんかいらないんです。
3年前のあの時も「こんばんは、どうですか?」と片言で声をかけてきました。やっぱ多少は話せないとダメらしい。
目の前にはラブホテルなので移動が面倒じゃない。立地的に立ちんぼがいてもおかしくないエリア。そしてその多くは外国人なのでしょう。
しかしその外国人立ちんぼは減っているようです。インバウンドで訪日外国人は増えているようですがほとんどが観光目的で来日してます。円安により日本の旅費が安いから来ているのです。感染症以前と比べると4割くらい円安です。旅費が安いなら日本に来ますよね。でも働いている人は4割収入が減ってる状態です。例えば15000円だった場合、ドル換算だと感染症前は136ドル稼げたのに現在は93ドルまで目減りしてます。同じ金額を稼ぐには22000円必要となります。
客となるのは日本人。高くなれば当然寄り付かなくなるでしょう。そのため価格据え置きにしなければなりませんがそれだと稼ぎが悪い。日本で稼ぐよりも別の国に行く方が効率が良い。そんなわけで外国人娼婦は減っているのでしょう。もう納屋橋には立ちんぼがいないのかもしれません。
このように外国人はいなくなりましたがこの界隈にはニューハーフや女装子が街頭に立ってるんだとか。性的少数者に寛容な街である名古屋。そういった人がいても何らおかしくないでしょう。一般女性と紛れてそういった人が混ざってるようです。
さすがはごちゃ混ぜ文化の名古屋。なかなか難易度が高めの街です。でも見た目が女性なのにアレがついてたらそれはご褒美じゃないですか!
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バックパッカーの聖地「バラナシ」を目指す鉄道の旅
世界遺産タージマハル。
タージマハルがあるアグラはムガル帝国時代は首都でした。首都だったのは16世紀ころ。
1558年に首都となりましたが1648年にはデリーに遷都しています。
首都だったのは400年ほど前。しかも100年程度しか首都では無かったためその後は衰退し普通の田舎の街になりました。でもタージマハルがあるため来訪者は多く一日当たり6万人がここに訪れるそうです。そんなわけで街は潤っているのでしょう。
でもアグラにあるのはタージマハルとアグラ城くらい。探せばほかにも観光スポットがあるかもしれませんがタージマハルをみたらそれで満足しちゃいました。
アグラには前日夜に到着。
ホテルに一泊して日の出の時間にタージマハルへ。8時には観光を終えました。そのあと私娼窟に行ったりしましたが12時にはホテルに戻っています。
タージマハルより私娼窟の方が長く滞在してる!
こちらはバーガーキングのハンバーガーです。
わざわざインドでバーガーキング。せっかくの旅行なんだからご当地のものを食べるべき旅先でファストフードに行くのはもったいないって意見もあると思います。でも日本じゃ食べることができないバーガーです。
牛肉を食べられない人が多いインド。その代わりにマトン肉を使っています。私は牛肉よりこちらの方が好きです。日本でもコレ出してほしいですね。
飯を食ってホテルに戻りのんびりする。
明日の出発時間までかなりあります。何もすることなくホテルでダラダラ過ごすだけ。これ、今から出発してもよいんじゃないでしょうか。
そもそも明日の鉄道の乗車券はまだ予約が取れていないんです。一応予約はしてあるんですがキャンセル待ち予約なんです。キャンセルが出れば乗車できるけどキャンセルが出なければ列車に乗れない。
ちなみに予約時の取得確率は68%。順番は8番目のようです。
どのように算出しているのかはわかりませんが確率表示だと視覚的にわかりやすいです。どこまで信用できるかわかりません。
半日たった段階での確率は73%。なんとなくですが7割の確率なら乗れそう。でも100%乗れるわけではなくこの段階でも30%はハズレる。
ハズレるともう一泊アグラに宿泊するかめちゃくちゃ混んでる自由席に乗るしかない。現実的に考えれば一泊する形でしょう。でもその次の日に乗れるかも保障されてません。確実に乗れるのは座席に空きがある4日後の列車。4日間もアグラで時間を潰していると確実に私娼窟を利用します。
もうアグラを早々に旅立ちたい。
であれば今日の列車も予約すればよいじゃないか。
予約が取れなければ明日の列車に乗ればよい。
予約が取れればホテルをチェックアウトする。
一泊分ホテル代が無駄になりますが時間は有限。
何もせずに一泊するより先に進むべきでしょう。
ってことで本日の列車も予約します。
しかし当然キャンセル待ちをしてる人が多く、私まで回ってこない可能性が高いです。アグラにはアグラフォート駅とアグラカント駅がありますがどちらの駅も発着する列車は予約で一杯。キャンセル待ちをしている人も多いです。
今日は難しそうだな...って思っていたところアグラから30km離れたタンドラカムであればキャンセル待ちをしている人が少ないようです。
それであればこちらのチケットに挑戦してみましょう。ただこちらの駅でも確実に乗れるわけではありません。キャンセル予約をした時の乗れる確率が40%。かなり厳しそう。でも出発8時間前で44%上昇。
そして出発7時間前で確率は54%上昇。これ、このペースであれば行けそうな感じです。5割を超えてるんです。ぱちんこなら50%以上の演出はほぼ大当たり確定。
そして出発6時間前、乗車券を購入できました。
たまたま運がよかったのかもしれません。
帰国日が決まっているなど時間に余裕がない人は事前にチケットは購入した方がよいでしょう。
アグラからバラナシまではおよそ600km。電車賃は1672ルピーです。チケット代は1310ルピーですが手数料などで360ルピー取られています。ちなみにSLクラスだと350ルピーで行けます。SLクラスは三段ベッド。今回は寝るので二段ベッドの方を選びました。
出発まで6時間。出発駅は現在いる場所から30km。駅までタクシーで移動しますがどれくらいかかるか不明なので早めに出発します。タンドラ駅まではウーバーを使用します。
高速道路を乗り目的地へ。さすがに30kmだとリキシャ―やバイクではダメみたいです。
インドではじめて車に乗ります。
個人的には車よりもバイク移動の方が楽しいです。もちろん転倒のリスクがありますが排気ガスとなんだかわからないニオイがする中、バイクで走るのはインドの醍醐味です。
タンドラ駅に到着しました。
電車は現状遅延なく定刻通り出発するそうです。遅延情報はアプリでも確認できます。便利な世の中になりました。
列車で駅弁は食べられますが早めに駅に到着したので駅付近で食事にしましょう。
ってことでこちらの店に行ってみました。
これより列車に乗るのにお店の形が列車です。実際の車両を修復して使用しているようでちょっとおしゃれなカフェみたいなところです。屋台か怪しい定食屋みたいなところでしか食事をしていないため、このようなところは新鮮です。
ターリーを食べたかったんですが時間が過ぎていました。こちらのお店にあるのはカレーとカレー、それにカレーとカレー。パスタとかもありますがやっぱりここは、カレー一択でしょう。
注文したのはこちらの料理。
なんの料理かわかりませんがおそらくカレーです。
写真から選びました。
こちらはおそらくカシューナッツのカレーです。ホワイトソースで作られたカレーっぽくないカレー。
これ、かなりうまいです。味がめちゃめちゃ濃い。濃厚すぎてだいぶ重いんですが好きな味です。かなりハイカロリーな感じがします。でも美味い。
これより乗る夜行列車は20時過ぎに出て翌朝5時に到着します。乗車時間は約9時間なので乗ったらすぐに寝る感じでしょうか。
明日のバラナシは日の出を見るつもりなので理想的な時間に到着するのではないでしょうか。あくまでも定刻通り遅延がなければです。
ちなみに到着が20分ほど遅れていましたが案内板には定刻通りと書いてありました。
すでに車内は就寝モードです。飯食っておいてよかったです。みんなが寝ている中でカレーを食べるのは引けますからね。私も明日に備えて就寝します。それでは おやすみなさい。
車窓の景色 ゼロ!
朝になりました。朝というよりまだ4時過ぎ。真っ暗だし降りる人以外は寝ています。車窓の様子は一切見れなさそうです。
新幹線のように車内アナウンスはなく駅に停車したかどうかもわからないためGPSを頼りに今いる場所を地図で見て到着駅に近づいたら降りる準備をする。バラナシ駅は比較的降りる人が多いのでしょう。そのため停車時間が少し長めに設定されています。
バラナシに到着しました。
バラナシは年間1億人の観光客が来る街です。駅は複数ありますがこちらの駅が混むのでしょう。朝4時過ぎですが大混雑です。
こちらは自由席の列車です。乗れる要素がゼロの状態。仮に乗れたとしても今度降りるのが大変そう。でも一回くらいは試しに乗ってみてもよいかも。
9時間の寝ていただけの電車の旅。
これより私はガンジス河に向かいます。
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人がいない失敗したオズの国 三菱電機の企業城下町「大曽根駅前」
本日は名古屋に来ております。こちらは名古屋市北西部にある大曽根駅です。
中央本線、名鉄瀬戸線、市営地下鉄名城線にゆとりーとラインが乗り入れる大曽根駅。多くの路線が乗り入れている乗換駅のようなところですが、このように交通の要衝だったのは昔からのようで大曽根は宿場町だったそうです。
大曽根は名古屋城から約4kmの距離で名古屋を出て最初の宿場町でした。大曽根は木曽街道、下街道、瀬戸街道の三つの街道が交わる交通の要衝でした。多くの人が行き交い、街はにぎわったのでしょう。かつての中心地は駅から500m離れた大曽根交差点あたりだったそうです。
1900年に大曽根駅開業後街の中心は駅の方へ。
駅から大曽根交差点の間に商店街ができました。戦後も商店街は繁栄し続け、1965年にはアーケードが取り付けられました。市内には大須商店街と円頓寺商店街がアーケード街ですが大曽根を含め3大アーケードと呼ばれたんだとか。
こちらが商店街として栄えていた場所です。
下街道沿いにできた商店街。下街道は名古屋城と中山道をつなぐ脇街道で当時は賑わっていたのでしょう。高度経済成長期も賑わっていたのでしょうか。でも現在賑わいはなく静かです。
大曽根駅前には駅前の大曽根地下街「オズガーデン」、大曽根本通商店街「オゾンアベニュー」、大曽根商店街「OZモール」という商店街があります。これら三つの商店街が南方向に延びています。
しかし各商店街が道路で寸断されています。このように寸断されてるのは再開発が原因のようです。
下街道と同じルートを走る国道19号線。岐阜や長野につながる交通量の多い道ですが、その当時は道路が狭く渋滞が問題視されてました。そのため大曽根土地区画整理事業が行われ、大曽根商店街も対象区域に含まれたおり当初は駅ビルを建設する話も出ていたそうです。しかし地権者の反対でその願い叶いませんでした。最終的に採用された案は商店街の道路を拡張しアーケードを撤去してオープンモール化する形でした。それが今の大曽根商店街の姿です。
賑わい云々の前に店が営業していません。また商店街というわりにマンションが目立ちます。道は広く整備されてますがなんか殺風景です。誰もいない街に飛ばされてきたような感じです。まさにファンタジーの世界。
オゾン、オズ、OZ。
オズを名乗る施設が大曽根は多いです。
大曽根をローマ字にするとOZONEだからでしょう。
それに合わせて商店街の中にはオズの魔法使いのオブジェが飾られています。
こちらには旅立ちとかかれたオブジェがあります。オズの魔法使いの最初の部分にあたるのでしょう。オズの魔法使いは1900年にできた児童文学作品で不思議の国の飛ばされた主人公のドロシーが仲間を集めて元の世界に戻るための冒険の物語。案山子、ブリキの木こり、ライオンと共に旅をする西遊記や桃太郎と似たようなお話です。その冒険譚をオブジェを通してみれるようです。
最初に仲間にするのは案山子だったでしょうか。こちらが案山子との出会いのシーンです。
案山子のオブジェが壊されてて存在しない!案山子が仲間にならない世界線。
これじゃあ元の世界に戻れない!
名古屋城から約4km歩くと商店街の入り口です。駅とは逆側の大曽根交差点近くにある商店街の入り口。こちらが商店街の正面口となるのでしょうか。入り口にはどえりゃあ門ってオブジェがあります。1989年に作られた商店街の門。この門はみんなで手を取り合うみたいな意味が込められているのでしょう。残念ながら商店街はシャッター街となり、手を取り合うどころではありませんでした。私は昼過ぎに大曽根に来ました。こちらで食事でもとろうと思っていたのですが店がどこもやっていないのです。
飲食店はあるもののシャッターは閉まったまま。昼休憩でしょうか?
たまたま休みだった可能性もありますがすでに潰れた店もあるようです。
客が来なければ店を開けても仕方ない。
店が閉まっているから客が来ない。
この負のスパイラルによって衰退したのでしょう。
こちらはマクドナルドがあります。
こんな個人商店みたいなマックは見たことないですがどうやらこれは看板だけあるだけで本来のマックの入り口は国道19号側にあります。
車社会だから国道側に店を構えるのは当然ですが商店街側はだいぶ適当な感じになっています。
マクドナルドからもそっぽ向かれる商店街。
かつての賑わっていた商店街にはもう戻れないようです。
時間の経過とともにアーケードは古臭くなり、日を遮るため商店街は薄暗かったのでしょう。少しでも明るくするために撤去したのかもしれません。しかし屋根がなくなれば雨の時は傘が必要です。
道幅が広くなると店と店のつながりもなくなる。キレイに陳列された店よりもドン・キホーテのように雑に詰まれているほうが目をひくのでしょう。商店街もゴミゴミしている方がよいのでしょう。キレイに整理整頓された街は魅力がないのです。
オズモールは1993年に第一回愛知まちなみ建築賞を受賞しています。
「商店街が一丸となり旧来の商店街から脱皮した」と評価されています。しかし実際のところは一丸となっておらず地権者同士で意見が割れていたし意見が統一せずに妥協案となったのでしょう。建物を一新され、道路はキレイに整備されましたが結局脱皮はできてませんでした。建物を変えても中身が変わらなければ何も変わりません。
さらには道路で分断され地続きではなくなった商店街。これも客足が遠のいた原因でしょう。駅から二階建ての建物が軒を連ね二階からシームレスに道路を跨ぐ案もありました。しかしその案も地権者の反対で棄却されました。また歩道橋や横断歩道を敷くよう要請を出しましたが近くに横断歩道があるため却下されたそうです。しまいには人が通れないように柵がされてます。
こちらは商店街にあるオブジェ「とおりゃんせ門」です。このオブジェを設置した時はまだ商店街は寸断されていなかったのでしょうか。まさか行政が通りゃんせしてくるとは。土地区画整理事業という大きな渦の中で、かつて夢みた賑やかな街を創るつもりでしたが出来上がったのは人の気配がないオズの国でした。もう大曽根商店街は元の街には戻れないようです。
駅前に戻ってきました。
大曽根駅の南側は商店街となっていますが東側には三菱電機の工場があります。三菱電機は1921年に三菱造船から独立し、3年後の1924年に大曽根に工場ができました。それが現在の三菱電機名古屋制作所です。
創業時は総員200名程度の規模の工場でしたが現在の従業員数は7000名以上。つまり7000人が大曽根駅を利用するようです。このガード下をくぐる社員は何人いるでしょうか。
ちなみに三菱からガード下をくぐった先にあるのはヘルスビルがあります。出ました名古屋の真骨頂ベルスビル。商店街が衰退したとて生き残り続ける性風俗店。ほぼほぼ三菱社員の憩いの場。
最近名古屋で流行っているマジックミラー。
逆バニーは聞いたことありますがこちらでは逆セーラー。
性風俗店って社会的に不適切とされ、法律で厳しく規制されています。様々な規制の中で切磋琢磨し営業してます。売春自体が法律で規制されていなければ日本の性風俗は多様化しなかったでしょう。でも厳しい規制の中で各社各々で知恵を絞りどうにか存続させてきたのです。ある意味英知の結晶といった感じでしょうか。その英知の結晶が逆セーラーなわけですが。
私のような凡人には思いもつかないジャンルがこの業界では日々更新されていくんです。逆セーラーに対し萌えも欲情もありませんが実際に直面すればムクムクっと感情が芽生えるのかも。この店は要チェックですね。
こちらは北口側です。
駅北口のそびえる三菱電機名古屋制作所。
三菱の裏手にはナゴヤドームがあります。三菱社員の娯楽といえばナゴヤドームで野球かヘルスビルで逆セーラーかのどちらかです。
三菱電機の前はニトリがあります。
大曽根は三菱の工場がありますが商店街があるように名古屋の北側の住宅街です。4路線もあるし栄や名古屋に一本ででれる立地なので多くの人が住んでいるのでしょう。生活をする上で家具は必要です。安くて質の良い家具が売っているニトリ。さすがは「お値段以上、ニトリ」です。住宅街である大曽根だから必要な存在ですね。
そのニトリのそばにあるビル、風俗ビルです。
これはお値段以上のサービスが期待できる店。大通りに面しておらず路地裏にあるのですがニトリの駐車場のせいで拓けた立地にあります。
こちらの店もマジックミラーがあります。
そしてモーニングサービスまである!
名古屋と言ったらモーニング。ゆで卵とトーストがついてくると思ってましたが値引きだけのようです。
そのビルの並びにも性風俗ビルがあります。
こちらはリラクゼーション&エステティックの店でビル丸ごとエステ店の建物。でもエステって健全店なんじゃないの?
見た目が性風俗店っぽい感じなのに性風俗店じゃないってところは結構あります。それでついつい手を出してしまい警察沙汰になる人も。エステ店ってわかりづらいんですよね。
でもこちらの店は、手、です。
裏手の路地にも先ほど見たヘルス店の系列があります。
こちらにもモーニング!
性風俗の多様化を目指すならばそろそろゆで卵とトーストを出す店があってもよいのではないでしょうか。
そんなことより三菱の目の前、性風俗店が結構多い。あきらかに三菱社員の財布を狙っています。三菱がここにできて100年以上が経過しました。1世紀の間、多くの社員がこれらの店を利用したのでしょう。戦時中は航空機の部品を製造していたそうですがその時の三菱社員の支えとなっていたのはこれらの風俗店だったのかもしれません。当時そんな店があったのかはわかりかねますが、たぶんあったんでしょうね。戦時中は日本を支えてた店だったのでしょう。それは今でも変わらず三菱社員の憩いの場のようです。
大曽根駅って南側は寂れた商店街でしたが北側は飲み屋街になってるんです。風俗店やキャバクラ店が多めの街。住宅街でもある大曽根ですが7000人も働く企業のお膝元なので利用する人が結構いるんでしょう。
おそらくこちらはピンサロ店。
名古屋ではピンサロのことをキャンパブと言いますがラブスペースという聞きなれない言葉。でも容易にどんな店なのか想像は出来ます。
ここはキャンパブで間違いないのでしょう。建物の雰囲気も性風俗店の様相だし。
三菱社員が多いからか大曽根にはもっとこの手の店があったようです。しかし時代の経過とともに消えてしまいました。やはり古くなったからでしょうか。商店街は古いままでよかったのに性風俗店は古いままではダメだったようです。
名古屋の北のベッドタウンでもある大曽根。商店街は寂れてしまいましたがニトリもあるし名古屋ドーム前にイオンもあります。住むのには適しているところなのでしょう。娯楽スポットのナゴヤドームもあるしほかにもいろんな娯楽がある大曽根。なんか楽しめそうです。
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ムガル帝国時代から続く私娼窟「マントラ私娼窟」
本日はインド北部のウッタルプラデシュ州アグラに来ております。
こちらは世界遺産「タージマハル」です。
タージマハルができたのはムガル帝国時代、第五代皇帝の妃が死去した際に建設しました。
総大理石の廟で建築には20年近くかかり常時に2万人が工事に携わっていたようで当然建築費は膨大でした。それにより財政難となりムガル帝国は衰退することとなるようです。
歴史の教科書ではよく見るし美しい建物。インドにいくなら一度は立ち寄るべき場所です。
タージマハルの年間入場者数は800万人で観光シーズンだと入場制限がかけられるようです。かなり人気のスポットなのでしょう。来場する1割ほどが外国人観光客のようです。
写真よりも実物は美しいです。大気汚染で白けてますがこれもインドならでは。ここに来ればインド行った感がでますよね。
最愛の妃のために築いた愛の象徴であるタージマハル。それによりムガル帝国は財政難となりましたが今では世界遺産となり観光スポットとなり世界各国の人が訪れる場所となりました。私もタージマハルを見学しましたが、アグラにはそれ以外の目的で訪れています。アグラには世界遺産と並ぶ観光スポットがあるんで、それはタージマハルよりも素晴らしいんだとか。
それではここでクエスチョンです。
私は世界遺産 タージマハルを見たあと、はたしてどこへ行ったでしょうか。
アグラはデリーから180kmの距離にあるほぼ田舎のような場所です。しかし観光業が盛んで町は潤っているようです。それもこれもタージマハルのおかげ。街の規模は小さいですが中心地にはメトロがあります。
ちなみにそのメトロ誰も使ってないんです。
通勤時間帯なのに乗客は私だけ。
そもそもアグラメトロ自体が昨年開業したばかり。中心地は混雑しますがデリーほどではないアグラでは地元民は安価なバスを利用し観光客はタクシーを利用するので需要がないようです。
マンカメシュワール地下鉄駅に到着しました。
駅目の前には世界遺産のアグラ城塞があります。赤い城と言われこちらも世界遺産ですが目的地はここではありません。
またそのそばにはスラムがあります。スラムというか難民キャンプのような場所ですがこちらも私の目的地ではないんです。
正解の前にまずは腹ごしらえ。
こちらは日本でいう立ち食いそば屋でしょうか。
こちらはサモサカレーです。インドでは定番の朝食メニューのようです。価格は17ルピー、およそ30円です。
朝にしては脂っこいためパンチがありますが一日の活力になる朝ご飯。それが安くうまく食べられるのはサイコーです。
観光地なのでホテル代は高いですが飯代は安い。とくにお腹を壊すこともなく過ごしていますがインドの食事は手で食べる事が問題です。
インドは手食文化です。昨日ビリヤニ屋に行った際に相席したインド人にビリヤニは手で食べるんだよ!とスプーンがあるのに手食を強要されました。
日本だって手で食べるものはあり、手で食べることに対しては何ら問題ないんです。寿司だっておにぎりだって手で食べるし、ハンバーガーやサンドウィッチも手で食べます。手で食べることに対し抵抗はありません。このサモサも手で食べて問題ありません。でもインドの難点は手洗い場がないんです。
公衆トイレには手洗い場が無いし、飲食店も手が洗える店が少ない。当然屋台では手が洗えない。
カレーで汚れた手、インド人どうしてるの?と周りを見てみると親指と人差し指と薬指を擦ってるじゃないですか!擦って乾かしてなかったことにしてる!まるでサイババのビブーティーを出すようなしぐさ。
サイババの右手から出していた粉、カレー説。
食事も済ませたので目的地に向かいましょう。マンカメシュワール地下鉄駅のそばには鉄道駅のアグラカント駅があります。アグラにはいくつかの主要駅があり、ここがタージマハルに一番近い鉄道駅です。多くの人が往来する場所のようです。
駅裏手、ここには私娼窟があるようです。
アグラの目的地、私娼窟だった。
アグラカント駅南側にはアグラ要塞がありそちらがメインエリアなのでしょう。北口側は観光客の来ない地元エリアでこの界隈に私娼がいるそうです。しかし日本の風俗街のように「ここが風俗街だよ!」と書いてはありません。
インドでは売春のあっせんは違法ですが個人売春は違法でないようです。そのため街中では当然のように公然と売春婦がいます。
アグラカント駅北側マントラと呼ばれる地域の中にあるセオカバザール、マルカバザール、キナリバザール、カシミールバザール、プラティバザール、チャッタバザール、このあたりが私娼窟エリア。範囲がけっこう広め。
どうやらほかの地区にも売春宿は点在しているそうでアグラ全体にその手の店があるようです。
アグラ市内、ほとんどが私娼窟だった。
アグラの売春宿の歴史は古くムガル帝国時代から。かつてはタージマハルの北側、バサイってところが私娼窟だったんだそうで、その当時は芸妓が春を売っていたようです。
イギリス統治時代は英国軍人をもてなす私娼窟へ。その後は街の中心地がアグラカント駅の北側へ。それにより私娼窟はファウンテンロードに移りました。その後市街地全体に広がったようです。
おそらくこのあたりにあるのでしょうが一切不明。まだ午前中だし売春宿は営業してないでしょう。というよりアグラの売春宿は衰退してるんだとか。
この界隈にある売春宿の中には誘拐された少女がいるため摘発があるんです。摘発というより救出作戦を行っているようでそれにより売春業者が検挙されているようです(日本の風俗街とは毛色が違いすぎる)。中には自発的に働いている人もいるのでしょう。しかし誘拐されて連れてこられた女性、または親に売られた女性など売春を強制されてる女性もいるようです。表立って営業をすれば警察のガサ入れがはいる。そんなわけでデリバリー型に変わっているんだとか。
表向きはデリバリータイプのマッサージだけど、実際のところは売春婦を派遣するビジネス。一般的にはコールガールと呼ぶのでしょうか。とくにアゴラは観光客が多く来る地域なので市内には多くのホテルがあります。インターネットを介せば店の営業ができるわけでわざわざリスクのある店を持つ必要がないのです。「やっぱ店舗型が良い」なんて言い出すインド人がいるかもしれないので店舗型の店はまだ残ってはいるのですが多くはデリバリー型にシフトしているのでしょう。
ムガル帝国時代から続いた私娼窟はIT革命により新たな形にシフトしました。現在はデリバリー型の店が増えているようです。これに関しては全世界的にこの傾向なのでしょう。ネットを介して手軽に利用できる性風俗。そんなわけで週末は観光客が多く来るそうでとくにデリーからが多いんだとか。
わたし、デリーから来た観光客だった。
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名古屋発祥の地「那古野」風情ある街並みが広がる商人の街「円頓寺商店街」
本日は名古屋に来ております。
こちらは名古屋駅の東側にある那古野です。
那古野って名古屋っぽい感じの名前だし字もナゴヤと読めなくない地名ですが実は那古野が名古屋の名前の由来なんだとか。かつてこの界隈はナゴヤ村と呼ばれており、それが今の名古屋市の名前になったそうです。
こちらにあるのは円頓寺商店街です。同商店街の歴史は古く江戸の頃からあるようで1612年に神社を移した際に門前町として発展。つまり400年以上前からある商店街です。東海道と中山道を結ぶ美濃路がそばを通ってたので多くの人が行き来したのでしょう。
現在の商店街は1890年頃にでき1964年にアーケードが完成したそうです。名古屋では大曽根、大須、円頓寺が名古屋三大アーケード街と呼ばれていました。大曽根はアーケードがなくなりましたがここのはリニューアルしてまだ新しいです。この様子はまだ見れるのでしょう。
とはいっても一時は衰退していたそうです。
商店街として形成された明治のころは近隣に大工場があり人通りも多かったようです。また市電もあったので交通の便もよい場所でした。しかし高度経済成長期以降マイカー普及率は高くなり、市民の移動手段は車になりました。駅のそばで駐車場も用意できないここの商店街は来客が減っていったそうです。
名古屋駅のそばとはいうものの歩くと少し遠い。さらには市電が廃止されたことで最寄り駅がない商店街はいつしか人が来なくなり衰退したほかの商店街と同様にシャッター街化。最盛期に700軒あった商店は200軒以下に減ってしまったそうです。
このように危機に瀕していた商店街ですがこの危機を乗り越えようと住民が手を取り合い2000年以降、対策に乗り出したんだそう。古い部分を残しつつも新しい風を取り入れる。かつての地域密着型の商店街ではなく他方から来る人向けの店を増やしたのでしょう。それが成功したのか明るい商店街になりました。
2015年にアーケードをリニューアルしてます。
助成金や補助金を使っても上物が新しくなっただけで集客につながらない商店街を地方で散々見てきました。そのような中、この商店街は成功例しています。
私は円頓寺商店街に来るのははじめてです。
でもここには行きたいと思ってました。ここは私にとって聖地なのです。
名古屋といえばぱちんこが有名です。
ぱちんこが有名なのは1930年に日本で初めてぱちんこ屋が名古屋で出店されたからなんだとか。実際は大阪の方が先だったって説もありますが名古屋も比較的早くからパチンコ屋がありました。ただ当初はぱちんこ玉を飛ばすのではなく一銭硬貨を弾くシステムだったようです。似たようなシステムの機器は駄菓子屋に置いてあった遊技機のアレでしょうか。私が子供のころにあったのは新幹線のやつでした。10円玉を弾いて最後まで行くと青い札が出る。それを店主に渡すと50円もらえる。今考えれば駄菓子屋は明らかに賭博場開帳図利罪。摘発されてもおかしくない遊技機が当たり前のように店前に置いてありました。
そして小学生だった私は当たり前のようにそこに全ツッパしてたのです。小学生の低学年のころから賭け事に勤しんでいた。そりゃ大人になっても辞められないわけです。
一銭硬貨を弾くシステムは明らかに賭博の遊技機。そのため1930年当時は規制されています。摘発されて営業停止処分となる店もありました。現金を直接弾くから問題視された遊技機。だったら玉を貸す形にすればいいのではないか?このようにして現行のパチンコ台が誕生しました。なんか形式が三店方式と同じにおいがする。
1936年に円頓寺付近に住んでいた藤井正一が鋼球を弾くシステムのぱちんこを開発。つまりこの街がぱちんこの発祥地なんです。私の人生を狂わせたと言っても過言ではないぱちんこ
。そんな聖地があるならば行って一言モノ申したい!でもここにはぱちんこのパの字もありません。ぱちんこ店すらありませんでした。人生を狂わすぱちんこ発祥地とは思えないくらい。ここはごく普通の商店街でした。
こちらは長久山円頓寺です。日蓮宗の寺院で同寺院門前が商店街となってます。かつては市電が走っていましたが廃線されたため現在この界隈は近くに駅がありません。最寄り駅は国際センターでしょうか。
こちらが国際センター駅です。駅前に名古屋国際センターというビルがあります。国際交流の拠点として1984年に建てられた名古屋国際センター。円頓寺商店街はここより北に約400m先にあります。
商店街までのルート上、大通りに面して商店が軒を連ねておりこのあたりは飲食店が多いエリアで私も何度かここで食事をしております。飲食店がいくつもあり使い勝手の良いエリアです。
円頓寺商店街に戻ってきました。円頓寺の交差点、交差点角には像が飾られてあります。
こちらは織田信長の像です。
岐阜駅前にある像もそうですが信長と言えば金色の像のイメージ。こちらの像も火縄銃を持った金色の信長です。
こちらは豊臣秀吉でしょうか。
秀吉は銀色。秀吉は生まれが名古屋市中村区のあたりなので名古屋はゆかりのある地です。
金銀ときたら次は銅です。
こちらは徳川家康です。名古屋城を築城したのは家康です。そのため名古屋にゆかりがあるのでしょう。ちなみにこの像は三方ヶ原の戦いの際の敗戦直後の肖像画をもとに作られています。しかめっ面なのはウンコ漏らしたからでしょうか。
信長、秀吉、家康。戦国時代の戦国三英傑が飾られています。
こちらは水戸黄門です。コイツだけ時代も違うし様子も違う!
あきらかに時代劇の水戸黄門の姿。
あきらかに一代目水戸黄門の東野英治郎
しかも水戸光圀、名古屋になんのゆかりもない!
こちらは円頓寺商店街そばにある四間道です。
1700年頃に造成された道で防火対策のため道が広くなっているんだそう。道を広くすることで火災の延焼を防げるようです。また土蔵造りの建物が多いのも防火対策のためです。先の大戦での空襲被害もなかったことからその当時の街並みをうかがうことができます。この界隈は街並み保存地区に指定されています。土蔵造りのところは黒と白のコントラストが絶妙です。雰囲気の良い街並みです。
こちらは町内にある神社「浅間神社」です。
ご祭神は木花開耶姫命。五穀豊穣や子孫繁栄を守護する神社です。創建時期は不明ですが17世紀にはここに存在していたそうです。
歴史を感じられる四間道。
街並み保存地区に指定されているからこういった景色が見れるのでしょうね。
そんなところにあるヘルス店。
これは重要非文化財。
歴史感じる街並みで別の感じることができる店!
一応景観を損ねないように落ち着いた外観です。土蔵を意識しているのでしょうか。黒と白のコントラストが絶妙の看板。
こちらにもヘルス店があります。さすが那古野、名古屋発祥の場所というだけある。街並み保存地区に指定されている四間道。風情ある街並みが見れる歴史ある通りってことですが風情、あった。
いや風情じゃなくこれは風俗。
本日は那古野を巡りました。名駅から少し離れているし栄や錦とも違う。なかなか訪れるエリアではありませんが色々と楽しめそうな町でした。色々とね!
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デリーからアグラへ 世界遺産を目指す鉄道の旅
ニューデリー駅は東京駅みたいなところ。そのため全ての列車の出発地だと思ってましたが人が集中しないよう分散させているのでしょうか。ニューデリー駅から離れた駅も始発駅となっています。
これより向かうのはハズラト・ニザマディン・デリー駅です。ニューデリーの一駅南にある同駅が始発駅なのでメトロを乗り継ぎこちらに移動しました。品川駅みたいな感じのところでしょうか。
これより鉄道に乗りアグラへ行きます。
デリーから190kmの距離にあるアグラ。アグラには世界遺産のタージマハルがあります。デリーからアグラへ鉄道旅。インド旅行のお決まりルートです。
旅立つ前に腹ごしらえ。こちらはビリヤニです。
屋台のビリヤニ、250gで50ルピー。一食100円で食べられるインドは懐に優しいです。でも懐に優しくてもお腹に優しくないのでは?
デリーベリーという言葉があります。
ベリーは英語でお腹なので直訳するとデリー腹です。
インドに行くと絶対にお腹を壊すと言われてます。菌やウイルスによる感染症だけでなく油や香辛料などが原因となり下痢となることも。インドでは確実にお腹を壊すのでそれをデリーベリーと呼ばれてるんだとか。
旅行の時の体調管理はかなり気を付けています。限られた日程で移動するため体調を崩すと予定通りにすすめなくなります。とくに食中毒や下痢は身動きが取れなくなるので口にするものは注意しています。
水はボトルウォーターしか飲まないしお店では水ではなくジュースを頼む。生野菜は絶対に食べないようにし、マックのハンバーガーですらレタスを抜きました。一応それなりの対策をしています。生野菜と水さえ気を付けてればお腹は壊しません。
気を付けてるやつは屋台で飯食わない。
でも今のところお腹は壊していません。
それとインドに来て一度もカレーを食べてません。これもお腹を壊してないポイントでしょうか。
スパイスを使った料理をカレーと定義するならばこのビリヤニもカレーに該当するのですが一般的に言われるカレーはまだ食べてません。
腹を壊す一番の原因は油だと思っています。日本でも油の多いラーメンを食べるとお腹を壊します。油脂の多いカレーは下痢の原因となるため今回のインド旅ではカレーを食べない。
カレー不食の誓い。
かなり難易度高めの縛りルール。
カレーが国民食であるインドですがカレー以外にもいろいろな料理があります。案外カレーを食べずに過ごせそうです。
そんなわけで今回のインド旅行は、カレー食べない縛りで行きます!
ビリヤニを食べたあとはチャイを一服。
出発時間まで余裕があるのでゆっくり過ごします。
インドの鉄道に乗るのははじめてです。時間通り来ないと言われるインドの鉄道。出発予定時刻前に出ちゃうなんて話も聞きます。そのため駅には一時間以上前に到着してます。
しかし電車が遅れているようです。電光掲示板にはDと書いてあるのですがディレイ、つまり遅延しているみたいです。
出発は二時間遅れ。
始発駅にもかかわらずすでに遅れてる。
日本で二時間遅れが発生すればニュースになりますがインドでは通常営業。むしろ二時間遅れは定刻通りと同義のようなもの。6時間遅れとかもざらなんだとか。電車移動は余裕を持って動いた方がよいでしょう。
二段ベッドの下の座席を予約しました。
目的地のアグラまでは3時間ほど。寝台車ですが横にならずに座ります。
私が予約した席ですが隣には知らないインド人が座ってます。昼間はみんなで座席を共有するんだとか。
予約席なのに!
二段ベッドの上の人が下の席に座るのですが私の席には私含め3人座っています。この中に予約してない人がひとりいます。でもこれがインドの日常なんでしょう。
改札がないので切符がなくても電車に乗れます。駅員が車内を巡回しており定期的に切符を確認するのですが駅員と鉢合わなければただ乗りが出来るシステム。私の席に座る3人のうち1人、ただ乗りの可能性が高そう。もしくは自由席で指定席エリアに来ているか。
どちらにせよただ乗りには変わりない。これは虚を突かれた気分。
長距離鉄道なので車内販売をしています。
チャイに水ボトル、それにお弁当などが買えます。せっかくの電車の旅です。何がでるかわかんないけど食べてみましょう。
カレー食べない縛り、数時間で破られる。
コーンのカレーにダルカレーに芋のカレー。
弁当にはベジとノンベジがあるようでこちらはベジ弁当。ノンベジにはチキンカレーみたいです。
選択肢はカレーしかなかった。
ダルカレーが優しい味がして美味しいです。宗教関係なく全てのインド人が食べられるダルカレー。インド人にとって味噌汁のような存在なんだとか。豆が入ってるのでたしかに味噌汁なんでしょう。
カレー味の味噌汁(いやそれはカレー)。
ダルカレーには白飯が合います。
インドの食事は炭水化物が多めです。こちらの弁当は白飯以外にチャパティもついてます。けっこうな量です。でもカレーだからぺろりと食べられる。
やはりインドといえばカレーです。
カレー食べない縛りとかしてる場合じゃなかった。
車窓から見るインドの景色。
170年以上の歴史を誇るインド鉄道。インド鉄道の総延長は62000kmもあり世界で4位の鉄道網なんだとか。インドの端から端まで行けるため飛行機よりも安い値段で移動できる鉄道はインド国民の足なんだとか。そのため車内は混雑するようです。
私は予約席ですが予約なしの当日券もあるようでそれだとかなり安く電車に乗れるそうですがそちらの車両はめちゃくちゃ混んでるんだとか。
混んでる上にインドの鉄道はドアが開いたまま。そんなわけで毎日7人くらい死んでるそうです。
海外旅行はガンガン行こうぜより命を大事に。
安全はお金で買う。
私が予約しているのは1等席もしくは2等席。日本の電車でいうグリーン車的なやつでしょうか。日本の新幹線ですら自由席と指定席の民度は違います。インドもそれは同じなんでしょう。
当然指定席は値段は高くなりますが、すげー高額ってわけでもないので指定席にしました。
指定席乗車券はネットで予約しました。煩わしいやり取りも不要だし料金もカード決済。アカウントの作成に200ルピー必要ですがインド行くなら事前に作成した方がよいでしょう。
私は出発前の日本でアカウントを作成。
座席の予約は2日前にインドで行いました。
価格は1018ルピーなので約2000円。チケット代自体は760ルピーですが手数料で250ルピーほど取られているようです。
ちなみに自由席は100ルピーくらい。手数料よりもはるかに安い自由席。外国人価格ってのもあるようですが10倍差。3時間我慢すればよいんですからそりゃ多少混んでても自由席を選びますよね。
私の予約席に座っていたおそらく無賃乗車の人は駅員に追い出されていました。予約してない人がひとりいると思ってましたが、2人とも予約してない人だったようです。
民度。
2時間遅れ3時間の鉄道旅。
アグラに到着しました。
インドの鉄道っていい噂を聞きませんがどうやらそれは自由席の話のようで指定席は問題なく乗れました。まぁ通常の10倍の値段を払ってますからね。
デリーアグラ間は東京から静岡くらい。その距離を2000円で送ってくれるんです。バス移動も考えたのですがインドは電車移動が一番良さそうです。