女性器の街「保土ケ谷」にあった遊廓
本日は横浜の保土ケ谷にいます。
保土ケ谷と言えば保土ケ谷バイパスのあるところ。横浜新道と国道16号線が交わる交通の要。そのため頻繁に利用しますが保土ケ谷駅は滅多に来ません。来るとしても駅前を通り過ぎるだけです。
保土ケ谷は日本橋から数えて四番目の宿場町。32kmの距離にある保土ケ谷宿は宿泊するには少し早い。ただ江戸を発つのが遅ければ保土ケ谷を初日の宿泊地とした人もいたのでしょう。当時は宿場町として栄えたようです。
以前、レンタサイクルで東海道を日本橋から京都まで目指した際にも保土ケ谷駅前は通りました。
宿場町なのに全速力で通り過ぎてました。
今日はじっくり巡るつもりです。
こちらは駅西口側です。駅の入り口は東西にあり、東側は国道一号線が目の前にあります。東海道沿いなので東口の方が栄えてそうですが、旧東海道は駅の西側にあり、こちら側の方が栄えていたようです。現在はそこまで栄えていないようです。よくある地方の駅前ロータリーです。
江戸の頃の街の中心はここから南に500mほど離れた場所だったようです。当時は蒸気機関車だったので町の中心から少し離れた場所に作ったのでしょう。
駅前にあるのはバイク駐輪場です。自転車置き場もありますが、バイク駐輪場が多め。これは地域特性なのでしょう。保土ケ谷って名の通り、この付近の地形は谷です。周りは山に囲まれ起伏が激しく、自転車で坂を上るのは大変です。そのため原付バイクを利用する人が多いのでしょう。
ちなみに保土ケ谷の名前の由来は女性器の外陰部を「ほと」と呼び、その形に地形が似ており湿地帯だったことから女性器の形をした谷ってことで保土ケ谷となったようです。
こちらは女性器の東側です。
東口ができたのは1938年なので保土ケ谷駅ができて50年後。幹線道路沿いで山が目の前にあり拓けていないため再開発が難しい地域なんでしょう。
西口はキレイに整備されていますが東口は古い建物が目立ちます。
こちらは保土ケ谷東口商店街です。昭和な街並み。比較的飲食店が多めの商店街で戦後のヤミ市が由来っぽい雰囲気です。1954年に商店会が発足したそうです。商店街の目の前は国道一号線ですが、この道にはかつて市電が走っていたそうです。市電が開通したのは1954年。つまりそのタイミングで商店街ができたようです。闇市は1961年以降になくなっていますが、もしかしたら東口商店街の前身は本当に闇市だったのかもしれません。
ある程度の規模の駅であれば駅前に飲み屋街があり、ちょっと怪しい飲食店やエステ店があるもんですが、保土ケ谷にはそういった店がない様子。でも昔はハレンチな店がいっぱいあったのでしょう。
街道沿いだった保土ケ谷は宿場町でかつては飯盛女がいました。地方に出張に行ったらデリヘル呼ぶのが男のたしなみですが、それは江戸時代も同じで飯盛旅籠で遊女と肌を重ねるのが粋だったのでしょう。多くの宿場町でそういったサービスを提供していました。
1859年に横浜港が開港となった際、外国人に遊女を利用させないため隣りの宿場町の神奈川宿では飯盛旅籠が禁止されました。遊女のいない宿場町なんか牛肉の入ってない青椒肉絲と一緒。旅人は神奈川宿を素通りし、保土ケ谷まできたそうで、幕末はそれなりに繁盛していたそうです。しかし明治に入り営業区域の制限などがされ、規模は縮小。その後町内に点在していた飯盛旅籠を一カ所にまとめ、1900年に岩間町に岩間遊廓ができました。
保土ケ谷駅の北側、相鉄線の天王町のあたり。こちらには大門通りがあり、この付近に遊郭を設置したそうです。「おおもん」ではなく「だいもん」。遊郭の大門を想像してしまいますが、この付近には神社仏閣が多くあります。その門がダイモンの名の由来なんでしょう。
駅からちょっと遠いし、宿場の中心からも離れていたためでしょうか。岩間遊廓はさほど人気がなかったようです。そのため今川沿いの本陣裏に遊郭を移転したそうです。
保土ケ谷駅から南へ500m下ると保土ヶ谷宿本陣跡があります。この本陣の裏手には今井川が流れているのですが、ちょうどこのあたりに遊郭がありました。
街道沿いで古くから人の往来があり、駅も比較的宿場町に近いところにできました。
女性器の街「保土ケ谷」にある女性器を求める人が多く集まり、ここは人気のGスポットだったのでしょう。
戦後は赤線街へ。そして売春防止法により江戸時代から続いた保土ケ谷の風俗の歴史は幕を閉じました。
遊郭のあった宿場町ってその後もその流れを汲む店や街ができるもんですが、保土ケ谷には風俗街は無いし風俗店もありません。あと女性が接客するキャバクラもなく、スナックも少ないようです。
保土ケ谷に何があるかと考えても何も思いつかないし、このように現地を巡っても何も見当たりません。横浜から一駅しか離れていないのに普通の住宅街なんです。むしろ横浜から一駅しか離れていないから何もない街となったのでしょう。
保土ケ谷の東側にある久保山の向こう側は横浜黄金町があります。地元で遊ぶよりも山の向こう側にそんな歓楽街があるならそっちに遊びに行きますよね。地元になくてもアクセスしやすい環境なのです。飲みに行くのも遊びに行くのも横浜に行けばよい。宿場町だった保土ケ谷は住宅地となりました。何もないため不便そうな場所ですが、ひと駅で横浜に行ける好立地。保土ケ谷、住むのに悪くなさそうです。
街の名前は女性器が由来ですが。