横須賀の元総理大臣邸近くにあったセクシーな街「安浦私娼窟」

本日は横須賀に来てます。
こちらは京浜急行の県立大学駅です。
横須賀の中心地にある横須賀中央駅の隣駅。中央駅の周りは横須賀で一番の繁華街ですが一駅隣りってだけで 駅前は静かな街並み。住宅街そばにある駅のような感じです。
でも駅名は県立大学駅。
つまり大学がそばにあるのでしょうか?
同駅はもともと横須賀公郷駅という名前で1930年に駅が開設されました。その後1963年に京浜安浦駅に名称を改称。1987年に京急安浦駅に改称。そして2005年に県立大学駅となりました。駅名の由来は神奈川県立保健福祉大学があるため。
神奈川県立大学?そんなのあったんだ。全然知らない。
県民にすら知られてない県立大学。横浜国大、横浜市大と 公立大学はありますが県立大学は保健福祉大学だけのようです。福祉に特化した専門性が強そうな大学。医療福祉に進む人は知った大学なのでしょう。これより迎える超高齢化社会では必要な大学。大学が設置されたのは 2003年と最近でした。これからどんどん知名度も上がるのでしょう。最寄りに大学ができたのでそれを機に駅名を変更したんだとか。だから駅名が県立大学駅。
駅名はわかりやすいに越したことありません。この駅名なら大学の最寄り駅ってのがわかります。だから安浦駅から県立大学駅にしたのでしょう。ちなみにかつて安浦駅だったころは近くに安浦銘酒屋街という私娼窟がありました。
駅名が私娼窟の名前。
ここで降りれば私娼窟に行けるってのがわかる。
駅名はわかりやすいに越したことはない。

私娼窟があったのは安浦三丁目のあたり。県立大学駅の北側は安浦町という町名で大正時代に埋め立てられた地域でもともとは横須賀市字公郷の海岸でした。だから横須賀公郷駅だったのでしょう。
埋め立てがはじまったのは1911年。工事は難航し完成したのは1923年。その際に埋め立て地が安浦と名付けられました。
安浦の名前の由来は工事を請け負った安田保善社の“安”と港町を意味する“浦”を合わせたんだとか。
施行した安田保善社は安田財閥系企業。企業の名前を冠した町名だったようです。
まさか安田財閥も自身の名前を冠する街が私娼窟になると思ってなかったでしょう。

こちらは安浦神社です。
大正時代に埋め立てられた土地のためその頃に建立された神社でしょうか。
ご祭神は健御名方命 八坂戸売命、事代主命。
健御名方命は 開拓・航海の神です。まさに開拓された海沿いに最適な神様。
八坂戸売命は健御名方命の妃神で治水の神様。
事代主命は七福神の恵比寿様のこと。
商売繁盛のご利益がある恵比須様。歓楽街だった安浦には最適な神様です。

安浦に関わりのある人が寄贈してるのでしょうか。
神社の玉垣にはこの界隈に住む人のほかカフェーの屋号を見ることができます。

こちらがかつて盛り場だったところです。
私娼窟が形成されたのは大正末期でした。
埋め立て地を作ったのは人口増加に伴う住宅地の確保が理由でした。しかし造成後の翌年に関東大震災が起こります。
12000軒が被災した横須賀。被災者の収容施設が必要だったため更地が多い安浦に被災者用の簡易住居ができます。さらには震災の復興計画により市内に点在していた銘酒屋を安浦に集めました。それによりカフェー街となったようです。
当時は80軒ほどのカフェーがあったそうです。つまり80人以上の女給が働いてたようです。
需要があったから店がそれだけ多かった。客が多かったのでしょう。
軍都だった横須賀は海軍軍人も多くまた漁港でもあるため漁師がいました。
色街を支えるのは軍人と漁師。
小田原、銚子、焼津、真鶴、九十九里に勝浦。漁港には色街は必ずあるもんです。
軍都と呼ばれた宇都宮や豊橋も色街がありました。
当たり前のように色街があった戦前の日本。新しい埋め立て地が私娼窟になっちゃうんです。そして80店舗も店があったんです。ちなみに飛田新地のソレの店舗数は約160軒。安浦は飛田新地の半分くらいの広さ。つまり店がひしめき合ってたのでしょう。
戦前の日本人、恐るべし。

関東大震災後にできた私娼窟。
横須賀にあった遊郭は震災被害に遭ったため遊郭難民が安浦カフェー街に集まりました。
カフェー街ができた6年後には最寄りに駅ができます。さらにカフェーに来る人が増えたのでしょう。
戦時中は軍人の慰安施設となったのでしょうか。
日中戦争がはじまる頃にはバラックだった娼妓小屋は二階建ての建物となり300名の娼妓がいたそうです。
やっぱ戦前の人はすごい。
終戦後も安浦カフェー街は生き残り戦後青線街となりました。
戦後も人気のカフェー街で店が150軒に増えます。
飛田新地の半分の敷地に飛田と同じ店舗数。
戦後の方がやばい日本の性文化。
戦後の日本人、恐るべし。
戦後の横須賀は色街だらけ。横須賀には柏木田に遊郭がありました。また進駐軍の特殊慰安所も横須賀にできました。日の出町にあった海軍工員宿舎跡地に進駐軍向けの特殊慰安所 「安浦ハウス」を設置。安浦の娼婦170人を出張させてたんだとか。
これはデリヘルの元祖。
慰安所は終戦から19日後の1945年9月3日に設置されています。
8月30日には占領軍が横須賀に上陸してるのでかなり急ぎ目で慰安所が設置されたのでしょう。
安浦ハウスには多くの米兵が行ったようです。
まさに人類皆兄弟。
でもオープン11日で慰安所は一時閉鎖します。閉鎖理由は性病蔓延が理由なんだとか。
まさに人類皆梅毒。
その後再開しますが1946年1月。
公娼制度が廃止されたことにより安浦ハウスも廃止となりました。
このように特殊慰安所は廃止されますが安浦の私娼窟は売春防止法施行後も生き続け銘酒屋街はちょんの間街に生まれ変わりました。1960年代は50軒くらい店があったそうです。それは2000年になっても生き続けました。ここは違法風俗街だったのです。
私が安浦のソレを知ったのは2004年頃。まだ京急安浦駅と呼ばれていたころでした。
でもその当時はまだ堀之内にも黄金町にもその手の街が生き残っていたころでした。わざわざ横須賀くんだりまで足を運ぶ。そんな気にはなれなかったのです。結局行くことなく月日は流れ。気がつけば安浦のソレは壊滅していました。2010年頃に一斉摘発があったようで今はそのような店はここにありません。

こちらは公衆浴場「日の出浴場」です。
私娼街だった安浦にある銭湯。ちょんの間には入浴施設がないため銭湯で清めたのでしょう。
しかし同浴場は22年に閉業してます。

名残りがありそうなたたずまいの家もありますがごく普通の住宅街です。
この辺りは空襲被害が少なかった地域。そのため古い建物は残ってたのでしょう。でも建てられてから90年以上経過してます。また私娼窟という悪しき文化が根付いていた街。その印象を払拭させたかったのでしょうか。古い建物は取り壊され町はきれいになってます。かつて私娼窟だったとは全く感じないごく普通の街並みです。

安浦のメイン通りはあずま通りと呼ばれてました。
こちらにはアーチがあったようですがそれはもう外されてなくなっています。
そのような街だったと知られないよう取り外したのでしょうか。
安浦の私娼窟は に知られた私娼窟でした。でもその街はもうここにないため駅名が県立大学駅に変わったのでしょう。

ちなみに安浦に隣接する三春町には元内閣総理大臣の小泉純一郎氏の自宅があります。
めちゃくちゃ私娼窟そばにある小泉邸。
小泉純一郎君、私娼窟だったの知ってたのかな?
横須賀市三春町。私娼窟のあった安浦の隣町には元内閣総理大臣の小泉純一郎氏の自宅があります。
これはカフェーに行ける立地です。
純一郎氏の曽祖父にあたる小泉由兵衛は横浜に住むとび職人でしたが横須賀に移住し港湾労働者の手配師になりました。
なんかヤクザのしのぎみたいな仕事。
また純一郎氏の祖父にあたる小泉又次郎は土木請負業の小泉組をつくったそうです。
なんかヤクザみたいな名称の組織名。
又次郎は政界に進出。横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任。ピストルを懐に忍ばせ倶利伽羅紋紋が彫られてたってことでいれずみの又さんと呼ばれてたんだとか。
ヤクザだった。
港湾労働者の手配師はゴロツキのまとめ役みたいな仕事なので実際にヤクザに近い商売だったのでしょう。
今では政治家家系となりましたがもしかしたら指定何力団になってた可能性もあり安浦のその手のビジネスをしてたかもしれません。
いわゆるお花屋さん。
小泉内閣が誕生したのは2001年。
その当時の安浦はまだちょんの間がありました。
セクシーな街だった。
総理の家がある三春町。おそらく警察も警備していたのでしょう。
警察の人、安浦がどんなとこか知らなかったのかな?
警察「小料理屋です」
いつもの神奈川県警のノリ。

自分の実家に自分のポスターを貼る。なかなかできることではありません。
でもこれは総理大臣の椅子に近い人だからできること。でも将来総理大臣になる人の実家そばには私娼窟がありました。
私は以前川崎堀之内そばに住んでいた時、目の前の風呂屋がどんなところか知ってたし目の前の風呂屋に行ってました。
行ってたんだ。
それはご近所づきあいも兼ねていたのですがそれであれば市民の味方の政治家はご近所づきあいしてたのではないでしょうか。
つまり目の前の私娼窟は知ってたし目の前の私娼窟に行ってたのではないでしょうか。
小泉家の人たちは安浦がどんな街か知ってたのでしょうか。
知るはずないでしょう。
行政の長である内閣総理大臣。法律に従って国を治める代表が私娼窟があることなんて知るはずがないでしょう。政治家を目指す以上、公人としての人格識見と倫理の向上に努め、国民の規範となるよう法令を遵守してるはず。私娼窟を知っていればとがめていたはずです。2010年まで摘発を逃れてたということは小泉家はその存在を 知らなかったのです。
小泉純一郎君も小泉進次郎君も
小泉家「小料理屋です」
これが神奈川しぐさ。
先ほど立ち寄った安浦神社。
カフェーの玉垣が複数確認できましたが地元民の玉垣も多くあり。小泉家のもありました。
これは私娼窟知ってた。
横須賀には三つの色街が存在していたそうで私娼窟だった安浦と皆ヶ作、遊郭があった柏木田。
皆ヶ作は離れてるので今回行きませんでした。これより遊郭があった柏木田に向かいます。

こちらは三崎街道です。
街道沿いにはうわまち銀座商店街があります。
明治の頃に自然発生的にできた商店街で100年以上の歴史があるんだとか。
横須賀の市街部は空襲被害が少なかったようでここの商店街では古い建物が目立ちます。
この商店街を抜けた先に遊郭がありました。

こちらが遊郭のあったところです。
一直線に伸びる道は道幅が広いです。かつては通りに沿って妓楼があったのでしょう。
1889年にできた柏木田遊郭。それ以前は横須賀中央駅の北側。三笠ビル商店街のある大滝町にあったそうです。大滝町遊郭は幕末 仏国人技術者の要請で設置。元々は外国人向けの遊郭だったそうです。しかし1888年火災により大滝町遊郭は焼失。町の中心から離れた柏木田に移設されました。

遊郭跡地内に穴守稲荷大明神があります。
穴を守る穴守稲荷。性病による死者が多かった遊郭に必要な神社。最盛期には150人ほどの遊女がいたそうです。しかし震災により複数の妓楼が倒壊。そして先の私娼窟に客をとられ衰退したそうです。それでも遊郭は終戦まで続き戦後赤線街へ。赤線廃止後は普通の街になったのでしょう。

こちらは京急ストア裏の駐車場ですがかつてソープランドがあったそうです。
普通の街じゃなかった!







横須賀の元総理大臣邸近くにあったセクシーな街「安浦私娼窟」
久里浜にある自衛隊御用達の飲み屋街「たそがれ横丁」
【竜宮桜坂神里原】戦後の沖縄にできた悪しき社交街で山羊を食う
浦賀にあった遊里「浦賀遊郭」と「柳町」
飲み屋の多い大井町は今でもアングラでディープなのか?
養蚕業で栄えた桑の都「八王子花街」の今
さすが理科大学のお膝元!金町にある物理で抜くアレな店
台湾高雄にある流鶯街!河北路の街娼とは!?
両国にある銭湯「松の湯」と元禄二八蕎麦「玉屋」
DIYで建てたサグラダファミリア!高知にある沢田マンション