ごちゃ混ぜ文化の名古屋の真骨頂!エステだらけの歓楽街「女子大小路」
本日は名古屋に来ております。
こちらは栄駅そばにある久屋大通公園です。先に見えるのは中部電力ミライタワー、一般的には名古屋テレビ塔と呼ばれてるのでしょうか。
テレビ塔ができたのは1954年。
日本で最初に完成した集約電波塔で高さ180m、東京タワーの4年前に建てられたそうでその当時は日本一の高さだったそうです。東京タワーと通天閣は登録有形文化財ですが名古屋テレビ等は重要文化財に指定されています。つまり東京タワーよりすごいタワーなのです。
2011年にアナログ放送の停波により電波塔としての役目が一時終わりました。アンテナ使用料が取れなくなり会社は倒産寸前、テレビ塔の解体の話も出ていたそうです。しかし名古屋市長が取り壊しを拒否したことでテレビ塔は存続することになりました。現在はネーミングライツなどで維持しているようです。一応名古屋一の観光スポットになるのでしょうか。
名古屋のシンボルでもあるテレビ塔。この界隈が名古屋の中心で、高級ブランドショップなどが建ち並ぶエリアです。ちょっと私は居づらい環境の街並みでなんとなく銀座っぽい感じがします。
少しズレると錦三丁目があります。
錦には性風俗店が多くありますが銀座のクラブっぽい店と混ざり合っているんです(こちらも銀座的要素がある)
栄や錦ってなんかちょっと居づらい環境なんです。飲み屋や風俗店には興味はあれどちょっと高級なところは委縮してしまいます。私の求めているのは赤羽とか蒲田のようなところ。さすがに中心地にはそんな街はないのでしょう。
でもちょっとズレたところに居心地がよさそうな街並みが広がっています。本日はそちらに向かいます。
こちらは栄から東南方向に位置する街路です。
東栄通という名称がついていますが一般的には女子大小路と呼ばれているところです。そのように呼ばれているのには理由があり路地の一角にある名古屋東急ホテルがあるところに中京女子短期大学の運動場がありました。その女子大の西側に歓楽街があったため女子大小路と呼ばれるようになったそうです。
大学があったのは1963年まで。移設されてから60年以上経過していますがその名が引き継がれているのは感慨深いです。
この界隈はいわゆる歓楽街。なんとなく雰囲気が近いのが歌舞伎町です。ホストの看板が目立ちます。女子大生が好きそうな店ばかり。
てっきり女子大生が働いていそうなキャンパスなにがしみたいな店があると思ったらちょっと違ってた。
女子大小路は名称に偽りありですよね。
女子大もない女子大生もいない街。やたらとホストが目立つんです。
でもホストあるところ立ちんぼあり。
もしかしたら本当の女子大小路があるかもしれません。
ここの雑居ビル、濃縮されてていいですね。
インドネパール中国。
あとは得体知れない居酒屋やスナックのあるビル。なんとなく歌舞伎町感があって素敵です。こういったところに行きつけの店を持ちたいです。
ホストクラブも多いですが歌舞伎町と同じようにクラブが一番多いようです。まさに女子大生が働いてそうな店があります。この界隈は普通の日本人スナックもありますがフィリピンや中国、韓国パブが多くあるそうです。特に韓国パブが多くあるようでバブル期に一気に増えたそうです。しかし店の名前だけでは韓国パブを判断ができません。これは一軒ずつ回って調べるしかないですね。
カフェと書いてあるので普通の喫茶店。
でもこれでパンツ見えたらパンチラ喫茶じゃないですか!
でもたまたまパンツ履き忘れた店員がいたらそこはノーパン喫茶じゃないですか!
まさかの令和の時代に昭和の遊びができる店。
この白と黒の飲み屋の看板って素敵です。ギラギラしている看板よりもこっちの方が好きです。ここには落ち着いた店があるのでしょう。
ちょっと落ち着きが足りない。これは女子大生が行く店なのか客も店員も男性の店なのか。判断し辛い店ですが筋肉があるのは確か。こちらがどっちの店かわかりませんが、どうやらこの界隈はゲイ関連の店があるようです。
でもどっちがそっちの店なのかわかりづらい。新宿二丁目のようにかたまってあるのではなくホストクラブなどと混ざっているんです。
このような店名であればどっちの店かわかります。
店名はその店をあらわす顔。
この店はどんな店なのか容易に想像できます。
でもこれだとどっちの店か判断できない。
ヤンチャな男性店員がいるのでしょう。なんとなくゲイバーっぽい。色味とやんちゃとごりらっていうキーワード。あと全部ひらがななのもゲイっぽい。でもここの店はメンパブなんだとか(ヒジョーに分かりづらい)。
これだと間違えて入店しちゃったときなんかお互い気まずい空気が流れそうです。間違って入ることはないのですがなんかもやもやする!
こちらは女子大小路の町内地図です。
バブル崩壊後は錦のほうに客を取られてしまい空き店舗が目立つようになったってことでしたがそこまでガラ空きってわけではなく8割くらいは埋まってそうな感じ。その多くはスナックかラウンジといった飲み屋。オシャレな錦や栄とは対照的に古臭い感じです。でもスナックやキャバクラやホストだけでなくクラブやバーといった若者向けの店もあります。
新宿歌舞伎町も様々な人が出入りする街ですが女子大小路も年齢性別性指向に人種関係なく色々な人が行き交う街のようです。
このようにホストクラブありキャバクラありゲイバーあり外国人パブがある女子大小路ですが風俗店が一軒もないんです。
この手の街って風俗店が必ずあるもんです。そして無料案内所では案内しているもんですが案内すらしていません。つまり風俗はゼロってことなんです。
名古屋って住宅街の一角にヘルス店があったりポツンと一軒風俗がある不思議な街並みです。でも歓楽街で人が多く出入りするところなのに風俗がゼロ。これはかなり特殊です。でもちゃんと棲み分けができているんでしょう。
でも、エステが多すぎる!
風俗エステが混ざっててもおかしくない。なんかすごいエステ店が乱立してるんです。
なんとなく中華要素強めのエステ店。女子大工事のエステ店のほとんどが女子大生ではなく出てくるのはほぼ中華。これは夜になると街頭に立つ中国人女性から「マッサージイカガデスカ」って言われるやつ。
韓国人が多い街だと思ってましたがチャイナタウンだった。しかもマッサージだけ!
私が確認した範囲で30軒以上あるエステ店。おそらくちゃんと数えればもっとあるのでしょう。
名古屋の人、
肩こりが酷いのかな?
リンパの流れが悪いのかな?
リラックスできていないのかな?
見たところ普通のマッサージ店の看板。怪しい店もありましたがほとんどが普通の看板。経絡とか書いてあるので効きそうな感じがしますので普通のマッサージ店が多いのでしょう。でも、あるんでしょうね。
普通のマッサージ店だけど実は風俗店ってのは結構あるんです。看板が過激すぎると警察に目をつけられます。普通の看板にしてこっそりと営業する。ここにそのような店があってもおかしくないです。だって風俗店がない歓楽街なんです。飲んだ後に受け止める何かが必要でしょう。まさにこれらの店の中にその役割を担うところがあるのでしょう。しかし看板からでは判断ができない。
そのためこれは一軒ずつ回って調べるしかないですね。
こちらは町内にある池田公園です。
一応遊具もある公園ですが、ここ三大ゲイタウンの一つなんだとか。
ゲイタウンで有名なところといえば新宿二丁目、次いで大阪の堂山町でしょうか。その次に有名なところが池田公園なんだとか。名古屋だけ公園。
池田公園がゲイの中心地となっているのは公園の周りにゲイバーが多くあるからなんだとか。それと公園にはトイレがあります。中部地方では一番大きなゲイタウンのようでゲイが集まる地域。やはりゲイの店が多いからなのでしょう。
かつては夜になるとゲイの人が集まったんだとか。公園にトイレがあるしね。
いわゆるハッテン場だったそうです。公園にトイレが...。
でもそれはかつての話。現在は様々な人が集まるエリアとなっています。公園の周りにゲイバーが多いとお話しましたがホストクラブも結構あります。そのためホストのたまり場となっておりこの公園で客引きをしているそうです。ゲイの人にとっては手厳しいです。かつてはゲイの集まるスポットだったのに今はノンケなのかゲイなのか判断できない。そのためハッテンバの要素はなくなったようです。
またこの界隈には外国人パブやエステがあります。そこで働く従業員も集まってくるんだとか。なんかすごいごちゃごちゃしてる。
さすがに日中はそのような人はいませんが客引きっぽい人は公園の周りをうろうろしてます。夜になればいろんな人が集まってくるのでしょう。
客引きをするホスト、客引きをする姑娘、出会いを求めて集まるゲイの人たち。夜になればカオスとなります。そしてこの公園、「界隈」の人のたまり場になっているそうです。
名古屋の若者が集まるところといえば栄にあるドン・キホーテのそば、かつてドン横と呼ばれるところがありました。居場所のない若者が集まる地域があったのです。しかし2022年にタワー建設が始まりドン横は閉鎖。行き場を失ったドン横界隈の人たちが行った先がここ池田公園だったそうです。夜になるとそういった若者が集まるんだとか。そして集まった若い女性に対しホストが群がるようです。女性はホストにハマりそして散在。支払えない分は街娼として働くそうです。つまりこの界隈には立ちんぼがでるそうです。そういう人たちが夜な夜な集まって来る、ここは名古屋にある大久保公園なんです。
風俗店がないと思っていましたがその手の店がない代わりがちゃんとあるようです。でも街娼の中にはニューハーフもいるそうです。さすがは日本三大ゲイタウン。すごい混ざり合ってる。
七色の虹じゃ表せないくらい色彩豊か。
さすがはごちゃ混ぜ文化のある名古屋。
歌舞伎町であり二丁目であり大久保公園。ほぼ新宿の全てを一カ所にまとめたエリアのようです。
ホストもあるしキャバクラもある。
外国人パブもあるしゲイバーもある。
ハッテンバもあるし立ちんぼもいる。
それにエステとかエステとかエステとか。
これら全てが一つの街で混ざり合っているので名古屋の歓楽街は混沌としているんです。そのためトラブルは絶えないのでしょう。
一般的には女子大小路と呼ばれていますが栄ウォーク街って名称にしようとしてます。治安の悪さの代名詞でもある女子大小路。名古屋で一番治安の悪いところなのでしょう。そのイメージを払拭するため新しい名称を用意したみたいです。でも渋谷センター街や博多親不孝通りと同じで名前を変えたところでなんの意味もないのです。
色々な人が出入りするんだから大小様々な軋轢や摩擦が生まれます。それが治安の悪さのもとになっているのでしょう。多文化共生の中では避けられない事象です。でもそれは人間くさい街なのでしょう。
いろんな人がいていろんな価値観があって普段の生活では知ることのない情報に触れられる。そうやって新たなカルチャーが生まれるのです。そう、女子大小路は 文化創造の街なのです。
ごちゃ混ぜ文化と呼ばれる名古屋の真骨頂。いろんな店がごちゃごちゃあって全く統一性がない不完全な街「女子大小路」。でもそれが名古屋の魅力なのかもしれません。
関連記事
デリーにある丘の上のスラム街「バルジットナガル」
こちらはデリーメトロのシャディプール駅です。
ブルーラインとグリーンラインの乗換駅である同駅は利用者も多くいるのでしょう。でもメトロはバスと比べると値段が高く、市民の足は専らバスのようです。そのためメトロは空いてるので使いやすいです。
今回私はメトロを利用してここに来ました。本当はバスでここまで来るつもりでしたがラッシュ時のバスの難易度が高すぎるんです。
日本でもラッシュ時は電車やバスは混雑します。ラッシュ時の電車はギュウギュウ詰めですがインドでは体半分しか乗れていない人もいます。このバスに乗るのは不安なため電車にしました。
メインパテルロードの面したシャディプール駅。ちょうど出勤時間帯でしょうか。多くの人が行き来しています。デリーの中心から6kmほど離れたこの場所は住宅エリアのような場所なのでしょう。駅裏手は碁盤の目に整理された街並みが広がってます。
でも少しそれたこの道の先、古い町並みが広がっているようです。
こちらはバルジットナガルと呼ばれる場所です。西パテルナガルにある集落で丘陵の中に住宅街が広がっています。集落のメイン通りは坂道となってます。
約70万人が暮らすバルジットナガル。インド独立当時のこのあたりは森でしたが丘陵を掘削して石材採掘場となったようです。労働者らが森に小屋を建てたことにより街が形成、地方から多くの人が移住してきたそうです。
採石場は1970年代まで続き、その後は工業地帯となったようです。このあたりに多く住んでいるのが地方移住者。仕事があるためここに移住したのでしょう。
街の中はだいぶ入り組んでいます。枝葉のように小路があります。道は複雑に入り組んでおり地図をみながらじゃないと絶対に迷子になりそうです。
細路地で坂道の雰囲気は尾道みたい。
小さな家がごちゃごちゃある街並み。
スラム街のようなところをイメージしてましたがここはただ単に住宅密集地なだけです。住んでいる人の意識が高いのでしょうか。インドって基本的に汚い町並みだらけですがここはそこまで街は汚くなく衛生的です。ゴミが全く転がっていないわけではないですが掃除はしっかりとされているようです。
ごく普通の住宅街の様子。そうここにあるのはごく普通の住宅街です。でもたとえごく普通の住宅街だとしても普通の生活ができるとは限らないのです。
日本の水道普及率は99.4%。そして当たり前のことですが水道水が飲めます。蛇口をひねれば安全な水が飲める。日本では当たり前なことですが世界的にはそうではなく水道水が呑めるのはたった12カ国しかないんです。アジア圏だと日本とアラブ首長国連邦だけでほとんどの国が飲み水に適していないのです。
水道水を飲まないのは海外旅行の鉄則です。
お店で出される水も怪しいので手を付けない。飲用するのはペットボトルの水だけ。このように海外は飲み水が手軽に手に入らないのです。
ここインドでもそうです。
インドは世界的に見ても水が汚いと言われてます。蛇口をひねっても安全な水が飲めないインド。
蛇口があっても水が出ない家があるのです。
こちらのように朝になると給水車が巡回してます。給水車が走ってるってことは水が出ない証拠です。上水道のない地域があるようです。
インドはインフラの整備が不十分で上水道のない地域が多くあるようです。
インドの上水道普及率は7割ほど。年々増加傾向ではあります。デリーの上水道普及率は90%もあります。そのためよ多くの場所で水道が使えそうですが、配管の漏水や降雨量減少による水不足などで水道が使えない地域が4割ほどあるようです。
このあたりはその4割に該当する地域でしょうか。それとも上水道すら通ってない地域でしょうか。給水車が複数台街中に停車し水を汲みに来ている人が大勢います。水の供給は給水車頼みのようです。
使える水に限りがあるんじゃ衛生を保てるわけがない。そりゃトイレは汚いままだし用を済ませたあと手を洗わないのでしょう。インドが衛生的じゃないのは水のせいのようです。
このように安全な水が手に入れられづらい環境のためそれに目を付けた悪いやつらが水を売ってるそうです。インフラを破壊し水道を停止させて水を販売する水マフィアと呼ばれる人たち。やっていることが転売ヤーと似ていますが水が闇組織のシノギとなっているようです。
まさにヒャッハー水だーの世界。
やってることが北斗の拳。
肩パッドつけたモヒカン野郎がバイク乗ってそう。
ここはガヤトリ・コロニーと呼ばれる地域です。向って右手側は壁がありますがその先はだだっ広い空き地になっています。かつてここにもスラムが広がっていたようです。
スラムがあったのは2011年頃まで。ここは市が所有する土地ですがそこに不法占拠でできたスラムがありました。不法占拠を排除するため2011年に都市計画や都市開発を担うデリー開発庁が事前告知なしにスラムを解体し始めたそうです。
日本でも不法占拠の強制立ち退きはあります。渋谷の宮下公園のホームレスの立ち退き、大阪城公園のホームレスの立ち退き。人権問題もありますが都市計画上仕方ないのでしょう。
宮下公園はホームレスを排除したことでキレイな商業施設ができました。インドでもそんな感じでスラムを排除したのでしょう。
キレイになってねーけど!
ガヤトリ・コロニーに住んでいた人は80%がダリットと呼ばれてるもしくは呼ばれていたカーストに属さないいわゆる不可触民の人です。
インド全土のダリットの人口割合は20%なのでここにはかなり多く住んでいたようです。
3000年以上前から続くカースト制度ですが1950年にカースト差別は禁止されました。それにより不可触民制が廃止されています。しかしカースト自体は廃止されていません。
カーストを理由にした差別が禁止されただけでカースト制度は残ったままなのです。
カースト制の否定はヒンズー教の否定と同義。差別はよくないが教義は否定できない。差別は禁止したけどシステムは残したのでしょう。このようにすごい曖昧な状態のため今でも差別が蔓延しているんだとか。
差別をなくすためかつて不可触民と呼ばれた人は指定カーストと呼ばれ一定の恩恵があるようです。
日本も明治時代に身分制度を廃止しましたがその際に不可触民の人は新平民とされていました。それと似たような感じなのでしょう。また日本には同和対策事業の一環で公務員の選考採用などの優遇が受けられますがインドも同じように公的機関への就職の優遇や大学への優先入学など恩恵が受けられるようです。
でも皆が皆この恩恵を受けられるわけではなく救われない社会的弱者もいるようでここはそういった人が集まる地域なのでしょう。そもそも恩恵が受けられるのはインド国民だけで、IDを持たない人、つまり移民にはその権利が与えられません。救われない社会的弱者がここに多くいるようです。
ここはジョイ・マウンテンと呼ばれる丘の上でこちらには長屋のような建物があります。アナンド・パルバット・トランジット・キャンプってところでスラム再開発プロジェクトのために一時的に移住した人のキャンプのようです。
行政はスラムを潰して再開発をしたいのですが、不法占拠でできたスラムだとしても追い出すだけだと人道問題になります。
このように避難所を設けてスラムを解体。解体しそこに高層ビルを作り再度入居できる形をとっているようです。つまり新たな家ができるまでの仮設住宅で現在2800世帯が住んでいるようです。
ここから2km離れたところにカトプトゥリコロニーってスラムがありましたがそこから引っ越してきた人がここに住んでいます。
カトプトゥリコロニーは少し特殊で曲芸師や蛇使い、ダンサーや俳優、人形遣いなど芸事を生業としたカーストの人なんだとか。コロニーの名前になっているカトプトゥリは糸人形劇のことを指すようで、インドの伝統芸能の一つのようです。日本の河原者と似たような感じでしょうか。
1950年頃にシャディプール駅近くに住みだし、カトプトゥリコロニーが形成されました。メトロが通るメイン通り沿い。そんなわけで開発地域に指定されたのでしょう。現在元コロニーの場所は商業ビルを建設中です。建物ができれば再度同じ場所に戻れるのですね。
ちなみにここ避難所が用意されたのは2014年。
もうそれ避難所じゃねぇ!ほぼ定住しちゃってるやつ。
避難所の生活は2年間って話でしたがすでに10年過ぎていた。もう仮設って雰囲気じゃないし一つの街が出来上がっちゃっています。
活気があるし なんか楽しそうな街の雰囲気です。トランジットキャンプ、直訳すると一時避難所になるのでしょうか。ぜんぜん一時の期間ではないですが一時的に用意した住居なので建物は簡素な造り。各家にトイレはなく各棟にトイレが設けられてます。ここにある建物は築10年のはずですが築50年くらいの建物の様相です。インドの建物、劣化が異常に早い。
ここに来るまでは比較的街並みがキレイでしたがこのコロニー内は比較的汚めな街並み。
民度の差。
あえて汚しているとしか思えない街の感じ。水が無いから衛生面が保てないと思ってましたが、水だけじゃなかった。
もう10年、いつ元の場所に戻れるようになるのやら...。
コロナで工期が遅れちゃいました!とかそういったレベルじゃない!
本日はインドの住宅街を巡りました。インドではスラム排除を目指しているようですがまだまだ改善するには時間がかかりそうです。
丘の上にあるスラム。
スラム排除でできた避難所。
インドでは色々な問題を抱えているようです。
インドの街並みを見るだけのインド旅行、しかも見ているのが普通の住宅街とスラム街。明らかに異質な旅ですが案外楽しいもんです。でも連日スラム街に行ったので満足しました。
せっかくインドに来てるんです。
観光スポットも巡りましょう。
さてこの後は別のスラム街を見に行きます。
関連記事
名古屋中央卸売市場がある癒しのエステがある男の街「日比野駅前」
本日は名古屋に来ております。
こちらは金山駅の一つ隣駅「日比野駅」です。
日比野駅は名古屋市営地下鉄名港線の駅で名古屋駅からそこまで離れていません。この辺りは車でしか来ていませんでしたが本日は電車で来ました。
只今の時刻は朝の6時。
まだ起きるのには早い時間帯ですが私はこれより朝ご飯を食べようと思います。
愛知といえばモーニングの文化があります。喫茶店でコーヒーを注文するとサービスでゆで卵やトーストがついてくるんです。
モーニングは尾張一宮で始まった文化ですがその文化は愛知県内に広がり、現在は東海近県に広がっています。でもモーニングってあくまでもサービスの範疇。そのため量が少ないんです。やっぱりガツンと食べたいじゃないですか!
それと私はパンよりもライス派なんです。
味の濃いおかずをアテにご飯を掻っ込む。日本人の朝飯といったらこうあるべきです。でもこんな時間から営業しているところはチェーン店くらいしかありません。せっかく名古屋にいるので美味しモノが食べたい。その願いを日比野では叶えてくれるんです。
日比野駅の近くには市場があります。
名古屋には名駅東側に柳橋中央市場がありますが柳橋のは民間の中央卸売市場でいわゆる問屋街のようなところ。柳橋で海鮮系の食事がとれますが駅前なのでちょっと観光地価格なんです。
日比野にあるのは公設の市場。名古屋市中央卸売市場の本場ってところで主に水産品を扱う卸売市場です。つまり豊洲市場みたいなところでしょうか。
当然公設の市場には一般人は入場できません。
でも施設内に一般人も食事ができる店があります。お店が開くのは朝4時40分から。朝飯前に働いていた市場の人たちが仕事終わりに食事をする場所があるんです。鮮魚を扱う市場に併設された飲食店。これは間違いないですよね!ってわけで市場で朝ご飯を食べます。
立ち寄ったのはこちらのお店です。同店は5時前にはオープンし昼過ぎに閉まります。私は過去に何度か訪れており名古屋の出張で翌朝に帰るときはホテルを早めにチェックアウトして市場に来てました。そしてこちらのお店で朝ご飯を食べていたのです。名古屋ではレンタカーを借りることが多いので車で中央卸売市場に来ていました。
帰る前に美味しい朝ご飯を食べる。
喫茶店のモーニングもいいけれども最終日に海鮮が食べられるのは名古屋の楽しみでした。
市場の中にあるので海鮮系の料理が主です。
どんぶりものやお刺身、煮魚に焼き魚、その日獲れた鮮度の良い魚が食べられます。刺身定食とかいいんじゃないでしょうか。
刺身でご飯をたらふく食う。
やっぱり朝は白飯に限ります!
ってことでビールを注文。飯食う気、ゼロ。まさかの迎え酒。
一度この店で飲みたかったんです。いつも車で来るでしょ。だからお酒が呑めなかったんです。鮮度の良い魚介が揃っているならやっぱそこはビールを飲みたくなるものです(典型的なアル中の考え方)。
こちらはブリのお刺身。
最近は熟成させる方がうまいみたいな風潮がありますが私は新鮮な魚の方が好きです。このコリコリした歯ごたえは鮮度の良い証拠。ここのは肉厚で臭みはありません。これこそが市場で食べる朝ご飯(酒飲んでるけどね!)
こちらはアジの塩焼きです。アジの刺身、アジフライ、干物。食べ方は様々ありますが普通の塩焼きが好きです。
自宅で食べる魚といえばもっぱら鮭の切り身です。理由はほかの魚は不可食部が多いため。アジくらいであれば頭丸ごと食べられますが生アジだと内臓とかの処理が必要だし、そもそもグリルが汚れるんです。においが残るので自宅で焼き魚はしたくないので焼き魚は外でしか食べないです。
干物じゃなくて普通の塩焼き。これが酒にあう。ごちそうさまでした!
こいつ、飯食ってねー!
お天道様が出たばかりの時間帯から飲む酒、いいですよね。
まさにこれが名古屋飯(名古屋関係ねーけど)。
酒は置いてありましたが飲んでる人は少ないです。理由はアクセスし辛い立地にあること。そして仕事をしている人は車移動なので、仕事終わりに酒盛りする人はいないようです。
市場の目の前を走るのは名古屋市道江川線です。国道や県道ではないですが高速と並走して走る路線で名古屋駅と名古屋港をつなぐ重要路線。そのため交通量の多い道路です。
港湾労働者、漁業関係者、運送関係者など多くの人が行き来するのでしょうね。身体を使う肉体労働系の仕事に従事する人たち。その多くは男性なのでしょう。つまりここは男の街なんです。
そんな通路にあるキュートな店。
ピンク色の看板でキュートな雰囲気のお店。普通のエステ店のはずですが普通じゃない感じ。
値段を見てもお手頃価格。揉みほぐし60分だと4000円はむしろ安い。
当店のウェブサイトを見たところ中国式リラクゼーションの店のようです(リラクゼーションという便利な言葉)。
でも同店は風俗店ではないそうです。普通の中国式リラクゼーションだしお手軽コースは安いですからね。ほかにもコースがありオイルコースやリンパコースなど、おススメはコスプレ集中リンパコースのようです(リンパという便利な言葉)。
風俗店じゃないなら普通のマッサージ店なのかな?
まぁ風俗要素はゼロですからね。なんとなくそれっぽい雰囲気なだけ。そもそも大通りに面したお店です。まさか性風俗店が大通り沿いにあるはずがない。いくら男の街だとはいえそれは許されません。
ほら、こちらは市場の目の前にあるエステ店。
もともとガソリンスタンドだったであろうお店。こちらは県内に20店舗店を構えるチェーン店でウェブサイトにはリラクゼーションの文字がありますがこちらの店は明らかに健全店です。
外観は元スタンドなので怪しさがありますがチェーン店であれば風俗店のはずありません。やはり疲れた体を癒すスポットが必要のようです。市場の前がマッサージ店なのは理にかなってます。
市場の近くには小学校があるようです。
この界隈にあるのは野立小学校ってところで、市場のあたりは同校の学区のようです。
少し離れれば住宅街となっている日比野駅前。住むのには適した場所なのでしょう。
そんな中にある住宅街に不適切な店。同店は風俗店です。
やっぱりあった風俗店。
ラブエステと看板に書かれてあります(エステという便利な言葉)。
看板には女の子の写真があります。どこか既視感のある女の子。
男の街だからあって当然のお店ですが名古屋特有のビルタイプ風俗がここにはあります。ちなみにこちらの店、以前はマネキンという風俗チェーン店でした。
チェーン店の風俗店もあった。
エステ店の並びに大名古屋食品卸センターって場外市場があります。
市場では一般客は買えません。そのためこのような場外市場があるんです。こちらでも食事ができるようですね。
市民の台所のような場所なのでしょう。こちらでは鮮魚以外に青果と精肉も扱っています。目の前が市場なのでここに来れば新鮮な食材が揃うのでしょう。
さすがに鮮魚を東京まで持ち帰れませんがこのような場外市場が自宅そばにあると便利そうです。
こちらには飲み屋が軒を連ねた一画があります。スナックや居酒屋があるようです。なんとなく赤線跡地みたいな雰囲気ですがもともとここは線路沿いでした(赤線跡地っぽそう)。
線路といっても貨物路線があったそうです。名古屋と港をつなぐ電車で市場方面へ支線があり、名古屋市場駅って駅が市場内にあったそうです。1978年に駅は廃止されたようですが地図で見ると路線があった感じがします。私はこのような廃線跡地を巡るのも好きなんです。過去に電車が走っていたのになぜなくなったのかを調べるのが楽しいんです。こちらのように廃線跡って形が残ってるんです。そこを巡るのも楽しいんですよね。
本日は日比野駅界隈を散策しました。おいしい朝ご飯が食べれてサイコーです(ごはん食ってねーけど)。
名古屋の最終日はここに来るのが一番です。おいしい鮮魚を食べて新幹線で帰る、そんなゼイタクな旅もいいんじゃないでしょうか。
日比野の駅前には市場の男たちを癒すためのエステ店がありました。健全なエステ、若干不健全なエステ、そして確実に不健全なエステがありましたがどれも疲れた体を癒すための店なのでしょう。肉体労働をしている男たちのための癒しスポットが日比野にはあるんです。
そして駅前にはピンサロもあります。
駅目の前に癒しスポット!
一見すると普通のキャバクラっぽい雰囲気です。日焼けスタジオもあるし普通の店っぽい。でもピンサロなんでしょうね。名古屋なのでキャンパブというべきでしょうか。
キャンパブとはどこにも書かれていません。でもキャバクラでアタリハズレの話しますか?キャバクラって直接見て話せるしキャストは入れ替わるのでハズレという概念がないのです。
つまりここにある店はハズレが存在する業種。飲食店っぽい雰囲気だけど飲食店じゃない。そしてイラストが少し淫靡な雰囲気。そこから導き出される答えはあれなのでしょう。
ここはキャンパブである。
やはり男の街の日比野。仕事終わりに飲む人は少ないようですが抜く人は一定数いるようです。
まさに男の癒しスポット。いや、イヤらしいスポット。
関連記事
アニメロードはキャンパブロード!出張族御用達の名古屋の駅裏「椿町歓楽街」
本日は名古屋駅に来ております。
東京の次に大きな都市は大阪ですが意外に大阪って行く機会が少ないです。逆に名古屋は頻繁に立ち寄る地域。
名古屋は大阪と東京の中間にある都市。実際は大阪寄りなのですが大都市間の間にあるし企業も多い都市なので都内の人が仕事で一番来る都市なのでしょう。
私も感染症前は毎月訪れていました。そんなわけで勝手知った街なんです。とはいってもほぼ仕事でしか行かない名古屋。プライベートではなく仕事なので当然名古屋城には行ったことがありませんでした。名古屋では観光っぽいことをしていないのです。仕事なので行き先が限られた場所しかないんです。
錦にある怪しい店に行ってみたり、
栄にある怪しい店に行ったり、
納屋橋のあたりをウロチョロしたり、
どうみても怪しい仕事してる!
普通の人であればこんな感じでしょう。
ビジホで晩酌するか怪しい店に行くか。名古屋の夜なんてこんなもんなんです。
名古屋でそっち系のお遊びをしたいならば駅東側。堀川を渡った先に歓楽街があります。名古屋駅から歓楽街は少し離れているので地下鉄で移動しなければなりません。不真面目な人はそちらに宿を取るのでしょうか。真面目な人は名古屋駅の西側。新幹線口のあたりに宿を取ります。そして私も真面目なので宿はこちら側で取ります。
この界隈は駅裏と呼ばれており昔は何もないエリアだったそうです。いわゆるじゃない方の駅の出入り口で開発が遅れた地域でした。でも新幹線の改札から近いため駅前にはホテルやレンタカー屋が多くあります。新幹線降りたらホテルにすぐチェックインできるし、移動もしやすく仕事に便利な名古屋駅西口。そのため名古屋駅の西側は真面目なビジネスマンが集まるエリアなのです。でもそんな真面目なビジネスマンのためにも憩いスポットがちゃんと用意されています。
名古屋駅前はキャバクラが結構あるんです。線路脇にあるキャバクラ店。仕事柄付き合いでこの手の店に行くのでしょう。接待をする場所。ある意味仕事場のようなところでしょうか。
たしか以前はここにはキャンパブがありました。
キャンパブでは接待はできない。
キャストに口で接待されるだけ。
旧国鉄、JR線の脇には大体風俗があるもんです。
真面目なサラリーマンが集まる街?
そんなわけない。
この界隈は不真面目なリーマンが集まる街でした。ここかつてあったのはいわゆる風俗ビル。三階から上はキャンパブだらけでした。手軽に行けるサロン店、手軽に抜けるヘルス店。そういった店がこの界隈に結構あったのです。
駅を出て大通りを渡ったところこの界隈もヘルスやキャンパブがありました。私がキャンパブって名称を知ったのもここでした。
キャンパスパブって何!?って人もいるでしょう。せっかくなのでグーグルAIに聞いてみましょう。
キャンパスパブとは、キャンパス(大学)で利用できるパブを指します。パブの発祥は、17世紀のイギリスの清教徒革命を...。
ぜんぜん違う。キャンパブで人工知能の限界を見た。
私が代わりにキャンパブの本当の意味を答えます。
キャンパブ、それは、普通の風俗店です。いや一応普通の飲食店。関東でいうピンサロ的な店。じゃあやっぱ普通の風俗店。
的な店っていうかピンサロそのものです。
東海地方にあるソレはキャンパブと呼ばれてます。そのキャンパブがこの界隈に乱立してました。
こちら、ひき肉ですみたいな店がありますがこちらもキャンパブがあるビルでした。地下1階から7階まですべてキャンパブのビル。ビル全体がピンサロは現代じゃ想像できませんがその当時は当たり前だったのでしょう。当然そんな過激なビルはすでになく現在は普通のキャバクラビルになっています。
こちらの建物は現在飲み屋ビルでしょうか。
こちらもかつてはキャンパブビルでした。
その隣にあるビル、現在こちらはゲストハウスになってますがこちらも1階から5階までキャンパブでした。
ゲストハウスの隣にあるビル。
こちらのビルにはキャンパブがありました。
ほぼキャンパブロード。
名古屋といったらキャンパブかビデオパブ。この界隈にはその手の店がありました。
キャンパブは普通の飲食店。
そしてビデオパブも普通の飲食店。
現在、それらの店はキャバクラに変わりました。
普通の飲食店から普通の飲食店へ。いやどれも普通の飲食店じゃない。キャバクラは普通の飲食店ですよ感だしてますが実際普通の飲食店ではない。キャンパブよりマシなだけ。
こちらは町内にある椿神明社です。ご祭神は豊受大神。
豊受大神といえば神宮外宮の神様。
どうやらこの神社の近くに牧野神明社がありそちらには天照大御神がまつられてるんだとか。つまりわざわざ伊勢神宮に行かずともここでお伊勢参りができるみたいです。
この神社より1kmほど西に行くと中村大門というソープ街があります。かつてはそこがかなり大きな遊郭でした。しかし中村遊郭は少しばかり駅から離れています。
中村遊郭ができたのは1923年。その当時は太閤通り沿いに市電が走ってました。しかし乗り換えていくのも面倒だったのでしょう。遠くの遊郭よりも近場の私娼窟。そのため名古屋駅前に私娼窟ができたそうです。それがおそらくこの界隈だったのでしょう。
そんな私娼窟のそばに赤ひげ薬局があります。
そういえば東京の大塚駅にも赤ひげがありました。近年じゃ青い菱形のED薬が人気ですがかつてはマムシやすっぽんなどの生薬を利用していました。赤ひげ薬局の発祥はここ名古屋なんだとか。この店はキャンパブに行くためのホスピタリティの高い店なのでしょう。とくにキャンパブの利用者の多くは高齢者。ある程度の年齢になると自分の体なのに思い通りに動かせなくなるものでどうにか奮い立たせるために薬を飲むのでしょう。この店は一定の需要があるようです。
しかしこの界隈の風俗は減少傾向にあります。20年くらい前は多くあったピンサロ。いや10年くらい前まであったでしょうか。現在の新幹線口側の風俗は壊滅状態です。
こちらは現在工事中となっています。
いつできるか不明ですがここではリニア新幹線の駅新設工事をしています。5年ほど前からこの辺りにあったビルを取り壊し名古屋駅西口はこんな感じで更地になっています。かつてはこのあたりに風俗ビルが複数ありました。ゼッタイボッタクられそうなビルの外観。その入口のところで黒服が客引きをしていたんです。路地は風俗利用者しか来ないためここに来るのはネギ背負った鴨。黒服がめちゃくちゃ絡んでくるんです。その勢いに負けてついて行ったこともしばしば。でもそんな思い出のあった場所はもうありません。ここにあった店はリニアの夢の前で塵となりました。100年前から続いていた駅前にあった私娼窟。それらは全て更地となってしまったのです。
何も悪いことをしてない?何も悪いことをしてないけど。不健全な店と言われ爪弾きにされたのです。もうこの界隈には風俗店がほぼ残っていません。
残ったのはこことか。
こことか。
こことか。
結構残ってる!
やっぱりまともなビジネスマンがいる街じゃない。
まだまだ風俗店が点在しているようです。
もともと70軒以上あった風俗店。現在は西口界隈は4軒くらいでしょうか。私が名古屋に訪れるようになったのは2005年頃。その当時はまだ結構店が残っていました。しかし通うたびにあの店が閉店この店が閉店とどんどん健全な飲み屋へ変わっていきました。キャンパブがゼロになるってすごいです。まぁ業種的に色々問題がありますからね。飯食うところでパンツ脱ぐのが受け入れられないのか。最近の若者にはキャンパブが不要のようで名古屋駅西口にはソレがなくなりました。でもギリギリ性風俗店は残っている模様。これらが100年前にできた私娼窟の名残りなんでしょう。
現在周りを見ても工事中のところばかりですがリニアが完成すればここは駅前風俗店になります。駅前にある回春館。結構見た目が激しめの感じですがどこの駅にもエステ店があります。それが健全なエステなのか不健全なエステなのか。それとも健全と称した違法店なのかの違いだけ。新しく出来る名古屋市ターミナル駅の目の前は健全な不健全の合法店のようです。
こちらには防衛省 自衛隊広報ROOMがあります。
自衛隊のことをよく知ってもらうためにこのような広報室を設けているようです。またこちらでは自衛隊の募集もしています。自衛隊員も現在人手不足のようです。国防を担う自衛隊員ですが少子化も相まって成り手が少ないんだとか。そのためこのように人材募集をしてるのでしょう。ちなみに自衛隊の目の前はメイドカフェや魔女喫茶があります。
これは国防が危ぶまれる!
でもここで募集をかけるのは間違ってないんです。この辺りはアニメ関連の店や学校がある地域です。かつては治安の悪いエリアでしたが近年はアニメやサブカル系の店が増えてるのです。そのため名古屋市ではこの界隈をアニメ・サブカルロードにしようとしてます。確かにこの界隈はアニメ系の店が多いです。そしてそれに付随して○○喫茶も多い。なんとなく秋葉原っぽい雰囲気があります。自衛隊員って結構オタクが多いそうです。軍事オタクではなくアニメオタクがいるようです。アニオタが集まるところで募集をする。これは間違っていないようです。防衛省、結構な策士です。
でもこの建物、かつては2階から4階がキャンパブビルでした。
やっぱりここはキャンパブロード。
自衛隊の目の前、元キャンパブ!
しかもこちらのビルはまだ現役っぽい。メイド服の様子もおかしいし、なぜか顔にモザイクがかかってるし怪しさ満点。
ほぼキャンパブロード。
これは国防が危ぶまれる!ここで募集される自衛隊員って...。
キャンパブ...じゃなくて魔女喫茶のあるビル。
一階が韓国食材店になっています。この界隈は韓国料理屋や食材店が多い地域です。かつてこのあたりは韓国人街だったそうです。
名駅の西側は空襲で焼け野原となりました。戦後に闇市ができますがそこに集まったのが韓国朝鮮人でした。終戦により植民地支配されていた朝鮮は解放。帰国するために名古屋駅に韓国朝鮮人が集まりました。しかし母国である朝鮮半島は38度線で区切られ、さらには済州島で虐殺事件も起きていました。そのため帰ることを諦めた人たちが名古屋駅前に残ったそうです。その当時名古屋駅西側は不法占拠で建てられた建物が多くあったそうです。状況が変わるのは1964年。新幹線敷設のために土地強制収用を行ったことで不法占拠されたところはなくなったそうです。ほとんどの人が引っ越したのでしょうか。でも現在でも韓国要素があるエリアとなってます。
こちらには教会があります。神様の教会世界福音宣教協会ってところで韓国のキリスト教系新興宗教です。この教会がここにあるのはここがコリアタウンだからなのでしょう。
この教会の下、メイドカフェなんです。
なんかちょっと複雑な気分。
別にメイドカフェは普通のカフェだけど。さっきのビルに似ている気が...。そしてエステもあるんです。これはさっきと同じ感じがする!
このビル、もともとキャンパブビルでした。
やっぱりキャンパブ!
駅裏と呼ばれるこの地域、近々リニア駅もオープンし人の増えるのでしょう。駅チカで便利なので人気エリアになりそうです。
かつてはドヤ街でかつては私娼窟。
かつてはキャンパブ街でかつてはコリアタウン。
西と東の文化が混ざり合う名古屋ですがその玄関口である名古屋駅前も結構なごちゃまぜ具合でした。混ざり具合が若干カオスではありますがそれも名古屋の楽しさの一つでしょう。名古屋城を観ずとも名古屋駅前で観光できます。
関連記事
繊維街尾張一宮にあった花街「花岡新遊地」の名残り「花岡発展会」
本日は愛知県の一宮市に来ております。
こちらはJR尾張一宮駅です。
人口37万人が住む一宮市、その中心が尾張一宮のあたりでしょうか。ウールの世界三大地と呼ばれる地域で尾張一宮は繊維街だったそうです。
いわゆる繊維工場がある工場街で女性従業員を多く雇っていたため女工の街とも呼ばれたそうです。そこで働く女性従業員を織姫と呼んだんだとか。
ただ近年は海外製品に押され工場は閉鎖。名古屋まで20分程度で行ける尾張一宮はベッドタウンとなっているようです。
ベッドタウンといっても人口37万人の都市です。その中心の駅ならお遊びスポットもあるでしょ!って駅の周りを散策するもそれっぽいのがない。一応キャバクラはあるんです。でもキャバクラ街みたいな飲み屋街はなくポツンと一軒だけあるくらいなんです。駅前は居酒屋やラーメン店はありますが心躍るお店はないみたい。やはり車社会だからそういう店がないのでしょう。でも一宮区役所の近くになると少し増えます。
性風俗店ではないけれどそれに準じた店がある。私のイメージするアカスリとは少し様子が違う!
こちらはキャバクラビルです。
やはり地方の人は東京に憧れるのでしょうか。東京を冠した夜間飲食店は地方に結構あります。でも東京ガールズの多くは上京ガールズなんです。東京生まれの東京育ちは実家があるので金銭的負担が少ないです。でも地方出身者は家賃などの負担が多くなる、生活のために飲み屋で働くんでしょうね。愛知出身者も多いのではないでしょうか。つまり上京ガールズは同郷ガールズだったりして。
駅前には数える程度しかありませんでしたがこんな感じで市役所そばは多くあるんです。稼ぎの少ない企業戦士から搾取するよりも安定の公務員を相手にした方が稼げるのでしょう。
役所のそばにあるキャバクラや準性風俗店。これらは公共事業で間違いない!
一宮警察署の先にも飲み屋街があります。飲み屋街といっても雑居ビルがあってそこに飲み屋が集まっているだけです。あるのはフィリピンパブにガールズバー、ラウンジにスナックといったところ。ごく普通の飲み屋ビルって感じ。
この界隈には暴力団お断りのシールを見かけます。どこの飲み屋街もこのシールはあるんですがなんかすごい主張してくるんですよね。そんなにヤクザが多いんでしょうか。
警察署のそばなのに??
一宮といえばモーニング。諸説ありますがモーニング発祥は一宮なんだとか。
先ほどお話した通り一宮は繊維街でした。工場は機械の音がうるさくて話し合いができないため商談をする際は喫茶店を利用していたそうです。このように喫茶店を使ってくれるのでお礼で朝食を出したのがはじまりなんだとか。今日は朝から一宮に来ています。ちょうどお腹もすいたころ。やっぱり一宮モーニング食べたいじゃないですか!
っていってもまだ日が昇ってすぐのころです。開いている店は限られています。こちらの店早くから営業しています。モーニングが食べられる。いいじゃないでしょうか!
こちらの店もヤクザに対し厳しい態度のようです。刺青、ヤクザ、サンダル履きの人は入店禁止です。
もしかして、ぼく、やくざ??
愛知の朝飯はドレスコードがあるようです。
こちらの道の名前は花園通りです。なんか花園に続く楽園のような道の名前です。もともとこの辺りは花園町って町名だったそうで通りの名前に残っているそうです。
花園通りを進むと大江川にぶつかります。架かる橋の名前は花岡橋です。
この先は花岡と呼ばれるところにつながっており通りの名前は花園通りから花岡通りに変わります。かつてこの先に花岡新遊地って色街がありました。
同地に花街ができたのは1922年頃。繊維業が盛んだったこの場所に花街ができたのは必然だったのでしょう。料亭や芸妓小屋が軒を連ね大人気スポットでした。
こちらは花岡神社です。花岡神社には4つの祭神がまつられており、出雲大社の大国主命、伏見稲荷大社の宇迦之御魂神、秋葉神社の火之迦具土大神、八ツ白龍神の白龍黒龍の二神がまつられてます。
同社は花街守護を祈願するために勧請したそうで最初は龍神様だけでしたが色々な神にあやかるため色々なところから勧請しいろんな神様がいる感じになっています。
出雲大社は縁結び、伏見稲荷は商売繁盛、秋葉神社は火事防止の神様、龍神様は歯の神様。とりあえずここなら何でも願いが叶うようです。
花岡新遊地造成の際に最初に社を建てたんだとか。そう考えると神社自体の歴史は浅いですが、ここは花街の中にある神社です。その浅い歴史の中でも濃い歴史があるのでしょう。
灯ろうには大正10年の文字があります。おそらく料亭か芸妓小屋が寄付したのでしょうね。
神への願いが届いたのか花街は大盛況でした。しかし時代の流れで花街はなくなりました。
こちらは神社脇にある小路です。小さな店が並ぶ飲み屋ストリート花岡小路。いわゆるスナック路地的なやつでしょうか。尾張一宮駅前にはなかったのに郊外の住宅地の一角に突如現れるスナック街。
これはいい雰囲気ですね。
花街だったためこのような店があるのでしょう。
また近隣を見渡すと料亭や旅館が目立ちます。周りに何もないのにビジホがあるのも不思議です。でもそれもこれも花街だったからあるのでしょう。
神社の脇には公園があります。花岡町ちびっ子広場という児童公園。遊具が設置されており子供が遊べる公園です。
一宮は繊維業で発展し花街も大盛況でしたが現在はベッドタウンになっています。花街の料亭よりも子供向けの遊び場のほうがよい。もうここは普通の住宅街になったのでしょう。子連れ親子がこの公園に集まるんでしょうね。そして遊具で遊ぶのでしょう。
そんな公園そばにあるヘルス店。これは大人の公園。そしてオプションで大人の遊具が使えそうな店。
そう、この付近なぜか性風俗店があるんです。花岡には花街がありました。料亭ができ芸妓小屋があったわけです。
芸は売っても身は売らぬ、これが芸妓プライド。でもそのスローガンを掲げるってことはそれに反した人も多くいたのでしょう。
現代風に言えば、
キャバクラ嬢「私たちはマクラはしません!」
って言ってるようなもの。
でも連れ出しキャバクラは存在するし、個人的にマクラをする人もいるんです。つまりそういった店がここには存在したそうです。そもそも花岡花街ではなく花岡新遊地です。
名称に花街要素はゼロ。むしろ遊郭要素の方が強めなんです。実際は娼妓と芸妓がおり。どちらも楽しめるところだったそうです
でもそれは終戦まで。戦後赤線街となりました。
赤線を経て売春防止法施行後は風俗街へ。現在この界隈は花岡発展会と呼ばれ町内にヘルスやキャンパブがあるようです。
サロン・デ・マイレディー。
ちょっとおしゃれな雰囲気を出してますがやってることはオシャレじゃないのでしょう。
隣の店は潔い。
逆にオシャレにすら見える。
こちらはキャンパブとヘルスがある建物。ヘルスは風俗店ですがキャンパブは普通の飲食店。二つの業種が一つにまとまっているのは珍しいです。
看板がオシャレ。でも中でやっていることはあまりオシャレじゃありません。
グラフィティーと思いきや営業時間が書いてある。
普通の住宅街の様子はゼロ。おそらくかつての一宮の中心は市役所あたり。花街が駅前じゃなく少し離れた場所にできたのは配慮だったんでしょう。今でも配慮が必要そうな感じですからね。
って思ってたんですがかつては鉄道があったそうです。一宮線って路線で名古屋から一宮を結ぶ路線がこの界隈を通ってました。鉄道が鉄道が開業したのは1913年、つまり遊郭ができる7年ほど前。ほぼ風俗通うための電車だったのでしょう。
鉄道は1965年に廃止、売春防止法施行から7年後に廃止されました。車社会となったのが廃線理由ですが赤線廃止となったのが一番の理由のはずです。
医療機関じゃないのに医療機関っぽい雰囲気。これは厚生労働省に報告しなきゃダメなレベル。医師じゃないのに診断するのは医師法第17条に違反します。例え医療従事者だとしても医師免許のないものが医業を行ってはダメなのです。診断しちゃった時点で違法店になります。
でもよく見てください「しちゃう」のあと、文末に三点リーダーがあります。言葉に含みを持たせているのでしょう。
診断するかどうかはわからない、つまり医師法第17条に反しないんです。でも景品表示法の優良誤認表示に該当します。
それに比べると店名ははっきりしてます。なんか「ひき肉です」みたいな店名。でもこちらの店はそのユーチューバーが産まれる前から存在する店。つまり○○です!の起源を名乗ってもよい店です。
でも看護師じゃないのに看護師を名乗るのは保健師助産師看護師法第42条3項に反します。
しかもこれは断言しちゃってる!
店名 ナースです…にしなきゃダメなパターン。
このひき肉です!の元祖の店、早朝だけどすでに明かりがついています。
まさかの日の出営業。
日の出営業。
現在は法律が変わりこの言い方はしないのでしょうか。
風営法の関係で夜間営業は禁止されかつては営業ができるのは日が出てからでした。日が出てからなので地域により時間差があります。とうぜん西の方が日の出は遅くなり、日本では2時間ほど差があるんだとか。法の下に平等に反するとなったのでしょうか。2016年の法改正で一律6時からになりました。この手の日の出営業をしていた多くはトルコ風呂、つまりソープランドでした。でも花岡発展会にはソープランドがないんです。赤線のなれの果てはソープってのが決まりですがそれがここにはないんです。
いやかつてはソープランドがありました。花岡神社の脇にソープがあったそうです。
さすがは女工の街。でも出てくるのは織姫ではなく泡姫。
しかしそれらの店はすでになくなりました。
花岡神社を中心に発展した花岡新遊地。中心地から離れたこの場所はいつしか人気がなくなったのでしょう。花街としての役割はとうになくなり、残ったのは数軒のスナックと風俗店でした。しかしその風俗店も年々減少傾向にあります。
既得権はあるものの縛りのある業種。なかなか思うように続けるのが難しいのでしょう。とくに一宮は名古屋にも岐阜にも行ける立地。岐阜なんて10分くらいで行けるんです。岐阜金津園なんてまさに遊ぶための街です。
名古屋だっていろんな店が選び放題なんです。
客は他の地域に取られてしまうのでしょう。客足は減り一軒また一軒と閉店していったのです。そのため町内にあったソープは閉店し、今ある風俗店も風前の灯火の状態です。現在花岡にある風俗店は8店舗...
結構残ってる!
名古屋の中村大門より店舗数が多い!
近隣都市に風俗街が複数ある一宮。それにもかかわらずこのような街が残ってるのは利用者が結構いるのでしょうね。人口37万人もいるんです。使う人がボチボチいるのでしょう。そして地元の店が一番良いんでしょう。閉店している店はあれどまだまだ残る店もある。大正から続く花街はまだ生き残り続けるようです。
ちなみに花岡発展会は一宮市役所から500mの距離にあります。徒歩圏内。つまりこの街も公共事業。
関連記事
アーユルヴェーダのSPAがある!?「カロルバグ」
こちらはチャイです。
10ルピーのチャイ。チャイはお店で味がかなり変わりますがここのはかなり甘め。基本的にインドのチャイは甘いです。甘い理由は色々あるようですがイギリスの植民地時代だったころに茶葉生産が始まり上質な茶葉はイギリスに輸出していました。生産過程で出た出荷できない茶葉や質の悪い茶葉を美味しく飲めるようにしたのがチャイなんだとか。渋みが強い茶葉だったので砂糖やミルク、そしてスパイスを入れて美味しくする。このようにしてチャイが誕生したようです。
それと砂糖は体温を下げる効果があります。暑い夏の時期は甘いもので体温を下げるようです。そんなわけでチャイは基本甘いわけですが、こちらの店はこれまでの店の中で一番あまいです。紅茶味の砂糖シロップを飲んでるくらいの味。そしていつも通り溢れんばかりに入れるからこぼれてしまいました。
容器が柔らかすぎる!
手をやけどするしべたべたする!
手を洗いたいけど洗える場所がない。海外ではウエットティッシュを持って行きます。今回も日本で買って持っていったんですが食事のたびに手を拭いてためもうなくなりました。ウエットティッシュは多めに持っていくべきです。
知らないインド人の右に座りチャイを飲む。そして日本人が珍しいからか話しかけられる。インドの朝の光景です。
本日はデリー駅の西側、カロルバグに来ております。メトロで4駅ほど離れたところにあるカロルバグ。この付近は住宅街でもありつつ商店街もある地域。100年前は何もない土地でしたがニューデリーに新首都建設をする際に中心地から立ち退きにあった人が住みだしたんだとか。
デリー中心からも近いため比較的裕福な人が住むエリアとなっています。
デリーの中心に近いわりにゴミゴミしていません(ゴミはその辺に転がっているけど)。そして裕福な人が住むエリアのわりに殺風景。
カロルバグは碁盤の目のように街が整理されてて地図で見るとキレイな街並みです。ただ商店街も混じっているためゴミが散らかるのでしょう。なんとなく祭りの後の静けさがある街って感じ。
こちらはヒンズー教の寺院です。
かつてこの界隈はムスリムが多い地域でしたが現在はいろんな人が来る街となったようです。デリーからそこまで離れていないためこの界隈にはホテルが複数あるようです。
デリーで宿泊するとなるとバックパッカー街のパハールガンジか高級ホテルがあるコンノートプレイスでしょうか。私は予算の都合上パハールガンジになりましたがカロルバグには安くて良いホテルがあるんだとか。はじめてのインドで位置関係が不明でしたが、普段から地下鉄で移動するのであれば中心地から少し離れていてもよかったかも。
パハールガンジみたいにごちゃごちゃしてないしめんどくさい客引きも少なそうなカロルバグは宿泊には適していそうです。
この通りがカロルバグのメイン通りでしょうか。こちらはアジュマルカーンロードです。
元々は安価な服飾系の店が並ぶ通りでしたが現在はブランドショップエリアとなっており大型店舗もあり道も広く整備されてます。でもゴミは散らかっている。
こちらはガッファーマーケットってところ。
主に電化製品を扱うエリアで家電店が目立ちます。輸入品のスマホやパソコンなどを扱ってるようで並行輸入品やグレーマーケットの正規品もあればコピー製品も売られているガッファーマーケット。またスマホの修理をしてくれる店があるんだとか。
電器街ってなんか魅力的ですよね。日本でもかつては秋葉原がその役を担っていましたが今の秋葉原はもう電気街の様子はなくメイド喫茶を経てコンカフェエリアとなりました。近いうちガッファーマーケットも萌え萌えキュンキュン美味しくなぁれって言ってるインド人メイドが現れるかもしれません。
こちらはバンクストリートです。貴金属を扱う店が軒を連ねるエリアでブライダル用のジュエリーを扱ってるんだとか。ここは御徒町の宝石街のようなところのようです。
そういえば御徒町の宝石街はインド人が多くいました。
殺生をゼッタイの禁忌とするジャイナ教。
殺生がダメなので畜産業は当然できない。
畑を耕すことで虫を殺すため農業もできない。
そのためできる仕事が商人だったんだとか。
バンクストリートにはジャイナ教寺院があります。ここの街にもジャイナ教徒がいるんじゃないかな。
こちらはグルドワラロードです。
通り沿いにシク教の寺院があります。日本人にはあまり馴染みの薄いシク教ですが日本人のイメージするインド人、大体シク教徒なんです。
インド人ってターバン巻いてるじゃないですか?
あれってシク教徒なんです。
髪と髭は神様から与えられたものなので髪を切らずにターバンでまとめてるんだとか。私はシク教の寺院に何度か訪れています。シク教寺院の良いところはタダ飯食えるんです。
信仰心がゼロの発言。
グルドワラロードは問屋街のようなところ。
靴屋が軒を連ねるエリアのようで路上に多くの靴が置いてあります。
このようにカロルバグは場所によって特色があり色々見てまわるのは楽しそうな町です。
そしてこのあたりも少し特色があるようです。
比較的ホテルが多い地域のようですがそのホテルに混じってスパが目立ちます。日本でもビジネスホテルに呼べるあん摩があるようにホテルのそばにはマッサージ店があるものです。それは万国共通なのでしょう。
インドといえばアーユルヴェーダ。
アーユルヴェーダとはサンスクリット語で生命の科学って意味で5000年前にできた伝統医療のことです。中国医学と古代ギリシャのユナニ医学を合わせて三大伝統医学の一つとされているんだとか。
心と体と行動そして環境の調和こそが健康を維持する重要なファクターとしてとらえ病気を治すのではなく患いづらい体を作るという予防医学に重点を置いたアーユルヴェーダ。医術の知識も乏しく科学技術のない当時は予防医学は重要だったのでしょう。5000年経った今でもその考えは引き継がれ現代でもインドに根付いた医療のようです。
占星術や宇宙論などちょっと偏った人が好みそうな部分もありますが日本でも人気となっているようです。アーユルヴェーダは仏教とともに日本に伝来してます。一般市民に認知されるようになったのは平成以降、アメリカ経由でヨガが紹介された際にアーユルヴェーダの名が広まったそうです。今あるオイルエステなどはアーユルヴェーダからきているようです。
お伝えした通り心と体と行動と環境が重要視され食生活の改善など食事指導もあるそうです。また欲求を我慢することは病気につながるとされ睡眠や排せつを我慢するのは好ましくないそうで、よく食べよく寝てよくウンコするのがよいのでしょう。また性欲も我慢すべきではないようです。
私はアーユルヴェーダの権化だった!
そういった店に行くか行かないかは別として行きたいって思ったときにいつでも行けるよう下調べだけはちゃんとしている私。まさに我慢をしないアーユルヴェーダの考え方。
そしてこの付近にあるスパ、アーユルヴェーダの考えを取り入れているはず。
オイルエステはアーユルヴェーダ。日本のオイルエステもアーユルヴェーダなのでしょう。でも日本にあるオイルエステ、だいたい中国人なんです。インドの伝統医療、関係なかった。オイルでいろいろ滑りを良くしてるだけ。
アーユルヴェーダの定義がわかりませんが欲求を解放してくれることにはかわりありません。
つまり駅前によくあるチャイナエステ店はアーユルヴェーダの考えを取り入れているのです。そしてここカロルバグにあるスパもインドの伝統医療の考えを取り入れてるはずです。
ここの施術者は本場のインド人
ってことは本当のアーユルヴェーダが期待できる。インド5000年のワザが受けられるのです。
看板を見たところこのあたりのスパは体だけでなく心もほぐしてくれるようです。
ほらこちらのお店。
リラックスユアマインド&ソウルと書いてあります。普通であれば心も体もリフレッシュと書きますがここでは体はリラックスできない模様。心と精神がリラックスできるようです。下半身がリラックスできなさそうな感じ。
こちらの店もマインド&ソウル。
これ、インドの隠語なんじゃないでしょうか。
Splash into better health
健康へのしぶき。これは下半身からしぶきが出そうな名前。
新しい精力って名前のスパ。
もうなんか名称がそのままになっちゃってる。
この界隈には複数のスパがあります。ここのスパがどんな業態なのかわかりませんがパハールガンジにあるスパはアッチ系のサービスがあるそうです。インド人の客引きが勧めてきました。
普段客引きには見向きもしない私ですが「マッサージ」の言葉に反応してしまいました。
アーユルヴェーダの考えが身にしみついている。
そこのスパは日本人が結構利用するんだとか。
日本人、アーユルヴェーダ好き!
日本でもそうですが街場にあるマッサージ店はアーユルヴェーダの考えを取り入れています別料金でその手のサービスが受けられるようです。
でもアーユルヴェーダって同性施術者が行うのが原則なんだとか。つまりこの界隈にあるスパはアーユルヴェーダとは関係なさそうです。そもそもアーユルヴェーダは伝統医療。性風俗まがいのゲスなスパとは全然違うんです。
でも性風俗まがいかどうかは確認せねばわかりません。もしかしたらちゃんとしたアーユルヴェーダかもしれないのです。
伝統医療のアーユルヴェーダか、それとも性風俗まがいのアーユルヴェーダか。それを知るためには一軒ずつ巡るしかないでしょう。
しかしまだ営業時間前です。探るためには店が開くのを待つしかありません。この手の店が開くのは夕方以降でしょうか。日本であれば夜に見に来れるのですがインドの夜は不安でしかない。そのため夜の外出はできないのですがどうやらデリバリーのアーユルヴェーダもあるそうです。
日本ではそれをデリヘルって言うんだぜ。
関連記事
東海道最大の宿場町「宮宿」にあるシャッター街化した商店街「神宮前商店街」
本日は名古屋の熱田区にいます。
こちらは熱田区にある宮の渡し公園です。
日本橋から京の三条大橋をつなぐ東海道五十三次。約500kmの街道で53の宿場町があります。今では新幹線で2時間程度で行ける距離ですが江戸時代は徒歩だったので約二週間の旅程でした。旅先で泊まったのが道中にある宿場でした。
宿場には特徴があり大きな宿場や小さな宿場、名産品がある宿場など様々。あと風俗的な要素がある宿場もあったそうです。
いろんな宿場に立ち寄りご当地グルメを楽しむ。江戸時代はそんな楽しみ方もあったのでしょう。ここ熱田区にも宿場がありました。
ここにあったのは宮宿と呼ばれていました。宮とは熱田神宮のことで神宮そばの宿場町でした。
東海道の難所といえば箱根峠ですがこの宮宿から京へ向かう道も難所だったそうです。
東海道の名の通り街道なんですが実際は道のないところもありました。例えば多摩川には道がないため川を渡ったのです。静岡の安倍川、浜松の天竜川もそう、道なき道を当時はどうにかして渡ったのです。そしてここ宮宿も道なき道でした。
現在は陸路がありますが当時この辺りは海でした。宮宿の次の宿場町は28km先の桑名ですがそこに行くまでは船で渡っていたのです。こちらがその当時渡し舟があった船着き場でした。七里の渡しってところで桑名まで船を使いました。
わたしは5年前の2020年に東海道を日本橋から京都まで行きました。まるで徒歩で移動したように思ってしまいますがレンタサイクルを借り次ぎ京都を目指したんです。しかし当時は京都までは自転車で乗り継げなくこの界隈は徒歩で移動していました。宮宿から桑名宿までは28km、400年前は船で渡ってたところを令和の時代に徒歩だったのです。でも28km、遠いんです。
そんなわけでズルしちゃった。
途中でバスに乗り桑名宿へ。桑名駅で電車に乗り四日市へ。次の日はレンタカー借りて琵琶湖へ。そしておごと温泉のソープ街に行きました。
最終的に東海道五十三次関係なくなってる!
しかし残念ながら行きたかったソープランドはドレスコードがあり入店できませんでした。そのため東海道の旅は泡と消えました。ソープだけにね!
東海道を旅する際はスーツを着るのが望ましい。
この時痛感しました。
そんな思い入れのある七里の渡し。かつての宮宿は東海道五十三次のなかで一番栄えていた宿場だったそうです。当然そんな栄えてたならその手の店もあったはず!
お話した通り東海道は陸路だけじゃなく船で渡るエリアもあったのです。移動手段は基本徒歩ですが馬の人もいました。しかし馬は船に載せられません。そのため海路以外のルートも用意されてました。
こちらは東海道と美濃路の追分です。美濃路を北に行けば中山道につながります。遠回りですが陸路で京都に行くことができます。海を渡るか陸路で行くかここはどちらに行くか悩む場所だったのでしょう。そしてそんな場所だから人の往来もあったのでしょう。現在は普通の住宅街になっています。
と思いきや住宅街の中にある怪しい店!
こちらのお店には看板には何の情報もありません。普通の人はアルバム見学無料を見てもわからないですが、この手の店を経験していれば何の店がわかる。こちらヘルス店です。
名古屋ってなんか不思議なんです。
この手の店って出店エリアが限られているので一カ所に集まるもんですが普通の住宅街の中に結構あるんです。
現在は路地裏にあるヘルス店となっていますが目の前の道はかつての東海道です。しかも宮宿のメインロードにある店。もしかしたら江戸時代から脈々と続く店かも。こんな感じで歴史も感じられるし、色々感じることができる店がここにはあります。
こちらは地下鉄名城線の熱田神宮伝馬町駅です。伝馬町、つまりここは馬を使って情報を送信する通信事業を担う人がいたところだったようです。
駅前は飲食店はあるもののそこまで栄えてません。
伝馬町の北側が宮宿の中心、熱田神宮があります。こちらが熱田神宮です。熱田神宮は三種の神器草薙神剣がある神社です。
ご祭神は熱田大神。ご利益は無病息災、出世開運、商売繁盛などなど比較的なんでも叶うようです。
熱田神宮の東側に名鉄線の神宮前駅があります。このあたりが神宮の参道にあたるのでしょうか。
大津通に沿って神宮前商店街があります。もともとこのあたりは明治後期に運河を掘削し港と新熱田駅を結ぶ水路がありました。しかし別の場所に駅ができたことで役割を終え1930年頃に運河は埋め立てられました。その跡地に商店が軒を連ねたそうです。神宮前商店街は戦後の闇市がルーツのようで1955年に商店街が形成されました。飲食店だけでなく書店や電器店がある商店街、なんか昔ながらの商店街って雰囲気でいいですね。
そんな中にあるヘルス店。
もろ日本的な熱田神宮前なのにアメリカン。こちらはまさしく三種の名器がありそうな店。ファッションラウンジって言葉が通じないからかヘルスって手書きで書いてあります。そして不自由な業種にもかかわらず自由の女神。
なんとなくステンシルで書かれたヘルスの文字。これはバンクシーもびっくり。
店名はにゅーよーく。
これ、入浴とかけてるんでしょうか。
こちらはヘルス店の隣にある入寮者募集の張り紙。男女や家族間の問題はなかなか解決しません。DVやネグレクトを一人で解決するのは困難です。誰かに寄り添ってくれるならうれしいです。そういった人たちが入居する寮なのでしょう。でも張り紙の裏ヘルス店の募集。これは弱者ビジネスではなく弱者救済ビジネスであってほしい。
ポツンと一軒しかないけどポツンと一軒ある店。ここに残ってるってことは老舗店なんでしょう。
ほかは普通の商店街にある店ですがこちらには懐かしい店があります。かつてはどの商店街にも個人のレンタルビデオ屋がありました。しかしツタヤが台頭したことで個人店は減少、レンタルビデオ店は疾うにないと思ってましたが熱田神宮前にはまだ残っていました。
アカデミー賞のことをオスカーといいますがそれを文字って屋号にしているのでしょうか。
同店。個人試写室もあるようです。
これはFANZAアダルトアワード受賞してそう。
最近は古いスマホで撮影するのがエモいようです。それであれば動画はネットで見る時代にあえてアダルトビデオをレンタルする。そういうのも粋なんじゃないでしょうか。しかもDVDじゃなくVHS。デッキがない、そしてテープがヨレヨレで画質が粗い。でもその粗い画質のアダルトビデオをAIさながらの脳内修正で補完する。そういった楽しみはここでしかできません。
まさにこれこそエモいんじゃないでしょうか!
ちょっと普通の商店街とは違う神宮前商店街。かつてはこのあたりにヘルス店もありました。でもやはり神様の門前で悶絶するのはよくない。そんなわけで店はなくなったようです。
現在駐車場になっていますがここにはシャ乱Qって店がありました。著作権とかいろんなものに抵触しそうな店の名前。もう店はなくなりましたがこちらにあった店はシングルベッドでズルい女がいいわけしてました。でもそれらの店はバイバイさよならありがとうしたようです。
かつては商店街北側に工場がありましたが工場がなくなって以降は商店街の利用者は減りそれにより閉店した店が結構あるようで商店街70店舗中半数以上が閉店しています。シャ乱Qもそんな感じで閉店したのでしょう。たぶん閉店したのは別の理由のはず。
こちらは神宮小路ってところ。飲み屋が集まるエリアのようです。JRの線路に沿ってある飲み屋横丁、雰囲気がよい感じです。昭和レトロな雰囲気のある飲み屋街。こういったところで飲むのもよさそうです。
ってわけで夜の商店街を散策します。夜はさらに淋しい感じの商店街。熱田神宮への年間来場者数はおよそ700万人。伊勢神宮と参拝者数はさほど変わりません。伊勢神宮の門前は土産物屋や飲食店が軒を連ね活気があってついつい財布の紐が緩くなりますが熱田神宮は店自体がやっていないんです。店の多くがシャッターが閉まったままの状態です。客が来ても店がやってないんじゃ立ち寄りません。
そもそもが土産物屋があるわけではなく電器店や日用品などを扱う地域密着型の店が多く観光客が立ち寄るような店が少ないです。店を開けても客が来ないんじゃ意味がない。そんな状態が続き今の街並みとなったのでしょう。でも飲食店は繁盛しているのでしょうか。営業している店が結構あるようです。
それとヘルス店も営業しています。ここも繁盛してそう。
錦や栄にその手の店はあるけどもあえて熱田神宮の門前で江戸時代から続く飯盛女の流れを汲む店で遊ぶ。そういった粋な男がここに来るのでしょう。
こちらは神宮小路です。夜は夜で雰囲気がいいですね。名古屋名物いったら味噌カツ、ひつまぶし、手羽先、きしめん、どて煮、味噌煮込みうどん、最近だとあんかけスパゲティーでしょうか。
名古屋めしをアテに一杯ひっかける。熱田神宮そばでそういった飲み方をするのも粋なんじゃないでしょうか。ってわけでこちらの店に行きます。
名古屋関係ねぇもろ博多って書いてあるし。
ギョウザをアテのビールを飲む。
どこの地方に行っても間違いない組み合わせです。ごちそうさまでした。
ラーメン屋行ったのにギョウザしか食べてない。
神宮前の商店街はシャッター街化していました。宿場町だった当時と違い寂れた雰囲気でした。でもこの様子が見れるのは今だけかもしれません。
過去に再開発案が出たものの地元民が猛反対し再開発されずずっと放置された状態でしたが建物の老朽化、経営者の高齢化により最近は再開発の方向に舵を取り始めたようです。駅前には小規模店舗が集まる施設ができました。この流れで商店街も生まれ変わるかもしれません。
関連記事
100年前から続く遊郭の名残り!地域密着型の特殊浴場街「中村大門」
名古屋に来ております。
現在名古屋駅の西の飲み屋街の外れにいます。
こちらは竹橋町にあるスエヒロ増子神社です。
創建時期は不明で誰が建てたのかも不明だしそもそも何がまつれているかも不明。神社って神の社だからご祭神がいるもんですがそのあたり一切不明の神社。でも日本にはこちらの神社のように創建時期が不明で誰がまつられてるかわからない、名前すらわからない神社が多くあります。この神社はその一つなのでしょう。そもそも愛知は神社仏閣の数が全国一位なんだとか。
仏閣に関しては全国で一位で神社数に関しても全国で四番目に多い県。てっきり奈良や京都が多いのかと思ってましたが東西色々な文化が流入する愛知は様々な信仰がはいってきたことから宗教施設が多くなっているようです。こちらの神社もそんな感じのところなのでしょう。
ちなみにこちらの神社、隣が特殊浴場です。
これは新たな新興宗教。マットかベッドか選べる神社。
名古屋駅西側の歓楽街の外れですが住宅街の中にポツンと一軒特殊浴場があります。名古屋は駅西側約1km先にソープ街があり、そちらは元々遊郭があったところでした。ここからだと800mほど離れているため遊郭とは関係ないのですがなぜここにポツンと一軒だけあるのでしょう。
いや、元々は一軒だけじゃなかったのでしょう。名古屋は遊郭とは関係ない駅前に20軒ほどトルコ風呂があったようです。
唯一残ったのがこちらの店舗だけだったようです。
かつては名古屋駅前性風俗街だったんですね。
今は健全な街となった名古屋駅前(健全??)。
怪しい店は淘汰されました(本当に淘汰された??)。
このように駅前にはなくなりましたがいまだに中村大門のあたりは100年前から続く遊郭の名残りがあります。私が最後にここに来たのは感染症が蔓延してたころです。風俗店はかなり大変だったのでしょう。飲み屋には補助金や支援金がでましたが本質的に不健全ってことで風俗店は支援金が出ませんでした。
営業形態はもろに三密。マスクをしてサービスができるはずもなくかといって営業すれば目の敵にされる。無理に営業しても来店を控えるから客が来ない。
開けるも地獄 閉めるも地獄。
2023年までの3年間は辛抱だったのでしょう。落ち着いたってことで正常に戻ったのでしょうか。でも飲み文化が衰退し飲み屋の客が減ったように性風俗文化が衰退したのではないでしょうか(そんな文化あったっけ?)。
こちらが中村大門です。
ちゃんと大門があります。遊郭があった当時、大門前の太閤通りに沿って市電が走っていました。名古屋から電車を乗継ぎここで降りたのでしょう。現在市電は廃線となりましたが路線バスがあり最寄りのバス停は大門通です。
この大門を北に向かうと花の楽園中村遊郭があったところとなります。もともとこの界隈は田畑が広がる田園地帯でした。
中村に遊郭ができたのは1923年。
それ以前は大須観音そばに遊郭がありましたが、治安悪化と風紀の問題から移設することに。その移設先が中村だったそうです。田畑を整備し廓を作る。何もない平地に作ったので区画がきれいです。
こちらは中村遊郭のあった場所の地図です。
中央に大門通があって左右対称となっています。そして四方は斜めの道があります。このような斜めの道があるのは町の中が見えないようにするためなんだとか。ラブホテルの入り口の壁みたいなのと一緒です。
当時は1500人以上の娼妓がいたわけですから相当人気のスポットだったんでしょうね。
こちらは大門通の東側にある大門横丁。
レトロな感じでよい雰囲気の横丁で見たところ飲み屋が多めのスナック街です。遊郭そばにある飲み屋横丁なのでもしかしたら私娼窟の名残りなのかもしれません。
こちらは一富士小路って細路地です。
こちらも居酒屋やスナックがある飲み屋街なのでもと私娼窟だったのかもしれません。
こちらの路地はだいぶ朽ちています。
私は3年前にここに訪れています。
その当時はまだ建物があり飲み屋路地として機能していましたがその建物は取り壊されたようです。3年前は感染症蔓延真っ只中。不要不急の外出は自粛され飲食店も閉めてました。こちらの路地にあった飲み屋は感染症前から閉まっていたのか、はたまた感染症により閉まっていたのか。
現在、飲食店が少し残る路地となっています。
ほかにも居住してない建物があります。これらも時期の取り壊されるのでしょう。建てられるのはエロとは関係ない普通の住宅。もうこの界隈にはエロは必要ありません。
こちらには映画館があります。
どうやら2022年に建て替えたんだとか。モノトーンを基調とした落ち着いた建物。それにあった青色の壁には中村映劇とかかれています。
私はかつて単館系の映画が好きだった時期があり中野や渋谷のミニシアターに行ってました。こういった映画館らしくない映画館でみる映画、結構いいんですよね。ハリウッドや大手配給会社の映画もよいけど世界には埋もれている映画がたくさんあるんです。そういうのを見つけた時のよろこび、サイコーです。こちらはそんな映画を放映してるのでしょう。
こちらの映画館、ポルノ映画館のようです。
TOHOシネマズではまず流せないある意味単館でしか放映出来ない映画。
世界に埋もれたポルノ映画探してるやつ、ただのヘンタイでしかない!
2022年に新しく出来た映画館はまさかの新築ポルノ映画館でした。ごく普通の住宅街にある異質な建物ですがこの界隈、エロ必要のようです。こちらの映画館はもともと芝居小屋だったらしく1933年に旭座として開館、以降映画館に鞍替えし現在に至ってるんだとか。
中村遊郭ができたのは1923年。その10年後に同館はできたようです。遊郭そばにある映画館、こちらは人気スポットだったのでしょう。現在はポツンと一軒ポルノ映画館ですが、かつては近隣にストリップもあったそうです。でもそれらの店は消えてなくなってしまいました。
現在国内にあるストリップ劇場は18軒。かつては400軒ほどあったそうですが時代が必要としなかったのでしょう。ポルノ映画だって下火産業です。映像関連はネット配信が主流でレンタルビデオ屋ですら厳しい時代です。ポルノ映画館は全国で30軒ありません。ほとんどが建物の老朽化の状態で建て替えずに閉業する映画館が多いです。そのような中で建て替えるオーナーの心意気、もうポルノスターと呼んでいいでしょう。それだとオーナーが出演者になっちゃう!
新設されたポルノ映画館でポルノ映画を観る。なかなかこのような経験はできません。ネットでエッチな動画が気軽に見れる時代にあえてシアターで腰を据えてポルノ映画を観る。そんな粋な遊びができる大人になりたいです。ちなみにこちらの映画館。ハッテン場の要素もあるんだとか
腰を据えて映画見れなさそう!
中村映劇は遊郭跡地のそばにあります。遊郭の中が見えないように斜めの道を作ってもその手前にポルノ映画館があったんです。
斜めの道、なんの意味もねぇ!
こちらが中村遊郭跡地です。
現在はソープ街となっています。廓の中が見えないようにしたつくりなのにド正面が子連れのお母さんが多く来るスーパー。結構大きなスーパなので人の往来が激しいです。その目の前にソープがあるので入りづらいです。
近所の主婦「あそこのご主人、登楼してたわよ」
って言われる可能性がある立地です。
こちらには大門を元気にしようの文字。
何を元気にするのかな?
このような標語が掲げられているってことは元気がない証拠。中村遊郭にあったその店は減少傾向にあります。
最盛期は20軒くらいあったのでしょうか。現在は7軒ほど、年々減少してます。東海で一番大きかった中村遊郭。戦後は赤線となり売春防止法施行後は特殊浴場街となりました。当時は市電があったので行きやすかったでしょう。しかし1972年に市電は廃止されました。行きづらくなったのでしょうか。利用者は減り、店じまいをするところが増えました。
でも最寄駅に中村日赤駅があるしバスもあります。そのためアクセスし辛いわけではありません。一番の原因は中心地からズレてることでしょう。名古屋の中心は名古屋駅の東側、栄や錦のあたりでしょうか。そちら側にもお遊びスポットがあります。
遠くの遊郭より近くの私娼窟。
ヘルス王国といわれる名古屋市。そっちのほうが人気なんでしょう。また岐阜駅前には金津園があります。歩いて中村大門へ行くよりも電車で岐阜金津園に行く人も多いのでしょう。店舗数は岐阜の方が多いです。選択肢が多い金津園が選ばれるのは当然です。そのため店が減ってしまったのでしょう。
かつては遊郭でその後ソープとなりそして放置されてた建物もありましたがそれも取り壊されていました。こちらにはマンションができるようです。
スーパーの前なので便利な場所なのでしょう。
でもこちらの隣はソープランドなんです。気軽にお風呂に行ける立地。
そうなんです。
まだ中村遊郭は現役なんです。
たしかに規模は縮小しました、たしかに店は減りつつあります。
でも残ってるんです。
そもそもソープのハシゴなんてしないでしょ!
一軒あればそれで充分なんです。
元気にしてくれる店がここにはあるんです。
錦や栄にあるヘルスはたかだか30年程度の歴史しかありません。岐阜金津園も戦後にできたソープ街です。それに比べて中村大門のソープは大正時代より100年続く中村遊郭の名残りです。歴史を感じれるし別の感じることもできるんです。ソープがえりにスーパーで買い物もできるんです。
中村大門は地域密着型のソープランドなんです。
地域密着型だし密着プレイもできる中村大門は密着型の街なんです。
現在店舗数は7軒。毎日行けば一週間で全店制覇できます。
毎日一店舗ずつ回って店の違いを楽しむ、そういった遊び方をするのも中村大門の楽しみ方。月に一回遊びに行くってのもアリですね。それだと7カ月で制覇できます。そういう楽しみ方もいいんじゃないでしょうか。
関連記事
名古屋の南の外れ 普通の街の普通の歓楽街「柴田駅前歓楽街」
本日は名古屋市の南区に来ております。
こちらは名鉄常滑線の柴田駅です
同駅南側にある天白川を渡った先は東海市なので名古屋市の最南端に位置する駅なのでしょうか。駅利用者は一日4000人ほど、名古屋にしてはだいぶ少なめ。でも流石は東海の大都市名古屋の南なので駅前は少し栄えています。
ほら、駅前にファッションヘルス。
名古屋の南側 風俗街。
駅降りて最初に見るのがファッションヘルス店。政令指定都市名古屋にある柴田駅なので当然その手の店があったとしてもおかしくない。
普通の駅前って居酒屋チェーン店があって牛丼屋のチェーン店があるのが一般的。でも柴田駅は目の前にあるのがヘルスなんです。
ぜんぜん一般的じゃない。
そう。普通の駅前はチェーン店があるのが一般的。
ちなみにこちらの店、錦に本店があるチェーン店のヘルスです。
チェーン店ではあった!
柴田駅は名古屋市の南に位置する駅。海の近いこの界隈は工場が多くある地域で駅の西側の海に面した地域は工場街となっており物流倉庫や市場、化学工場などがあるエリアです。つまり労働者が集まるエリアなんです。
労働者が集まるエリアは飲み屋街ができます。例えば東京の蒲田や大森。いわゆる赤提灯や一杯飲み屋が軒を連ねるエリアには仕事終わりに一杯ひっかける飲み屋街ができるもんです。しかし柴田駅、そういうのがなく駅目の前からクライマックスなんです。
普通順序ってもんがあるでしょ。居酒屋で酒を飲み、その後キャバクラに行く。そして最後はヌキの店へ。このように段取りがあるんです。
柴田駅はそういうプロセスを排除。仕事終わりにヘルス行くんです。
三度の飯より性風俗を地で行く街。柴田駅はそんなところなんです。
駅前にはカプセルホテルがあります。
ホテルなんて寝るだけでいい。できるだけ安くを追求したカプセルホテル。サウナまでついてくる男のホテルって感じです。
そんなサウナ兼カプセルホテルの一階、ぱちんこ店です。男の欲望を理解してる!ほぼ男版ディズニー。
駅前なんで飯食うところは一応ありますが少なめ。でもキャバクラなど酒飲むところはかなり多め。
こちらの駅から徒歩1分のビル、キャバクラビルでしょうか。最近飲み屋街で見かける熟女キャバクラ。名古屋駅前にもあるし松阪でも見かけました。歌舞伎町にも一番街にこちらの店舗があります。どうやらこちらの店、全国で30軒あるんだとか。特に東海地方が多いらしく愛知・岐阜・三重に集中しているようです。つまり東海地方の飲み屋街には必ずある店です。
飯屋はないけど飲み屋が多い柴田駅、名古屋には錦や栄があるのにここが成り立つのは利用者が多いのでしょう。各駅停車しか止まらないのにこんなに店があるのは地元の人が使うんでしょうね。ガールズバーやパブそしてキャバクラ、飲み屋が種類が豊富のようです。
青、黄、赤の三色。この色で思いつくものはありますでしょうか?一般的な人が思いつくものといえばやっぱり創価学会の三色旗ですよね。誰もが知ってる三色旗、色の順番もそのままだしここは学会系の店かな?って思っちゃいますよね。
そうなんです。
普通の人であればこの色を見たら三色旗なんです。でも私はわかるんです。これフィリピンだな!と。
フィリピンは青と赤が主体ですが太陽と星は黄色なんです。そして青、黄、赤の三色の隣には白があります。誰しも学会の旗と思ってしまいますが私の答えはフィリピン国旗!
ほらやっぱりフィリピン国旗。
みんなSGIの旗だと思ったでしょ?飲み屋街を出入りしているとこういうの気づいちゃうんです。
飲み屋もあるけどヘルスもある。こちらは少し駅から離れた場所にある店舗です。
周りは住宅街でアパートやマンションがあります。各駅しか止まりませんが名古屋に近い柴田駅、住んでいる人は結構多いのでしょうね。そのため駅の近くには住居が多いですが住居のそばにこの手の店があるんです。そこまで過激な感じはしませんが見ればヘルス店だとわかる店の外観。
家の目の前がヘルス店。
私にとっては願ったり叶ったりの立地ですが多くの人が嫌うんでしょうね。でもそんなのが当たり前の柴田駅前、まさかのヘルスの上が住居なんです。
ヘルス嬢と同じ屋根の下に住む感覚。
私はかつて川崎堀之内のソープの前に住んでましたがさすがに同じ屋根の下に住んだことはありません。一階が銭湯のマンションは知っていますが一階がヘルス店のマンションは初めて見ます。
ちなみに1階が銭湯マンションは銭湯がタダで入れるみたいなこともありますがこちらはただでヘルスを利用できるのでしょうか。
ちょっとこのマンション魅力的ではないでしょうか!
しかもマンションのオーナー、ヘルス店なんです。そして問い合わせはヘルス店のようです。これ、ヘルス店に電話すると「本日は入店予約ですか?入室予約ですか?」って聞かれるんでしょうね。
オーナーがヘルス店なのであれば値引きやサービスの期待ができそう!でも大家さんに性癖知られるのってちょっとはずかしい。そして人を呼びづらい住居。でもなんか柴田駅、ワクワクしてきた!
風俗と飲み屋しかない柴田駅。
昭和後期から平成初期にできた店でしょう。建物が結構古めです。ファッションステージという聞きなれない言葉。おそらく普通のステージとは違いファッション感覚で楽しむステージなのでしょう。
風俗と飲み屋しかない柴田駅とお話しましたが実際は飲食店もちゃんとあるんです。チェーン店がないだけで個人経営の店は探すと結構あるんです。
居酒屋以外にも定食屋っぽい店もあります。
特に国道247号線、柴田通り沿いに店が多くあります。通り沿いに沿って定食屋がいくつかあるようです。柴田駅の近くには工場が複数あります。とくに隣駅の大同町駅のそばには大手特殊鋼メーカーの工場があります。東証プライム企業、大同特殊鋼の星崎工場。ステンレス鋼やチタンを製造する工場で鉄工所といったところでしょうか。
まさに労働者の街・柴田です。
740名が働く星崎工場。そいうった人たちが定食屋を利用するのでしょう。そういう人たちが柴田の定食屋を利用するのです。
そして左手に見えるのがキャバレー花園。
そういう人たちが利用する店がある街「柴田」
見た目ほぼキャバレーロンドンみたいは外観。てっきりヌキの店かなって思ってしまいますがピンサロではなく正統派のキャバレーです。
もうじき創業50年になるキャバレー花園。名古屋では唯一のキャバレーなんだとか。
私は以前桑名店に行ったことがあります。この店はピンサロだろうと思って行ったらピンサロじゃなかったんです。まるで風俗エステと思ったら普通のエステだったみたいなそんなほろ苦い経験をした店でしたが昭和の雰囲気を感じられました。まぁ花園を出た後は近くのキャンパブに行きましたが。
キャバレー花園は名古屋駅近くにもあるし、栄駅の近くや金山駅の近くにもありました。比較的歓楽街と呼ばれるところにあるのでしょう。つまり柴田駅界隈は歓楽街に違いない。
柴田にはちゃんと飲食店とかもありますよーって感じでフォローしましたが、ぜんぜんフォローしきれない。
ここ風俗ビルです。やっぱりフォロー出来ない。柴田は風俗と飲み屋しかない。
見た目ぼろいけどまだ現役。
ヘルス、スナック、ヘルス、ヘルス。アジア最大級の街歌舞伎町にすらこんな暴力的なビルはありません。そんな風俗ビル大通り沿いにあるんです。隠しきれない溢れる性欲。
韓国系エステは都内でよく見かけますがヘルス店ってのは初めて見ます。韓国エステって表向きは普通のエステ店で裏サービスをしてる違法風俗店が多いですが同店はちゃんと届出をしている健全な不健全店。この手の商売って日本人キャストが好まれますがあえて韓国を全面に出すところなかなかの商売上手のようです。
ちなみにもう一軒韓国ヘルスがあります。
想像の上を行くジャンルの偏り!
柴田駅界隈はとくに元遊郭だったわけではなくおそらく昭和の時代にできた後発風俗街です。こういった店は摘発に遭うのが世の常ですが経営者がしっかりした人なのかそれとも名古屋の端っこだから目が届かないのか。厳しい令和の時代にも生き残っているようです。わざわざ中心地にでなくてもここで遊べるんです。
知多や常滑、東海市の人には行きやすいし中部空港最寄りの風俗街は柴田なんです。もうこれは飛行機に乗って行くしかないでしょう。まだまだ外国人観光客には知られてないエリア。人ごみの中こそこそ風俗店に行く必要がないです。みんな柴田駅に遊びにおいでよ。
関連記事
デリーにあるリトルチベット「マジュヌカティラ」
インドではウーバーが利用できます。日本のアカウントのままで利用できるためなんの設定も必要なくすぐに使えます。支払いもクレジット決済。
目的地を入力すれば事前に料金がわかるため料金交渉は一切不要。目的地を告げる必要もないため会話も不要。チップをせびられることがありますがその程度。ちなみにチップはウーバーアプリ上で支払えます。私はせびるやつには一切チップをあげずに何も言わない人にチップをあげてました。現在乗っているのはオートリキシャー。
リキシャの語源は人力車からきてるんだとか。人力じゃないからオートリキシャー。
タクシーよりも安価で乗れてバイクみたいにコケる心配のない乗り物。インドの排気ガスをモロに感じながら移動できる最適な乗り物です。
行き先が駅から少し離れた場所だったのでウーバーを使いました。これより私が向かうところはデリーの中心から少し離れた場所にあるマジュヌカティラってところです。
デリーメトロヴィシュワヴィディヤラヤ駅北東側。ヤムナー川沿いの小さな集落マジュヌカティラ。マジュヌカティラは少し特殊な集落です。
西葛西のインド人街、新大久保のコリアタウン、横浜本町のチャイナタウン、川口のワラビスタン。日本には特定の国のコミュニティがあります。
インドにもグルガーオンに日本人街があるし南デリーの辺りはムスリム街がありました。同胞同士で集まりコミュニティを作るのはどこの国でも同じようです。そしてここマジュヌカティラはチベット人が集まるコミュニティーなんだとか。
ここにコミュニティーができたのは1960年頃。中国の実効支配下にあったチベットの首都ラサで1959年にチベット人の反乱が起こりました。ダライラマ14世はチベット独立を宣言しますが中国解放軍により鎮圧されてしまいます。またこの紛争によりチベット人と解放軍が衝突し、数千人のチベット人が殺害されたんだとか。
ダライラマ14世はインドに亡命。また10万人のチベット人がインドに逃げたそうです。インドはチベット難民を受け入れこの付近に難民キャンプができました。
1960年には難民に土地が割り当てられ、ここはチベット難民が多く住むリトルチベットとなったようです。
世界には亡命チベット人が12万人いるそうです。そのうち10万人がインドに暮らしてます。
インド全国に39カ所ほどチベット人街があり、マジュヌカティラはその中の一つのようです。インドが難民を受け入れたからここができたんですね。ちなみにインド政府は中国との国交樹立以降、チベットは中国の一部と明言してます。外交上中国としなければならないのでしょう。その割には難民を受け入れているしチベットの亡命政府がインド国内にあります。日本と中国と台湾の関係のような感じでしょうか。
チベットは凄い興味がある地域なんです。寒そうですが一度くらい行きたいじゃないですか。でもチベットに行くと中国で捕まりそうです(いやチベットは中国なのかな??)。
なんかこの辺の話は複雑なのであまり言及しませんが多分チベットに行くとスパイ容疑で逮捕されます。そんなわけでまず行くことができないチベット。日本にはチベット人街みたいなのはないですがデリーであればチベットを味わえるんです。
同じアジアで仏教国なのにあまり良く分かってないチベット。本日はそんなチベットをインドで味わいます。
こちらがマジュヌカティラの入り口となります。
川と大通りに挟まれた狭い地域にありコミュニティ自体もかなり小さいです。そこに多くの人が住んでいるため路地は狭くかなり薄暗い感じ。スラムっぽい雰囲気がありますが、街並み自体は結構キレイな感じがします。これまで何カ所かデリーのスラム街を見ましたが、基本ゴミが散らかっているしウンコも落ちている。下水は垂れ流しだし腐ったニオイがしてました。
でもマジュヌカティラは衛生的な感じがします。
ウンコはそこまで落ちてないんです(落ちてはいる)。下水臭さもそこまでではない(匂ってはいる)。なんとなく衛生的な雰囲気です。
歩いている人もちゃんとしている人が多め。
それもそのはずでマジュヌカティラは観光地化しているんです。新大久保のコリアタウンや鶴橋のコリアタウンは観光地となっています。
異国の文化に触れてみたい!と思うのはインド人も同じなのでしょう。
「週末は近くのチベット行ってみない!?」
みたいな感じでインド人が集まるんでしょうね。そんなわけで観光客が多く出入りしておりお土産屋や飲食店が複数あります。
リトルチベットの中心には寺院があります。日本にもチベット寺院がありますが名古屋にある一軒だけのようです。同じ仏教のお寺ですがなかなか味わえない寺院。
お寺の周りには物乞いをする子供がいます。これに関してはどの国の観光地でも同じですね。
街の中には飲食店がけっこうあります。
仏教では殺生が禁止されています。そのため肉食禁止ですがチベットでは普通に肉を食べるそうです。ちょっと変わってるのが魚は食べないそうです。これは内陸だからでしょうか。
一応食べ物に関する禁忌は存在するようですがチベットは4000m以上の高地のため食べ物を選択できる環境ではないのでしょう。そのためヤギも食べるし酒も飲むようで、タンパク質が取れる肉はよく食べるのでしょう。肉料理は多いようです。
逆にインドは菜食なんです。
肉も基本的に鶏肉が主。
宗教上の理由で食べられないものがあるからで
ヒンズー教の人は牛肉を食べない。
イスラム教の人は豚肉を食べない。
ジャイナ教の人は肉自体食べない。
このように宗教により食べない食材が変わります。そうなると一番無難なのがベジフード、次に無難なのがチキンなんでしょう。肉といえば鶏肉、それ以外は野菜。
どの店もこの二つの選択肢ばかりです。でもチベット料理屋であれば肉がでるはず。鶏肉ばかりは飽きるのでここいらで別の肉を食べたい!
せっかくチベット人街に来てるんです。おいしいチベット料理を食べてみましょう。
マジュヌカティラは飲食店が多くあります。なんとなく原宿の竹下通りのような雰囲気。食べ歩きができる店がけっこうあります。あとはカフェでしょうか。できれば定食屋的な店を選びたいのですが少なめ。またなんかチベットと関係ない店も多いです。
こちらのメニュー明らかに韓国料理です。キンパって韓国の海苔巻きですよね。なんかこの辺は韓国要素が強めの店が多いです。
MISOって書いてあるんで日本料理。
日本料理ではラーメンにチキンカツは入れない!
そのため日本の料理ではなく外国人の考えた日本料理なのでしょう。とんかつじゃなくてチキンカツなのは色々な宗教への配慮なのでしょう。
ある意味気になる日本料理ですが本日はチベット人街に来てるんです。今はチベット料理以外興味がありません。でもぜんぜんチベット要素がない。
まぁそりゃそうです。
ここチベット人街ですが普通の観光地。いわゆる浅草寺の仲見世通りのようなところ。浅草寺の仲見世では台湾唐揚げとか売ってます。それと同じなんでしょう。
ってわけで悩んだ結果こちらの店に決めました。
ラサって首都の名前が書いてあります。日本でいえば「東京喫茶」になるのでしょうか。間違いなくチベット料理が食べられそうな店名。
メニューのタイトル、チャイニーズとなっています。まるで中華料理を出してる店のような感じですがこちらはチベット料理メニューです。これじゃあチベットは中国と言っているのと同義。
チベット料理メニューって書くべきなんじゃ...
と思ったんですが中華要素が結構あります。チベットだけだとメニューが限られるのでしょう。
ヌードルの最初がハッカヌードルとなってます。客家、つまり移民中国人のことでしょうか。
二つ目はチリガーリックヌードル。
三つめはタイバジルヌードル。
チベット要素ゼロ!
でもほらテンチュクってやつはチベット料理です。
このモモってやつもチベット料理。ちゃんとチベット料理が食べられます。
本日はこちらの料理を選択してみました。
クラッシックバフチリドライという料理。
BUFFとはバッファロー、つまり水牛の肉です。
ヒンズー教は牛を食べない、その理由は神聖な動物だから。でも水牛は牛じゃないので食べても問題ない。なんか、うさぎは獣じゃなくて鳥と一緒みたいな感じの「水牛は牛じゃないですよ問題」
そもそも水牛と牛、見分けつきますか??
これまで街中で見てきたのはどっちだったんだろ、インド人だってそこまで見分けできてないはず。なんだったら水牛と間違えて牛食べてそう。
インドでは牛は食べませんが水牛を食べるため水牛食肉の輸出量は世界一位なんだとか。
ほんとうにこの肉は水牛なの?
そもそもこの料理ってチベット関係あるのかな?
調べたところチベットには水牛がいません。
チベット関係なかった!
こちらの料理はモモです。これはチベット料理で間違いないです。いわゆる肉まん的なやつです。ネパールやインドでも食べられるモモですが、食べるようになったのは1960年以降。チベット難民が近隣諸国に伝えたからのようです。このモモはお肉ではなくチーズがはいっています。豆腐っぽい感じのフレッシュチーズです。
こちらはパニールというチーズで水牛の乳を利用してるんだとか。
これも厳密にはチベット料理じゃない!
インドナイズされてるチベット料理!日本だって街中華屋にカレーライス置いてあるしそもそものラーメンも日本要素があります。チベット亡命から60年以上経ちましたがその間にインド要素が強くなったのでしょう。
チベットではまず食べられない。インド風のチベット料理。ここであればそれを食せます。
FREE TIBET
中国のチベット占領を終結させるための標語です。中国の侵略により自治区となっているチベットを独立解放するという意味なのでしょう。この街がチベット人街だからこのような標語が掲げられているのでしょう。ここはインドにある小さなチベットなのです。
リトルチベットのはずですが中国要素も強めです。チベットは中国に統治されていた時期があるため中国要素が強めなのでしょうがそれだけではありません。インドにはインド中華なるものがあります。イギリスが統治していたころに中華華人がインドに移民してきたそうです。多くの華人が中華店を始めたんだとか。しかし1950年以上は中印関係が悪化し、華人経営の中華店は減少しました。そのような中で独自の中華店がインドで発展しインド中華ができたそうです。レストランのメニューにあった客家ヌードルは中国料理ではなくインド中華。私が食べた水牛のステーキも四川料理をアレンジしたインド中華なのでしょう。
ここ、チベット関係ねぇ!
本日はインドにあるチベット人街を巡りました。チベット料理ははじめて食べました。まぁチベット料理だったかは微妙なところですがチベットを味わえたんではないでしょうか。また水牛もたぶんはじめて食べる食材でした。とくに牛肉となんら味の違いのない水牛、食べたのが牛肉だとしてもわかりません。逆にこれまでに水牛食べていたかもしれません。
こんな感じでその土地に行ったときはその土地の料理を食べる。それがいいんじゃないでしょうか!