柏は渋谷よりも素晴らしい!変わりゆく東の渋谷の現在

本日は柏市にきてます。
こちらは柏駅です。JR常磐線と東武鉄道野田線が乗り入れる柏駅。
一日の駅利用者は20万人もいるそうで県内だと西船橋に次いで二番目に利用者が多い駅。柏駅は首都圏の主要駅です。
このように柏が賑やかとなったのは鉄道が開通してからでした。
柏駅の近くには国道6号線が走ってます。
国道6号線は水戸につながる水戸街道。水戸街道は江戸時代に整備された脇街道の一つで鉄道が開通する前は人の往来が激しい街道でした。そんな街道沿いにある柏。それであればその頃から栄えてそうですが宿場指定はされておらず街道沿いに家屋が点在する程度の寒村だったそうです。都市が形成されたのは明治以降。鉄道が開通したことにより発展したんだとか。
今では人口43万人。
千葉県内で5番目の規模となりました。
そしてきれいに整理された街並みなので、
住みたい街ランキングで堂々の一位(千葉限定)。
ブランド力があるランキングで一位(千葉限定)。
街の幸福度ランキングで一位(千葉限定)。
イケてる街ランキングで一位(千葉限定)。
こんな感じでランキングを 総なめしてるんです。だいぶ絞り出した感のあるランキング。
実際に千葉の中では質の良い街なのでしょう。
だって柏って「東の渋谷」って呼ばれてるんです。
駅前にマルイがあったしなんか渋谷っぽい。
若者が集まってるからなんか渋谷っぽい。
とりあえずなんか渋谷っぽい。
いやいや柏は渋谷とは違うでしょ。マルイがあった?若者が集まる?
それでなぜ渋谷を称するんだい?
柏は渋谷よりも素晴らしい街じゃないか!
駅前にあったマルイはもうないけど駅目の前にあるのは家電量販店と衣料品店だけど、渋谷よりもすごいんです。

こちらは柏二番街です。
地方のアーケード街の多くは寂れていますが柏のソレは比較的賑やかのようです。
商店街の中にあるのはドン・キホーテとパチンコ店。
質の悪そうな若者が利用してそうな店。
渋谷の質が悪い部分だけを継承してる東の渋谷。
昔ながらの商店街って感じじゃなさそうです。飲食店と飲み屋、ゲーセンにカラオケ、それにチェーン店。寂れてはないですが商店街と呼びづらい町並み。昔は八百屋や鮮魚店、精肉店があったのでしょう。でもそのような店はなくなったようです。
都心に30分で出れる柏。
ほぼ都心といってもよいのですが柏駅って来る機会がないんです。
常磐道で柏インターは頻繁に通るし降ります。そのため柏市には来てるんです。でも高速と柏駅って結構離れてるじゃないですか。そして柏駅に行く国道16号線は万年渋滞。さらには駅の周りに駐車場が少ない。
路線が少ない柏はほかの郊外同様に車社会です。柏の葉の方が街が新しいし使い勝手が良く駐車場も整備されてるし都心に出やすい。柏市民も買い物はそっちに行くのでしょう。そんなわけで駅前の商店街は商店が少ないのです。でも柏の葉のように最近栄えた街とは違い。明治以降に栄えた街。130年の歴史があるんです。そのため古くからある街並みが伺えます。

こちらは東口の歓楽街の中にある柏神社です。
創建は1660年ころ。柏神社は羽黒神社と八坂神社を合祀した神社で祭神は須佐之男命、稲田姫命、月読命、大山祇命、大己貴命、少彦名命 伊氏波神、稲倉魂命。
めちゃくちゃ神様が多い。

ご利益は諸願成就 農業守護、五穀豊穣、海上安全、安産、健育保護、縁結び、子授、金運、商売繁盛、交通安全、病気平癒、身体健全、国土平安、国家安泰、家内安全、大願成就、厄除、災除、一家安泰。
めちゃくちゃご利益があるショッピングモールみたいな神社。

この神社の周りが 繁華街となってます。
神社の裏手、旧水戸街道から郵便局通りの間、そのエリアは「裏カシ」と呼ばれています。裏原のオマージュみたいな名称。
大型店舗が軒を連ねる駅前が表の柏に対し裏柏はセレクトショップや個人店が多いんだとか。この辺りが裏柏になるのでしょうか。

フィリピンパブとガールズバーがあります。
ある意味セレクトショップのフィリピンパブ。

それと高級リラクゼーション。
質の悪い裏原宿。
これは本家裏原にはねぇラインナップ。
古着屋や衣料品店があるエリアと並んでこの界隈は飲み屋が多いエリアとなってます。まさに飲み屋街といったところ。ここは東の道玄坂。ってことはそっち系の店もこの界隈にあるかな?

こちらは駅前商店街を抜けた先、レイソルロードの近くにある雑居ビルです。

職業、キャバ嬢。
なかなか大手を振って言える職業じゃないけどどんな仕事も素晴らしい。どのような仕事も尊い。職業に貴い卑しいの別はありません。
仕事を誇りに思い言える世の中はいいですね。
ちなみにキャバ嬢は日本標準産業分類では接客社交係になります。
職業、接客社交係。
どんな仕事してるかわからない。
これならキャバ嬢って言った方が締まりがある。恥ずかしくないし内緒にすることでもない。
職業、キャバ嬢。これでいいんです。

こちらのビルはキャバクラ以外にサロンとエステがあります。
職業、ピンサロ嬢。
恥ずかしくないし内緒にすることでもない。
さすがは東の道玄坂と呼ばれる柏。ちゃんとこういう店が用意されてます。なかなか大手を振って言える職業じゃないけどどんな仕事も素晴らしい。どのような仕事も尊い。職業に貴い卑しいの 別はありません。仕事を誇りに思い言える世の中はいいですね。
ちなみに日本標準産業分類ではサロンとエステは同じリラクゼーション業。
ピンサロ嬢は接客社交係じゃないんだ。サロンなのに?
ピンクだからだよ!

ナイショではじめる高収入アルバイト。
職業、ピンサロ嬢って言えないナイショのアルバイト。
サロンなのにナイショにしなきゃダメなの?
ピンクだからだよ!

こちらは郵便局通り柏銀座通りの辺りです。
この界隈も飲み屋が比較的多いエリアです。こちらにはセクキャバがありますが以前この界隈は韓国系のお店があるエリアでした。ここは東の新大久保と呼ばれてたのでしょうか。
柏市の外国人割合は6%ほどで千葉県だと5番目で全国的にも外国人が多いです。国籍は中国、ベトナム、フィリピン、韓国の順。
ほかの地域と似たような順番ですが市在住韓国人は1000人程度しかいません。この1000人には特別永住者も含まれます。
ちなみに川崎は7000人ほど住んでおり半数以上が川崎区の一部地域に集中してます。そのため川崎にはコリアタウンがあります。柏市はそこまで多いわけではないのですがコミュニティがあったのでしょう。

ここがコリアタウンだったのでしょうか。
ちなみに当時からセクキャバはあります。
まるでセクキャバがコリアタウンみたいな言い様。

ちなみにこちらのビルにはサロンもありました。
まるでサロンがコリアタウンみたいな言い様。

サロンもセクキャバもありましたが焼肉屋や韓国料理店が多かった地域。でも今はだいぶ韓国要素が薄れたようです。
とはいっても韓国系の店はあります。

こちらはパブでしょうか。

こちらにもパブがあります。
韓国系水商売の店が多い。やっぱセクキャバは韓国系なのかも。

そんなことはありません。ちゃんと普通のコリアタウン要素はあります。
こちらには大阪鶴橋と書いてあります。
青と黄と赤色の線。まるでどこかの宗教学会の旗の色。
ここは聖教系の店かな?って思いますが違います。
これは韓国の三太極の色です。鶴橋はコリアタウン。そのためこちらも韓国なのでしょう。

まだちゃんとコリアタウン要素があるようです。

こちらにはラブホテルがあります。
まるでコリアタウンにラブホがあるような言い様。コリアタウンだからラブホがあるわけではありません。

こちらは新大久保。
コリアタウンにラブホはあった。
大久保のソレもそうですがラブホテルって一か所にまとまってるもんです。その理由は風紀が乱れるから。例えば学校のそばにはラブホテルは作れません。役所のそばもラブホテルは作れない。そんなわけで一か所にあつまるんですが柏ってラブホが点在してるんです。

こちらは駅近くにあるラブホ。

こちらは飲み屋街の一角にあるラブホ。
ラブホへのアクセシビリティが高い柏。あっ!っときた時いつでもアクセスできるラブホ。
柏駅の東口側は飲食店が結構ある地域。それに混ざってラブホだったりエステだったり。いろんな店がある感じです。駅前はチェーン店が多いけど少し離れると個人の店が結構ある。ごちゃごちゃした感じは結構好きな街並みです。買い物はロードサイド型だけど遊ぶなら柏駅前へ。駅前ですべてが済ませられるのはいいですね。柏駅の東口、案外悪くない。

こちらは柏駅の西口です。
東口は飲み屋街があるエリアでしたが西口は住宅街への入り口のようなところです。
出勤時間帯はこちら側の利用者の方が多いです。
柏駅はもともと東口側の出入り口しかなく西口側は田畑や森があるだけでした。
西口が発展したのは戦後。高度経済成長期に宅地開発されました。今では多くの人が住んでるのでしょう。しかし交通機関は脆弱で駅から遠い人の交通手段は路線バスになります。そのため出勤時間帯は頻繁にバスが往来し西口側は混雑しています。

こちらはあさひふれあい通りです。
国道6号線と駅をつなぐ主要道路で人通りは多め。
商店街になっており飲食店が結構あります。
仕事終わり柏駅から自宅へ向かう。その前に一杯ひっかけてく。そんなお店がこの界隈にはあるのでしょう。触れ合える街だからふれあい通り。そんな商店街なのでしょう。

ほら、最強キャバクラ(柏西口限定)。
触れ合い方に偏りがある。
なんかこのあたり、キャバクラが多めです。
またこの界隈にはセクキャバもあります。正真正銘のふれあい通り。ふれあい通りではなくおさわり通り。

ガールズバー、クラブ、ラウンジ、スナック。
一通りの飲み屋がそろってます。
柏駅、西も東も飲み屋街だった。
そりゃそうです。
柏は東京のベッドタウンです。一日仕事で疲れ、やっと柏駅に帰ってくる。家まであとちょっと。でも仕事で消耗した心、ちょっとでも癒したい。それを癒してくれる店がここにはあるんです。
柏駅には東口側に飲み屋街があります。
でも駅からちょっとだけ離れてるんです。西口側に住んでる人にはちょっと遠い。だから西口側にも飲み屋街ができたのです。
あっ!っときた時いつでもアクセスできる飲み屋。
飲み屋もラブホもどこからでもアクセスできる柏。
飲んだ後その勢いでホテルに行くこともできるし飲まなくたってその勢いでホテルに行ける。これが渋谷と違うところ。柏は東の渋谷じゃないんです。
飲み屋が多い柏駅西口側。こちら側も案外悪くない。
でも以前とは少し変化しているようです。
私は3年前にここに訪れています。
そのときはこのような看板がありました。

キャミパブと書かれた看板。
なんかキャンパブっぽい音の響き。でもキャンパブとは違うのでしょう。
おそらくキャミソール姿の女性が接客するランジェリーパブのような店だったのでしょう。
最近じゃランパブなんて言葉は耳にしなくなりました。ここにあった店は古くからやってたのでしょう。

いやこれはキャミソールじゃなくバニー。
バニパブじゃねーか。
看板の雰囲気は平成初期のころ。数年前まではバブルの雰囲気が味わえました
。しかしおさわり禁止のバニパブ。ふれあい通りには似つかわしくないのか店はもうありません。
このようにお店は変わっています。
とくにランパブはグレーな商売。クリーンな街を目指す商店街には不適切です。
そんなわけで淘汰されたのでしょう。

ちなみにふれあい通りには以前ピンサロがありました。
ピンサロへのアクセシビリティも高い柏。
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まさに桃園の誓い!朝陽森林公園そばの私娼窟で兄弟とともに…

本日は台湾の桃園市桃園区に来ております。
こちらは台湾鉄道の桃園駅です。
駅利用者は台北駅に次いで二番目の桃園駅。台北から30分でこれることから桃園はベッドタウンになっているようです。また台北界隈のホテルは軒並み高いですが桃園のあたりは価格が少し落ち着いています。旅費を抑えるのであればこの界隈のホテルを宿泊先にしてもよいかも。実際に私も2年前に桃園のホテルに宿泊してます。つまり今回2度目の桃園です。

台北ほど大きな町ではなくこじんまりしてますが必要なものが一か所にあるので使い勝手が良い。個人的には台北よりも桃園のほうが好きなのかも。
桃園って名前もなんかいいですよね。
なんか秘密の花園がある感じがします。桃園の名前の由来は18世紀ころに入植した広東人が土地を開拓、その際に桃の木を植えたのが始まりなんだとか。
普通に桃園だった。
かつては秘密の楽園があったと思ってましたがそうではなくリアル桃園だったようです。でも現在は駅前に秘密の花園があります。

ほら駅前にKTV。
質の悪そうな桃園駅前。
歌舞伎町にありそうな店が駅そばにあります。
仕事終わりに駅前で一杯。そういう人たちがこの界隈に立ち寄るのでしょう。

あとは怪しい喫茶店。
たぶんピンサロ的な店。
大塚駅前歓楽街のノリ。

桃園が好きな理由、これだった!
前回の桃園滞在ではこれらの店を見て回りました。
でも駅前にあるのはそれくらいしかないんです。郊外の駅前ってエステ店とかがあるはずなんです。もちろん桃園駅前にもその手の店があるのですが数が少ないんです。

あるのは大人のおもちゃ屋さん。

それと大人のおもちゃ屋さん。

それに大人のおもちゃ屋さん。
えっ!もしかして桃園市民。自家発電なの?
台湾はIT大国。だからネットで買えばいいじゃない!って思いますが自宅に荷物を送れないのでしょう。これは台湾の住宅事情が影響してるのでしょうか。土地が狭いとアダルトグッズが送れない。だからネットで買わずに店舗で買うのでしょう。

気軽に買えるおもちゃ屋さん。
台湾の繁華街には必ずあるのです。
日本だったら繁華街のそばに風俗店がありますが台湾はそのような店がありません。その代わりがこれらの店なのでしょう。これが台湾と日本の大きな違いです。

こちらの店は日本要素が強めの感じ。
日本とさほど変わらない。

見たことがある女優が飾られています。
AV輸出国ニッポン。海外に行っても日本のが見れる。これがクールジャパンの賜物です。
このように台湾人は自助で処理するしかないので駅前にアダルトショップがあるだけですが駅から少し離れたところ、怪しい街並みがあります。

エステがめちゃくちゃ乱立してるんです。

普通に風俗っぽいのがあった。怪しそうなエステが20軒以上あります。

ここは桃園の排毒街。
まさに地獄のデトックスロード。

早朝ですが営業してる店も。
営業してるというかそこに住んでそうな感じ。
これは怪しさ満点です。

でもこちらには純按摩ってかいてあります。
純喫茶みたいな言いよう。
このような表記が あるってことは不純マッサージ店が多くあるのでしょう。
やっぱり秘密の花園が桃園にはあった。でももっと秘密の花園がこの先にあるんです。

こちらは桃園十五街庄福德宮という寺院です。
同寺院の創建時期は1740年。桃園区では一番古い土神様の寺のようです。
土神様は中国の民間信仰で最も信仰される神様。ご利益は無病息災、商売繁盛、金運上昇などなど。日本の神社みたいなところのようです。
道教や儒教、仏教、シャーマニズム。様々な宗教が混ざった多神教混合宗教の民間信仰。いいとこどりの宗教といった感じでしょうか。日本人の宗教観に近い感じがします。日本も中国も台湾も無宗教の人が多いですが街中にはこのような寺院があり。信仰心がなくても手を合わせる。そういう人たちが多いのでしょう。
神社仏閣のあるところは賑やかになる。
寺院前は宝飾品を扱う店が軒を連ねています。台湾でも同じようでこの界隈は賑やかです。そして寺院の裏手、私娼窟があるんだとか。

桃園市桃園区三民路。
桃園駅から徒歩20分ほど離れたところに比較的大きな公園があります。
こちらは朝陽森林公園です。

33700平米の広さのある。桃園市最大の市営公園。木々が生い茂り緑豊かの園内。河川も整備されており生態環境が整っているのか。台湾リスらしき小動物も見かけることができます。駅から離れた公園ですが遊具もあるので子供が遊ぶこともできる。日中は親子連れの家族があつまるのでしょう。

朝の太陽を意味する朝陽と名付けられた公園。
朝日を浴びるあかるい印象の名前ですがそんな公園のすぐそば薄暗い路地の中に日の光を浴びないスポットがあります。

こちらが公園脇にある私娼寮。
桃園朝陽公園豆干厝街です。

時刻はまだ8時前。既に妖艶な光が漏れている建物があります。
店の前を通ると声をかけてくる女性。まさかの早朝営業。ここは朝陽風俗街!!
朝から風俗に行くのは日本人だけじゃなかった!
朝から営業してるからかすでに客が来ています。とはいっても客は私含め3人だけ。
2人も朝から来てる!!
台湾には三大私娼窟ってのがあり台北萬華にある私娼窟、基隆にある鐵路街、そして中?にある三仙巷。これら三つが有名なところのようです。日本でも三大ソープ街みたいに言われますがこのように三大○○と呼ばれるのはほかにも複数あるわけで当然台湾には小規模のソレが各地にあるようです。まさに桃園のここがそれにあたります。

店舗数は10軒ほどあるのでしょうか。サイズ感は大阪の滝井新地くらいです。
10軒の店が成り立つってことはそれなりに利用者がいるのでしょう。そもそも早朝なのに3人も来てますしね!
台北に行けばもっと遊べるところあるし隣駅の中?には 三大私娼窟の一つがある。
にもかかわらずあえてここに来る人たちはプロなのでしょう。

路地の中にある私娼窟。
この路地に入る人はソレ目的の人。周りから見られる心配はありません。そのためプライバシーが保たれています。でもこの路地裏の私娼窟、外側にも広がってます。
公園に面したところにも売春宿があるんです。木々が生い茂る緑豊かの自然公園に面した売春宿。

子供の教育によくない店。

なかなか利用しづらい立地。

でも店が成り立ってるってことは利用者がいるっていう証拠。ここでは売春してますよ丸出しの外観ですがそれでも気にせず利用する台湾の人たち。尊敬します。
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鶴賀新地に隣接する西鶴賀に遊郭の名残りを求めて

本日は長野にきてます。
こちらは権堂商店街そばにある秋葉神社です。
ご祭神は火之迦具土大神。火の神様をまつるだけありご利益は防火、防災。
火災が多い商業地は必要な神様なのでしょう。

長野一の歓楽街の入り口にある神社。
秋葉神社は元々商店街の西側にあったそうですがいろいろあって1897年にここに移設しました。拝殿ができたのは1897年。遊郭の人たちが寄贈したそうです。

善光寺の近くにある権堂。
長野のこの辺りは古くから栄えてたそうです。
江戸時代には街道が整備され宿場町として発展。多くの参拝客が善光寺に訪れました。当然そっち系の店もこの界隈にはあり水茶屋という遊女屋が軒を連ねてたそうです。ここで精進落としをしたんだとか。
状況が変わるのは1872年。人身売買を規制した芸娼妓解放令が施行されます。
人身売買が禁止され娼妓を解放する法律。
そのため権堂の水茶屋は娼妓を開放せねばならず廃業することとなりました。しかし人身売買が禁止されただけで自由意思による売春は禁止されてません。また遊女は借金帳消し自由の身になりましたがその後働くツテがない。そんなわけで私娼が街にあふれたそうです。そのため1875年に花街の許可がおります。
あくまでも自由意思で働く芸妓を雇うだけの置屋。そして遊郭ではなく花街。つまり権堂は芸妓がいる花街になりました。しかしその実態は芸妓ではなく娼妓。いわゆる本サロみたいな店が軒を連ねたそうです。
結局元の姿に戻ってる。
新しくできればそりゃ客も集まるわけで権堂の花街は大盛況。
しかしそうなると風紀が乱れるもので梅毒が蔓延し治安が悪化したそうです。
そんなわけで花街の規制の話も出たんだとか。
しかし娼妓を禁止すれば同じことが繰り返される。そのため郊外に遊郭を設置することにしました。権堂の東側、東鶴賀に1871年に鶴賀新地が設置されます。

この先がかつて遊郭があった場所です。
入り口脇に旅館があります。

かつて遊郭があった場所。妓楼の名残のような感じがしますが同旅館は1952年にすき焼き屋として創業しました。赤線が廃止されたのが1958年なのでその6年前にできたすき焼き屋です。当時はここで肉を食って英気を養い赤線街の中へと向かっていったのでしょう。現在は旅館業に転業したそうです。
遊郭のそばってラブホがありそうじゃないですか。そうではなく普通のホテル。
しかもファミリー旅館という家族向けの旅館です。そもそも鶴賀新地は売春防止法施行とともに廃業。以後は普通の住宅街に変わったようです。今では家族で泊まれる旅館がある街になりました。

こちらには救世軍の教会があります。
救世軍とは1865年にイギリスで設立されたキリスト教プロテスタントの一派です。日本には1890年ころに伝来してます。遊郭があったところにある救世軍。これはまた変なめぐりあわせです。

救世軍は廃娼運動をしていた宗教団体。
埼玉や群馬が廃娼県となったのも救世軍の活動が少なからず影響してたのでしょう。
長野は廃娼はせずに戦後赤線街へ。58年まで色街として営業が続きます。長野小隊が東鶴賀に来たのは1960年。売春防止法の2年後。ソープ街にならなかったのは
救世軍が関係してるのかも。

こちらには三神社という小さな社があります。
当時は遊郭の中にあった神社でしょうか。
遊郭だった手掛かりはここにある石碑くらいです。

明治十一年、東鶴賀一帯の約一万坪の地域に公許の遊郭「鶴賀新地」が設置され四十余軒の妓楼や多くの店が軒を連ねた。
このように記されてます。
遊女は400人以上いたとのことなので結構人気の遊郭だったんでしょう。
そんな人気だったのなら風俗街になるもんですが売春防止法施行後は特殊浴場街にならず普通の住宅街に変わりました。

いや普通の街に変わってない。
普通にラブホがある。
ラブホがある普通の住宅街。
ここはかつて妓楼があった場所です。そんなところにあるラブホテル。これは遊郭を感じることができそう。

こちらにもホテルがあります。
ただこちらのホテルは閉業してるようです。

私は2022年にこの場所に訪れています。
当時はまだ営業してました。閉業したってことは利用者が少ない証拠。地域によっては会議を行うために使用するラブホ。
長野市議はラブホで会議しないのかな?
ラブホは会議を するところじゃない。ラブホでするのはあんなこと。
ラブホで会議をするのは群馬県民だけだった。
最近まで営業してたラブホ。
ちょっと前までは利用者がいたのでしょう。歓楽街のはずれにラブホがあるってことは歓楽街で遊んだ後に行くのでしょうか。
長野は連れ出しできる店があります。市内にもどうやらそのような店があるんだとか。ひょっとすると近くにもそういう店があるのかも。

こちらは権堂から遊郭へ行く道の西鶴賀通りです。
約500mの道沿いに飲食店が軒を連ねてます。スナックだけでなく居酒屋も多いエリアで50軒ほど店があるんだとか。一時は衰退していたようですが近年新しいお店が できてるようです。
建物は古いけど おしゃれな感じの飲食店。
結構気になる店があります。

タイスナックを称する店もあります。
これはひょっとするとひょっとするかも。気になります。
ここは長野にあるナナプラザかも。
本場じこみのタイが味わえそう。

ハートマークが目立つエステ店があります。
これはひょっとするとひょっとするかも。
こちらは整体院です。整体院だからカイロプラクティック的なやつかな。
ちなみにこちらのお店、ピンサロがありました。
カイロプラクティックじゃなくエロティック。
飲み屋街にある怪しいエステだった。

この辺りはサロン店が結構あったようです。
こちらもサロン的な店だったそうです。
美容室のあとに入居するサロン。間違えて入店しそう。
キャンパスと書かれてあるので東海地方の流れを汲む店でしょうか。
こちらは閉店しています。

ちなみに同店のはす向かい。
似たような名称の エステがあります。
飲み屋街にある怪しいエステ。

ネオンがあるのがサロンの証。
おそらくこちらもサロン店のはず。

だいぶ前に潰れたニューメキシコ。何年も前からこの状態のようです。
もうサロンだらけ。しかもこの辺にあるサロン。一か所にまとまっておらず点在してるんです。風俗店って一か所にまとめるもんでしょ。その理由は風紀上の問題があるから。一か所にまとめるから風俗街ができるんです。
なんか長野ってそういう規律がなってない感じ。
飲み屋街全体にまばらにあるんです。
かつては飲んだついでに行ってたようです。
しかし必要としなくなったのでしょう。
もうここにはそういう店がありません。あるのは飲み屋くらい。
この界隈はスナックが多いエリアとなってます。

それとエステもあります。エステも多めだった。

こちらは富鶴会館です。
スナックだらけの飲み屋モール。ザ・昭和の飲み屋街といった感じのところです。
東京じゃ新しい建物に変わるのでこのような飲み屋モールは見れなくなってます。

ちなみにこちらは2022年の時です。
店が一切変わってません。また14年前の写真も見たのですが店はすべて同じでした。
全て閉店してる!?。

でも右下に張り紙が貼ってあります。
ジンライムがどこかにあることだけわかった。

こちらは風林会館です。ここは長野の歌舞伎町。でも新宿のソレとは違いだいぶ寂しめ。

こちらはニュー富鶴会館。
ニューの割にはだいぶ年期がはいってますが先ほどのよりは新しい方の飲み屋モール。こちらは営業してる店が多いです。

れもんって店も明かりがついています。
「癒しの空間」と書いてありますがこちらの店はサロン店です。
やっぱりあったサロン店。
西鶴賀にはかつて複数のサロン店がありましたが残ったのは一軒だけ。
飲食店とサロンは同居できなかったようです。
そしてスナックの看板は複数掲げてありますが営業してなさそうなところばかり。

連れ出しスナックがある?
掲げられた看板はまやかし。西鶴賀にはそんな店はもうないようです。
でも営業してなさそうなスナック。実は夜になると大盛況なのかもしれません。市民以外は誰も知らない。大人の遊園地かもしれないのです。かつての遊郭が現代でも味わえる。その可能性があるんです。確かめる必要があります。

ってことで夜来てみました。
遊郭があったところは住宅街になりましたが遊郭手前の西鶴賀は飲み屋街になってます。飲み屋街入り口から怪しい明かりがともってます。

飲み屋街に灯る怪しいピンク色の光。
結構老舗のマッサージ店のようです。
朝方まで営業しているマッサージ店。電話番号も表示されておらずウェブサイトもない。どのようなシステムなのか金額も不明です。
わかっているのは「抗衰老」という日本語では使わない言葉。中国語でアンチエイジングを意味するんだとか。つまりこちらはチャイナエステ。
これは期待値が上がる飲み屋街の入り口。

西鶴賀通りは飲食店が多めの街路。
夜の街ってだけあって店の明かりがついてます。そして結構人がいます。
長野は駅前の方がにぎやかですが西鶴賀はかつて賑わっていた遊郭へ行く参道。こういうところで飲むのも乙なもんです。

こちらのお店、そそる店の外観です。
のれんの汚れ具合が おいしさを物語ってます。ここで一杯飲んでいきたいのですが
どうやら人気店で前日予約が必須のようです。私のような旅スタイルだと行くことが難しい店。
ちなみにこちらのお店。
吉田類の酒場放浪記で取り上げられた店です。

高確率ですれ違う吉田類。

結構営業している店が多い西鶴賀の飲み屋街。
外国人がいるであろうスナックはあります。でも西鶴賀通りには連れ出しの店はなさそう。

こちらは富鶴会館です。
看板はあるものの営業してる店はほぼありません。

一軒だけ明かりがついてる店があります。おそらくこちらの店がジンライム提供店。
結構いろんな飲み屋街に行ってますがこのモールは難易度が高めです。中に行けるのは常連客くらい。
西鶴賀、普通の飲み屋街のようです。
かつてはそういう店が あったかもしれません。でももうそれは過去の話。
サロン店もなくなったし連れ出しスナック的な店もなくなった。健全な街に生まれ変わったのでしょう。
長野の歓楽街に連れ出しスナックを求めてる方へ。
連れ出しスナック、そんなのあるはずないじゃない。

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色街として栄えた権堂で現代版の水茶屋を探せ!

本日は長野市にきてます。
こちらは市道長野中央通り、善光寺へ向かう表参道です。
この道を上っていくと定額山善光寺に行けます。
長野駅前より善光寺までの約1.5kmが参道で長野のメインストリート。
この緩く長く続く傾斜が地名の由来なんだとか。
通り沿いには商店が軒を連ね日中は人通りが多いです。さすが長野一番の繁華街。
善光寺によって栄えた長野。
善光寺の正確な創建時期は不明のようですが日本に仏教が伝来した6世紀ころのようです。ご本尊は一光三尊阿弥陀如来。日本最古の阿弥陀如来像なんだとか。それはありがたいご利益がありそうです。
ご利益は極楽往生。
日本の仏教には様々な宗派がありますが善光寺は宗派が生まれる以前にできた寺のため無宗派寺院なんだとか。そのため性別、職業、身分も善悪も問わず誰でも一度お参りすれば死後は極楽浄土へ行ける。そんなチートみたいなご利益があるんです。
そんなわけで「一生に 一度は参れ善光寺」と江戸時代から親しまれていたんだそうです。

この先が善光寺の敷地になるのでしょうか。
この先は仲見世通りになっており宿坊や土産物屋があるエリアとなっています。
そんなわけで帰ります。
帰るんかーい。
私は4年前に訪れてます。
一生に一度は参れ善光寺。一度でも行けばご利益があるってことです。
何度お参りしたとしても極楽浄土行は確定してる。
じゃあもう、いいかな。
私が前回長野に来たのは2022年でした。
当時は渡航制限は緩和されてましたがまだまだ感染症による自粛の余波があったころ。町は静かな感じでした。でも今はもう違うはず。
長野の本当の姿を観たいじゃないですか。
善光寺は一生に一度だけど長野の歓楽街は何度だって行ってもよい。
いろんなご利益が期待できそうじゃないですか!
善光寺の門前だったこの付近は江戸時代は宿場町としてさかえました。
多くの参拝者が来たのであれば来訪者に合わせた店がたくさんあったはず。飯屋に宿屋とくればあとはそっち系の店。この界隈には水茶屋ってお店があったそうです。
水茶屋とはお茶を提供し休息させる茶屋。
ってことはスタバ的なお店かな?
スタバとは違い看板娘がいたそうです。
ってことはメイド喫茶的なお店かな?
メイド喫茶と違い茶汲女が接客してたんだとか。
ってことはスナック的なお店かな?
スナックと違い春を売ってたんだとか。
ってことは本サロ的なお店かな?
そうそう。お茶汲んでたら恋に落ちちゃう的なやつ。
この界隈には江戸時代、西川口を源流とする一子相伝の必殺拳NK流の水茶屋があったんだとか。水茶屋があったのは権堂町です。

善光寺から長野駅方面に表参道を下ったところ長野市街地の中央辺りに長野大通りと中央通りを繋ぐアーケード街があります。表参道と少し異なりなんとなく生活感がある感じ。地方によくあるアーケードっぽいけどなんとなく賑やかそうな雰囲気のある場所。こちらが権堂町のアーケード街です。
アーケードができたのは1961年ですがこの辺りが栄えだしたのは400年以上前。かつては遊女屋が軒を連ねるエリアでした。でも今はその雰囲気はありません。
全長440mの一直線の道沿いに100軒ほどの店が軒を連ねる商店街。
雰囲気は武蔵小山のアーケード街みたいなところ。

ではない質の悪そうなアーケード街。水商売の店しかねぇ。
権堂町は長野県で一番の歓楽街。キャバクラやスナックが多めのアーケード街。
江戸時代の頃と大差なかった。

いわゆる夜の街の権堂町。
青果店や鮮魚店があるアーケード街ではなく夜間営業しかしてない店が軒を連ねてます。日中営業している店が少ないため人通りは多くありません。そもそも車社会の長野。駅前よりもロードサイド型店舗が好まれます。
長野はI.Cそばに イオンができました。ますます駅近くの商店街が衰退しそうです。でも飲み屋はイオンに潰されない。そんなわけで権堂町は飲み屋が多めの商店街です。

居酒屋、スナック、キャバクラ、ガールズバー。一通りの店が揃っておりスナックが多めの権堂町。

これはメンヘラのコンセプトカフェ。地雷系女子がいるであろう店。
長野の人はそういうのが好きなんですね。

あとはエステがあります。
長野の人はそういうのが好きなんですね。

あとはエステがあります。
長野の人はそういうのが好きなんですね。

あとはエステがあります。
長野の人はそういうのが好きなんですね。
全てがスナックのスナック街ってわけではなく一応居酒屋もあるし商店もあります。でも多くはスナックかラウンジ。外国人の店もあるし日本人の店もあります。普通の商店街っぽくはないです。どちらかというと岐阜の西柳ケ瀬のようなところ。
飲み屋メインのアーケード街。
一応長野県随一の歓楽街。夜になれば飲みに来る人が結構いるのでしょうか。でもかつては日中もにぎわう街だったのでしょう。

こちらは商店街中腹にある映画館「相生座」です。
1892年に開場した芝居小屋が前身で国内では最古の映画館といわれているんだとか。古い映画館って大体ポルノ映画館になりますがこちらは普通の映画館です。
さすがは教育県長野。
ポルノを町に汚染させないようにしてます。
そのため権堂町はクリーンな街のようです。

こちらは権堂商店街の 南側「花柳通り」です。
通りの名称からどんなところなのか想像できます。
スナックやラウンジなどがある飲み屋街。夜になるとネオンが輝くところなのでしょう。

そんな飲み屋街の一角にある駐車場。
かつてここにはサロン店がありました。しかし時代の波に押し流されたのでしょうか。現在はそのような店はありません。

こちらにもサロン店がありましたが閉店してます。
看板は白く消されてますがうっすらとサロン店の看板が見えます。
この界隈はピンサロ街でした。通りの名前からどんなところか想像できなかった。
長野県は特殊浴場がありません。また店舗型のそっち系の店も少ない地域です。教育に力を入れてたから、長野県民はまじめな人が多いから。様々な理由で店舗型のそれがありません。その代わりにできたのがサロンだったのでしょう。
サロンはあくまで飲食店。ウーロン茶飲んでたら急に恋に落ちちゃう。
そう。かつての水茶屋。160年前に消えた文化が最近まで残ってた。そんな店がこの界隈にあったそうです。
しかも長野のソレはサロンと名乗らずファッションクラブと名乗っていました。
ファッション感覚でクラブを楽しむ。そんな意味を込めたのでしょうか。この界隈にあったそれらの店はいわゆるご当地流。西川口を源流とした秘儀、NK流の一派でした。でももう店はありません。
長野県は教育県、そしてまじめな人が多い。
そんなお国柄なので当然続けられるはずもなく潰れていったのでしょう。

と思ってたけど残ってる。
権堂町の飲み屋街の一角。なんとなく和っぽい雰囲気の店名の店があります。これは160年前に途絶えた。長野に残る数少ない水茶屋ではないでしょうか。
権堂町に生き残る数少ないサロン店。生き残っている理由は健全店だからでしょう。
健全!?
特殊な特殊なNK流ではなくごく普通の健全店。
そんなわけで摘発に遭うこともなく令和の時代も生き残り続けてます。
教育に力を入れてたから。
長野県民はまじめな人が多いから。
不健全店は消えました。
残ったのがこの店。
いや健全店だけど不健全な健全店。
長野はまじめな人が多い?まじめな人はね、飲食店でパンツ脱がないんですよ!
権堂町のこの界隈には教育がなってない不真面目な長野県民がいました。
そしてその人たちのためのお店もあったようです。

こちらのビル。
ここにもファッションクラブがありました。

こちらのビル。
ここにもファッションクラブがありました。

こちらのビル。
ここにもファッションクラブがありました。
めちゃくちゃあったファッションクラブ。
ピンサロじゃなくてファッションクラブですよ!みたいな風俗じゃない感を出してるけどやってることはサロン店よりも狂暴だった。

こちらの店は看板がまだ残ってます。
こちらもかつてサロン店だったであろうお店です。

ヒジャブで顔を隠した女性の絵。店名はアラビアンナイト。
性行為に関して厳しい戒律があるムスリム。国によっては極刑にも値する行為。中東には表向きなさそうな店が中東とは一切関係なさそうな長野にあります。
だいぶ前に閉店したっぽい感じですが建物は壊されないままそのまま放置されています。看板がそのままってことは新陳代謝してない証拠。新しい店が入居せずにそのままの状態です。空き店舗のまま放置されるか、もしくは駐車場になるか。長野市のサロン店は三軒だけになったようです。
サロン店は減少したようですがスナックやラウンジは多めの権堂町。
長野一の歓楽街とうたわれるだけありスナックだらけの飲み屋街となっています。

モンゴルはかなり珍しいタイプの外国人パブ。
権堂であれば日本にいながら海外旅行ができそう。そして外国人パブが多い権堂。話によると連れ出しスナックがあるとかないとか。
長野は教育県でまじめな人が多い県民性。そのため特殊浴場がありません。その代わりに出てきたのが連れ出しスナック。
スナック的な店で春も売ってた。
春を売っているとうわさがある権堂のスナック。探すのは容易ではありません。当然やっているのは限られた店になるのでしょう。そしてかつてそういう店があったという情報だけ。規制や監視の厳しい業界です。もうないかもしれません。でもこれだけ飲み屋があるんだから一軒や二軒そういった店があったとしても不自然ではありません。水茶屋スタイルの店が現代にもあるかもしれないんです。
これは探すしかない!
しかし探すにしても目安となるものがない。
「ここは連れ出しスナックですよ!」みたいな感じで営業してません。
地元の人しか知る術がない。もしくは街路にいる怪しい人に紹介されるしか...。
どちらにせよ日中には営業していません。

ってわけで夜の権堂町です。
夜の街は夜に行く。それで初めてその街の真価が知れます。

平日なので人の出は まばらのようです。
また店も営業してません。でも夜はこれからの時間帯。もう少し待てば歓楽街の雰囲気が味わえるはず。
居酒屋などの飲食店はこの時間でも営業してます。
そんなわけでまずは腹ごしらえです。飲食店は善光寺の表参道。それに権堂商店街にも結構あります。チェーン店だけでなく個人のお店もちらほら。ただ一点気になるところがあります。
外国人観光客が多いのです。
以前権堂町に訪れたのは2022年。当時はやっと渡航制限が解除された時期。でもまだ訪日外国人は多くなく町は静かでした。しかし今現在の長野は外国人がかなり多いです。今回私が泊まったホテルも外国人だらけ。そのためホテルスタッフは英語で対応してるし。周りの客は外国人でした。なんか海外のホテルにいるような雰囲気。
長野といえば白馬のスキーが有名でそちらでは多くの外国人スキー客を見かけますが最近は長野市内の観光客も増えてるようです。
混んでる京都よりも静かな長野。
歴史的建造物も多いし京都みたいにごみごみしてない。
善光寺を観て日本食を食べる。そんな観光プランがあるのでしょう。
そんなわけでめちゃくちゃ外国人観光客がおり多くの飲食店が外国人向けになっています。
焼肉、焼き鳥、寿司、天ぷら。
長野にいるのに長野らしさがまるでない。せっかくの長野なんだから。長野っぽいの 食べたいじゃないですか!

ってことでこちらのお店にしました。
長野といえば蕎麦です。
鳥取の出雲そば、岩手のわんこそば。そして長野の戸隠そば。この三つが日本三大そばに数えられるそうです。
せっかくの長野。こういうの食べるべきですよね。

ってわけで日本酒です。
いつもはビールですが。そば屋で飲むのは 日本酒でしょ!
そばができるのを 待つ間に飲む「蕎麦前」。これが日本流のアペリティフ。
なんだかわからないお通しと銘柄も不明の日本酒をいただきます。

こちらが戸隠蕎麦です。
特徴的な盛り方ですがぼっちもりというそうです。
五つに分けられた盛り方は戸隠神社の祭神5柱に合わせてるんだとか。
戸隠蕎麦には日本酒があいます。蕎麦が酒のアテになる。なんか健康に良さそうな飲み方です。酒飲んでる時点で健康にはよくはない。
飯食ってたらちょうどよい時間となりました。時刻は19時。そろそろスナックの営業が始まる時間帯ですが明かりのついてない店も多く結構閉まってます。やはり看板がそのままで閉店してるのでしょうか。

こちらサロン店ですがすでに閉まってます。
閉まるのが早すぎる!
この手の店が閉まるのは大体24時。時間ギリギリまでやっている印象があります。
でも長野の店は早々に営業終了。やっぱり夜遊びは教育によくないからでしょうか。
夜もこれからなのに閉まっちゃう。

こちらのサロン店も閉店してます。
集客の見込みがないから店を閉めている。実際に街を歩く人はまばら。目立つのは外国人観光客。外国人観光客はサロンへは行かない。そのため早い時間に店を閉めるのでしょう。とくに平日は人が少ないですからね。スナックが営業してないのもそれが理由なのかも。そして街頭で客引きしている人はいない。無料相談所の前で客引きしてる人はいましたが野良の客引きや立ちんぼは見当たりません。もっと遅い時間なら出没するかもしれませんがこの時間帯ですら客がまばらの権堂町。客がいなければ立っていても意味がない。そして条例で規制されている客引き行為。もうそういった店はないのでしょう。
ありそうな感じがするけど。
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港楽園に春告園、赤線街から生まれた四日市の歓楽街「西新地」

本日は四日市にきてます。こちらは近鉄四日市駅です。
三重県の県庁所在地は津市ですが人口が多いのは四日市市。近鉄四日市が県内で利用者が一番多い駅です。
そんな四日市の駅前には何があるでしょう。

あるのはぱちんこです。
四日市の駅前、ぱちんこ。
駅前にでっかいパチンコ店があります。三重と愛知でよく見かけるパチンコチェーン店。パチンコ屋が成り立つってことは四日市には需要があるのでしょう。

四日市市民、ギャンブル依存症っぽい。
そんなことありません。依存症じゃありません。確かに駅前にでっかいパチンコ店があります。
そのためパチンコ屋だらけっぽい感じがしますが四日市の駅前には二軒だけしかありません。
パチンコ業界は斜陽産業。
最盛期は18000軒あったホールも7000軒を切ってます。
かつては四日市駅前にも複数あったようですが二軒を残し全店閉店。このように四日市駅前はパチンコ屋がないのです。
では四日市の駅前、何があるでしょう。
駅前にあるのは飲み屋です。

四日市市民、アルコール依存症っぽい。

こちらは四日市一番街商店街です。
四日市駅前の一番栄えているところでしょうか。
四日市最大の繁華街で三重県最大でもあります。
飲み屋多めの四日市ですが一番街商店街は小売店が多めの商店街。

とはいってもかつての賑わいはなく小売店は減少傾向にあるようでシャッターが閉まってる店舗もあります。
これに関してはどこの地方も同じです。
車社会の四日市。ロードサイド型店舗に行く人が多いのでしょう。
ロードサイド型のイオンモールが人気のようです。商店街の衰退原因はイオンだとも言われてますがそのイオンの発祥地は三重県四日市。
そしてこの商店街にジャスコ一号店がありました。
商店街の破壊神の生誕地。
一番商店街はイオンの総本山だった。

大型店舗の出店は商店街の衰退原因、イオンが町を破壊する。
それも要因の一つでは ありますが小売店でも繁盛してる店はあります。
商店街の衰退原因ってただ単に何もしなかった、小売業者があぐらをかいてただけ。
商店が集まってるから買い物に便利だったけど大型店のほうが便利。
ジャンルごとに分類されてるから買い物が楽だし食料品も一か所で購入が可能。フードコートもあって家族連れで食事がしやすい。
そしてやっぱり駐車場が無料ってのが魅力的です。
商店街はお店によって仕様が変わるしジャンルごとに街区が設定されてるわけではない。
なにより商店街は駐車場がない。あっても有料なんです。そりゃ客をとられるわけです。
魅力ある商店街であれば客は普通に来るはずです。
四日市駅前も行政が試行錯誤してるようで車がなくても生活できる環境づくりを目指しています。
今後四日市駅前がにぎやかになりそうですね。そうなれば駅前にイオンができるかもしれません。

一番街商店街があるのは諏訪栄町ってところです。諏訪栄町は諏訪神社を中心に栄えた街。
こちらは諏訪神社です。
ご祭神は建御名方神と八重事代主命。創建時期は1202年と伝えられてるそうです。

諏訪神社の隣には諏訪公園があります。
公園ができたのは 1906年。日露戦争の勝利記念として開園しました。
開園当時は動物園や演芸場などがあったそうです。今あるのは噴水や子供の遊具。
休みの日は家族連れでにぎわう公園なのでしょう。
日露戦争の勝利記念で開園した諏訪公園ですが、くしくも第二次世界大戦の空襲により焼け野原へ。
戦後は闇市ができ 赤線街になりました。
家族連れで来る街じゃねぇ。
四日市には戦後に赤線街がいくつかあり富田の方に住吉遊楽園 旭新地、港楽園、春告園、港華園の5か所ありました。
結構赤線だらけの四日市。
港華園は 以前の高砂町遊郭で港楽園と春告園が駅前にありました。
港華園はここからだと遠かったのでしょう。だから自然発生的にここが赤線街になったのでしょう。
メインストリートは 一番街ですが一番街の北側は 二番街と呼ばれるエリア。

こちらが港楽園だったところ。三重県で一番大きな飲み屋街です。

二番街は飲食店率95%を超える飲み屋街で居酒屋、スナック、キャバクラ、ガールズバー。
一通りの飲食店がそろってる歓楽街。残りの5%はどのような業種でしょうか。
飲食店じゃないとするとエステサロンとかかな。
この界隈にはかつてサロン店がありました。残りの5%はピンサロ。サロンには違いなかった。
飲食店として数えられない四日市のピンサロ。

でもこの街には映画館があるんです。残りの5%は文化的施設でした。

これが文化的施設ならここは世界文化遺産に登録されてるはず。
これは映画館じゃなくポルノ専門映画館。文化的施設ではなく非文化的施設。
最盛期には19館の映画館があった四日市。ここは映画演劇の街だったのです。
しかし時代の流れとともに徐々に閉店していき現在の四日市にはシアターが少なく109シネマズとロッポニカ四日市だけです。
ポルノ映画館をシアターと呼ぶやつ。
ちなみにポルノ映画館は全国で30館ないですが三重県には四日市と松阪にあります。
どうやらポルノ映画館は多めの三重。
三重県民、ポルノ依存症だった。

こちら、熟女の店です。
この熟女の店があるところは歓楽街。
まさにここは歓楽街の中心なのでしょう。

諏訪公園の西側通りこの辺りは西新地というところです。
飛田新地、今里新地 松島新地、信太山新地。新地と名のつくところは遊里だったところ。
そう考えると西新地もそっち系の街っぽい。如何にも風俗街ですよって感じの名称です。
でもこの名称は新田開発の際につけられたそうで新しくつくった新田の西側だから西新地。
そういう由来なんだとか。
新地とは新しい拓かれた土地って意味もあります。
必ずしも遊里があったわけではありません。
なんだ、もともと田んぼだったところなんだ。
ちなみにここは四日市で一番の風俗街です。遊里だった。

先ほどの二番街の辺りは港楽園と呼ばれるエリア。
西新地のあたりは 春告園と呼ばれるエリア。
なんかこの辺まとまって赤線街があったそうです。

でも赤線だったのは1958年まで。そういう店は少なくなり特殊浴場が一軒あるだけです。
それは風俗街とは言わないな。

あとはキャンパブが一軒。

それとキャンパブが一軒。
やっぱ風俗街だな。
かつてはキャンパブが10軒あったんです。
やっぱ風俗街だった。
95%が飲食店で残りの5%はキャンパブでした。
私が四日市に来たのは2020年。
その頃はまだこちらがキャンパブでした。

でもその店はもうなくタイの店になってます。
なんかこの辺り、タイの店が多い気がします。
四日市の国別の外国人割合はブラジル、ベトナム、中国、韓国の順です。
タイは9番目に多い国籍で在留人数は400人弱。割合的には少ない方です。

なぜか多いタイのお店。ちょっと気になります。

こちらの路地は 渋めな感じがあります。
歓楽街の端っこです。スナックが多めの路地。
フィリピンパブもあるようです。

諏訪西通りの近く、こちらにもフィリピンがあります。

こちらもフィリピン。フィリピンも幅きかせてる。
国関係なくただ単に外国人の店が多いだけだった。

こちらは西新地の西側のはずれです。
この辺りにも飲み屋があります。よくある普通の飲み屋が入居する雑居ビルですがどうやら受付型のそっち系の店もあるんだとか。
なんか四日市ってなさそうな感じに思えて探せばあるっぽいですね。

受付型のそれがあっても致すとこが少なめ。ビジネスホテルはありますがラブホがないんです。

こちらはホテルのようです。チャペルって書いてあります。
カトリック系のホテルでしょうか。結婚式場が併設されてるホテルかな?。
サンタさんのオブジェが飾ってあります。
やっぱりカトリック系のホテルですね。
こちらのホテル。

ラブホです。
ちゃんと致すところがあった。
ラブホが礼拝堂を名乗る日本。
まさかの婚前交渉。
サンタコスプレサービスがありそうなラブホテル。
こんなところであんなことをしたら礼拝所不敬罪で逮捕されちゃう!
なんか四日市、いろんな店があります。
四日市市最大の歓楽街だけあって楽しそう。本日はここで一泊する予定です。
四日市は工場も多く企業も多い。
出張族が多いからか駅前にはホテルがあります。
そしてそこまで観光地っぽくないのでホテルが比較的安いのは魅力的です。
スーパーホテルか東横イン。
その辺に泊まるのが無難な選択ですが今日はちょっと趣向を変えようと思います。

こちらは西新地内にある旅館「大正館」です。
名前の通り大正館は大正元年にできた旅館。老舗旅館で高級っぽそうですがどうやらこの旅館、比較的リーズナブルな価格で泊まれるんだそう。
かつて赤線街だった西新地。そんなところにある料亭旅館。歴史を感じれるかもしれません。
ちなみに渋沢栄一もここに訪れてるようです。
栄一くるところは確実に盛り場。
自分の顔が描かれている 万札で女買ってたっぽい。
比較的安い値段で泊まれる老舗旅館。栄一も愛した盛り場そばの旅館に泊まってみるのも一興じゃないでしょうか!

ってことで宿予約しちゃいました。
部屋はこんな感じです。2部屋あり広めです。
ただ古い建物のため設備も古め。風呂トイレ共同です。
電気のスイッチは廊下にあります。またコンセントが少ない。
このように設備は古いですが客室内はキレイです。
そして雰囲気がよい。
旅館の外に一歩出るとそこは賑やかな歓楽街。
旅館の中に一歩入ると静寂に響く虫の声。
風情があります。

たまにはこういうところに泊まるのもいいですね。
かつて遊里があったところにある旅館。当時は芸妓が旅館を出入りしてたのでしょう。芸妓を呼びお座敷遊びをしたのでしょう。
ここではそんな歴史にちょっとだけ触れられます。
ちなみにここの旅館、呼べるかな。

絶対違うの呼ぼうとしてる。

夜の四日市駅前歓楽街です。
平日なので人は少なめです。飲みにきてる人はいます。

こちらはのれん街です。
居酒屋やスナックがある細路地。雰囲気は新宿思い出横丁のようなところ。各店舗はこじんまりしており狭そうな感じ。

19時過ぎですが半分くらい閉まっています。

熟女キャバクラは絶賛営業中です。

そして熟女キャバクラからの港楽園。
かつて赤線街だった場所。なんとなくそっち系の店がありそうな感じ。でもここには風俗はない。
いたって健全な飲み屋街のようです。スナックが多いでしょうか。一見客は受け入れなさ そうな飲み屋路地です。

こちらは西新地のあたり。
特殊浴場とサロン店がある通りです。
昔は黒服が表に立ち客引きをしてたのでしょう。
しかし10年前に客引き条例が施行されキャバクラや風俗の客引きが禁止されました。
さらに2021年には全ての業種の客引きが禁止。そのため「居酒屋いかがっすか」の人もいないし、「マッサージイカガデスカ」の人もいない。

客引きがゼロにはなっていませんが、かつての盛り場の雰囲気はまるでありません。
少し寂しい感じもします。
町自体は静かですが店は営業しています。週末になればにぎやかな街になるのでしょう。
このように接客系飲食店が多い四日市歓楽街。そのようなお店に行くのもよいですがまずはその前に腹ごしらえではないでしょうか。
四日市のご当地グルメといえばトンテキです。
でも以前食べてるんで芸がないですよね。せっかくなんで別のグルメを食べたいです。

飲み屋街の一角。
こじゃれた店が軒を連ねる街路がある中で懐かしさすら感じる雰囲気の良い路地があります。
やっぱり飲むんだったらこういう路地でしょう。
海に囲まれた三重県は海鮮も有名ですが松阪牛がいるように食肉の生産も有名です。
そんな中で安く食べるならやっぱホルモンでしょ。
四日市名物じゃないけど。

この「めし」とかかれた赤ちょうちん。これは間違いなさそうな店の外観です。
本日はこちらのお店で一杯ひっかけます。

牛ホルモンとミノ ボッツを注文しました。
ボッツという聞き慣れない名前の肉ですが豚のハラミを三重ではボッツと言うそうです。
ハラミなので間違いない味です。

一人焼肉はいいですね。
焼肉なんで安くないけど肉を食べると幸せな気分になれます。
そして肉を食べると元気になるわけで...。

時刻はまだ20時過ぎ。
四日市の夜が始まる時間帯。
旧赤線地帯に今います。
赤線街はとうの昔に消えてなくなりましたが西新地の歓楽街にはそのマインドが残ってます。
かつては四日市市曙町にはちょんの間があったし駅前にだってそういう店があってもおかしくない。
今回泊まってる旅館には呼べそうもないのでお外で処理をするしかない。
怪しそうな外国人の店、巡ってみることにします。
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渋沢栄一も愛したかもしれない四日市の遊郭、その名残りがまだあった!

本日は四日市にきてます。
こちらは四日市駅です。
四日市は三重県最大規模の都市で人口は30万人。その玄関口である四日市駅。そんな中心地の駅なら当然栄えてるでしょう。

駅前、なにもねぇ。クソド田舎の駅。
こちらはJR四日市駅。
一日の乗降者数は2000人程度。市の中心の割には利用者が少なすぎる。
どうやらこちらの駅は主要駅ではなく四日市の街の中心は近鉄四日市のあたりで、そちらが主要駅で栄えてるそうです。
近鉄四日市駅はここから1.2km西にあります。ちなみに近鉄四日市駅の利用者数は2万人ほど。
四日市駅といえば近鉄の方を指しこちらはJR四日市駅と呼ばれるんだとか。

マジで何もない駅です。
駅前にあるのはハローワーク。
地方のさびれた駅の象徴。店もなければ仕事もねぇ。

あとはシルバー人材センター。
超高齢化社会に必要な施設。60歳は高齢者じゃないから働けよクソじじぃ。そんな声が駅前から聞こえてきそう。

そしてビルごと葬祭場。
こっちの方が 超高齢化社会に必要な施設。駅前留学ではなく駅前葬儀。しかもリビング葬をやっています。
LIVINGなのに 葬儀とはこれ如何に。
いらねえ高齢者を生きたまま葬儀に出す。四日市スタイル。
これが四日市の全てです。
そんなことありません。四日市にはいろんな観光スポットがあるんです。
例えば四日市コンビナートとか。
四日市ぜんそくになりそう。
あとは長島スパーランドとか。
もう四日市ですらねえ。
あと名物といえば、四日市の人たち。
アド街ック天国の何もないときに紹介されるやつ。
でも四日市市にはいろいろあるんです。
せっかくなんで楽しみましょう。
これより私は四日市の遊郭跡地を巡ります。
クソみたいな楽しみ方。

こちらには思案橋が架かってたようです。
思案橋の先には遊郭がありそうじゃないですか。
見返り柳も植えてあるし遊郭がありそうですがこちらはその思案橋ではないようです。
こちらは1582年に本能寺の変が起きた際、家康が通った橋なんだとか。
家康が堺から浜松に逃げた通称「伊賀越え」。その際に家康がこの橋で立ち止まり陸路か海路か悩んだ場所なんだそう。
結果的に海路を選択し生きながらえた家康。歴史的に重要な場所でした。
今日は遊郭へ行くかどうか。制服コスプレオプションをつけるかどうか。
そんなクソみたいなことを悩むところではありません。遊郭と関係ない橋でした。

ちなみに思案橋の東側には遊郭がありました。
やっぱり遊郭の思案橋でもあった可能性がある。

こちらには相生橋が架かってます。ここにも思案橋。
橋を渡った先は高砂町ってところなのですがかつて高砂町遊郭があった場所です。
遊郭ができたのは1900年ころ。四日市は東海道の宿場で伊勢街道との分岐点。そのため多くの人が行き来しており各地に女郎屋が点在してました。しかし風紀が乱れるのでひとまとめにし高砂町に遊郭を設置しました。
ちなみに三重県にあった遊郭は、
長島遊郭、桑名町遊郭 菰野町遊郭、石薬師遊郭、山遊郭、一身田遊郭、藤枝遊郭、伊勢上野遊郭、神戸遊郭、久居町新地 松阪町遊郭、尾鷲遊郭、本町遊郭、田丸町遊郭新古町三遊郭、神社町、市遊郭、名張町遊郭 鳥羽町遊郭、浜島町遊郭、的矢遊郭、荒坂村遊郭、二木島遊郭。そしてここ四日市にあった高砂町遊郭です。
クソ遊郭が多い三重県。
さすがは神の国。
八百万の風俗。
精進落としし過ぎ問題。
かつては女郎屋があちこちにあったのでしょう。それをまとめたようですが、全然まとまってない。
でも四日市にあったのはここ高砂町遊郭くらい。
あとは富田の辺りに旭新地。
それと住吉町に住吉遊楽園があり。
あと四日市駅前に港楽園と春告園。
なんかぼろぼろと新しいのが出てくる。
あっちこっちにあったようですがそういう街があったのは昔のお話。
その多くは普通の街に生まれ変わっています。

こちらの高砂町遊郭も 住宅街になってます。

終戦の際に高砂町遊郭は廃業。戦後は港華園って名称で赤線街になり売春防止法施行を機に旅館に転業。
今は料亭があるくらいで旅館はありません。

こちらには伝七邸という料亭があり。
元々は東洋紡の創業者伊藤伝七の別邸でした。
別邸ができたのは1896年。その頃は遊郭ができて なかったのでしょう。
1906年に料亭になりました。その頃は遊郭ができてたはず。
遊郭そばにある料亭。もうそれは遊郭の一部みたいな感じですが当時は迎賓館的な役割をしており皇族関係者も訪れるような料亭だったそうです。
皇族も遊郭通っていた可能性がゼロではない。
そして渋沢栄一も来てたんだとか。
栄一、絶対に行ってた。
渋沢栄一って結構女遊びが過ぎる人だったようで遊郭に入り浸っていたって話です。
仕事で四日市に来る。料亭目の前に遊郭がある。そりゃ行くでしょう。なんだったら料亭に呼んでた可能性だってある。
そんなゲスい人が一万円札の顔になってるんです。
ってことは私も一万円札の顔になる可能性、ゼロではないかもしれない。

こちらは川越富洲原駅です。
同駅は四日市市の隣町、川越町にある駅。
市境の近くにある駅です。現在この周りは普通の住宅街になりましたがかつては花街があるところでした。

花街があったのはこちら。
こちらは四日市市の東富田町ってところで旭新地って花街でした。
遊郭ではなく花街。だから娼妓ではなく芸妓がいた街です。
でも芸妓だって女の子だもん。
芸を見せてたら急に恋に落ちちゃう。
そんなこともあったのでしょう。
いやいやそんなことはありません。
身を売るのが娼妓で芸を売るのが芸妓。芸は売っても身は売らぬ、それが芸妓の心意気。
芸妓には芸妓のプライドってのがあるんです。旭新地にはプライド高き芸妓がいたのでしょう。
旭新地が誕生したのは1929年。
人気の花街だったようで終戦後も存続し戦後は赤線街になります。
これが芸妓プライド。

この橋は見返り橋って 呼ばれていたんだとか。
見返り橋が設置されたのも1929年。もうじき100年となります。

こちらは 富田一色町ってところ。
さきほどの旭新地からそこまで離れてません。
街路は碁盤の目に整備され色街っぽい雰囲気。古くて立派な日本家屋が残っている地域です。
漁業が盛んだった漁師町。町自体が潤っていたのでしょう。かつては町内に置屋や料理屋があったそうです。
あちこち花街がある四日市。

しかし住宅街の中にある三業地。風紀上よくないとされたのでしょう。
そのため1940年代に隣町に移設します。

その移設先がこちら、住吉町です。
町名の由来は近くに住吉神社があるからでしょう。住むにヨシで住吉。
でも人は住まずに戦後は赤線街になったようです。花街も遊郭も同じだった。

住吉遊楽園という名称だったようです。遊んで楽しめそうな名前。でも今は普通の住宅街です。

こちらには住吉町子供公園があります。子供のために用意された園。
かつてここには見番があったそうです。かつては 大人のための園だった。
こんな感じで四日市の海沿いは色街がありました。漁村があるところって金回りがよい人がいて金払いがよい人がいます。だから花街や遊郭ができるのでしょう。でもかつてあったそれらの街はもうなく普通の住宅街になりました。もう四日市にはそのような店はありません。

こちらはJR線の富田浜駅です。
富田浜の隣駅はクソ田舎代表のJR四日市駅。
街に近いので栄えてそうな富田浜駅。ですが利用者の少ない無人駅です。

こっちの方がクソ田舎の駅だった。
元々富田浜駅は海水浴客のために開設した駅で駅近くには富浜海水浴場があったそうです。
夏になると多くの人でにぎわったんだとか。しかし高度経済成長期の頃になると工場からの廃液で海洋汚染が酷くなり遊泳禁止に。
1961年には海水浴場が廃止となり1970年には無人駅になりました。現在の駅利用者は一日250人ほどしかいません。
利用者は地元の人でしょうか。
車がなくても生活できますが車がないとQOLが確実に下がる四日市。三重県の自動車保有台数は1.44台。一家に一台以上は車を保有してます。そんなわけで駅を利用する人は少ないのでしょう。利用するのはここに住む学生か高齢者くらい。このように利用者が少ない駅なのです。
本日富田浜で降りたのは遊郭の名残りがあるため。
それがこちら。

これはただのソープランド。

無人駅富田浜の近くにあるぽつんと駅前ソープランド。
遊郭とは一切関係ないとこだけどこれは遊郭の名残り。
たぶんなんも関係ない店。
特殊浴場があった場所は元は旅館だったようです。
海水浴後は潮水の塩分でベタベタするじゃないですか。すぐにでも洗い流したい。それを洗い流せるお風呂、必要ですよね!ってことで特殊浴場になったのでしょう。
いやここにくるとヌルヌルすることになる。
おそらくこちらの店は遊郭とか関係なく後発にできたお店なのでしょう。
海水浴場が閉鎖されて富田浜の目玉がなくなる。その代わりにできたのがこの特殊浴場。
海水浴場と特殊浴場ってなんか似てるでしょ!?
似てるのは語感だけ。
こちらの店は一応駅前ソープです。富田浜駅の一日の利用者は250人。利用者の少ない駅ではありますが店利用者が何割かいそう。
でも車社会の四日市。ほとんどの人が車を利用します。車がないとQOLが下がるんです。そのため駐車場がちゃんとあります。しかもかなり広めの駐車場。

ソープに行ってることがモロバレの駐車場。
停めるのはそもそもQOLが低い人。
「あらやだあそこのご主人。四輪車で来て二輪車プレイしてるわ。」って駅利用者250人から白い目で見られる立地。
でもあえて特殊浴場の駐車場に堂々と停める。それも特殊浴場の楽しみ方。
ただの羞恥プレイ。

こちらには昭和レトロなレストランがあります。
海水浴場があったころの名残りでしょうか。
かつては海沿いだったんでしょう。だからビーチレストラン。だと思ったらピーチレストラン。

閉店してからだいぶ期間が経ってる感じがします。
こちらの隣にも旅館がありましたが閉店。行楽地の雰囲気はまるでありません。
こんな感じで寂れた雰囲気の富田浜。そんなところにある特殊浴場。でもこちらは人気のお店なのでしょう。
三重県って特殊浴場が少ないんです。
現存する特殊浴場は津市の津観音門前のお店と四日市駅そばのお店。それとこちらの三店舗だけ。
三重県の人口は170万人。それをこの三店舗だけでまわしてるのです。
四日市は名古屋のベッドタウンでもあります。
40分電車に乗れば名古屋に出れます。じゃあそっち系の店に行きたいとなった時、名古屋に出ればいいじゃない!って思うでしょう。
でも名古屋駅前のその手の店はだいぶ潰れたし名古屋の中村大門は結構歩かされるんです。なんだかんだで一時間もかかっちゃうんです。
岐阜金津園に行くにも1時間以上かかり。大阪に行くのも2時間かかる。このように三重県民は不遇の民なのです。
その県民たちに手を差し伸べるために現れたのがこちらの店なのでしょう。ここは四日市の観光スポットです。

諸事情でアド街ック天国では紹介されない店舗。
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桑名駅前の歓楽街に赤線街「桑陽園」の名残りがあるか!?

本日は桑名市にきてます。
こちらは七里の渡しがあったところです。
夕暮れどきの河口そば。素敵な風景です。

東海道42番目の宿場「桑名宿」があった桑名。
名古屋の宮宿の次の宿場が桑名宿でした。宮宿と桑名は陸路だと一日がかりですが海路では4時間程度で渡れます。
距離は七里、約28kmほど。その間を船で渡ったのが七里の渡しです。
東海道53次で 唯一の海上交通。時間短縮できるので利用者も多かったのでしょう。でも天候が悪ければ船が出ずに足止めとなります。
そのため宮宿、桑名宿ともに栄えたんだそう。
東海道の53の宿場で一番栄えていたのは宮宿で二番は桑名だったそうです。
伊勢参りをする際も必ず通る桑名。そりゃ多くの人がここに訪れたのでしょう。
当然ここにも飯盛女がいたそうで桑名は男性よりも女性が多く住んでいたそうです。
男性客は伊勢参りの精進落としをしたのでしょう。
天候関係なく桑名に一泊する人もいたのでしょう。
近代になるまで桑名の中心はそんなところでした。
明治になり芸娼妓解放令が発令されると1888年に桑名は遊郭を設置しました。
風紀上の問題から遊郭は町外れに設置されますが桑名では風紀とかそういうのを一切考えず宿場のど真ん中に桑名町遊郭を作ったそうです。
街の真ん中にできた遊郭。
人気もあったのでしょう。桑名駅が開業すると町の中心は駅側に移りますがそれでも遊郭は繁盛していたようです。
しかし空襲により桑名の遊郭は焼失しました。でも人気のあった桑名町遊郭。終戦後は桑陽園という赤線街になります。
すぐに復興する色町。
昔の人はエロに対するバイタリティが高すぎ。

この界隈が遊郭で赤線だったところ。
色街だった雰囲気はまるでありません。きれいに整備されており宿場の雰囲気があります。
東海道で二番目に大きかった宿場。そんなわけで観光地となっているようです。

これらはかつての妓楼だったのでしょうか。
今は料亭として利用されてます。ここでは桑名名物のハマグリ料理が食べられます。
その手の下世話な店は遥か昔になくなりました。

ちなみにこちらの駐車場辺りにトルコ風呂がありました。
比較的近代まで生き残ってた下世話な店。
なんかこの辺栄えてるし住宅街じゃない雰囲気なんです。
その手の店が残ってても不自然ではありません。でもソープじゃなくてトルコなんです。そう考えるとだいぶ前に閉店したようです。

こちらにもトルコがあったようです。
何軒かあったとしても不思議ではありません。なんせ大きな遊里だったわけですから。
そちらもだいぶ前に閉店したのかな?
ちなみにここにあった店は平成になっても営業してたようです。
下世話な店、最近まで営業してた。
桑名にあった遊郭は戦後赤線街になり以後は普通の住宅街へ変わったと思いきや住宅とソープが混在する地域だったようです。
江戸時代は大人気スポットだった岡場所。ちょっとやそっとじゃ変わらなかったのでしょう。でも今はそのような店はありません。
ここは不便な場所なんです。
駅からは1.5kmほど離れているし20分くらい歩くんです。
遊ぶのであればやっぱり駅前でしょ!ってことで駅に来ました。

桑名駅は以前と違いきれいになりました。
私が前回桑名に来たのは2020年8月初めころ。
新駅舎ができたのは2020年8月30日。前回の時は完成してませんでした。

ちなみにこちらは4年前の改札への入り口。閉鎖前の最後の様子。廃虚みたいな状態です。

こちらは桑栄メイトという駅ビルです。
私はここの二階の喫茶店に行ったことがあります。三重県は中部なのか近畿なのか東海なのか、どこに属するかあいまいなところがありますが桑名のあたりは名古屋の文化圏に属しています。そのためモーニング文化が根付いています。朝めしをここで食べた懐かしい思い出。
でも10年以上前の話。

以前までは駅直結のビルでしたが2020年7月に閉業してます。
長らく駅前に廃虚が放置されたままでしたが2025年に話がまとまったそうで今後はこちらにホテルができるそうです。
住んでいる人にはホテルは不要な店舗ですが四日市や桑名には出張で来る人も多いのでホテルがあると何かと便利になるでしょう。

駅前はこのようにきれいになりつつある桑名。
でも古い町並みもまだ残ってるんです。

こちらは桑名一番街です。
アーケードが残る昭和の雰囲気の商店街。

このアーケードができたのは1960年代後半。60年以上の歴史のあるアーケード街です。
鮮魚店、青果店以外にも飲み屋もある商店街。懐かしい雰囲気があって素敵です。

こちらは銀座商店街です。
こちらは1950年代にできた駅前では一番古い商店街のようです。
昭和レトロな感じだけど生きている商店街。

100mもない短い路地に20軒ほどの店があります。
こっちの方は飲食店が多めの印象です。飲み屋が軒を連ねる商店街。まさに銀座といったところ。
桑名駅前、飲み屋だらけ。
これに関しては地方ではどこもこんな感じです。
大型店舗やロードサイド型のモールに客をとられ駅前の商店はどんどん潰れてます。
シャッター街化している商店街は地方に多くあり商店街に残るのは美容室と飲み屋くらい。
飲み屋多めの桑名の商店街ですがシャッター街化はしてない模様。
車社会ではありますが駅の近くであれば車がなくても生活できそうです。
商店街もあるしスーパーもある。そして飲み屋も多い。
名古屋に出やすい立地ですが駅前で事足りる。
しかも桑名一番街の東側、歓楽街になってるんです。

こちらは錦通りです。
私の桑名のイメージはまさにここです。
先ほどの二つの路地と違いこちらは大人な感じのお店が多め。
こちらの路地ができたのは1960年代後半。
仕事終わりに一杯ひっかける。高度経済成長期の頃、働く男を支えたのでしょう。
昭和レトロな飲み屋街です。

路地にあるお店の大半はスナック。
でも居酒屋や飲食店もちゃんとある。この路地に入れば飯も食えて酒も飲めるオールインクルーシブスタイルの歓楽街です。

こちらには小さいですがお稲荷さんもあります。
商売繁盛のご利益があるお稲荷さん。60年経った今でも飲み屋街が健在ってことはちゃんとご利益があったのでしょう。

こちらのお店はインターナショナルパブかな?
6000人を超える外国人が居住している桑名市。外国人向けの店があっても不自然ではありません。

店名の上に英語ではない外国語が書いてあります。
インターナショナルパブなのかも。
調べたところこちらはポルトガル語のようです。
ポルトガル語が国語の国はポルトガルとブラジル。桑名はブラジル人が全国で三番目に多い地域です。
1990年の入管法改正により増えたブラジル人。工場が多い桑名は仕事があるためその際に日系人が移住してきたのでしょう。
もう30年前から定住してるわけです。そりゃブラジル人のための店があってもいいですよね。だから異邦人なんでしょう。

ちなみにこのポルトガル語を翻訳してみたところ外国人の入場は固くお断りしますって意味でした。
辛辣!

店名が異邦人なのに異邦人は入店禁止。
ちなみにパート2もあるのですがそちらも外国人入店禁止のようです。
日本語でも英語でもなくポルトガル語なのはやっぱりブラジル人が多いのでしょうね。過去に何かトラブルでもあったのでしょうか。
外国人には生きづらい世の中です。

ちなみにサンダル履きの人も入店禁止のようです。
辛辣!

サンダル履きも生きづらい世の中。

こちらは錦通りの一本西側にある路地です。
錦通りだと思ってしまいますがどうも違う様子。通りに名前がなさそうです。
名もなき通り。
地元の人はなんと呼んでるのでしょうか。

こちらの路地は古くからある店ではなく新陳代謝している感じ。
ほら東海地方に多い熟女キャバクラです。
どこの飲み屋街に行っても必ずある熟女。この店があるところは歓楽街という証拠です。

その隣に花園があります。
花園あるところは歓楽街という証拠。
ほぼ見た目がキャバレーロンドンのような花園。私が初めて花園に行ったのが桑名のこの店でした。
ここ、ピンサロ的な店なのかな?って思うじゃん。普通のキャバレーなんです。ザ・昭和のキャバレーってところだったんです。

はるばる東京から桑名にきて初めての夜。
飲みたいしあれもしたいけど金銭的な余裕がない。
そんな時に目に入ったのがほぼロンドンと同じ看板。
これはっ!!って思っちゃいました。
飲めてそれもできる。同時に二つのことができる店。
二兎追う者はなんとやら?。
ここでは二兎、追えるんです!。
でも店内の様子が普通のキャバレー。
ぜんぜんしびれないキャバレーなんです。
いつそのサービスが始まるのか期待してましたがそういったサービスはなく健全な飲み屋。
キャバレーとして楽しめはしたのですがなんかスッキリしない感じ。
スッキリしてないしね!
結局隣の店に行ったんです。
スッキリしてた!二兎追えてた。

こちらはキャンパブです。
大して代謝してない老舗店。昔ながらの店だった。
でも以前は違う名前の店だったと思うんです。

ほら店名のところ不夜城って書いてあります。一応代謝はしてた。
錦通りと比べるとこちらの通りは怪しい店が多め。
こちらの店以外にも昔はキャンパブがありました。
ここの通りはキャンパブ通りってことでしょうか。
花園もそっちの店だと勘違いするわ。
そして錦通りの人たちも同じ路地として扱ってほしくないのでしょう。

こちらは台湾式リラクゼーションのお店。
雰囲気はよくあるエステ。健全店なのかな?でもキャンパブの隣にあるし。
いやいやキャンパブの隣にある店だとしても普通のエステの可能性はあります。
ちなみにこちらのお店はキャンパブと同じように客引きが外に座ってました。
普通のエステの可能性はゼロ。
これはリラクゼーション効果が期待できそうな店。

本日は桑名駅界隈を散策しました。
かつては四時間かけて海を渡っていましたが今は名古屋から電車で30分程度で行けます。
気軽に名古屋に行けるんです。飲みに行くなら錦や栄に出ればよいのですが桑名駅前の飲み屋は結構繁盛してるようです。
やっぱり地元で落ち着いて飲みたい。そういう人たちがここにくるのでしょう。
出張で東海地方に来た際。夜は名古屋の錦へ行くのが王道ですが王道から外れてみる。そこで三重県の玄関口、桑名の歓楽街へ。
そういう選択をする人もいるのでしょう。
中心地から外れた場末のスナック。都内でできる飲み屋巡り。でも都内とは少し異なる飲み屋の雰囲気。ある意味スナックはご当地を味わえるスポット。そこには好奇心を掻き立てる何かがあるはずです。
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中壢にある私娼窟「三仙巷」を再来訪
本日は桃園市中壢区に 来ております。
こちらは台湾鉄道の主要駅「中壢駅」です。本日はとある場所を散策します。
とある場所とは駅近くにある私娼窟です。
台北、桃園駅に次ぐ3番目に利用者が多い中壢駅。現在地下化を目指し絶賛工事中です。また空港線の延伸工事もしているそうで空港線は2028年、地下化は2033年。工事完了までは時間がかかるようです。
私は二年前に訪れてます。今回来るのは2度目の中壢。
前回訪れた理由は檳榔売りを観るため。エロい格好の檳榔西施を見に来たのです。
クソみたいな中壢訪問。
それと私娼窟があったのでそちらも行きました。
ゴミみたいな中壢訪問。
中壢のソレは台湾三大私娼窟の一つ。そういわれたらやっぱ見なきゃダメでしょ。そんなわけで訪れたんです。
前回訪れたのは早朝で店は営業しておらず普通の路地を歩いただけで観光できなかったんです。
前回は早朝のため店がやってなかったですが今日は夕方帯に訪れました。
これなら店に行けそう?しかも今回は中壢で宿泊します。つまり夜も行けるんです。

こちらは中平商圏徒歩区です。
工場が多い中壢は外国人労働者が多く住むエリア。そのため外国人向けの店が結構あります。

ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピン。
中壢駅前には東南アジアの店がかなりあるのでリトル東南アジアとも呼ばれているんだとか。

東南アジア旅行が味わえる。実際に街ゆく人の多くは東南アジア系の人たち。台湾にいるのに台湾じゃない感じです。

噂では駅前は9割が外国人なんだとか。これだけ東南アジア色に染まってるなら東南アジアを味わってもいいですよね。

でもせっかくの台湾観光。台湾を味わいたいです。
ってことでこちらのお店に訪れました。臭豆腐屋さんです。
日本ではあまりなじみのない料理ですが台湾では一般的に食される臭豆腐。夜市でもごく普通に売られてる料理です。
匂いはかなり独特。というよりかなり臭い。猫ションっぽいにおいがします。実際に猫は排泄物と勘違いして臭豆腐に砂をかけるんだとか。

こちらが臭豆腐です。
見た目厚揚げっぽい感じ。味も厚揚げに近い。
発酵液によりうま味が足されている感じです。塩漬けのキャベツにバジル。豆腐だけどチーズっぽい感じもする奇妙な味。でもけっこうおいしいかも。
世界の臭い食べ物ランキングだとくさや、鮒ずし、納豆に次いで8位の臭豆腐。ゲテモノ扱いされてる臭豆腐ですがくさやも鮒ずしも好きな私はそこまで気になる匂いじゃない。全然受け入れられる臭さ。というより日本の食材、結構くさめ。納豆とか普段から食うし。
日本人が海外の食べ物を受け入れられるのは食に対し貪欲なのと普段から奇抜なものを食ってるからなのでしょう。

食欲も満たしたことですし。
これより目的地の 私娼窟へ向かいます。

桃園市中壢区。永楽街の東側、中山路270。中壢駅から徒歩10分ほど。空港線の老街渓駅からは徒歩5分ほど。駅からそこまで離れてませんが中壢の繁華街の外れのようなところ。駅の周りは東南アジア要素がある中壢ですがこの一角だけ少し空気感が違うところがあります。

ハイライフというコンビニの脇。日中なのに薄暗い路地があります。ヤバそうな路地のため誰も近づかなそうですがヤバそうな路地だから。一部の人は吸い込まれるように入っていきます。見た目ヤバそうな路地ですが中に入るとそこは楽園。ここは私娼が集まる通りになってます。

ここが中壢にある台湾三大私娼窟の一つ、中壢三仙巷です。

前回来たときは早朝だったためお店はどこも営業してませんでした。もうじき夜の帳がおり夜の街が活気づく頃。そんなわけで絶賛営業中です。そして路地に入るなりすぐに声をかけられます。

声をかけてくるのはやり手ババアのようで奥に女性がいるから見に来いとのこと。
気に入らなかったらチェンジも可能。金額を聞くと30分2000台湾ドル。日本円で1万円のようです。

どんなサービスがあるかは聞いていませんがどんなサービスがあるかを聞くのは無粋です。この路地を通る人は勝手知った街なのです。でも今日はしに来たのではなく見に来ただけ。海外ではそういうトラブルは避けたいもの。こういうところは使わない。それが鉄の掟です。

中国語で話しかけてきたのでわからないそぶりを見せると「日本人?」とやり手ババアが聞いてきます。どうやらこの私娼窟には日本人も来るそうです。桃園空港から空港線で一本で来れる立地。帰国日前日に中?に宿泊。ついでに遊んでいきましょうって日本人もいるのでしょう。
海外に行く日本人の質が問われる話。
我是日本人、OK?私は日本人だがOKか?と質問したところ。

オーケーのようだ。
鉄の掟が意外に脆い。

でもまだ街が本格的に稼働するのは早い時間帯。
遊ぶのであれば日が落ちてからでしょ!ってわけで夜に再度来てみました。

夜の三仙巷です。
これで三度目の私娼窟散策です。
夜が深まれば客も多くなる。
客が多くなればそれに合わせて供給も増える。
同じ金額払うなら質が良いのを選びたい。混雑する時間に行けば質の良いのにあたるのです。ってわけで日が暮れてから来たのですが同志はどうやらいない模様。まぁそれもそうです。飛田新地のようなちょんの間街とは違い法的に認められてない街。
飛田も認められてねぇけど..。

そんな街には多くの人は来ないし物見遊山で来るようなところじゃない。
どこにしようかと選んでいるのは日本から来た人くらい。

再度同じ店の前を通るとまた声をかけてきます。
さっき話したことを覚えていたのか。1500台湾ドルまで値引きされました。どうやら値段を吹っ掛けられてたようです。
これもう少し粘ればさらに安くなるんじゃない?

太贵了!太贵了!便宜点儿!!
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水都大垣にあった旭遊廓、その名残りを城下町に求めて

本日は大垣市にきてます。
こちらは大垣駅です。
岐阜は頻繁に来てましたが大垣は初めて。
以外にも大きな駅前です。
JR線、樽見線、養老線の三路線が乗り入れる主要駅。人口15万人の大垣市の中心にある大垣駅。
県内で岐阜駅に次いで二番目に利用者が多いため大垣駅前はにぎやかです。
大垣の市街地は駅南側に広がってます。
駅の南側には大垣城があります。かつては城下町として栄えたのでしょう。

大垣で有名なのは水です。
大垣駅の目の前には自噴井戸があります。地下水が豊富で市内に水路が多い大垣は「水都」と呼ばれてます。
おいしくて冷たい水が飲めるのはいいですね。
ちなみに大垣にはサウナの聖地があるのですがそちらの水風呂は地下水のかけ流しです。これも水が豊富だからできるのでしょう。
また公共水道も地下水を利用してるそうです。一般的な水道水は河川や湖から取水し、ろ過や消毒などを経て飲み水に変えていきますが大垣の水道水はろ過などをおこなっていません。水道法の関係で塩素は加えられるようですがそのまま飲んでも問題ないのでしょう。
よその水はまずくて飲めないなんて言いますが水道水がつくられる過程がそもそも違うようです。そりゃ飲み水の味もかわるのでしょう。それもこれも大垣は豊富な水が手に入るから。さすがは水都と呼ばれるだけあります。

こちらは駅前から南に延びる駅前通り「郭町商店街」ってところです。
120店舗ほどが軒を連ねる駅前商店街。空き店舗もあるようですがシャッター街ではなく営業している店は多め。しかしほかの商店街同様に客は減ってるようです。
大垣駅の北側には大きな商業施設があります。また市内にはイオンモールがあります。駅近くに住んでいれば別ですが、車社会の大垣。駐車場があるところに行くのでしょう。この界隈にもコインパーキングはあります。でも有料駐車場を使うのはもったいない。そして買い物するならスーパーの方が便利。そんなわけで大型店舗に行く人が多いのでしょう。そのため商店街は少しさびれた感がします。

商店街にある店は商店と飲食店が半々くらい。
飲食店は居酒屋や飲み屋が多そうです。

大垣駅の近くは結構栄えてます。
大垣城の城下町であった大垣には美濃路が通っており宿場でもありました。
美濃路は東海道と中山道を結んだ脇街道で海路がある東海道をさける人が利用したようです。東海道「宮宿」から中山道「垂井宿」の距離は57km。一日で歩くにはしんどい。道中7つの宿場がありどこかで休んだのでしょう。大垣宿もその七つの宿場の一つでした。

ちょうどこの辺りが宿場の中心だったところ。
現在は歓楽街です。
質が悪そうな宿場町。
宿場だったところは飲み屋街へ。こうなるのは仕方ないことです。
旅先で楽しむものといえばご当地料理、観光地巡り...。
いや飲みでしょう。しかも女の子のいるとこ。
旅行に来てるんです。やっぱご当地キャバクラ楽しみたいじゃないですか。
新宿でもできるお遊びですが江戸時代の人たちも旅先でキャバクラ的な店に行ってたはずです。
そして大垣にはそのような店があったようです。
ここは古くからそういった歓楽街で現在もその流れを受け継いでいるのでしょう。

おっきめの飲み屋ビルが複数あります。
空き室はないので繁盛してるようです。それなりに歓楽街に客が来るのでしょう。
美濃の西側の西濃地区にある大垣市。大垣市自体の人口は15万人程度ですが近隣に養老町や関ケ原町海津市などがあり近隣市町村を含めると人口は30万人もいます。西濃地区で 一番栄えてるのが大垣。そうなると飲みに来るならここなのでしょう。
つまりここは西濃の六本木。いや西濃の銀座でしょうか。

無料情報サービスエリアがあります。
これは西濃の新宿歌舞伎町。
なんとなくインフォメーションセンターっぽい。町の観光案内所っぽい雰囲気ですが案内するのはキャバクラやスナックくらい。
質が悪そうな観光案内所。
唯一の救いは風俗を案内してないところです。
その点新宿と違うようでどうもこの町、健全のようなんです。

こちらは本町通りってところでキャバクラやスナックが多いエリアです。
でもあっち系の店はこの界隈にはないんです。またセクキャバもなさそう。

飲んだ後は気分が高揚するじゃないですか。
そういう店に行きたくなっちゃうじゃないですか。
でも大垣にはそういうのがないみたい。
そしてここに住む人たちそういうのに興味がないみたい。
ここにあるのはキャバクラだけ。
健全なキャバクラだけなんです!
キャバクラが健全な店なのかは異論あり。
質の悪い飲み屋街には変わりない。
そもそも岐阜には金津園があるんです。
岐阜駅と大垣駅の距離は15kmほど。電車で13分で行けるんです。13分で日本三大何某街に行けるんです。
急にムラムラってきたとしても13分で行ける。しかも日本三大何某街。そっちに行くでしょう。
13分も我慢できないって?
多分それ、何かの病気です。
普通の人ならね、13分我慢するんですよ。岐阜駅前には究極のソレがある。だから大垣にはそういった店がない。
ここにあるのは健全な店だけなのです。
キャバクラが健全な店なのかは異論あり。
スナックやキャバクラは結構多めの街。車社会の大垣。
代行タクシーを安く済ませたいのでしょう。飲みに柳ケ瀬まではいかないようです。むしろ柳ケ瀬よりもこっちのほうが栄えてそう。
新進気鋭の飲み屋ではなく土着の飲み屋が多そう。

こちらの店は新宿です。
新宿の飲み屋街といえば歌舞伎町があります。そのため新宿を名乗るのでしょう。背景は新宿の夜景です。新宿は住んでいたのでどこで撮ったかわかります。損保ジャパンのビルとコクーンタワーが見えます。これは西新宿七丁目にあるマンション。新宿シティタワーから 撮影したものでしょう。どうでもいい知識。

飲み屋ビルが多いですが路面店もあります。

歴史を感じる 昭和のたたずまい。かつてはそっち系の店があったのかもしれません。
この界隈は江戸時代のころには私娼がいたそうで幕末に茶汲女が認められたそうです。
茶汲女とは飯盛女と似たような業態。お茶をお客に汲んでいたら恋に落ちちゃったってやつ。
そういう店がこの辺にあったようです。現在はそのような店はありません。そもそも遊郭は別の場所にありました。
幕末に誕生した 茶汲女ですが明治の芸娼妓解放令により廃止されます。
しかし1888年に大垣に遊郭が誕生します。解放令の意味。
中心地に遊郭を作るのは風紀の問題があります。
そのため中心から東に外れたところに遊郭を設置。

こちらが遊郭のあった藤江町です。
遊郭の名前は旭遊廓。
最盛期には19軒ほどの妓楼があったそうです。
岐阜柳ケ瀬にも遊郭がありましたが大垣からだと遠い。そのため大垣市民がここに訪れたのでしょう。
大垣空襲で遊郭も被災しますが戦後は旭日園という名称で赤線街になります。

古い建物は残っていますが当時のものでしょうか。
売春防止法施行により赤線は廃業。現在は普通の住宅街になっています。

電柱に旭廓の文字を観ることができます。これが遊郭があった名残り。
ここには何もありません。
駅から離れているのでちょっと不便な旭遊郭。ソープ街になることなく普通の住宅街へ。車社会でも風俗街はやっぱり駅前なのでしょう。
しかし大垣には駅前にもその手の店がない。電車で岐阜駅に行けますし駅前にはその手の街がありますからね。
大垣にその手の店がないのは金津園があるから。

明らかにその手の店。普通に大垣、その手の店があった。
遊郭でもなく花街でもない。なんなら普通の住宅街。静かな住宅街の一角に突如現れる異質な建物。こちら、特殊浴場です。

かつて遊郭のあった場所からそこまで離れてない。
かつて宿場だったところからそこまで離れてない。
ちょうど中間のところに一軒だけあります。
商店街ならわかるんですがマジでここは何もない。
そんなところにあるぽつんと一軒ソープ。
創業50年以上の老舗店です。

観た感じも古そうな外観。でも昭和な感じの外観。安心感があるし逆におしゃれな感じもします。
実家帰ってきたような感じ。実家感のあるソープ。お母さん出てきそうな予感。

しかも店名がいいじゃないですか。
水の都にちなんだ名前。なんとなく高尚なサロン店のような名称です。
実際に床屋さんみたいな店の外観だし。なんか出てくる客はさっぱりとした印象。
きれいさっぱりしたのかな。
汚いものを出してすっきりした模様。
名前が直接的じゃないから風俗だとは思われない。
なんかエステティックサロン店っぽい。風情ある名前だから気づかれないんです。
ちなみに昔の店名はトルコ大垣だったようです。
かつては直接的だった。
今の名称になったのは1984年以降でしょうか。
水都を冠した店の名前。風情があります。やってることは風情ない風俗だけど。
でもこんな住宅街でも続けられるってことはそれなりにお客さんが来るっていう証拠です。
特殊浴場は既得権がありますがそれだけで店が続けられるわけではありません。
相応のノウハウがあるから客も来るのでしょう。だからこのような場所でも続けられているのです。
最近ではこの手の業種もチェーン店化しており大手のその手の店に飲み込まれてます。どこの街にも同じようなお店ばかり。このような特色あるお店は大変貴重です。小規模の個人店も生き残ってほしいものです。

遊郭は住宅街へ。住宅街には風俗店がありましたが一軒だけ。ほかにないかと探しに中心に戻ってきました。こちらはブラツキ街ってところです。

変わった名前の商店街。
1950年ころからそのように呼ばれたそうで名前の通りブラツキながら遊ぶ街なのでしょう。

これはぶらつきたくなるような店発見。
リラクゼーションという便利な言葉。エステか何かでしょうか。
美人を称した店とかわいいを称した店。どちらにも女の子の絵が看板についてます。

かわいらしい女の子。
だけどなんかどっかで見覚えがある顔立ち。

美人な女の子。
だけどなんかどっかで見覚えがある顔立ち。
名前は AIちゃんでしょうか。

看板はサンプル写真。
実物と写真のイメージが異なる場合がございます。
異なる場合があるかもだけど看板はその店の顔。その店を表す鏡なのです。ってことは看板に準じているはず。
客商売ですからね。誇張は少なからずあるのでしょう。その多少の差は受け入れるつもりです。

こちらの店もブラツキ街にあるお店。
キャンパブです。大垣市民、キャンパブ前をぶらつく人種だった。風俗街をぶらつく特異な市民たち。
風俗街ではないんです。一軒だけ、ここ一軒とさっきのエステだけです。
名前の感じからするとやはり水の都だからか。
スウィートと水都をかけてるのかな?
風俗店の名前に高尚な水都を入れる禁忌。一軒だけじゃなかった!
お店の看板は残ってますが閉店してます。やはりぶらつく街には不適切とされたのでしょう。
現在はベトナム系のビリヤード場が入居してます。

ベトナム食材店じゃなくエンタメのお店。これからはこういう店が増えるのでしょう。
工場が多い大垣は製造業に就くブラジル人が多く外国人の割合では3割ほどを占めてます。ただここ10年でベトナム人は6倍に膨れあがり二番目に多い中国人を抜く勢いがあります。このペースで増え続けるとベトナム人がブラジル人を抜くのでしょう。ベトナム人が増えればベトナム食材店も増えるしベトナム人向けの店も多くなります。近い将来大垣にベトナム版のピンサロ、カフェオムができる日が来るかもしれません。それとベトナム式偽装床屋も。
それは早急にベトナムを増やすべき。

こちらは大垣城です。
大垣のシンボル的存在である大垣城。歴史は古く築城されたのは1500年ころの室町時代。大垣は古くから東西をつなぐ交通の要衝で戦国時代には戦略上の重要拠点とされてました。関ヶ原の戦いでは西軍の本拠地だったそうです。

明治の廃城令により廃城処分となりましたが天守は残され国宝に指定されたそうです。しかし大垣空襲により天守は焼失。現在の天守は1959年に建てられたものです。模造ではありますが立派な天守。大垣市にとって重要な建物なのでしょう。

お城が町の中心にある大垣市街地。お城とともに歴史を紡ぎ今の大垣があるのです。歴史を感じます。

お城のとなり、特殊浴場があります。
こっちも感じさせてくれる店。
大垣の街の中心、お城の東門のそば。風情ある街並みが広がっていますがそこにあるのは風俗ある街並みだった。

まさかのぽつんと一軒ソープ。
大垣には二軒の特殊浴場があるようです。先ほどのは住宅街にありましたがこちらのお店は町のシンボルでもある城の真横にあるんです。
特殊浴場が町のシンボル。
そんな近くに店があるなら西軍の石田三成も足しげく通ってたはず。

ちなみにこちらのお店、先ほどのスイトサロンの系列店なんだとか。
まさかのチェーン展開。
そして尾張一宮にあるヘルスの系列店なんだとか。
まさかの全国展開。
全然個人店じゃなかった。
ぽつんと一軒だけだけど経営者は一緒のようです。
ぽつんと一軒だけしかありませんがどうやらこの界隈は歓楽街のようです。
小規模ですがスナックなどの飲み屋があります。
ちなみに住所は郭町。遊郭の中みたいな町名。
ではなくもともと城郭の中だったから。特殊浴場があるのに?
かつて城の中だった場所。明治以降に商業地として発展したのでしょう。遊郭はあるもののここからだと徒歩20分かかる。やっぱ近場にそういう店、欲しいよね。って感じで飲み屋街ができたのでしょう。
その名残りが特殊浴場。郭の中にあるべき店。やっぱここは郭町だった。
飲み屋街の中にある飲み屋と関係ない店。そんなのが郭町にはあるんです。
いやいや飲み屋もちゃんとあるんです。
ここは郭町にある飲み屋街。
だって特殊浴場の隣、こちらにはキャンパブがあったんですから。
いやキャンパブも飲み屋じゃねぇ!

もう潰れて久しいようですが看板があります。

うっすらとキャンパブLOVE遊って書いてあります。
看板が残ってるので入居者がいないのでしょう。特殊浴場の隣ですからね。営業しづらい店の立地です。

こちらの看板にもまだ当時の名残が残ってます。
ウェブサイトのURLも書いてあります。消えかかってますが読めなくはない。
LOVEU.JP でしょうか。
ほぼほぼヒエログリフの解読に近い。
ウェブサイトの過去の情報を観たところ、ここにあったのは20分6000円のお店。
なんだちょっと高めのキャンパブか。大塚には勝てないな。
でも10分1000円コースもあったんです。
まさかのセンベロならぬセンヌキの店。でも10分1000円のはお見合いコース。
お見合いコースはお話のみです。
クソみたいなコース内容。
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遊廓だった屏東の牛頭山には飾り窓スタイルの私娼窟があった

本日は台湾の屏東県に来ております。
こちらは台湾鉄道の屏東駅です。
屏東?どこかな?
私も今回こちらに訪れて初めて知った地名です。
場所は台湾の最南端。高雄の東にあるのが屏東。その中心が屏東市で当駅も市内にあります。
自然豊かで農業畜産業が盛んな屏東。そんなとこだとド田舎をイメージしちゃいますがそんなことなく駅の周りは商業地。日本人に人気のある台湾南にある高雄。その高雄から電車で20分で来れる屏東ですがあまり日本人が来るところじゃなさそうです。良くも悪くも地方によくある駅前といったところ。でも私は来ちゃいました。
屏東は台湾の最南端に位置する都市。
台湾は南国っぽい感じがしますが台湾の首都である台北は冬場は10度を下回ることもあります。でもここは最南端。ここであれば南国気分が味わえそう。
本日屏東に来た理由は南国気分を味わうため。
青い海とか白い砂浜とか見たいじゃないですか。
ビーチでのんびり過ごしたいじゃないですか。
南国カクテル飲みたいじゃないですか。
あと南国のフルーツとか食べたいじゃないですか。
だから屏東に私は来たのです。

こちらは屏東観光夜市です。
規模は小さいですが飲食店が軒を連ねる夜市。
夜市と名がついてますが朝から営業してる店もあります。

こちらは肉圓という台湾料理です。

肉圓の発祥地は台湾中部の彰化なので屏東発祥ではありませんがこのお店のは屏東肉圓という名物料理なんだとか。肉圓は彰化のも屏東のも同じ肉団子ですが彰化のは揚げてるのに対し屏東のは蒸してるんだとか。また皮の材料も異なるなど地域によって違いがあるようです。ニンニクがっつりきいた肉圓。朝から食べるには少々重いですが美味しいです。

この夜市の界隈が屏東の繁華街でしょうか。
KTVもあるしパチンコ屋もある。怪しい店とかがありそうな雰囲気。
飲む打つ買うの三拍子ってのは万国共通でKTVとパチ屋があるのは怪しい街の証拠。呑むと打つがあればソレもあるのでしょう。調べたところこの界隈に私娼が出るんだとか。とある情報源からソレを知りました。

街歩きをする際は事前にいろいろ調べます。
下調べをすることで有意義な街探索が出来るから。
情報は事前にキャッチしてます。
情報源はどこかって??
情報源は台湾版の2ちゃんです。
信じるソースが2ちゃん。
その情報をもとにわざわざ台湾に来てる!
台湾版の2ちゃんねるが情報源。ソースがかなりあやふやなもの。しかも翻訳してみてる。そしてその翻訳も正確ではない。
台湾では性風俗営業が禁じられてます。表向きはその手の店がないことになってます。そのため掲示板の書き込みも伏字や隠語が多く翻訳しても正しく表示されない。
何が真実で何が嘘なのかがわからないんです。嘘を嘘と見抜ける人でないと掲示板を使うのは難しい。でも私は古くから掲示板を見てきた人間です。そのあたりの判断は長けてるのです。
夜市の南側、自由路の辺りが私娼窟になってる。
この付近に私娼がいるはずってことだったけど見当たりません。

なんか、普通なんですよね。
ここに私娼はいないっぽい!
嘘を嘘と見抜けなかった!

台湾の県では彰化に次いで二番目に人口が多い屏東県。
屏東県には80万人近い人口がおりその内25%が屏東市に集中しています。
20万人もいればその手の街があってもおかしくない。でもここにあるのはエステ店くらい。
20万人を支えるには心許ない店舗。それしか店がないんです。
えっ!もしかして屏東ってそういう店がないの?
処理のためにわざわざ 隣町まで電車で!?
市民の人たちはどうやって処理してるの?

自家発電だった。
台湾全土に存在する自家発電器具専門店。日本もかつてエロ本自販機が街中にありましたがそんなのは昭和平成の時代に淘汰されました。さらにはコンビニのエロ本も規制により禁止にそんな環境で自慰グッズ専門店は成り立ちません。
現代の日本では見かけない大人のおもちゃ屋さん。
だって台湾は性風俗は法律で禁止されてます。禁止されてるから表向きはそういう店がない。裏の店を利用すれば罰せられるリスクがある。だから独りでするしかない。
これは台湾人のセーフティーネットなのです。
このように台湾には性風俗店が表向きありません。
でも80年以上前。つまり日本が台湾を統治していたころ屏東には遊郭があったそうです。
屏東には1920年に台湾で初めての飛行場が建設されました。
現在の屏東空港がその空港にあたり。今は中華民国空軍の飛行場になってます。屏東は古くから軍事拠点だったのです。
軍隊集まるところ、色町あり。
兵士の性欲管理は軍部の努め。福利厚生のために遊郭を誘致する。兵士のための遊郭が飛行場そばにありました。

こちらは駅西側にある西市場です。
2025年にリニュー アルオープンした市場。1987年よりここは市場として使われてますがかつてこの辺りに遊郭があったそうです。

厳密には公娼ではない私娼窟。
その私娼窟は人気がありましたが中華民国が統治し始めると性風俗は不健全となったのでしょう。
売春宿は排除されクリーンな街に生まれ変わります。その後ここにできたのは屠畜場でした。
外省人が渡ってきたことで牛肉食が盛んとなり食肉の需要が高まりました。そのため屠畜場に生まれ変わったのでしょう。また政府は屠畜税を設け屠畜の際に税金を課すようになります。屠畜をすれば課せられる税金。屠畜業者にとってはたまったもんじゃありません。中には税金逃れをする人もいたようで隠れて屠殺をする不届き者もいたそうです。そのような人たちがこの界隈にいました。

屠畜の際に発生する食肉残渣。それをここに捨てていたんだとか。
とくに価値のない牛の頭は川岸に捨てられそれが積み重なって山ができたそうです。
そのためこの界隈は牛頭山と呼ばれてたんだとか。
でもそれも古いころの話。現在は屠畜をしているところはなさそうです。
また牛頭山は俗称なので地名として残ってません。

でもこちらの飲食店にその名が使われてます。
これがここが牛頭山だったという証拠。
戦前は私娼窟でしたが戦後に屠畜場へと生まれ変わった牛頭山。とくに屏東は今でも畜産業が盛ん。そんなわけで相当儲かってたのでしょう。実際に羽振りが良い人が多かったそうでこの界隈は賑やかになっていきレストランに茶屋、映画館などができたそうです。当然そっち系の店も誕生します。戦後も変わらず私娼窟へとなっていったそうです。

それがこの辺りになるのでしょう。
もともとは公娼街だったのかもしれません。
でもそれもはるか昔の話。もうここは私娼窟ではありません。

いや今でも全然私娼窟。
台湾の性風俗営業は違法。
だから気づかれないようカモフラージュしてます。
そのため表向きは 何の店かわからない。

いやこれは確実に飾り窓。誰がどう見ても性風俗店。

いやこれは普通の民家です。
だって風俗はだいぶ昔に消えたはずそんな怪しい店があるはずないじゃない。これは豪雪地帯で よくある風除室でしょ。室温を下げないようにするやつ。
台湾の最南端なのに?

風除室という割になんか椅子とかあるんですけど。
これは座って日を浴びる。サンルーム的なヤツかな。
これは明らかに ショーウィンドウ。商品が飾られるやつ。そしてその商品は商売女。やっぱりこれは飾り窓。

ここは風除室じゃなくて風俗室だった。
情報では摘発されたとか潰れたってことでしたがその様子はなく現役の模様。
しかも現在朝の7時過ぎですがすでに営業してる店があるんです。
屏東の人、朝から風俗行く人が多いっぽい。

営業してるのが4軒ほど。女の子は少なめです。
見た感じだと中華な雰囲気はなさそう。どちらかというと東南アジア。
やっぱりタイかベトナムの人でしょうか。
飾り窓にタイ人。
タイ本場にはない飾り窓スタイル。これじゃあここは台湾の横浜黄金町じゃないですか!
台湾の風俗、全然隠れてなかった。
当然看板は出てませんがガラス越しに見えるのは看板娘。風俗然とした店の外観。誰しもがここがどんな店なのか想像がつく。
いやいやここはたぶん飲食店か何か。入り口に立ってるのはただの女給。
おいしい料理を運んでくれるのでしょう。女給だって女の子だもん。急に恋が芽生えること だってあるじゃない?そういう店なのでしょう。日本でいう小料理屋と同じです。それを日本ではちょんの間っていうんだぜ。

西市場近くの西樂街。
ここは日本統治時代に私娼窟があった場所。
そんなところだからかここには日本のちょんの間っぽいのがあるんです。
これらは台湾で豆干厝と呼ばれてるところ。食事をしてたら恋に落ちるわけではなく
ここはするだけの店。
台湾も摘発により縮小傾向にあるようです。
でも探せば駅近くに普通にあるし屏東は内埔ってところにも豆干厝があるとかないとか。
私娼窟だらけ!!!
屏東の魅力は白い砂浜でも青い海でもなく豆干?という台湾版のちょんの間だった!!!
これじゃあ南国要素がまるでない。
ちゃんと南国が味わえます。
だって出てくるのはタイ人ですから。






















































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