【神奈川宿】鶴見から国道駅前を通り横浜まで東海道で行く
東海道五十三次の53とは宿場町を指します。日本橋と京を足すと55の宿場町があります。宿場町は等間隔にあるわけではなく、距離が一番遠いところは30kmほど離れているんだとか。近いところだと2kmもないくらいの距離のようです。
京都まで約500km。今ではスマホでどれくらい進んだのか、あとどれくらいで到着するのかがわかりますが、昔はそういうのがありません。そのためわかるようなシステムがあったそうです。
それが一里塚というもの。1里の距離は約4km。4kmごとに一里塚があったそうです。10個目の一里塚であれば40km進んだとわかるわけです。現代でいう高速道路の脇にある数字が書いてあるポストみたいなものでしょうか。
高速道路のそれとは違いもう少し豪華なものとなっています。元々は土を盛っただけだったようですが壊れないように木を植えたんだとか。木の根っこが盛り土を保護し、旅人は木の木陰で休めるようになっています。4kmごとにパーキングエリアがある感じですかね。
こちらは鶴見にある市場一里塚です。これまでも一里塚があったようですが気付きませんでした。4kmごとなので合計124か所(496km)。しかしすべて現存しているわけではないみたいなんで見つけたら立ち寄ってみるといった感じでしょうか。そもそも124回も止まって撮影してそれを調べる作業は大変です。
先に進むと国道駅という駅の横を通り過ぎます。国道沿いにあるため国道駅という名称なんだそう。
鶴見線自体乗ったことがなかったのでこちらの駅に立ち寄ることもありませんでした。看板だけ見ると普通ですが、駅の改札のところがかなり怪しいです。
昭和の雰囲気というより戦後の雰囲気。
タイムスリップしたような感じ。天井は高く薄暗いです。結構利用者がいますが、無人駅のようです。
駅開業した昭和五年の頃から変わっていないんだとか。
一応お店はありますが営業しているかは不明。
改札前以外にもガード下に家屋があります。空き家ではなさそうです。
この街もまた行きたいですね。
鶴見って川崎と横浜の間にあるのであまり立ち寄ることがありませんでした。探せば色々なところがありそうな気がします。
こちらは生麦事件のあった場所です。
そして少し離れた場所に記念碑がたっています。
生麦事件、なんか歴史の授業で聞いた覚えがあります。大名が無礼な外国人を切ったってやつでしたっけ。当時の主要な道なのでこういった事件は多くあったのでしょう。
ちなみに生麦事件碑のところはKIRINのビール工場でした。営業していれば見学したかったのですがコロナウイルスの影響で見学は中止のようです。京都に行ったら山崎蒸留所を再見学しようと思っていましたがこちらも臨時休業。観光に力を入れるためにGoToトラベルキャンペーンを発動したわけですが全てが万全な状態ではないのでやはり時期尚早だったのではないでしょうか。
旧東海道の案内が無いところもあるのでスマホで地図を見ながら進んでいきます。信号で止まるたびに地図を見るのですがたまに違う道を走っていることも。まぁそこまで厳密に東海道を通らなくてもよいかと。なんだかんだで横浜まで来てしまいました。
どうやらここが神奈川宿のようです。現在の横浜駅から少し離れた場所です。現在の横浜の中心地は埋め立てられた場所なのでしょう。現在の神奈川宿は住宅街で付近にお店がある様子もありません。かといってここから中心地まで移動するのも面倒です。横浜の楽しいところはここから離れているためそれはまた別の機会に。
川崎に住んでいると横浜に行く機会が少なくなります。今度中華街あたりも行ってみたいですね。
神奈川宿のところにあった公園に立ち寄りました。日本橋で500mlの飲料水を二つ購入。暑い日差しの中走っていたので全部飲んでしまいました。コンビニで買おうと思ったのですが公園があったのでこちらで水を汲みます。
海外だと公園を見つけるのも大変です。日本だと自販機もあるしコンビニもあります。そして公園があり水が手に入ります。しかも日本の水道水は飲めるんです。多少カルキ臭がしますがお腹を壊すことはありません。
ここで再度飲み物を二つを買うと250円かかってしまいます。そして夜も飲み物を買うとさらにお金がかかります。節約できるところは節約したいです。そんなわけで空のペットボトルに水道水を詰めていきます。ちょっとぬるいけど仕方ありません。
品川で食事して以降は止まることなく自転車を漕ぎ続けてきました。横浜で一泊も考えていたのですがまだ明るいです。そのためもう少し前に進みたいと思います。次の宿場町は保土ヶ谷宿です。