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東の果て「サムライ部落」と呼ばれた札幌の貧民窟「創成川東」

東の果て「サムライ部落」と呼ばれた札幌の貧民窟「創成川東」

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札幌の中央卸売場は中心から少し離れた桑園駅の先にあります。市場の周りには場外市場がありそこで海鮮丼が食べられます。安くはないですがウニ丼とかいくら丼とか食べられるので以前行ったことがあります。あそこで食べる蟹汁がサイコーに美味いんです。ただ歩いていくのはちょっと遠い。

でもこの二条市場であれば中心地から離れておりません。そのため観光客も多くここを利用するのでしょう。こちらでも以前食事をしていますが基本的に海鮮丼系のものは安くないんです。お店を見つつもグッと我慢です。

二条市場は創成川沿いにお店が並び、市民の台所でもあるんだとか。

このあたりはごく普通の街並みですが創成川の東側、豊平川までの地域は以前貧民窟だったところのようです。近くにはススキノがあり大きな繁華街。大きな繁華街のあるそばにはそのおこぼれをもらうために集まる人がいるわけです。とくに河原のそばは水害が多い地域。

対岸の豊平区にも似たように貧民窟が広がっていました。川崎の六郷土手あたりと似たような感じです。

【東京の最下層社会】川の先住民が住む集落。六郷土手ホームレス村
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川崎は東海道五十三次の宿場町でした。 日本橋を出て品川の次が川崎。朝、日本橋を出ると昼くらいに川崎に着

豊平川のあたりに住む人は廃品やくず鉄、紙くずなどを拾って生計を立てていたんだとか。関東ではそれらを生業としている人たちが集まる集落を「バタヤ部落」と呼びますが、ここでは「サムライ部落」というんだそう。

ゴミを拾うための火ばさみを腰に差し、帯刀しているような井出達だったためそのように呼ばれたんだそう。ここも他の貧民窟同様にススキノの活気にあやかろうと地方から多くの人が集まったそうです。川のそばなので当然増水すれば流される危険のある地域でした。でもこういった場所にしか住めない人がいたのです。

でもそれもこれも昔の話。現在は貧民窟の様子は一切ありません。

と思いきや創成川沿いにこういうのは置いてありました。
札幌の冬はかなり冷え込む地域です。これからどうやって生活をするのでしょうかね。というより荷物が置いてあるだけで住んでいる人や段ボールハウスは見当たりません。もしかしたら施設に入りつつ荷物はここに置いてあるのかもしれませんね。

創成川東にあった貧民窟は範囲が広く豊平川河川敷付近だけでなく苗穂駅付近、そして対岸の豊平区や白石区にまで広がっていたそうです。ただ昭和40年代に市内に改良住宅を整備し貧困者は市営住宅に移り、この地域は貧民窟ではなくなったそうです。

創成東にある酒造「千歳鶴」です。こちらの酒造は明治五年創業なんだとか。つまり貧民窟だったころに始めようです。

こちらは昭和30年代に建てられた建物のようです。酒蔵?でしょうか。貧民窟は昭和40年頃まであったそうなのでその当時を知っている建物です。

公園ですが元々は遠友夜学校があった場所です。遠友夜学校は貧困などで学校に行けない子供たちのために設立された小学校で、旧五千円札に描かれていた新渡戸稲造が設立したそうです。場所柄貧民児も多かったのでしょう。
教育は日本の国力を上げる要素。100年前でもわかっていたのに平成になってからゆとり教育になりましたからね。国力が落ちるのは当然です。
新渡戸稲造ってただの眼鏡かけたおじさんだと思っていたのですが、すごい人だったんですね。今の時代に欲しい逸材です。

えーっと、右が新渡戸稲造、左は奥さん?いや?こっちも新渡戸稲造?まさか新渡戸二人いた説??

こちら「吉田茂八」の石碑です。ここ豊平川は千歳と小樽を結ぶ要所だったんだとか。札幌の開拓の少し前に移住してきた人らしいです。創成川を掘ったのもこの人で札幌開祖の父なんだとか。

こちらは豊平川を渡った先にある「志村鉄一翁居住の地跡」の木標があります。
志村鐵一は札幌の開拓の少し前に移住してきた人らしいです。札幌開祖の父なんだとか。

札幌にはお父さんがいっぱい。

札幌が出来た起点は豊平川のそばだけど、そこはスラム街だったんですね。その当時は河川の氾濫などがあって心休まる場所では無かったのでしょうが、今は緑豊かで中心地にも近い好立地になっています。

本日は創成東の定食屋さんで食事をしたいと思います。
先日テレビで「北海道はアジの消費量が日本一少ない」と言っていました。日本の食卓の基本であるアジ。アジの開きやアジフライなどはどこの定食屋にも置いてあるし、家でも頻繁に食べる食材。でも北海道では消費量が極端に少ないそうです。ちなみに消費量が最も多い地域は長崎県で一人当たりの年間消費量は3kg以上、最下位の北海道は134g。アジの可食部の重さは70gなので一年間で2尾くらいしか食べられていないようです。その代わり北海道ではコマイやホッケといったその土地で獲れる魚が食卓に並ぶそうです。しかも東京で食べられるのは居酒屋にあるようなホッケの開きですが、北海道だと刺身だったり開いてないホッケもあるそうです。またアジフライではなくホッケフライってのがデフォなんだとか。

そんなこと言われると北海道のソウルフードであるホッケフライを食べたいじゃないですか。

二条市場とかあるけど庶民の味であるホッケフライはやっぱり定食屋で食べるのが一番です。ってことでホッケフライ定食を頼もうと思います。

店主「うちのフライはアジフライなんですが...」

アジフライ、消費量日本最下位なのに...。まぁでもホッケ定食があるのでそちらにしました。

ホッケ、開いちゃった!!

ホッケの時期じゃないんでしょうかね。ホッケは足が速く冷蔵設備が充実じゃなかった頃は市場に出回らなかったんだとか。
足が速いため東京ではホッケは干したものしか売っていないようです。

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