横須賀にあるアメリカ「どぶ板通り」にパンパンガールまだいるか!?

本日は横須賀に来てます。
こちらは京急線の「汐入駅」です。同駅が開業したのは1930年。軍港そばにできた駅だったため開業当時は「横須賀軍港駅」という名称でしたが防衛上の理由で横須賀「汐留駅」に改称します。そして1961年に現在の汐入駅に改称しました。

横須賀軍港駅って名称だった通り横須賀は軍の街。横須賀が軍の街となった歴史は古く黒船来航に由来します。
1853年にペリー率いる黒船が浦賀に来航。圧倒的な軍事力の差を見せつけられた日本は戦争を避けるために開国することにしました。開国した日本は欧米に対抗するためペリー来航から12年後の1865年、フランス人技師を招き横須賀港を建設し始めます。
製鉄所を作り造船所を作り軍事力を高める。
このようにして横須賀の港は発展し、1903年以降は軍港として利用されます。しかし敗戦により連合国軍に港を接収されます。占領終了後も米軍が利用し続けており現在も横須賀市の3.3%は米国なんだとか。

こちらは三笠公園入口交差点です。
国道16号線の北側、交差点を渡って少し歩いた先は米国です。
関係者以外立ち入り禁止と書いてありますが撮影禁止と書いてません。
でも軍事施設は基本的に撮影禁止です。基地内にカメラを向けると注意されます。
撮影禁止?ここ、公道ですよ!
あなたにそんな権限があるんですか?
それなんて法律くぁwせdrftgyふじこlp!

普段ならそんな感じでまくし立てるでしょう。
でも横須賀の米軍基地の入り口には自動小銃を持った米軍兵士がいます。
海外だと当たり前にいる武装した兵士。自衛隊も警備にあたる際に小銃を持つようですが日本ではあまりなじみがありません。そんなわけで撮影は控えました。

こちらはどぶ板通りです。
どぶ板通りは米軍基地に接する約300mの通りに飲食店が立ち並ぶ商店街です。
かつてはどぶ川が流れてたそうですが、それに鉄板で蓋をしたことからどぶ板通りと呼ばれるようになったんだとか。
帝国海軍の軍港門前にあったどぶ板通り。戦前は帝国海軍兵士が集う街だったのでしょう。戦後は米軍基地目の前の商店街となったため在日アメリカ軍人が集まる街となりました。
横須賀は異国情緒溢れる港町のイメージ。そのイメージはまさにこの界隈なのでしょう。

どぶ板通りは150軒ほどの店が軒を連ねる飲み屋強めの飲み屋街。
そして日本人向けじゃなく米軍兵士向けの街です。ここは外国人街なのです。

外国人街なので英語表記の店が多くあります。
横須賀市の在留外国人は7700人ほど。割合的には2%くらいでしょうか。
日本の外国人割合は3.2%なのでそこまで多いわけではありません。またアメリカ人が多そうな感じがしますが横須賀市には600人しか住んでないようです。
意外にも少ないですがこれは横須賀市在住の人数で米軍施設に住む人はカウントされてないようです。
では横須賀にいる米国人の数はというとおよそ3万人なんだとか。
横須賀市民は約37万人なのでおよそ8%の米国人がいるそうです。
そりゃ米国要素強めの街が出来上がります。

ここにあるお店もなんとなく日本っぽくない。ここは日本にある米国なのでしょう。
なんかアメリカっぽいじゃないでしょうか。この辺もアメリカっぽい懐かしい感じがします。
米国本土は行ったことないけど。
割合的には飲食店多めの商店街。それ以外に米軍関係者向けの土産物屋もあります。

横須賀といえばスカジャンでしょうか。
米軍兵士の土産物として売り出されたスカジャン。米国人って龍とか虎とか好きじゃないですか。
米国ヤンキーが好む柄にしたところ大ヒット。このようにしてスカジャンが生まれました。

戦後に誕生したスカジャン。
定期的にブームが起こりますがスカジャンのイメージは不良少年。いわゆるヤンキーが着るものってイメージです。ヤンキーと名の付く者は龍とか虎を好む。
私も龍とか虎とか大好きです。
ヤンキーだった。
こんな感じでアメリカ要素たっぷりのどぶ板通り。
ここは夜遊びスポットなのでしょう。でもナイトクラブやバーはあるものの性風俗店的な店がここにはありません。
歓楽街ならあってもおかしくないのに!だってここは米国なんでしょ?
米国人、そういうの好きそうじゃない!
いやいやそれは偏見です。
米国人はそういう店に行かないしそもそも米国にはそういう店はないのです。
米国はキリスト教国だからでしょうか。
一部の州を除いては売春は違法だし挿入を伴わない疑似行為も性交とみなします。そのため日本におけるサロンのような店はないし口淫自体が禁じられてる州もあるんだとか。そんなわけでそういう店は米国にないのです。
ってのは建前で実際はマッサージと称した非合法な店もあるしデリバリー的なそれも当然あるのでしょう。
表向きそういうのがないというだけ。
日本は米国と違い疑似的なソレの店は存在するし自由恋愛と称したソレの店が日本は複数あります。
性の自由度が高いのは昔からでここ横須賀にも戦前から色街が各所にありました。
横須賀中央駅南側に柏木田遊郭。
県立大学駅近くにあった安浦私娼窟。
中心地から少し離れたところに皆ヶ作私娼窟。
とくに横須賀は軍事施設があったからかこのように色街が点在していました。
その色街は戦後もカフェー街として続きます。そしてどぶ板通りのあたりも色街だったそうです。

米軍基地の目の前にある戦後にできた色街。
これは確実に米兵狙いの店だったっぽい。実際にどぶ板通りは米軍兵士のための色街でした。
太平洋戦争で敗れた日本は連合国軍の占領下に置かれました。日本政府は性被害を軽減させる目的で各所に進駐軍向けの慰安所を開設します。当然横須賀にも慰安所が設置されました。しかし性病蔓延を理由にすぐに閉鎖されます。遊ぶとこなく困った米兵。でも一番困ってたのはそこで働いてた娼婦でした。
慰安所がなくなれば働く場所もなくなる。
生活するためには働かなければならない。しかし近くに私娼窟はあるも娼妓が飽和状態。
そのため雇ってもらえません。職場を失った慰安所の娼妓たちが街路に立ったのでしょう。
いわゆるパンパンガールです。
パンパンとは街路に立ち客引きをする街娼のこと。今風に言えば立ちんぼになるのでしょう。当時のどぶ板通りは新宿大久保公園だったのです。
どぶ板通りは人気スポットだったようです。
そりゃそうです。
お土産買って楽しいね!そんな米兵いるはずありません。
お土産を買うのは帰国直前です。とりあえず出張先でまず初めにすることといえばアレしかありません。どぶ板通りに街娼を買いに行ったのでしょう。
ここは多くの街娼が街路に立っておりその数8000人以上。路地の長さは300mほど。つまり街娼だらけだったようです。そりゃ人気スポットとなるわけです。
摘発はあったものの売春防止法施行まで青線街は生き続けました。おそらくその後も生き続けたのでしょう。
しかし時代の流れとともに彼女らはいなくなりました。もうここにはパンパンガールはいません。
でもどうやら夜になると今でもパンパンガールがいるとかいないとか。

夜のどぶ板通りです。
まさかの現代版のパンパンガールがいるとなればそりゃ見に行かなきゃダメでしょ!
80年前のソレが楽しめる。これは横須賀だからできることです。
大久保公園のソレは昼過ぎには立ってるし夕方以降になると増えだします。どぶ板通りは飲み屋街。日が暮れてからお店が開きだします。

夜になれば街路に立ってそうな感じがしますがどうもいなそうな感じ。そもそも飲み屋が多いどぶ板通りですが営業している店は少なそうです。シャッターが閉まっている店もちらほらあります。
そもそも出歩いてる人が少ないんです。全く人通りがないわけではありませんが横須賀中央駅前と比べると人は少なめ。これじゃあ街路で客引きしても客がつきません。誰も立たないでしょう。何往復かしましたが街娼はいませんでした。
何往復かしたんだ。

わざわざ横須賀で立つ必要はないですからね。
外国人がいる横須賀よりも人が多い都内。立つ人は新宿に集まるのでしょう。そもそも街路に立つ必要もありません。SNSを介せばいいんです。街娼は売春防止法で禁じられてます。売春自体に罰則はありませんが街路に立ち勧誘することは処罰の対象となります。リスクある客引きよりも手軽にできるSNS。大久保公園のような特殊な場所でない限り出会いの場はネット上なのでしょう。そんなわけでここには街娼がいません。どぶ板通りは健全な飲み屋街になったようです。
でもどうやら今もいるようです。
かつてほどではないけれど夜が深まるとパンパンガールが街路に立つそうで女性の方から声をかけてくるんだとか。
マッサージイカガデスカって。

パンパンガールじゃなくチャイナガール。







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