【センベロならぬセンヌキ】飲兵衛の街「北千住」の怪しい歓楽街

本日は北千住に来ております。
こちらは北千住駅です。足立区南西部に位置するターミナル駅北千住。
北千住は日本で5番目に乗降者数の多い駅。新宿、渋谷、池袋、横浜の次に多いんです。
東京駅、梅田駅、名古屋駅よりも上。一日の乗降者数は140万人で世界で6番目に利用者が多い駅なんだとか。
世界で6番目にしては街は大きくありません。
おそらく乗降者の約半数は乗換えなのでしょう。それでも多くの人が利用する北千住駅。
たしかに北千住駅って便利なんです。
常磐線に東京メトロ日比谷線に千代田線。伊勢崎線とつくばエクスプレスが乗り入れてます。さらに千代田線は小田急線に直通運転してるし伊勢崎線は半蔵門線と田園都市線とつながってる。めちゃくちゃ使い勝手の良い駅です。そんなわけで住みたい町として人気のエリアで高層マンションがどんどん建っています。
多くの人が利用するため駅前は賑やか。このように便利で賑やかな北千住。
北千住のイメージってなんでしょうか?
下町のイメージ?
北の玄関口?
学生やファミリーに人気の街?
そんなことない。そんなことない。
北千住のイメージ、
ガラが悪い。
駅前の治安があまり良くない。
酔っぱらいが路上で寝てる。
総じて質が悪い。
北千住のイメージ、飲み屋。
そうです。北千住って飲み屋街のイメージ。
北千住は歓楽街なんです。
千円あればベロベロになるまで飲める。安く飲める店が北千住にはあるんです。

それがこちらの道です。
北千住駅西口側、千路通りの一本隣り、マクドナルド脇に南に延びる細い路地があります。昭和の雰囲気が漂う細路地。こちらの道はときわ通りと呼ばれる飲み屋路地。
通称、飲み屋横丁。名前の通り飲み屋が軒を連ねる横丁。
かつてはピンサロストリートとも呼ばれてました。
質の悪い通称名称。
ときわ通りは北千住を代表とする飲み屋街で北千住のイメージはまさにここです。
居酒屋、スナック、バー、キャバクラ、定食屋から焼肉店、多国籍料理。200軒近い店が軒を連ねるときわ通り。ここに来れば大概のものは食べられる。足立区一番の歓楽街です。

こちらは水商売専門の建物。
さしずめ水商売モールといったところ。
ガールズバーにボーイズバー、キャバクラに姉キャバに熟女。それにフィリピンとぽっちゃり。
ぽっちゃりというジャンルが当たり前にある。コンテンツとして成り立つのは需要があるから。熟女系の店が多いのも需要があるから。あとは供給も多いのでしょうね。

居酒屋も多いですが水商売の店が結構あります。
その多くがガールズバーです。

ガールズバーの起源は2004年、八王子にオープンしたお店が発祥なんだとか。
キャバクラのように隣に座って接待はないけどカウンター越しに女の子と会話ができる。形は違えど会話を楽しむ点ではキャバクラと一緒。
風営法の関係で夜間営業ができないキャバクラ。夜もこれからって時に店は閉まっちゃうんです。でもバースタイルであれば深夜営業も可能。そんなわけでガールズバーが人気となりました。
店側も開業手続きが楽だし法的制限も少ない。閉めようが開けようが店の家賃は一緒なわけでそれだったら「深夜営業できる方がいいじゃない!」ってことで人気も相まって増えたのでしょう。ガールズバーができたのって2004年だったんですね。
いやそんなことない。
ガールズバーの形式の店はそれ以前からあった。
当時は名称は違ったかもしれません。でも女性バーテンダーの店とは呼ばれてました。
そもそもスナックとガールズバーはほぼ同じです。古くから同じ業態がありました。

ほら、北千住にだってあります。
店の外観はだいぶ古くから営業してる様子。昭和のころから存在してそうな感じです。

「高級優遇す」
古文のサ行変格活用動詞の終止形「す」。
我が代表堂々退場すくらいでしか使わない。昭和8年のころの言い回し。
でも電話番号が市外局番を抜いて8桁なので1991年以降にできた店のようです。
古文の言い回しのくせに平成3年以降。
平成になってからこちらのバーは営業す。

こちらのお店、シーシャを吸いながらポーカーができるようです。
カタギが経営者じゃなさそうな店。
オンライン賭博や薬物事件が多発する現代。なかなか攻めた感じの二つを選んでます。
でも健全なお店なんでしょう。
ちなみにこちらのお店、もと雀荘でした。

カタギが経営者じゃなさそうな店!点ピンでポーカーができそう。

チープな飲み屋が軒を連ねるどこにでもある飲み屋横丁なのかと思いきやいろんなジャンルの飲み屋があるときわ通り。昭和の雰囲気を残しつつも進化してるようです。ここであれば毎日飲み歩いても楽しめそうです。

実は北千住の飲み屋には行ったことがなかったのです。北千住で飲むとしてもウーロン茶くらい。
どんな店でウーロン茶飲んでるのか想像つく。
北千住はウーロン茶飲む店があったのです。
北千住駅前のときわ通り。通称ピンサロストリートと呼ばれていた通り、ここはサロン街でした。居酒屋やスナックが軒を連ねる飲み屋街にしれっと飲食店のような雰囲気でサロン店があったのです。
北千住には特殊浴場が三軒あったそうです。
一軒は駅東側にあり、残りは駅から離れてました。そのため北千住は風俗過疎地みたいな感じですが、ときわ通りには飲食店を装った店があったのです。
でも壊滅してしまいました。
宿場町として江戸時代に発展した千住。北千住は東北地方の玄関口でした。そのため町は栄えそっち系の店があったそうです。北千住は女郎が多くいる宿場町でした。
近代になってからは遊郭が誕生。売春防止法施行まで赤線街がありました。そのような町だったからなのでしょう。駅前の飲み屋街にはサロン店があり各所に特殊浴場があったのです。
しかし近くに吉原があるような立地。駅利用者が多いけど風俗利用者は少なかったのでしょうか。北千住にあった特殊浴場はすべて閉店しました。
吉原にあるソレとは業態が違うサロン店。
それらは生き続けたのでしょう。しかし社会的にも法的にも引っかかる業態。
そして時代的にも合わないとなったのでしょう。ピンサロストリートと呼ばれたときわ通りですがもうその様子はありません。北千住は本当の風俗過疎地になりました。

唯一残ってるのがこちらの店。
まだ残ってたんだ。
ここは北千住で生き残る一凛の花。
回転はしない店ですが花がここに咲いてます。
これは店名通り奇跡の店。

っていうか値段がかなり良心的なお店。
センベロだなんだと言っていますが実際は1000円で酔っぱらうのは難しい時代。安い飲み屋はありますがそれでも3000円くらいかかります。
調べたところこちらの店は30分3000円。大塚のソレと同程度の値段。
10分1000円。センベロならぬセンヌキ。これはまさにミラクル。

いやいやせっかく飲み屋街に来てるんです。
ウーロン茶だけで済ますのはもったいない。
北千住のイメージは飲み屋です。ここは一杯飲んでくべきですよね。

ってわけで本日はこちらの店に来ました。ときわ通りにある創業80年の老舗居酒屋です。
1948年にできたお店。
もともと酒屋でしたが戦後に居酒屋に転業。以後北千住の飲み屋街を見守ってきました。
同店は歴史も古く北千住では有名店なんだとか。ちなみに吉田類も同店を訪れてるようです。
高確率ですれ違う吉田類。

ちなみにこちらのタイ料理屋さん、北千住の飲み屋街にあるのですがこちらは孤独のグルメで井之頭五郎が訪れてます。
五郎さんとも結構すれ違いがち。

安く飲むなら焼酎ですがいつも通りビールで。

そして安く飲むならやっぱりモツ煮です。こちらのお店は豚モツではなく牛モツ。
牛のモツ煮は甘みがあっておいしいです。

こちらは千住揚げという名物料理。
魚のすり身と玉ねぎが入ったさつま揚げ的なヤツ。丁寧に作られた料理です。
しょっぱい味濃い脂っこい。
居酒屋ってだいたいこんな感じです。それもそれでいいんですがこの素朴な感じ。相性が良いのはビールじゃなくて日本酒ですね。
飲み屋で長居は無粋です。こちらでは2000円分飲みました。
今の時代 せんべろってわけにはいきませんね。全然飲み足りないんで次の店に行きます。
やっぱ飲み屋街ははしご酒でしょ。

こちらは駅北西にある毎日通り飲食街です。
毎日飲む人のための飲食街。北千住は飲兵衛の街。ときわ通りに集約されていると思ってたけど駅前以外にもこのような路地があるし各所に飲み屋が点在しています。

北千住に飲み屋街があるんじゃない。北千住が飲み屋街だった。

ってことで気になったのはこちらのお店。
毎日通り飲食街の近く、旧日光街道沿い。こちらは以前から知っていたお店でした。
東京には東京三大煮込みなるものがあり森下の「山利喜」、月島の「岸田屋」、そして北千住の「大はし」。この三店がそれに該当するそうです。つまり美味しい煮込みが食べられるようです。ってなるとちょっと気になります。
でも私はもっと気になる店があるんです。
やっぱりセンベロの街北千住。その雰囲気味わいたいじゃないですか。

いやここはセンヌキ店。
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【怒りのデトックスロード】高雄九如二路のエロエステ街、排毒一條街

本日は高雄に来てます。
こちらは高雄駅の北側、東西に走る九如二路です。
今いるのは自立一路との交差点のあたり。住所は高雄市三民區です。
全長約1.8kmほどの距離があります。
徒歩20分ほどの道のり。ちょうどよい散歩コースです。
旅行時で最も気を付けることは体調管理。体調が悪いとやりたいこともできなくなります。
そんなわけで本日は健康のことを考えてウォーキング動画を配信していきます。

片側3車線の比較的大きな道路「九如二路」。駅からも近いので結構にぎやかな道で飲食店以外にも工場やオフィスがあります。高雄の中心は南側ですがこのあたりも栄えていて雰囲気がよさげ。日中になればさらに賑やかとなるのでしょう。

ちなみに道の名前である九如二路ですが九如とは長寿祝福の言葉で命がいつまでも続き穏やかな日々が過ごせるって意味が込められてます。
すごい健康的な名前。散歩に適した街路です。またこの道は一部の人にデトックスストリートと呼ばれてるそうです。
デトックスとはまさに健康的な言葉。九如二路にぴったりの名称ではないでしょうか。なぜこのように呼ばれているのかというとデトックスストリートには怪しいエステ店が乱立してるからです。
全然穏やかな道じゃない!これはマッドマックス怒りのデトックスロード。

高雄駅の北側。
オフィス街のような雰囲気ですがなんかそれにまざってエステが複数あります。
健全そうなエステですがどうやらこのエステ、デトックスできるんだとか。
デトックスロード。
中国語では排毒一條街と呼ばれているそうです。排毒とは体内にたまった毒素を出すことです。
老廃物を外に出すことで体調を整える。それが排毒。でもここではどうやって毒を輩出するの?
下半身から毒を抜きます。
ヌクって言っちゃった。

1.8kmある九如二路に40軒近いエステが乱立するエステ街。だからデトックスストリート。
それはある意味健康的な道。でも健康的なエステと違いここにあるのは不健全。そっちのサービスが あるようです。手かな口かな?それともアレかな。サービスに関しては半茶と全茶があるようです。

半茶と全茶?。
お茶が出てくるシステムなのかな?
半茶とはハーフサービス。手や口のサービスってこと。
全茶とはフルサービス。つまりそれは... あれがあれで...。そういうエステなんだとか。
これが中国4000年の排毒エステ。
通り沿いにはスパを名乗る店があります。でも怪しい雰囲気はなく見た目普通のエステ店。それもそのはずで幾度も摘発に遭ってます。そんなわけで表向きは普通のエステなんでしょう。そうやって摘発から逃れているのです。

でも実際に普通のエステもあるから難しい。
この少ない看板情報から正解を見つけ出さなければなりません。台湾は中華民国。
そのため東洋由来の按摩というものがあります。でもこの排毒街にあるエステはタイかベトナム。
中国は中国式マッサージがある。
タイはタイ古式マッサージがある。でもベトナムのマッサージって聞かないです。
ベトナムのマッサージってなんだろ?
調べたところベトナムのマッサージは中国の東洋医学とタイ古式マッサージと日本の要素があるそうです。
日本の要素が一番気になる。
エステじゃなくてヘルスな件。鼠径部メインでマッサージしてそう。仰向けでマッサージするやつ。それマッサージの要素が性感要素。
高確率でそっちのサービスが期待できそうなベトナム式マッサージ店。
この排毒街にかなりの数あります。

どこがベトナムなのかを判断するのは越の文字を見れば一目瞭然。ベトナムの越の字が掲げられてるところはほぼベトナムの店と思って相違ない。そしてそれらの中に日本の伝統マッサージである。駅前チャイナエステ的な店があるのです。日本じゃなくて中国だった。

でもその怪しいエステの発祥は日本。
本場中国式マッサージが日本で魔改造。それがベトナムに伝わり台湾へ伝来。そしてこの街ができました。ここはグローバルなエステ街。ベトナムのも味わえるし。中華やタイのマッサージもある。日本の駅前と同じエステがここで味わえるんです。マッサージイカガデスカの台湾バージョン。それがこの界隈にあるそうです。マッサージイカガデスカって言ってるのは皆中華。

高雄駅のあたりに来ました。
駅前ではあった。

高雄駅は1940年に建てられました。
現在の駅舎は2018年にできたそうです。

前の駅舎は文化財に指定されています。

現在の高雄駅の中はこんな感じ。開放的できれいです。
台湾鉄道は現在各地で地下化がはじまっています。これから駅前がどんどんきれいになるのでしょう。そんなきれいな駅の近くにある排毒一條街。まだまだデトックスストリートは続きます。

こちらは駅の東側の 九如二路です。
駅前ってことで飲食店があるようです。海鮮熱砂と書かれている店があります。
熱砂は日本でいう居酒屋のようなところ。火で炒めたものを提供する店って意味のようです。台湾の屋台ではアルコールの提供がありませんがこういうところであればお酒が飲める。仕事終わりに熱砂で一杯。そんな台湾人も多いのでしょう。とくに駅前はビジホが多くあります。ホテルで寂しく飲むよりもその土地のものを酒のアテに呑む。台湾人だってそう思う人も多いはず。高雄に出張した人が熱砂へ飲みに行くのでしょう。
じゃあ飲んだ後はどうするの?
アレな店には行かないの。
ここは排毒一條街。
やっぱり排毒しちゃうのかな?

まさかの一人ホテルで処理するやつ。
駅前にある大人のおもちゃ屋さん。高雄に出張する人はひとりさみしくおもちゃで処理するんですね。いやここは排毒一條街。別に一人で処理する必要はないんです。そもそも大人のおもちゃ屋さん。自慰グッズを扱ってるだけじゃありません。行為にバリエーションを増やすのもあるんです。必ずしも一人用のものだけではないのです。

えっ!?もしかしてここにある排毒店。
バリエーションが増えた施術もできるってこと?
もうそれエステじゃない。でもなんか、ありそうな感じがします。

タイが多め。
まるでタイのマッサはそっち系。バリエーションがあるような言い様。
バリエーションってなに!?

こんな感じでタイが多めの排毒街。
でもかつては様々な国のエステがあったようです。駅前で需要があるため。
そうなれば供給がされ店は軒を連ねる。様々な国のエステがここに乱立したのでしょう。しかし需給が過熱すればサービスも過激化。警察に目を付けられ一斉摘発に遭い。かなりの店舗が潰され エステ嬢が逮捕されました。
その際に逮捕者の名前が出ていたのですが、
グエンさんとグエンさん。
あとはグエンさんとグエンさん。
それにグエンさんとグエンさん。
グエンさんが多すぎる。
どこの国の人か 容易に想像できるけどほぼ匿名で逮捕されたのと同じ状態。

九如二路の東側の端っこまで来ました。
この先は九如一路となります。大通りを境に少し街の雰囲気が変わります。
これまではエステが乱立してましたがこの先にはそういう店がない感じ。ちゃんと棲み分けができてるのでしょうか。
いや多分駅から離れてるからでしょう。
もうこのあたりは隣駅の民族駅です。そんなわけでエステ街ではないようです。じゃあ戻ります。
こいつ行く気満々。

本日は高雄駅の北側。
九如二路を歩きました。たまにはこういう旅もいいですね。
なんかいつも通りっぽいんだけど...。
いつもであれば風俗街や歓楽街を巡りますが本日はエステ街を巡ってただけ。
不健全なことはしていません。不健全なことができる街であることは自覚してる。それにしてもデトックスストリート。
排毒一條街とは言い得て妙ですね。
実際にその手の店もありそうでした。あえて排毒という言葉で濁すのは。台湾っぽい感じがします。台湾って結構隠語とかが多いんです。直接的な表現を避けてわかりづらくする。それもこれもその手のビジネスが違法だから。わかる人にしかわからないようにしてるのです。AI翻訳では訳せません。でもなんとなくニュアンスでわかります。ソレが理解できるのは漢字圏の日本だから。
毒を輩出する...?あっ!ソレ!!って感じで認識できます。
そういう間接的な言い方、素敵です。

ちなみにこちらの道は高雄駅の裏側ですがここにも別称があります。
台湾の道は どこも二つ名がある。そして間接的な言い回しのところばかり。ここもエステが多いし駅前なので駅前排毒街でしょうか。
エステ街ですが排毒街とは言わ、の辺りは情色一條街。
セックスストリートと呼ばれてるそうです。
直接的すぎる。
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西の○○が多すぎる!相変わらず治安が悪い怪しい街「町田駅前歓楽街」

本日は東京都町田市に来ております。
こちらはJR横浜線の町田駅前です。
西の渋谷や西の新宿と称される町田。
駅前には百貨店があり賑やかな街並みです。買い物するにも遊ぶにも便利でわざわざ都心に出ずともここで完結できる。ほぼ都心を西の外れで再現してます。
一応町田は東京です。
でも駅の西側は神奈川県。県境や市境って治安が悪くなるもので町田も同じように治安が悪いエリアでした。
駅前から悪そうな空気が漂っていて路地裏に入ると悪そうな人たちがいっぱいいる。ヤンキーが多くカタギじゃない人もいる。町田は粗暴な人が多い街でした。
でもそれは20年も30年も前の話。
町田駅前は駅前開発によりキレイになり安全な街へと生まれ変わりました。と思ったのですがどうも様子がおかしいんです。
駅前から悪そうな空気が漂ってるんです。
20年前と何も変わってなかった。
JR町田駅北口目の前にある駅前広場。まほろデッキと呼ばれるスペースがあります。待ち合わせスポットになっているのですが怪しい人たちが凄いいっぱいいるんです。
街行く人に声をかけています。
キャッチかな?って思いましたがどうも違います。どうやらアンケートを募ってるようです。
でもアンケート調査をするにしては見た目容姿がイメージとかけ離れてます。
アンケートって年配の女性がしてるイメージです。だってチャラそうな人だとみんな避けるでしょ?ケバイ女性だとみんな避けるでしょ?やさしい感じの年配女性であれば安心です。
でも町田でアンケートを募ってる人、チャラそうな人だしケバイ人なんです。
人は見かけで判断するなっていうけれど、
チャラそうな人「投資とかに興味ありますか?」
いや明らかに投資詐欺のソレ。
ケバイ女性「夢を叶えたくないですか?」
マルチ商法のソレ。
生気のない男性「社会に不満はないですか」
新興宗教のソレ。
絶対ついて行っちゃいけないやつ。
アンケートと称し声をかけそのまま勧誘する。
風俗の勧誘、マルチの勧誘、宗教の勧誘、そして闇バイトの勧誘。
駅前にいるこの人たちがどれなのかは不明ですが確実にどれかの何かを勧誘してる人たち。そんな人がJRの駅前にいっぱいいるんです。目視できるだけで10人以上。明らかにおかしいでしょ!

こんなのが野放しになっている町田駅前。
町田、以前よりも治安が悪そう。西の渋谷、西の新宿じゃなくて西の歌舞伎町。治安の悪さがひしひしと感じるんです。
いやいやそんなことはありません。確かに駅前には怪しい人がいっぱいいる。でもそれは駅前だけ。町田はキレイになり治安の良い街になってます。生まれ変わったのです。
東京の西にある歓楽街 原町田。
本日は昔とは違う治安のよくなった町田を散策します。
こちらは小田急線町田駅の東口側です。
東口から以前の東急ハンズの辺り、住所だと原町田6丁目と4丁目の辺りでしょうか。そこが町田の中心地になります。
この辺りに来るのは久しぶりです。最後に来たのはコロナ前でした。たった数年ですがだいぶ雰囲気が変わってます。
実は二年前にも所用で町田駅には来てたのですがその時はJRの南口側にしか行きませんでした。
JR町田駅南口はかつて田んぼと呼ばれたところ。町田にはかつてちょんの間がありました。今は壊滅してちょんの間はありません。
今の田んぼにあるのは、ラブホテルとヘルスです。
所用が何なのか想像できる。

こちらはパソコンショップですが以前はマルカワという衣料品店がありました。西の下北沢や西の原宿と称される町田。古着屋や衣料品店が結構あるんです。町田はファッションの街なんです。60年前にできたマルカワはその先駆者。しかし2021年に閉店したそうです。

こちらの平和堂も老舗の衣料品店です。
オシャレな人はこういう店で服を買ってました。こちらのお店は何度も利用してます。私もオシャレな人だったのです。
しかし平和堂も2025年に閉店。もう町田はファッションの街じゃないのでしょうか。
ちなみにこちらの平和堂で扱っていた商品は肩にトゲトゲとかついてる服でした。
これは世紀末覇者ラオウもびっくり。
町田のファッション、北斗の拳の雑魚キャラ。
そして私も雑魚キャラの一味だった。
雑魚キャラが着そうな服が売ってましたが、それはパンクロックのステージ衣装です。
まるでパンクロッカーが雑魚キャラ扱い。
私はそういうのは買っていません。ここで買ったものといえばスカジャンでしょうか。
リアルな雑魚キャラが着てそうな服。

町田のちょうど真ん中あたり、こちらには大きなビルがありますが町田が西の渋谷と呼ばれる所以になった建物です。かつてここには109がありました。

2002年に開業した109町田。オープン当時は中高生向けの店が出店してました。ほぼ渋谷のソレと同じものが町田にあったのです。
ギャル文化の聖地といわれていた渋谷109。それと同じと考えてよい109町田。ここは西の若者の聖地だったのです。しかし流行の変化にあわせられなかったのか。多くのテナントが撤退。109町田は2018年には閉店しました。

現在は公民館として利用されてます。
中高年向けの施設になってる!
街の中央にある大きなビルに公民館が入居するハコモノ行政に失敗した自治体みたい。
町田は一時期と比べると衰退しているらしいです。
街並みはキレイに整備されていますが実際に老舗の衣料品店が潰れています。
地価高騰、人口減少、近隣都市との競争、ネット通販の浸透、ファストファッションの台頭、経営者の高齢化による店舗の減少。衰退している理由は様々あるようです。

閉店しているのは衣料品店だけではありません。かつてあった飲食店ももうなくなったようです。
こちらはレンガ通りってところです。
飲食店が軒を連ねるエリア。中野レンガ坂のようなところ。ここは西の中野と呼んでもよいところ。
駅前で使い勝手がよい飲み屋街。居酒屋などが多く、よくここに飲みに来てました。

たしかこのあたりサロン店がありました。
よく飲みに来てた店、ピンサロ。
飲んでるのはウーロン茶だった!
飲み屋が多くあるレンガ通り、居酒屋やバーが軒を連ねるエリア。そんな飲食街には飲食店のサロンがあったのです。まるでピンサロを飲食店扱い。

でももうサロン店はここにはありません。
人口減少、少子高齢化、小売店経営者の高齢化、様々な理由でサロン店は潰れました。
いや潰れた理由はたぶん法律的な理由。町田は西の大塚だった。

この界隈は居酒屋が多いエリアですがキャバクラやガールズバーも結構ある地域です。町田の歓楽街といえばこの界隈になるのでしょう。まさに西の歌舞伎町といった感じ。

高齢化がそうさせてるのでしょうか。町田も熟女が多めの街。熟女系飲食店があります。
かつては若者の街とも呼ばれた町田でしたが現在の若者は町田に来ない。来るのは年寄りくらい。もうここはおじいちゃんの原宿。町田は西の巣鴨。だからお店も年配者向けになるんです。

私も最近若いキャストがいるキャバクラより一定の年齢に達した熟女系飲食店によく行きます。よく行くんだ。

こちらは手コキ系飲食店。
いやここは飲食店ではない。
飯食うシステム自体がここにはない。
仮に飯が出せたとしてもエロビデオ見ながら飯食うやつはただの変態。
全国展開しているおててのお店。昨年まで新宿にもありましたがそちらは閉店。近場だと上大岡か横浜、それと西川口でしょうか。つまりここは西の上大岡で西の横浜で西の西川口。

ビデオを見ながらアレを楽しむ。
いいんじゃないでしょうか。
私のおすすめの邦画三選は、
デンデラ。
ポストマン・ブルース。
麻雀放浪記2020。
クセの強そうな映画三選。
入室してきたキャストに確実にドンびかれる。そしてこの店にはそんな邦画は絶対置いてない。

こちらは大和横丁って路地です。飲食店が軒を連ねるエリアとなっています。居酒屋が多いのでよくここに飲みに来てました。そんな路地の中腹にホテヘルがありました。
なんか別のモノ飲んでそう。
この界隈にあった夜遊びのお店はちょっと特殊でコスチュームを楽しむお店。
なーんだイメクラか。
まぁ確かにそうなんですがちょっと特殊でキャストの衣類をけがしてよいYoasobiスポットなのです。
まさに服にかける。

でもその店はもうなくなったみたい。
と思ったら受付所はまだ残ってる。
つまりこれはまだ夜遊びができるってこと。
サロン店は壊滅したけど受付所は残ってた。
ここは店舗型が少ない町田のオアシススポット。
町田は西の池袋だった。

飲み屋は多いけどそっち系の店が少ない町田。店舗型はないけど受付型は残ってます。受付型ってことはここで受付をしたあと近くのホテルに向かう。でも町田のホテル街ってちょっと遠いんです。

以前は裏手にレンタルルームがあったんですがどうやら今はやってないようです。現在は少し離れたところを使うのでしょうか。

大通りから一本それたJR横浜線脇にある路地。こちらにレンタルルームがあります。

昔からこの路地は空気感がよくないエリア。以前は黒人がヒップホップ系の服を売ってました。あまり人が立ち入らない路地でした。JR線沿いは大体こんな感じです。

こちらにはセリクラと書かれた看板があります。女の子を競り落とすデートクラブ。JR町田駅のそばには「市」が立ってたのです。
上野、船橋、町田とあったセリクラですが現在は立川だけになってしまったようです。

立川と同じサービスが味わえた町田はある意味西の立川だったんですね。いや経度的には町田より立川の方が西側、だから東の立川と呼ぶべき。

こちらの路地は仲見世商店街です。
歴史ある商店街で1947年の闇市が起源。1953年に現在の商店街の名称になりました。商店が軒を連ねる姿はまさに上野のアメヤ横丁。そのため西のアメ横とも呼ばれてるんだとか。

仲見世は商店街と飲食街があり飲食街の方は新宿の想い出横丁のようなところ。町田は西の新宿思い出横丁。
雰囲気は思い出横丁ですが仲見世はスナックもある飲み屋街。新宿ゴールデン街みたいなところ。つまり町田は西の新宿ゴールデン街。
町田に西の○○が多すぎる。

仲見世では飲んだことが一度もありません。結構よさげな店もあるし 人気店もあるそうです。だからここで一杯ってしたいのですが、下調べなしで入店するのは少し不安。一見が入るには勇気が必要な店が多い。難易度高めの飲食街なんです。
でもせっかく本日は町田にいるんです。町田で一杯やってこうと思います。

ってことで本日はこちらのお店へ。
こちらは馬肉専門店で桜鍋を提供してくれるお店。
肉といったら西は牛肉で東は豚肉ですがもともと関東では肉といえば馬肉でした。しかし馬肉よりも生産量が多い豚肉の消費が多くなり、関東ではカレーも肉じゃがも豚肉になりました。
こちらのお店の創業は1884年。まだ鉄道が開通する前からあるお店です。その当時の町田は養蚕が盛んだった八王子と湊町横浜をつなぐ絹の道の中継地点でした。鉄道のなかった当時の輸送手段は荷馬車でした。同店は創業当時は馬を扱う家畜商だったようですが鉄道開通後は馬肉料理店に鞍替えしたそうです。

また町田には以前屠畜場があったそうです。
現在はマンションとなっていますが1928年から1981年までの53年間、このあたりに原町田屠場がありました。
かつては15軒以上精肉店があったそうで町田は食肉の街でした。
そう、町田は西の品川だったのです。
食肉の街で馬刺しを食べる。そんなわけでこの店に来ました。

馬肉料理屋さんなので馬刺し桜鍋あとはメンチ、他にもソーセージや煮込みなんかもあります。

とりあえず馬刺しを注文。こちらは並みですが上の方がおいしそうだった。まぁでも馬刺しは馬刺しおいしいです。
牛刺し鳥刺し豚レバ刺し、かつては安く食べられたんですがどこも高いしそもそも提供されなくなりました。20年前は当たり前のように食べてたレバ刺し。
今でも隠れて提供している店はあるのでしょう。そのため食べられないわけではありませんがやっぱり堂々と食べたいじゃないですか。
ちなみにタイでは合法にレバ刺しが食べられます。合法だとしてもタイで生ものは不安しかない。

こちらは桜鍋です。
一人用の鍋。この手の料理は大体二人前からなので一人用でも出してくれるのはうれしいです。
桜鍋をアテに一杯。
そういった飲み方も町田ではできます。
馬肉料理はいいですね。
豚肉や牛肉よりもこっちほうが好きかも。さらにはプラスアルファの効果がある馬肉。どうやら滋養強壮や精力増強効果があるんだとか。
じゃあこのあとどうする?
それも町田ではちゃんと用意されています。線路の向こう側、川を渡った先に色々あります。
結局今回も線路の向こう側に行くんだ。
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【台湾高雄の流鶯街】学生を惑わす河北路の街娼とは!?

本日は台湾の高雄に来ております。
こちらは高雄駅の西側にある三鳳中街という商店街です。

100年ほど前にできた商店街でかつては輸入雑貨を扱うところでしたが現在は土産物や菓子を販売する街になりました。高雄で土産物を買うならここに来るのがよさそうです。

こちらは高雄駅の東側にある高雄電脳街と呼ばれるところです。
日本の秋葉原や大阪 日本橋のようなところ。電気製品を扱う店が多めの街。

こちらは日本橋資訊廣場となってますので日本橋要素が強いのかな。
日本と同じように電器と2次元は親和性が高く台湾の電器街もアニメや漫画に精通しています。

街中も二次元要素が強く、こちらはLRTのマスコットキャラクターである輕軌少女隊です。

千本桜歌いそうな見た目。

こちらのキャラ。これは九州にいるヤツ。
ほぼパク...似た感じのキャラ。なんかに抵触しそうな キャラクターです。

いえいえ問題ありません。
これは熊をモチーフにしたキャラクター。ツキノワグマに似てるだけです。
しかも本家ともちゃんとコラボしてるんだとか。

本家って言っちゃった!
高雄駅前ってこんな感じで賑やかなんです。

こちらも高雄駅に比較的近いところにある学校「高雄市立高雄高級中学」です。
台湾では高校を高級中学と呼びます。
年齢も日本と同じ15~18歳。そのためこちらは日本の高校と同じです。
同校は日本統治時代の1922年にできた学校で台湾では10本の指に入るエリート校なんだとか。
ちなみに高雄市長の陳其邁氏も同校出身です。医師で政治家の陳其邁氏。明らかにこの学校はエリート校なのでしょう。
共学ですがもとは男子校だった高雄高級中学。そのため現在も男子生徒の割合が多いんだとか。
現在の生徒数は2800人。かなりの男子がここに通ってるのでしょう。

学校の目の前を通るのは建国三路。
その道を渡ると幸福川という川にぶつかります。

河北二路と河南二路に挟まれて流れる幸福川。この通りは通称「流鶯街」と呼ばれる街路。
流鶯とは街をさまようウグイスという意味で売春婦を指す隠語。この界隈はかつて立ちんぼがいるエリアでした。
エリート校そばにあるエリートな街路。
めっちゃ教育上よくない道だった。

高雄駅から南に100m、幸福川沿いに拓けた街路があります。
駅そばということで人通りも多い街路ですがここには多くのウグイスがさえずってたんだとか。
高雄には愛河の西側に私娼窟がありました。でも不幸にも中心地から外れていてちょっと遠い。出来ればコンビニ感覚で利用できればいいのにって声に応えて川沿いに街娼が立ってたそうです。まさに幸福川といったところ。幸せがここで味わえた。
ってか台湾ではウグイスはそんな意味なんですね。不特定多数の人にさえずるあの姿はまさに鶯。
台湾人にとって鶯はそんな意味があるようです。これじゃあ台湾人が鶯谷の地名を見たらそんな街だと思われちゃう。
いや日本人にもそんな街だと思われてる。
高校の目と鼻の先が私娼窟。
高校近くにそんなのあったら高校生活エンジョイできそう。
いやさすがに高校生が私娼としてたら高校生活支障がでそう。
実際に支障をきたしてたそうで青少年に声をかける街娼もいたんだとか。
質が悪い街。

高校生にも当たり構わず声をかける街娼。この辺りは進学校そばだからか学習塾が多いです。
塾の帰りに妖艶な女性が声をかけてくる。
誘われたら、いくよね。
まだ高校生だけど、男の子だもん。
そんなわけでまだ学生を卒業していないのにここで“卒業する”人もいたんだとか。
そりゃそうなるのも当然です。エリートってことは頭がいいってこと。でも勉強しなさいしなさいと支配される学生生活。
チャイムが鳴り教室のいつもの席に座り。
何に従い従うべきか考えていた。
夜の校舎、窓ガラス壊して回った。
この流れはこの支配からの卒業不可避。
ここに立つのは30~50代。なんだったら母親と同じ世代の娼婦。ホテルに入るところを見たとしても家族でお泊りなのかな?としか思われない。
多くの学生がこの街で思春期に少年から大人に変わったのでしょう。壊れかけの青い春。
でももしかするとこれ進学率が高いのは早くに卒業してるから。
大人の階段を早く上ることで成熟した大人になれる。ある意味台湾の発展に貢献してる。そういえるんじゃないでしょうか!
いや未成年に手を出す時点でクズ野郎。
金まで取ってるんです。
卒業相手が親世代じゃ全然報われない!!
初体験はいつですか?。
高校生の頃に 立ちんぼの人と...?
もうそれ黒歴史でしかない。
ここで卒業すると性癖を拗らせることになりそう。
間違った方の大人の階段上ってた。
ある意味エリートコースではあるけれど...。
皆に知られた凶悪な私娼窟。
保護者からも苦情があり学校も認知してるけどなぜか警察は動かない。
警察「あれは母親かな?」
神奈川県警とタメ張る高雄警察。
でもそれも20年前の話。今はきれいな川沿いです。
高校生に悪影響を及ぼすものはなくなりました。このようにきれいに生まれ変わった川沿いの街路。

こちらはキャバクラでしょうか。
大してきれいな川沿いじゃあない。違法で不健全な街が合法な不健全な街になっただけだった。
キャバクラの名前に帝国の文字。不健全っぽそうな店名。
ローマ帝国というすごい名前のキャバクラ。店名にローマを冠するので知ってるのはロマン風呂くらい。
やっぱそっち系の店っぽい。

ほらこちらには大人のおもちゃ屋があります。
やっぱりきれいな川沿いじゃない。怪しさは20年前と同じだった。
でも変わったところに出店してますよね。
高校近くにある大人の おもちゃ屋さんなんです。
えっ!?もしかして 最近の高校生ってこういう店で買い物してるの?。
これはエリートまっしぐらの知育玩具屋さん。

街娼がいなくなった今、この川沿いにあるのは健全なおとなのおもちゃ屋さんくらいです。
不健全。

街娼がいなくなった河北路。
今はきれいな街路となりました。

いやまだまだいるっぽい。
こちらは高校に近いホテルです。この辺りは駅も近いためホテルが多いです。いわゆるビジネスホテルでしょうか。でも入り口のところに女性が立ってます。
これは性ビジネスホテル。
ここは皆に知られた立ちんぼエリア。そのため過去に何度も摘発に遭っています。
ここにいる女性たちはただ立ってるだけ。立ってるだけで捕まるってのはいくらなんでもそれは警察の横暴です。法治国家なのであればちゃんと法律を守らなきゃでしょ!

立ってるだけでは捕まりませんが警察もちゃんと捜査をしたのでしょう。
捜査や巡回を繰り返し摘発していきました。このようにして街路に人は立たなくなりました。
でも敷地内に立ってるんだったら問題なくない?
そこは私有地なんだし!
ソープの店前にいる黒服と同じ思考。
台湾の建物は一階部分がセットバックされており雨風を防げるアーケード空間があります。
この空間を騎楼といい、台湾の道交法では歩道の扱いですがこの部分は私有地なんです。
私有地に立ってるだけ。なんも問題ない。だから捕まらない。
いや歩道に供されてるならそこは公共地でもある。やってることは変わらず街娼と一緒。おそらくホテル目の前に立ってるのはすぐ入るためなのでしょう。公共の場に街娼と客が一緒にいる時間が短ければ捕まるリスクは低くなる。
秒単位でリスクと戦う街娼のプロ集団。
プロ意識のおかげなのか現在もこの川沿いではウグイスが鳴いてます。
街頭にまったくいないわけではありません。ぼちぼち街路にはそういう人がいます。
街路には立ってませんがバイクにまたがり客待ちしてる人も。

立ちんぼならぬ跨りんぼ。
ドライブスルーで客待ちしてる。
バイクスタイルは日本にはありませんね。
二輪文化が浸透してる。台湾ならではの客待ちスタイル。
これであればなんかあったとき逃げられますからね!
リスクと戦う高雄の売春婦。
ちなみに台湾では近年。
梅毒などの性感染症が増えてるそうです。
増えてる理由は不特定の人との性交渉が原因なんだとか。
そっちのリスクはがばがばだった。
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東京の西の最果て、かつて栄えたエロい街があった「小作歓楽街」

本日は東京都羽村市に来ております。
こちらはJR青梅線の小作駅です。
国道16号線の外側、東京の西の外れの小作。
この先にあるのは奥多摩です。もう東京じゃないようなところです。
羽村駅と青梅駅は下りたことがありますが小作駅に降りるのは初めて。駅の名前自体は色々あって知ってはいたのですが今まで降りることがありませんでした。
小作駅前は栄えてます。
駅の東側には西東京工業団地という1966年に開発された工業団地があります。都が開発した工業団地で青梅羽村一帯に団地が形成されてます。建設当時は最大規模だったんだとか。
日野自動車やカシオ電機などの工場が現在もあり、かつては東芝の工場もありました。小作は東芝の企業城下町と言われていたそうです。
高度経済成長期のころにできた工業団地。多くの人が小作駅を利用してたのでしょう。
仕事が終わり駅に赴く。
そのまま帰るの?一杯やってかない?
そんな感じで駅前で飲んでいったはずです。そんなわけで小作駅前は飲み屋街となっています。
郊外の飲み屋街ってなんか治安が悪そう。
羽村は一応東京。
でも国道16号線の外側。
もうそこは関東と呼ぶべきか怪しいところです。
東京の西側って治安が悪いんです。
立川市、治安悪い。
福生市、治安悪い。
八王子市、治安悪い。
ヤンキーとか暴走族がいるエリア。
その治安の悪そうな市よりさらに西側。なんかヤバそうな感じがします。そんなところにある飲み屋街。不安でしかありません。
ヤンキーとかいっぱいいそうです。
いやいやそんなことはありません。羽村市は意外と治安が良いエリアなんです。小作駅前は飲み屋街なので少し治安がアレですが、それはどこの歓楽街でも似たようなもんです。東京で考えれば羽村の治安は安全な方。しかもここは有名芸能人も輩出してるんです。
羽村で有名な芸能人といえば、工藤静香さんです。
ヤンキーがいるエリア。
工藤静香さんの実家は羽村で小作駅近くのスナックだったそう。小作駅前はパブやスナックが多いエリアなんです。

ほら、フィリピンパブがあります。
工場勤務の人が仕事終わりに一杯飲む街。仕事終わりに飲むなら居酒屋行くのが普通ですが、ここではフィリピンなんです。
居酒屋的な店がないわけではありません。でもスナックやパブが多めの小作飲み屋街。

こちらも飲み屋ビル。
目に入るのはフィリピンです。

こちらにもフィリピンがある模様。
もうここはリトルマニラ。
羽村市の外国人割合は2.7%。約1500人の外国人がいます。他の地域同様に多いのはベトナムと中国ですがフィリピン人も一定数おり女性の割合が多め。その女性の多くがパブに勤めてるのでしょう。
やっぱり地方の飲み屋街はフィリピンパブ。
でもこれだけフィリピンパブがあるってことはそれなりに需要があるのでしょう。

こちらの通りにも飲み屋が結構ありますが、ここにはかつて桃色のサロン店がありました。
それなりに需要があるサロン店。
そりゃそうなんです。
仕事終わりにフィリピンパブに行く。
ピンパブは気分を高揚させてくれます。でもそれ以上のサービスは期待できません。ムラムラっとした状態のままなのです。
じゃあピンパブあと、どうする?
やっぱあっちのお店に行きたいですよね。
でも小作の近くには歓楽街がありません。
じゃあ新宿歌舞伎町まで行く?
でも小作は東京の西の外れ。同じ東京なのに新宿まで一時間かかるんです。
そこまで待てない!だから近場で済ますとしても近場は西の歌舞伎町といわれる立川か、西の歌舞伎町といわれる八王子か。
小作の人はまがい物しか選択肢がないのです。
でもわざわざ電車に乗らずとも小作駅前にそっち系の店があったのです。
小作駅前は飲み屋にそれに混じってサロン店がありました。けっこう利用者が多く賑わっていたそうです。そんなわけでその当時の小作駅前は西の歌舞伎町と言われてました。
西の歌舞伎町が多すぎる!

しかし現在は一軒もないそうです。
サロン店があったところはスナックやパブに転身。
もうここにはそういう店はありません。
小作は健全な街になったのです。
なんか福生と似た感じ。

福生はサロンの代替としてエステがありました。小作にもエステ店が少ないですがあります。
飲み屋街には必ず存在するエステ店。
飲酒後のマッサージは正しい施術じゃありません。アルコールが早く体内に循環するので体への負担が大きいです。
そもそも酒を呑んじゃうと、勃たな...
どのような理由があるにせよNGです。

でもこのように飲み屋街にはエステがあります。まぁ飲み屋街はそっち系のエステが多いのでしょうね。
でも小作のエステは普通のエステ。
看板からは怪しい感じがしません。

いやここは手でどうにかしてくれそうな感じの店。法的にNGとされてるサービスが受けられそう。

西の歌舞伎町なんて言われているだけあって小作の飲み屋街は広範囲に広がってます。
市役所通りのあたりも飲み屋街になってます。
工場地帯で働く人の憩いの場だと思ってたけど役所の人も来るっぽい。

こちらは小作駅北交差点です。
大通り沿いには飲み屋ビルがあります。
こちらのビルにもかつてサロン店がありました。
10年ほど前に閉店し今は飲み屋になってます。

こちらはフィリピンパブかな?と思ったのですが屋台村みたいなところ。
屋台飯を食べながらショーを楽しむところです。
ショーがフィリピン人だったらピンパブそのもの。
いやいやちゃんとしたお店のようです。
まるでピンパブがちゃんとしてないような言い様。
周りは飲み屋だらけで以前はサロンがあった地域。ショーがあるってなるとそっち系の店かな?って思ってしまいますが普通の飲食店です。
ここは西の歌舞伎町。
ショーが楽しめるんだったらここはギラギラガールズ的な店でしょうか。
ギラギラガールズは普通の飲食店じゃない。

結構広範囲に広がる飲み屋街。
駅から離れれば住宅街になると思いきや飲み屋があるんです。
住宅を建てずに飲み屋を建てた。
昭和の頃にできた街なんでしょう。

飲み屋だらけかと思いきや目の前に畑が広がる、畑と飲み屋が混在する不思議な光景です。
一面畑だったところに飲み屋街ができたのでしょうか。これだけ広範囲に広がってるってことは利用者がいるのでしょう。

でも潰れた店舗も結構目立ちます。
郊外の駅前ってスーパーがあるもんですが駅の目の前にあるのは飲み屋ビルなんです。こちらにもサロンがあったようです。サロンどころか空き店舗が目立つビルです。

飲み屋はあるんですがちょっと寂しい感じ。
どうやら小作歓楽街、衰退しているようなんです。
1960年代後半の高度経済成長期の頃、畑だらけだったところに工場が誘致され多くの労働者が行き来した小作駅前。
広範囲に飲み屋街が形成されているってことはその当時は大変賑わっていたことでしょう。
しかしバブル崩壊とともに客足も年々減少。
駅前には飲み屋がいっぱいあるのに客がいない。そのような中、客を集めようと試行錯誤した結果、出来上がったのがサロン店だったのでしょう。
多くの飲み屋が軒を連ねる小作歓楽街。
生き馬の目を抜くには過激なサービスが必要。
サロン店に業種変更する店が現れました。
わざわざ立川に行かずとも駅前で済ませられる。
そんな触れ込みで客を集めたのでしょうか。当然人気スポットになったのでしょう。
そうなるとほかのところも真似るもので一軒、また一軒とサロン店が増えていったのです。
気が付けばサロン街に成り代わった小作歓楽街。
店舗が増えれば競争は激しくなるもの。
競争が激しければサービスは過激化するものでサロン店は過激なサービスを提供し始めます。
その当時にこの界隈にあったサロン店は西川口を源流とした秘儀NK流の一派でした。
そりゃ賑わうわけです。
順番待ちができるほど人気だったそうです。
しかしそれらは非合法なサービス、当然摘発に遭うのです。

2015年10月にここにあった店が摘発。
それを皮切りにほかの店も閉店したのでしょうか。
現在の小作にはサロン店がありません。
そんなわけでかつての歌舞伎町っぽさは薄れ健全な町に生まれ変わりました。
バブル崩壊以降客足が遠のいた小作歓楽街。
30年以上前に衰退したような感じですが実際は客足は遠のいておらず飲み屋街として健在。バブル崩壊後も企業城下町でした。
企業があればその従業員が飲みに来る。そんなわけで飲み屋街は存続し続けたのです。
じゃあなんでサロン店ができたの?
たぶんそれは客が求めた結果だったのでしょう。
客が求めたからサロン店ができ、客が求めたから本サロになった。東芝があったからサロン街ができたんです。
しかし城下町に城がなくなれば話は別です。
東芝が工場を閉鎖することになったのです。
1968年にできた東芝の青梅事業所。駅から徒歩10分のところにあったため多くの従業員が小作駅を利用したのでしょう。最盛期は4500人以上の従業員がいたそうです。また東芝の子会社も多かったんだとか。それだけ多くの人がいれば飲み屋も安泰でした。
しかしリーマンショック以降、東芝の業績は低迷。さらには粉飾決算が発覚し旧経営陣の退任。経営再建のため工場閉鎖を余儀なくされました。そのため2015年12月、青梅事業所を閉鎖することを発表しました。
サロン店の摘発二カ月後に工場閉鎖を発表。
これはピンサロ閉店したから工場閉鎖した可能性、ゼロではない。
だってタイミングが良すぎるでしょ!
サロン店なくなってすぐに工場閉鎖してるんです。
そりゃ疑われてもおかしくない。
なんだったら経営悪化もサロン店が理由っぽい。
仕事終わりに行っちゃう?
でもあの店はもうない。
じゃあ新宿歌舞伎町まで行く?
でも新宿まで一時間かかるんです。
そこまで待てない!だから近場で済ますとしても近場は西の歌舞伎町といわれる立川か、西の歌舞伎町といわれる八王子か。
小作の人はまがい物しか選択肢がない。
そりゃ東芝従業員から苦情の一つも出たはずです。
サロン店がない小作では従業員の士気が下がる。
これではまともな製品が作れない。
その結果青梅事業所は閉鎖。
働いていた従業員は近隣の事業所に移りました。
関東にある東芝の事業所で一番近いのは府中事業所。府中には駅前にサロン店があります。
あとは川崎の小向事業所。
川崎駅まで少し遠いけどそっち系の店はあります。
あとは横浜事業所。電車一本で横浜に出れます。
やっぱ従業員のこと考えて青梅の工場閉鎖してた。
東芝の事業所が完全閉鎖したのは2017年3月。閉鎖から8年たった小作歓楽街。一番の常連客が来なくなったわけですからそりゃ一気に寂しくなるのも仕方ありません。摘発で壊滅した店もあったのでしょうが摘発がなくても自然淘汰されてたのでしょう。
でもまだ小作の飲み屋街は健在です。
一番の常連客はいなくなりましたがまだ工場団地は健在です。そして東芝のあったところにはアマゾンの倉庫が建っています。つまり新しい客もいるのです。
また飲みに来るのは工場で働く人だけじゃありません。
小作は西の外れで新宿まで一時間かかりますが小作よりさらに西側には青梅市。青梅市の先には奥多摩町があるんです。
奥多摩駅から小作駅までは電車で約1時間。都心に出るのが容易ではない奥多摩。奥多摩町民にとって小作は本当の歌舞伎町なんです。
工場がなくなったとしても近くに住む人たちが飲みに来る小作歓楽街。一時よりは客は減ったのかもしれませんがまだまだ西の歌舞伎町の名は健在です。
でも飲み屋があってもアレがないんじゃないの?
それじゃあ歌舞伎町じゃないじゃない。
安心してください。
サロン店が壊滅した小作歓楽街。
もう小作にはそんな店がないかと思いきやどうやらもぐりのサロン店があるとかないとか。表向きはパブだけどその実態はサロン店。そんな店が小作にはあるそうなんです。
そのシステム、2駅となりの福生駅にあるやつ。
ここは西の福生だった。
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【120年前の歴史は今】台湾高雄の日本人遊郭の名残りを探せ

本日は高雄市に来てます。
こちらは高雄港です。
中華民国で最大規模、世界で12番目の取扱量を誇る高雄港。
高雄港はもともと漁港や近隣貿易の拠点でしたが日本統治時代に近代的な港湾整備事業を行い現在の高雄港の原型ができたそうです。それにより高雄は発展しました。現在も高雄は海上交通の要衝となってます。その高雄港でフェリーに乗りました。

船はいいですね。
やっぱり旅といえば船です。船で海外へ渡航する。
飛行機の方が早くて便利ですがあえて船を選択するってのも旅の楽しさの一つ。
旅は移動も楽しまなきゃ!
波に揺られながら時間をかけて旅をする。そういうゼイタクな旅もいいですね。
こちらは片道80台湾ドルの観光フェリーで乗車時間は10分です。
すげー短い。
フェリーに乗ってるのは対岸に向かうため。これより私は旗津島ってところに行きます。
旗津島は海底トンネルで陸路でもつながってます。その海底トンネルは台湾唯一なんだとか。
それを見るのも旅の醍醐味ですがフェリーを選択しました。
中心地からだと フェリーの方が短時間で渡れるから。
移動に時間をかけない旅スタイル。

こちらが旗津島です。
旗津島は細長く幅200mで長さは11.3km。防波堤のような形をした島です。
船を降りたところは旗津老街という繁華街。本日はお祭りをやってるようです。
街の中心に天后をまつる神社があります。どうやらそこのお祭りのようです。

それがこちら、旗津天后宮です。
海の神様である媽祖様をまつる廟。17世紀中頃に福建の 漁師らが建てたんだとか。
海に面した旗津島。まさに島に適した神様。信心深い人が多くいるようです。

祭りだからかもしれませんが町は賑やかです。
露店が軒を連ねています。普段はもう少し静かなのでしょうか。
でもここはかつては賑やかな場所だったそうで日本が統治し始めたころここに遊郭がありました。
遊郭跡地に船で来るヤツ。

こちらにあったのは旗後遊廓という名前でした。
日本が台湾統治を始めたのが1895年。その6年後の1901年に遊郭が設置されました。
設置されたのはここ旗津島。かつての地名は旗後だったので旗後遊郭と呼ばれてました。
旗後は島ですが海に面していたため高雄で一番最初に発展した地域でした。
当時の街の中心はここだったのでしょう。でも時代が進むにつれ中心は台湾本島へ。
島に渡るのが不便となったのでしょうか。1918年に遊郭を移転させます。
移転理由は不便だから ではありません。
理由はいろいろあるようで、
旗後遊郭は下水が不十分で衛生的ではない。
建物が過密しているため火災の危険性がある。
道が狭く警察の巡回ができず治安維持が難しい。
古い建物が多く開発が難しい。
港湾開発に影響がある。
都市開発の基準を満たしていない。
そして、交通の便が悪い。
やっぱり不便だから移設されてた。

移設には反対意見もあったようですが紆余曲折あり無事に移転することになりました。
移設先は栄町ってところ。こちらが遊郭があったところです。

日本では遊郭跡地は特殊浴場街になります。
吉原は特殊浴場街。川崎南町も特殊浴場街。なかには住宅地になるところもありますが比較的風俗要素が強めの街に生まれ変わります。でも台湾は違うようで遊郭跡に学校があります。すごい文化的。
今はすごい文化的な教育機関がありますがかつては非文化的な性教育機関があった場所。
こちらには最盛期に12軒の貸座敷があり、娼妓芸妓あわせて 250人もいたそうです。
ちなみに川崎遊郭は貸座敷が9軒で遊女は190人なので高雄の遊郭の方が規模が大きかったようです。
吉原は貸座敷が300軒。遊女は3600人ほどいたそうです。異常な規模。
結構な数の遊女を抱えてた栄町遊郭。それだけ抱えてたってことは繁盛してたのかな?
台湾人はエロいエロいってことではなく利用していたのは内地人。つまり日本人でした。
出張先で風俗行くやつ。
ここにあった遊廓は日本人向け。そして遊女もほとんどが日本人。
あとは朝鮮籍の人がいました。
必ず出てくるコリアンアガシ。
大盛況の遊郭でしたが今はなんの名残りもここにはありません。
それもそのはずで太平洋戦争末期、台湾も空襲被害に遭っています。
長崎・広島・東京 名古屋・大阪・神奈川・静岡・兵庫・山口 福岡・鹿児島。日本全土に無差別攻撃を受けた大空襲。日本が統治していた台湾も例外なく狙われました。高雄市は台南に次いで被害が多く空襲による戦死者は1662名、建物の被害は4万棟以上にのぼったそうです。その際に遊郭も空襲被害に遭っており壊滅。どこの遊郭も戦後はいち早く復興していましたが高雄にあった遊郭は復興することなく10月25日の日本統治終了と同時に廃業。遊郭はなくなりました。このようにして高雄の遊郭の歴史は幕を閉じ今ここにはそのような施設はありません。

遊郭跡地が風俗街にならずに学校となったのは台湾人が遊廓の代わりを必要としなかったから。
そもそもここにあった遊郭は日本人向けでした。日本人のいなくなった台湾には必要ない施設。
だから文化的な施設に生まれ変わったのです。
でもでもえろい台湾人が黙っていません。
そのためかつて遊廓があった場所近くに盛り場をつくりました。
日本が持ってきた遊廓文化ですが日本統治が終れば遊郭制度もなくなります。
遊郭は内地人向けだったので台湾人には不要な施設。困る人もいないのですが台湾統治をしていたのは50年間。朱に交われば赤くなるとはいうもので台湾人もソレが好きになったのでしょう。実際に現地人向けの遊郭もあったみたいですし。
そんなわけで中華民国版の公娼制度を作り公娼街ができました。ソレがあったのがこのあたりです。

こちらは高雄市歴史博物館です。
こちらの裏手が公娼街だったんだとか。博物館裏手が公娼街?文化的な施設の裏手に非文化的な施設。それは公序良俗に反する。不適切すぎるんじゃないでしょうか。
いやいやソレは違います。
現在は博物館ですが当時は別の用途で供されてました。

ここは当時、雄市政府庁舎でした。
公の秩序善良な風俗。
公序良俗とはこれ如何に!
公務員が序に行く優良な性風俗。
これが公序良俗。

庁舎裏手が風俗街。
盛り場を支えるのが公務員なのは万国共通だった。

市役所裏手、府北里村。通称、市政府裏。直接的な名称。
ここは人気があったそうで1960年代後半には100軒の娼館と1000人の娼妓がいました。
規模が遊郭の比じゃない。

当時と比べると4倍に膨れ上がってる。
しかも当時の遊郭はクラブ的な要素があり、体をうらない芸妓もいたそうですがこの市政府裏は娼妓だけで1000人。これはかつての吉原とタメ張るレベル。それだけの規模の店があったってことはそれだけの利用者がいたってことでしょう。やはり盛り場を支えるのは公務員のようです。

しかし1971年に大規模火災が発生。それにより多くの売春宿が焼失したそうです。その後も数軒の店が営業してたそうですが2003年に最後の店が閉鎖。それにより遊郭の名残りは消えてしまいました。
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70年続く米兵の憩いの場にある赤線の名残りを探せ!福生赤線街

本日は東京都福生市に来ております。
こちらはJR青梅線の福生駅です。
福生駅のある福生市。
福生市といえば横田基地です。
横田基地があるのは駅東側、15分ほど歩いた国道16号線の先にあります。
福生市の3割を占める横田基地。
福生市は全国で7番目に小さい市ですが基地の部分を除くと蕨市、狛江市の次に狭い市。全国で3番目の広さしかない市のようです。
基地が占める割合は三分の一ですが基地の周りはアメリカっぽい店が軒を連ねてます。市の半分くらいがアメリカナイズされいているため福生はリトルアメリカと呼ばれているんだとか。
軍人家族含めアメリカ人が9000人暮らす福生。そりゃアメリカっぽくなるのも当然です。
福生がリトルアメリカとなったのは戦後。
陸軍航空部隊の飛行場だったところをアメリカが接収。それ以降横田基地として米軍が利用してます。戦前の福生は駅の西側が栄えていたようですが、戦後は米軍兵士が出歩くようになったのでしょう。駅東側が栄えるようになりました。

東側は歓楽街のようなところになっており米軍兵士の憩いの場だったようです。それがこちらです。
福生駅東口を出て徒歩数分、やなぎ通りを越えた先の西友の裏手。駅前とは少し様子が異なる地域があります。限られた狭い範囲内に飲み屋が軒を連ねています。
東西に200m 南北に300mほどの区画、狭い範囲に飲み屋が軒を連ねてます。
こちらが福生の歓楽街、地元の人からは赤線と呼ばれているところです。
結構直接的な名称の飲み屋街。
まぁ近くに米軍基地がある福生です。赤線街だったと考えて間違いはないでしょう。ここに飲み屋街ができたのは戦後。アメリカ軍が大きく関わっています。
1945年8月15日、日本は戦争に負け連合軍の占領下に置かれます。9月8日より本格的に進駐が始まりましたが日本政府は進駐軍の性対策のため各地に特殊慰安所を設置しました。
慰安所があれば性犯罪を減らせる。
日本人女性を守るため、慰安婦が防波堤となったのです。福生にも慰安所を開設しました。
このようにして性犯罪を抑止したのですが慰安所は翌年には廃止となります。廃止の一番の理由は性病蔓延ですが本国からも反対の意見があったそうです。そのためわずか数カ月しか存在しませんでした。
しかし米軍兵士の性欲がなくなるわけもなく、また慰安所で働いていた慰安婦は路頭に迷います。
そのため慰安婦は基地の周りで街娼となりそしてそれを利用する兵士も多かったようです。
いわゆるパンパンと呼ばれる人たち。
そんな人たちが横田基地の周りにいたそうです。
横田基地の街娼はどんどん増え朝鮮戦争時には市内各所に置屋が乱立し、街は街娼だらけとなり風紀が乱れたんだとか。
パンパンは今でいう立ちんぼ。
近年の日本では梅毒が増えているようでその原因は立ちんぼのせいだとも言われてます。
70年前もやはり感染症が問題視されてました。そのため1952年9月に基地司令官は兵士の福生地区への立入禁止令を発令します。
外出しなければ感染しない。これで悩みもみんな解消!!とはならず悩んだのは福生地区の商店街。これまで米軍兵士相手に商売していたのに立入禁止となれば客が一切来なくなります。商店街は死活問題です。
どうにか解除してもらえないか悩んでいたところ国警察本部隊長より以下のような提案があります。
警察本部長「一軒の家にも床の間あり便所ありで町にもまたそうしたゴミ溜めも必要」
けっこう辛辣な言い方。街娼をゴミ扱い。
置屋が乱立しているから風紀が乱れているため一カ所にまとめて管理すれば風紀が改善できる。ってことで福生駅東口側に赤線を設置。それにより立入禁止令は解除されました。
その時にできた赤線、それが今赤線と呼ばれている地域なのでしょう。福生の赤線は米兵のための街だったようです。
風紀の乱れを改善するために設置した赤線ですが1958年に売春防止法が施行されます。全国各地にあった赤線は廃業。普通の住宅地になるところもあれば特殊浴場街になるところも。福生にあったソレはスナック街になったようです。
いわゆるスナック街みたいなところです。
赤線廃止から70年。
現在の赤線は赤線ではありません。

こちらにはタイ古式マッサージ店があります。
飲み屋街にあるタイマッサージ店。こちらは健全なマッサージ店かな?
本国だと不健全なところばかりなのに日本のタイマッサージは健全な店が多いんです。でもこのお店ちょっと異質です。
ここ、普通のアパートなんです。
家でマッサージ受けてる感じが味わえる店。
アパートの一室だしね!

こちらに関してはアパート丸々マッサージ店です。たぶん普通のマッサージ店なんだけどかなり特殊。こんな感じで普通のアパートにお店があるんです。

こちらのエステ店もアパートの一室。
リラクゼーションのお店です。たぶん普通のマッサージじゃねえ。
先ほどのタイマッサージとは様子が違います。なんか色々ほぐしてくれそうな予感がある店。色々ほぐしてくれそうな率50%くらい。
ちなみにこちらには以前、桃色のサロン店がありました。

ほぐしてくれる率90%。
家でサービスを受けてる感じが味わえる店。
アパートの一室だしね!

飲み屋と一般住居が入り交じってますがその一般住居も飲み屋ってところが多い。この路地はかつてサロン店が多かったところ。

こちらにもサロン店があったようですがすでに閉店し看板だけ残っています。

こちらにはテレクラと書かれた看板もあります。これももうないでしょう。
看板が残っているってことは入居者がいない証拠。福生の飲み屋街は新陳代謝がされず廃れていっている感があります。性風俗営業の締め付けが原因でしょうか。
福生には何店舗かサロン店があったようです。しかしそれらは全て閉業してしまったようでスナックやガールズバーに転業したようです。

こちらももともとはサロン店だったようですが店の名前はそのままでスナックに転身してます。このようにして怪しい店は排除され福生の飲み屋街は健全な赤線になったようです。
現在その手の店はなくあるのはスナックとエステ店でしょうか。
怪しい店はまだ排除されてなさそう。

リラクゼーションの様子がおかしすぎる。
一昔前のアニメの絵柄。これはひょっとするかもしれません。

こちらのエステ店、エステなのに遊びのアップデート。

サロン店の代替なのかこの界隈はエステが多め。どのようなサロン店なのかはわかりません。でもなにか感じるものがあります。

スナックが多い飲み屋街なのですが福生駅の近くには外国食材の店が結構あります。
米軍基地があるんだから店があるのは当然!ではなく米国軍人のための店ではありません。どうやら福生市は外国人が多いんだとか。
福生市の外国人割合は8%ほど。これには在留米国軍人とその家族は含まれません。
福生市で一番多い外国人はベトナム人、次いで中国、ネパール、フィリピンと続きます。実際にベトナム人っぽい人を見かけるし不動産屋の人と内見している外国人もいました。
ベトナム人が多いのは技能実習生と留学生です。福生には日本語学校がありベトナム人が多いようです。アジア食材店が多いのもベトナム人向けでしょう。

またベトナム料理店も町内にあります。
空き店舗も多い福生の赤線。近いうちリトルヤンゴンになる日が来るのかも。
ちなみにネパール人は拝島駅の方に多いようでリトルカトマンズ化が進んでいるみたいです。ネパール人は留学で来日してるのでしょうか。
フィリピン人が多いのは飲み屋街があるから。
すでにリトルマニラだった。
ベトナム、ネパール、フィリピン。各国色々な理由で福生にいるのですね。中国人が多いのはなんだかわからないけど福生にいるのでしょう。

こちらは商店街の南側になります。
先ほどはスナック街でしたがこちらはバーが多め。なんとなくアメリカな雰囲気がある飲み屋街です。北側は日本人向け南側はアメリカ人向け。そんな感じで棲み分けができているのでしょうか。

雰囲気がよさげな建物があります。
昭和を感じさせる建物。もしかしたら赤線当時からある建物かも。
ここでは赤線の名残りを観ることができます。

こちら、エステ店です。
街の棲み分けができてねぇ!
そして赤線の名残りが体験できそう。
赤線があった当時に存在していたであろう建物。
そこに入居するエステ店。
なんとなくそっち系の店だと思ってしまいます。

でもでもほらこちら風俗店じゃないんです。ほかのコースもある普通のエステ店です。なんだ普通のエステ店か。

こちらは未成年入店禁止の普通のエステ店です。
この界隈にもエステ店があるようです。

ここにあるのはチャイナエステかな?

ここにあるのはチャイナエステかな?
チャイナエステが多すぎる!
中国人が福生に多い理由、これだった。
これだけ多いってことは需要があるのでしょう。やっぱりアメリカ軍人も肩がこるのかな?
いや肩こりで行くような店ではないはず。
アメリカ人もスペシャルサービスを期待してる。

こんな感じでアメリカ人向けの店がありますが福生の飲み屋街は衰退しつつあるようです。飲み屋街なので日中は静かですが夜も静かなんだとか。
夜の街は24時を過ぎてからが本番です。
とくにスナックやパブなどの夜間飲食店は深夜でも営業しているから魅力があるんです。
今日は帰りたくない。誰しもそんな日があるでしょう。
それを受けとめてくれるのがスナックなのです。
福生のスナックもそんな役割があるのでしょう。
でも基地にいるアメリカ人は夜飲みに行けないのです。

レイプ事件、飲酒事故、暴行事件、薬物事件。
在日米軍兵士による事件は定期的に起きています。多くは米兵の多い沖縄で起きていますがここ横田基地界隈でも事件や事故があります。とくに飲酒運転に伴う事故が多いんだとか。
このように事件が頻繁に起きているため2003年に沖縄で起きた強姦致傷事件を機に2005年より19歳以下の在留軍関係者は深夜1時から5時までの外出が禁止され、2012年より全ての駐留軍関係者は深夜帯における公共の場での飲酒、また酒類を提供する店への入店が制限されました。
禁止の理由は兵力保護のためとのことですが実際はトラブル防止のためなのでしょう。
しかし取り締まりには抜け穴があるようで定期的に事件や事故があり横田基地も毎年飲酒が絡む事故が起きています。70年前は風紀の問題による禁止令でしたが違う形ですが令和の時代も残っています。
そのため福生の夜は以前と違い静かで12時を回ると米国人はいなくなるのでしょう。
福生の飲み屋街は赤線を起源としてます。
米兵のために作られた飲み屋街ですが以前のように米兵は遊びにこないのでしょう。
寂れた雰囲気があるのは客が減ったからのようで客が来ないから店が潰れ、客がいないから新たな店ができない。そのようにして衰退しているようです。
生き残る飲み屋には常連がいるのでしょうか。でも生き残ってるのはそれだけが理由ではなく、この界隈には見た目スナックなのに業態がスナックでないところがあるようです。
ごく普通の飲み屋街、ごく普通のスナック街ですが廃止から70年経とうとしてるのに赤線営業をしている店があるそうなんです。
アメリカ軍人が通うのも無理ない。
70年経っても風紀が乱れてた。
スナック、パブ、ラウンジ。
この界隈には多くの飲み屋があります。多くの飲み屋がありますが中には飲み屋ではない業態のお店もあるようです。

戦後赤線街として発展した福生歓楽街。
赤線は1958年に廃業。普通のスナック街に生まれ変わりましたが、実はその後もひそかに営業が続けられ、70年経った今でも生き残っているんだとか。福生には隠れた怪しい店があるそうなんです。
でもその怪しい店、表向きは普通の店なんです。
当然、うちは赤線ですよ!とかうちは風俗店だよ!なんて看板は出ていません。風俗店だと思われないようにしているんです。ひっそりと、ひっそりと営業してるんです。
一見すると普通のパブ。
でも実は普通じゃないパブってことも。
福生には営業形態がピンサロのそれなのに看板はパブなんです。これじゃあ一見客は判断できません。そう。その店に行くのは常連客なんです。
やっぱ常連客で成り立ってた!
たまたま入店した店がそっち系の店でした。そんなことが起こりうるかもしれない福生歓楽街。ここではアメリカの雰囲気が味わえるんですね!
アメリカへの風評被害。
えっ!ちょっと待って。
夜間の基地以外での飲酒が制限されたアメリカ軍人。でも禁止されたのはお酒を飲むことです。福生にあるその店がサロン的なところならば提供される飲み物はウーロン茶。つまり、アメリカ軍人も利用可能なんです。
これはアメリカ軍人が出入りしていてもおかしくない。
バーに客がいないのに怪しいパブにアメリカ人が集まる謎の歓楽街。
福生歓楽街の夜はまだ賑やかのようです。
でもそのパブらしからぬパブも減ってるようです。
かつては黙認されていたようですが摘発もあるようで潰れていっています。

そりゃそうです。
ただでさえ飲みに行く人が減っている中で飲み屋街でそんな怪しい商売をしていたら周りから苦情が出るものです。真面目に飲み屋をやってる人にとってはそっちの怪しい店は消えて欲しいでしょう。
そのため悪目立ちしていた店は摘発。
それにより空き店舗が増えたのでしょう。
でもまだそっち系のサービスを提供してるパブ。絶対にあるはずなんです。
だって70年も細々と続けてきた赤線営業。
それがたった数年で消えるはずがありません。
表向きはパブやスナックだけど実は裏のサービスがある。
そんな店が福生には残ってるはずです。
ってことはこのあたりの店に片っ端から行き、別のサービスがあるか聞いて回るしかないですね。
ただの不審者。
でも当然ひっそり営業してるわけで一見客には教えてくれない。もうこれは福生に通いつけるしかなさそうです。
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ファミリー向けのベッドタウン、高尚な街「青葉台」にある低俗なエステ

本日は横浜市青葉区に来ております。
こちらは東急田園都市線の青葉台駅です。
青葉台は質の良い人が住む高級住宅地のイメージ。実際に所得の高い人が多く住んでおり駅から離れたところに高級住宅地もあります。
横浜の北西に位置する横浜市青葉区、港町のイメージとは違い緑豊かな丘陵地。
青葉台があるのは山の中。そもそも駅名が青葉台です。
駅の周りには桜台、松風台、つつじが丘、榎が丘、しらとり台、梅が丘、たちばな台などなど明らかに台地ですって町名ばかりです。台地を宅地造成したって感じのところ。
この界隈は宅地開発が遅れた地域でしたが1953年に宅地開発の話が持ち上がり1961年より宅地開発が始まりました。駅が設置されたのは1966年。60年前に開設された駅ですがキレイです。

また駅前もキレイ。
駅西側は商業地となっており高級感のある店が軒を連ねてます。
高級住宅街があり高所得者が住むエリア。
その人たちに合わせたお店が多くあるのでしょう。

でも駅東側、高級住宅地っぽくないところがあります。
駅前には団地が広がっています。
斜面に建てられた団地。こちらはUR団地でしょうか。
青葉台って高級住宅地っぽいところもありますがこのような古い団地も混在しています。

こちらの団地は駅開設の際に建てられておりもうじき60年を迎えます。
そのため建て替えも検討されているようです。
駅前から団地がある青葉台。
青葉台駅は乗換駅ではないのですが東急線の単独駅の中で一番利用者が多いそうです。
また関東の乗換駅ではない単独駅の中では本厚木、東陽町、虎ノ門に次いで4番目。一日の乗降者数は10万人ほどいるんだとか。そもそも青葉区は横浜市で二番目に人口が多く、東京のベッドタウンとなっています。田園都市線に乗れば渋谷まで30分。とくに青葉台は都内に通う人が多いんだとか。
乗換駅ではないため地元民以外の利用が少ない駅。でも多くの人が住んでいるため駅前は栄えてます。

青葉区で一番の商業地である青葉台。そのため駅前には商業施設が多くあります。
東急線なので駅ビルは東急。おしゃれな雰囲気があります。
東急線沿線ってオシャレなイメージがあります。
特に田園都市線は街が洗練されています。青葉台も他の街同様にオシャレです。

ほら、こちらんのぱちんこ店。
洗練された街の景観に溶け込んでいます。

パチンコ屋ってこんな感じで外観がうるさいです。
電飾でギラギラしてるしまぶしい外観。
これが本来のぱちんこ屋の姿。集客のために目立つようにしているのでしょう。利用者の民度に合わせるとこうなるのです。利用者の民度に合わせるとこうなるのでしょう。
でも青葉台の住む人は全く違うようです。
シックな雰囲気のぱちんこ店になるんです。これが青葉区民の民度に合わせた結果です。
ほかの都市にあるぱちんこ店と青葉台のソレは明らかに違います。
なんか高級感があるし紳士的な遊びのような感じ。
ぱちんこは紳士的なスポーツ。
いやどれだけ取り繕ってもぱちんこはぱちんこ。遊技って言ってるけど明らかにギャンブル。店の外観きれいでも中身は一緒。青葉台に住む人の民度が高くてもパチンコするやつの民度は知れてる。でも景観を損ねないぱちんこ店は好感が持てます。

青葉区で一番の商業地です。
ぱちんこ店くらいあって当然。
あと飲み屋も当然あります。
裏路地にある飲み屋横丁。ネオン輝く場末のスナック街。
そういった怪しい街路は青葉台にはありません。
戦後に宅地開発された地域なので古くからある飲み屋街はないのです。
あるのは駅前にある飲み屋ビルです。

ビル内にある飲み屋横丁。
オシャレな街にもこういうのが必要です。なんちゃらバルみたいなのではなく赤提灯。
あえてオシャレな街にある飲み屋横丁。こういうのが逆にオシャレなんです。

立ち飲み屋に昭和屋台。
ホルモンに海鮮、そして寿司。
あとはラウンジに熟女にバー。
熟女クラブ混ざってる。これが、逆にオシャレ。
まぁ青葉区で一番の商業地ですからね。
この手の店があって当然です。
ってことはアッチ系の店があるのかしら?
さすがにアッチ系の店が青葉台にはないようです。
その手の店がある街は遊郭だったり赤線だったりなにかしら前があるものですが青葉台は住宅地として開発されたエリア。宅地開発の際に特殊浴場を誘致するわけないです。
住環境に必要なお店は色々ありますが不必要な店は青葉台にはない。
青葉台の人が遊ぶとなれば渋谷にでるのでしょう。
そもそも青葉台はファミリー向けの街。
お父さんがこっそり行くには自宅そば過ぎる。そのため需要はないのでしょう。
あるのはエステくらいです。

エステはあるんだ。
例え低俗な街だとしても、例え高尚な街だとしても、路地に入ると必ずあるエステ店。
いやここのは普通のエステ店かも。いやいや普通じゃなさそうな雰囲気。
明らかに怪しいエステ店。どのようなサービスが受けられるかは外観からでは判断できない。健全な店なのかそれとも不健全な店なのか。
チャイナエステって難しいんです。
看板で判断しなきゃならないんです。これでは地雷原を駆け巡るのと同じなんです。

こちらはチャイナ系だけど絶対普通の整体院。

こちらは女性がマッサージを受けてる絵柄。
女性大歓迎って書いてあるし普通のエステ店。

こちらはどうでしょう。
挿絵からバリニーズマッサージでしょうか。
でもアカスリと泡泡洗体もしてます。ここはひょっとするとひょっとする店かな。
でもここは普通のマッサージ店ですね。

だって男女大歓迎って書いてあります。
看板じゃ全く判断できない。
女性歓迎のチャイエスで女性客を見たことがない。

こちらには珍しい看板があります。
日本人専門のリラクゼーションエステ店です。日本人エステ店って看板を出してないんです。多くの店が所在地も隠してます。
でもこちらのお店はちゃんと看板があります。

こちらは青葉台駅の南側。
郵便局が近くにある交差点です。こちらにもエステ店があります。
なんか青葉台エステがけっこうある。

ここの雑居ビル、脱毛エステと混ざってチャイナエステがあります。
なんかごく普通のエステビルみたいな感じ。

でもガールズバーもあるんです。
飲み屋とチャイナエステの親和性の高さ。
これはなんか感じるものがあります。

高級リラクゼーション。
高級リラクゼーション。
最近気づいたのですがこの手の看板って高級感を出してるところが多いですよね。

看板じゃ判断できない。
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かつては怪しい店があった!接収により栄え衰退した街「相模原歓楽街」

本日は相模原市に来ております。
こちらはJR横浜線の相模原駅です。
相模原、相模大野、小田急相模原、相模大塚。
相模がつく駅名は複数あります。
小田急相模原駅と相模原駅はほぼ同じ名称。どっちがどっちだかわからなくなる。しかも小田急相模原駅と相模原駅は離れており電車だと乗り換えで20分。車だと10km30分かかります。相模原駅で待ち合わせが容易ではない。どっちの相模原?って確認が毎回必要なんです。
相模原駅ができたあとに小田急相模原ができた。そんな感じがしますが古いのは小田急相模原の方。
小田急相模原は1938年に相模原駅として開設。
しかし1941年に鉄道省が相模原駅を開設。国に逆らえなかったのか小田急線の相模原駅は小田急相模原駅に名称を変更しました。結果的に遠い二つ相模原駅になってしまいました。

なぜJRも相模原にしたのか不明です。
まぁこちらが中心地ってことにしたかったのでしょう。
実際に相模原市役所は同駅が最寄りです。行政の中心はJR相模原駅なのでしょう。
栄えているのは小田急相模原駅の方ですがJR相模原駅も駅前は栄えています。

こちらは駅の南口側です。
JR相模原駅は横浜線だけの単独駅ですが利用者は結構いるようです。駅前は放射状に道が広がっており道が広くキレイな街並みになっています。ごちゃごちゃしてないのはなんかいいですね。

こちらは西方向へ伸びる氷川通りです。
この道を進むと相模原氷川神社へ行けます。こちらは参道のようなところでしょうか。
その参道に並ぶお店、けっこう飲み屋が多いんです。

ここはキャバクラ参道。
相模原駅のそばには役所があります。キャバクラが続けられるのは公務員のおかげ。
仕事終わりに一杯。
役所の人が飲みに来るから店が成り立つのです。

キャバクラ以外にもエステがあります。
ここはリラクゼーションエステ参道。
こちらも役所の人がいくのかな?
仕事終わりに一杯したあとに一回。そんなことが楽しめるリラクゼーションエステ店。
ここはちょっと大人な感じのある参道のようです。いわゆる飲み屋街的なところでしょうか。乗換駅でもない単独駅ですが近くに役所がある。ここは相模市役所の福利厚生エリア。
ちなみにこの通り沿いにはかつて桃色のサロン店がありました。

ピンサロ参道だった。
これは役所の人が通ってた説。
福利厚生が行き届いてる!
でも今はそんな店はありません。そんなのがあったのは昔のお話。今は健全な街になりました。
健全?

氷川通りから路地に入ると飲み屋街があります。
結構相模原駅前、飲み屋街。

パブやスナック、バーなどの夜間飲食店が多め。
こちらはダーツバーでしょうか。雰囲気がよさげな店の外観です。私は一時期ダーツを嗜んでいた時期がありましてダーツバーなんかにも出入りしてた時期がありました。こういうところに行きつけがあるといいですよね。
ちなみにこちらには以前、桃色のサロン店がありました。
こういうところに行きつけがあるといいですね。
こちらにあったのはアーイヤンというお店でバーミヤンのような店の外観ですがピンサロでした。
質が悪そうな店の外観。
でも今はそういった店はない模様。
健全な街になりました。

こちらには雰囲気の良さげな路地裏があります。
いかにも飲み屋街といった感じの路地。ピンサロの一軒や二軒があってもよさそう。当然ですがこちらにも桃色サロンがありました。
やっぱあったんだ。

しかも看板が残っています。
もしかして、お店やってる?
ウェブサイトは閉鎖されてました。おそらくもう営業してないのでしょう。

こちらもサロン店だったであろう店の外観。
二軒あった。
ここはほぼそっち系の路地。なんかすごいサロン店が乱立してた。でも今はそれらの店はなくなりました。健全な街になりました。

こちらはガールズバーのようです。
店名から察するにこれはギルガメシュ叙事詩。
それを冠したお店でしょうか。
ギルガメシュ叙事詩は古代オリエントの文学作品。紀元前2000年頃に書き写された。世界最古の教養小説です。その名を冠したガールズバー。4000年以上前の物語がここに蘇る。そんな思いが込められたガールズバーのようです。
いや絶対に違う。
ゼッタイ違うし叙事詩が由来だと誰も思ってない。
この店のギルガメッシュはギルガメッシュないとのギルガメッシュのはず。
知らない人もいるので「ギルガメッシュないと」を説明します。「ギルガメッシュないと」は1991年から7年間、テレビ東京で放送されていたテレビ番組で王様のブランチっぽい情報バラエティー番組です。
でも扱う情報は一般的なものではなくエロ。
公共放送でAVの紹介をしてたのです。
世界一教養のない番組。
インターネットのなかった時代、当時健全なる青年がエロにアクセスできたのはトゥナイト2かギルガメだけだったのです。私の性癖を確立させたといってもよい番組。一定の年齢層の人にギルガメッシュと聞けばナナナナイトって返ってくるはず。
むしろおじさんのギルガメッシュの認知度、エロ番組の方が高そう。逆にギルガメシュ叙事詩は後から知る物語。
もうあんな番組は公共放送で流せないしユーチューブでも検閲にひっかかります。そんなエロ番組の名を冠したであろう店名。この店は色々と期待できそうです。

かつてはサロン店があったこの界隈、今は飲み屋街になっています。こちらは元パチンコ店だったであろう外観。現在は飲み屋ビルになったようです。

パチンコ屋自体は2008年に潰れたようです。
やっぱりぱちんこ屋だった。看板だけはそのまま残っている模様。

こちらはフィリピンでしょうか。
潰れたパチンコ屋のところ、大体フィリピン。
この界隈はフィリピン要素がある店が多いです。サロンがあった場所はフィリピンになる。どこの街も大体こんな感じです。相模原もそんな感じでフィリピンになりました。
もうここにはそっち系の店はありません。

こちらは相模原駅南口の東側です。
こちらも飲食店が多めです。この路地は「はいから散歩道」ってところです。
この街に詳しい人のお話ではかつては個人商店で賑わっていたようですが今はチェーン店しかない通りになったようです。そのため賑わいもだいぶ薄れたんだとか。

そんな散歩道の入り口。
桃色のサロン店があります。
賑わっていた理由はこの店のおかげ。
相模原のソレは全て壊滅したと思ってましたがまだまだ生き残ってた。
流石は市役所最寄りの駅前です。
役所の人が仕事終わりに立ち寄っててもおかしくない。
駅から続くペデストリアンデッキを降りて路地裏に入ってすぐのところ。普通の飲み屋っぽい雰囲気がある建物の外観。そんなわけだから入店するところ人に見られても大丈夫!
いや明らかにピンサロの看板。
出入りするとこ市民に見られて役所に苦情が来る。
でも店があるってことは需要がある。夕方頃には一杯客が来るのでしょう。相模原駅前にはまだあるんです。
とは言っても数少ない生き残った店。ほとんどが消えてなくなってしまいました。もうここは怪しい歓楽街ではなくなったのです。
この路地、個人店が賑わっていたってことですがかつては風俗通りと名高い道だったそうです。
個人店で賑わっていたの意味。

その手の店は大体個人店ですからね。
ちなみにこちらのサロン店、橋本にあるサロン店の系列のようです。
ここはチェーン店だった。
チェーン店になったって情報に間違いなかった。
そしてこの街に詳しい人、店舗情報まで詳しい人だった。

かつては風俗通りと呼ばれていたはいから散歩道。風俗通りと呼ばれるだけあって最初に出迎えてくれるのがサロン店。でもその手の店は激減し現在は数える程度になってしまいました。

こちらに看板がありますが閉店しています。
2005年にお店ができ2022年に閉店。結構最近まで営業してた。
桃色サロンはとうの昔に衰退したと思ってたけど店舗数が減っただけで結構生き残ってたようです。でも感染症により淘汰されたのでしょう。今も営業が続いている店は過酷な環境の中生き残った歴戦の猛者。実直に飲食店として続けてきたからこそ続けられているのでしょう。
実直?
でも厳しい環境なのは今も変わりありません。どうにかこの低俗な文化は残してほしいものです。
これは、行って応援しかないですね!

こちらにもかつてサロン店があったようです。
ここももうないようです。替わりにコンセプトカフェがあるようです。

これは、ネコカフェかな。
いや絶対違う。

ほかにも飲み屋ビルがあります。でも空き店舗が結構目立ちます。先ほどのサロン店も看板が残ったまま。つまり新しい店が入居していないのです。
このように相模原駅前は歓楽街になっていますが空き店舗も目立ち寂れた雰囲気があります。
呑み文化が衰退した、過激な店は摘発されただけが理由ではないようです。衰退してるのは相模原に特有の理由があるのです。

こちらは相模原駅の北口側です。
南口に比べると静かな駅前。
タクシープールがあるだけでお店はありません。
あるのはフェンスで区切られたところだけ。
相模原駅が発展したのもこれのおかげですが発展しないのもこれのせい。駅北口側は在日米軍の施設があります。

つまりこの先はアメリカです。
戦前の相模原は軍都と呼ばれていました。
都心にも近く平坦な土地がある相模原は軍事施設を建てるのに最適だったのでしょう。日本陸軍がここに兵器製造工場を建設します。その際に相模原駅前も整備されました。駅前の道が放射状なのはその際に整備されたもの。田園都市にしたのではなく軍事上の理由でした。
軍都として整備された相模原でしたが終戦後、相模原北口側は連合軍に接収されます。以後米軍の関連施設として現在に至ります。
基地がある街は潤う。
終戦直後の日本は物資も仕事もない状態でしたが米軍基地がある相模原は潤っていました。駅がここまで栄えたのも米軍基地があったから。でもそれはかつての話で今は足枷になっています。
現在絶賛工事中の隣駅の橋本はリニア新幹線の新駅を建設中ですが相模原につくる案もあったようです。しかし米軍使用地の真下に線路を通すことになるため安全上の理由から採用されなかったんだとか。もし相模原にリニアの駅ができていたらかなり賑やかになっていたでしょうね。

このように駅北側は米軍使用地となっていますが2014年9月に一部が返還されています。相模原駅の目の前の一部分は返還されています。
返還されて10年以上経過していますがその当時のまま放置されています。木々が生い茂り駅前とは思えない様子です。
かつて米軍が使っていた施設でしょうか。
古い家が確認できます。何もせずにそのままの状態なのでしょう。
でもこれももうじき生まれ変わるようでオフィスビル、商業施設、マンションができます。駅前にあるまっさらな土地。なかなかこの広さの土地は駅前にはありません。せっかくだから違ったものを作ればよいのですがごく普通の駅前になるようです。
スタジアム建設の話もでましたが市の財政的に厳しく条件面などで折り合いがつきませんでした。良くも悪くも普通の駅前に生まれ変わります。
何もなかった駅北口は変哲もない普通の街へ。
でも駅が賑やかになるのは確かでしょう。
人が増えれば南口の活気も戻りそっち系の店が新たにできるかもしれません。
それは早急に話を進めてもらいたい。
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【スラムと私娼窟】台南鐵路そばの豆干厝跡地、そこに憧れの場所があった

本日は台南に来てます。
こちらは台南公園です。
駅から徒歩5分くらいの場所にある公園で台湾で三番目に大きな都市公園なんだとか。
この公園ができたのは1907年。日本統治時代に整備された台南で最も古い公園です。
100年以上の歴史がある公園。昭和天皇も皇太子だったころに訪れてるそうです。

日本統治時代に整備されたので日本っぽいところもありますが建造物は中華要素があります。
そして台南は熱帯地域なので南国感がある。
オリエンタルでエスニックでエキゾチックな公園。いろんな文化が混ざった台湾っぽいところ。
緑が多く自然あふれる美しい公園です。
たまにはこういう景色を見て回るのもよいですね。とくに当サイトの名称は山林生活です。
自然豊かな景色の中でDIYで家を建て自給自足で生きていく。多くの人が憧れる山林生活。
そんな生活を目指してました。あとオフグリッド生活も興味がありました。電力会社の力を借りずに生きていく。そのような生活にも憧れがありました。もとはそんな生活をサイトでしたが今では旅行のことばかり。さらにその内容も質が悪く台南では西門にあった私娼窟を巡ったり、かつてあった遊郭跡地を巡ったりと怪しいホテルも見に行きました。
行ってるところがそっち系のところばかり。
でも当サイトは山林生活って名前なので自然や生活に密着した情報を配信していきます。
今回は台南の生活の実態をお届けします。

台南公園の東側に新築の建物があります。
こちらの建物は2026年にできたばかりの社会住宅です。
社会住宅とは公営住宅。低所得者や高齢者、障がい者や原住民など社会的・経済的弱者のために用意された住居です。日本の市営団地に近い存在でしょうか。
世界で二番目に人口密度が高い台湾は都市部の不動産価格が高騰しているため住居を借りるのが容易ではないようです。そのためシェアハウスに住む人も多いんだとか。
住居不足を解消するため各地に公営住宅を建設し低価格で借りれる住居を貸し出しています。まさにこちらの建物がそれです。
こちらの家賃は1LDKで6110台湾ドル、3LDKで13820台湾ドル。日本円でおよそ3万~7万円です。
台湾は物価が安いイメージがありますが家賃は日本と同等かそれ以上。台南は地方都市なので多少は抑えられてますがそれでも収入に占める家賃の割合は高いです。そのような中新築賃貸が3万円で借りれるのはお手頃価格なんじゃ ないでしょうか。
入居基準を満たさなければならないしまた入居できてもずっと住み続けられません。生活が安定するまでのセーフティーネット。台湾の公団住宅はそんな感じみたいです。
それでもこちらの物件は人気のようで全室376戸に3150人が応募したそうです。
駅も近いし街の中心にも近い。目の前は公園があり自然豊か。
好立地なので入居希望者が多いのも頷けます。
このように低価格でありながら好立地のこの物件。住みやすそうな環境ですが実はこの近くに私娼窟がありました。
コンビニ感覚で存在する台南の私娼窟。
入居希望者が多いのも頷ける!
そんな近場に店があったら行っちゃうじゃない!
収入に占める風俗利用割合が高そう。家賃を安くする意味がない。

ここは台南公園の北側。
北門路と公園路の交差点のそばです。
この一帯はもともと眷村だったそうです。
眷村とは中国の内戦で移住してきた外省人向けに台湾国民政府が用意した居住地区。まさに公営団地のようなところでしょうか。
眷村は主に戦前日本人が居住していたエリアや日本陸軍が撤収した後の施設を再利用してたため中心地に多く見られます。

こちらは台南にある赤崁楼の東側ですが日本統治時代は公務員宿舎だったところを改装し眷村として供されたそうです。このように各地に点在してた眷村ですがもともと倉庫だった場所もありました。そのため居住に適さない地域もあったのでしょう。まさにこの線路わきにできた眷村がそうでした。線路わきのため騒音が酷いところだったそうです。そんなわけで居住者がおらず30年ほど前に売春街となったようです。ソレがこの界隈。
自然発生的にできた違法な私娼窟か。公娼時代の既得権で続いていた合法店か。果たして違法か合法か。道路の反対側には高校があります。
明らかに違法店。

寂れた感があります。
人が住んでいる痕跡はありますが古びた建物が数軒立ってるだけ。街の雰囲気は私娼窟とは思えません。そもそもここにはもう私娼窟はありません。7年前に摘発により全て閉業したそうです。当時はきらびやかなところだったのでしょう。それが見れないのは残念です。

最盛期は5軒ほど 営業してたそうですが台南にはあちこちにその手の店があります。
一時は人気スポットだったのでしょうが寂れていったのでしょう。
細々と続けてたようですが2019年にここで殺人事件が起きます。それによりこの街が世間に知られてしまいます。
台湾人「えっ!?こんなところに私娼窟があるの?」
台湾人「そんなの知らなかった!」
台湾警察「知らなかった!」

まさか30年前から営業してたなんてお巡りさんも寝耳に水だったことでしょう。ちゃんと巡回してたけどわからなかった。私娼窟とバレないように営業してたなんてなんて罪深い。でも知ったからには摘発をしなければならないってことで売春宿を一斉摘発。それによりここの私娼窟は消えてなくなりました。

こちらには消防署の分署がありますが2021年に建てられたそうです。
かつての私娼窟はきれいに生まれ変わってます。
きれいになってる?
売春宿はなくなったようですが街はまだきれいになってないようなんです。

北門路と公園路の交差点。線路の近くで交通量も多い。そのためか交差点には地下道が用意されてます。
地下道を通れば信号を待たずに渡れるユーザビリティの高い台南の交差点ですが誰もその地下道を利用してないんです。信号があるからそれを待てば渡れるので上り下りをする人がいない。そうも考えられるんですがここは違うようです。

これは歩行者のための地下道ではなくホームレスのためのもの。
どうやらホームレスの住処となっているようです。
高架下や公園はホームレスが集まる。これについては万国共通で日本でも似たようなことがあります。台南にも一定数ホームレスがおり駅前で物乞いをしている人も見かけました。でも台北や台中よりは少ないと感じてたんです。台南は福祉がちゃんとしてるんだと思ってました。でも駅から少し離れたこの地下道に多くのホームレスが 集まってるようです。
繋がりたくない、独りになりたい、孤独でいたい。ホームレスになる方の中には他人の干渉を良しと しない人もいます。そのため福祉の手が差し伸べられても掴もうとしないのです。だからこのような場所に住むのでしょう。

めちゃくちゃ他人が干渉するレベルの距離感。
プライバシーの欠片もない。
地下道は誰も使わない理由はこれでした。
まさにここは都市型のスラム街といったところ。
台南駅前も地下道があり住んでる人もいましたがここまで過密してなかったです。
ここは世界二位の人口密度である台湾を具現化したところ。めちゃくちゃ生活感があります。














































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70年続く米兵の憩いの場にある赤線の名残りを探せ!福生赤線街