セクキャバは終わらない禅問答!堺東にあるちょっと怪しい歓楽街「堺銀座商店街」

本日は大阪府堺市に来ております。
こちらは南海電気鉄道高野線の堺東駅です。
高野山まで続く参詣路線として設置された高野線。堺東は1898年に始発駅として設置されました。
今の堺東は賑わっていますが駅開業当時は栄えていなかったようです。昔は大阪湾に面する堺駅の辺りそちらが街の中心でした。
堺といえば港町。
「東」の字が充てられてある通り堺東は少し内陸で昔は海側が栄えていました。
古墳がある通り堺市は古くから栄えた土地で戦国時代には貿易港となり商人の町として発展。東洋のベニスとも言われていており、長らく大阪湾に面した堺駅の辺りが中心地でした。近代になり市役所や遊郭が堺駅のそばにでき多くの人が訪れ賑わっていましたが終戦を迎えるころに状況が変わります。
1944年には市役所を堺東へ移設しました。そして1945年に空襲で堺市湾岸部が壊滅。さらには1958年に赤線が廃止されます。このようにして堺駅側は衰退しました。
逆に堺東は町外れでしたが戦後街が発展。こちら側が堺の中心地となったようです。

現在の駅前は商店街がありだいぶ賑やかです。
飲み屋さんなんかもあるのでしょう。
堺東には市役所があります。
当然役所の人間がいるってことはその人たちのための福利厚生施設もあるはずです。これは、アッチ系の店も期待できるかも!

こちらは堺銀座商店街です。
どこにでもある銀座を名に冠した商店街。銀座って東京の銀座をイメージしますが本来の銀座は銀貨の鋳造が行われていた、いわゆる造幣局があった場所です。どうやらその銀座の発祥の地はここ堺なんだとか。
もともと銀細工職人が多くいた堺。
その職人たちが江戸や京都に移り住んだそうです。それにより銀座って名称が広がってったんだとか。
「ものの始まりなんでも堺」って言われるように銀座の発祥は堺。だから堺は、銀座の起源を主張しるのです!
急に銀座起源説が怪しい感じになってきた。
堺の銀職人が移住したってのは事実のようです。でもそれって起源じゃないんじゃ...。

こちらが銀座商店街の中です。
闇市より発展した堺銀座商店街。衣料品店、雑貨店、精肉店、中華料理店。けっこう大きめの商店街です。
最近は事業者が減少し空き店舗も増えてますがそれでも活気がある商店街。ここが堺の中心地なのでしょう。

こちらには大衆演劇の芝居小屋があります。
関西は関東と比べると大衆演劇場が多くあり大阪は一番多い地域なんだとか。人がいなければ劇場は成り立ちません。このような施設があるのは街が繁盛している証拠。

あとこの商店街は居酒屋が多めです。
特に立ち飲み屋が目立ちます。
堺の飲み屋街は高度経済成長期の頃。堺泉北臨海工業地域ができたことで賑わいます。工場で働く人たちが仕事終わりに一杯ひっかける。そういう人たちのために立ち飲み屋ができました。
とくに工場は24時間稼働しているので日勤や夜勤など就業形態が様々です。
夜勤明けの朝方、一杯ひっかけたくても店がない。でも角打ちや立ち飲み屋なら朝から営業している。
今じゃ「昼から飲めるラッキー!」と集まってくる、ろくでなしのたまり場になっていますが昔は労働者の憩いの場だったのでしょう。
大企業があるところ、飲み屋街ありです。
ちなみに堺泉北臨海工業地域には日本製鉄があります。
日本製鉄あるところ スナック街あり。
日本製鉄がある北九州にも千葉君津の日本製鉄そばにも必ずスナック街がありました。仕事帰りにいっぱい引っかけるだけじゃ物足りない鉄鋼職人。堺にもそういった店があって当然ですよね。

ほら、やっぱりあった飲み屋ビル。
さすがは日本製鉄。そしてここは官公庁のそばです。
風営法には保全対象施設というものがあり役所そばでは営業できない取り決めがありますが、やっぱあるじゃん。
公務員だって男の子だもん。
仕事終わりにキャバクラ行きたいですよね。
アーケード街を抜けた先にはスナックが入居する雑居ビルが複数あります。
バーにラウンジ、おかまに割烹。一通りの飲み屋があります。

ワンセット5000円。普通の金額でしょうか。

新しそうなビルですがここもキャバクラビルです。これだけのお店があるってことは利用者も多いのでしょう。

ライキャバという聞きなれない言葉。
スナックとキャバクラの中間、ライトなキャバクラってことでしょうか。ガールズバーに近そうですがちょっと違うのでしょう。
キャバクラほど重めの接客は望んでいない。
でもスナックって感じでもない。
そしてガールズバーとも違う。
その要望に応えたのがライキャバ。
ライトなのでキャストにとっても働きやすい。需要があるからこういう店ができるのです。この業界はどんどん新しいジャンルができますね。
見た感じだとライトな店しかないようです。
役所のそばは性風俗まがいの店があるもんですが堺市にはそんなふしだらな人はいないようです。

こちらはツーショットキャバクラです。
北海道ではキャバクラをニュークラブといいます。逆にキャバクラはセクキャバになります。だから大声で「キャバ行きたい」って言うと北海道では白い目で見られます。
ピンサロを東海地方ではキャンパブと呼び、ファッションヘルスを福岡はトクヨクと呼びます。このように地域によって独自の呼び方があります。このツーショットキャバクラもそう。
風営法の関係で関西ではこの名称になったようですがここはセクキャバです。

こっちはヘビィキャバクラだった。
いやキャバクラですらなかった。
いちおうキャバクラ、いちおう、キャバクラなんですよー。ちょっとハッスルタイムがあるだけです。
届出上はキャバクラになるのでしょうか。でもやってることは抜きのないピンサロ。どちらかというろセクキャバは 風俗寄りです。
実はセクキャバはそこまで詳しくないんです。
理由はあまり行ったことが無いから。
性欲を掻き立てるようなことをするのに最終的に何もしない店。
セクキャバは終わらない禅問答。
ほぼ、修行なんです。
そんなわけで行く機会がないんです。
都内で行ったことあるのは新宿のセクキャバ、それに渋谷と池袋、上野も行きました。あとは新橋神田に錦糸町、六本木、秋葉原、蒲田、大森、五反田、品川。
けっこう行ってるしだいぶ網羅してる。
しかも都内だけでだいぶ巡ってる。
はじめて行ったセクキャバが大阪心斎橋でした。
全く興味のなかったセクキャバ。
吐精のないピンサロ?
そんなの牛肉の入ってない青椒肉絲じゃないか!って思ってましたがあの頃は若かった。
当時の私は間違っていたのです。
今の私はセクキャバを禅問答ととらえず前哨戦、前戯として考えています。
ことを致すには順序、ことわりがあるのです。
理に順えば則ち裕かに、欲に従えば惟れ危うし。
なすべきことをしなさい、さすれば豊かになる。これがセクキャバで悟りをひらいた人の金言。
このように怪しい店もありますがこの界隈はごく普通の飲み屋街。おそらく市役所の人も飲みに来るのでしょう。そんなわけで健全なキャバクラがあるだけ。そう健全な飲み屋街なんです。
ちょっとだけ怪しい店があるだけです。
こちらも怪しい店でしょうか。

これはキャバクラですらない店名。
ここは飲み屋ビルだけど電車って書いてあるからここは鉄道会社かな?
ここはゴーゴーグループ、ピンサロです。
これはちんちん電車。
さすがは役所のそばにある飲み屋街。セクキャバじゃ物足りないって人のためにちゃんと用意されています。
枚方にも同名の店があり昔利用していますがたぶん同じ店舗なのでしょう。
官公庁のそばは距離規制があります。そのためこの手の店は出店できません。でもここは普通の飲食店だから大丈夫!
ちんちん電車なのに?

ちなみにこちらの店、初乗り料金は4900円です。
初乗りの意味。

こちらは何の店なのか不明。
でもクリニックではないだろう看板の様子。こちらはどうやらキャバクラのようです。
ナースなのに?

こちらはピンサロ。学園なのに?なんかこのビル、だいぶ怪しいです。
すでにこちらの店は閉店しているようです。
2024年10月に摘発により閉鎖。女性従業員と全裸男性客が逮捕されてます。
全裸って...。
万博やオリンピックなどの世界的なイベントがあるとその手の店は目をつけられます。過去には大阪花博で大阪のソープは壊滅しました。先のオリンピックの際も都内の店が摘発。浄化作戦と称して閉店に追いやられるのです。
イベントがあるとやり玉に挙げられる風俗業界。翌年に万博を控えていた時期の摘発劇。
国外に日本人の性癖を見せたくないのか。このようにして摘発されるのです。
ピンサロは飯食うところでパンツ脱ぐところ。それなのに全裸だったのがまずかったのでしょう。パンツ脱ぐだけなら飲食店として認められていたはず。だって、同じビルにあるパンツ脱ぐ店は残っていますしね。
このビル、結構よさそうな予感です。5階から順番に店に訪れるのもよさそうです。
でも道理を通すには順に従え。まずは景気づけに一杯ひっかけましょう。
銀座商店街の一角が建ち飲み屋街になっています。
堺東は通称「ガシ」と呼ばれており東堺で飲むことを「ガシ飲み」というんだそう。
そんなわけでここガシにはガシ飲みができる飲み屋が結構あります。せっかく目の前に飲み屋街があるんです。

ガシ飲みしちゃいましょう。

まだ日が傾くには早い時間帯。でも労働者の街だからすでに営業しています。
労働者の街ですが工員はおらず、この飲み屋街に来ているのは私含め社会のレールに乗れずに脱線した人たち。そういう方々と呑む酒、サイコーです。
アテはだいこんとごぼてんです。
こちらは関東風おでんですが関東のおでんと違います。
関西では関東おでんを関東炊きといいます。諸説ありますが関西に移り住んだ関東人が関東おでんを広めたんだとか。
酒を飲むならあっさりの関西おでんよりも味が染みた関東おでんの方が好まれるのでしょう。

こちらははじめましての具材「梅焼」です。
形が梅なだけで梅は入っておらず魚のすり身とタマゴを合わせて焼いた製品です。近いのは伊達巻でしょうか。関西ではおでんの具として食されるそうです。でも伊達巻よりも甘さが控え目。そして出汁を吸ってておいしいです。
それと牛すじも注文しました。
関東おでんには入ってない牛すじと梅焼。
関西人がつくる関東おでん。
これは関西でしか食べられない料理。
こうやって立ち飲み屋で一杯ひっかける。
いいですね。

ってわけでもう一軒ハシゴ酒です。

さっきはおでんだったけど次は串焼きです。

こちらは時雨煮です。関西で肉といったら牛肉です。東京と比べると多少牛肉が安く提供されます。普段は豚かとり肉をアテにしてますがやっぱ肉といったら牛肉でしょ。酒のツマミにちょうどよい味付けです。
こうやって飲み歩くのもいいですね。
呂律が回ってなくて何言ってるかわからない気さくな関西人に絡まれる。まだ17時になるまでだいぶ時間があるのにすでにまっすぐ立つことすらできない酔っぱらい。川崎駅そばにあった飲み屋街に雰囲気が近いです。やはり港湾都市はどこもこんな感じなのでしょう。
港湾労働者はおらずならず者だらけだけど。
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たったこれだけで!?旅行系ユーチューバーのバックパックの中身
私、山林生活は旅行が趣味でして、国内海外問わずいろいろなところに行ってます。じっとしてられない性格、というよりほぼ病気に近いのでしょう。毎年どこかに旅に行っています。
昨年はインドとタイに出かけました。
一昨年は香港と台湾を巡りました。
国内でも九州、東海、関西、甲信越と色々なところに出かけています。その様子を当チャンネルで配信しています。
当チャンネルは旅行チャンネルです。
旅行チャンネル?
えっ!?ここって風俗チャンネルなんじゃ...。
違います。
ここは国内国外の旅行先の紹介をするチャンネル。ご当地グルメを食べたり観光地を見てまわったり、文化的な様子を配信する旅行チャンネルです。つまり私は旅行系ユーチューバーなのです。
少し旅行先に偏りがあるようですが、たまたま行った先が私娼窟や風俗街なだけ。
そう。たまたまなんです。
一般的な旅行系のソレと一緒にするな!って意見もあるかもしれません。でも何のジャンル?って聞かれたら旅行になるじゃん?そんなわけで当チャンネルは旅行チャンネルです。
ってわけで旅行チャンネルらしく旅行のお話をします。いつもは「ここは風俗街なんだよ」とか「西川口を源流としたNK流の一派」とか、クソどうでもいいことを話していますが、本日はいつもと違った動画を作ってみました。今回の動画は旅行の際の荷物についてです。旅行系ユーチューバーっぽいでしょ?
旅行には何を持っていくか何を持っていかないか。「旅のはじまりはパッキングから」と言われるように持ってく荷物を考えるとこから旅ははじまります。
極論を言えばスマホとクレカとパスポート、この三つがあれば旅に出れます。でもそれだと現地で色々買うことになるので非効率だしお金がもったいない。そのため最低限の荷物は持っていきます。
如何にして荷物を軽くしていくか。
それが旅行では一番重要なことです。いろいろと試行錯誤した結果、今の荷物になりました。
まずバッグについてですがバックパックです。かつてはスーツケースだった時期もありました。でもスーツケースって重いしかさばります。日本のように舗装されてるとは限らない海外。そしてうんこ落ちてる率が高いためガラガラ引きずるわけにもいかない。このような事情でバックパックとなりました。

私のはアメリカの企業「マタドール社」のフリーレイン28ってバックパックです。名前の通り28リットル入るリュックでフリーレインっていうように防水加工されてます。
こちらのリュックを買ったのは2021年。
当時は日本未発売だったのでアメリカから取り寄せました。わざわざなんで取り寄せたかというとこのバックパック、めちゃめちゃ軽いんです。

こちらは2019年に使用していたバッグ、重さは890gありました。

こちらは2020年に使用していたバッグ、重さは734gありました。
つまり160gの軽量化。
160gってスマホ1台くらいの重さです。そう考えるとたいしたことないですが、次のように考えた場合どうでしょう。
オカモトのコンドームは12個入りで10g。
つまり192回のチャンスが増えるわけなんです。
そりゃ軽くすべき。グラム単位で減らすべき。

そして今使っているフリーレイン28の重さ、350gなんです。
さらに384gの軽量化。
456回もチャンスが増える。
つまり650個のコンドームをバッグに入れても2019年の時と同じ荷物の重さなんです。そりゃ荷物を軽くすべきです。
ロールトップなのがちょっと使いづらいですが完全防水なので雨具が不要。なんだかんだで気にっています。

さて荷物の中身に関してですが大きく分けると歯ブラシなどの衛生用品、充電器などの電化製品、シャツや下着などの衣類、この三つになります。

まず衣類に関しては一日分しか持っていきません。
3泊の旅行では3日分の衣類を持っていく。4泊では4日分の衣類を持っていく。では10泊は10日分の衣類を持っていくのか。その場合は旅先で定期的に洗濯をしますよね。
じゃあいっそのこと毎日洗濯すればいいじゃない。繰り返し旅行をしていてこの結論に至りました。
風呂に入るついでにその日着た服も洗う。それを毎日繰り返すだけです。これであれば着ているものを含めて二着だけ、一着分の荷物で済むのです。
昨年インドとタイを一カ月ほど旅したのですがTシャツ2枚、下着2枚、靴下2足、ダウンジャケットとパーカーとカーゴパンツ、フリースジャケットと帽子とエアリズムステテコ、それに靴はサンダル。衣類はこれだけです。

ダウンジャケットは日本国内の移動時に着る用。そのため軽量でコンパクトなものを選んでます。こちらはモンベルのプラズマ1000ダウンってやつ。重量が130gなのでかなり軽いです。
もちろん軽量ってことは断熱効果は弱めですが日本の気候であればこれで問題ありません。フリースとダウンがあれば充分暖かいです。
フリースもモンベルです。モンベルはそこまで好きじゃないんですけど性能で選ぶと行きつくのがモンベルなんです。ちなみに靴下もモンベルの旅行用のヤツです。
Tシャツとパンツは速乾性のものを選んでます。洗濯をして次の日の朝までに乾かさなきゃなりません。軽くて速乾性の良いものを選ぶのが旅の基本です。

歯ブラシや爪切りなどの衛生用品はジップロックに入れてひとまとめにしてあります。以前はトイレタリーバッグを使ってましたがジップロックは透明なので中身が見える。旅行先でも手に入れやすいし値段が安い。
ジップロックの中身は耳かき、爪切り、爪とぎ、かみそり、毛抜き、薬、箸、歯ブラシ、耳栓、LEDライト、ニベア、保湿ジェル、小S字フック2個、紐、クリップ6個、殺虫剤、カンファ―オイル、空のスプレー、洗濯用石鹸、簡易ウォシュレットです。

こちらの簡易ウォシュレット。
不浄の手で対処できるので使いませんでした。

耳栓、これも結局使いませんでした。

カンファ―オイルは南京虫対策用ですがゴキブリワンプッシュで代用できます。そのため次回から持っていきません。
こんな感じで毎回手荷物はアップデートしてます。

こちらは洗濯石鹸です。水漏れしない袋に入れています。洗濯石鹸は1つで一カ月ちょっと洗濯できます。この写真の状態で3週間ほどです。

こちらは洗濯をするための袋。

そしてクリップと紐を使って干します。

箸はポテチ食べたりするときにあると便利。

歯ブラシは折り畳みのヤツ。
歯磨き粉はビジホでゲットしたやつです。

薬はロキソニンと整腸薬とビタミン剤だけです。
整腸薬は以前はビオフェルミンでしたがビオスリーを持っていっています。
ビオフェルミンは一回三錠ですがビオスリーは一回二錠でよいのです。ビオフェルミンは3錠で0.6g、ビオスリーは2錠で0.3gなんです。一か月分だと27gの差となります。つまりコンドーム32個分軽くなるんです。
ちなみにかみそりも爪切りも歯ブラシも軽いものを選んでいます。荷物を減らす理由?
その全てはコンドームのために。

電化製品に関してはこんな感じ。撮影機材用にゴープロと周辺機器を持ってます。あとはタブレットとスマホ、それに充電用のケーブル一式。

延長コードも結構使うので持っていっています。

ケーブルは2本、アダプターは2つ。
それと変換できる先っぽも持っていっています。

タブレットはサーフェスGOです。

風呂敷をカバーにして軽量化。


あとはマスクとそれにトイレットペーパー。
手ぬぐいと扇子です。

それと使うのがこちら、エコバッグです。
インドはレジ袋が禁止されタイでは有料です。
ฉันอยากได้ถุงที่ใหญ่พอจะใส่สิ่งนี้ได้
कृपया मुझे इतना बड़ा बैग दीजिए कि यह उसमें समा जाए।
タイ語でもヒンディー語でも言えない私は袋を出して袋入りません感をだすしかないんです。

こちらもミニサイズのリュックです。今回の旅でもなんだか利用しました。

それとセキュリティのための南京錠とワイヤー、それにS字フック。
バッグをナイフで切られれば意味がありませんが出来心の盗難を避けるために南京錠は必須です。移動時もホテルでも鍵はかけたまま。今のところ盗難被害には遭ってません。

書類関係はインドのビザの書類、航空券の控え、パスポートのコピーとワクチン接種の記録簿です。
こちらはワクチン接種の記録簿でいつ、どこで、何を摂取したのかわかります。
私が摂取しているワクチンは狂犬病、A型肝炎ワクチン、腸チフス、破傷風、日本脳炎、麻疹風疹ワクチン、髄膜炎ワクチン、黄熱ワクチン、B型肝炎ワクチン。
けっこうワクチンだらけ。
接種の費用だけで10万超え。
なお自由診療なので健康保険は使えません。
まぁ感染リスクのあるところに行きますからね。
でも重要なのはワクチンではなく感染しない状況を作ることです。野生の動物には近づかないとか不衛生なものは口にしないとか。そういうのをちゃんと心がけていればワクチンが必須ってわけではありません。ちなみにB型肝炎の感染経路は性交渉のようです。
これはワクチン接種不可避。

こちらは黄熱ワクチンのイエローカード。
赤道直下のアフリカや南米入国で必要なワクチン。一度摂取すれば生涯有効なので摂取しました。もしかしたら今年の旅先はガボンかもしれません。
リュックの中身はこんな感じです。
あとはウエストポーチを持っていっています。ウエストポーチには財布とモバイルバッテリー、それに筆記用具と手ぬぐいと扇子をいれてます。入国の際にペンを使うことがあるし中国人との会話は筆談ができます。

財布はこちら、無印良品のヤツです。なんだかんだで使い勝手がいいです。財布には現金とカードが入ってます。

現金は分けて持っています。こちらはマネークリップです。財布は外に出さず普段はマネークリップのを使います。分けておけばマネークリップのお金を取られても財布のお金は取られない。このようにして盗難強盗対策をしています。

パスポートはこちらにいれてます。
いわゆるセキュリティーポーチです。ズボンの中、いやパンツの中に忍ばせてます。
旅先でパスポートを持ち歩くかについてですが、私は常に持ち歩いてます。そもそも泊ってるホテルが安心とは限らないし客室のセキュリティーボックスは使いません。パスポートは唯一身分を証明できる書類です。常に持っておくのがマストでしょう。
これであれば盗まれることはないし強盗に遭っても取られる可能性が低くいです。
パスポートが必要なのは空港、宿、両替えです。両替えはキャッシングだから使わないし空港では別の場所にパスポートを保管します。面倒なのがホテルチェックインの時くらい。でも安全のためには仕方ないこと。

ちなみに現金もここに隠してあります。旅先での旅費の確保は基本キャッシングです。しかしATMが使えないこともあるしキャッシングが難しいときもある。そのため日本から多少の現金は持っていってます。
現金は一カ所にまとめて保管しておらず私は5カ所に分けて保管してます。カードも3枚持っていきましたが別々で保管。これも防犯対策のためです。とくに海外はスラム街とか私娼窟とかに行くので常に盗られると思いながら行動してます。
私の旅行の荷物はこんな感じです。
ちなみに私のバックパックの荷物は3kg切ってます。ウエストポーチと合わせても4kg切ってました。
格安航空会社の持ち込める手荷物の重さは7kg。
厳しい航空会社だと5kgまでですがこの荷物であれば追加料金不要で持ち込めます。
機内持ち込みだとロストバゲージの心配もないし預けないので空港についてすぐに出れます。
荷物が軽いので移動時の負担も少ないし少ない荷物の方が管理もしやすい。旅行の荷物は軽ければ軽いだけよい。足りないものが工夫でどうにか乗り切る。それも旅の醍醐味です。
2019年の頃は7kgくらいありました。
3kgの減量。つまり300ダース、3600個のコンドームを持ち運べるのです。
もうそれは業者のひと。
これ、国内でもさほど荷物に変化はなくパスポートと財布を持っていかなくなるくらい。日数に関係なく手荷物の変化はありません。変化が無いから荷造りもめちゃくちゃ楽。そして何を持っていくか悩むこともありません。むしろここから荷物を減らせないか悩むくらい。
だって荷物が減ればさらにコンドームを持ってけるじゃん。
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文化芸術の街へと生まれ変わる。差別の壁を無くした街「京都崇仁地区」

本日は京都に来ております。
こちらは京都駅です。
仕事で何度も訪れている京都。
仕事だと南口側から降りてレンタカーを借りる、もしくは電車で乗り継いで別の場所に行く。そのためあまり駅前を歩き回ることはありません。とくに北口側に出ることは少ないです。
私は2020年に京都に観光しに来ています。
東京の日本橋から京都まで続く東海道五十三次。
そこを歩いたわけではなく自転車で移動しました。レンタサイクルを乗り継いで京都を目指す旅。
まぁその自転車の旅も疲れて途中諦めて電車にも乗ったしバスも乗ったし最終的にレンタカーを借りて京都入りしました。
感染症で行動制限がかけられていた時期。今のように訪日外国人はいませんでした。

こちらはその時の清水寺の様子ですが人がほとんどいないんです。

こちらは伏見稲荷です。
今じゃこんな景色は見れないでしょう。
その際に京都駅前にも訪れています。
京都駅前もその時は人が少なかったです。現在は外国人観光客だらけで日本じゃないような感じです。

京都駅は京都の玄関口です。
1200年前から栄えていた玄関口のはずはなく、栄えだしたのは駅が出来てから。
駅ができたのは今から140年前の1887年。もともとこのあたりは何もない場所でした。
そこに鉄道を敷設したのです。
鉄道を敷設するためには土地収用が必要ですが都市部であれば土地代は高くなります。そのため市街地に敷設するのはコスト的に難しい。
また当時の鉄道は蒸気機関車が走っていました。
石炭を使うので煤塵も出るしうるさい。そのため鉄道敷設に反対する住民が多かったそうです。
sぷなると必然的に駅は市街地から遠くなり地価の安値地域に作ることになります。
地価が安く人のいない地域になります。
京都駅のある八条は洛中の外れ。
昔は田畑の多い地域だったのでしょう。
当時の京都の中心は三条や四条のあたり。今もそれは変わらず中心地は河原町あたりです。それに比べて京都駅の周りは何もない地域でした。
今じゃ駅チカの一等地ですが当時は人の住むところではありませんでした。でも端っこでも洛中。何もないこの地にも人が住んでいました。
しかし あまり良い地域ではなかったようです。とくに京都駅の東側に関しては。

こちらは高倉塩小路交差点です。
こちらには有名なラーメン屋が2軒あります。

タカバシラーメン。
ここが京都ラーメンの発祥地のようです。
私は第一旭のほうが好きです。旭系のラーメン店は結構行ってるし京都に来たら必ず寄っていたラーメン店です。でも今は行列が酷く並ぶ気になれないほど。駅も近いし外国人にも人気のようです。

そのラーメン屋の道の反対側。
こちらには京都市立芸術大学があります。京都市立芸術大学の歴史は古く、創立は1880年。日本最古の芸術系の大学で藝大より古いそうです。以前のキャンパスは西京区の山の中でしたが2023年に京都駅そばに新校舎が出来ました。
今は京都駅から徒歩数分の立地にある京都芸大。
なぜこんなところに大学を誘致したんだろ?
駅前だからショッピングモールが出来そうですがそうしなかったのは京都は文化芸術の街だから。
文化的な建物は駅の近くにあるべきです。っていうのは建前。京都芸大を駅のそばに移設したのは京都市の財政問題によるもののようです。
感染症による行動制限の解除以降、京都は訪日観光客が増加。京都市の財政は黒字化しました。しかしそれ以前は赤字続きで財政破綻寸前でした。
あれだけ観光客がいるのに何で財政破綻するの?
観光名所があるんだから潤ってるはずでしょ?
って思いますがその観光名所が問題なんです。
清水寺、伏見稲荷、金閣寺、銀閣寺、東寺、八坂神社、龍安寺、平安神宮。そのほかにも有名な神社仏閣が複数ありますがこれらは全て宗教法人なんです。
宗教法人は宗教活動で得た収益は非課税。
そして宗教施設の固定資産税も非課税です。
市町村の財源の4割は固定資産税のようですが宗教施設が多ければその分税収が目減りします。愛知や新潟の方が宗教施設が多いようですが京都は本山が多くて宗教施設の敷地面積が広くしかもその多くが一等地にあります。
税収が少ないから首が回らない。
借金の返済に追われて公共事業もできない。
そのため一時は財政破綻目前だったようです。
まぁ身の丈に合わない公共事業をしたのが財政破綻になりかけた原因ですが京都市はずっと金欠状態でした。そのため駅前だけど大学を誘致したのです。
でも大学だと固定資産税が取れないじゃない?
しかしそうするしかなかったのでしょう。元々ここには公営団地がありました。

以前来たときは大学はなく更地の状態でした。
こちらは以前立ち寄った時の状況です。フェンスがされ重機が建物を壊してました。
以前はここには崇仁市営住宅という公営住宅がありました。
改良事業により建てられた崇仁市営住宅。改良事業とは改良住宅を建設し都市を整備する「国民が健康で文化的な生活を営む」ための国家事業です。国家事業なので国から補助金が割り当てられ、そのお金で市が土地収用や都市開発を行えます。財政負担なく整備できるので市は懐が痛みません。
しかし改良事業のために出資された補助金なので収用した土地はその目的でしか利用できません。
駅前だからホテルを誘致したい。
住民のためにショッピングモールを誘致したい。
でもそれだと補助金を返さなきゃならない。
しかし京都市は財政難で補助金を返すアテがない。でも大学だったら、ワンチャン補助金返さなくてよいかも!だって健康で文化的な生活に必要じゃん!公共性があるからいけんじゃね?そんな感じだったのでしょう。
だいぶ雑な説明。

普通に考えれば商業施設にすべき場所ですが色々な理由があって大学となったようです。
まぁ大学ができたことで人の流れも変わり今では若い人が行き来するようになりました。以前は住民以外が立ち入るところではなくかつては行政からも見放されていた地域でした。崇仁地区は差別に苦しんだ人が住んでいた地域でその歴史は300年前に遡ります。
鴨川のそばの崇仁地区、鴨川沿いには昔、処刑場があったそうです。
三条河原に首を晒された石川五右衛門、六条河原で斬首となった石田三成。古くから鴨川は処刑場として利用されておりここに住む人たちが刑務作業をしていたそうです。今でいえば刑務官は公務員になるのでしょうが死に関わる仕事は穢れとされていた時代。差別された人が従事する仕事でその人たちのコミュニティがここにありました。
明治になり身分差別は法律上はなくなりましたが実際は行政からも差別的な扱いを受けておりこの界隈のインフラが整ってないスラム街でした。
それは戦後になっても変わらずでバラックが軒を連ねるエリアだったそうです。
終戦からのある程度月日が経ち、やっと京都市がこの地区の造成に着手。土地を買収して改良住宅を建てました。それが崇仁市営住宅でした。
大学誘致の際に古い住宅は撤去。
そして近くには新しい市営住宅が建ってます。
従前に住んでいた人は強制退去させられ新しい団地に引っ越したのでしょう。前は古い団地が立ち並び汚い町並みでしたが街路も整備されてきれいになっています。

こちらは柳原銀行記念資料館です。
もともと被差別部落の住民のために1899年に設立されたのが柳原銀行です。
銀行自体は1927年に倒産し長らく建物は別の形で利用されていましたが、1997年に資料館として開館したそうです。
現在は京都芸大の敷地内となっています。

こちらは京都市が運営していた銭湯がありました。前回京都に来たときは営業していましたが2023年3月に閉業したそうです。団地ができ始めた1960年代はまだ各家庭に風呂場がなかったそうです。そのため崇仁地区には三軒の銭湯がありました。しかし今はどの家庭にもお風呂があります。そのため銭湯を必要としなくなったのでしょう。
東海道本線と新幹線に挟まれた土地。一等地ですが住居にもできないし店もできない。ここは駐車場か何かに利用するのでしょうか。

崇仁地区は京都駅から歩いて数分の一等地ですが周りには空き地が結構目立ちます。この空き地、ずっと放置されたままなんです。
これらのほとんどの土地が市が所有する土地です。空き地だったら駐車場にすればよいのですがそれだと本来の使用目的と異なります。一時的だとしても許されない。そのため全ての土地収用が終わらない限り空き地のまま放置されているのでしょう。

こちらも市営団地ですが建て替えるようです。比較的新しそうな市営団地。でも京都駅そばの一等地。市営団地じゃなく別の建物にするのでしょう。
いちおう都市開発は進展しているのでしょうか。
長らく放置されていた崇仁地区でしたが京都芸大のできたところは賑わっています。大学を誘致したことが評価されてるみたいですが進展したのは線路北の一部分。
まだまだ手付かずの状態のところがあるようです。
でも街が有効活用されるのはよいこと。
崇仁地区も徐々に改善していくのでしょう。
かつては治安が悪く、いわくつきの場所でした。差別意識が強い人は近づかないところで京都の人は知った場所だったようです。
関東ではその問題に触れる機会は少なくその存在を知らない人もいるのでしょう。私も歴史の授業で習った程度でほぼ触れておらず、その存在を知ったのは社会人になってからです。でも西の方ではまだ根強く残っているようで道徳の授業で子供の頃から触れる問題なんだとか。
関東ではそういった授業がないからなくなった。
寝た子を起こすな論争みたいなのもあります。それは見て見ぬふりだという意見もあります。
知ることで差別が助長されているかはわかりませんがどちらにしても西ではまだその問題が残っています。
日本は島国なので差別のない国といわれてます。でも島国だからこそ排他的で差別があるのです。
人種差別が少ないランキングでは日本は62位。これが高いのか低いのかはわかりません。おそらく世界的に見ても低いのでしょう。これが世界が見る日本の人権意識です。
ちなみにインドは68位。
日本はインドとタメ張る人種差別度合い。あのインドとほぼ同じ人権意識なんですね。
ムスリムのやつって...。
あれは人種差別じゃなく宗教差別です。
カーストのやつって...。
あれは人種差別ではなく同族差別です。
これはインド人もびっくり。
そしてフランスは20位です。
ぜんぜんアテにならねえ。
アジア人を人外としか見てない人が作ったランキング。
ちゃんと統計を取ればもう少し上位に行けそうですが変わらず差別が残る日本。とくに京都は排他的の代表格の街です。
京都人「八条どすかぁ、洛中ゆうても端のやつやろ。えらい遠くから来はったんやな」
さすがは京都しぐさ。
ランキング62位でもうなづける。
でもそれももうじき変わろうとしています。
放置されたままの空き地と古びた団地だらけで今までは引っ越す人もいないと言われた崇仁地区。これからは駅チカの好物件になります。街並みはキレイとなり人通りも多くなります。新しいマンションもどんどんできるのでしょう。これよりお店もできはじめ活気づくのでしょう。ごちゃごちゃした河原町の辺りよりも使いやすく住みやすい街になるのでしょう。

キャバクラ的な店がないのがちょっと残念ですが住む人が求めればいずれその手の店もできるはず。風俗的なお店もないのがちょっと残念ですが住む人が求めればいずれその手の店もできるはず。
だってここは、差別の壁を無くした街じゃない!

長い年月差別に苦しめられた地域でしたが崇仁地区もこれより生まれ変わります。
崇仁地区は文化と芸術の発信地へ。
差別のない京都と代表となるようです。
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これは素敵な磔刑台!!竹田駅そばにあるラブホテル街「京都南I.C」

本日は京都に来ております。こちらは竹田駅です。
京都市営地下鉄と近鉄京都線が乗り入れる竹田駅。駅周辺には住宅地が広がる住宅密集エリアです。また京セラの本社もこの近くにあるため竹田駅利用者はけっこう多いようです。
でも、観光地のようなところではないため地元の人か通勤の人しか利用しない駅。そのため府外の人には印象の薄い駅です。
私もそこまで竹田に詳しくはなく、知っていることといったら竹田の子守唄くらい。あとは高速のインターがあるくらいでしょうか。
竹田駅がどんなところかAIに聞いてみましょう。
AI「竹田駅周辺は住宅街が広がり静かで落ち着いた雰囲気が特徴です。駅周辺には飲食店も多く買い物にも便利。交通の便もよくアクセスしやすい立地。緑が多くファミリー向けに人気なんだとか」
なんか住みやすそうな町のようですね。
たしかに京都駅まで4駅で行ける竹田駅。四条までも乗り換えなしで行けます。このようにアクセスが良い立地ですが京都の中心のような混雑はなく町は静か。駅前に飲食店は少なそうですが住みやすい立地なのはその通りかもしれません。
かつては治安が悪いとか。
人が住む場所じゃないとか言われてました。
京都人「竹田?はて京都にそんなとこあったやろか?伏見の方の?あー洛外ですやろ。そらえらい遠くから来はってんやねぇ」
もうそんなことは言われないようになりました。
AIの言ってる通り住みよい街のはずです。
でもAIに聞いて裏切られた経験があります。やはり自分の目で確かめなければなりません。
本当にAIの言ってることが正しいのか。
本日は竹田駅界隈を散策します。

竹田駅の真上には名神高速道路が走ってます。
私は竹田駅で降りるのは初めてでしたが高速道路では何度も来ている竹田界隈。この近くには京都南インターチェンジがあります。
京都南インターチェンジは京都の玄関口。このあたりは国道一号線、名神高速、第二京阪道路、油小路線が走るエリアです。住宅街もありますが企業や工場も多めの地域です。交通の便のよい場所であるため都市計画の規制を緩和し企業を誘致しています。
京都は景観条例により建物の高さに制限があります。狭い土地なのに高さまで制限されている。これでは大きな企業が京都に集まりません。
そこで京都市は京都の南側、南区伏見区の洛南地域の高さ制限と容積率の緩和をし「らくなん進都」と称した特区を設けたのです。それにより京都の南側は企業村になっており京都南インターチェンジの周りにも企業が多くあるようです。竹田駅利用者が多いのも労働者が多いからです。

こちらは伏見警察署竹田交番のある交差点です。真上には第二京阪道路、北側に名神高速道路が走っています。二つの道路は交差してますが乗換えはできません。でもこれが近々つながるんだとか。
京都南インターチェンジは京都の玄関口。しかし京都中心からは5kmほど離れています。高速を降りた後一般道を結構走ります。そして高速出口が国道一号線沿い。そのため常に渋滞してるのです。
二つの道路がつながれば中心にアクセスしやすくなるし渋滞も緩和できる。そのため現在ジャンクションを建設中です。予定では2028年に完成するそうです。
あと3年。
これまで京都南インターチェンジが京都の玄関口でしたが3年後には鴨川東インターチェンジが玄関口となるようです。この界隈の街並みも変わるのでしょうか。

大通りは交通量が多いですが路地に入ると静かです。畑もあって一軒家が多く建ち並ぶエリア。
竹田のある伏見区は耕作面積が市内一位。
京都といえば京野菜。九条ネギ、伏見唐辛子、加茂ナス、壬生菜。そのような作物がここでは取れるのでしょう。
京都駅から4駅しか離れていませんがこのように農地があるんです。長閑で過ごしやすそうなところです。
ごく普通の住宅街。ここは竹田小学校の学区のようでこの辺りは通学路になっています。小さな子供たちが元気にはしゃぐ姿が伺えます。

ごくごく普通の住宅街なのですがこちらにはヘルスがあります。
大きな子供たちが元気にはしゃぐ姿が伺える店。
ごく普通の閑静な住宅街。周りには普通の住宅しかないのですが一軒だけなんか様子がおかしい家があります。

こちらは店舗型ではない様子。受付型のホテヘルでしょうか。表向きはどう見ても一般住宅。でも18歳以下立入禁止の住居はないはず。ちょっとおしゃれな家っぽいけどちょっとおしゃれな風俗店だった。
ここは高速道路があって物流の要みたいなところ。そのため付近には企業や工場があるって話でした。でもあるのは風俗店。

こちらなんて物流倉庫の上が風俗店。
これは物流の要。
なんか運ぶものが想像と違ってた。ロジスティクスじゃなくてデリバリーだった。
たしかに物流倉庫もあるし企業も多い。そして住宅もあるし畑もある。なんでもある京都南インターそば。なんでもあるので風俗があるんです。そしてそこにある風俗はデリバリー型。つまり、デリバリーするところがあるんです。

京都南インターのそば、ラブホ街になってるんです。
これが京都の玄関口だった!
玄関開けたらラブホ街。
これが文化芸術の街「京都」の姿です!
京都はホテルがないない言ってるけどけっこうあるじゃん(これは泊まるのはちょっと控えちゃう)。

かつては性行為をするためだけのホテルだったラブホ。近年は少し様子が変わってきてるようです。最近のラブホってすごいオシャレなんです。アミューズメントパーク観たいじゃないですか。実際に遊具が存在するし!
遊具だけでなく設備もしっかりしてるんです。
露天風呂に岩盤浴、足湯、カラオケやダーツ、ビリヤードもできるんです。このようにアミューズメント化しているのは大人のおもちゃの無料貸し出しだけじゃお客が呼べないのでしょう。
娯楽の多様性、少子高齢化、性的関心の低下。様々な理由でラブホ利用者は減っていったのでしょう。そのためそれ以外の利用客を集めてるようです。
最近のラブホテルは女子会プランもやってます。
カラオケボックスはカラオケしかないけどラブホテルならカラオケ以外の遊びもある。シティーホタルだと騒げないけどラブホテルなら騒いでも迷惑にならない。そんなわけで結構使う人がいるようです。
最近はビジネスホテルも高くなっていて一泊1万円以上ってのが普通になっていますがラブホだと1万円以下で泊まれるんです。安い上にお風呂場は広いしベッドも広い。チェックインもチェックアウトも手続きが楽、アメニティーもちゃんとある。しかもラブホのテレビは基本、ビデオオンデマンドが無料で見れるんです。アダルトビデオが見放題なんです。
普通のビジネスホテルのVODはどうでしょう。最初の数分しか無料で見れないんです。それがラブホなら全編無料なんです。そしてラブホの一番良いところは呼べる呼べない問題を悩む必要がないことです。
そこはフロント前を通るのでデリバリー不可です。
東横インさんはちょっと厳しいですねー。
このようなこと、言われたことありませんか?
ビジホはホテルによって呼べないことがあります。でもラブホはそんな悩みをしなくてよい。
呼べる呼べないとかじゃなく呼ぶホテルなんです。
こんなホテルが京都駅前にあれば重宝されるんですが京都の中心地はラブホが少ないんです。近隣住民からの反対などもあるのでしょう。また景観条例的にも問題あるのでしょうか。一番は風営法の関係でしょう。
インターチェンジそばにラブホができるのは風営法により出店場所が制限されているからです。学校、官公庁施設などの公共施設の近くでは風営法の規定でラブホ経営は禁止されてます。
ラブホテルは本質的に不健全。子供に見せちゃいけない建物なんです。子供に見せられないから学校そばはラブホがない。でもインターチェンジそばなら学校がありません。土地も安くて敷地も広い上に集客がしやすい。だから高速のインターチェンジそばがラブホ街になるのです。
さっき通学路があったけど...。
200m、200m離れていれば営業可能です。当該学校からホテル街は500m離れてます。そのため問題ありません。
いや通学路そばがラブホ街は問題だと思うけど。住宅街にあった風俗店。あそこも200m離れています。しかも景観に溶け込んる。

18禁って書いてあるのに!
住宅や畑や企業もあるけど風俗もラブホもある。ラブホに関しては20軒以上あります。竹田駅前の飲食店よりも数が多い。こんなのは小学生には見せられません。

親だって子供にはラブホを見せたくないでしょう。お母さんこれなーに?って質問に答えられますか。
子供がラブホ見たらいろいろ言ってくるでしょう。

「変貌する欲望空間ってどんななの?」

「ぼくはお巡りさんがいいな」

「これは豊富な磔刑台!」
これは子供に見せられない偏った性癖の数々。そんなホテルが20軒。
こんなところで女子会するの?
それなんて女子会?
本日は竹田駅の西側を散策しました。
竹田駅の周りはイメージ通りだったかな?
こんな感じで竹田駅の近くはラブホ街なんです。
ラブホ街が広がり静かで落ち着いてる。
ラブホが多く風俗利用に便利。
高速降りてすぐにラブホに行ける立地。
ラブホが多くファミリーが増えちゃう!
AIの言ってること、結構当たってた!
過去には色々あったのでしょうが今は中心地にアクセスしやすいところです。地価も安くて住みやすいなら申し分ないです。しかも気分転換にホテルに泊まりやすい。そしてあんなことやこんなこともできちゃう。竹田駅界隈、住みやすそうです。
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警察署そばにある怪しい雑居ビル かつては大人の楽園だった!!「黒川歓楽街」

本日は地下鉄名城線の黒川駅にきております。
こちらは駅近くにある飲食店「鯱乃家」です。
カレーうどんと書いてある通り同店はカレーうどんの専門店です。
名古屋といえばカレーうどんが有名ですがその源流はこちらの店なんだとか。
1976年にこの場所でうどん屋をオープン。同店でカレーうどんを売り出しました。
普通のカレーうどんとは違った製法が人気となり名古屋市内にカレーうどんが広がったそうです。各店様々なカレーうどんができ名古屋名物となったようです。つまりこちらの店が名古屋カレーうどん発祥の地とされています。
こちらの店名は鯱乃家ですが以前は若鯱家って名称でした。名古屋といえばしゃちほこが有名なのでその名を店の名称にしたのでしょう。でも1992年に現在の店名に名称変更してます。名称を変えたのは同じ名称の店があったから。
その同じ名称の若鯱家もカレーうどん屋で全国40店舗展開しているチェーン店ですがその店のルーツは鯱乃家にあったそうです。
元々ここで働いていた人が独立し栄に若鯱家という名前でうどん屋をオープンしました。いわゆるのれん分けみたいな感じだったのでしょうか。しかしその弟子が若鯱家で商標登録したそうです。元祖若鯱家は商標登録をしていませんでした。
そんなわけで訴訟問題に発展したそうです。
しかし裁判の結果、元祖側が敗訴。それにより若鯱家の屋号を名乗れなくなったようです。そのため現在は鯱乃家に屋号を変更してあります。

看板とは違うところに若鯱家の名前は残してあります。
色々トラブルはあったようですがこのように発祥の店が残っているんです。せっかくだからここで食べていきましょう。
名古屋名物カレーうどんが名物料理です。
ほかにも名古屋には名物料理があり、味噌カツやあんかけスパが挙げられます。どちらも名古屋らしい料理です。味噌カツはとんかつをどて煮の味噌につけた料理。あんかけスパはイタリアと中華が融合した料理。名古屋の料理はいろんな地域のものを混ぜる感じ。カレーうどんもインドとうどんが融合した料理。ごちゃ混ぜ文化の名古屋飯なのでしょう。

こちらはカツカレーうどんです。初めて名古屋のカレーうどんを食べたのですがこれまで私が食べたカレーうどんとは違いました。
私がこれまで食べてきたカレーうどんって和風だしのカレーがかかっているものでしたがこちらのお店のはカレーの中にうどんが入ってる感じ。うどんはコシがあってもちもちしています。
カレーうどんってカレーをアレンジするためのものでわざわざ店で食べるもんじゃないと思ってましたが全然違う食べ物でした。美味しかったです。
たまたま見つけて入ったカレーうどん屋。黒川に名古屋カレーうどん発祥地があるなんてまったく知りませんでした。そもそも私は黒川の飲み屋を散策しに来たのです。

どうやらこの界隈は飲み屋がけっこうあります。
飲んだ後にカレーうどんを食べる。飲み屋とうどんは親和性が高いのでしょうか。
カレーうどん屋さんの並び、居酒屋などの飲食店が軒を連ねております。雰囲気の良さげな店があります。年季の入り具合から繁盛しているのでしょう。

地下鉄名城線の黒川駅。黒川駅がある北区は団地が多い住宅密集エリアでとくに黒川は北区北部とをつなぐバス停があり多くの人が駅を利用します。
バスに乗り換える前に一杯ひっかける。ここはサラリーマンの給油ポイントなのでしょう。居酒屋やスナックがけっこうあるようです。

こちらは黒川住宅です。
地上11階建て1971年にできたUR住宅です。駅直結型のマンションで名古屋中心にも出やすい立地。めちゃめちゃ便利なところです。
錦や栄にも出やすい立地の黒川。
でも錦にゴージャスな店よりもちょっと寂れた感じの店の方が落ち着く。黒川にある飲み屋はそのような人たちの憩いの場なのでしょう。

こちらのビルはスナックビルのようです。
このようなビルが成り立つってことは利用者がそれなりにいるのでしょう。
ただ飲み屋街のように一カ所に集中しておらずスナックがポツポツある感じです。でも一路線しか通ってない駅にしては飲み屋や飲食店が多めの方でしょうか。

こちらは北警察署です。
北警察署を管轄する北区は名古屋市内でも治安のよいエリアのようです。歓楽街のようなところが少ないからでしょう。
大曽根の辺りと黒川の辺りに飲み屋街があるため治安維持のために黒川に警察署を設置したのでしょう。
黒川駅そばに警察署があるためこの界隈は治安が良いはずです。
当然風俗店のようなところは取り締まられるしいかがわしい飲み屋も摘発されているのでしょう
安心安全の黒川です。

ちなみに警察署から道路渡った反対側にはキャバレー花園があります。
一見するとピンサロっぽい。でも実態は普通のキャバレー。
昔ピンサロだと思って入店したことがあります。
ピンサロほど薄暗くない店内。
ピンサロとさほど変わらない音量のユーロビートのBGM。
ここは健全な方のピンサロかな?って思ってたんですがそういったサービスはなく普通の明瞭会計のキャバレーでした。
古き良き昭和な感じを味わえるキャバレー。
愛知に古くからある健全なキャバレーなんです。
キャバレー花園あるところ歓楽街あり。
この界隈は結構な歓楽街だったようです。
そんなところにある北警察署。
これは署員が通っていたとしてもおかしくない。

名古屋私道名古屋環状線沿い志賀南通。
北警察署の目と鼻の先。黒川駅より徒歩4分のところ。大通り沿いに雑居ビルがあります。1990年に建てられた8階建てのビル。入居しているのは飲食店のようです。こちらには少し怪しめのビルがあります。
スナック、ラウンジ、ガールズバー、キャバクラ。一通りの飲み屋があります。
ゴージャスに楽しむなら錦や栄。
黒川であれば比較的名古屋の中心に出やすいため飲みに行くなら歓楽街へ行けばよいのですが、出かけるのがめんどくさい人のために黒川にもゴージャスな店があるようです。駅前にあったスナックビルとは違いこのビルにはキャバクラがあるのでしょうか。ちょっと怪しい感じがプンプン匂います。
そもそもこのビル現在は飲み屋ビルですが、かつてはピンサロもあるビルでした。
名古屋私道名古屋環状線は名古屋市の主要道路で道幅も広く交通量が多い路線です。
そんな大通り沿いに面しているビルですがビル七階にはピンサロがありました。
錦や栄にアクセスしやすい黒川。
でもササっと済ませたい時あるじゃないですか!。そのような人たちの憩いの場だったのでしょう。しかしそんな店はすでになくなったようです。
警察署の目の前だったからなのか、署員が通うのは望ましくないとなったのか。それらの店は淘汰されたようです。

ツーショットキャバクラって文字が見えます。
いわゆるセクキャバのことを関西圏ではツーショットキャバクラって言います。
大阪では2009年以降、条例でセクキャバを案内所で紹介できなくなりました。集客できなきゃ店がつぶれる。でも条例でセクキャバは紹介してもらえない。そんなわけで名称を変えたのです。
大阪人黒服「ウチはツーショットキャバクラいうキャバクラやねん」
って形で別の名称に変更して営業したそうです。名称変更したところで中身は変わってない。そのため規制対象なのは変わらないのですが、なんかそれでうまくいったそうです。
さすがは大阪府警。
愛知にもそのような規制があったのでしょうか。規制があったかどうかはわかりませんが名古屋でもツーショットの名称が浸透しました。
さすがはごちゃ混ぜ文化の名古屋。
つまりここはセクキャバ。
まだそれに準じた店があった!
と思ったんですがこちらも閉店したようです。愛知県警は大阪府警よりも優秀だったようです。
今は健全な店になったようです。
健全?

このビルに入居する多くがガールズバー、あとはキャバクラとスナックと居酒屋。
黒川の中では若い子が多そうな雰囲気ですが性風俗の類いの店はなく普通の飲み屋ビルです。
黒川の飲み屋は現在こんな感じでスナックとガールズバーとキャバクラくらい普通の飲み屋さんがある街でした。
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ここはジェネリック柳ヶ瀬!問屋街衰退により栄えた歓楽街「岐阜タマミヤ」
本日は岐阜に来ております。
私は現在金華山のロープウェイに乗ってます。
標高329mの金華山。
山頂までは山道が整備されており距離は1.9km1時間程度で登れるようです。でもロープウェイであれば4分。
楽、しちゃいましょう。

向かいに見えるのは長良川でしょうか。
山頂は木々が生い茂っているためこの景色はロープウェイに乗らなきゃ見れません。
良い景色です。
あの信長もこの景色を堪能したのでしょうか(当時はロープウェイないけど)。
美濃を制するものは天下を制す。
金華山は信長が天下布武を掲げた最初の地です。
金華山の山頂には岐阜城があります。
岐阜城ができたのは鎌倉時代。戦国時代に斎藤道三が整備したんだとか。その後信長が城を奪取し本拠地としたそうです。お城自体は家康によって1600年に廃城とされ現在の天守は1955年に建てられた模擬城。つまりレプリカです。

そんなわけなので帰ります。
なんとなくロープウェイに乗ってみたけどお城がある頂上までは歩くんです。その歩く道がけっこうな坂。
以前ここには立ち寄ってます。その際に天守は見てます。だから、もういいかな、レプリカだし。

ってわけで岐阜駅に戻ってきました。
岐阜市を観光してみました。でも岐阜と言ったらやっぱり駅前ですよね。岐阜の駅前といえば何があるでしょう?
岐阜の城下町はおもてなしの都市と言われていました。なんだかわかりますか?
岐阜を代表するものです。岐阜県民の愛が感じられますよね。
金です金。
そう、岐阜駅前といえば金津園です。
おもてなしの街「岐阜」にふさわしいところ。岐阜を代表とするところ。そして愛が感じられる(擬似だけど)。
でも本日はそちら側には行きません。
本日は岐阜駅北口側です。
いつもは岐阜駅着いたら南口側に出てましたが今日はあえて北口に出てみました。
そんなわけで今日は北口を散策するのですが岐阜駅北口側にはかつて、私娼窟がありました。
やっぱ風俗街の話だった。
岐阜駅北口側に国際園という私娼窟がありました。
現在の町名は花園町。いかにも遊里があるっぽい町名ですが私娼窟は残っておらず普通の住宅街になってます。
そんなわけで私娼窟跡にも行きません。
ってわけで本日は岐阜駅の北口側のごく普通の街を散策します。

駅前には服飾系の店が軒を連ねる地域があります。
こちらは岐阜駅北口にある岐阜繊維問屋街です。かつてはハルピン街とも呼ばれてました。
あっここ、チャイナ系のやつかな?って思ってしまいますがそうではありません。ハルピン街と呼ばれるようになったのは80年前、終戦後のころにさかのぼります。
岐阜は太平洋戦争末期に空襲被害に遭っており市街地の7割が焼け野原となったそうです。とくに岐阜駅北側の被害が甚大でこの辺りは何も残りませんでした。
戦後、満州からの引揚者らが生活再建のために駅前にバラックを建て古着の販売を始めました。いわゆる闇市です。
北満州ハルピンからの引揚者がつくった街。そのためハルピン街と呼ばれたのでしょう。

闇市から始まった岐阜の繊維産業。
高度経済成長期には一大産業となります。柳ヶ瀬が賑やかだったのは繊維産業があったから。
しかしバブルを境に売り上げが低迷、岐阜の繊維業は衰退していくのでした。現在の問屋街は空き店舗が目立ちます。
スマホで服が買える時代。家賃のかかる実店舗は厳しい環境なのでしょう。またファッションに対する価値観の変化、ファストファッションの台頭。そしてユニクロの寡占状態であるアパレル業界。最盛期は1800店舗もあったハルピン街ですが現在は数えられる程度しか営業していません。

この景色、もう見れなくなるんだとか。
現在岐阜駅前は再開発がされており問屋街の一部を取り壊しビルが建つそうです。全部の問屋街がなくなるわけではないようですが問屋街としての体をなしてないためいずれ全てが変わるのでしょう。

と思ったんですがどうも様子が違うようです。
繊維問屋街なのでアパレル系の店しかないはずですがこちらはアジア食材店のようです。
服飾店ではなくスーパー。店名からするとタイっぽい感じですが国旗もあるし言語もベトナムっぽい。東南アジアの食材店でしょうか。

こちらもベトナム食材店です。
似たようなお店がこの界隈には複数あります。

こちらもベトナム食材店。
ここはハルピン街じゃなくヤンゴン街。
ベトナム食材店がけっこうあるんです。元服飾店だったところに入居してるのでしょう。
岐阜市では近年ベトナム人が増加しているようで国別外国人割合だと中国フィリピンに次ぎ三番目。
なぜか一番多いのは中国人、なぜでしょう。
フィリピン人が多いのはピンパブがあるから。
ベトナム人が多いのは技能実習制度によるもので10年前と比べると5倍に膨れ上がっています。人口が増えているならこの手の店も増えます。

ここにはベトナム以外のお店もあるようです。
こちらはカンボジアの店。カンボジアの店があるってことはカンボジア人が多いのかな?こんな感じで外国人街になりつつあるのです。
でもこれ、悪くないですよね。
いろんな国のいろんな店がこの街にできれば駅前だし県外からも人が来そうです。アジアな感じがして素敵です。

ほら、こちらには中国。中国だけど駅前によくあるエステ店。マッサージイカガデスカのヤツ。
中国人が岐阜に多い理由、これだった。
フィリピン人が多いのはピンパブがあるから。
中国人が多いのはチャイエスがあるから。
これは姑娘が期待できそう。
まぁ郊外都市の駅前によくあるエステ店です。別に中国要素があるってわけではありません。

でも、一階が中国物産店なんです。
これは確実にチャイナなお店。
ハルピン街の名に恥じぬハルピン要素。
でもこれ、悪くないですよね。
問屋街はいくつかの区画に分かれています。例えばこの区画はチャイナエステ。隣りの区画はコリアンエステみたいな感じで各区画ごとに特色を出せば駅前だし県外からも人が来そうです。金津園をしのぐ駅前観光地になること間違いなし。
それだと岐阜駅前が全部風俗街になっちゃう。
そんなことありません。岐阜の駅前には色々あるんです。

この問屋街の近くには飲み屋街があります。
こちらは飲み屋街「玉宮地区」です。
玉宮町を中心にJR岐阜駅北側にある飲み屋街。玉宮地区は400店舗ほど飲食店がある歓楽街で現在岐阜市で一番栄えてる街のようです。
岐阜市のかつての繁華街は柳ヶ瀬の方でした。
岐阜駅から柳ヶ瀬まではおよそ1km。歩くと10分以上かかるんです。飲みに行きたくても柳ヶ瀬はちょっと遠い。そんな悩みを持つ人のために「ジェネリック柳ヶ瀬」を駅前に作ったのでしょう。
この界隈が飲み屋街となったのはバブル崩壊後。
かつては今のような飲み屋街ではなく衣料品を買いつけにくる人の宿屋街でした。しかし繊維業低迷により問屋街は衰退。それを機に飲み屋街に生まれ変わったそうです。かつては柳ヶ瀬の方が賑やかだったのでしょう。でも現在は玉宮の方が人の往来があるようです。
そもそもここは岐阜駅前。名鉄線とJRは少し離れています。乗換えついでにちょっと一杯。そんな人も結構いるのでしょう。
飲み屋街で夜の街。そのため午前中は人が少ないし店はやってません。
一応夜にこの街に訪れましたがちょっと質が悪そうな感じでした。めちゃめちゃ客引きがいるんです。
岐阜市では2021年に客引き禁止条例を施行。指導員が毎日巡回し逮捕者も出たようですが変わらず客引きがいるようです。すごいピリピリしていて治安が悪そう。そんなわけで朝に来てみました。やっぱり夜の街は朝に来るのが一番です。

玉宮通りがメイン通りで居酒屋が多いです。
客引きがいるのでガールズバーもあるようですがクラブはあるけどキャバクラはなさそうな感じ。
さすがはジェネリック柳ヶ瀬。
でもキャバクラである必要もないんですよね。
ガールズバーだと深夜営業の許可で済みますがキャバクラは風俗営業の許可が必要です。
キャバクラの場合は深夜0時までですがガールズバーは営業時間の規制がない。そのため最近はガールズバーが増えています。
ガールズバーなら深夜以降も営業できます。
でもガールズバーは接待が禁止されています。
隣に座って話をするってのはご法度。
バーカウンター越しに接客するのが基本で接待が禁止なので女の子の指名もできません。でも実際のところは結構あいまいでやってることはほぼキャバクラと同じです。客もガールズバーで構わないから行くのでしょう。
この界隈のガールズバーはどんな感じでしょうか。ちょっと夜の玉宮も気になります。
でもあの夜の感じ、出来れば玉宮は歩きたくない。なんだったら歌舞伎町のキャッチよりも酷い感じ。危険な香りがする街を歩き回るのは危ないです。

夜の岐阜駅前です。
やっぱ夜の街は夜に来るべきでしょ。
ちょっと危険な感じがしたけどここは日本。よほどのことがない限り危ない目に遭わないはず。これより玉宮の方に向かいます。

一杯ひっかけるためにこちらの店に来ました。
こちらは1954年創業の老舗居酒屋です。54年というと売春防止法施行の4年前。当時は歩いて数分のところに国際園がありました。
一杯ひっかけたあとに一発。もしくは一発ひっかけたあとに一杯。
そんな飲み方をした人もいたのでしょう。
今じゃそんな遊び方はできないですからね。
歴史を感じれます。
まぁ今でも線路の向こう側はソープ街。
さほど環境は変わってないし今でも当時と同じ遊びができる。
まぁそれだけ歴史があるお店。ここであればご当地岐阜飯、食べられるんじゃないでしょうか。

こちらのお店は名古屋スタイルの焼き鳥屋さん。
名古屋だった岐阜関係ねぇ。

ここは東海地方の料理屋さん。
土手煮におでん、いいですね。

関東では滅多に食べないけど東海地方に来ると必ず食べる土手煮。甘辛い味噌の味が濃くて酒がすすみます。

お酒は日本酒で玉宮の居酒屋は岐阜の日本酒も提供してます。土手煮に日本酒、相性が良いですね。
岐阜は酒どころで県内に40軒以上の酒蔵があり玉宮の居酒屋であればご当地酒が飲めます。
ごちそうさまでした。
せっかく夜に出歩いてるんだからどっかに行きたいですよね。
一杯ひっかけたあとに二軒目、玉宮ではそういった遊びができるようです。客引きの案内でガールズバーに行くのもよいけど売春防止法規制前からある店舗で飲んでるんです。やっぱここは、飲んだあとに一発じゃないでしょうか!
玉宮は金津園まで歩いていける好立地にあります。金津園まで歩いていける好立地、赤線があったころと同じことが玉宮ではできます。
やっぱ岐阜の観光といったら金津園でしょ!
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【成瀬はTENGAを取り扱う】ほぼ“神奈川県町田市”の成瀬

本日は町田市の成瀬に来ております。こちらはJR横浜線の成瀬駅です。
成瀬があるのは町田市。成瀬は商業地ではなく住宅密集エリアです。
成瀬は1970年代に宅地開発がはじまりました。宅地開発がされた当時は最寄りに駅がなく一番近い駅は隣駅の町田駅だったのでしょう。当時町田駅はまだ原町田駅って駅名で今の駅の場所よりも340mほど成瀬よりでした。
とはいっても町田駅までは2km以上離れており歩くには少し距離が遠い。長津田駅も隣駅ですが2km以上離れている。すごい不便な場所だったようです。そのため1979年に地元民の要望により成瀬駅が開設されました。駅ができたことで成瀬駅の周りの人口が増加。住みやすく利便性の良いところになりました。
とはいってもごく普通の住宅街そばにある駅。商業地ではないため地元の人しか駅を使いません。
町田駅と長津田駅の間にある成瀬駅。そのため何度も通っていますが一度も降りたことがありませんでした。そんなわけですごい印象の薄い駅なんです。そもそもここが町田市とも思ってませんでした。
隣りの長津田は横浜市だし町田駅もほぼ相模原。行政区分上は東京だけど成瀬はほぼ神奈川なんです。

だって駅前にあるのは横浜銀行なんです。
ほぼ神奈川といっているようなもの。

こちらも湘南ゼミナール。
ほぼ神奈川といっているようなもの。

駅前にあるスーパー、相鉄ローゼンなんです。相鉄線が走っていないのに横浜のスーパーがある。もうこれは神奈川県。

そして走ってるバス、かなちゅうなんです。
実質支配しているのは神奈川国。
神奈川が成瀬の領土を主張してもいいレベル。
神奈川要素が強めですが東京都町田市にある成瀬。成瀬にはなにがあるでしょうか。

こちらは成瀬駅前にある成瀬駅前ハイツです。
1980年にできたUR団地。駅前なのでかなり利便性の良い団地です。成瀬駅は横浜線だけしかありませんが隣りの町田駅には小田急線が走っており長津田駅は田園都市線が走っています。乗り換えが必要ですが新宿渋谷にでれるんです。また横浜にも出れるので悪くない駅です。
駅のド正面が団地。
駅前って飲み屋や変なエステがあるもんですが成瀬はそういった店が見当たりません。駅前にあるのは喫茶店くらいでしょうか。
なんか文化的で駅前がお上品な感じ。
これは神奈川県っぽさがあります。

こちらは成瀬駅近くのベンチに座る銅像です。
なんのために設置されているか不明。
そもそも誰が造ったのかも不明。
でも文化的な感じ、神奈川要素が強めなんじゃないでしょうか。
こんな感じで文化的な神奈川要素がある成瀬。
こちらは北口側ですが住所は南成瀬なんです。
どうやら本当の成瀬はさらに北側。恩田川の先にあるようです。

恩田川の手前の高台に公園があります。
こちらには成瀬城跡とかかれた石碑があります。

鎌倉時代にあったとされる成瀬城。
あったとされるって曖昧な表現ですが実際にいつ頃城があったのかは不明。たぶん鎌倉時代の頃にお城があったようです。成瀬城には成瀬四郎太郎って人が住んでいました。それが町名の由来とされているそうですが本当にいたかどうかは不明。

こちらの恩田川が成瀬の由来とも言われています。
名前の由来は不明なところがありますが成瀬に住む人の話では村の伝承があるんだとか。
「この村の中央にわずかなる流れあり。雨降りてまさに晴れんとする時は川の瀬鳴り響ひびきてかまびすしきゆえ此名あり。されば鳴瀬とかくべき」
諸説あり。
つまり成瀬と呼ばれるようになった理由、わかんねぇってことです。

こちらは都営成瀬アパートです。
成瀬アパートができたのは1979年。ちょうど駅が新設されたときにできたのでしょう。

この界隈は団地が多いエリアです。
その団地の近くに工場がありますが、こちらはオーディオテクニカの工場です。
国産なのになぜか安いヘッドホン。
値段の割にはちゃんとしている。
BOSEやSONYは買えないけどオーディオテクニカなら買える。
実際に私が使ってるヘッドホンは同社のものです。なんだかんだでお世話になってるようです。

オーディオテクニカの本社って成瀬にあったんですね。
同社は1962年に新宿で創業し、3年後の1965年に成瀬に移転。以後成瀬を拠点として活動しています。ある意味成瀬はAV機器の街とも言えますね。
ちなみにオーディオテクニカの人気商品は世界シェア2位の寿司ロボットのようです。
寿司の街だった しかもシャリだけ。

成瀬駅の南側に来ました。
こちら側は駅裏って感じの駅前です。駅前は喫茶店があるくらい。
成瀬、何もなさそう。

駅のそばにリラクゼーションサロンがありました。でも女性専用。
成瀬は商業地ではなく住宅地。そのため歓楽街のようなところはありません。でも住宅街だとしてもあるじゃん。
駅前にちょっと怪しげな飲み屋街があったり怪しい中華系のマッサージ店があったりそういったものが必ずあるもんですがどうやら成瀬、エロの店がないようです。
成瀬駅前はこんな感じ。
1980年以降に栄えた街。古くからある商店街みたいないので怪しげな店は出来なかったのでしょう。
町田までは一駅。
飲みに行くのも遊びに行くのも町田に出るのでしょう。

こちらは町田街道です。
かつては養蚕が盛んだった八王子から横浜を結ぶ絹の道と呼ばれた主要街道です。
戦国時代の頃からある街道。なんかありそうだけど何もありません。
やっぱり全ては町田に集約されているのでしょう。成瀬駅が開業したのは1979年。そのころの町田には田んぼと呼ばれるちょんの間がありました。
日本にはかつて遊郭がありましたが敗戦により公娼制度はなくなります。戦後に遊郭は赤線街へと生まれ変わりますが売春防止法施行後、赤線は廃業となります。
遊里は解体され普通の街へ変わるか、もしくはソープ街になるか。
町田には遊郭はありませんでしたが、私娼窟があったそうです。その私娼窟が戦後青線街へ。売春防止法施行後はソープ街でも住宅街でもなくちょんの間街になったそうです。そもそもの出自が違法だけど黙認されてた青線街。そのままの状態で営業が続いたのでしょう。
ちょっとの間でことを致すからちょんの間。違法だけどソープより手軽に利用できる。そんなわけで人気スポットだったのでしょう。
関東近県にはいくつかのちょんの間街がありました。川崎堀之内、横浜黄金町、そして町田の田んぼ。かつては三大私娼窟と呼ばれていた地域でした。しかし管理売春は違法行為。摘発され、壊滅させられる運命だったのです。横浜黄金町は2006年に川崎堀之内は2009年に摘発により壊滅しました。
町田にあったちょんの間も2000年を迎える前に摘発があり規模が縮小。その後は細々と生き続けるも相次ぐ摘発により2006年には町田の田んぼは壊滅しました。
成瀬駅開業から27年、それまで成瀬の人は町田に行ってたのでしょう。でも町田にはもう 田んぼはありません。成瀬の人たちは行き場を失ったのです。
ちなみに町田の田んぼと言ってるけど住所は相模原です。
文化的な神奈川県。
気軽に通えるように駅を新設したのに20年も前に消えてしまった私娼窟。近場にそんなお遊びスポットがあったのに近くにはそういう店がないのです。駅前にはスーパーがあって買い物に便利だけどアッチの方の利便性がぜんぜんよくない成瀬。急にムラムラって来たとき成瀬の人はどうするのでしょう。町田市は性犯罪が多いって聞くし...。どうやって処理してるの!?

自家発電だった。
かつては田んぼがあったけど今は遊べるとこがない。風俗もない、遊べるスポットもない。そんな成瀬の人が選んだ道は自家発電でした。
自家発電だったら風俗なんていらないじゃない。自分のタイミングでどうとでもできるじゃない。
だって成瀬にはソフトオンデマンドがあるんですから。
しかもこのSOD、DVDだけじゃなく大人のおもちゃの取り扱いもあるんです。
成瀬はTENGAを取り扱う。
なくなった町田の田んぼの代替がアダルトビデオショップ。ここは成瀬の人たちのオアシススポットです。
最近じゃアダルトビデオはネットでも買えるしストリーミング再生ができるのもあります。わざわざ手元になくてもいいんです。現在はエロ動画を持ち歩ける時代なんです。
でもあえて実店舗で買う。
あえてパッケージを買う。
これがいいんでしょうね。
実店舗に行っても中身が見れるわけじゃない。
パッケージの外見しか見えない。
だからネットで買うのと何も変わらないのですが、カーテンの先にある秘密の花園で同志たちが黙々とアダルトビデオを選ぶ特異な環境。選んでるのはAVだし来てる客は変態だけど、あの空気感は実店舗じゃなきゃ味わえません。
ネットで買えば いいじゃないって言ってる人。
何もわかってない。
AVはただ観るだけじゃなく、店に行き、商品を選び、顔の見えない店員と取引する。
ここも含めてAVなんです。成瀬にあるこの店はそれを味わうことができます。成瀬に来ることがあればぜひ訪れてみてください。
成瀬はAV機器の街じゃなくAVの街だった。
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夜空に輝く星になれ!キャンパブが消えたシャッター街「柳ヶ瀬歓楽街」

本日は岐阜に来ております。
こちらは岐阜市内にある柳ヶ瀬商店街です。
岐阜の中心地はもともと長良川沿いでした。柳ヶ瀬は田畑や湿地帯があるところでしたが明治になり鉄道を敷設され岐阜駅が開業。駅と街の中間にあった柳ヶ瀬にも店ができはじめ商店街が形成されました。
空襲により岐阜市内は焦土と化しますが終戦後すぐに露店が並び闇市が形成され今ある商店街の原形が出来上がりました。高度経済成長期にアーケード街となり百貨店や小売店ができ街が賑わいます。また映画館や芝居小屋などの娯楽施設、さらにはキャバレーなどの飲み屋も活気づき、多くの人が柳ヶ瀬に訪れたそうです。週末になると歩けなくなるほど人でごった返し、東海地方で一番の歓楽街といわれていました。でも現在はその様子はなくだいぶ静かです。

デパートや百貨店は撤退し、個人商店もシャッターが閉まっています。店がやってないから人も来ないのは当然で、人が来なくなるから店もどんどん閉まっていく。その結果柳ヶ瀬はシャッター街化しています。歩いている人はいますがそこまで多くない、開店前かもしれませんが多くのお店が閉まっています。
バブル崩壊、繊維業衰退、少子高齢化。
衰退した理由は様々な要因がありますが一番は使い勝手が悪いからでしょう。
岐阜駅から柳ヶ瀬まで歩くのはちょっと遠い。そのためバスに乗らなければなりません。かつては路面電車もありましたが廃線となり、現在は駅から離れており交通の便が悪いです。路面電車が廃線となったのは岐阜が車社会だから。
岐阜は自家用車保有率が8番目に多い地域です。車がないと生活がしづらい環境なのです。では車で柳ヶ瀬に行った場合どうでしょう。
アーケード街だから商店街の中に入れない。
古くに形成された町だから駐車場が少ない。
駐車場があったとしても無料ではない。
そして市街地だから渋滞に巻き込まれる。
このように柳ヶ瀬は何かと不便なのです。
幹線道路沿いには駐車場が無料の店舗があります。そちらの方がアクセスしやすく買い物もしやすい。そうなれば客はそっちに行くでしょう。
自動車移動の人には行きづらいし公共交通機関を利用する人も行きづらい柳ヶ瀬。
商店街を根本的に変えない限り以前のような活気を取り戻すのは難しそうです。

私は3年前にこちらに訪れています。その時はちょうど感染症蔓延時。人と接するのを良しとしなかった時代でした。そのため今以上に人はおらず静かな街でした。
柳ヶ瀬はキャバクラなどの店がある地域です。感染症の影響はかなり受けたのでしょう。もともとシャッター街化していましたがさらにひどいことになっているかもしれません。
でも岐阜市内では一番の歓楽がである柳ヶ瀬。東海一ではなくなりましたが、まだまだ歓楽街の様子は見れるはずです。柳ヶ瀬にはアッチ系の店もあったって話だし色々期待できるかもしれません。
柳ヶ瀬は約500mの距離があるアーケード街。
一つの商店街ではなく複数の商店会が集まってできている商店街です。そのため多少特色があるようです。

柳ヶ瀬商店街の東側、フローレンス柳ケ瀬と呼ばれる柳ヶ瀬本通り。一般的に知られる柳ヶ瀬はこちら側なのでしょう。
高度経済成長期に発展しかつては大型商業施設が5店舗もあったそうです。しかしバブル崩壊後に閉店する店舗が増え2024年7月に高島屋が閉店したことで大型店舗はゼロになりました。
現在岐阜県内には百貨店が一軒もないそうです。
名古屋まで30分かからずにでれる岐阜。買い物するならば名古屋にでればよいのです。そのため百貨店を必要としなくなったのでしょう。現在は個人経営の店が多くあるのでしょうか。洋品店 飲食店 衣料品店が軒を連ねるエリアです。よくある地方のアーケード街って感じのところ。

こちらは弥生町パラダイス通りってところ。こちらの通りは先ほどの通りと違いスナックやパブなどが軒を連ねるエリア。いわゆる大人の街、まさにパラダイスです。

弥生町に隣接して小柳町があります。スナックやパブなどが軒を連ねるエリア。

いわゆる大人の街、まさにパラダイスです。

こちらはスタープレイス柳ヶ瀬という商店街。スナックやパブなどが軒を連ねるエリア。いわゆる大人の街。
いわゆる大人の街しかない柳ヶ瀬。
そもそもの街の発展が繊維業隆盛によるもの。
仕事終わりに一杯、取引業者の接待。そういうのに利用されていた街だったのでしょう。キャバクラやスナック、パブがあるのも当然です。
とくにスタープレイス柳ヶ瀬。ここは岐阜で一番の歓楽街になるのでしょう。

スタープレイス柳ヶ瀬、通称 西柳ヶ瀬。
地元民からは「にしやな」と呼ばれる地域で柳ヶ瀬商店街の西側にあります。
看板の背景には星がちりばめられています。名前の由来はわかりませんがここは飲み屋街です。
夜になると光り輝くのでしょう。
まるで夜空に輝く星のように美しいのでしょう。
そんな意味を込めてこの名にしたのでしょうね。
ここはパラダイス要素が強めの街です。
要はキャバクラ街です。いや、もう少し過激なほうでしょうか。かつてはこのあたりにピンサロが複数ありました。
岐阜駅そばに金津園というソープ街がありますが元々金津園は岐阜駅そばにあったのではなく西柳ヶ瀬で遊郭を開設したのが始まりです。
西柳ヶ瀬の遊郭は終戦前に移転させられますが「風俗は滅びぬ何度でも蘇るさ!」という感じで戦後西柳ヶ瀬は風俗街となりました。
おそらく今の金津園があるところは赤線街で西柳ヶ瀬は青線だったのでしょう。売春防止法施行後金津園はソープ街に、西柳ヶ瀬は飲食店らしからぬ飲食店、いわゆるピンサロ街に発展していったようです。
もちろんピンサロだけじゃありません。
居酒屋にスナックにパブ、それにキャバクラ。セクキャバにオッパブ、韓国エステに中華エステ。
後半がほぼ風俗店。
岐阜駅前に東海一でかいソープ街があるのに柳ヶ瀬もほぼ風俗街だったのです。
柳ヶ瀬の中心でムラムラってなったとしても岐阜駅まではちょっと遠い。そのような人向けに飲食店らしからぬ飲食店が柳ヶ瀬にはあったのでしょう。それと値段の高いソープより手軽で安いピンサロ。安くチャチャッと済ませたい人には柳ヶ瀬にあったピンサロが最適だったのでしょう。そんなわけでここには過激な店が多かったのです。10軒以上のピンサロがあったでしょうか。
状況が変わるのは大震災のあった2011年頃。岐阜県内で国体を開催することを受け、岐阜県警が違法風俗店の一斉摘発を行いました。
オリンピックや万博などイベント時に摘発されるのは性風俗店の宿命です。大阪でも万博に向けて松島新地が摘発されました。そもそも大阪にソープがないのは花博が理由です。岐阜にあったソレも浄化作戦で摘発されました。
国体開催に向けて風俗店を3軒摘発。不備のあったキャバクラ店に行政指示をしてます。このようにして西柳ヶ瀬の風俗店は壊滅しました。
いや3軒しか摘発されてないけど!
そう。浄化作戦で店は摘発されましたが、そもそもそれ以前からピンサロは閉店してました。引導を渡したのが国体の摘発だったってだけ。消えるべくして消えたのでしょうね。もう西柳ヶ瀬にはピンサロはありません。

いや、残ってる。
岐阜ではピンサロのことをキャンパブといいます。まぎれもなくこちらはキャンパブ。潰れたのに残ってます。
いや、もしかしたら看板そのままなだけかも。摘発から14年も経ってるのに?
看板はそこまで古くなさそう。こちらのお店がやってるかは確認が必要です。もしかしたら繊維業で栄えた当時を味わえるかも。
そんなことより繊維業者。
仕事終わりに一杯、取引業者の接待。どんな接待してたん?

こちらはキャンパブの隣にある路地「柳ヶ瀬センター」ってところです。ここにも3年前に訪れてます。
ここはかつて私娼窟だったところで以後スナック街になったのでしょうか。現在は廃虚となっています。

以前立ち寄った時より酷い状態になってます。雰囲気の良い路地ですが崩壊寸前の状態です。廃虚ツアーで人気スポットのようですが崩壊具合が危険レベルに達しています。
2023年末に空き家対策特別措置法が改正され管理不全空き家に対し行政指導ができます。ここも行政指導がはいるかもしれませんね。この景色もいつか見れなくなるのでしょう。

3年前に柳ヶ瀬に立ち寄った時は土砂降りでした。そのためアーケードの中を散策しただけでしたがアーケードから脇に延びる路地。むしろこっちの方が西柳ヶ瀬っぽさがあります。
8割がシャッターが閉まっているシャッター街といわれる西柳ヶ瀬。でもそれはアーケードの店を指してるのでしょう。脇にそれるとスナックの看板が結構あります。
かつてはこのスナックに混じってピンサロ店があったんでしょうね。でも摘発で壊滅してしまいました。
そこにあったサロン店。
西川口を源流とした秘儀「NK流の一派」ではなかったのに摘発されたんです。
なんで飲食店なのに摘発されるのでしょう。
飲食店?
なんで健全店なのに摘発されるのでしょう。
健全店?
だって似たような店、どこでもあるじゃん。
警察の匙加減で市民の楽しみを奪う。国家権力が憎いです。

リーマンから後期高齢者まで。
ゆりかごから墓場までみたいなノリ。
地方の高齢化を物語ってます。
摘発以前にすでに衰退していたピンサロ。その理由はこの高齢化なのでしょう。若い人には飲食店でパンツ脱ぐなんて理解されないしいつか消えゆく業態だったのでしょうね。

こちらが柳ヶ瀬商店街の外れです。街の外れにある銅像。こちらの像は岐阜出身の彫刻家・神戸峰男氏作、タイトルは「輝き」です。
夜に輝くネオンが夜空に輝く星と同じ。
スタープレイスという地にふさわしい像です。
下着姿の女性の像。
スタープレイスという地にふさわしい像です。

ここがアーケードの外れですがその先にはまだ気になるお店があります。こちらにはヌード劇場と書かれた看板があります。

まさご座ができたのは終戦後の昭和22年。
元々は芝居小屋として始まったそうです。しかしテレビの普及とともに客足が低迷。その際にストリップへと変更したそうです。
75年以上の歴史があるってすごいですね。東海三県では唯一のストリップ劇場。見た目はキレイだしちょっと気になります。

朝日劇場という成人向けの映画館があります。
ネットで手軽にエッチな動画が見れる時代にあえて劇場で観賞する。
粋ですね。
ちなみにこの劇場の上はビジネスホテルなんです。なんというユーザビリティの高さなんでしょう。
そしてこちらの劇場、ハッテンバなんだとか。
なんというユーザビリティの高さ。

スナック、パブ、キャバクラ、ラウンジ、ガールズバー、クラブ、ホスト、コンカフェ、ストリップ、ポルノ映画、ハッテンバ、ピンサロ。

なんでもありそうな西柳ヶ瀬。なんでもあるからこんな店もあります。こちらはサリサリストア。
ここはマニラか!

フィリピンパブは地方の飲み屋の代名詞。ここ西柳ヶ瀬にも赤と青と白の国旗を目にします。そこで働くキャストはフィリピン人。そのためフィリピン人向けの店があるのですがサリサリストアはレアじゃないでしょうか。この店があるってことはフィリピンパブ、営業してそうです。

でも西柳ヶ瀬は夜の街。日中は営業してない店が多いし客もいません。これでは街の様子もわからない。営業してるか判断するには夜に来るしかないようです。

ってことで夜に来てみました。
時刻は20時少し前。
夜の街がはじまる時間帯ではないでしょうか。
商店街の様子は変わらず静かです。
ほとんどのところがシャッターが閉まっています。この辺りは普通の店舗。そのためこの時間は営業していないのでしょう。営業しているのは薬局と居酒屋くらいです。

キャバクラやラウンジっぽい店がありますが今日はお休みなのでしょうか。

こちらは西柳ヶ瀬です。
人はボチボチ歩いています。一応看板に電気がついているところもあります。

でも無料案内所が閉まっています。案内する店がないってことなのでしょうか。

明かりがついているのはカレー屋くらいです。

パチンコ屋も閉店しちゃってるみたい。
駅が近くないのに駐車場のないぱちんこ店。
地方では営業が難しいのでしょう。ちなみにこのパチンコ店は5年前に閉店してます。5年も前ですが看板は残ったまま。街の新陳代謝がされていない証拠です。

ほとんどの店が閉まっています。
営業していたのは先ほどのカレー屋くらい。
あと営業しているのはカレー屋くらい。
カレー屋しか営業してねぇ!西柳ヶ瀬、南アジア人街。

さて気になっていたキャンパブ屋さん。
なんか営業してそうな雰囲気ですが明るいのはサリサリストアの方。この時間営業してないってことは閉店してるようです。

柳ヶ瀬にあったキャンパブ。
調べたところ2011年に全店閉店してます。つまりこの看板、14年前から放置されたまま。トリチウムの半減期は12年なのに放射性物質以上に放置されたままのキャンパブ。ここは震災当時のままの状態で残ってます。

日本一のシャッター街の名に恥じぬシャッター閉まり具合。
営業しているのはカレー店とカレー店でした。

一応路地に入ると営業してる飲み屋はあります。でも数はかなり限られている感じです。
店が営業してないから客が来ない。
客が来ないから店が営業できない。
少子高齢化で飲みに来る人が少ない。
そもそも人口が少ないので人が来ない。
そして駅から離れているのでアクセスが悪い。
車で飲みに行けば代行を呼ばなきゃならない。
ないない尽くしの結果が今の西柳ヶ瀬なのでしょう。

むしろ東側の方が明かりが灯ってる店が多いです。こちらは弥生町・小柳町界隈です。人通りは少ないものの営業してる店は多いです。

キャバクラっぽいところもあるしフィリピンパブもあります。

こちらは御浪町・美殿町界隈。
通称東柳ヶ瀬と呼ばれる地域です。
御浪町発展街と呼ばれる路地。なんかハッテンできそうな感じ。

東柳ヶ瀬も飲み屋街のようです。
クラブやスナック的な店の看板が目立ちます。西側より東側の方が雰囲気がよさそうな感じ。でも夜の街にしては少し寂しい感じです。感染症によりこうなってしまったのか。それとも以前からこんな感じだったのか。おそらく以前からこんな感じだったんでしょうね。
岐阜市の人口は39万人とのことです。
これ、人口の割に飲み屋街が大きいと思うんです。しかも岐阜駅北口側にも飲み屋街があります。そりゃ客が分散されるでしょう。
とくにアクセスしづらい西柳ヶ瀬。よほど魅力的な店がない限り客は来ません。以前はキャンパブという特殊な飲食店がありましたが、それだけでは客が集まらないのでしょう。ただでさえ飲みに行く人が減っています。私も最近この手の店はあまり行かなくなりました。行ってはいるみたい。
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在住外国人の5割が中国人の美浜区にあるチャイナタウン「稲毛海岸」

本日は千葉県美浜区に来ております。
こちらはJR京葉線の稲毛海岸駅です。
1986年にできた駅。
稲毛海岸駅は海岸って駅名に入ってある通り比較的海岸そばにある駅です。というより駅がある美浜区は全域が埋立地でかつては浅瀬だったところです。埋立がはじまったのは1950年以降。日本は高度経済成長期で都市人口が増加、千葉市も1950年代の人口は20万人でしたが60年代には50万人近くまで膨れ上がります。そのため宅地開発が急務となりこの辺りにも多くの団地が出来ました。

稲毛海岸の辺りが埋め立てられたのは1964年。1966年には稲毛団地ができます。
その後千葉海浜ニュータウン構想が立案され1970年以降に高洲高浜地区に団地ができます。80年以降には大型商業施設ができ、京葉線開通により稲毛海岸駅が設置されました。
稲毛海岸地区の人口は10000人。
高洲地区の人口は約25000人。
高浜地区の人口は約14000人。

ちなみに美浜区の人口は15万人なので約3割がこの界隈に住んでいるようです。
都心に通いやすいし千葉の中心にも出やすい。
住むのに悪くなさそうです。

築50年を超える建物もありますが新しいマンションもできているようです。

この界隈に建っているのは公団住宅。UR賃貸住宅です。
URのあるところ、外国人あり。
URは保証人不要。保証人を用意できない外国人は便利な賃貸物件です。そんなわけでURがあると外国人割合が高くなります。
千葉市の外国人住民数は41000人もいます。千葉市の人口は約100万人のため外国人割合は4%以上と全国的にも高めです。とくに千葉市の中心の中央区は外国人住民が多く9300人と市全体の22%を占めます。
でも美浜区の方が中心地よりも外国人が多く10400人、25%を占めています。そして美浜区に1万人いる外国人多くが稲毛海岸のこの界隈に住んでるようです。
URは保証人が不要で外国人でも入居しやすい。このように誰でも入居できそうな感じですが、保証人が必要ない分、入居審査は厳格でだれでも入居できるわけではありません。当然収入証明は必要だし預貯金の確認もあります。また外国人の場合は在留資格が永住者や中長期滞在者に限られます。つまり不良外国人のような人が少ないのです。収入があって身元もはっきりしている人。なんだったら日本人より優秀な人なのでしょう。
もちろん文化の違いでトラブルになるかもしれません。でもちゃんと共存できているようです。
このように稲毛海岸の辺りは外国人が多いようですがこの辺りは少し特殊なようです。
美浜区の外国人数は10400人で千葉市トップ。
最近だとベトナム人が増えているのでしょうか。美浜区の外国人の割合で一番多いのが中国人。
中国人はどこにでもいます。どこの自治体でも中国人が割合が一番多いです。でも美浜区の中国人割合は非常に高く外国人の5割以上が中国人のようです。つまり稲毛海岸は千葉にあるリトルチャイナなのです。

こんな感じで標識があります。こちらには日本語と英語と中国語がかかれてます。中国人が団地に多く住んでいるからなのでしょう。

中国人は5000人超えですがベトナム人は1000人程度。中国語よりベトナム語の方が上に書いてあります。ベトナム人に注意喚起しなければならないのでしょう。
ベトナムも分別がされるようになりましたがついこの間まではゴミを分別せずに捨ててました。
ゴミかゴミじゃないか。
ゴミの扱いが自国では適当だったため団地のゴミ問題でトラブルとなるのでしょう。

稲毛海岸駅前にも中華要素があります。
駅前にある中華飯店。東北中華料理のお店のようです。日本語表記もあるけれど中国人向けのような雰囲気がある店構え。

こちらは中国ガールズバーでしょうか。フリガナ振ってないとわかりづらい店名。居酒屋って書いてあるけど居酒屋要素薄め。

ぜんぜん日本人が対象じゃなさそうな感じ。
普通の中華料理じゃ満足できない人のためにこういったお店もちゃんとあるようです。

こちらにはインターナショナルパブがあります。
結構稲毛海岸駅前、怪しい店が多い。
郊外の住宅地の中にある駅だと思ってましたが店があるってことは需要があるのでしょう。やはりここも例に倣い中国人パブなのでしょうか。

日本、フィリピン、ロシア、ルーマニア、コロンビア、ブラジル。
中華要素ゼロ。
そりゃそうです。だってこの店はインターナショナルパブです。中国人から見たインターナショナルパブですから中国人がいるはずありません。その代わりに日本人が含まれているんです。
日本なのに日本人をガイジン扱い。ここがリトルチャイナだという証拠です。

こんな感じで中華要素が強めの稲毛海岸。最深部へ行くとさらに中華が強くなります。こちらは駅から10分くらい歩いたところ。住所は美浜区高洲1丁目。埋め立てられた際に最初にできた団地のそばです。
マイショップ高洲と書かれたアーケード街。
今では稲毛海岸駅から徒歩10分の立地ですが駅ができたのは1986年。それ以前の最寄り駅はJR稲毛駅でした。駅から2kmほど離れていたのです。
また埋め立てられたばかりで周りに商店がない。そのためこのようなアーケード街ができたのでしょう。

自転車店、米屋、青果店に中華料理店。

こちらの店は街中華っぽい感じ。
よくある日本の中華料理屋。

でもこちらの方は中国料理って感じ。
日本向けの感じじゃない。

青果店もなんかイメージと違って中華要素が強め。日本向けの感じがしない。
もともとはこの界隈に住む団地の人たちが買い物をするためのアーケードだったのでしょう。しかし稲毛海岸駅ができ駅前にデパートができる。商店街の役割は徐々になくなり店が閉店し、空き店舗に中国人が入居した感じでしょうか。ここは中華街なのでしょう。

中華街だけど日本人向けじゃない感じ。
麺料理のことを面食とは言いませんからね。ここはこの辺りに住む中国人向けの店のようです。
日本の中華料理屋では見かけない料理のラインナップ。

この界隈には居抜き店舗に中華店が入居してます。薬局やクリーニング屋だったところが中国料理屋になっています。

アーケード街の向かい側。こちらも中華飯店があります。ぜんぜん日本じゃない感じ。右上にひらがなが見えますが日本語の塾でした。

「宝蒂自由空间嗨吧」と書かれた案内板。
何かいてあるか全く読めない。でもなんか感じるものがある。右の挿絵が物語っている。なんか姑娘に会えそうな感じがします。
ここはリトルチャイナ。
中華料理以外にも中国要素があって然るべきです。
当然そういう店があっても問題ありません。でも案内の様子から日本人は受け入れてなさそう。
こんな感じでこの界隈は中国要素が強めです。せっかく中国要素が強めの街にいるんです。本場の中華食べたいですよね!

ってわけでこちらの店に訪れました。
こちらは揚州地方の料理屋さんでしょうか。
揚州は長江の下流部に位置する都市。長江を揚子江と呼ぶのは揚州からきています。上海に近いため上海料理に似ているようです。

麺を選べるシステム。
ここはやはり中国らしく揚州麺を選ぶべき。

こちらが酸辣湯麺。
ふわふわのタマゴに味が染みたしいたけ。酸味と辛味のあるスープとそれに絡み合う麺。
この日本っぽくない味付け。なんか中国に来た感じがして美味しいです。
日本の料理も美味しいけれど、さすがは中華4千年の歴史がある中国料理です。これはリトルチャイナじゃなきゃ出会えない料理です。
日本には中華料理店がどこにでもありますがこういうのは中華街じゃなきゃ食べられません。稲毛海岸の人は気軽に食べられていいですね!
ちなみにこちらのお店、関東に38店舗あるチェーン店でした。ぜんぜんここの中華街関係なかった。
そういえば歌舞伎町で見たことある看板だった。
戦前に中国から渡ってきた人が始めた店なのでこちらの店も中国要素がある店舗です。でも、ここで食べなくても食べられる店。なんかちょっと複雑。
っていうよりそもそも酸辣湯麺って日本で作られた日本式中華料理だった。
東京の赤坂にある中華店が発祥で1970年頃にできた料理なんだとか。
メイドインジャパンの中華。
酸辣湯は中国の料理でごく普通に飲まれてますがそこには麺をいれないんだとか。要は味噌汁に麺をいれて食べてる感じでしょうか。
つまり中国関係ねぇ。
でもそういうのがあるのもリトルチャイナだから。
中国人が多いけれどもここは中国ではなく日本の千葉です。そのためこういった店があるのも当然です。
でもなんか解せない。
せめて中国っぽいの食べたかった。
つまり私は、「これがイタリアの味か。地中海の海風と太陽を浴びた食材を使った料理。この飾らない感じ やっぱりイタリアって感じよね」って言いながらナポリタンを食べてるのと同じ。
サイゼリヤで食レポしてそう。
この付近の中華街の中で一番入りやすそうなところを選んだのですがそりゃ入りやすいです。だって日本人向けの店なんですから。でもまぁ、リトルチャイナ味わえたんじゃないでしょうか。料理はおいしかったです。
本日は美浜区にあるリトルチャイナを巡りました。中華街のような感じではありませんが中華店が複数あるので通う楽しみが出来ました。
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なぜか特殊なお風呂屋さんがある森鴎外らが愛した高尚な街「文教都市稲毛」

本日は千葉県稲毛区に来ております。こちらは総武本線の稲毛駅です。
千葉駅にも出やすく都心にも通いやすい稲毛区。南側には京成線もあるし少し離れますがさらに南には京葉線もあるんです。
また稲毛区には千葉大学があります。ほかにも大学が複数ある地域で稲毛区は文教都市と呼ばれているそうです。
駅前に風俗店があるかな?って思ったけどどうやらキャバクラすら見当たりません。探せば多少はあるのでしょうが飲み屋街のようなところはなく至って真面目な街。
稲毛駅は真面目な街なんです。
夜遊びができない街なんて存在意義がないじゃん。
やっと自宅最寄り駅に帰ってきたって気持ちが落ち着いたのにご褒美が何もない。せめてマッサージ店くらいあってもいいじゃない。
学生だって抜きたいはずです。
学生だって息抜きしたいはずです。

稲毛区は初めてです。そりゃそうです。
住宅街がある地域だし縁もゆかりもない文教都市。私にとっては詰まんない街。でもせっかく来たんですからちょっと散策します。

稲毛って地名。
古代の官職名「稲置(いなぎ)」が由来みたいですが充てる字、間違ったんじゃないでしょうか。なんか毛が生えてる感じがする地名です。
ちなみに東京には稲城市があります。
稲城市の辺りはもともと稲毛氏の所領だったためそれにちなみ稲毛村の名称にする予定でしたが、その名で申請したところ却下されたんだとか。許可されなかったのは「毛」だったからでしょう。なんかちん毛みたいなかんじじゃないですか。
たぶん稲毛に住んでる人も思ってるはずです。私の住んでるところ「毛」なんだよなぁって。「毛」って字は普段使わないですよね。ちん毛っていうときに使うくらい(いやちん毛なんて普段滅多に使わない)。字面があまり良くないんですよね。

ほらこちらの店なんか毛のようそ無くしちゃってるし。ベトナム人にだって毛の要素を消されてる。

こっちのビールも毛の要素を消されてる。飲食店で毛がはいるとイメージが悪いですからね。どこも毛の要素は消したいのでしょう。
でも室町時代の頃から呼ばれていた稲毛。
変わることはないのでしょう。

こちらは稲毛せんげん通りです。
せんげんの名前の通りこの道を進むと浅間神社に行けます。ここは参道みたいなところでしょうか。
浅間神社の最寄りは京成線の京成稲毛駅ですが駅ができたのは大正時代。総武線の稲毛駅は明治の頃にできているため、かつてはこの道を歩いて行ったのでしょう。浅間神社までは1kmちょっとあります。少し長めの参道です。
かつては商店が軒を連ねていたのでしょう。今はだいぶ静かな街並みとなっています。とはいっても飲食店はあるし飲み屋もあります。

京成稲毛駅のところまで来ました。
浅間神社まではあと200mほどです。鉄道が開通したのは明治大正。それ以前は徒歩移動でこのせんげん通りは房総往還のルート上でした。
船橋から館山までをつなぐ房総往還。千葉は海上交通が盛んでしたが歩いても行けるんです。街道沿いのこの界隈は賑やかだったのでしょう。

今は商店がかなり少なくなっているようです。コンビニが一軒、スナックに床屋、時計店に花屋、寝具店に電器店。個人商店がいくつか残っていますが静かな街並み。
稲毛駅の北側にはイオンがあります。個人商店で買うよりもスーパーの方が便利。そんなわけで客はイオンに取られてるんでしょう。競合店があると個人商店は淘汰されてしまいます。この街も岡田家によってイオン化されています。

こちらが稲毛浅間神社です。
同社の創建は808年。富士山の浅間神社から勧請したのが始まりです。
現在は海まで遠くなっていますがかつては国道14号線の辺りが海岸線だったので東京湾の目の前にあった稲毛浅間神社。
富士山に向かうように本殿が建てられたんだとか。

こちらが浅間神社の社殿です。
現在の社殿は1966年に建てられたものです。
ご祭神は木花咲弥姫命。
女神様なのでご利益は安産祈願や恋愛成就など私には縁もゆかりもないご利益ですが意味なく手を合わせます。

かつて海のそばだった浅間神社。
松林の生えた公園があります。もともとは防風林だったのでしょうが今はキレイな松林となっています。
今は住宅街となっていますが明治初期は県内初の海水浴場ができ稲毛海岸はリゾート地だったそうです。海風が流れ込む稲毛は避暑地としても有名で島崎藤村や森鷗外など 多くの文人が滞在したんだとか。
東京から程よく離れた稲毛は滞在に適していたのでしょうね。
文教都市といわれるようになったのは文人たちが愛した稲毛だったから。稲毛は古くから高尚な街だったようです。
さすがは文教都市稲毛。
私のような低俗な人間が来る場所じゃなかった。でも本日この街に訪れたことで多少は俗っぽさが消えたかな。
かつては高尚な人が集まるところ。文人たちが稲毛海岸に集まっていたのでしょう。
文人たちが執筆に勤しんでいたんですね。

文人たちが好きそうな店。
なぜかこんなところにあるソープランド。
本日の目的地、ここでした。
やっぱり私は低俗な人間だった。
以前からすごい気になっていたんです。千葉の風俗街といえば千葉駅そばの栄町。栄町はソープ街となっています。
でも千葉ってポツポツ店があるんです。
五井、姉崎、船橋、松戸。
住宅街の一角にソープランドがあるんです。そして稲毛海岸のソレも住宅街の中にあります。
といっても街道沿いでここは参道です。かつては人通りも多かったのでしょう。

同店ができたのは1960年代でしょうか。戦後だし売春防止法施行後にできたお店です。でもここにこのような店ができたのは、かつてこの辺りがリゾート地だったからでしょう。リゾート地にそういった店がなければそこはリゾート地じゃないんです。
かつて熱海温泉が人気だったのはソープランドがあったからです。
社員旅行で熱海温泉に行くバブルのころはそういうのが恒例でした。
でも手前に箱根あるじゃない?
手前に湯河原があるじゃない?
それでも熱海に行く理由、秘宝館とストリップとソープがあるからでしょう。保養地やリゾート地にはエロがつきものなんです。
稲毛海岸も明治のころはその手の店が多かったのでしょう。
たぶんストリップ的な店もあったはず。
たぶん秘宝館的な店もあったはず。
たぶんあいまいなお店もあったはず。
そしてこのソープランドはその名残りなんです。
明治の文人は遊郭が好きなんです。ある意味私と同じ星に生まれた人たち。森鴎外も島崎藤村も遊郭に出入りしてたそうです。
稲毛海岸の景色を見て松林が素敵だね、海がきれいだねって言いながら一日を過ごす。
たぶんソレ、一日で飽きる。
ゆっくり休んだあとはたっぷり遊びたいじゃん。でも当時は鉄道もなく吉原までは遠い、栄町にもソープがなかった時代。そんな何もない場所に長期滞在はできません。でも鴎外や藤村が長期滞在できたのはそこに遊郭と似た店があったからなのでしょう。ここは鴎外や藤村が使ったかもしれない店と同じ。
つまり両名と同じ体験をこの店に立ち寄ることで私も文人になれるかもしれないんです。
形は違えど同じ文字を書くのを生業としている私。
やはりこれは聖地巡礼をするべきですよね!






















































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