【甲府】春日あべにゅうと裏春日通りの今。
本日は甲府まで足を延ばしました。甲府は仕事で来ることもあり、またツーリングなどでも頻繁に来ておりました。都心から100km程度ですからね。中央道で気軽に来れる場所です。ただ近いため泊まることはあまりありませんでした。今回はのんびり過ごして温泉に浸るのが目的です。そのため観光とかそういうのはしません。でも気になる場所に行ってしまいました。
甲府駅の南側には歓楽街があります。ここが山梨県人の癒しの場といっても良いところです。日中のため人の気配はなく店も全部閉まっていますが夜の帳が下りるころには妖艶な灯りが街を鮮やかにします。
そうです。ただの飲み屋街です。
春日あべにゅうと呼ばれる通りで、ここにはキャバクラやフィリピンパブなどの飲食店が軒を連ねております。
どちらかというとフィリピン寄りのお店が人気のようです。甲府で働くよりも都心に出た方が稼げる。そんなわけで女の子の働きでが少ない。そして若者の利用が減っている今、年配の人向けのサービスが望まれるのでしょう。フィリピンの方は尽くす人が多いようです。言葉の壁はありますが日本人だって若い人であれば言葉の壁があるわけです。それであれば理解しようとしてくれる外国人の方がよいのでしょう。日本人に比べると人件費も安いですからね。需要と供給が成り立っているんだと思います。
春日あべにゅうの端っこには廃墟もあります。ホテルのような外観ですが一階には店舗が入りそうな作りです。こちらは大分前からこの状態なんだそうです。10年以上放置されたままの空きビルのようですが数年前にこの建物で法人登記した形跡もあります。建物はPLAZA CORE(プラザコア)です。地方といえど東京から100km。そして山梨で一番栄えている場所なんですがそれでもこんな感じで廃墟がそのまま放置されているのが日本の現状です。ちょっと甲府は雪深いので住むのはしんどいですが、安い土地が手に入るんならここに住むのもよさそうですよね。新宿まで電車で一本ですからね。
この街の特色は飲み屋だけではなく性風俗店も一緒に和気あいあいと軒を連ねているところです。お隣の長野県は表向きはそういったいかがわしい店は無いことになっています。そのため甲府は長野県民にとっても山梨県民にとっても心のオアシスなんです。ここであれば知り合いに会うこともないため東京で働くことができない人がわざわざ山梨まで来て働いているんだとか。キャバクラはばれてもOK、風俗はバレたらNGなんでしょうかね。
この渇ききったこの大地に一凛の花が咲いているんです。
このように色々な店が混ざっている場所ですがここはまだ表の顔。表の顔の時点でその手の店が見え隠れしていますが、ここには裏通りがあるんです。
春日あべにゅうのわきには何本か脇道があります。
開発通りと名の付いた通り。
すごい細い路地ですがなんとなくゴールデン街の匂いがします。中に入ってみましょう。
全然開発されている感がありません。
オリンピック通りと名の付いた通り。中に入ってみましょう。
開催地はどちらでしょうか?
戦後の闇市のあった場所のような雰囲気があります。まさにしょんべん横丁やゴールデン街のような街のつくり。恐らく店舗にトイレが無いためか、公衆トイレが街の中にあります。
こちらもオリンピック通りのようです。こっちはキレイに塗装されています。なんとなくですが若返りを目指している感じがします。
とくにオリンピックには何のかかわりもなく、その当時にオリンピックがあったからその名前にしたそうです。その当時は結構混んでいたのでしょうね。
三軒茶屋の三角地帯は一時低迷していましたが若返りで復活しつつあります。
甲府は店の数は少ないですがほかの飲み屋街と同じように若返りをして盛り上がるとよいですね。
こちらが裏通りになります。静かな通りです。
でも日中でも風俗店は営業中。そして黒服が店先に立っております。「お兄さん。本日遊びの方は?」といった具合に声をかけてきます。店舗数は6店舗ほどでしょうか。スチワーデスという昭和な名前の店もあります。
階段を登ればパラダイスがあるようです。Let's go paradiseと言われたらそこは行くしかないでしょうね。
自ら裏通りを名乗っちゃうところがちょっと違う感じがしますが、まぁそういうところなのです。
小さな飲み屋が複数あり、そして風俗店も一緒にある。少し前までは違法なその手の店も多くあったそうですがその辺の店は浄化されたようですね。当然探せばまだあるんだと思いますが。
甲府にも遊廓があり以前は甲府駅の北側、山梨大学のすぐそばにある天神町というところに「新柳遊廓」があったそうです。しかし明治40年頃に大火に遭い移転を余儀なくされたのだとか。移転先は甲府駅の南西側。現在の宝一丁目あたりに移ったそうです。穴切遊廓という名前で一時は繁盛したのですが、他の遊廓同様に戦後解体されカフェーになり、売春防止法後に終了した形です。こんなわけなので裏春日はその手の場所ではなかったようなんです。まぁ歓楽街と宿場を別々にしたいというわけで離れた場所にしたものの、飲んだ勢いでそのままその手の店に行きたいとなるのはどの時代でも同じなのでしょう。そんなわけで江戸時代の頃から非公認の店がこのあたりには多くあったのでしょう。
昭和33年に売春防止法が施行、昭和39年に東京オリンピック開幕。どこかの街が潰れればどこかの街が別の輝きをするようです。
武田信玄公です。
甲府の駅前にもどっしりと構えた銅像がたっています。貴方のおかげで甲府は発展しました。
貴方の街はフィリピンパブが少し多めのようで。
甲府の繁華街は少し前はもうちょっとディープな雰囲気がありました。夜はちょっと危険な香り、日中もなんかきな臭い雰囲気がありました。暴力団絡みの事件も多かったんだと思います。遊廓もあったわけですし、今でも近くの温泉地では置屋のようなところもあり、それの元締めが当然いるのでしょう。ここの飲み屋街も収入源の一つになっていたわけです。
でも町内会と行政がそのあたりをしっかりと対応して排除を目指しているのでしょう。もちろんクリーンになったわけではないのでしょうが、多少は「安心・安全」な街になりつつあるようです。スパイスがあった方がおいしい部分がある反面、その刺激が強くなりすぎるとトラブルも発生するわけです。まぁ変な客引きについていかなければこの界隈ではトラブルなく遊べるんじゃないでしょうか。
今は一時的に客足が遠のいてしまっているんだと思います。それでも街が一丸となって取り組めばまた華やかな街へと変わるわけです。名古屋の大須観音だって一時はシャッター街だったのに今は多くの人が来ております。
甲府は山梨県の県庁所在地であり、人口も多いです。そして信玄公が築いた基礎があるわけです。
これから先、甲府が楽しい街になることを期待しています。
とりあえず帰ってタガログ語勉強しようと思います。