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震災機構「仙台市立荒浜小学校」に行ってみた。

震災機構「仙台市立荒浜小学校」に行ってみた。

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今年で震災発生から丸9年となりました。
震災による死者・行方不明者は19000人ほど、避難者もまだ50000人ほどいるようです。避難者に関しては原発の制限地域の方も含まれているのでしょう。居住制限区域が解除するなんてニュースも目にしますが、それがいつなのかわからず、また何をもって解除するのかもよくわかりません。復興を目指し、今回のオリンピックは復興オリンピックという名がついています。オリンピックは延期になったようです。先日仙台駅前で聖火がどうのというニュースがありましたが、聖火ランナーのヤツも延期となったそうです。来年オリンピックを行うのかわかりませんが、行うのであれば聖火ランナーが被災地域を走るのでしょう。しかし実際に復興しているところはごく一部地域です。復興した部分だけ見せる北朝鮮スタイルなのでしょう。まだ震災時のままの状態のところもあるのでしょう。
震災の時に出たごみは片づけられている、でも更地のまま放置されているっぽい土地も多くみられました。汚染水問題や汚染物質の受け入れ先、廃炉のこと、まだ問題は山積みです。元に戻ることを「復興」というわけですが、福島だけでなく宮城県でもまだまだ被災の状態がそのまま。実際の復興は何十年も先の話となりそうです。

震災の記憶を無くさない、後世に伝えるために震災機構というものがあります。
その当時のまま建物を残してあるそうです。仙台市内にもそれがあったので行ってみました。

仙台市立荒浜小学校です。名前の通り浜のそばにある小学校、もろに津波の被害があった場所です。

館内、学校内にはその当時の爪痕を残すものや写真などが展示されているのですが、こちらも新型コロナウイルスの影響で休館となっていました。でも建物の外観だけは見てまわることができます。

窓枠などは破壊されていますが、それ以外はごく普通の小学校といった感じです。

こちらは東側、海に面している部分です。二階の位置まで津波はきており三階のフェンスも瓦礫によって破壊されていました。

当然あたりは更地となっております。周りには何もない状態です。昔はこのあたりどんな景色だったのでしょうか。

現在、高台に道路が敷いてあります。おそらくこれが堤防代わりとなるのでしょう。

規制が解除されれば学校の中の様子も見ることができるようです。でも四月も規制解除は難しそうです。ちょうど三月ということで行ってみたのですがタイミングが悪かったようですね。

震災のあった時は都内に住んでいて都内にいました。住んでいたマンションの壁紙が剥がれたりと多少なり震災被害を受けましたがその程度、壁紙はオーナーが修復するだけ。命に別状もなく金銭的な負担もない。言ってしまえば何の被害もありませんでした。
これまでにない非現実的な状態。東京でも電車が動かなかったり帰宅困難者で新宿駅は溢れかえっていました。幹線道路を歩いて帰る人で列になっていました。日常とは違う、そんな違いがあるからかなんとなく周りの人との結束が強くなっていました。知らない人と「大丈夫でしたか?」と話すことで一体感を感じていた、どちらかというと震災を楽しんでいたところがあったかもしれません。テレビで見た津波の映像も、怖いね恐ろしいねといいつつ、被害に遭わないと分かっているところで見ていたから映画のワンシーンを見ているのと同じでした。不謹慎に聞こえますが、実際同じように思っていた人は多かったでしょう。

日本の自殺者は年間で2万人。東日本大震災の死者・行方不明者と同程度の人が毎年亡くなっています。生きたかったけど震災被害に遭った人と、生きたくないから自殺した人を同レベルで考えるなという意見もあると思いますが、自殺者だって生きたかったのでしょう。でも生きられない理由が各々であるのでしょう。
首都圏では毎日のように電車が遅れます。迷惑をかけるつもりは無いんだと思います。でも他人からすれば「死ぬなら迷惑かけんな」と心で思ってる人もいるでしょう。口には出さないまでも「遅延したせいで予定が狂った」と自殺した人に対して憂い悲しむことはないのでしょう。その人が身内や知り合いであればまた違うのでしょうが、赤の他人です。
震災で亡くなった人もあかの他人です。可哀そうだと思う部分もありますがそう思うだけです。私にできることはなにもありません。

荒浜小学校を後にしようとしたところ、同施設の職員の方から声をかけられました。ウイルス対策のため休館をしていること、そしてここ以外にも震災機構があるからそちらも回って欲しいとのことでした。

荒浜小学校を襲った津波の高さは4メートルほどだったそうです。校内にいた人たちは全員屋上に避難。そのため死者はいなかったそうです。しかし荒浜地区での死者は180人ほどなんだそうです。荒浜地区を襲った津波の高さは10メートル以上、海際にあった家屋は全て津波にのみこまれました。小学校までは海岸から700m。その間に家屋などが障壁となり津波の威力をおさえたんだとか。
それと小学校と海岸の間には貞山堀という運河があります。こちらは江戸時代に伊達政宗の命によって掘られたそうです。当時は運河として利用していたのでしょう。これのおかげで津波の威力が弱まり、小学校は倒壊せずに済んだのかもしれないとのこと。この時代でも政宗公は仙台を助けているようです。
近くに慰霊碑があるそうです。今日は津波が来ないと思うから手を合わせていってほしいとのこと。手を合わせるくらいしかできませんが、500mほどの距離です。そちらにも行ってきました。

家屋の基礎の部分と一部のコンクリートしか残っていません。
津波で地面が削られています。

遠目から見ていてずっとヤシの木だと思っていたのですが、防砂林の松の木です。下の方は津波で削られてなくなっているんだそう。電柱くらいの高さ。つまりこの枝の無い高さまで津波がきていたそうです。

震災機構のそばに供養塔があります。
荒浜地区の人口は2000名ほど。その内の180人の方が亡くなりました。供養塔には名前と年齢が記載されています。多くはご年配の方ですが、まだ10歳に満たない子供もいました。学生であれば学校に行っている、勤め人であれば職場に行っている。そのため専業主婦や乳幼児、年金生活者の方が被害に遭ってしまったのでしょう。
先日行った日和山の近くにも似たような供養塔がありました。多くの方が想定外の災害に巻き込まれたのです。自然災害だから仕方がないと片づけることもできません。あかの他人とはいえいたたまれない気持ちです。何もできないというのはふがいないですね。

今日の荒浜の海は穏やかでした。

ということでホテル戻って酒を飲みます。飲んで応援が唯一できること。
今日のアテは馬の大和煮と納豆です。納豆は北海道の大豆。

馬肉好きなんでこういうの嬉しいんですが、基本的に大和煮にしてしまうと何の肉なのかよくわからなくなってしまいます。ちなみにこちらは新潟県で製造されています。

本日の酒は一ノ蔵の樽酒です。一ノ蔵は宮城の酒です。唯一地元のもの。飲んで応援といいつつ生産地とか気にせず買っていました。
樽酒ということで樽の香りがほのかにします。
すごい失礼な飲み方ですが、日本酒に七味入れて飲むのが好きなんです。とくに一ノ蔵の辛口があっているんです。かなり不躾な飲み方なんですが、これが一番おいしい日本酒の飲み方なんじゃないかとすら思っています。でも今日は樽酒なのでそのままで飲みたいと思います。

樽の香りがする一ノ蔵。弔うための酒なのか、それともただ単に飲みたかったのかは誰にもわかりません。まぁでも日本人ならこういう時は日本酒飲んどけばいいんです。

今日のお酒はなんだかしょっぱい味がします。

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