久里浜にある自衛隊御用達の飲み屋街「たそがれ横丁」

本日は横須賀市久里浜に来ております。
こちらは京急久里浜駅です。
同駅の最寄りには横須賀線の久里浜駅があります。京急久里浜駅の利用者38000人に対して横須賀線の久里浜駅は5000人ほど。明らかにこちらの方が利用者が多いし繁華街に近いのはこちら側です。
久里浜が発展したのは幕末の頃。
ペリーが来たことにより漁村だったところが重要拠点となったそうです。
明治になると軍事拠点となり軍事施設ができ1938年には海軍通信学校が開校。その際に京急久里浜駅ができました。つまりかつては海軍の街だったようです。
戦後に自衛隊の久里浜駐屯地ができたため現在も軍都と呼んでよいのではないでしょうか。
実際に駅東側を走る国道134号線では自衛隊の車両が走っているのを目にします。
兵隊のいるところ、繁華街あり。
兵士の性欲管理は軍部の務め。
基地がある街は隊員の士気が下がらぬよう福利厚生施設が近くにあるものです。
あんな店やこんな店が久里浜にあるはず。これは久里浜の歓楽街が期待できそうです。

京急久里浜駅の目の前は商店街となっています。
こちらは久里浜商店街です。
久里浜の駅前は6つの商店街がありはろーど通り、久里浜黒船仲通り、駅前本通り、中央通り、西口栄通り、すずらん通りがあります。郊外の商店街って寂れている雰囲気がありますが久里浜の駅前商店街は結構にぎやかです。人通りも多いし商店も営業してます。
この手の商店街ってイオンに潰されそうですが久里浜のイオンは商店街の近くにあります。そのためイオンも行くし商店街にも行く共存共栄できてるようです。

こちらは黒船仲通りです。
シャッターが閉まってるところもありますが営業してる店もあります。
飲食店多めの商店街です。商店街の名称は黒船来航に由来するのでしょうか。

とりあえずペリー、とりあえず黒船。
この界隈は黒船とペリーが結構あります。
黒船来航地ってことでしたが確か黒船って 浦賀に来たんじゃなかったっけ?
浦賀駅前に黒船の絵が飾ってあったけど...。
調べたところ黒船が来航したのは浦賀でペリーが上陸したのが久里浜だったようです。
紛らわしい。
つまり浦賀にはペリーは来航してない。
久里浜には黒船が最初に来航してない。
浦賀に来航したのは黒船。
ペリーが来航したのが久里浜。それならばここはペリー仲通りが正しい。

こちらには立ち飲み屋があります。
焼き鳥がメインの立ち飲み屋さん。12時からオープンしてるんだとか。
工場街もあって自衛隊もいる久里浜。昼間から飲む人もそれなりにいるのでしょう。

こちらは平作川にかかる夫婦橋です。
この橋を渡ると浦賀へ。また渡ってすぐのところに自衛隊基地があります。
現在の橋は1996年に架けられたものですが一番最初に架けられたのは1667年。360年も昔のことでした。
名前の由来は二つの橋が架けられたからのようでそこから夫婦橋と呼ばれるようになったんだとか。

こちらに石碑があります。
南無阿弥陀仏と書かれた石碑。
この橋には人柱伝説があります。平作川は暴れ川と言われ大雨が降ると頻繁に洪水を起こし架けられた橋も何度も流されてました。そこで人身供養、つまり人柱を捧げ神々の怒りを鎮めたんだとか。橋の下には美しい娘が眠っているそうです。
川に沈められた美しい女性がいた街。
久里浜はそのようなところだったようです。

こちらは夫婦橋そばにある飲み屋街「たそがれ横丁」です。
久里浜駅から少し離れたところにある飲み屋街。戦後にできた飲み屋街で居酒屋だけでなくスナック多めの歓楽街です。
JR久里浜駅の近くには久里浜工業団地って工場街があります。60年代に造成された工業団地。金属部品を作る中小企業の工場が多く市内の大手企業に納品してたそうです。
横須賀市の大手と言えば日産自動車。横須賀の日産工場は27年に閉鎖しますがこれまで久里浜の工場が支えてきたのでしょう。仕事終わりにたそがれ横丁に呑みに来る。そんな人も結構いたのではないでしょうか。そして夫婦橋を渡った先は自衛隊駐屯地。飲み屋を支えるのは公務員ってのは同じ。ここには自衛隊員が飲みに来ているはずです。
地方の飲み屋街は大体衰退しますが現役で営業中のようです。とはいっても一時期よりは静かなのでしょう。
この手の飲み屋街ってフィリピンが多いのですがたそがれ横丁はなさそうな感じ。

と思ったらフィリピンはちゃんとある模様。

居酒屋もありますが主にスナックかラウンジ。自衛隊が求めるサービスがちゃんとあるようです。

ちなみにこちら住居となってますがかつてここにソープランドがありました。
風呂に沈められた美しい女性がいた街。
京急久里浜駅の目の前。戦後にできた飲み屋街の一角にぽつんと一軒特殊浴場がありました。そこは自衛隊が求めた店。

黄昏横丁は地方によくある飲み屋路地。
スナック多めの飲み屋街ですがそれと混じって特殊な風呂屋がありました。
ロマン風呂と称したそちらのお店。こちらにあったのは特殊な特殊な風呂屋さん。店舗型性風俗特殊営業の1号営業の店です。
これらの業種がソープと呼ばれる前からあった店。
かつてはトルコと呼ばれてたところです。
でもトルコ共和国がエロの産地みたいになるのでトルコ人留学生の訴えにより1984年にトルコ風呂の名称が撤廃されます。その際にトルコからソープに変更しますが候補に挙げられたのが ロマン風呂でした。
夢や憧れ、恋愛を意味する言葉であるロマン。そんな意味を込めてロマン風呂にしたのでしょう。
ちなみにロマンの語源はローマ風を意味するラテン語です。
トルコがローマに変わっただけ。
結局他国に迷惑をかける名称だった。
飲み屋街なのになぜか一軒だけ風呂屋がある。
一軒二軒と飲み屋をはしご。酒が入るとついついタガが外れるもので欲望を抑えられなくなる人もいるのでしょう。でもここは神奈川の東のはずれの久里浜。そのムラムラっとした感情を処理したくても吉原に行くのは遠い。そういう人のために用意されたお店だったのです。
いやいやそれくらい我慢しなきゃダメでしょ。
吉原がある最寄り駅の三ノ輪までは公共交通機関で2時間30分くらい。むしろその2時間をかけて登楼するのもプレイの一環です。そういうのも楽しまなきゃ風情がないんです。でも楽しめない人もいるのです。
久里浜は軍都で現在も陸上自衛隊駐屯地があります。隊員は過酷なもので自由に吉原に行けないんです。
週休二日で休める自衛隊ですが緊急時にすぐ帰隊できるよう行動範囲が制限され2時間内で戻れる範囲しか外出できないんだとか。つまり2時間かかる吉原には行くことができない。自衛隊員は三大欲求の制限をされてるんです。
もちろん手続きを踏めば遠方へ外出できます。
外出簿に行先を書けば遠方に外出できるのですが行くのバレるでしょ!
バレずに自衛隊員がその手の店を利用するには近場の店に行くしかないのです。
ってわけで駐屯地から徒歩数分の所に特殊浴場があったのです。
逆に近すぎて行ってるのバレそうな立地。
でもこちらにあったお風呂屋さんは2008年頃には閉店したようです。
それじゃあ自衛隊員の 性処理どうしてるの?これじゃあ隊員の士気が下がったままじゃない。これは国防に影響のでる由々しき事態。
今すぐ久里浜に特殊浴場を誘致すべき。
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【竜宮桜坂神里原】戦後の沖縄にできた悪しき社交街で山羊を食う

本日は沖縄県に来てます。
こちらは那覇市のメインストリート国際通りです。
国際通りは沖縄県で最も賑やかな通りで約1.6kmの道沿いに500軒近い店がある観光地です。
沖縄料理やステーキ店などの飲食店のほか郷土品を扱う店や土産物屋も多くグルメやショッピングを楽しめる繁華街です。ここに来れば沖縄っぽいのが楽しめます。

国際通りは闇市を起源とし戦後で一番最初に復興した地域なんだとか。
離島で土地が狭いのに基地が多い沖縄は土地資源ともに乏しく製造業の県内総生産の割合は12%、農業に至っては1%しかありません。大半がサービス業でその割合は85%以上。そしてその多くが観光業になります。レンタカーやマリンアクティビティ、ホテルのほかこの界隈にある土産物屋も観光業の一つ。国際通りは観光業のための街。多くの観光客が訪れるエリアです。

国際通りは一直線に伸びる道ですが脇には路地がありアーケード街が複数あります。
こちらのほうが地元向けの店があり沖縄っぽさが感じられそうですが国際通り近くの商店街なので観光客も多いです。
日本人が多いと思いきや観光客の多くは中国と韓国。台湾人と中国人の区別がつきませんが台湾の人は多そうです。
台湾から沖縄へは飛行機で1時間30分ほど。東京から沖縄へ行くよりも近いんです。
旅費も安く気軽に日本旅行を楽しめる。そういう台湾の人が沖縄に来るのでしょう。

それくらい外国人が多いんです。国際通りは外国人観光客向けの街ですからね。
店員さんも中国語を話しているしなんなら店員は中国人の可能性もあります。
このように国際通りは外国人だらけですが少しずれると雰囲気が変わります。

こちらは壺屋やちむん通りというところです。
やちむん⇒やきむん⇒ やきもん⇒やきもの。やちむんとはやきものの琉球語。沖縄ではシーサーの焼物があるように古くから焼物が有名だったそうです。

17世紀頃から本格的に製造されるようになり各地に点在していた窯元をここ壺屋に統合して陶工の街にしたそうです。明治維新後に一時衰退しかけるも独特の模様から注目されるようになり日本全国に知られるように。焼物は沖縄を支える産業の一つだったのでしょう。そのため戦後の復興は壺屋が最初だったそうです。
アメリカ占領後の那覇は住民の立ち入りが禁じられていましたが終戦3か月後には壺屋が解放。すぐに焼物生産がはじまりました。それにより壺屋の人口は一気に増えたそうです。
人が増えればその周りに商売人が現れる。飲食店や雑貨店などが次々とできはじめ自然と町が形成されていったのでしょう。そして人が増えればその手の店もでてくるもので壺屋の近くには怪しい街ができたそうです。
それがこの界隈です。

こちらは神里原社交街というところ。
戦後最初に解放された壺屋地区。多くの人が壺屋に戻ってきたためこの界隈に百貨店や映画館ができたそうです。今は国際通りのあたりが繁華街ですがかつてはここが那覇の中心地でした。そんな賑やかな街ならばその手の店もできるもの。ここに社交街が形成されたそうです。
社会と交わる街と書いて社交街。いわゆるスナックやバーがある歓楽街です。
社会が狭い沖縄県。
そして社交街は異性と交わることができました。ここはちょんの間だったのです。
ちょんの間のあった神里原社交街でしたが今はそういった様子はありません。
スナックが入居する雑居ビルがあるくらい。飲み屋街として残ってますがごく普通のスナック街のようなところ。

台湾三大置屋がある萬華を名乗るお店。
でも普通の店なのでしょう。

カラオケですがサロンに反応しちゃう。
でも普通の店なのでしょう。

エロがありそうな 怪しそうなバー。
でも普通の店なのでしょう。

これは商品が飾られるヤツ。
夜になると誰かが座ってそうな予感。でもでも普通の飲み屋街。怪しそうなところはあるものの今は健全です。
こんな感じで壺屋の南側は社交街がありましたがそれはかつて昔のお話。今はそういう街はありません。

壺屋の北側。こちら側にも怪しい街がありました。
こちらは桜坂社交街というところ。こちらも壺屋とともに発展した飲み屋街。

沖縄は各地に社交街がありその多くは米兵の慰安所として供されてましたが壺屋の周りのソレは地元民向けだったのでしょう。ここはかつて那覇で一番賑わってた地域で数百軒の飲食店が軒を連ねてたそうです。
ここはちょんの間でした。
当然今はそんなことはなく普通の街並みです。
ここもスナックがあるスナック街です。ちょっと特殊なのが桜坂の界隈はゲイタウンとなってることでしょうか。
ちょっとどころの騒ぎじゃない。
普通の街並みじゃなかった。

桜坂はゲイ関連の店が30軒集まるゲイエリア。沖縄で唯一のゲイタウンです。
元ちょんの間街だったところがゲイタウン。そういえば新宿二丁目ももともとは赤線街でした。二丁目がゲイタウンとなったのは赤線廃止後の空き店舗に入居したのが理由。桜坂も同じ理由なのかもしれません。
沖縄には行き逢えば兄弟って意味の「いちゃりばちょーでー」という言葉があります。
その言葉に続くのが「ぬぅへだてぃぬあが」という言葉。
これは何の隔てがあろうかという意味のようです。見ず知らずの人でも受け入れる沖縄の考え方。素晴らしいです。そのような文化だからこのような街があるのでしょう。
ここでは一度会った人と兄弟になるそうです。

こちらは壺屋の北側にある竜宮通り社交街です。
壺屋の近く、社交街だらけ。

ここもちょんの間街だったのでしょう。でもそんな街だったのははるか昔の話。現在は普通のスナック街になっています。

竜宮通り社交街はスナック街ですが国際通りに近いからか観光客向けの店があるようです。

こちらは国際通り屋台村ってところです。メインは沖縄料理ですが寿司などの和食を扱う店もあるようでここは外国人に人気のようです。

そんな国際色豊かな飲み屋街の向かい、こちらには山羊料理専門店があります。
ジンギスカンは都内でも見かけますが山羊料理専門店は見かけたことがありません。私はマトンが好きで比較的羊肉を食べていますが山羊って食べたことがなかったんです。でも去年山羊を食べていました。
山羊を食べたのはインド。
インドでマトン料理を食べてましたが実はそれ山羊だったんです。
やっぱ羊肉はうめぇよなって思ってたの全部ヤギでした。
インド滞在で毎日のように食べてた山羊肉。山羊って羊と同じでおいしいんです。
そんな山羊肉ですが沖縄も食べるようです。沖縄の人も頻繁に食べるものではないようですが祝いの席などで食される山羊料理。沖縄はラフテーやソーキなど豚料理が有名ですがかつては自家消費用に山羊を飼い食料にしていたそうです。天候不順などで不作の際に備蓄食料として山羊をつぶして食べてたんだとか。その文化が残ってるようで市内には山羊料理専門店が結構あります。
都内では見かけないため沖縄に来たらこういうの食べたいじゃないですか。

しかも刺身まであるんです。
牛レバ刺し牛刺しが禁止となって久しいですがやっぱり生肉食って魅力的なんですよね。衛生的なところでしか食べられない生肉。これは食べるしかないでしょう!

ってわけで夕方に来てみました。
何軒かヤギ料理店を調べましたが那覇ならばこちらが人気店なんだとか。
見た目はかなりの老舗感。実際に創業50年越えの老舗のようです。そのためオープン前から並んでます。
客全員が県外の人。まぁ観光地のそばにあるお店ですからね。地元の人は来ないのかも。私は観光客なので観光客らしくこちらのお店を選びました。ちなみにこちらのお店は吉田類の酒場放浪記でも訪れてるようです。
すれ違う吉田類。

こちらがヤギ料理店の店内です。
もうこれは場末のスナック。
そこまできれいではない店内。衛生的なところで食べるはずの生肉!!
でも落ち着く感じがします。ちなみに並んでいた人で店は満席となり山羊肉もその分しか用意してないため入店すぐに店は閉店。早めに着といてよかったです。

オリオンビールを注文。
やっぱり沖縄といえばオリオンビール。この軽い感じのビールは南国ならでは。
やはりその地の気候や風土に合うものを飲む。これぞ、ザ・オキナワって感じのビールです。

酒のアテに出てきたのは塩せんべいってやつ。
せんべいですが主原料は小麦粉。アメリカ統治下の沖縄では米粉よりも小麦粉が入手しやすかったことからせんべいも小麦粉を使ったものが多いそうです。沖縄の人にとって昔懐かしい味なんだそう。

こちらはスーチカという豚肉料理。塩漬けした豚肉、パンチェッタです。塩気が強くて酒のつまみにちょうど良い。
でも、ヤギ食べたいんですけど!
こちらのお店、メニュー表はあるのですがそのメニューから選ぶのではなく店主が「これ食べたい人」って言って手を挙げた人に配るシステム。
終戦80年後も配給制。

こちらがヤギ肉です。
生でも食べるし焼きでも食べる。良しあしはわかりませんがいい肉なんでしょう。

こちらがヤギの刺身です。
臭みはなく歯ごたえがある食感。馬刺しや牛刺しとは違った味わい。鳥刺しに近いでしょうか。
噛み続けるとほのかに羊肉っぽい味。酒のつまみにちょうど良いです。

こちらは脂身が多い部分。
焼いて食べるとおいしいんだとか。

これがヤギ炒め。
個人的には焼いた方が凝縮されて好きな味。こっちの方が酒に合います。

やっぱりこれに合わせるなら泡盛ですよね。
こちらは瑞泉の古酒です。泡盛の原料は米なので米焼酎と同じですが使用する米がタイ米です。
そのため米焼酎と味香りが違います。クセの強い泡盛。安い荒々しい泡盛も好きだけど芳醇な香りを帯びた古酒は寝かせたウイスキーに引けを取らないうまさ。これぞシングルライスウイスキーです。

最後にこちらはヒージャー汁です。
肉も内臓も骨もまとめて煮込む煮込み料理。
骨の中の髄液が溶け出し複雑な味がします。匂いが強烈でクセが強いから食べる人を選ぶってことでしたが全然臭くないです。おそらく下処理次第なんでしょうね。血抜きや湯通し、灰汁取りなどをしっかりやればほんのり獣の匂いがする程度になるのでしょう。
匂いはするんだ。
でもそこまできつい匂いじゃありません。そもそも店の中はその匂いが充満してるんで。

いい店でした。
こちらは沖縄に来た際にまた立ち寄りたいです。
山羊肉が食べたいのではなく店主の人柄がよかったです。ほぼスナックのような店。というよりここはもうスナック。
ヤギはクセが強い?この店のヤギはクセは強くありません。この店のクセが強いのは店主の方でした。
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浦賀にあった遊里「浦賀遊郭」と「柳町」

本日は神奈川県横須賀市に来ております。
こちらは京急電鉄本線の終着駅「浦賀駅」です。
私は神奈川出身ですが浦賀駅で降りるのは初めてです。終着駅なので途中下車で降りるところではなく浦賀に用事がない限り来ないところ。でも本日はそんな浦賀に来てみました。

浦賀といえば黒船来航でしょう。
170年以上前の話ですが義務教育で習うペリー来航。駅前にも黒船に関した壁画が飾ってあります。
黒船が浦賀沖に来たことで鎖国政策が終り日本は急速に近代化した。日本の歴史の転換点であり浦賀は重要な場所です。
歴史に疎い私でも知ってる黒船とぺリー。ペリーと言えばFLASH動画でしょうか。
歴史に疎かった。
FLASH動画全盛期だった2000年代前半。
開国してくださいよーってやつが流行った時期がありました。
なぜあそこまで人気となったのかは謎です。でも20年以上前のお話。今そのフラッシュ動画を知っているのはインターネット老人会に所属してる人たち。私はあのフラッシュ動画がはまりませんでした。私はインターネット老人会に所属してない人。そんな老人どもと一緒にしないでほしい。
私の知ってる黒船来航はリア・ディゾンでしょうか。
それはグラビア界の黒船。
遥か20年前の話。2006年に突如現れ一世を風靡したリア・ディゾン。
男性を虜にしたグラビア界の黒船。その節はお世話になりました。
私が知っているのはグラビア界の黒船かエロテロリストくらい。
リア・ディゾンかインリン・オブ・ジョイトイ。
知ってるのはリアル老人。
歴史に疎いけどグラビア史には詳しそう。

浦賀は小林一茶とも深い関わりがあるようで初恋の女性が浦賀に住んでいたそうです。
結婚を三回もしたほどの恋多き小林一茶。24年前に愛した女性に会いに行ったのでしょう。
ちなみに小林一茶、若いころから頻繁に娼婦を買ってたそうです。
恋が多いんじゃないただのエロジジイだった。
俳句修行の旅と称して風俗巡ってたおっさん。しかも利用していたのが遊郭ではなく夜鷹という質の悪い街娼だったそうです。現代でいう立ちんぼ。梅毒などの感染症により遊郭で働けずしかたなく街娼となった夜鷹。
そんな底辺ランクの娼婦なので値段は安く一回の料金は蕎麦一杯の値段だったんだとか。
ほぼ大塚のソレ。
大塚のソレは性病リスクは低いですが夜鷹は梅毒などの感染症持ちでした。そのようなリスクの中で性欲を満たす。江戸時代の風俗遊びは命がけです。ちなみに小林一茶は梅毒にかかってました。小林一茶も命がけ。梅毒に感染した後も街娼を買ってたようです。
高尚な俳句が詠めても人としてのモラルが低い。
これがホントのエロテロリスト。
ちなみに奥さんは梅毒で亡くなってます。
小林一茶、人に非ず。
そんな小林一茶の初恋の女性がいた浦賀。
本日こちらに来たのはかつてここに遊郭があったからです。
小林一茶と大して変わらない性への好奇心。

浦賀駅前にフェンスに囲まれたところがあります。こちらは通称浦賀ドックと呼ばれる造船所でした。
造船所ができたのはペリーが来た幕末。西欧諸国に対抗すべく1853年に造船所を建設。翌年には日本初の西洋式軍艦を竣工。戦時中も軍艦が製造され2003年まで船が作られてました。浦賀は造船の街だったのです。
多くの人が往来し町は潤ったのでしょう。
当然そんな街には怪しい店ができるもので私娼窟があったそうです。
浦賀は古くから港町としてさかえた街で造船所ができる前からにぎやかな街でした。そんな街には私娼窟があり浦賀にあった私娼窟は洗濯屋と呼ばれてました。
あっ!あれですか!?洗濯してたら恋に落ちるやつ。
それとも命の洗濯みたいな意味なんでしょうか。
名前の由来は不明ですが遊郭の設置が認められなかった江戸時代。
飯盛女や水茶屋、洗濯屋といったようになにかに化けて営業してたのでしょう。
黒服「当店は浴場です」
200年以上前からシステムは変わってなかった。

こちらは浦賀行政センターの交差点です。この辺は蟹田川の河口で新地と呼ばれてました。
もともとこの辺りは湿地帯でしたが人口が増えたことで埋め立てたんだとか。新地って飛田新地をイメージしちゃいますが新たにできた土地ってだけです。
しかも行政の中心って意味の行政センター。そんなところに怪しい店があるはずありません。ちなみにこの辺りに私娼窟があったそうです。
造船所そばにあった私娼窟。
当時は繁盛したのでしょう。しかし風紀の乱れを懸念したのでしょうか。1901年に浦賀遊郭が移設されます。移設先は元の場所から徒歩3分くらいの場所。
大して遠く離れてない。

こちらが遊郭を移設した荒巻のあたりです。
道が少し広がっています。遊郭のメイン通りがこちらだったのでしょう。
街道沿いでもなく主要駅のそばでもない浦賀。そのため遊郭の規模は大きくなかったようです。でも労働者が多かったためか遊郭は繁盛しました。遊郭は終戦まで続き戦後赤線となるも売春防止法とともに赤線は廃業。今は普通の住宅街です。

こちらにはアパートがあります。
かつては松風という妓楼があったそうですがこちらのアパートの名称は松風荘なんです。
遊郭の流れを汲む店はないけれどかつての妓楼の名を継承するものがある。なんか感慨深いです。
残っているのはそれくらいでしょうか。

赤線街となった浦賀遊郭ですが浦賀にはもう一つ赤線があったそうです。
西浦賀二丁目のあたり。浦賀は造船で栄えそれにより遊郭が出来ましたが漁港としても栄えた街。
近くの三崎港はマグロ漁が有名なマグロの名所。一航海で家が建つと言われたマグロ漁。この界隈には稼いでた人が出入りしてたようです。戦後にこの辺りに歓楽街が形成されました。

街路に柳が植えられた風情ある歓楽街。その様子から柳町と呼ばれたそうです。
赤線廃止後も歓楽街として生き続けたのでしょう。でも現在はその様子はなく普通の住宅街です。
現在は柳町という名称も消えてしまいました。唯一その名残りを残す石碑があります。

老人が多いのでしょうか。
生きがいの家という町内会館があります。横須賀市が運営の補助を行っている生きがいの家。60歳以上の地域の高齢者が集まり実益を伴う作業活動を行ってるようです。このような施設があるのは高齢者が多い証拠。
実際に浦賀地区の高齢者割合(65歳以上)は横須賀市の中では高く31.9%。かなり割合が高めです。
中心地でもないこの辺りは高齢者が多いエリアです。かつては中心的な盛り場だったのでしょう。でも歓楽街の雰囲気は まるでなく老人の街へ。柳町は普通の住宅街です。

ペリー来航により栄えた浦賀。
現在は海辺そばの小さな町となってます。当然現代版の遊郭はなく歓楽街もない。遊びに行くなら横須賀に出るかもしくは横浜や川崎に行くのでしょう。京急であれば川崎堀之内に行きやすいですからね。
遊郭赤線があった浦賀ですがそういう怪しい店はありませんでした。
でもせっかく来てるんです。もう少し観光します。

こちらは西叶神社です。
同社の創建は1181年。ご祭神は誉田別尊 比売大神、息長帯比売命。ご利益は所願成就 縁結び、商売繁盛。すごい願いが叶いそうな名称ですが実際に願いが叶ったからこの名になったそうです。

文覚って人が源氏の再興を願い鹿野山で修業しその願いが叶ったため神社を建立したそうです。
願う鹿野山、願い叶うさ。
文覚さん、韻踏んでる。叶神社、鹿野神社だった可能性がある。

こちらの灯ろうは半五郎って人が寄贈したそうです。
半五郎は江戸屋という洗濯屋を経営してました。洗濯屋ハンちゃん。
洗濯屋ケンちゃんみたいなノリ。
妓楼主が寄贈した灯ろうがあるってことはそれだけ遊郭が繁盛していたって証拠でしょう。
でもそれも昔のお話。この辺りは飲食店もありますが数は多くないです。商店街のようなものも神社の周りにはありません。海沿いの景色の良い地区といった感じです。
ちなみにこちらの神社は西叶神社という名の通り対岸の東側には東叶神社があります。せっかくなのでそちらにも行ってみましょう。

対岸は陸路で行けますが浦賀駅前まで戻る必要があります。徒歩30分くらいの距離でしょうか。
でも歩いて行かずともここは船で渡れるのです。

こちらは愛宕丸という浦賀の渡し船です。
大型船が行き交う浦賀。そのため橋が架けられなかったのでしょう。でもぐるっと回るのはちょっと遠い。
そのため渡し舟があるのです。船で渡れば250m。約3分で対岸に行けます。料金は片道400円。せっかくなんで乗りましょう。

浦賀の渡舟の歴史は古く1725年頃から行われているんだとか。
300年以上の歴史がある渡し舟。現在の船は1998年に就航。観光船のようになっていますが地元民の足としても利用されてるのでしょう。結構利用してる人がいます。現在は横浜まで出なきゃダメだけどかつては3分で登楼できた。遊郭赤線があったころは船に乗って登楼してた。風情がありますね。

浦賀の東側に来ました。
町の中心は西岸側だったようですがこちらにも旅館があったんだとか。

こちらには徳田屋って旅館がありました。
当時数少ない浦賀の宿場。多くの著名人がここに 宿泊したのでしょう。
吉田松陰もここに二度ほど宿泊しており佐久間象山とここで会ったそうです。
洗濯屋のあった浦賀に二度宿泊してる?妙だな?
吉田松陰といえば女っ気がなかった人で有名です。
30歳まで童貞でいると魔法使いになれますが残念なことに松陰は29歳でこの世を去ってます。
浦賀に泊まったのは松陰21歳と23歳の時。
通っててもおかしくない。ここで大人の階段上ってた。
船に乗ればたった3分で遊郭目の前に行ける立地。三ノ輪のビジホに泊まってるのと一緒。
三ノ輪に泊まったらとりあえず吉原行くでしょう。それと同じ。そりゃ旅館に呼ぶなり店に行くなりしたでしょう。
松陰はその手の遊びはしてないってことですが絶対してたでしょ。だって松陰って遊女を呼んでおいて自分を大事になさいって遊女に一時間も説教してたそうです。
呼んでる時点で確信犯。
ソープで手を出さないのが美徳だと思ってるヤツ。
やることやれば終わるのに話さなきゃいけない分めんどくさい客でしかない。
私も松陰と全く同じで一時間後に風俗嬢に説教してました。
それは事後に風俗嬢に説教するおじさん。もっと面倒な客。

こちらは東叶神社です。
創建は1644年。西叶神社を勧請して創建されたそうです。
ご祭神は誉田別命。ご利益は縁結び、恋愛成就、勝運開運。東も西もどちらも同じ神様です。
こちらでは勝海舟が渡米するのに先立ち。航海の安全を祈願し断食をしたんだとか。
その際に使用した井戸がここに残ってます。

こちらがその井戸です。
水のくみ上げは日立の井戸ポンプ。勝海舟もこのポンプで水をくみ上げたのでしょう。
このように勝海舟も訪れた浦賀。遊郭近くの神社で断食?妙だな?
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飲み屋の多い大井町は今でもアングラでディープなのか?
本日は品川区大井にある大井町駅にきております。大井町駅は京浜東北線、東急大井町線、りんかい線の3路線が乗り入れる乗換駅。
りんかい線で新宿渋谷池袋に一本で出れるし大井町線で自由が丘や二子玉川に出れる。JRで東京上野に行けるし横浜にも行ける。そして羽田空港も案外近い。大井町って中途半端なところにあるイメージでしたが実際はかなり使い勝手が良いんです。三路線使えるってのは便利ですね。

駅そばには阪急百貨店があります。
なぜかここだけ関西。
三路線と関係のない百貨店。阪急は1953年からここにあるそうです。関東で初めて出店したのが大井町だったんだとか。大井町駅は何度か利用していますがいつも北側の改札しか利用してなかったので駅前がこんな感じだったのは知りませんでした。

知ってる大井町はこの辺り。
駅目の前を通るのは鮫洲大山線です。環七と目黒通りの中間を通る鮫洲大山線。ここは抜け道で使ってたので頻繁に通ってました。また大井町には何度か飲みに来ていましたがその際も駅の北側の方に来ていました。
この辺りに飲み屋街があり使い勝手が良かったのです。

大井町と言えばこちらのイメージ。道路に沿ってアーケード街があります。
高架下にあるのは大井サンピア商店街です。
高度経済成長期にできた商店街。昔は怪しい雰囲気のあるアングラでディープな感じの商店街でした。
なんとなく闇市が起源のようなところでしたが新陳代謝してるようで怪しさがなくなりました。郊外の商店街と違いシャッター街ではありません。

こちらは大井サンピア商店街の地下街「オーイ地下飲食街」です。地下街となってますが実際は地上にある飲み屋モール。1980年代頃にできた飲み屋街なんだとか。
アングラでディープな雰囲気ではなく整備された飲み屋モール。
りんかい線開通の際にリニューアルしたそうで想像していたスナック街とは様子が違います。

居酒屋もありますがほとんどがスナックとバー。
小汚いスナック街とは違い清潔感のある飲み屋街。

食と酒と歌!!単純明快でわかりやすい。ここに来れば食べて飲んで歌える。ディープでアングラな様子はまるでゼロの明るい飲み屋街です。
ちなみにここにはかつて、特殊な風呂屋もあったんだとか。
アングラでディープ。

オーイ地下飲食街もそうでしたが大井町と言えば飲み屋街でしょう。
こちらは駅北側にある東小路飲食店街です。
ザ・飲み屋路地の代表といった昭和らしさぷんぷんの飲み屋モールです。
東小路飲食店街は闇市起源の飲み屋路地で雰囲気は新宿思い出横丁っぽい感じです。
思い出横丁と同じように各店舗にはトイレがなく路地内にある公衆便所を利用するスタイル。かつてはしょんべん横丁と呼ばれていたのかも。

川崎っぽい感じの街並み。
大井町は川崎同様に古くから工員の街でした。
駅北側に国鉄の車両基地がありまたカネボウやニコン、第一三共などの大工場。さらにはそれに関連した工場が多くありました。仕事終わりに駅前で一杯ひっかける。そういう人が多い街だったのでしょう。そんなわけで駅前には飲み屋路地があるのです。大井町の労働者でもない私が飲みに来ていたのはまさにここの路地。

中華料理店、蕎麦屋 居酒屋などの飲食店の他、バーやスナックなどの軽飲食店。この路地の中で全てが済ませられるスタイル。家の近くにこんなところあったら毎日行きます。

こちらは東小路飲食店街の先にある飲み屋路地「平和小路」です。
東小路よりもスナック要素が強くなるアングラでディープな 雰囲気のある路地。大人な感じの飲み屋街です。
この界隈には何度か飲みに来てますがなかなか店に入るのは勇気がいります。ここで飲めたのも知人が大井町に住んでいたから。誰かの紹介じゃなきゃ店に入ることも難しい。会員制じゃないけど初見でまずいけない店ばかり。でも裏路地にある店は扉をあけると受け入れてくれるんです。ディープでアングラ感がありますが明るくフレンドリーな店が多いんです。平和小路はアングラでディープではありません。ちなみに平和小路の入り口のところにはピンサロがありました。

アングラでディープ!

平和通りはスナック多めの飲み屋街。
なかなか入るのが難しいお店が多いですが道を渡った駅側には入りやすそうな店があります。こちらはライト層向けの飲み屋街。ガールズバーやキャバクラがあります。居酒屋もチェーン店などの大衆向け。あとあるのはエステ店でしょうか。

ある意味日本のディープな部分。

サロン店無き大井町の唯一の救い。どんなサービスがあるか不明ですが飲み屋街中にあるエステなのでそれは期待しちゃいます。

こちらは大井新地飲屋街。
駅から少し離れたところにある飲み屋路地です。またまた一見客を受け付けない飲み屋路地。でもこの雰囲気は期待しちゃいます。
大井新地ってことは飛田何某と同じかな?
新地ってことで期待しちゃいますがこちらは戦後の闇市をルーツとした。三坪ほどの店舗が30軒ほどある飲み屋街です。ゴールデン街のようなところでアングラでディープな雰囲気があります。
そしてかつては青線街でした。
アングラでディープ。
期待通りの新地だった!

大井町は労働者の街。仕事終わりに一杯。では済まずに二軒三軒と飲み屋をはしご。居酒屋あとはスナックへ。
じゃあそのあとは?えっ!?そのまま帰るの?
ムラムラってすることもあるじゃない!
そんな人のために青線街があったのでしょう。
ここは大人の街だったのです。
今は当然青線営業なんかしているはずはなく普通のスナックが軒を連ねる飲み屋街です。
でも建物の老朽化や消防法の関係でこの手の飲み屋街はどんどん潰れてます。建物も古く建て替えが難しい状況です。

また火災に遭って焼失した飲み屋路地もあります。
大井新地も同様に火災に遭っており2023年の火事で12棟消失したそうです。
土地の権利関係がどうなってるか不明ですが工事をしてたので何かが建つかもしれません。こういう街並みは残してほしいものです。

こんな感じで各所に飲み屋街がある大井町。
現在イトーヨーカドーがある裏手のあたりは盛り場だったそうです。でもそれも昔々のお話。
今はファミリー向けの街に生まれ変わりました。
健全な街になった大井町。アングラでディープだったのは高度経済成長期から平成初期の頃まで。青線は普通の飲み屋街になったし怪しい店ははるか昔に消えてなくなりました。

かつて青線があった大井新地飲屋街の南側。
駅前中央通りを渡った先。こちら側も飲み屋があり歓楽街の様子があります。
こちらにはかつて特殊なお風呂屋さんがありました。
現代版の青線。
やっぱりアングラでディープな街だった。

大井町駅西口側。駅から徒歩数分の場所。大通りからそれたところに怪しい店があります。こちらは大井町唯一の特殊浴場です。
大井町駅の周りってそういう店がないんです。労働者の街だったためかつてはその手の店があったのでしょう。しかし労働者の街は少しずつ変化し現在は住宅が立ち並ぶ街となりました。そのためその手の店は減少していったのでしょう。かつてあった紡績工場も鉄工所もなくなりました。労働者が減ればその手の店を利用する人も減り店は減少し残ったのがこの店でした。
近場にある当時からある企業といえばニコンでしょうか。
ニコンの社員がここの特殊浴場に通ってそう。
大井町ってそういうお店が少ないんですね。
なんか多そうな感じがしてました。大井には特殊浴場があったのですがあったのは南大井の方。最寄り駅は大森海岸のあたりでしょうか。あちらは花街があった地域で戦後は駐留軍の特殊慰安所がありました。特殊慰安所があったところは特殊浴場へ。昭和の時代は盛り場となっていたようですが平成の頃には潰れていき大森海岸にあったソレもすべて閉店しました。
それも閉店と言ってる通りこちらの店舗も2025年初めに摘発により閉店してます。

風呂屋が摘発とは穏やかではないな。
どういう顛末だったんだろ?
調べたところ同店は女性従業員が売春すると知りながら。
売春の場所を提供したとして摘発されたようです。
えっ!?お風呂屋さんなのに売春してたの?
それは罪深い。
だってここ入浴の介助をするための施設でしょ?福祉施設的な立ち位置。体をきれいにしてくれる施設なのに汚い何かを輩出させてたなんて。まさかの売春行為。
そんな店が法治国家である日本にあるなんてぜんぜん知らなかった!
お巡りさんもまさか風呂屋で売春してるなんて。
つゆほどにも思わなかったことでしょう。でもこのような摘発劇。これは警察がしっかりと活動してるっていう証拠。ちなみに摘発の裏にはトクリュウが関わっておりトクリュウがかかわるスカウトグループを同店が利用していたようなのです。警察に目をつけられ摘発されたんだとか。
入浴の介助をしてたら急に恋に落ちちゃったってのはどこの特殊浴場でも言われていること。浴場で行われている男女の営みは自由恋愛の範疇。ですがスカウトされた人は自由恋愛ではない。だから摘発されてしまった。

看板を裏返してるので営業停止じゃなく営業廃止。
つまり令和まで残ってた大井町の盛り場はもうここにはありません。ディープでアングラな街ではなくなりました。

ニコン社員の行き先がない。
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エロに全振りの品川宿だったから今でもソレがあるんじゃない!?

本日は品川に来てます。
こちらは北品川駅です。
北品川駅は品川駅の南側にあります。
南にあるのに北品川とはこれ如何に。
品川とは現在の目黒川のことだったそうで起点となる目黒川の北側にあるから北品川。だから北品川駅は位置関係が正しいです。
品川駅は品川の中心みたいな感じですが駅があるのは東京都港区。全然品川じゃないんです。
元々品川宿そばに 品川駅を作る予定が反対運動などもありズレた場所に設置された。だから品川じゃないのに品川駅になった。おそらくそんな理由なんだと思います。
そもそもこの辺の駅名ってちょっと変なんです。
目黒にないのに目黒駅だしゲートウェイじゃねぇのにゲートウェイだし駅名が則してないんです。
個人的にはあの駅名は芝浜駅がよかったですが芝浜は浜松町の方だから却下されたんだとか。
品川駅と目黒駅の立場。
江戸時代に高輪大木戸があったからゲートウェイにしたそうですがじゃあ高輪大木戸駅でよかったんじゃねって思ってしまいます。むしろ北品川の方がゲートウェイ感があります。
だってここは北品川はかつてゲートウェイだったところ。
ここは 品川宿の入り口でした。

東海道五十三次の最初の宿場で日本橋から約8km。二時間ほどの距離にある品川宿。
中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道の千住宿と東海道の品川宿を合わせて江戸四宿と呼んだそうです。その四宿の中でも京・大坂へ向かう街道のため品川は重要な拠点とされていたそうです。
中心地から8km。二時間で行ける距離なのに重要拠点だったんですね。
ちなみに同駅のそばには品川女子学院があります。北品川駅利用者の多くは同校の生徒なのでしょう。
まぁまぁ有名な女学院。
私の知ってる女学院は「品女」か「平女」。
平成女学園を知ってるのは行ったことがあるから。
品川女子を知ってるのは芸能人を輩出してるから。
同校では有名なアイドル?女優?を輩出してます。
ちなみに品女から京都駅までが460kmの距離。時速185kmなら2時間半で行けます。

こちらが宿場だったところです。
東海道五十三次最初の 宿場町「品川宿」は目黒川を境に北が北品川宿南が南品川宿。そして北品川宿のさらに北に歩行新宿。このように三つが並ぶ大きな宿場でした。でも日本橋から品川までは約8kmほど。歩いて2時間かからないくらいの距離です。疲れたから今日はここの宿場に泊まろうとはならないでしょ!

都内の人は普通は品川に泊まらないんです。
理由は単純で理由がないから。
泊まる理由がない。家に帰ればいいんです。江戸時代の頃もそう2時間で行ける場所に泊まる必要はない。家に帰ればいいじゃない。
そのため人気のある宿場じゃないはずですがどうにかして客をとどめるようにしました。
今の時代もあるでしょう。
例えば広島に出張へ行く。泊まるのは広島駅前か市街地の方か。
帰りのことを考えれば広島駅前に泊まるべきです。でも流川に近いホテルを選びますよね。だってそっちの方が夜楽しいじゃない。
そうなんです。
旅先の楽しみは観光やグルメだけじゃありません。エロも一つの楽しみなんです。
品川宿はエロに全振りしたんです。
その結果どうでしょう。その当時の色街と言えば吉原でした。でも吉原は格式高く値段も高い。庶民が行くにはちょっとしんどかったのです。それは現代でも同じで。高級路線の吉原よりも1000円台で遊べる大塚のサロン店。品川にあったソレも吉原とは違い低価格で遊べるスポットとして人気でした。中心地から歩いて一時間くらいで行ける歓楽街。そりゃ江戸中のエロい 大人が訪れたのでしょう。
江戸を立つ知人の見送りに品川に行く人もいたり旅に出たが品川で散在してしまった人もいたり多くの人が利用しました。このように江戸在住なのに2時間で行けるところに宿泊してたのです。
それだけ盛況な品川宿。
その怪しい店は100軒以上あったそうです。そうなるとどの店行くか悩んじゃいますよね。
でもそんな悩みもちゃんと解決してくれたんです。北品川駅の辺りは歩行新宿と呼ばれるところ。この界隈は遊女屋を案内する茶屋がありました。
今のようにインターネットも写真もない時代。人づての情報こそが生きた情報だったのです。茶屋でいいお店を聞いてから遊女屋に行く現代の無料案内所となんら変わらないシステム。
これは店舗型MANZOKU!!
そんなシステムが400年前からあったのです。

こちらには土蔵相模跡という史跡があります。一階にコンビニがあるマンションとなってますが江戸時代は相模屋という旅籠屋がありました。表向きは宿泊施設ですが実態は遊女屋。飯盛女がいる妓楼でした。お風呂屋さんなのに風俗嬢がいる感じ。相模屋は高級妓楼だったそうで高杉晋作など幕末の志士が利用していたんだとか。
高杉晋作、いろんな色街出入りしてる。

水戸浪士、長州藩士、薩摩藩士。
歴史に名を残す顔ぶれがここ相模屋に訪れてたのでしょう。ここで酒を酌み交わし密談したのでしょう。そしてそのあとは各自遊女と床の間へ。
要はツレ風俗。
ちなみに品川女子学院があったところには建設中の英国公使館がありました。
高杉らが焼き討ち事件を起こした公使館です。
その際も高杉らはこの妓楼に立ち寄ったんだとか。
だいぶ近場で遊んでた。
そして焼き討ちに成功した高杉らは再度品川の妓楼に散っていったそうです。
まさかの二回戦。
400年も前から存在した品川の遊里。かつては100軒以上の女郎屋が軒を連ね1500人以上の遊女がいたそうです。品川にあったソレは明治になると遊郭になるも戦後赤線街を経て住宅地になりました。
現在遊郭赤線の雰囲気はまるでありません。それだけ大きかったんだから残るもんでしょう。
飲み屋街になってもおかしくないですがそういった店はゼロです。
居酒屋やスナックなどはありますがキャバクラはなさそう。また風俗的な店も 全くないようです。

こちらに銭湯があります。
建物は1975年に建てられていますが同銭湯の創業は明治時代。
まだ遊郭があったころから営業してる公衆浴場。その当時は娼妓がここで湯あみをしたのでしょう。

こちらはどこかで見たようなネズミの絵柄。
なんか権利関係に抵触しそうな感じ...。そんなことはありません。
ネズミの絵がネズミの国の専売特許と思うなかれ。これはあくまでもネズミの絵柄なだけなんです。

権利関係!

こちらの居酒屋はどんなところなのでしょう。
ギャグ要素強めの店なのかはたまた偏りある主張を持つ店主がいるのか。少し気になるお店です。

政治色が強めの居酒屋。

おもてはきれいに整備されてますが裏に入ると昭和の雰囲気漂う街路があります。
こちらに旅館があります。創業70年ほどの歴史がある旅館。できたのは売春防止法が施行されたころ。
ここは昔はそんなところだったのかも。ここに泊まれば当時を味わえるかもしれません。

品川宿の周りには寺院が点在してます。人の往来が激しいところだったから寺院ができたのかもしれませんがなんか別の理由っぽい感じ。幕末にはこんな川柳が読まれています。

品川の客にんべんのあるとなし。

品川宿の利用客の大半は侍と僧侶だったそうです。侍の字のにんべんをなくすと寺になります。多くの僧侶が出入りしていたのでしょう。
僧侶は性行為が禁止されてたため医者に変装して登楼してたんだそう。僧侶は頭を丸めてますが当時の医者も坊主でした。見た目同じの医者のふりして登楼したのです。

ここは目黒川に架かる品川橋です。
かつてはここの北側が北品川宿、南側が南品川宿とよばれていました。
今は人通りはそこまで多くないですがその当時は品川駅のようなところ。多くの人がこの橋を行き来してたのでしょう。そしてこの橋の北も南も遊女屋があったのです。そりゃ暇さえあればここに遊びに来たはずです。むしろそのために来た人が多かったっぽい。

目黒川から青物横丁辺りまでが南品川です。宿場の様子はなく普通の商店街のようなところ。
こちらは東海道南品川。青物横丁駅のそばの交差点です。

ここはジュネーブ通りという通りで青物横丁で一番栄えているところです。
この辺りが宿場の端っこだったところでしょうか。色街の名残りはなくごく普通の商店街です。

こちらは海蔵寺です。

同寺院内に無縁仏の供養塔があります。この界隈には非人溜という施設がありました。
溜(ため)とは病人の 囚人を収容する施設。今風に言えば医療刑務所っぽいところでしょうか。
江戸時代は懲役刑ってのがなかったようなので医療が受けられる拘置所に近い施設。

非人頭の松右衛門って人が管理してたようで溜があったのは青物横丁駅の近くにそれがあったそうです。
病気が治れば元の牢に戻されたそうですが医療が未熟だった江戸時代。多くの人がここで亡くなったのでしょう。また近くには鈴ヶ森処刑場がありました。処刑された人、獄死した人を供養したのでしょう。そして遊女も同じようにここに投げ込まれました。

遊女の命は短命で平均寿命は22歳くらい。
身寄りもない彼女らの行き先は投げ込み寺でした。
全く知らない人だけど。全く関係ないとは言えない人たちのお墓。各地の遊郭そばには必ずあるので手を合わせていってます。
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那覇ゆきさんがいる沖縄の歌舞伎町「松山歓楽街」

本日は沖縄県那覇市に来ております。こちらは那覇の中心にある松山です。
那覇にはいくつかこのような街がありますが松山は沖縄県最大の夜の歓楽街です。
クラブやラウンジなどの接待を伴う飲食店がある銀座のようなところでしょうか。
沖縄を代表とする歓楽街で夜になると多くの人で賑わうんだそう。

こちらは松山の端の問屋街があったところです。
かつてはこの辺りが松山の中心だったそうですがもとは飲み屋街ではなかったようです。
飲み屋街となったのは1990年代以降。松山は終戦後に区画整理がされ街として発展。当初は問屋がある商業地でしたが1991年に浦添に新たな問屋街ができるとこの界隈にいた卸問屋も次々に移転。松山は空き店舗だらけとなったそうです。その空き店舗に飲み屋が入居するようになり歓楽街へ発展したそうです。近隣がオフィス街なのも発展した理由でしょう。とくにこの界隈は官公庁が多いエリアです。
歓楽街そばは必ず公務員がいる。松山が県内随一の歓楽街になったのは公務員がいたからです。
沖縄はちゃんと棲み分けが出来てるようで飯を食うなら国際通りへ。
そっち系のお遊びするなら辻の方へ。
酒を飲むなら松山へ。
そんな感じで場所を分けてるのでしょう。
松山は飲む街。
だからそっち系の店がありません。代わりにあるのがこちら。

棲み分けできてなさそうな店。
いやいやここは書店です。売ってるのはDVDとコミック。それにファンシーグッズとコスチュームです。
ファンシーグッズってなんだろ?
調べてみるとファンシーグッズとは主に10代20代の女性をターゲットにした可愛いイラストが描かれた道具の総称。それがファンシーグッズ。

いやこれは20~60代男性をターゲットにした無機質な形をした何かの道具。
でも逆にちゃんと棲み分けができてるからこういう店があるのでしょうね。
松山にはその手の店がないっていう証拠です。

ちょっと待ってください。
なんか本屋の隣りに気になる店があるんです。

癒し屋、洗い屋、添い寝屋。エステ要素ゼロ。
施術内容が怪しそう。

こちらのお店は洗体エステのようです。
洗体エステって沖縄発祥だったんですね。
調べたところ90年頃に沖縄で生まれたそうです。洗体エステって何?って人のために説明します。
洗体エステとは読んで字のごとく体を洗うエステ。あかすりなどから派生したエステでしょうか。エアマットの上で泡を使って体を洗うため泡泡洗体なんて呼ばれることもあります。基本的に手を使って洗うのですが密着して洗うボディ洗いをする店もあるそうです。
それを川崎では泡踊りっていうんだゼ。

いやいや川崎のと一緒にしないでください。
特殊浴場のそれとは違いあくまでも洗体を目的としたエステ店。
そのため多くの店がそんなサービスはしてないのでしょう。健全な店が多いはず。
でも松山にある洗体エステ。こちらはどうでしょう。

沖縄美女に癒される。
ぬるぬる泡で身も心もリラックス。
めんそーれ。
めんそーれって言っておけば免罪符になるやつ。

こちらは松山交差点です。
この辺りが松山の中心地で一番賑やかなところ。
午前中ですがカタギじゃなさそうな人がいます。
銀座じゃなくて歌舞伎町。風林会館前のようなところ。この界隈は歌舞伎町の名に恥じぬくらいキャバクラ多めの街。キャバクラのほかクラブやラウンジなどもあるしホストクラブなんかもこの界隈にあります。ほぼ歌舞伎町と変わらない歓楽街。期待できそうな感じです。

ここに来る客の多くが県外から来た観光客。
つまりナイチャーの人たち。沖縄に観光に来て夜の街に遊びに行く。それを受け止めてくれるのがここ松山なんです。ここなら沖縄っぽさを感じれる。
わけではない。
問題は働くキャストです。
性風俗店でも同じですが地方のこの手の店で働く人って県外の人なんです。つまりナイチャーの人。とくに沖縄にはリゾートバイトってのがあります。
リゾートバイト?海の家的なヤツかな?
リゾート地において人材不足を解消するため県外から労働者を募る、いわゆるリゾバ。
カタカナでおしゃれな感じで言ってますがその実態は出稼ぎ労働者や季節労働者。沖縄は観光地なので観光業のリゾバがあるのです。ホテルなどの運営スタッフもあるのでしょうがリゾートバイトの多くはナイトワーク。つまり水商売や風商売などの業種になります。リゾキャバなんて言葉もあるくらい。松山もリゾートバイトの行き先の一つ。つまりここには多くの「那覇行きさん」がいるんです。
クラブ嬢「私の出身さいたまなんですぅ」
キャバ嬢「ウチの生まれは大阪やで」
エステ嬢「私出身大連ヨ」
じゃぱゆきさんもいる!
こんな感じで沖縄に来てるのに沖縄人と触れ合えない。松山は内地人だらけの街なんです。

こちらも内地人キャストが多そうなビルです。
飲食店があるだけの歓楽街なので性風俗店的な店はここにはありません。
怪しそうな店もあるけれど広義の意味では飲食店。そのためここはすべてがセクキャバで構成された飲食店ビルです。
広義の飲食が広すぎる!

これだけ店があって潰れてないってことは需要がちゃんとある証拠。
官公庁が多い沖縄の中心地。歓楽街を支えているのは公務員。夜になればアフター5で松山に来るのでしょう。公務員がこのような店で飲むんでしょうね。
公務員の飲み方が汚い件。
でもその気持ち、わからなくもありません。
だってキャバクラに行っても県外の人ばかり。地元の話題を話せないし年の差があるから話題が合わない。
クソどうでもいい会話をするよりもハッスルタイムがある方がいいじゃない!
もうお前らはソープ行けよ。

こちら、なんか見覚えがあります。
ちょっと前にAV女優で構成された女性アイドルグループがありましたがそれにあやかっているのでしょうか。ショークラブってなってるんでショーパブ的な店なのでしょう。値段も手ごろで良心的。でもショーパブなんで隣に座らない。ショーを楽しむための店。だからハッスルタイムもありません。
ただの生殺し店。

ここにはいろんな店があるためちゃんと案内所があります。
無料で案内してくれる奇特な人たち。居酒屋やキャバクラだけじゃなく観光案内までしてくれる無料案内所。
つまりここでは舜天王統統治時代の琉球の話や明治時代の琉球統合のことも聞けるのでしょう。日清戦争の起因となった琉球処分。そして今の中国における日本の沖縄領有懐疑論。その辺の話もここでは聞けるはずです。

こちらも無料案内所です。
これは魁!!こちらの店は潔い。意味のない伏字などせずちゃんと書いてあります。
しかも旅行会社のツアーのようなパックプランまであるんです。なんかすごいお得感がある。
こんな感じで飲み屋だらけの那覇松山。
さすがは那覇の歌舞伎町。飲み屋が多いからか客引きも多いようです。
沖縄県も他府県同様に迷惑防止条例により路上での客引きや客待ちが禁止されています。

路上客引き自体が違法なのに客引きのための無線利用は違法だというまるで無線使わなきゃ大丈夫みたいな看板。携帯ではなく無線を使う現代の客引き。連絡がスムーズだから無線を使うのか。それとも客引きの美学がそこにあるのか。

こんな感じでほぼ歌舞伎町みたいな松山。
日中は静かな街並みですがここの本番は夜です。
夜は沖縄で一番刺激的な街になるのでしょう。
ってことで日が暮れてから来ました。

日中よりも人の往来がはげしいです。でも客よりも黒服や客引きが多め。
これに関してはどこの飲み屋街も同じですね。昔はもっと人でごった返していたのでしょう。
その頃より寂れてしまいましたがそのような中で生き残る店は優良店のはずです。でもこの界隈って飲み屋だけなんですよね。

セクキャバがあるじゃない!
いやセクキャバこそ真の生殺しの店。ハッスルタイムとかただただ悶々とするだけの地獄の責め苦のような時間。アレが好きなヤツはドMくらいでしょう。
ドMの店しかない松山。やっぱりそっち系の店はないのかしら?連れ出し的な店がありそうな感じもするけど...。
そんなことを考えながら街を徘徊しているととある客引きから声をかけられます。
客引き「おにぃさん、飲みですか?」
客引き「店紹介しますよ!」
今日は飲む気分じゃない。だから辻へ行く旨伝えました。
だから辻へ行くの意図!
その意図をくみ取ってくれた客引き。
客引き「この時間の辻は おばさんだけですよ!!」
客引き「店紹介します!!」
システムを聞いたところ。
40分2万円、60分25000円。
そして最後までできるとのこと。
せっかくの沖縄。
特殊な風呂屋もいいけれど特殊な飲み屋もいいじゃないですか!

時刻は21時過ぎ。これより真の沖縄を満喫してきます。
めんそーれ。
めんそーれって言っておけば免罪符になるやつ。
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洗練された品川駅港南口の異質な空間!?芝浦屠場と港南商店街

本日は品川駅に来てます。
こちらは品川駅の自由通路です。
ちょうど出勤時間帯。そのため多くの人が品川駅を利用してます。
一日80万人近い利用者がいる品川駅。新幹線で関西方面 京急線で羽田に行ける、品川は交通の要衝です。
多くの旅行者やビジネスマンが利用するため世界トップテンに入る利用者数なんだとか。羽田空港に行く際に、また新幹線に乗り換える際も品川は利用します。
このように利用しますが乗り換えで利用するだけで駅を降りることはあまりありません。私はプリンスホテルに泊まるのに降りたくらい。そもそも品川は遊びに来るところではないんです。

駅東側はオフィス街になっている品川。
品川のイメージはオフィス街。そのイメージができたのは2000年以降、2003年に新幹線の駅が開業。それくらいの頃から駅東側が開発されました。それ以前は品川って微妙な駅だったんです。駅東側は開発されてこなかったエリア。古くは港南口側は海の中だったそうです。
品川駅ができたのは1872年。
当初は品川宿の辺りに駅を設置する予定でしたが反対などがあり鉄道用地を確保できなかったため湾岸沿いに駅が設置されたそうです。駅が設置されると海が埋め立てられ倉庫が立ち並ぶエリアとなりました。また住居がない地域のため忌み嫌われた施設が品川に集まりました。1931年に下水処理センターが1938年に芝浦屠場が設置されます。

長らくそれらの施設しかなかった地域でしたがオフィス街に変わりました。
きれいな街並みです。かつてのイメージはなくなり洗練されたオフィス街に生まれ変わりました。
交通の便も良い品川。大手企業が品川に集まるのでしょう。
企業があるということはそこで働く人がいる。
多くのサラリーマンが働く品川。ってことはサラリーマンの聖地的なのあるかな?
駅前にある港南ふれあい広場を抜けた先、怪しそうな路地があります。

品川駅港南口を出て港南ふれあい広場を抜けた雑居ビルがあるエリア。
高層ビルが密集する駅前にぽつんと現れるおしゃれな街品川とは言えないような開発から取り残されたエリアがあります。なんか夜遊びスポットがありそうな雰囲気。路地なのかビルの隙間か悩むくらいの小道。こちらは品川駅前港南商店街です。
新宿思い出横丁、渋谷のんべえ横丁。
そんな街を彷彿とさせる品川のオフィス街には異質な空間。洗練された街とは違い昭和の雰囲気漂う街並み。
サッカーコートの半分くらいの敷地に雑居ビルが複数立ち並ぶ。
入居する多くが飲み屋。ここは50軒以上の店が軒を連ねる品川で一番の飲み屋街です。

こちらの飲み屋街は戦後にできたそうです。
お話しした通り港南口は 開発から外れたエリアでした。

こちらは終戦後の衛星写真です。
飲み屋街の原型がここに映ってます。なんとなく闇市っぽい雰囲気のある感じがします。
周りは工場しかなく品川駅は遠いです。

こちらは1970年頃の様子です。
この頃も駅は遠い感じ。工場街の様子は薄まりつつありますが品川駅の西側と比べると別の街のようです。

こちらは1990年頃の様子です。
少しビルが増えてますが品川って感じがしません。

こちらは現在の様子です。
30年で町の雰囲気が一気に変わりました。近代都市って感じに生まれ変わってます。
でもこの飲み屋街は昭和の頃から変わってません。
都市開発から外れた飲み屋街。
でもこの雰囲気は嫌いじゃありません。かつては屠畜場や下水処理場で働く人たちが呑みに来てたのでしょう。港南口で働く人たちの憩いの場だったのです。それは現在でも変わらず同じで港南口で働くビジネスマンたちの憩いの場。今も日が落ちネオンが灯るころ、この界隈で働く人が集まるのでしょう。

思い出横丁のような駅前港南商店街。
比較的ホルモンを扱う店が多めの感じ。
飲み屋街には普通に ホルモン屋はありますが屠畜場そばの飲み屋街。日本一新鮮なホルモンが提供されてるはずです。しかも客の中には屠畜場で働く肉のプロがいます。下手なもんは出せないでしょう。美味いに決まってます。

居酒屋が多めの飲み屋街。
でもパブやスナックにガールズバーもあります。

リザーブ・VSOP飲み放題。
最近じゃウイスキーか怪しいものが出回っておりこの手の飲み屋はその怪しい酒しか飲めません。でもこちらはリザーブとVSOP。サントリーが気軽に飲める店なのでしょう。

ガールズバーは4軒くらいあるでしょうか。
品川ってその手の店が少なそうですがあるにはあるんですね。まさに品川駅港南口の憩いの場です。

飲み屋街同様にこちらも異質な建物です。
こちらは屠畜場「東京食肉処理場」です。かつては芝浦屠場と呼ばれたところです。
仏教の思想から江戸時代は禁忌とされてた獣肉食。実際は普通に食べられていたようですが表向き禁止だったため屠畜場はありませんでした。最初にできた日本の屠畜場は1867年。来日する外国人向けに開設されました。

明治になり食肉が一般化されると築地、麻布、三田、千住、浅草などいろいろな地域に屠畜場が開設されます。しかし匂い問題などがあり反対運動もあったそうです。そのため1936年に芝浦屠場を設置し都内に点在してた屠畜場を順次閉鎖しました。つまりこちらは90年の歴史があります。
現在は離島を除く東京ではここにしかなく日本最大の屠畜場です。
屠畜場は6年前に訪れています。
日本橋から京都へ 東海道を巡る五十三次の旅。道中最初に立ち寄ったのがここでした。
立ち寄った理由はここで昼食を食べたかったから。
同処理場内には定食屋があるんです。東海道五十三次 最初の宿場は品川宿。それならば品川に立ち寄るべきでしょ。
当時は屠畜場がなかったけど幕末には宿場で桜鍋が提供されてたようです。
宿場で文明開化の味、楽しみたい。って思って立ち寄ったわけです。
ちなみにその定食屋は朝から営業しています。ちょうどお店が開く時間。せっかくなんで本日もここで食べていきます。

食肉処理場正門を入って左手すぐのところ。
知らなければわからないところに店があります。敷地内なので従業員しかこなそうな店ですが一般人の利用も可能です。私はお店が開く7時過ぎにここに来たのですがさすがは市場。すでに仕事終えて飯を食べに来てる人がいます。朝から好評の定食屋さん。職員がここで食べてるってことはこの店は間違いない味なのでしょう。

定食屋は食肉処理場内にあります。
場内はいろいろな理由で撮影禁止ですが料理の撮影許可はもらえました。
定食屋なのでラーメンやカレーなんかもあります。でもこちらは食肉処理場内の定食屋。そのため肉っけのある定食が多めです。とんかつ・唐揚げ しょうが焼き。何を食べるか悩んじゃいますがやっぱり肉でしょう!!

ってことで名物のモツ煮定食を注文しました。
アルミトレーに入れられた定食。
社員食堂みたいな雰囲気。食肉処理場敷地内にある定食屋。
処理場内でつぶされた肉を直接ここに運んでくる。そりゃ提供される肉は日本一新鮮のはず。そして客のほとんどが屠畜場で働く肉のプロ。肉に精通した人に提供する肉料理。ソレがまずいはずがありません。

スジ煮込みともつ煮込みと生たまごに味噌汁。
さすがは食肉処理場敷地内の定食屋。野菜要素ゼロの肉で米食えスタイル。
ちなみに味噌汁の中にもモツが入ってます。
スジもホルモンも柔らかくて臭みがない。働く男の飯って感じで味が濃い目でおいしいです。

味が濃いのでご飯が進む。
ちょっと白飯が足りないかも。ごはん大盛りにしておけばよかった。
朝から食べるようなラインナップじゃないですがここでは朝から働いてる人もいます。仕事終わりにここで飯を食うのでしょう。こちらではアルコールも提供してます。本日は飲みませんでしたがモツをあてに一杯。そういう楽しみ方もここではできます。
私はどこに行っても大体ビールなんで居酒屋じゃなくていいんです。
町中華で一杯やるのも好きだし定食屋で一杯やるのも結構好き。ハムエッグをアテにビールを呑む。こちらはそういう使い方ができるようです。まさに品川宿で酒を飲む感じでしょうか。
ちなみにこちらの屠畜場の住所は品川区ではなく港区です。そしてここは品川宿とは関係ないところです。
宿場の雰囲気味わいたい。最初の宿場は品川宿とか言ってたけどただ屠畜場で食事しただけだった。
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ここは島人ぬ宝!海の玄関口「前島」はエロの玄関口だった!

本日は沖縄県那覇市に来ております。
那覇市の中心、繁華街からずれたところ、こちらは泊港という港にある船舶旅客ターミナル「とまりん」です。
北海道に次ぐ空港の多さ第二位の沖縄。県内には大小13の旅客空港があります。
北海道と違い面積が狭い沖縄だけど離島が多いため移動手段が飛行機になるのです。沖縄人にとって飛行機は交通手段の一つ。
那覇から離島行は一日40便以上ありますがその多くが石垣島などの観光地路線です。
13空港に対し 有人島は約50島。多くの島に空港がありません。そのため多くの離島の交通手段は船なのです。それの発着するところがこちらのターミナルです。

とまりんに就航する路線は那覇市西側の慶良間諸島のあたりと沖縄本島東側の大東諸島。8島の船便が就航しており久米島行のフェリーもあります。ちなみに久米島には空港があるのですが久米島までの飛行機代は最安値で6000円ほど。一般的な料金は片道一万円前後で乗車時間は40分です。フェリーの場合だと久米島まで大人3450円。乗車時間は3時間30分。時間がかかりますがフェリーの方が断然安い。それとカーフェリーなので車も持っていけます。普段使いはフェリーなんでしょう。
沖縄は九州から那覇行のフェリーもありますが東京から行くなら飛行機の方が安くて速い。まず船で沖縄に行くことはなさそうですが離島の人にとっては日常的な交通手段。普段からフェリーで那覇に遊びに来るのでしょう。ここは遊びに行く玄関口なのです。

そんな玄関口であるとまりん。
とまりんがあるのは那覇市前島三丁目ってところ。
那覇の歓楽街から少しずれたところにありますがかつてここは本サロのメッカだったそうです。
玄関口がピンサロ街。
離島の人の遊び方に問題あり。
沖縄で有数の歓楽街松山の北側川を渡った先に前島があります。現在フェリーターミナルのある泊港の歴史は古く13世紀ころには物流の拠点だったそうで琉球王国時代には船舶が往来する貿易港でした。港の名前が泊港なのも船を停める港だったから多くの船がこの港に泊まったのでしょう。そんなところならばそりゃ怪しい店もあったのでしょう。花街とか色街がその頃からあったはず。

こちらは18世紀頃のこの界隈の地図です。
那覇の中心地は浮島と呼ばれる離島で前島のあたりは当時は海の中だったようです。

この地図は20世紀初頭の地図。
この時もまだ海の中。なかったっぽい!
そもそもここは戦前から製塩業が盛んな地域で塩田だったそうです。
埋め立てられたのは戦後になってから。
第二次世界大戦後前島は軍用地として接収。54年に返還されて以降に埋め立て工事により区画が整理され住宅地に。隣接する松山が問屋街へと発展するとこの界隈も商業地となり賑わいを見せました。でも本土復帰以前は歓楽街ではなかったようです。歓楽街へと発展したのは90年以降。浦添市に問屋街が新設されたことで卸売業者が次々に移転。その空き物件にスナックが入居し歓楽街が形成されました。サロンが出てきたのもその頃でしょう。これが前島がサロン街となった起源です。
だいぶ浅い歴史。
つい最近生まれたばかりの街だった!

90年代以降に増えだしたサロンを称した店。
店舗が乱立したことで競争が激化。本サロが増えました。
明らかに違法だけどどこもかしこもやってる。違法行為が常態化したことでこの街は本サロ街になったんでしょうね。しかし非合法な業態が当然認められるはずはなく当たり前のように行われてた本サロ営業でしたが当たり前のように淘汰され壊滅状態に。前島にはそういった店はもうないようです。
かつての華だったサロン。その華が散れば街も静かになるものでスナックも衰退している感じです。

こちらは普通のサロンでしょうか。
それとも普通じゃないサロンでしょうか。
舞姫でサロンを名乗る店なのであればピンクの方っぽい感じがします。
そして店の外観もそうだったような感じ。でもこちらの店も閉店しています。
こんな感じで閉店してるんですがまだ営業してる店が絶対あるはずなんです。

だってこちらの店はまだ潰れてません。
特異な調剤薬局。
サロンあるところ、精力剤専門店あり。
本土でいう赤ひげ薬局のソレ。
病院のそばに処方箋薬局があるのと同じで風俗店のそばには薬局が必須なんです。
ここに性風俗の処方箋薬局があるならばゼッタイに本丸がここに存在してるはずです。

こちらは平成感のある美少女の挿絵。
安心明朗会計というまるで明朗会計ではない店が多い業種のよう。

具体的な業種は一切不明ですがこのハートマークになにか感じるものがあります。
ただ店の様子から閉店してる感じ。だいぶ前に閉店したのでしょうか。

と思ったのですがどうやら営業してる様子。調べたところこちらの店、平成30年にカフェーとして営業許可を受け、そして令和6年に飲食店で営業許可を受けてます。
どうやら今はスナック?セクキャバ?そんな業種っぽいです。
経営者は一緒で看板はそのまま。かつてはそっち系の業態だったかもですが今は健全?な店のようです。

ちなみに同じ建物にハワイを冠する店もあります。
こっちもなんか感じるものがある!でも営業してなさそう...。

こちらは町内に掲げてある住宅地図です。
当たり前のようにサロン店があったころ。おそらくその当時のこの界隈の地図なのでしょう。
世間に知られたくない悪しき街だった前島。過去を消し去ろうとしたのでしょうか。破れてて地図の役目を果たしていません。でも当時の前島を語ってる店があります。

倶楽部ピンクハウス、レモンハウス、サロンバンビ、ナイトクラブギャル。
スナックやバーの可能性もありますがかつてサロン街だったところにある。甘酸っぱさを感じさせる店名。
これゼッタイサロンでしょ!
前島にはまだサロンがありそうな予感。

ほらやっぱりあった。
こちらはまだやってそうな外観です。他と比べると新しめの看板だし寂れた感がしない。
そして中央に女性のシルエット。これはサロン店じゃないでしょうか!
でもハナハナは乾杯を意味する沖縄の言葉なので普通の飲み屋さんかも。

となりの店も感じるものがある店名。
求愛を意味する和製英語のラブコール。何の店かわかりませんが、っぽいですよね。

リフレッシュな夜、満喫。直訳:すっきりできます。
営業してそうな店もありますがその多くが閉店している前島のその手の店。
スナックなども生き残ってますがまばら。かつては賑やかだったのでしょうが今は廃れた飲み屋街といった様子です。

こちらはここが歓楽街だった証でしょうか。
シアター那覇と書かれた看板があります。
シアター?映画館かな?
歓楽街要素の一つでもある映画館。
高度経済成長期の頃、歓楽街にはいくつもの映画館があったそうです。ここ前島にも40年以上前に閉館しましたが若松国映館ってのがあったそうです。1960年に開館した若松国映館。歓楽街が形成されたのは90年以降でしたがそれ以前からこの界隈は商業地だったので夜遊びするところはあったようです。シアター那覇も当時の名残りでしょうか。
高度経済成長期に黄金期を迎えた映画。当時の娯楽は映画を観ることでした。ここでは娯楽が楽しめたようです。なんか昭和レトロな感じでいいですね。ちなみにこちらのシアター那覇はストリップでした。
高度経済成長期の頃にあったヤツ。昭和の名残り!
沖縄人の娯楽ストリップだった。

こちらの店は違います。昭和の名残りじゃないんです。こちらは2013年にオープンしてます。
平成末期にできたストリップ。
元ショーパブだったところを改築して新たにストリップ小屋を作ったんだそう。
ショーパブ感覚でストリップが味わえる。そんな感じのお店だったのでしょう。しかし思うように客が集まらなかったのか3年後の2016年には閉業したそうです。もう10年前に閉店したのですね。でも看板は残ったまま。どうやら現在は看板を残したまま。カラオケスナックとして営業してるんだそう。ストリップ感覚でカラオケスナックが味わえそう。

それよりも手前のリラクゼーションが気になる。
感じるものがある店の看板。そして感じることが 出来そうな店の看板。
スナックも減り怪しいサロンも見当たらないけどそれに準じた店がありそう。見た目寂れたスナック街ですが探せば必ずあるはずです。かつての凶暴さはなくなりましたがサロンに変わる何かがこの街に残ってるようです。多くの島人が今でも前島に訪れるのでしょう。前島は離島の人にとって島人ぬ宝なんです!
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インド人街の西葛西はランパブがあった歓楽街だった

本日は江戸川区に来てます。
こちらは東京メトロ東西線の西葛西駅です。
各駅しか止まりませんが西葛西は頻繁に来てます。
東西線西葛西駅。路線名と駅名に「西」の字がありますがザイ・ニシ・サイと読み方がすべて違うんです。日本人ならニュアンスでなんとなくわかりますが西葛西は外国人泣かせの難解地名。
このように外国人には難解地名の西葛西ですが皆様ご存じの通りここはインド人街です。西葛西の駅前にはインド系の店が複数あります。
日本にいる在留インド人は56000人ほど。2015年は26000人だったので
10年で倍に膨れ上がっています。その56000人のインド人のうち都内に住んでるのは18000人ほど。そのうち約8000人が江戸川区に住んでいます。
西葛西にインド人が増えたのは90年代後半。
ちょうど2000年問題があったころで日本はエンジニアを必要としていた時期でした。インド人と言えば二桁の計算が暗算できる人たち。2000年問題対処のためビザ発給を緩めた結果、多くのインド人技術者が来日してきたんだとか。
しかし当時のインドのイメージってカレーだったのです。
カレーに部屋は貸したくない。外国人お断りが当たり前の時代だったため部屋を借りるのが難しかったようです。その際尽力してくれたのが西葛西に住んでたインド人。

こちらに紅茶屋さんがあるのですがこちらのお店を経営してる人がいろいろ世話をしてくれたんだとか。それによりインド人コミュニティができ西葛西がリトルインディアとなったようです。
こちらの紅茶屋さんにはよく来ておりここでチャイ用の茶葉を買ってます。
ショウガ、シナモン、カルダモン、黒コショウ、クローブ、八角、ローリエ、フェンネルシード。とりあえずいろんな香辛料をぶち込む。地域によって入れるものも異なり正しいレシピというのが存在しないチャイ。自分好みのチャイを求めて試行錯誤する。チャイは奥が深いです。

香辛料も西葛西で購入しています。
こちらは私がよくいくインド食材店です。香辛料はスーパーで買えますが結構高いんです。でもこちらであれば半額以下で香辛料が買えます。スーパーで売ってるものと違い賞味期限も製造年月日も製造国も不明ですが安さはめちゃくちゃ魅力的。わざわざ西葛西までくる価値があります。

それと西葛西はやっぱりインド料理店ですよね。
インド人だらけの西葛西。インド人向けのインド料理屋もあるし日本人向けのインド料理屋もあります。インドといえばカレーですがビリヤニもおすすめ。
店によって当たりはずれはあるのは否めませんがここに来ればインド行かずともインドを味わえる。そしてインドと違い街もきれいで衛生的な西葛西。わざわざ何万もかけて行かなくていいんです。西葛西に来ればインド完全に理解できるはずです。

こちらは駅南側の清新町のあたりです。
15000人ほどの人口を抱えるエリアで町の中心に団地があります。

こちらは葛西クリーンタウン。80年代に建てられたUR団地です。
民間の賃貸とは違い保証人が不要のUR団地は外国人が入居しやすいです。
そのためクリーンタウンも外国人が多く清新町の外国人割合は2割以上なんだとか。
その多くがインド人なんでしょう。街ゆく人の中にはインド人らしき人が目立ちます。

こちらは小島町二丁目団地です。
こちらも外国人が多いUR団地です。

団地一階は商店があり飲食店のほか外国食材店もあります。

インド食材店もあります。
こちらもスパイスが安く買えるところです。

こちら見覚えあるチェーン店っぽい店。
外観は違うけど名称が近しいチキンのお店。なんとかサンダースがいそうな雰囲気です。これがあるのもインド人街だからでしょう。
ヒンズー教が80%、ムスリムが15%。
ほかにもいろいろな宗教がありますが食の禁忌がある宗教が多いインド。
ヒンズー教は牛を食べない。
ムスリムは豚肉を食べない。
無難なのがチキンかベジなのでしょう。
インドにはマクドナルドもありますが人気があるのはKFCのようです。
人気があるからかそれにあやかろうとインドでは〇FCって店が多いんです。
どうやらAからZまで 揃ってるんだとか。


私もインド旅行をした際に〇FCを観てます。
その流れを汲むであろう西葛西のお店。インドだと許されるけど日本だとどうなんだろ。
フライドチキンはKFCの専売特許じゃない。
肉屋は精肉店を名乗るし魚屋は鮮魚店を名乗る。別にチキン屋がFCを名乗ることに何ら問題ない。

こちらに書かれているジンガー。
ジンガーとはチキンバーガーを指す言葉。
ジンガーはKFCの登録商標ですがパキスタンでは一般名称化してるのでKFCをパクってる わけではない。
いや登録商標の意味。
KFCに似てるって?
そんなことありません。むしろ本家のそれとは違いバラエティ豊か。
こちらのお店ではビリヤニやプラオもあるんです。

チキン要素が薄めのフライドチキン屋。
インドではなく中東料理っぽい感じの店です。
ちなみに西葛西駅前にはKFCがありません。

こちらはトウキョウミタイワラというお店です。
ミタイはヒンディー語で菓子を意味しワラは専門家や「~をする人」って意味。
つまり菓子専門店ってことのようです。

こちらの一階はインドの生菓子を販売。二階はレストランとなっています。
インド料理屋は全国に数多あれどインドのスイーツ専門店は珍しいです。実際にこちらのお店は2019年にできた日本で初めてのインドスイーツ専門店です。
元々は駅北側に店舗を構えていましたが2020年11月に今の場所に移転したそうです。リトルインディアに来てるんです。インド、味わっちゃいましょう。

とりあえずチャイです。
トイレのアクセスは悪いけどチャイへのアクセスが容易なインド。
昨年インドの旅をした際は毎日必ずチャイを飲んでいました。甘かったり渋かったり店により味が異なるチャイ。こちらのお店のチャイはあっさりしてて上品な味。甘くなくお好みで砂糖を入れるスタイル。好みはあるでしょうが私は上品なチャイよりも雑な感じの激甘チャイのほうが好きなのかも。

チャイに合わせるのはジャレビです。
見た目プレッツェルのようですがめちゃくちゃ甘いお菓子です。
小麦粉の生地を揚げてシロップ漬けにしたやつ。インドだけじゃなく中東でも食されてるんだとか。
小麦粉の砂糖漬けなので近いのはかりんとう。でもかりんとうとは違いアホみたいに甘い。味は砂糖の味。
インドのお菓子ってめちゃくちゃ甘いんです。
食べると体が拒否反応を示すくらい甘い。こちらのジャレビは日本人向けじゃない感じ。

ジャレビはインドで食してますがインドで食べたのとほぼ同じ味でした。
ちなみにインドではカレーに浸かってました。
カレーの付け合わせが激甘菓子。

ミタイワラは本場のインドが味わえます。
このような店があるのはインド人街だから働いている人はたぶんインド人。
そしてお客さんもインド人が多いです。ザ・リトルインディアって感じです。
ちなみにこちらの店舗ですが以前はランパブがありました。
突然のランパブ。
まさかのランパブ跡地にインドの生菓子店。
インド人街と言われますが20分で東京駅に行ける西葛西。
急行こそとまりませんがめちゃくちゃ便利な立地。ここは日本人のベッドタウンでもあるのです。インド料理屋も多いけど日本人向けの店もある。ランパブは日本人向けの店だったのでしょう。ここにあったのは繁盛店だったそうでわざわざ都心から通いに来る人もいたそうです。ベッドタウンにあるランパブ。家の近くにランパブあったら一生家に帰れない。
そもそもランパブってなんなの?
ランパブはランジェリーパブの略称。ランジェリー姿の女性が接客するお店です。要はコスプレパブ的なやつでしょうか。そのコスプレがたまたまランジェリーだっただけ。最近じゃ下着姿で歩いていると逮捕されるけど昔はダイジョブだったんですね!
いや昔からグレーな部分ではあったはず。
ランジェリー姿で接客するスタイルが卑わいな行為その他善良の風俗を害する行為に
該当するかどうかはわかりませんが最近まで営業していたってことはランジェリー姿での接客はよしとされてるのでしょう。
しかしここにあったランパブは2020年に閉店したそうです。
2020年といえば自粛のあったころ。感染症の影響で店をたたんだのでしょう。

でもでもまだある西葛西の飲み屋さん。インド人街だけど日本人向けの店がある。
風俗的な店はなさそうですが駅前には飲み屋が結構あるんです。

ほら風俗がない町だから個室ビデオ屋があります。
さみしい大人が一人さみしくヌクお店。さすがはその手の店がない西葛西。飲んだ後に行くとこがビデオボックス。西葛西民はこんな不遇にさらされているのです。

花太郎の下、パジャマと書かれた店があります。
パジャマ姿のキャストが接客する店。これはパジャパブ。
あくまでもパジャマで 接客するだけ。添い寝はしてくれません。

こちらも駅目の前の飲み屋ビル。
当然ですがインド要素はゼロ。宗教上はお酒が禁忌とされているインド。インド人街だとしてもそこにある飲み屋は日本人による日本人向けの店なんでしょう。

こちらには令和というお店があります。
元号になった令和。万葉集から引用されたもので人々が美しく心を寄せ合う中で 文化が生まれ育つ。そんな意味が令和には込められてるんだとか。
日本の和歌に込められた言葉。日本っぽさって感じです。
ちなみにこちらのお店はフィリピンパブです。
令和じゃなくてピーナ。日本人向けの店だった。

こちらにもフィリピンパブがあります。
フィリピンとは 書いてませんがキャストをタレントと呼ぶのは確実にフィリピン。
そうなんです。西葛西はインド人街だしインド人は多いんです。でも江戸川区はほかの国籍の外国人も多く在住外国人が5万人に迫る23区で一番外国人が多い多文化共生エリアなんです。
外国人で多いのは一番が中国人。二番目がインドでベトナム、韓国、フィリピン、ネパール、インドネシアと続きます。だからフィリピンパブがあるんですね。
いや国別なのであればチャイナパブとインドパブがあるべき町。
でもインドもチャイナもない模様。フィリピンは結構あるんですけどね。

ここもフィリピン。

ここもフィリピン。

ここもフィリピン。
もうリトルインディアじゃなくリトルマニラ。西葛西にあるのはランパブとピンパブだった。

あと気になるのはタイのお店くらいでしょうか。

こちらにはタイマッサージ。

こちらにはタイマッサージ。
人口割合多くないのにタイ要素がある西葛西。

あとはリラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。

リラクゼーションエステ店。
中国人が多い理由、なんかわかった。
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殺伐とした街の中にある魅惑の花園「鶴見駅前歓楽街」

本日は鶴見区に来てます。
こちらはJR鶴見駅です。川崎駅と横浜駅の中間にある鶴見駅。
鶴見駅ってそこまで利用していません。
鶴見駅には京浜東北線と鶴見線があり近くには京急鶴見駅があります。
三路線もあって便利な駅ですが鶴見線は京浜工業地帯へつながる路線。そのため利用したことがありません。
京急とJRは離れてるので乗り換えには不便だし駅前にあるのは飲み屋街くらい。
鶴見で働く人や住んでる人は駅を使いますが遊ぶなら横浜か川崎か東京へ行くのでしょう。だから鶴見に遊びに来る人はいないのです。
私も駅は利用しておらず鶴見は飲み屋に行ってた程度。
飲み屋には行ってたんだ。
駅前に手ごろな飲み屋街があるので川崎に住んでいた時に遠征してたのです。
飲み屋に遠征するクズ野郎。
川崎の方が飲み屋は多いんです。
仲見世にはセクキャバもあるしおっパブもある。だから選び放題なんです。
でも普通の居酒屋はチェーン店ばかり。個人店もあるのですが人が多くて居心地が悪い。
鶴見の飲み屋さん、なんか居心地いいんです。とくに京急線の東側はおすすめの飲み屋街です。だから駅前の飲み屋をはしごして終電逃して川崎まで 歩いて帰ってました。
本日はそちらの歓楽街を紹介するのですがその前に行きたい場所があります。

こちらは鶴見川です。
鶴見川を渡った先は川崎かと思いきやその先も横浜市鶴見区なんです。
そもそも鶴見って横浜だったんだ。なんか川崎っぽい感じがするけど...。
そうなんです。
鶴見って川崎っぽいのに横浜市なんです。
そして鶴見川が市境のような気がしますが実際は鶴見川より東側も鶴見区なんです。

地図を観れば一目瞭然。
横浜川崎との間に境界線が引かれ鶴見川の東側も鶴見区の領土だと認識できる。
でも鶴見自体がほぼ川崎ですよね。横浜ではなく川崎の雰囲気。文化圏も川崎に近しいし。川崎市鶴見区でよいのではないでしょうか。
このようにあいまいな鶴見区。鶴見は川崎でも横浜でもないDMZ。
鶴見は川崎と横浜の非武装地帯なんです。
鶴見川がまるでイムジン川。そのイムジン川を渡った先、商店街があります。

鶴見駅から徒歩15分。
鶴見川を渡り 少し歩いたところ。整備された街路があります。
長さ500mほどある一直線の道に歩道にアーケードが設置されています。
ここは京浜工業地帯により発展した商店街「ほんちょう通り商店街」です。

明治大正時代に整備された京浜工業地帯。鶴見は1913年から埋立造成が始まりました。埋め立てが進み工場ができると仕事を求め地方から多くの人が移住してきました。そのため人口が爆発的に増加したそうです。生活をするために必要だったのでしょう。この商店街もそれくらいの時期にできたそうです。
戦前は賑やかだったのでしょう。しかし京浜工業地帯は空襲で焼け野原へ。多くの商店街が被災したそうです。でもこちらの商店街は被害が少なかったようで戦後すぐに復興します。高度経済成長期の頃は多くの人で賑わい人混みで歩けないくらいだったんだとか。
しかし1960年代後半になると来街者が少なくなります。

町の中心が駅前に移ったのか。それとも工場がつぶれたことによるしわ寄せか。
理由は定かではありませんがどんどん町は衰退し今は静かな商店街となっています。
町自体はきれいですけど人がいないからシャッターが閉まったままの店も。でも地方都市とは違い鶴見は住民が多い街。対策次第でまた盛り上がる可能性を秘めてます。
なんか目玉があるといいんですけどね。
ちなみにこの商店街の先にはかつて青線がありました。
商店街の先に目玉があった!
そして衰退した理由はソレ。
商店街に人が来なくなった理由。青線が消滅したから。
商店街が衰退したのは1960年代後半。売春防止法が施行されたのが1958年。
10年ほどひらきがあります。売春防止法施行により売春営業は禁止に。赤線は廃業となりました。赤線は警察から黙認されていた地域。青線は黙認されてない非合法な私娼窟。
そもそも非合法な私娼窟だったわけですから、
青線業者「売春防止法が 施行されたから守ろう」
とはならないでしょ!そうならないでしょ!
絶対守らずにその後も続いたでしょ。つまり1958年以降ももぐりの店があったはず。その青線街は商店街を抜けた先。そりゃ人でごった返したでしょう。でも今はもうここには賢者はいません。

その青線街があったのがこの辺り。
鶴見入船カフェー街ってところだったようでカフェーがこの界隈にあったそうです。
売春防止法施行後は長らくスナック街でしたが現在飲み屋はほとんど残ってません。

こちらには朽ち果てた飲み屋が残ってます。窓ガラスも割れており廃虚のような状態です。

割れた窓の隙間から中の様子が見えます。
ブラウン管テレビが転がってます。10年以上前からそのままのようです。

こちらには稲荷神社があります。
戦後にできた歓楽街。町ができる際にできた神社でしょうか。
今でもちゃんと 管理されてるようで牛乳と酒が備えられてました。

飲み屋街はなくなり今は普通の住宅街へ。かつての青線の様子はもうここでは見れません。売春防止法施行後も青線営業が続いたかもですがそれは年々減少。駅前の方が賑やかとなり消えてしまったようです。
ってことは駅前に行けば何かあるかも!

何かないか探しに鶴見駅の近くに戻ってきました。
こちらは鶴見神社です。鶴見神社の創建は古く7世紀初めころ。市内では最古の神社のようです。ご祭神は五十猛神、須佐之男命。ご利益は安全守護、厄除け、病魔退散、病気平癒。

鶴見神社の前は旧東海道が通ってます。
ここは街道沿いでした。
東海道五十三次の宿場は日本橋から品川宿、川崎宿、神奈川宿と続きます。鶴見は川崎宿と神奈川宿の中間。ここには宿場が設置されませんでしたが鶴見は間の宿で水茶屋があったそうです。
水茶屋と言えば女給が接客するスタイル。女給が急に恋に落ちる系の水茶屋もありました。鶴間の水茶屋がどっち系の店なのかは定かではありません。

こちらは京急鶴見駅の東口側です。
私の鶴見のイメージはこの辺り。ここは飲み屋が軒を連ねる歓楽街となっています。
この界隈は大正の頃に花街ができたそうです。

京浜工業地帯のあった鶴見。仕事終わりに遊びに行ったか仕事の接待で使用したか。
工場で働く人たちが集まる盛り場が駅前にでき三業地として栄えました。駅前には水茶屋の流れを汲む店があったのです。
戦前は賑やかな街でしたが空襲で焦土と化します。でも戦後すぐに花街は復興。1960年代後半まで賑やかな花街でした。しかし時代の流れなのか花街は衰退。現在はスナックが立ち並ぶ飲み屋街となってます。

こちらには三業共同ビルって建物があります。
三業地だったからこの名前なのでしょうか。建物はだいぶ古く朽ちてます。

地下街という割には人を寄せ付けない雰囲気。地下入り口はごみ溜めになってます。このように廃虚っぽいところも目立ちますがそれでも飲み屋街は現役のようでスナックやガールズバーがあります。またこの界隈は外国人の店が多いです。

こちらはアジアンフード店です。
鶴見は横浜市で二番目に外国人が多く鶴見川を渡った先には南米タウンがあります。
鶴見に住む外国人は中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジル、ネパール、ペルー、インド、インドネシア、タイ。南米とアジアで占めてますが結構多国籍です。

ベトナム人が増えているのは他の地域と一緒。
そのためベトナム料理店もちゃんとあります。

韓国人も多いため韓国料理屋が目立ちます。
こちらのお店は韓国とは一切書いてませんが韓国語のサランヘ。100%韓国パブ。

インド料理屋もあります。
町にあるインド料理店の多くはインネパ料理店。つまりインドネパール料理店です。
店主はインド人かと思いきや実はネパール人。でもこちらの店は正真正銘のインド料理店。これもインド人が多いからでしょう。

ネパール人もいるのでネパール料理店もあります。
ネパール人もいるんだ。

こちらはモンゴル国旗でしょうか。
最近モンゴル系の飲み屋を観る機会があります。
なかなか旅行で行く機会のないモンゴル。鶴見ならモンゴルを味わえるようです。

飲み屋街であれば確実にみる国旗。
こちらはフィリピンパブです。

飲み屋街であれば確実にみる国旗。
タイです。

鶴見で一番人口の多い外国人は中国人です。
そのため中華系のお店もちゃんとあります。
こちらはチャイニーズレストラン。
本場の中華が食べられそうな雰囲気があります。

勿忘我。
「私を忘れないで」を意味する言葉。また勿忘草のことを勿忘我とも言うそうです。
確実にチャイナパブ。本場の姑娘が食べられそうな雰囲気があります。

あとはエステ。

それとエステ。

それにエステ。
エステが街に多すぎる。中国人が多い理由、エステだった。
中国人が多いからエステがあるんじゃありません。エステが多いのには理由があります。かつての鶴見駅前には風俗店があったのです。
それは何の理由にもなってねぇ。京急鶴見駅東口側。
現在は飲み屋街となっていますが以前は飲食店に混ざって怪しい店があったのです。
ここはサロンとヘルスのある街でした。京浜工業地帯で栄えた鶴見。かつては鶴見川の向こう側に青線がありました。そして駅前は花街があり賑やかな街でした。しかしどちらも高度経済成長期の頃消えました。鶴見は盛り場ではなくなったのです。でもその代わりに現れたのがサロンとヘルス。仕事終わりに工員たちが集まる飲み屋街。
飲んだ後は気持ちが高揚するものでサクッと済ませる店があったのでしょう。
あっ 青線の代替、ここにあったサロンやヘルスだった。
ほんちょう通り商店街が衰退した理由。駅前のピンサロだった。
かつて鶴見は少し治安がアレで街路に客引きがいて近づきたくないエリアでした。
そして歓楽街の中に組事務所もあるアウトレイジな街。でもその殺伐とした街の中にある魅惑の花園。ソレを求めて工員たちが集まったのでしょうね。

サロンがありそうな雰囲気のある街並み。
ここには以前ミス日本というサロンがありました。
看板はその店を表す鏡。
ここには看板通りミス日本級の美女がいたのでしょう。ミス日本優勝者と言えば藤原紀香、叶姉妹。
こんな名店があったとは!
人気があったに違いない。でも現在そのような店はここにはありません。

サロンもヘルスも閉店しきれいな街になりました。その代替で出てきたのがエステ店。確かにサロンやヘルスの代わりっぽい。そっち系っぽいエステもちらほらあるし。かつてのヘルスよりも過激な店もありそう。つまりエステはサロンやヘルスの代替店。
だから、中国人が多いからエステが多いわけじゃない。
いややっぱり中国人が多いからエステが多い。アレなエステは大体中国。
鶴見に中国人が多い理由、チャイエスだった。

このように風俗要素がなくなった鶴見駅前。
それだけでなく飲み屋も減少傾向のようです。現在この界隈はマンションが新しく建ってます。組事務所だったところもマンションになりました。
駅徒歩数分の場所。かつては工員が遊びに来ていた駅前ですがその様子はありません。湾岸部に工場はあるものの仕事終わりに呑みに来る人は少ないのでしょう。
住宅街に変わりつつあり大正時代にできた三業地の名残りはもうここでは見れないのでしょう。

こちら、ピンサロです。
まだ残ってた。
いや、もうこれは返事がないただの屍。
閉店して久しいようですがそのままの状態です。
これは昭和平成の性風俗店の遺構。
左手に在籍してる姫の情報が載ってます。

これはイエローキャブもびっくりのキャスト陣。
こんな名店があったとは!

こちらはJR鶴見駅の西口側です。
こちらはソープです。ソープは残ってたんだ。
店名は変わりましたがまだまだ生き残る特殊浴場。駅前にはチャイナエステはありますがかつてのそっち系の店は壊滅した鶴見。鶴見に生き残る唯一の店。つまりぽつんと一軒ソープ。かつては仕事終わりに駅前で飲み酔った勢いでエッチな店に行ってたのでしょう。しかしそのような遊びをする人が少なくなり店は淘汰されたのです。










































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