スラム跡地に天国を!カジノ建設で消えるスラム街「クロントイ」

本日はバンコク市内のクロントーイに来てます。こちらはMRTのクロントーイ駅です。
クロントーイ駅はクロントーイ地区にあります。
クロントーイ地区は範囲が広くバンコク中心地のプロンポンやアソークなどのスクンビット通りの北側はクロントーイ地区です。

でもクロントーイといえばこの駅の辺りを指します。

こちらは駅近くにあるクロントーイ市場です。こちらは小売店や飲食店向けの市場。
青果、精肉、鮮魚。
ありとあらゆるものが売っており日本では見ることがない蛙やタガメも売ってます。

市場って観光地くらいでしか見ないですよね。日本でも場外市場や朝市はありますが朝が早いしそもそも近くに市場がない。
日本は食材をスーパーで買う人が多いのでしょう。日本じゃこの景色はあまり見れなくなりました。でもバンコクは市場で食材を買うのが一般的でここは朝から活気にあふれています。
どうやらこの市場は24時間開いているそうで夜中でも営業している店があるそうです。

観光客が来るような場所ではない地元密着市場。買い付けに来る多くが飲食店なのでしょう。

いわゆるプロ仕様の市場です。私は金銭的な事情からレストランに行かずフードコートか屋台飯でしか食べてませんがその食材はここで仕入れているんでしょうね。

日本に比べると衛生的ではありませんがインドと比べるとはるかに衛生的です。やはり水がふんだんに使えるのはいいですね。
路上はビシャビシャで確実に濡れます。ここに来るときはサンダルがよいでしょう。
このように市場に多くものがあるのはクロントーイが物流の要だったからでしょう。
築地市場は港のそばにありました。水揚げしたものをその場で売れるし物資を水運で運べるから物資を運ぶのに港は重要拠点でした。そしてクロントーイにも港が近くにあります。

バンコクは海から30kmほど離れています。港って海にあるものですがバンコクは川にあります。バンコク港って川にある港でこちらの線路を歩いていくと行けるようです。
こちらは旅客鉄道ではなく貨物路線で港と都市を結ぶ路線なのでしょう。
バンコクに港ができる話が出たのは第二次世界大戦前の1937年ころ。1932年に民主化したタイは海運業の振興を図るため港湾建設を計画、クロントーイに港を建設することにしました。
港湾建設は大規模事業。多くの労働者が必要でした。そのため他州から労働者が集められたそうです。
政府は港建設に伴い沿岸付近の土地を接収し、そこに労働者のキャンプ地を作りました。
仕事もあり住まいもある。
労働者には良い環境だったのでしょう。
戦争により港湾建設は一時中断するものの1947年にはバンコク湾は開港しました。
開港となれば労働者は仕事にあぶれます。しかし地元に帰ったところで仕事がない。そんなわけで労働者はキャンプ地に居つくようになりました。それにより不法占拠ははじまったようです。このようにしてクロントーイスラムが誕生しました。
港が開港してから20年ほど経ったあと。アメリカがベトナム戦争における軍事拠点としてこの界隈に基地を設置することになりました。
基地を作るってことはまた労働力が必要です。仕事を求め、移民が集まりました。
さらに1970年代に各所にあったスラムを政府が排除することにしました。各所に住んでいた人は移転を余儀なくされクロントーイに集まったそうです。
このようにしてどんどん膨れ上がりクロントーイスラムは東京ドーム15個分。約70万平米の広さになりました。

この路線を進むとスラム街につながっています。というより線路に沿って住宅があります。
線路沿いって汚れているイメージがあります。汚れる理由は客がゴミを捨てたりするからです。
でもこちらの路線は貨物列車専用。そんなわけでゴミが散らからないのです。貨物列車なら頻繁には通らないのでしょう。道じゃないため車が通らないので静か。日当たりもよいし ここは過ごしやすそうです。
実は私ここに来るのは二度目です。
何度も来るような場所じゃない!
でも雰囲気がよいでしょ。
なんかスタンドバイミーの世界が味わえます。
日本でこんなことしたら怒られるけどここであれば怒られない。スタンドバイミーごっこができるんです。

ここの線路沿いはきれいです。
インドでも線路を歩きましたがうんこだらけなんです。それと比べるとかなりキレイ。猫がいるためうんこゼロではないですがすごい清潔感があります。
線路に清潔感を求めるやつなんていない。
でも住むのに最適そう。

ちなみにクロントーイ駅そばには大きなマンションが建っていました。スクンビットから駅二つしか離れてないクロントーイ。めちゃくちゃ利便性がよいのでしょう。この界隈はどんどん開発がされそうで線路沿いの景色は見れなくなるかもしれません。

線路を抜けた先、こちらはアットナロン通りです。ここは駅から少し離れたところです。バンコクはメトロが今でも延伸していますが市民の主な交通手段はバスです。渋滞で全く動かなくなることが多々ありますが安い値段で移動できるバスは使い勝手が良いです。別に駅のそばでなくても不便ではないのでしょう。

この先がクロントーイで一番混雑してるところです。
人口10万人以上が住む住宅密集地、クロントーイ。
多くが地方から転居してきた人が住んでおりまたカンボジアやミャンマーの移民もいます。さらには不法移民も住んでいる地域です。
バンコクは大小約2000のスラムがありますがその中で一番大きいスラムがクロントーイです。

ここがスラムの中のメイン通りでしょうか。
私は今回インドからバンコクに来ました。インドでも散々スラム街を巡りましたが、なんかバンコクのスラムって普通の街に見えるんです。バンコクは急速に発展しスクンビットのあたりは高層ビルが出来ています。そこと比べるとここは昔のままの状態です。昔のままってだけで別にスラムっぽくはない。

おそらくこのあたりは市営住宅でしょう。
建物は古そうですがキレイに保たれています。やはりインドとは異なります。
スラムってもっとゴミが散らかってたりうんこ転がってたりするじゃないですか。

こちらはフィリピンマニラのトンドスラムです。ゴミだらけで汚い感じ、これがスラム。

こちらはインドデリーのスラムです。ゴミだらけで汚い感じ、これがスラム。

タイ、めっちゃキレイなスラムなんです。なんかキレイなジャイアンみたいな言い方ですがタイのスラム、スラムじゃない!
インド行ってからスラムの基準が厳しくなってる。
スラムには定義があるようで国連の場合は、
1.改善された水へのアクセス
2.改善された衛生施設へのアクセス
3.住み続けられる保証
4.住居の耐久性
5.十分な生活空間
これのどれか一つでも欠けたらスラムなんだとか。国連の基準はだいぶ緩めです。
ちなみに私の住まいは定期借家です。
3の住み続けられる保証が危うい。
また、古いため震災には耐えられないようです。
二つも欠けてる!
俺んち、国連の基準だとどうやらスラム。
日本人、1、2はクリアできそうですが3、4、5はクリアできない人、結構多そう。日本にはスラムが存在しないと思ってたけど国連基準だと結構ありそう。
ちなみに日本にはスラムの基準がないんだとか。基準がない理由は「スラムがないから」。
いや、なんかありそうな感じだけど...。
国連基準だとクロントーイはスラムになります。
タイ国内のスラムの定義は、人口が密集し不衛生で住環境が劣悪なエリア。この定義の場合、クロントーイはスラムになります。
バンコク市内には2070カ所スラムがあり約200万人がそこで暮らしているんだとか。
タイ基準でもクロントーイはスラムですがゴミとか転がってないし街並みがキレイなんです。
日本にもこんな感じの街並みはありそうですがここはスラムなのでしょう。でも私の中での基準だと違うんですよね。

スラムってこんなとことか。

こんなとことか。

こんなとこ。

これ、日本だった。しかも全部川崎。
スラムを満たした条件、日本にいっぱいある!
なんだったら日本の方が酷い気がする!

こちらがクロントーイの最深部です。
細い路地が続き、その中に小さな家があります。下水が垂れ流しの状態のためニオイがしますがなんか昔の日本っぽい感じです。

バンコクの中心と比べると差がかなりあります。落差が激しいので汚く感じますがごく普通の住居でスラムっぽさがない。ただここは川岸の近くです。バンコクは雨季の期間中は洪水が発生します。市街地でも冠水は頻繁に起こり当然川沿いであるここも冠水するのでしょう。

床下は水が流れています。
常時床下浸水。

冠水すると酷い状態になりそうです。下水まみれで衛生的ではない。これがスラムといわれる所以なんでしょう。

こちらはスラム児童財団です。
この界隈にはNPO法人が複数あります。
貧困は教育の機会を奪います。
教育の機会を奪われると貧困が繰り返されます。子供が貧困から抜け出すための施設です。この手の施設があるってことはまだ必要な人が多くいるのでしょう。

スラムの雰囲気は弱めのクロントーイですがほかのところよりか安く住めるのでしょう。そのため低所得者が集まる地域です。
ちなみにタイの低所得者割合は約10%。人口7000万人に対し700万人います。
貧困者は国民福祉カードというものをもらえます。カードは日用品購入の割引や列車の割引など生活に最低限必要なものの割引ができ、また毎月一定額の電子マネーが受け取れます。
人口の10%が低所得者。つまり10人に1人が貧困者なのです。先進国の仲間入りをすると言われるタイでもこのように貧困者が多くいるようです。なかなか貧富の差の改善は難しいですね。とくに発展途上国ではその差は激しいのでしょう。
ちなみに日本の低所得者の割合は15.4%。
6人に1人だった。
他国の心配している場合じゃねぇ。
日本は発展どころか後進してる!
日本の生活保護の利用率は1.6%程度。それと比べるとタイの方が割合が高めです。でも生活保護に至らなくても相対的に貧困といわれる世帯は多くありそれが15%もいるんです。
先進国の中では最悪な数値。日本の未来はだいぶ暗いです。

本日はバンコクの最大スラム。クロントーイを巡りました。ほかの国のスラムとは違いキレイな街並みです。日中なら危険は少ないですがここはスラムです。訪れる場合は注意した方がよいでしょう。ただこの景色はもうじき見れなくなるかもしれません。クロントーイは再開発地区に指定されてるからです。ここにアミューズメント施設を建設予定なんだとか。
観光大国のタイですが、現在旅行者が減少しています。コロナの影響もあったのですが物価ダタ過度の影響もあり観光客が激減。中国人観光客は日本が旅行先となり、欧米人はアフリカが旅行先となったようです。このようにしてタイの人気がなくなりました。
観光収入に頼っているタイなので現在本腰を入れて観光客を呼び戻そうと新たな施策を打とうとしています。
タイでは2024年にギャンブルが合法化されました。
規制が緩和されたことで市内にザ・ロイヤルサイアムヘイブンというカジノやホテルを備えた娯楽施設を建設予定です。その建設予定地にクロントーイが含まれていました。
バンコク港を潰し娯楽施設をつくる。
バンコク港は河川にできた港。
水深が浅く大型コンテナの係留が困難なためバンコク湾に面したレームチャバン港に順次機能を移設してます。現在はレームチャバン港がメインの港となっておりバンコク港は不要となりました。そのためカジノ建設予定地となったのでしょう。
バンコク港を潰しカジノとホテルを建てる。つまり港がなくなることになります。港がなくなれば港湾業務がなくなる。
この界隈には港で働いている人もいます。その人たちの職はなくなるのでしょう。また港がなくなればこの路線も不要となります。
そしてここも建設予定地に含まれているなら立ち退きとなるのでしょう。

立ち退きも何も元々は国の土地だったのですがタイも日本同様に時効取得があるのでしょうか。立ち退きや補償など今後はこの問題が加速しそうです。
娯楽施設ができるのは2039年。まだできるまで時間がかかります。カジノができるまでこの景色は眺められそうです。カジノができるころには、もうここはスラムじゃなくなるのでしょう。
スラム排除の一環でもあるカジノ建設ですがスラムのあった場所が金持ちが遊ぶところになる。なんとも不思議な光景です。でもスクンビットから駅二つしか離れておらず歩けない距離でもないクロントイ。ここに舵のが出来れば観光客も期待できます。
日本のカジノは2029年にオープン予定なのでバンコクはその後になりますが、こちらは首都です。観光地としての基盤はすでに出来上がっています。
バンコクのカジノの方が人気になりそうです。これまではバックパッカーの観光地でしたがこれからは金持ちを対象とした観光地になります。バンコクに観光客が戻ること間違いなしです。それにしてもスラムそばに天国をつくるなんて皮肉が効いてます。
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ナイトクラブもあるし街娼もいるバンコクにあるアラブ人街
本日はBTSのナナ駅に来ております。
アソークの隣駅であるナナ駅。スクンビット通り沿いは人が多くお店も色々あります。ナナで有名なところはナナプラザでしょうか。ゴーゴーバーが密集するエリアで世界最大の大人の遊び場を自称する風俗街です。
今日はそういったところには行きません。
そんな不健全なところには行きません。
バンコクに行ったらゴーゴーバーに行く。そんな遊び方はゲスのすること。バンコクで風俗遊びなんてもう古いんです。
寺院を観たりアクティビティーを体験したりバンコクの旅行は健全であるべきです。
ちなみに先日行きましたが客は結構いました。

すでに行ってた。
不健全なアクティビティーを体験してそう。
今日はそんなアクティビティーは体験しません。本日ナナに来た理由はここに外国人街があるからです。

ソイ・スクンビット3と5の間。正式にはソイ・スクンビット3/1。ナナプラザとは反対側にある路地、細い路地の中はタイとは違う景色が広がってます。アラビア文字がかかれた店が軒を連ねるエリア。
この辺りはソイアラブと呼ばれておりここは中東系の店が多いエリアとなっています。

アラブ人が増えたのは1980年代ころ。この付近に中東レストランができたことで徐々に店が増えて街が形成されたそうです。とくに中東の人のビザ発給が緩和されたことでアラブ人旅行者が増加しました。この街はアラブ人によるアラブ人のためのリトルアラビアなのでしょう。
アラブって石油のイメージですがオイルマネーで潤ったアラブ人が来るそうでここはかなり賑わってます。

こちらは香水のお店です。
複数の香水店があるのもアラブ人街の特徴です。日本と違い水が貴重な中東。そのためお風呂に毎日入る習慣がありません。その代わりに香水文化が根づいたのでしょう。

店先には沈香が飾ってあります。
東南アジアでしか入手できない沈香。アラブでは人気で金より高く取引されてます。
お金持ちがいっぱいいそうな感じ。タイは仏教国でアラブはイスラム教国。タイは他宗教にも寛容な国でムスリムは5%もいます。でも食の問題など文化的な違いがあるためアラブ人でも気軽にいれる場所が必要です。この街の飲食店は全てがハラル料理店。アラブ人向けなので気軽に食事ができます。
また近くにバムルンラード病院があるのですが同病院は東南アジアで最大規模の病院なんだとか。アメリカ同時多発テロ以降、欧米で高度な医療を受けられないアラブ人が療養のためにその病院に訪れるそうです。
病院があることハラル料理店があること。
医と食が充実している。
これらがアラブ人が集まる理由なのでしょう。
私はアラブ人ではありませんが本日ここへは食事をしに訪れました。
ハラル料理じゃなきゃダメ、野菜しか食べない。人によって食べられない食材があります。
私は食べられないものはありません。
無宗教なので宗教的な縛りはなくまたアレルギーのようなものもないし嫌いな食べ物もあまりありません。腐ってたり汚染されていたりしない限り出されたものは基本的に食べるスタンスです。虫やゲテモノなんかも普通に食べるし、足がはえてて食べないのは机と椅子くらい。なんでも食べられるならいろんなものを食べたいじゃないですか!
日本じゃ食べられないご当地グルメを食べる。
海外旅行の楽しみは現地の食事です。
だったらタイ料理を食べるべきなんですが連日タイ料理だと食傷気味になります。そんなわけで違う国の料理が食べたくなるのです。
バンコクならばいろんな国の料理が食べれますが和食や韓国料理では味気ない。せっかくだから普段食べないものを食べてみたい。アラブ料理、すごい気になるじゃないですか!
ヨーロッパには行くかもしれませんが中東って行く機会がなさそうです。
中東料理ってのもイメージがつきません。
スパイスとか使うのかな?
豚肉は使わないはずだけど肉は羊肉かな?
主食はお米?豆料理とか多そう。
そもそも中東ってどこからどこなの??
このように中東に関して知識が乏しいのです。

イスラム法に則ったハラル料理が食べられる。それくらいの漠然とした知識しかありません。
日本でもムスリムタウンはあります。でも日本のムスリムタウンってインドネシア、パキスタン、トルコ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、スリランカ、マレーシア。ちょっと中東とはズレています。
ここはアラブ人の街です。
本場のアラブ料理が食べられそうな予感。
せっかくリトルアラブに来てるんです。
アラブ料理、食べちゃいましょう!

中東といっても国は様々です。中東料理とひとくくりにしている店もあれば各国その国ごとの料理店もあるようです。
レバノン料理、イラン料理、イエメン料理、またエジプト料理にパキスタン料理もあります。
イランとエジプト、パキスタンは食べたことある。イエメンとレバノン料理は食べたことがないです。というよりどんな料理か全く想像できません。せっかくですから全くイメージできないイエメン料理を食べてみます。

本日はこちらのお店に立ち寄りました。
イエメン料理屋さん。イエメンのイメージゼロでここに来ています。

メニューは英語とアラビア語?でしょうか。
英語が書いてあるし原料も書いてあります。
見た感じだと羊肉と鶏肉が多いようです。牛肉料理はなく、当然豚肉料理はありません。
あと豆とトマトと玉ねぎを使った料理が多いです。
主食は小麦と米のようですがこちらの店は米料理が多い感じです。写真があると味の想像ができていいですね。

ぜんぜん味の想像ができない。なんとなく吐しゃ物感が強めの料理。
イエメン料理は中東料理の中ではちょっと特殊で、また国内でも地域によって異なるようです。イエメン北部はオスマン帝国の影響を受け南部はムガル帝国の影響を受けているんだとか。
インドっぽいところとトルコっぽいところ。そのいいとこどりみたいな感じでしょうか。

このマンディーってやつが有名な料理なんだとか。ってわけでこちらの料理を注文しました。

こちらがイエメン料理のマンディーです。
インドとトルコのハイブリッド飯。いいですね。
ちなみにこのマンディーは、イエメン東部の料理です。
オスマンでもムガルでもねぇ!
マンディーは「湿ってる」って意味をもつそうで湿った飯ってことなんでしょう(それだけ聞くとなんかまずそう)。
見た目はビリヤニやプラオに近い感じです。味も似た感じ。
香辛料で味付けされたマトン肉、それとフライドオニオン。米は出汁の味がきいてておいしいです。要はイエメンの炊き込みご飯です。
まずくなるはずがない。
でもこれ、ビリヤニと変わんない感じです
タイのカオマンガイとシンガポールチキンライス、ベトナムのコムガーと中国の海南鶏飯みたいなもん。多少調理法や材料は違うけどどれもこれも原点はピラフなのでしょう。
インドのビリヤニも美味しいですが中東のプラウやこのマンディーも外しません。おいしいです。
タイは唐辛子を使った料理が多いですがマンディーはからくないです。でもスパイスは多めのマンディー。そんなわけ水を注文しました。
私は中学英語くらいしか勉強しておらずその中学英語もまともに勉強してないので英会話は苦手な部類なんです。
ディスワン、チェックプリーズ。
お店に行ってもこの二つのワードしか発しません。でもこの二つのワードでどうにかできるんです。
先日まで私はインドを旅していました。インドはヒンディー語ですが第二言語で英語も話します。
インドでは頻繁にインド人に声をかけられました。拙い英語で多少は会話ができました。
英語を習得するなら勉強よりも会話がよい。インドでそれを実感しました。
Water, please.
こんな感じで水を頼むこともできるようになりました。もう、英語で悩む心配はない。私は毎日のインド人との英会話を経てネイティブスピーカーにクラスチェンジしました。

節子、これウォーターやない、コーラーや。
そういえばインドでは水を頼むときパニボトルって言ってました。
まさかのヒンディーネイティブスピーカー。

食事も済んだので街を散策、といってもとくに見るもんがないんですよね。ここにあるのはアラブ人用の旅行代理店と香水屋に貴金属店、それと飲食店でしょうか。

こちらはアラブ人街そばにあるナイトクラブです。アラブ人街に飲み屋とは珍しいです。一応アルコールも出しているようですがお酒はムスリム以外の人向けのようです。またここではシーシャも吸えるそうです。
タイは電子タバコの輸入や販売が禁止されてます。また加熱式タバコも同様に禁止です。さらにはシーシャも禁止となっています。
大麻は合法なのにこれらは違法ってすごいですが電子タバコ、加熱式タバコ、シーシャは違法です。でも観光客は道端で電子タバコを吸ってるし露店では電子タバコを売っています。またシーシャバーってのも普通にあります。
見つかると罰金を取られるそうですがなんとなく街に溶け込んでいる感じ。まぁ中東といえば水パイプのイメージ。宗教上お酒は飲めませんが水タバコは吸えます。この界隈は当たり前に吸えるのでしょう。
このナイトクラブの周り、夜になると立ちんぼが現れるそうです。
イスラム法関係なかった。
売春はイスラム教では重罪。でもアラブ人だって男の子だもん。そういうの利用することもあるのでしょう。
アラブ人向けなのかはわかりませんがこの界隈には街娼が夜になると出没するそうです。
そう、そもそもここってナナプラザがそばにあるんです。東南アジアで一番の歓楽街と言われるナナプラザ。それが目と鼻の先にあるんです。
病院が近くにあるからアラブ人街ができた?
飲食店が近くにあるからアラブ人が集まった?
いや集まった理由はナナプラザがあったからです。アラブ人が集まった理由、風俗を利用するためだった。
でもアラブ人は風俗利用しないんでしょ?
その辺がどうかわかりませんがその代替措置が街娼なんじゃないでしょうか。声をかけられて誘惑された。自分は悪くない。
街娼なら言い逃れができるんです。そんなわけでここには街娼が出現するんだとか。

こちらはスクンビット通り沿いです。
グランド5ホテルの前、まだお昼ですが街娼っぽいのが街路にいます。これはちょっと夜に来てみたいですね。
でもナナは歓楽街。
夜のナナは他の街より少し危険な場所です。
日が暮れたらホテルに戻る。海外では夜遊びはしないってのが鉄則です。

性欲を満たすために命を危険に晒す。
たった一晩のためだけにリスクを冒すべきではありません。人間には理性ってもんがあるんです。

夜のアラブ人街です。
命を賭した風俗巡り。理性を語る資格がない。
やはり外国人が多いエリアだからでしょうか。なんとなく六本木っぽい感じがします。

こちらは日中見たクラブです。まだ時間が早いからかそこまで人はいません。そうなると街娼もいないのでしょう。

こちらはスクンビット通り沿いのホテル前、街娼がいます。
私がバンコクにくる少し前にナナの辺りで街娼の一斉摘発がありました。
新宿の大久保公園と同じように定期的に摘発をしているバンコク。摘発により多少静かになったようですがそれでも街娼は供給されるようです。街娼は外国籍の人が多いそうでまさに外国気分が味わえる外国人街ならでは。この界隈にいる街娼はベトナムなど東南アジアの人が多いようですがアフリカ人の街娼もいるんだとか。
アラブ人街関係なかった!
てっきりアラブ人の街娼がいると思ってましたが売春はイスラム法で禁じられています。ムスリムの街娼はいないのでしょう。
なーんだ アラブ人、味わえないんだ。
イスラム法で裁かれるべき発言。
東洋人じゃなきゃダメ日本人しか相手できない。
人によって好き嫌いはあるでしょう。
私は嫌いなものはありません。
無宗教なので宗教的な縛りはありません。
アラブ人でも大丈夫なんです。
海外旅行の楽しみといえばコレです。
連日タイ人だと食傷気味になります。そのため異国を味わいたい。でも、日本人や韓国人だと味気ない。せっかくだから普段とは違う人がいい。アラブ人、気になるじゃないですか!
でもアフリカの方が凄い気になる。
中東にはもしかしたら行くかもしれないけど行くことがなさそうなアフリカ。東南アジアのタイにある中東のアラブ人街でアフリカの街娼と肌を重ねる。
いろいろとリスクありそうだけどアフリカ人、いくべきじゃないでしょうか!
結局不健全なところに行ってた。
ゴーゴーバーよりたちの悪い選択。
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遊郭赤線の名残りがあった!チュニドラに支えられた遊里「尾頭橋八幡園」

本日は名古屋に来ております。
こちらは東海道本線の尾頭橋駅です。同駅は1995年にできた比較的新しい駅で地元民の要望で新設された駅なんだとか。

駅最寄りにはウインズ名古屋があります。
1969年に矢場から移転してきたそうですが当時は最寄り駅がなく一番近い駅は金山駅でした。
金山駅からだと徒歩15分。歩くには少し遠いため車で来る人が多く、週末はウインズ渋滞が起きていたそうです。渋滞緩和措置として送迎バスを運行させるもバス利用者は少なく効果がありませんでした。そのため駅を新設することにしたそうです。

ウインズに行くために新設された駅。
つまり尾頭橋駅はギャンブル駅ってことです。
博打が打てる尾頭橋。
まさに男の街といった感じですが、かつては「買う」もできた街でした。尾頭橋駅の近くには風俗街があったそうなんです。

こちらは尾頭橋です。
この橋を渡ると金山駅に行けます。

この道は佐屋街道とよばれており、17世紀ころに東海道の脇街道として整備されました。
東海道の宮宿から桑名宿は海路だったため、陸路で行ける佐屋街道は利用者が多かったのでしょう。それにより町が発展しました。
当然そんな街にはそっち系の店もあったはず。江戸時代の頃には花街として発展したそうです。
近代になっても花街として人気スポットだったようで1917年には花街の許可を受け、八幡園と名づけられました。
人気の花街だったんでしょう。
でも1943年にここは花街ではなくなります。
1943年は終戦二年前の年。
贅沢は敵だと言われ節制が推奨された時代。
花街の営業ができなくなったのです。
国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神。いわゆる滅私奉公。
禁酒禁煙、一汁一菜、歓楽を慎み節約に励む。
ありとあらゆるものが自粛された時代。
花街や遊郭はゼイタクの代表格なわけで、当然自粛しなければなりません。
国家総動員法に基づき企業整備令が発令され名古屋市内の遊郭は廃業や縮小されました。中村遊廓は縮小、稲永遊郭は廃止、花街であった八幡園も解体されました。
このように市内の遊廓や花街はなくなりましたが、とうぜんエロい大人は黙ってない。
「じゃあ、あたらしく作ればいいじゃない!」ってことで花街八幡園があったところに特殊飲食店街をつくったそうです。作ったというより芸妓小屋や料亭だった場所を特殊飲食店に鞍替えした感じでしょうか。
花街はゼイタクだからダメ。
遊郭もゼイタクだからダメ。
法律でゼイタクは禁止されましたが飲食店であれば別です。
飲食店は食事をとるところ。
ご飯食べなきゃ、人は死んじゃうじゃない!
それは法律で規制できないでしょ。
食事をしていたら女給と恋に落ちることもある。そんな飲食店街に街は生まれ変わりました。
いつの時代も法の穴をつく人はいるもんです。
要はピンサロです(いやピンサロは飲食店ではない)。
ウーロン茶しかない店が飲食店を名乗るのはおかしい。でもそれがまかり通ったのでしょう。八幡園はピンサロ街へと変わっていったのです。東海地方の呼び方なはキャンパブ街でしょうか。当然それらの店は西川口を源流とした必殺拳、NK流の一派のお店。飲食ついでにちょっとの間でことを致したのです。遊郭は縮小され行き場を失ったエロい大人が八幡園に集まってきたのでしょう。
人気のスポットだったんでしょうね。
しかし名古屋もほかの都市同様に空襲被害は酷く、名古屋空襲により八幡園は全焼します。ここにあったユートピアは 全て壊されてしまいました。
でもエロい大人は黙っちゃいません。
壊されたらまた作ればいいじゃない!
そんなわけで戦後再復興をはたします。
国家総動員法は廃止されたため、花街をよみがえらせることができる。再度花街へ!戻るわけがなく特殊飲食街として再興します。
戦後この界隈は赤線地帯になったそうです。しかしその赤線も売春防止法施行で解体されます。
赤線は解体。そこで働いていた人は普通の女の子に戻るのか、もしくはアリエルに転生するのか。赤線解体後はソープ街に変わるか、住宅街に変わるかのどちらかです。
江東区洲崎にあった洲崎遊廓、東向島にあった玉ノ井特殊飲食店街。そこで働いていた子は普通の女の子に戻れましたが、吉原はアリエル(泡姫)に転生しました。八幡園にいた女の子はアリエルに転身したそうです。八幡園にあった赤線は売春防止法施行後に解体、大部分は普通の住宅になりましたが一部はトルコ風呂や旅館に転業したようです。

でも現在、この付近は公衆浴場があるだけで特殊な浴場は見当たりません。
最寄り駅もなく金山駅からも遠いソープ街。名古屋駅西口側には中村大門もあるし、少し足を延ばせば金津園もあるんです。不便なところなので客足が遠のいたのでしょう。平成がはじまるころには全ての店が閉店したようです。

こちらは尾頭橋公園です。
現在の公園は子供が遊べるスポットになってます。
園内にはステージもあるし噴水もあります。
雰囲気のよさそうな公園ですが、かつてはこの公園を中心に私娼窟が広がっていました。
戦後に再建した私娼窟。
今でも当時の建物が残っているようで、この界隈にはレトロな建物を見ることができます。

こちらの屋敷もカフェーや旅館だったのでしょう。

この付近にもトルコ風呂があったようですがそれらの建物は全て取り壊され住宅になってます。
江戸時代から続いた花街はもうここにはなく、静かな街並みに変化しました。

こちらはコメダ珈琲店です。
今では全国にあるコメダ珈琲ですが発祥は名古屋。
ときには家族と、ときには恋人と、喫茶店でまったりした時間を過ごすのでしょう。
私が好きなのはたっぷりミルクコーヒーです。
名前の通りミルクたっぷりのコーヒー。おいしいです。
名古屋といえばモーニングです。
コーヒーを注文するとトーストとゆで卵がついてくる。モーニングがあるので午前中は混雑しています。

ちなみにコメダの目の前、昼から営業が始まるヘルスがあります。
これはコメダ後に行ける店。
これは恋人気分を疑似体験できる。
ときには家族がいない人がときには恋人がいない人が風俗店でまったりとした時間を過ごすのでしょう。

そんなことより八幡園の名残りこんなところにあった。名残りなのかはわかりませんが八幡園そばの性風俗店。一切関係ないとは言えません。ちなみにこちらの店、巨乳専門店なんだとか。
これはたっぷりミルクコーヒー。
名古屋は住宅街にポツンと性風俗店があるんです。でも遊郭の名残りや赤線だった可能性があります。江戸時代から続いた花街です。広範囲にその手の店があっても不自然ではありません。料亭だったところが時代の変化とともにヘルスへ。
なるほど!時代の変化にあわせてヘルスになったんだ!と、ぜんぜん納得できる説明になっていませんがヘルスもそういった歴史があるのでしょう。色々と感じるものがあります。

こちらはソープランドです。
ほらやっぱりあったソープランド。ここも色々と感じることができる店。

大通りに面した看板はメンズバスと書かれてます。この看板だけだとサウナかなメンズエステかなって思いますがその実態はソープランド。

表通りの看板はメンズバスでしたが店の看板にはソープランドと書かれています。
地域住民への配慮でしょうか。わかりづらいようにしています。
いや明らかに怪しいですけど!
隠れ家的スポット(大して隠れてない)。いちおう隠れ家的スポットってことになってます。
中村大門の辺りを男性一人で歩いていると「あらやだ!この人、もしかして風俗行くのかも」って街行く人に白い目で見られますがここであればそんな不安はご無用です。家の近くを散歩している体を装えばいいんです。
住宅街を歩くただの人。
周りからはそのようにしか見えません。
まさかこのあとソープに行くなんて思わないはず。
でもソープ行った後はグリンスの匂いがします。
「あらやだ!この人、住宅街でグリンスの匂いしてる」ってご近所の人に白い目で見られます。
結局白い目で見られる。

閑静な住宅街なのにこんな店があるんです。
少し異質ですがこれが名古屋の住宅街。
駅前ソープならぬ自宅前ソープ。風呂釜が壊れても安心できる街なんです。
八幡園の名残りとは多分関係なくおそらく自然にできた風俗店。でも八幡園があったからできたんでしょうね。

こちらはナゴヤ球場です。
現在はナゴヤドームが本拠地になってますがかつてはここがドラゴンズの本拠地でした。
1948年に中日スタヂアムとして誕生。当時はまだこの近くに赤線街がありました。
野球を見たあとに赤線に行くこともできたし、試合に勝ったあとに選手が行っていたかもしれません。選手のための福利厚生施設だった八幡園。チュニドラの活力の根源は八幡園だったようです。
売春防止法により赤線が閉鎖されるも近くにそっち系の店が生き残ったのはナゴヤ球場があったからなのでしょう。
ちなみにかつては球場近くに駅が開設され試合開催日には臨時の電車が走っていたそうです。
駅がなかった八幡園ですが野球開催日は繁盛したのでしょう。

八幡園はドラゴンズに支えられ、ドラゴンズは八幡園によって支えられた。このように持ちつ持たれつの関係だったようです。
現在ドラゴンズの本拠地はナゴヤドームとなりました。本拠地移設以降は試合後に遊びに行けなくなりました。
でもナゴヤドーム近くにある大曽根駅そばには風俗店が複数あります。
ちゃんと選手のための福利厚生が用意されていた。そしてチュニドラファンも通ってるはず。

本日は尾頭橋にある八幡園を巡りました。花街だった街並みは普通の住宅街になりましたが花街とは関係ない場所に一部残っていました。全く関係がないわけではないはずです。歴史を感じたい人は是非行ってみてはいかがでしょう。当然違うことも感じられるはずです。
00年前から続く花街文化の名残り、とも言えなくない二軒の風俗店。
ドラゴンズ無き今利用者は減少してそうですが元気に営業していました。優良店だからお客さんが絶えないのでしょうね。
ちなみに現在のナゴヤ球場は二軍の本拠地球場のようです。
二軍選手、巨乳専門店行ってるっぽい。
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バンコクリトルビルマ「テープラクサ」と「プラカノン市場」
リトルチャイナ、リトルコリア、リトルマニラ、リトルインディア。日本にも外国人街がありますが世界にも外国人コミュニティーがあり、ここバンコクにも外国人街があります。プロンポンの辺りは日本人街と言われているしヤワラーの辺りは中華街となっています。またインド人街ってのもバンコクにはあります。このようにバンコクは様々な国のコミュニティがありそこに行けばその国を味わうことができます。本日もそんな外国人街へ行くつもりです。

こちらはオンヌット通りです。
オンヌット駅よりバスに乗り東に向かっています。この通りを東に行くと空港へ行けますが私は途中のバス停で下車します。これから向かうのはテープラクサってところで、そこはミャンマー人コミュニティなんだとか。

ワットクラトゥムスアプラーバス停で降りました。近くにアユタヤ王朝時代に建てられた寺院があり、その名がバス停となっています。この近くにミャンマー人街があるようです。

なんの変哲もないバンコクの郊外です。
それもそのはずでそのミャンマー人街、スラムの中にあるようです。
この先にはゴミの処分場があるようでゴミ収集車や大型トラックが路地に吸い込まれていきます。

アジアのスラムはゴミで汚れているイメージです。でもあれってゴミで汚れているのではなくゴミを分別した後の残滓です。
つまりゴミ。やっぱゴミだった。
そうではなくごみを分別した残りです。
スラムに住む人の仕事は色々あり、運転手や屋台などの接客業から工場や土木作業などの肉体労働系。家政婦や警備員等のサービス業。
このように色々な業種がありますが一番多い仕事はゴミ拾いやリサイクル業でしょう。
ゴミからリサイクルできるものを選別する。日本も自転車に空き缶積んでる人いるでしょう。川崎駅の近くでよく見かけるやつ。あれもある意味リサイクル業者です。スラムには一番多い仕事です。
まるで川崎にスラムがあるみたいな言いよう。
でも川崎のと違って世界のはもっと大きいのです。有名なのはスモーキーマウンテンとかでしょうか。
日本はごみを焼却し、灰にして埋めます。でも焼却せずに埋める国もあるのです。
開放投棄またはオープンダンピングと呼ばれ、フィリピンがそのオープンダンピング方式。
ゴミを放置して自然の力で分解する。
焼却しないからCO2削減に貢献できる。
煙が出ないから大気汚染にならない。
なんか環境にやさしいゴミ処理方法に思えますが、実際は発酵によりガスが排出されるし火災も起きます。また昔は有機物だけなので土に返りましたが今は石油製品が多く、分解されず残っちゃうのです。さらにはにおいの問題もあります。
自然の力で土に返すって聞こえがよいですが要はほっぽり投げて放置するだけです。生ごみの腐敗臭だけでなく害虫の問題もあります。
日本も現在の新木場の辺りがゴミの埋立処分場で昔は焼却せずにゴミを埋めていました。そのため蠅が大量発生したそうです。
私は以前フィリピンのトンド地区に行きましたが確かに衛生的じゃなかったし臭かったです。
タイもスモーキーマウンテンっぽいのがあります。タイもフィリピン同様に開放投棄スタイルですが最近は焼却発電に切り替えているようです。でもまだ半分以上が開放投棄で、それがここにありました。
リサイクルできるものはリサイクルへ。
ビン・缶・ゴミ。
最低でもこれくらいの分別はするでしょう。
タイでもゴミの分別があるようで、ゴミかゴミじゃないかで分けてるんです。いらないものがゴミ、必要なものはゴミじゃない。つまり分別をせずに瓶も缶も一緒に捨てるんです。
それじゃあ分別できてないじゃん!
分別はゴミを回収した後にしてるんです。その作業をリサイクル業者がやるのです。
汚物回収、ゴミ処理、掃除、死体処理。
人は排便するし、ごみも捨てるし、いつか死にます。その処理をする人は絶対に必要ですがこの手の仕事ってあまりやりたくないですよね。
仕事と割り切るとしてもきつい汚い危険の3K。汚物回収やゴミ処理はその最たるものです。
タイでもやはりなり手が少ないようです。でもその仕事に就く人がここにはいるようです。
この地区にはミャンマー移民が住んでいるそうでその人たちがその仕事を担っているようです。

オンヌットソイ86。
ここはテープラクサコミュニティというところで、この地域は人口の6割がミャンマー人のリトルビルマのようです。
タイの隣国にあるミャンマー。
バンコクから夜行バスに乗れば国境に翌朝つきます。それぐらい近いところにあるミャンマーですが政治不安や震災の影響で入国は難しい状態です。
近くて遠いミャンマー。でもここに来ればミャンマーの風、感じられるかな?
たぶん感じられないはず。ここには何もなさそう。
でもわざわざ電車とバスを乗り継いできたんです。ミャンマーっぽいところを探してみましょう!

このような看板があります。
2024年11月にこの界隈で狂犬病の犬がいたため注意喚起をしてるようです。
タイは狂犬病リスクがある地域って認識でしたが最近は野犬を見る機会がかなり減りました。でもそれは中心地のごく一部で少し離れると街路で横になってる犬を見かけます。目を合わせず無視すれば危害はないのですがこのように看板があるとすげー不安。
スラムがどうのとか以前に犬が怖すぎる!
そもそもこの地域、別にスラムじゃないんです。
けっこうだだっ広いし道も広い。ゴミ収集車が頻繁に通りますが人は歩いてない。いわゆる工場街なので歩く人がいない。全然スラムっぽくない!
そのような中私ひとりで歩いてます。
もし犬が出てきたらってことを考えると、すげー不安。

こちらの看板には森林公園開発プロジェクトって書いてあります。埋立地を森林にする、夢の島的なやつです。

ここはかつて開放投棄されていたゴミ捨て場です。植林され、整備された公園のような感じ。かつてはゴミの山だったところがこんなキレイになるんですね。
いい景色が見れました。ってわけで帰ります。

ミャンマー要素、ゼロ。
郊外のきたねーところ見ただけだった。

ホントはもっと見てまわりたかったんです。
でも、犬がいました。
たぶん普通の犬なのでしょう。でも不安じゃないですか。そんなわけで諦めました。
そもそもミャンマーっぽさがないんです。
それもそのはずでここは観光地ではなくゴミ捨て場。ミャンマー人が多いってだけの普通の住宅街(普通の住宅街ではない)。
探せばミャンマー料理屋があるかもしれません。
でも犬、怖いじゃん!
わざわざ朝早く起きてゴミ処理場までバスで来て結局何もせずに帰る。でもこういう観光もいいんじゃないでしょうか。

観光要素、ゼロだけど。
ミャンマーっぽさは感じられませんでした。でもミャンマーはタイと接しており多くのミャンマー人が住んでいます。そのためバンコクにはほかにもミャンマー人街があるようです。ってわけで違うミャンマー人街へ向かいます。
私がこれより行くところはプラカノン市場です。

オンヌットからプラカノン運河を渡った先にプラカノン市場があります。この市場はミャンマー要素が強めなんだとか。

プラカノン市場には以前訪れていますがその時は「汚いローカル市場だな」って思って素通りしてたんです。当時もミャンマー要素があったはずですが全く気にも留めませんでした。

でも今日はミャンマーの風、感じたいと思います。

キレイな市場なのかどうかは言及しませんがローカル感が強めの市場です。
衣類や雑貨、生鮮食品などを売っていますが少し中に入るとちょっと異国感を味わえます。

これはビルマ文字がかかれたメニューでしょうか。文字と認識してなければただの落書きですが私はビルマ文字って認識できます。まぁ認識できるだけで読めねーけど。
ほぼファンタジーの世界。
ゲームで見たことある文字。
タイ語もそもそも読めないし、ビルマ語も読めない。この市場は難易度が高めです。
でもせっかくここに来たんです。
何書いてあるかわかりませんがビルマ料理、食べていきましょう。

ってわけでこちらの店に訪れました。
ほかにもミャンマー料理屋はありましたがどれも難易度高めの店の外観で唯一ここが安心して入れそうな店でした。

こちらメニューです。
良かった英語が書いてあった。
ビルマ語とタイ語だったら詰んでいました。
ミャンマーの主食は米で米粉を使った麺料理がよく食べられるんだとか。こんな感じで色々な麺料理があるようです。ここは無難にモヒンガを頼むべきですよね。

ミャンマーといえばミャンマービアです。南国特有のあっさりして軽いビールです。タイの気候にはちょうどよいですね。
ミャンマービアはミャンマー最大手のビール会社。ミャンマーブルワリーが製造しています。同社はキリンビールとミャンマー国軍の合併会社でしたが2021年2月のクーデター以降、キリンビールは同社の全株式を売却。これで日本への販路が失われました。もうミャンマービアは飲めないかと思ってましたが日本には輸出してないとしてもここはタイです。陸路で運べるんですから売ってるはずでしょう。
思ってましたがミャンマービアはないようです。
ミャンマーブルワリーは国軍系企業です。
クーデター以降ミャンマーでは不買運動がありました。その影響もあるのでしょうか。
私はビルマ料理を食べに来たのではなくミャンマービアを飲みに来たのですが残念ですがそれが叶いませんでした。
仕方なくチャーンビアを注文しました。
ビール飲みたいだけの人。

こちらがモヒンガーです。
魚の出汁をスープに発酵米粉麺を入れた麺料理で魚はナマズなどを使用しているミャンマーの伝統的な料理で国民食なんだとか。
日本のラーメンのようなもので地域によって味が異なるようです。ここのは間違いなく美味しいやつです。
タイ料理はからいのが多いですがモヒンガーは少しからいくらい(からいはからい)。

なんだかんだでビルマ料理店に行ってます。タイに来てるのにタイ料理を食べずにビルマ料理。
台湾でもミャンマー人街に行きましたし日本も高田馬場のリトルビルマに行きました。
ミャンマーはまた行きたいけど厳しそうです。
このようにミャンマー人街に行ってるのは、またミャンマーに行きたいため。
ヤンゴンにも行きたいしマンダレーにも行きたい。
でも感染症とクーデターで渡航しづらくなり、感染症は明けたものの今度は震災がありました。その復興が済むまでは渡航は厳しそうだし、そもそもの政権の問題は解決していません。
渡航が厳しいのでリトルビルマで我慢してます。
行けるのは何年先になることか。
早く行けるようになることを願っています。
本日はバンコクにあるミャンマーに行きました。タイとミャンマーは隣国同士。そのためミャンマー文化が色濃くあるのでしょう。
日本のミャンマー人街よりもミャンマーの風が感じられました。
でも、タイとミャンマーの違い、わかんねー。
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まさに特殊浴場の類い!消えゆくマッサージパーラー街「ラチャダー通り」
本日はMRTでフワイクワン駅にきました。
バンコク市の中心に位置するフワイクワン駅。
同駅はフワイクワン区とディンデーン区の区境にあり、ラチャダー通りの西側がディンデーン区で東側がフワイクワン区。

フワイクワンはマンションが多い住宅密集エリア。ディンデーンはアパートが多い住宅密集エリア。
バンコクの中心ではありますが商業地ではなく中心地で働く人が住む住宅地です。日本でいえば東京駅を中心地とするならば台東区のようなところでしょうか。
フワイクワン駅は住宅密集地。住宅密集地なら見学するところなんてないはず。
そんなことないんです。
ここはバンコクの中心地。住宅街にだって観光スポットがあるんです。
ラチャダーのナイトマーケットとか。
セントラルプラザってショッピングモールとか。
ほらっ!あとバンコク病院!
ひねり出した感が強い。
そもそも病院観光地じゃねぇ。

ほかにもこの界隈にはあるんです。
ポセイドンってマッサージ店とか。
マリアってマッサージ店とか。
エマニエルってマッサージ店とか。
マッサージ店が点在する地域なんです。さすがはマッサージの国タイランド。
タイのマッサージは紀元前5世紀ころ。インドから伝来してきたアーユルヴェーダがもととなっているそうです。インドのアーユルヴェーダマッサージが2500年の長い年月をかけタイ式マッサージに変わっていったのでしょう。
タイ式マッサージはタイの伝統医療の一つで2019年に世界無形遺産として登録されてます。そのため市内には多くのマッサージ店があります。
この界隈にもマッサージ店が多くあるようでここのある店はマッサージパーラーってところで日本におけるソープランドです。
これは日本のアーユルヴェーダ。
マッサージ店じゃなくて性風俗店だった。

かつては300軒以上あったマッサージパーラー。
現在100軒程度にまで減ってしまいましたがそれでもタイ旅行の目玉となっているようでこの界隈に店が集中しています。集中といっても日本のソープ街のようではなく普通の街中にポツポツある感じです。そもそもソープじゃなくてマッサージパーラー。ソープとコレは出自が違うんです。

いや、一緒だった。結局ソープと同じ。
やってることが同じですからね。
そして日本人しか読めないカタカナで書かれてる。明らかに日本人にわかるようになっています。つまり日本人が利用するのでしょう。

こちらにリトルダックとかかれた店があります。こちらはエステ店です。
こちらにはナタリーというマッサージパーラーがありました。
ナタリーは結構人気のMPだったそうですが2016年に未成年の外国人を働かせていたとして人身売買の罪で摘発に遭い、5年間の営業停止処分を受け閉店しました。
でも2019年にリトルダックって店名でナタリー跡地にマッサージパーラーをオープンしたそうです。しかし営業停止から三年しか経っておらずリトルダックも営業停止処分となったそうです。それで閉店したようですがなんとなくですが営業してる感じです。風俗店をやめて通常営業にしたのでしょうか。

こちらにはこのような看板があります。
1.この場所は第三条三項に基づくサービスで正午から深夜12時までの営業となります。
2.20歳未満の立ち入りを禁じます。
3.薬物の持ち込みは禁止されています。
4.武器の持ち込みは禁止されています。
5.収容人数は110人。
6.建物面積は1100平米。
これは役務提供に関する法律に基づく記載です。第三条の3に規定される役務は入浴、マッサージ、またはボディスチーム施設です。
まさに特殊浴場の類い。
明らかにソープランドの店先に掲げられてそうな文言。エステ店だと思ってたけど、ソープランドだった。

いやいやここはマッサージ店。ソープとは違うんです。でも普通はマッサージの写真を掲げるじゃないですか。

マッサージって書いてありますがマッサージ要素ゼロ。明らかに女の子を選べそうな雰囲気の挿絵。
タイには売春防止・禁止法という法律がありますが勧誘などの誘引行為が規制されているだけで単純売春自体は禁止されていません。ただ日本と同じように管理売春は禁止されており売春を行う場所を提供することは禁じられてます。
タイにおける売春の定義は、
「性交またはその他の行為をなすこと」
「他人の性欲を満たすための何らかの行為」
と規定されております。
なので性交類似行為も売春とみなされます。性交類似行為が売春に該当するってことはヘルスやピンサロのような店も違法となります。つまりタイには性風俗店はないのです。
いやないはずがない。小学生だってここがどんな店かわかる。
でもタイの警察は、
「あそこはマッサージ店なんだろうなぁ」
って言ってるようです。
日本の警察と同程度の能力しかない。
あくまでもお風呂屋さん、あくまでもエステ店。
でもマッサージしていたら急に恋が芽生えることもあるじゃないですか!
個人間の恋愛を法律で規制するのは人権侵害。そこに多少の金品の授受があろうともそれは個人間の問題だから違法ではありません。店はその部分を完治していないため、セーフなんです。
セーフって言ってる時点でアウト!
なんかマッサージパーラーってソープランドそのものだった!

ちなみに以前あったナタリーは大型店でしたがリトルダックの名前の通り店舗は小さくなり残りの敷地には中国料理店が入居しています。

この界隈は中華店がかなり進出しています。かつては日本人向けの店だったのでしょう。その理由はマッサージパーラーを日本人が利用するから。でも金がない日本人は遊びに来なくなりました。その代わりに景気のよい中国人が増えました。
バンコク市内は中国人向けの店が多くなっておりこの界隈も中華要素が強めです。そのためマッサージパーラーも日本人から中国人へシフト。
中華料理を食べたあとにマッサージパーラーに行く。そういった遊び方ができる街に変わったようです。

ある意味ここはリトルチャイナなのでしょう。
でもそんな中国も景気が傾いています。そのためマッサージパーラーも危機に瀕しているようです。摘発に関係なく潰れるマッサージパーラーもあるようです。

こちらにはマッサージパーラーがありましたがすでに閉店しています。
エマニエル夫人を彷彿とさせる店名。
映画エマニエル夫人はバンコクが舞台でした。女性向けソフトポルノと呼ばれたエマニエル夫人。でもここは男性向けのマッサージパーラーでした。

店はもう閉店し、建物は売りに出されています。居抜き店舗なのですぐにマッサージパーラーが始められますが閉店したのは経営が振るわなかった証拠です。この規模を維持するのは大変なのでしょう。

大型店舗は維持コストが高くなります。パンデミックは過去のものになりましたが、感染症が終息しても復活できなかったのでしょう。この手のビジネスはなくならないのでしょうが縮小していくのでしょうね。

こちらはポセイドンです。
ラスボスみたいな雰囲気の店の外観です。ギリシア神話の海と地震を司る神、ポセイドン。その名を冠したマッサージパーラーです。

ポセイドンエンターテイメントコンプレックス。同店は1999年にオープンしたそうで、こちらの店はタイで一番大きいのでしょうか。タイに行ったことがなかったころの私ですらこちらのお店のことは知っていました。それだけ有名なマッサージパーラーです。

建物はかなり豪華です。見た目はほぼホテルと同じで日本のソープとは明らかに規模が違います。このような店舗となるのには理由があるそうで建築当初はホテルとして建物を建てるそうです。でも出来上がったらマッサージパーラーに鞍替えをする。このようにして地域住民の反対を逃れるのです。
地域住民「ホテルが建つんだな。今度行こう」
って思ってたのに実際はマッサージパーラーができ、
いい気住民「できたのマッサージパーラーじゃないか。今度行こう」
ってなっちゃうんです。でもいいですよね。
日本のソープランドは増改築が制限されてるため木造建築をリフォームして営業しています。正面はキラキラしていても建物の中は古いんです。でもバンコクのマッサージパーラーはリゾートホテルみたいです。

これがホントの大人のディズニーランド。
現代版の妓楼って感じです。
まさにここへ行くことは「登楼」と呼べます。

ポセイドンの向かい、こちらにもマッサージパーラーがあります。
ほぼここは吉原のソープ街。
やっぱ台東区だった。

マリアマッサージッて店舗でここも大きいです。ここはこの界隈の中でも高級店のようで高い女性は7万円ほど。ほぼ川崎堀ノ内の琥珀みたいなところ。
首都バンコクの平均年収は200万円ほど。月収17万円で7万のマッサージパーラーに行く。なかなかの値段の高さです。
でも安心してください。懐事情もちゃんと考えてくれています。
あくまでも7万円の人は高級な人。花魁的な人なんでしょう。安い人は1万円くらいからのようです。お手頃ですね。
日本で1万円じゃソープで遊べなくはないです!遊べます!!普通に駅前とかにあるやつ、一万円だった。
案外安いねって言いたいんですけど私はバンコクに来る前にインドに行ってます。インドだと1000円台なんですよね。ちなみに大塚は1500円。
インドとタメ張る大塚のピンサロ。
マッサージパーラーはサービスが違うんでしょう。名前の通りマッサージが主体のはずです。
サービスの流れは、
女性を選びお金を払い風呂に入りことをする。
ことをした後はマッサージをすることも。
日本のソレと同じ流れ。マッサージ要素がだいぶ弱め!
日本の一万円ソープで事足りそうな感じ。でもタイのマッサージパーラーは日本のソレと違い写真指名ではなく実物指名なんです。そのためパネマジがない安心システムなんです。
日本のソープは写真指名だからパネマジがある。
大塚のピンサロは店内が暗いから顔が見えづらい。
インドの私娼はヒジャブ被ってるから顔すら見れない。
でもタイのマッサージパーラーは実物から選べるから安心できる。

ソープと同じシステムのマッサージパーラー。これはもう行くしかないんじゃないでしょうか!でも営業が始まるのは12時から。
日の出営業じゃない!!ぜんぜんソープと違う!
朝から風俗行こうとするヤツ、日本人だけだった。
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バンコクにあるインド人街「パフラット」のシク教寺院でタダ飯を喰らう

こちらはMRTサムヨート駅の近く、ヤワラー通りとマハチャイ通りが交わるワンブラパ交差点です。
時刻は朝8時。ボチボチ街が混みだす時間帯。
私が宿泊しているのはスクンビットですがわざわざバスに乗ってここまで来ました。
プラナコーン地区ワン・ブラパ・ピロム。チャオプラヤ川面したこの場所はバンコク最古の地区で旧市街地と言われる場所。プラナコーン地区には王宮や寺院があり涅槃像のあるワットポーもこのエリアにあります。またバックパッカーの聖地カオサンもあるので外国人観光客が集まるエリアです。このように観光エリアですがこの界隈はインド人街と呼ばれています。
バンコクでは比較的インド人を見かけます。
以前宿泊したホテルのオーナーはインド系でしたし、街中の屋台にはインド料理を出してる店もあります。タイにはインド系の人がけっこういるようです。
タイにインド人が増えだしたのは19世紀頃。
1855年にイギリスと通商条約を結び領事館がバンコクに設置されました。また自由貿易により多くのイギリス商人が来たそうです。それについてきたのが植民地支配されてたインド人。インド人もタイで商売をはじめたそうです。財を成したインド人がこの界隈の土地を購入。それによりインド人がここに住むようになりました。
イギリス植民地だったインドですが1947年にインドとパキスタンで分離独立します。
宗教対立によって分割したわけですがパキスタンにはムスリムが、インドにはヒンズー教徒が、このように二分されることになりました。
宗教によって国が分けられて皆ハッピー!とはならないもので今でもいざこざはあるようです。
この分割統治により二つの宗教は分かれることになりましたがインドにはそれ以外の宗教があります。イスラム、ヒンズー、キリスト教、その次に多いのがシク教です。シク教はインドに残る選択をしましたがそれにより難民が出たのでしょう。難民がタイに渡ってきました。
このあたりはインド人が多く住んでいたためシク教ともいやすかったのでしょう。人が増え、寺院も建設されました。

こちらは町の中心にあるシク教寺院です。
シク教寺院グルドワラ。タイにいながらにしてインドを味わえるようです。
私はバンコクに来る前にインドに立ち寄ってます。シク教寺院もインド国内で目にしています。でも寺院には行かなかったんです。
そもそも宗教施設に訪れていないんです。宗教施設に行かなかったのは混んでいたから。イスラム教もヒンズー教もどこも混んでるんです。バラナシの寺院なんか朝から大行列でした。シク教寺院も混んでいたのでしょう。そんなわけで立ち寄っていなかったんです。
でもここはタイです。
インド人街ではありますがインドほど混んではなさそう。じゃあシク教寺院は行くべきじゃないですか!
私は信心深い人間です。宗教施設を見てその歴史や伝統に触れると心が洗われるんです。スピリチュアル的なやつでしょうか。
目の前にはグルドワラがある。
じゃあ、行くべきじゃないでしょうか!そもそも私はこの寺院のためにインド人街に来たのです。
だってシク教寺院って、タダ飯食えるんです!
不純な動機。信仰心が全くねぇ!
世界で5番目に信者数が多いシク教。シク教は15世紀ころにインドで生まれました。ヒンズー教にはカースト差別があり、イスラム教では女性への差別があります。シク教は差別的な教義を否定しは他宗教関係なく全ての人を受け入れてます。宗教、年齢、性別、社会的地位など関係なくすべての人が平等であるという考えがあります。そのためムスリムもヒンズー教徒も行けるし私のような無宗教の人も受け入れてくれます。その考えのもとここでは食堂を解放しているのです。
ランガルという制度で誰でも無料で食事ができます。
お腹が空いてもひもじい思いをしないしお金がなくても温かいご飯は食べられる。なんてすばらしいことでしょうか。
「ただ飯食えるぜ」
なんて言っている輩にも与えてくれる心の広さ。感服します。
ってわけで朝からここに来ました。

入場料は無料で誰でも参観できます。寺院の入館はほかの宗教とさほど変わりません。
肌の露出は避けること。
革製品は避けること。
土足厳禁なので靴を脱がなければなりません。
靴は一階のところで預かってもらえます。
また髪を隠さなければなりませんが布を貸してくれます。私は手ぬぐいを持参しました。
以前、この寺院にはきています。
前回バンコクに行った際にここに立ち寄りました。タダ飯食えるぜ!のノリでここに来たんですが私はそのときシク教の考えの感銘を受けました。
排他的な宗教が多い中、多様性を受け入れるシク教。私は感銘を受け前回のバンコク滞在で三日祈りを捧げました。そして今回で4回目の朝食。
飯食いに来てるだけっぽい!

さてご飯です。
朝食はビュッフェスタイル。まるでホテルの朝食会場みたいです。
ここって朝食会場なんでしょ!?じゃあチケット必要なんじゃないの?
それ、いりません。
部屋番号を告げなくちゃいけないんじゃ?
告げる必要ありません。
朝食会場はホテル宿泊者のみですがここの朝食は教徒以外の人も利用できます。
ソーセージないのかな?
あのどろどろのスクランブルエッグはないのかな?
そういったものはここにはありません。ここはリトルインディア。そのためグルドワラの朝食はインド仕様です。
朝食に用意されているのはカレーとカレー、それにカレーと、
カレー。
シク教は菜食主義ですが肉食は禁忌ではなく肉を食べるかどうかは信者に任せてるそうです。
でもほかの宗教のために肉を使わずベジタリアンメニューとなっています。

本日のカレーはダルカレーに芋のカレー、それと大根の漬物。
こちらのカレー、無料朝食と侮るなかれ。美味いんです。
肉使ってないのに旨味がちゃんとある。おそらく大量に作るから旨味が出るのでしょう。肉を使わずにこのおいしさは素晴らしいです。

席は男女で分けられてあり地べたに座って食べます。
ヒンズー教ではカーストが違うと一緒に食事をしませんが、ここではカーストに関係なく食事をします。
シク教ではカースト制度を否定しております。ヒンズー教徒にとってはこの無料朝食が踏み絵なのでしょう。
カーストを否定するため同じ場所で食事をとりますが男女では分けて食事をするようです。これはムスリムへの配慮なのでしょうか。
イスラム教とヒンズー教のいいとこどりって思ってましたがなんとなくイスラム教に偏ってる気がします。

ここのチャイが一番うまい。
前回もおかわりしちゃいましたがチャイがうますぎます。クセが弱めで生姜が強め。理想的な味です。
私はインドに20日間ほど滞在したのですが一日2回はチャイタイムがありました。
同じチャイ屋さんに行ったのは一回だけ。毎回違うチャイ屋に行ってました。その理由は好みのチャイ屋を見つけるため。
一杯18円ほどのチャイ。
生姜が弱い、砂糖が多い、ミルクが強い、茶葉が弱い。
店によって味がぜんぜん違うんです。そのためインド人は好みのチャイ屋があるんだとか。
私の好みのチャイ屋、ここのです。
いやここ宗教施設だし。
2022年にここでチャイを飲みました。ここのが一番だ!でもインド行ったら変わるかも。インドはチャイの本場なのでゼッタイここよりもおいしいチャイがあるはず。そんなわけでランキングを更新すべくインドに行きましたが変わらずここのチャイが一番おいしいです。私の好みはバンコクのチャイ屋さんでした。
チャイ屋じゃないしね!
日本で飲むチャイとは違うんです。
日本のは水飲んでる感じ(それはたぶん味覚障害)。ここのチャイは色々と濃いめの味です。
タイ行ったら一度はここのチャイを飲んでほしい。
でも宗教施設です。信仰心があるならば連日通ってもよいですがないならば何度も通うのはよくないでしょう。私はシク教の考えに感服しました。これ、ほぼ信者じゃないでしょうか?ってわけで日を改めて来てみました。

なんだ、今日のカレーは、前回と同じか。
ゼッタイ信仰心がない人。
ただ飯食えるぜ!って言ってるけど、一応ここではお賽銭的なやつもあるんです。お布施ができるんです。タダ飯も食えるけどちゃんとお金も払えます。お布施をするかどうかはその人次第。

こちらはグルドワラの隣にあるショッピングモール「インディアエンポリウム」です。
がちインド人のショッピングモールです。こちらにはフードコートがありますが私のようなタダ飯食えるぜ!の人は行かない店。いつもお腹いっぱいでここでは食べてません。
今度は昼に来るようにします。朝昼カレーになっちゃいますが。
こいつタダ飯も食べる気だ。
この界隈はインド人がけっこういるようです。ショッピングモールの裏側は市場になってます。こちらはパフラットって市場です。
朝なのでまだ営業していない店が多いです。前回来たときはインド要素がないと思いましたが当時の私はインドのことを知らなかったんです。でもインド行ってインドのことを理解しました。
インドってターバン巻いた人が踊りだすんでしょ?ここ、踊ってる人いないじゃん!って思ってました。でもインド行ってわかりました。
インド人、そこまで突然踊らない。
踊ってるのは映画の中だけなんです。
日本の映画でもそうでしょう。
繁華街にヤクザがいて日本刀振り回したりドンパチしたりするヤツ。外国人がジャパニーズヤクザみたいにいってますがあれって映画の中だけなんです。ヤクザっていないんです。
ん!?

ここはインド人街。
よく見るとインド要素がけっこうあります。この甘いお菓子とかインドっぽいです。砂糖菓子を砂糖に漬けるスタイルのお菓子。バターを油で揚げるのと同じ感じ。
インドでも砂糖漬けケーキみたいなの食べましたが一口でお腹いっぱいのヤツです。体が拒否反応するからいっぱい食べられないヤツ。

花が売っているのもインドっぽい感じです。
冠婚葬祭にはかかせない花。
若干中華っぽい雰囲気もありますがこれもまたインドなのでしょう。こちらはインドの雑貨店でしょうか。
雰囲気はチャイハネ。

本日はタイにあるインド人街を巡りました。
巡ったというかカレー食べただけ。しかも二日間もグルドワラに行きました。
信仰心は少し芽生えたかな?
インド行ったあとのインド人街はなんか新鮮です。
インドでこういうの売ってたなぁとか。
インドだったらもっと安いのになぁとか。
またインドの汚さを見たあとでここに来るとインドって汚いんだなってしみじみ思います。パフラットが衛生的かどうかはわかりませんが少なくともデリーの街よりきれいです。ここなら屋台で食べてもお腹壊さないはずです。
でもここで食べられるのはカレーとカレー、それにカレーとカレーとカレー。あとはカレーとカレーですが。でも美味しいカレーが食べられるはずです。

そんなことよりここはリトルインディア。やっぱりインドらしいところがあるはずです。でも探しても見つからないんです。
GBロード的な店はここにはないのかな?
ソナガチ的な店はここにはないのかな?
やっぱインドって言ったら私娼でしょう。
どんなインド旅行をしてきたか容易に想像できる。クソみたいなインド旅しかしてなさそう。
でもここはバンコク。インドとは違ったそっち系の店があるんです。
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移民で若返る高齢化団地!丘陵地にあるリトルインディア「霧が丘インド人街」

本日は横浜市に来ております。こちらは横浜市内の道路「環状4号線」です。
東名高速道路、国道246号線、国道16号線など多くの主要道路が通る緑区。環状4号線は国道246号線の裏道です。
この道は裏道として何度か利用していますが歩くのは初めてです。
横浜って港町をイメージしますが平野部はかなり少なくその多くが丘陵地なんです。この辺りは高度経済成長期に開拓されたところ。環状四号線は住宅街の中を通る生活道路です。
横浜とはいえ車社会の緑区、このような道が必要なのでしょう。
十日市場にはかなり大きな市営団地があります。
かつて治安が悪かったそうですが今は住みやすそうなところに変わりました。その当時は暴走族とかいたのでしょう。この道も悪そうな人が行き来していたのでしょう。
こういうのは市営住宅あるあるで市営住宅のそばは若干治安が悪めなんです。
でもそれは昔のお話。
最近は高齢化しており、悪さをする人はいないです。

そんなところにあるドン・キホーテ。
これは悪そうな人が集まりそうな店。
なんかスゲー治安が悪そうな感じ。
ヤンキーのたまり場といわれるドン・キホーテ。今はそうでもないのでしょうか。でもかつてはヤンキーが集まったんでしょうね。幹線道路沿いだし東名高速も近いですからね。暴走族とか悪そうな人がいっぱいいたのでしょう。

でもドン・キホーテの裏手は閑静な住宅街です。
こちらの住所は緑区霧が丘ってところです。
地名に「丘」がついている通り、このあたりは丘陵地で戦前は人里離れたところだったようです。戦後になり造成し宅地化しました。
霧が丘の宅地開発がはじまったのは1972年。十日市場に続く形で造成工事が始まり79年には住宅ができはじめ、81年に霧が丘という地名になりました。
霧が丘は閑静な住宅街って感じのところ。
十日市場駅まで歩くと30分ほど。駅から離れているため少し不便です。移動手段はバスなんでしょうね。不便な場所ではありますが静かな街並みです。
このように一軒家が多くある地域ですが中心には団地があります。

団地の名前は霧が丘グリーンタウン。
同団地は1980年にできました。
27棟あるうちの4棟がUR。残りが分譲住宅となっています。2100戸以上ある大きめの団地です。45年前にできた団地にしては結構キレイです。
しかしほかの団地同様に高齢化問題を抱えており霧が丘の高齢化率は30%と少し高めの数値です。30代の頃に分譲団地を買い、45年経てば75歳。そういう人が結構いるのでしょう。

静かで住み心地がよさそうな霧が丘ですが駅から離れているのがちょっとネック。駅近くにも団地があるので何かしら理由がない限り選ばない立地です。そのため若い世代が新しく入居しないのでしょう。高齢化を避けるにはなんらかの対策が必要です。
でも霧が丘グリーンタウン、現在高齢化率が30%となっていますがすでに高齢化を避ける施策がされています。今後はどんどん若返ることになるのでしょう。
はたして霧が丘は何をしたのでしょうか。

こちらには「霧の里」とかかれた看板があります。霧が丘のちょうど真ん中あたりにある施設。こちらの建物は元々霧が丘第三小学校でしたが、現在は別の用途に使用されています。コミュニティセンターのようなところでしょうか。高齢化団地には必要な施設です。

もともとあった霧が丘第三小学校は団地と同じ1979年に開校しました。第三の名の通り、第一と第二があったのでしょう。
小学校ができたのは今から45年前。団地だけで2200世帯。個人宅を加えればもっと人がいたのでしょう。45年前に一斉にここに引っ越してきたのです。若い人もいたわけで小学校ができたのも頷けます。しかし新しい街なので人が入れ替わりません。入れ替わりがなければ子供は減る一方です。ここで育った子供は別の場所に住むのでしょう。新しい人が引越してこないため高齢化となる。新陳代謝されない街は子供がいなくなりました。そのためここの小学校は他校と統合されました。30年も使わなかった小学校の校舎。その校舎を活用したのが霧の里のようです。

また霧の里に併設して新たな学校もあるようです。こちらの学校、インド人学校のようで2008年に開校しました。インディア・インターナショナル・スクール・イン・ジャパンは東京の江東区とここ霧が丘にキャンパスを持つインド系のインターナショナルスクールです。
江東区から荒川を渡った先は西葛西です。西葛西はまさにインド人が多くいる地域。
そして霧が丘もインド人が多くいる地域です。そもそも霧が丘にインド人が多い理由はこの学校のおかげのようなのです。
横浜市はかねてよりインドに注力しており京浜臨海部にインド企業の誘致を進めていました。インドの会社が増えればインド人も増えます。しかしインド人向けのインフラが整ってません。そんなわけで学校を運営するNPO法人に廃校した小学校を貸与したそうです。学校ができれば子連れで日本に滞在できます。
学校ができたのは17年前。
当初は30人しか生徒がいなかったようですが現在は300名を超えているんだとか。
ここはインド人が運営するインド人のための学校。でもこちらの学校は日本人も入校できるんだとか。
インドは多民族多言語国家ですが主要言語はヒンディ語になります。
日本語話者は1億2500万人に対し、ヒンディ語は5億人。ヒンディ語が喋れると5億人と話せるんです。かつインターナショナルスクールなので当然英語も習うのでしょう。英語も話せてヒンディ語の読み書きができる。そんなマルチリンガル日本人は重宝するでしょう。
普通の私立に行くよりもインドの学校のほうがいいんじゃないでしょうか。しかも二けたの掛け算を暗算できるようになるんです。そして多分家庭科の授業でカレーつくるんでしょうね!
この学校を卒業すればもうそれはインド人。
こんな感じでインド人が多い霧が丘。
霧が丘のある緑区のインド人の数は1500人。横浜市全体のインド人の数は3600人なので4割以上が緑区に住んでいるようです。
緑区内の外国人割合は2%程度ですが、その多くがインド人。そしてその多くは霧が丘団地に住んでるようです。もうここはリトルインディアと呼んでもよい場所。
日本にあるインド人街で有名なのは西葛西です。西葛西にインド人街ができたのは90年代末期、2000年問題対応のためビザ発給を緩めた結果、インド人技術者が来日しました。同郷者が集まる西葛西に住むようになったのです。
西葛西の人口は45000人。その内インド人が4200人もいるようなのでおよそ1割がインド人。
霧が丘の人口はおよそ11000人。霧が丘付近に住むインド人はおよそ1000人なのでおよそ1割のインド人が住んでいるんです。
実際に街中にはインド人を多く見かけます。見かけるのは高齢の日本人か若いインド人。

こちらは霧が丘内にある公園です。
子供と遊んでいるのはインド人、散歩しているのもインド人、ほぼここはインドです。

やはりインドを意識してでしょうか。ゾウがいます。

こちらの枝豆みたいな遊具。
カレーをイメージして黄色なのでしょう。
やはりここはインド。
学校があるのもインド人が多い理由の一つですが霧が丘団地がURなのも理由の一つでしょう。
基本的に来日するインド人は優秀な人です。しかし日本人からしてみればインド人は総じて、右手でカレー食べて左手でうんこ拭う人って認識。外国人ってだけで入居を断られることもあるでしょう。

でもURであればその心配はありません。
また保証人を必要としないURは外国人が借りやすいのでしょう。つまりインド人にとっては住みやすい街なのです。

こちらには霧が丘商店会があります。霧が丘団地ができたのは1980年です。当時すでに十日市場駅はできていましたが駅と団地は離れています。また環状4号線沿いにスーパーがありますが団地の敷地は広く、ちょっと距離があります。
ちょっとした買い物ができると便利です。そのため個人商店が団地下にあるようです。

ケーキ屋にパン屋あとはお弁当屋さんでしょうか。こちらには酒屋と飲食店があり郵便局もあります

ここの郵便局、インド人がいる団地でカレー祭りを実施中。

こちらにはスパイスゲートって食品店があります。さすがはインド人が多く住む団地です。
そういえば神奈川にある「いちょう団地」はベトナム人が多く住んでおり近隣にはベトナム食材を扱う店がありました。霧が丘団地も需要があるから店があるのでしょう。
このようにインド食材店はありますがカレー屋が乱立しているわけではありません。十日市場にあるのはここ含め3軒ほど。

駅前にインド料理屋がありましたがおそらくネパール料理の店だと思います。

だって掲げられている旗がネパール国旗だし。

あとはこちらの南インド料理屋でしょうか。せっかくインドにいるんです。
インド料理、食べたいじゃないですか!

圧倒的アウェイ感!

と思ったらメニューの裏が日本語でした。

ドーサも気になるけどビリヤニが食べたい!
ってことでビリヤニを注文しました。
インド料理屋に行くと最近はこれを頼んでます。
ナンやチャパティーもいいけど日本人なら、やっぱ米でしょ(ここインド料理屋ですけど)。
私は三週間ほどインドを旅しました。
旅といってもデリーからインド入りをして、鉄道にてアグラ、バラナシ、コルカタと巡り、特に何もせずに帰ってきました。
行ったのはデリーのGBロード。
アグラのマントラ。
バラナシのシブダスプール。
コルカタのソナガチとカリガットとボウバザールです。
全部私娼窟。
インド滞在の際の食事、高確率でビリヤニだったんです。
ビリヤニって南インドのイメージがありますが、ムスリムが多い地域ではビリヤニ率が高いんです。そして地域や宗派によって特色があります。

こちらはコルカタで食べたビリヤニですが、香辛料が少なめでジャガイモがはいっています。

ちなみにこの店のビリヤニはヒンズー式ビリヤニ。生米から炊き込むやつでしょうか。色が単色で味が均一のビリヤニです。
ビリヤニに関しては自分で作れるようにもなりました。

こちらは私の作ったビリヤニ。
なんかそれっぽくちゃんとできてる!!
インド人よりもビリヤニ作れてそう。
やはりインドを知りたきゃインドに行くしかない。インド人街では満足できないんです。
今度のインドは南インドへ。ムンバイからバンガロールを目指し、チェンナイに抜け最後はスリランカでしょうか。これはちょっとインド行くしかないですね!
ちなみにムンバイのカマティプラにはインドで二番目に大きい風俗街があるそうです。
ビリヤニ食ってる場合じゃねぇ!
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ソイカウボーイにスクンビットソイ22!バンコクのエロい街「アソーク」

本日はバンコクに来ております。
こちらはバンコクの中心地アソークです。
タイへ最後に訪れたのは2022年でしょうか。3年ぶりのバンコクです。
前回の滞在はまだ感染症の問題がありましたが、今回はその縛りがなくなりました。

こちらは商業施設ターミナル21です。
2011年に開業した商業施設でアソークの顔となっています。
バンコクに旅行に来たら必ず訪れる施設。アソーク駅に直結している施設なので私は基本的にここを起点として活動しています。飯を食うのも買い物するのもいつもここ。かなり使い勝手の良いショッピングモールです。

こちらはターミナル21内にあるフードコート「ピア21」で売っているカオカームーです。
カオカームーとはタイのローカルフードで豚足煮込みご飯です。
豚のすね肉をしっかり煮込んだ料理で味がしっかりしみていてトロトロで美味しい。近いのは豚の角煮でしょうか。まずいはずがありません。
フードコートだと安く食べられるのでバンコクに来たらここで必ず食べる料理です。
せっかくの旅行ならレストランへ行くべきですが、私はフードコートや屋台でしか食事をしません。安く済むのも理由の一つですがバンコクのフードコートはおいしいんです。そんなわけで昼はフードコートで夜は屋台飯。バンコクはいつもこんな感じで過ごしています。
そして宿泊先はいつもアソーク近辺です。
BTS沿いのホテルで安いところを選んでます。でもコロナ以前と比べるとホテル代は高騰。そもそもバーツ高の状態だから安くありません。そんな中2000円台のホテルを見つけました。

まぁ想定内のホテル。
寝るだけであればこれくらいでよい。水回りは下水臭いですがしょうがないです。

ちなみにゴキブリは当然のようにいる模様。

今回南京虫対策に忌避剤をもってきました。こちら南京虫にもゴキブリにも効きます。
虫とか我慢すれば安いホテルに泊まれるんです(結構シビアな我慢規準)。
こんな感じで良いホテルには泊まれませんがアソーク付近に宿泊するとなのかと便利なんです。定番の観光地巡りやショッピングやグルメ、ローカルフードを食べるのもバンコクの楽しみ方。またアソークは二路線あるから移動しやすいんです。こんな感じでバンコクを満喫できるアソーク。やっぱりここの一番の魅力はソイカウボーイでしょう。
ソイカウボーイは、飲み屋街が軒を連ねる風俗街です。
こいつ、風俗行くためにバンコク行ってる説。

バンコク市ワッタナー区。
バンコクで一番発展しており高層ビルが多いエリア。そんな街の中に異質な場所があるんです。
スクンビット21と23に挟まれた一画。ネオンライトだらけの路地があります。地下鉄スクンビット駅入り口そばにある路地。
こちらはソイカウボーイという歓楽街です。
バンコクには三大私娼窟ってのがあり、BTSナナ駅そばにあるナナプラザ、BTSシーロム駅そばにあるパッポン通り、そしてここソイカウボーイです。
ソイカウボーイは世界的にも名が知られておりバンコクでも1.2を争う歓楽街で夜になると外国人旅行者が集まる場所。
この路地は飲み屋街となっています。

ここが飲み屋街となったのは1970年代、アメリカ退役軍人がバーを開店。その退役軍人はテンガロンハットをかぶってたためカウボーイとニックネームがつけられその名が路地の名前となりました。狭い路地ですが約40軒の店が軒を連ねておりそのほとんどがゴーゴーバーです。
そもそもゴーゴーバーってどんなところ?
ゴーゴーバーとは形式上はナイトクラブ。あくまでもダンスを観るまたは楽しむ店ですが踊りだけじゃ満足できない人もいます。そのため性サービスも提供しており連れ出し料(BF)を支払うことで女性を連れ出せる、連れ出しバーとしての機能も兼ね備えてます。むしろ現在は連れ出しの方がメインでしょう。ソイカウボーイはその手の店が軒を連ねるエリアです。
ちなみにゴーゴーバーの発祥は東京なんだとか。
1960年代に日本でディスコが流行りましたが当時のディスコはゴーゴークラブと呼ばれておりストリップもゴーゴークラブと名乗ってました。ダンスがメインですがエロもあったのでしょう。
そのゴーゴークラブが海を渡りタイバンコクへ。かつてはダンスが主で性ビジネスは従でしたが現在は逆転し、ただの性風俗店となりました。
まさかゴーゴーバーの起源が日本だったとは。
日本はエロ輸出国だった。まさにクールジャパン。

夜の歓楽街「ソイカウボーイ」。
この寝静まった夜の街の雰囲気は好きです。でも本当に好きなのは夜の夜の街。
きらびやかなネオンの中、妖艶な女性が手招きする。
その雰囲気を味わうには夜に来るしかありません。
ただここはバンコク。そして歓楽街です。
日本と違い日が暮れてから出歩くのは危険です。
海外では夜遊びをしない。理性ある私は夜、出歩きません。

ってわけで昼からビールです。
理性ある人の行動ではない。
バンコクといえばビール。常夏の国で昼間っからビールを飲むのは最高です。タイにはいろんなビールがありますが店で飲むときはだいたいチャーンビアです。軽くて薄い味がこの気候にあっています。

こちらは一本120バーツ、日本円で520円。
昔はもう少し安かったんですが物価高と円安で日本と大差ない金額になってます。もう気軽に飲めなくなりましたね。

ってわけで二本目。
抑制できなくなってる!
しかもツマミも頼まず酒だけ飲んでる!ただのアル中だった。

こちらはアソークとプロンポン駅の中間あたりにあるスクンビットソイ22って路地です。
比較的安宿があるエリアで今回私もこの辺りに宿泊しています。

こちらはショッピングモール「エムスフィア」です。2013年よりずっと工事していましたが2023年にオープンしました。
アソークの隣駅プロンポンの周りにはこのモール含め3つのショッピングモールがあります。
これらは高所得者向けのショッピングモール。駐在外国人や旅行者向けなんでしょう。
プロンポンは日本人街だし外国人が集まるエリア。新しくショッピングモールができたことでこの界隈は更に賑わいそうです。
この付近は昔から活気がある地域でした。
駅前ではないですが多くの外国人が来る飲み屋街だったのです。新しく出来たショッピングモールのところにも元々は飲み屋でワシントンスクエアという退役米兵達の憩いの場でした。ここには多くのアメリカ人が遊びに来てたのです(アメリカ人、いろんなところに飲み屋街で遊びすぎ)。
でも時代の流れでその飲み屋街は淘汰されました。
またバービア街ってのがこの付近にありましたがそれも消えてなくなり商店に生まれ変わりました。

このように怪しい店は淘汰されたかと思いきや現在もバーは残っており夜は賑やかとなります。というより日中から営業しています
ソイカウボーイは19時頃から始まりますがこの界隈のバーは早い時間から営業してます。つまり日が暮れる前からでも利用できる安心システム。夜に出かけられない旅行者のためにちゃんと代替案も用意されています。
バービアは女性が接客してくれるシステム。女の子と会話をし酒を酌み交わすいわゆるガールズバー的な店でしょうか。
でもタイのガールズバーは連れ出せる系のガールズバーなんです。
ゴーゴーバーは女の子を連れ出せる。
バービアは女の子を連れ出せる。
どちらも女の子を連れ出せる。じゃあ、どっちでもいーじゃん。
そう。過程は違うけど結果は同じ。
でも、過程って大事じゃん?そういうのを楽しんでこそバンコクライフなんじゃないでしょうか!
やっぱ風俗行くためにバンコクに来てる!

スクンビットソイ22からさらに細路地に入る。
駅から少し離れ観光客もあまり来なそうなところ。午前中はまだ人が少なく静かな街並みです。こちらはマッサージ街です。

パラダイスにパッション、ハニービー、キス。
日本語訳すると楽園、情熱、蜜蜂、接吻。
普通のマッサージじゃなさそうな英単語。

明らかにエロマッサージなのでしょう。この界隈にはマッサージ店が軒を連ねています。
普通のマッサージ店っぽいところも普通じゃない。逆に普通のマッサージ店を探すのが難しそうです。こちらの路地は飲み屋もあるしマッサージもある風俗街のようなところ。

BKK48。
確実に日本人をターゲットにしている店の名前。バンコクのアイドルがここにはいるのでしょう。AKBは「会いに行けるアイドル」でした。でもここのは会えるだけじゃないアイドル。マッサージをしてもらえるアイドルなんです(風俗店っぽいけど?)。
いや、あくまでもここはマッサージ店。健全店なんです。
たしかにそっち系のサービスをしている店はあります。でも大々的にそっちの店って宣伝はしてません。ここはマッサージ店なんです
タイには売春規制法に該当する法律があり性風俗営業は禁止されています。そのため「ここは風俗店ですよ!」みたいなのは存在しないのです。つまりこの店も普通のマッサージ店なんです。

マッサージ店ですらなかった。
直接的な表現。
しかもSMコースアリの優良店。HJはハンドジョブ、BJはブロウジョブ。
BKKは「手と口で抜けるアイドル」でした。
スクンビットソイ22の路地。明らかに風俗店みたいなところがあるんです。タイの法律で風俗営業は違法。違法?
これらが風俗じゃないとすると一体タイでは何が風俗なんですか??

ニュージャパンスタイルと書かれていますがピンサロという昭和遺産の店。ピンサロは飲食店だよ!って言い訳が効かない手コキの文字。
この界隈は過激な店が多いからでしょうか。逆に手軽な店が好まれるのかもしれません。
この界隈は日本語がかかれている店が多いです。
そもそも外国人が多い街。その外国人の中には日本人も含まれます。そして隣町プロンポンは日本人街です。駐在日本人が通っていてもおかしくない。需要があるからこのように供給される。だからこのような店が多いのでしょう。
海外の風俗は本番が前提とされています。日本のように多様な風俗スタイルではありません。タイも基本的には本番ありきなのでしょう。でもここにあるのは日本仕様の風俗店です。まさに日本が性ビジネスを輸出した結果でしょう。
アニメやまんが、ゲームにファッションと日本の文化はクールともてはやされてますが、性文化こそがクールジャパンなんじゃないでしょうか。

ほぼここ、日本の風俗街だった。

夜のソイカウボーイです。
理性、全くなかった!
いやむしろ理性的な行動なんです。本能は生まれつき持っている欲求。それをコントロールするのが理性。理性とは論理や道理に基づいて判断する能力です。衝動的な行動をしないように理性を働かせる。
目の前に歓楽街がある。
しかも気軽に来れるわけではない海外。
論理的に考えれば、そりゃ多少リスクがあっても行くべきでしょう。リスクと利益を天秤にかければおのずと答えは見つかります。その結果がこれです。
むしろここに来ない理由がわからない。
夜の歓楽街は危ないから。
夜の海外は危険だから。
理由をつけて夜間外出をしない人がいますが、それ、思考停止です。むしろ理性を働かせていない証拠。
目の前に美味しそうなご飯があるのにも関わらず何も調べずに「食べちゃダメ」と言ってるようなもの。ちゃんと調べた上で危険と判断するなら良いでしょう。それもせずに危険だから何もしないってのは全然理性がない人の考え方。
私ですか?
論理や道理に基づき検討した結果、今ソイカウボーイのど真ん中にいます。

ここに来る前に色々調べたんですよ。
どうやらソイカウボーイ、そこまで危険じゃないようです。結構安全みたいなんです。
って風俗案内ユーチューバーが言ってました。
信じるソースがユーチューバー。
なんの信ぴょう性もねぇ!
まぁこうなることはわかってたんです。
そもそも宿泊地がアソークそばです。歩いていける距離にあるんです。ソイカウボーイの真横のホテルに泊まろうとも考えていたんです。そもそも私のバンコクの旅の目的地、ここなんです!
そりゃ初日からここに来ますわ。やっぱ風俗のためだけにバンコク来てる説。
でも、でも夜遊びはしません!
その辺は論理や道理に基づき検討した結果ちらっと覗くだけにしたほうがよいとなりました。
トラブルとなるのは現地の人と接した時。接することがなければトラブルにはなりません。バンコクは昔と違って安全な街となりましたがそれでも歓楽街は危険じゃないとは言えない街。
夜遊びをせずに通り過ぎるだけ。
これが、理性ってやつです。

本日はアソークにあるバンコク三大歓楽街の一つ、ソイカウボーイに立ち寄りました。
妖艶なあかり、きらびやかなネオン。美しいですね。
歌舞伎町に似た感じだけどまたちょっと違う。この雰囲気はここバンコクでしか味わえません。
ホントはもっと楽しみたいけど私は理性があるのでこのまままっすぐ帰ります。
あとはホテルでゆっくり過ごすだけです。
えっ!?ジョイナーフィーって何ですか?
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【インド旅行はどうなの?】インド行って価値観変ってみた件
バックパッカーの聖地「インド」
インドに行くと価値観変わる。
インドはこれまで行った国とは違う。
インドはまた行きたい国。
旅行好きの人から良く聞く言葉です。
でもそんな風に言われたら行かないわけにはいきません。散々期待値を上げられたんです。ってわけでインドを目指しちゃったんです。
インド行って価値観変ったってやつ。
私もしてみたい!

そんな気持ちでインドに行きました。
結論からお伝えすると ある意味価値観は変わりました。でもインドはそこまでハマりませんでした。
私はこれまで東南アジアを主に旅をしてきました。東アジアと東南アジアで行ってない国は韓国、モンゴル、東ティモール、ブルネイです。それと北朝鮮もまだ行ってませんでした。まだというか北朝鮮は行けるかどうかも怪しい国。北朝鮮は、いつか挑戦してみます。
結構アジアを巡っています。
でもアジア圏から出てないんです。そうなると次に行くべき旅行先はヨーロッパか?アメリカか?それともアフリカか?
アフリカは凄い気になります!
でも飛行機代を考えるとちょっと厳しいため色々考えインドに行くことにしました。
結局アジア。
でもこれは人類にとって小さな一歩だが、私にとっては偉大な一歩。
同じアジアだけど南アジアに行くんです。
飛行機代は6万円。乗継便の方が少し安いですが空港までの移動費や乗換の待ち時間を考え羽田から出てるデリー行きの直行便にしました。あとで知ったんですが南アフリカまでは片道7万円で行けるそうです。
インド行くのと大差なかった!

9時間のフライト。
窓から見えるのがヒマラヤ山脈なんだとか。
山林生活ってチャンネル名だけど山にはそこまで興味持てなかったな。やっぱ山は寒いし危ないですからね。山よりも歓楽街にいる方が楽しいです。歓楽街は別の危険がありそう。
インドは20日間ほど滞在しました。デリーに数日滞在しその後アグラとバラナシへ。最終的にコルカタから帰る形となりました。インドは物価が日本より安く食事や宿代は切り詰めればかなり節約できます。移動も公共交通機関は安いです。そのため今でも格安旅行ができる国です。そういった意味では魅力的な国ですが空気が悪すぎなんです。
中国の北京、フィリピンマニラ、それにベトナムとバンコク。けっこう空気の悪い都市は巡ってきましたがデリーの空気は一番悪すぎます。
日本は光化学スモッグ量が一定の基準に達すると光化学スモッグ警報が発令されます。AQI数値を基準とした場合150を超えたら警報が発令されるんだとか。インドだと150は空気がキレイな方なんです。滞在時150を下回ったことがありませんでした。
AQI数値の上限は500なんですが300前後がデフォ。600以上の日も連日あり 999になったことも。外を歩くと息しづらいし 部屋の中も息しづらい。マスクは半日で黒ずんでくるしマスクしているのに鼻の中は真っ黒。
デリーの空気汚染のレベルは一日50本くらいのタバコを吸うのと同じなんだとか。
かつてはそれくらい吸ってた時期がありましたが紙巻きたばこをやめてから10年。耐性が無いからか気管支炎になりました。それだけ空気が悪かったのです。
インドが嫌になった理由の一番はコレです。
それとうんこ落ちてる量が多すぎるのもしんどかった。私の訪れていた地域の問題もあったのでしょうがうんこを避けて通ることが困難なんです。一日外に出ていると確実にうんこ踏む。そしてうんこ踏んだままホテルに戻るんです。部屋の中でも靴を脱がない。そうなると部屋はウンコだらけになります。途上国なので衛生的ではないのは知ってましたがこの路上にいっぱいウンコ転がってるの。これもインドが好きになれない部分です。
私はフィリピンやタイのスラムにも行きましたがうんこはそこまでなかった(あるにはある)。野犬がいるのでフンが道端にあるんです。
でも人のソレは少なかった(あるにはある)。
トイレが少ないのが理由ってことですがそれだけじゃない気がするんです。

もう一つインドの嫌な部分は人が多いことです。どこにいってもインド人だらけなんです。人口は日本の12倍ですが国土の広さは9倍です。単純に人口密度はインドの方が高いんです。しかも多くが都市部に住んでいるんです。そのため人が多すぎるんです。どこに行っても人混みだらけ。それがスゲー疲れるんです。

バラナシに行ったときはマジで苦痛でした。ずっとお祭り状態で人混みだらけ。人が多すぎて身動きが取れない状態だったのです。本当はバラナシに数日滞在するつもりでした。どこに行くにもこの人混みに行かなきゃならない。もう、インドいいかなって思った瞬間でした。
別にインドは悪くないしインド人もいい人ばかりです。なんかインド人って親しい感じで接してくるし基本的に優しい人ばかり。詐欺師や頭のおかしい人もいたけどそんなのは日本でもいます。
また飯が安い。
そして安いだけじゃなく美味いのもポイントです。

香辛料たっぷり料理ばかりなので苦手な人もいるかもしれませんがどれも美味しく食べられるものばかり。

少ないおかずで炭水化物を食べる感じは日本食に通ずるものがあり親近感が持てました。
ホテル代も安めなのでそこも好印象です。でも空気が汚いウンコだらけで人混みだらけ。これが受け入れられなかった。
大気汚染に関しては政府も頭を抱えているようで一応対策はしているようです。かつては中国北京の大気汚染が酷かったですが北京はだいぶマシになりました。インドも将来的には空気がキレイになるはずです。
人の多さは、立ち寄り先を変えればよいのでしょう。観光地では無いところに行けばたぶん問題ない。

あとはうんこでしょうか。
タイバンコクでは2010年頃まで。都市部には野犬がいましが 現在は見かけないです。動物は対処できるはずです。
ってことはあとは人糞だけです。その人糞を街から消すのがけっこうな難易度です。もうこれはインド人の倫理観に委ねるしかありません。

うんちちゃんとトイレでできてエライエライ。
これができるようになればうんこ問題は解決です。ぜんぜん解決できそうな感じがしない!

さて価値観が変わったことに関してです。
私は今回のインド旅行で価値観が大きく変わりました。環境問題とか地球温暖化とかそういうの考えるようになっちゃったんです。
そのように考えた理由はインドのトイレです。

インドのトイレ、基本的に紙がないんです。
これに関してはインドに関わらずミャンマーでも紙がありませんでした。タイでも地方に行けば紙はないですし都市部でもトイレットペーパーは水に流せません。
トイレットペーパーで拭かないなんて前時代的。
トイレットペーパーがないのは文化的じゃない。
トイレットペーパーで拭いてこそ先進国。
先進国のトイレには紙があるのは一般的です。
でもインドはトイレには紙がないのが一般的です。
私は滞在時にホテルを転々としましたがトイレットペーパーがあったのは一軒だけでした。
紙がないためお尻は水で洗う。そして、不浄の手をつかう。インドでは水でお尻を洗うのが基本です。
手で拭くなんて汚い!人のすることじゃない!
でもこれ、一番正しい方法なんです。
日本でもウォシュレットがあります。現在の日本のウォシュレット普及率は8割。ほとんどの場所で使えるようになっています。
水で洗うと清潔を保てます。でもお尻は見れないため洗えてるかわかりません。
だからトイレットペーパーで拭きとります。
トイレットペーパーで拭きとる。
拭きとれてるか拭いた紙を確認する。
トイレットペーパーで拭きとる。
拭きとれてるか拭いた紙を確認する。
これ、何回繰り返せばキレイになっているのでしょうか。前々から思ってたんです。
お尻を紙で何度も拭き、拭いた紙を確認をする。ついてない、オーケー。でもついてないとしても 拭き残してないとは限らない。
本当にきれいに拭きとれているのか?
もしかしたら拭きとれてないのではないか?
その不安を抱えながらも答えが見つからないため
どこかしらで妥協して拭くのをやめるのです。
排便後のお尻拭く回数の平均は3回なんだとか。
もっと拭く人もいるようですが肛門を刺激するため3回が理想のようです。
実際にウォシュレットだけで全ては洗えてません。そのためおしりを拭くのですがそれもキレイになっているかは確認ができない。紙で拭くことがはたして文化的で先進的なのか?私はインドに行きそれに疑問を持ったのです。手で拭いた方がキレイになるんじゃないか?
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして触覚。
人は五感を持っていますがそのなかでも触覚は得られる情報量が違います。人の指は繊細で圧力や柔らかさや温度の違いなど指から様々な情報を得ることができます。
すし職人は手先で魚の鮮度を感知するんだとか。輪島塗の職人は指先で擦って仕上げるそうです。このようにモノづくりには感覚を頼りにします。
用を足すこともモノづくりのひとつ。
それであれば感覚を研ぎ澄ませるべきです。
自分のお尻は見れないため視覚は頼りにならない。トイレの中にいるので嗅覚も頼りにできない。聴覚はあまり関係ないし味覚はスカトロ系の話になっちゃいます。唯一頼りにできるのが 触覚なのです。
その唯一頼りにできる触覚を日本人はトイレットペーパーで遮ってるのです。
君たちはトイレットペーパーを介してうんこが残ってるかどうかを判断できるのか?
できないんです。日本人は誰もできないんです。だからたまにパンツが汚れていることがあるのです。
あっやっぱりあの時拭けてなかったんだな。
こんな経験したことないでしょうか。私はインドに行き理解しました。不浄の手ならお尻をきれいに洗えるんです。
だってそうでしょ!
顔を洗うとき、水をかけて終わりにしますか?
手洗いするとき水をかけるだけですか?
両手で擦り洗いをするでしょう。ウォシュレットをした後に紙で拭くだけってのは手を濡らしてタオルで拭いたのと同じです。そんな洗い方をしていたら幼稚園生だって「おててはちゃんと洗おうね!」って怒られます。
君たちのやっていることは幼稚園生と同じです。
ちゃんとお尻は洗おうね!
もうこれからは紙を使わず手で拭く時代です。手で拭くから紙を必要としない。これって環境に良いんじゃないでしょうか。
そう、不浄の手はエコなのです。
世の中には環境問題や温暖化を訴える人がいます。
石油製品を使わない、カーボンニュートラル、持続可能な社会を目指せ。
このように訴えてる人がいますが 私は思うんです。
不浄の手じゃないやつ 全員環境問題を考えてない。左手が汚れていないやつに環境問題を語る資格はない。
だってお尻は手で拭けば紙はいらないじゃない!
日本人のトイレットペーパーの使用量は一年間で90ロール、約8kgなんだとか。ちなみに一本の木でできる紙の量は1トン。日本人が紙でお尻拭かなければ年間100万トン。つまり100万本の木が守られる計算です。
年間でたった8kgしか減らせません。
でもみんなが不浄の手になれば地球温暖化が改善するかもしれないんです。あなたのちょっとした気持ちさえ変われば地球が救えるかもしれないんです。
お尻を手で拭くのは抵抗感がある。
うんこさわるのは例え自分のでも尊厳が失われる。
手で肛門を触るのはM性感の店だけにしたい。
いろいろと悩むところはあるでしょう。
でもそれは悩むことではありません。
日本人は1憶2千万人。不浄の手の人は今は少ないでしょう。手で拭くってことはマイノリティ。紙で拭くのが当たり前。
でも、世界を見よ、世界を知れ、常識を疑え。
もしあなたがインド人の中にいれば、今のあなたはマイノリティーなんです。
だって14億人が不浄の手なんです。日本人が全員インド人になってもたった1割のマイノリティーなんです。
つまり左手の汚れていないあなたは大海を知らないカエルなんです。
気を揉むことはない。
何も不安になる必要はない。
ただお尻に手を当てるだけです。
指先に神経を集中してください。
そして紙を使わず手で触ってみてください。
そうすれば目で見えてなくともお尻が見えてくるはず。考えることはありません感じれるはずです。
これであなたもインド人の仲間入りです。
私はインド滞在中にインド人になりました。

もうこれは人生観が変わったはず。
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コルカタにある金色の桃源郷 アジア最大の私娼窟「ソナガチ」
インドの東にあるコルカタ。コルカタはイギリス植民地時代は首都でした。そのため市内は栄えておりインドでも三番目に人口が多い都市。人口が多いということはそれに合わせたサービスも当然存在します。コルカタには大きな私娼窟があります。

本日はギリッシュパーク駅に来ております。本日こちらに立ち寄ったのはソナガチに行くためです。
ソナガチはベンガル語で金色の木を意味する言葉。
ソナガチの歴史は古く300年以上前から、ソナガチはベンガルの有力者が側室や妾を囲い込む場所でした。
イギリス統治後もそのような街として知られており、黄金の領域とも噂されていたんだとか。現在もその流れを汲んでおりソナガチはコルカタ最大 いやインド最大の私娼窟で売春宿が多く集まるエリアとなっています。アジアでもっとも有名な風俗街と言われておりここには多くの私娼がいるようです。
ソナガチって住所は存在せず通称名称です。
日本でも吉原って住所は現在存在せず現在の吉原は台東区千束にあります。
吉原の方が世の中的に知れた名称ですが性風俗街として名が知られている地名なのでゼッタイその名を住所にすることはないでしょう。
ソナガチも私娼窟として名が知られているのでその名を冠した場所はないようです。
当然「ソナガチは、ここだよ♪」
みたいな標識はなく情報は遮断されてます。ネットで検索するもどれも曖昧な情報ばかりなんです。
ギリッシュパーク駅の北側あたり。
マーブルパレスの北側あたり。
リバティー・シネマの裏手あたり。
ソババザール・スタヌティ駅の南側あたり。
どれもスゲー曖昧なんです。それもそのはずです。
「ソナガチ、行ってきたぜ!」
こんなやつクズでしかない!
ソナガチには娼婦が7000人、単発売春婦も含めると1万人もいるそうで、その多くが誘拐や売られてきた人たちです。なかには10代、下手したら10歳以下の子供が働いてるのです。
そのような情報が飛び交う中で「ソナガチ、行ってきたぜ!」って言うやつ、もうこれ、クズでしかないですよね。仮に行ってたとしてもそんなこと公言出来ません。
言うはずがないだから場所があいまいなんです。
言ってきたぜ!なんて口が裂けても言えない。仮に行ったことを公言するにしても、ソナガチに行ったよ!社会勉強だけどね!ソナガチに行ったよ!エロには興味ないけど。こんな感じの言いようなんです。
まるで風俗街には興味ないんですアピール。
私、そういった遊びはしたことないですアピール。
周りから白い目で見られないように予防線を張る。このように「私は悪者ではない」みたいなの、そういうのよくないと思うんです。
「行くなら逝くつもりで行け」
それぐらいの気持ちでいるべきでしょう。
ってわけで私は「ソナガチ行ってきました!」
やっぱりクズでしかない。
これはガンジス川に焼かずに投げこまれるべき人。
しかしソナガチがどこにあるかわからない。
お伝えした通り場所がかなりあいまいです。グーグルの地図にはソナガチと記載があります。でもちょっとズレてるっぽいんです。
ネットの情報も小さく曖昧。
でもその小さなピースを集めワンピースにすればその財宝は見つけられるはずです。そのため私はひとつなぎの財宝を求めこれより街をさまよいます。

グリッシュパ―ク駅の北側の路地。このあたりがソナガチと思われる場所です。有料トイレとかかれた通り、なんか生々しい表現です。

こちらにもトイレの標識案内があります。
「私娼窟は工事中で利用できません」みたいな標識。トイレって言葉が隠語のようにも見えなくない。実際に利用できる売春宿が減っているようでごく最近、この界隈で摘発がありました。
インドでは単純売春は違法ではありません。でも管理売春や未成年を雇ってたとなると話は別です。ソナガチには多くの少女が働いてるわけで定期的に摘発があるそうです。摘発があれば町が静かになるのはどこの国でも同じでソナガチも以前よりは縮小しているようです。縮小理由も他にあります。

こちらは市内で見かける貼り紙です。
電柱などに貼られている貼り紙。日本でもかつてこの手の張り紙をよく見ました。日本だとテレクラとかでしょうか。インドのはデリヘルの貼り紙です。
インドだとコールガールというのでしょうか。
インドでもデリバリータイプにシフトしており街のいたるところでこの貼り紙を目にします。売春管理者はリスクのある店舗を持たなくてよい、利用者はわざわざ私娼窟に行く必要がない。どちらにとっても好都合。そのためデリバリータイプが増えているのでしょう。
これがITの発展のなれの果てです。
でも「男ならやっぱ店舗型」って考えるインド人は一定数いるようで私娼窟はまだ生き残っています。

ネットの情報では多分このあたりにあるのです。でもごく普通の住宅街で私娼窟っぽくないです。日本の風俗街のように風俗店があるわけではなくそこに売春婦が住み、そこで致すスタイルです。つまり住宅があるのは当然です。


ここは普通の住宅街ですが私娼窟なのでしょう。実際に女性が建物前に座って客引きをしています。


ここがソナガチなんだなー。
でも私の想像した様子とは少し異なります。


ネットの情報では「劣悪な環境」みたいな記事があったり「最悪の私娼窟」みたいな書き込みがあったり「インドで一番汚い街」みたいな記事があります。でもそこまで不衛生な様子はありません。

むしろ街並みはキレイな感じだし衛生的です。もっとスラムっぽいところをイメージしてました。

ゴミ溜めみたいなところはあるんですが街は比較的きれいに保たれています。そもそもコルカタ自体がデリーよりもキレイです。インド横断でキレイの基準が下がってますがコルカタって給水所がけっこうあるし衛生的な感じがするんです。
実際ゴミの量はデリーよりも少ないし大気汚染もデリーより良い。暖かいのでハエや虫は多くいますが不衛生って感じはしないんです。
インド行ってだいぶ価値観が変わってきてる!
ちょっとこれまで行った街がヤバすぎるレベル。


何人か声をかけてきた女性はいますがなんかちょっと違う。これは出直しかな。

ってことで翌日さらに北側に行くことに。

こちらはもろに住宅街で商店もなく人も歩いていません。夜になれば変わるのでしょうか。日本と違って看板が出てないので昼間は普通の街並みなんです。夜になると歓楽街に変わるのかもしれませんがここもなんかちょっと違う気がする。これはちょっと出直しかな。


ってことで翌日。
ネットに書いてあった緯度経度の地図を頼りにソナガチ界隈を巡ります。でもここは全然違います。もっと北の方でしょうか。これはちょっと出直しかな。



ってことで翌日。
ソナガチにコルカタ滞在のほとんどを費やしてる。4日連日、まだ見ぬソナガチへ連続登楼。
ネットの情報にはこうあります。
迷える子羊よ 我が声に耳を傾けよ
古の地ソナガチへは神の導く道を目指せ
金色の桃源郷の入り口にはハヌマーン廟がある
ってウィキペディアに書いてありました。
信じるソースがウィキ。「2ちゃんに書いてあった」とほぼ同じ信頼度。
でもなんかアドベンチャーの世界みたい!
ハヌマーンとはインド神話の神様で西遊記の孫悟空がモデルで日本人にはかなり身近です。
ハヌマーンは自制心を象徴とする神様です。
いや風俗街の入り口に自制心がある人が来るわけない。

見つけましたハヌマーン。
この先に世界でいっとースリルな秘密があるんですね。まさに摩訶不思議アドベンチャー。
これよりソナガチ内部に入ります。

こちらの通りの名前はダーガチャランマイトラストリートって路地でチッタラジャンアベニューとラビンドラサラニ通りをつなぐ道です。

通り沿いには商店が軒を連ね、一見すると普通の路地裏のような感じです。でもこれまでの道と違うのは明らかに立っている女性の量が多めです。そして目が合うと声をかけて来ます。

急に空気感が変わる街並み。この見られてる感覚。なんかこの感覚、初めて飛田新地に行ったときと同じ感じです。
私は風俗街で風俗嬢を見定めに来たのに逆に向こうからも見られる感覚。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
ただの風俗街だけど。
若い人は多くなく年齢層は高めです。もしかしたらやり手ババアなのかも。たぶんやり手ババアのはず。でもやり手ババアだと思ってついて行ったらただのババアでしたってこともありえます。
私は過去にやり手ババアについて行ったら「お前がやるんかーい!」って経験があります。でもここのはやり手ババアのはずです。

インドでは個人売春は合法である。
そのため女性の客引きは罪に問われません。
でもそれは成人に限るわけで未成年が街頭に立てばそれは問題となります。そのためやり手ババアが店前に立つのでしょう。つまりこの人らについて行けばソナガチのやべーところが見れるってわけです。娼婦もしくはやり手ババアと目が合います。すると即座に私の左手を掴みます。客引きのやり方がかなり強引です。日本だと傷害で検挙できるレベルで引っ張られます。
さすがにこれは怖すぎる!
でもこれくらいじゃないとやっていけないんでしょう。

日本でもコロナ禍の際に性風俗店がやり玉に挙げられていました。性風俗は本質的に不健全、だから保障の対象外と言われていたのです。
ロックダウン、感染症対策、三密。
客足が遠のき潰れた店も多かったのでしょう。
それはインドでも同じで性風俗業界は壊滅的打撃を受けたそうです。ロックダウンとなり客が来なくなる。かといって国の保障は一切無い。1万人の売春婦が職にあぶれました。
マスクもするし安全だよ!っていっても性接触するわけですから不安です。かつては毎夜2万人以上来ていた客がゼロになったそうです。
客が来なければ収入が断たれる。生きるためにはお金が必要。私娼らは借金をしてその間を乗り越えたそうです。
今ここにいるのはその辛い日々を生き残った歴戦の猛者。全員手練れなんです。
ソナガチに来るまでにデリーのGBロード、アグラの私娼窟、バラナシのジブダスプール、コルカタのカリガットやボウバザールを巡りました。
ちょっとインドの風俗街巡り過ぎ。
強引な客引きも当然いました。でもこれまでは一人か二人くらいだったのです。しかしソナガチは違う。

歴戦の猛者というだけあって皆が皆強引なんです。まだ客が少ない時間帯ってのもあるのでしょうが腕は掴むし服は引っ張る道を遮ってくる。ソナガチは連れ去られた女の子がいるって話でしたが逆に連れ去られそうな勢い。危険を感じがしたので足早に逃げました。いつもであれば引き返すんですが後ろを振り返るのすら不安。まじで怖い。
たぶんこれがインド式の客引きなんでしょう。怖がることはない流れに身を任せればよい。流れに身を任せて身を滅ぼしそうな不安感。
さすがに日本の風俗とは勝手が違います。私は日本の風俗街のノリでここに来ました。
大久保公園がさーとか、雄琴には三大ソープ店があってさーとか。
そんなのと一緒にはできなかった。ただでさえ働いている人が異質な場所。まともなはずがあるわけがない。
「行くなら逝くつもりで行け」
いやいけるわけないでしょ。法律がどうのとか以前にいろいろとリスクが高すぎる。

本日はコルカタの私娼窟ソナガチを巡りました。風俗街を頻繁に出入りする身としては一度は立ち寄ってみたかったソナガチ。その願い、叶ったのでしょうか。
店に行くつもり?
そんなの最初からありませんよ。あるわけがありません。エロとか興味ないんです!そういった遊びには興味はなく私は社会勉強のためにここに来たのです。
インドの社会情勢とか格差社会による経済とかそういうのそういうのを学びに来たんです。
発言内容がだいぶ薄い!






















































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