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ススキノのはずれ、屋台団地があった五條新町

ススキノのはずれ、屋台団地があった五條新町

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札幌の夜の街といえばススキノです。
日本で一番北にある歓楽街であり、アジアで一番北にある歓楽街でもあります。一週間札幌に滞在しましたが結局毎日ススキノに足を運びました。

いいですね。これです。このニッカウイスキーの看板。ススキノの代表です。
本当であれば余市蒸留所にも行きたかったんです。余市蒸留所はまだ一度も行ったことがありません。過去に一度行く機会はあったんです。その時もここススキノに立ち寄った時でした。この交差点からほど近いところにザ・ニッカバーというお店がありまして、そちらに行った時に余市までの行き方を聞いたのです。しかしその当時は乗換えのアクセスが非常に悪く片道2時間以上かかると言われ諦めました。

現在は札幌から小樽で乗り換えて1時間でいけるんだそう。往復2時間ちょっとといったところでしょうか。それであればそこまで負担はありません。ちょうど緊急事態宣言も明けて見学が再開されたわけですからね。
しかし見学には前日に予約が必要なんだそう。当日の動きすら未定の人間に前日の予約はちょっと厳しいです。山崎蒸留所は予約なしでも大丈夫だったんですけどね。余市蒸溜所で売ってるウイスキー買いたかったのですが残念です。

余市に行くためには余市に宿泊しなきゃダメっぽいですね。

ススキノには居酒屋などの飲食店からバーやスナック、キャバクラ、ホストクラブやゲイバー、あとは性風俗各種。ほぼなんでも揃っているところです。

アジア最大級の歓楽街は歌舞伎町と言われていますが、正直なところそこまで大きいとは思えません。むしろススキノの方が規模も大きいし広範囲だし、業種も様々あります。とりあえずどこから攻めていいかわからないので端っこの方から行きましょうか。

こちらは五条新町というところです。

まずススキノの基本的なところからおさらいしていきます。
ススキノは元々遊廓があった場所でした。時は明治時代。慣れない土地での北海道開拓は過酷だったそうです。過酷な労働を癒してくれるのはエロだったのでしょう。もともと薄野には売女小屋というがあり、明治3年以降に飯盛女を国が認めるようになったそうです。その後も似たような店が増え、ここを薄野遊廓と呼ぶようになったんだとか。
薄野は人気の花街だったそうで、それにより地方税の収益もかなりあったんだとか。しかしそのしわ寄せは末端の娼婦に降りかかるわけで、税金を抜かれるため貰いが少ない遊郭で働くよりも、私娼となった方が儲けがよいと考える人もいたのでしょう。そのため薄野の近くにある狸小路のあたりは私娼窟となっていったそうです。これにより薄野の治安は悪化。そのため廃娼運動が活発化したそうです。
しかしエロい大人たちは「後生です!どうか廃娼だけは勘弁を!」ということで薄野から別の場所に移転させることにしました。でも今度は薄野で働いている人が黙っちゃいないです。「移転?舐めてんのかてめぇら!」といった感じで移転に応じずその場で働く人も。結果的に遊廓は別の場所に移転できましたが、薄野ではその後も売春宿を経営していることろが多かったようです。取り締まりもあったのでしょうがイタチごっこだったのでしょう。戦後までこのような状況が続きます。そして売春防止法により遊廓は消滅。でも薄野はその時点で遊廓でも何でもない場所でした。遊郭は消滅しましたが今度は条例で薄野の一画に限りソープランドが許可され現在に至っています。

長いので要約すると、エロの街だったけどエロの街を変えようとして、でもやっぱりエロの街に変化はなかった。そんなところです。

今回立ち寄った五條新町もエロの街の一画です。この街ができたのは昭和になってから。ここは屋台団地と呼ばれいわゆる連れ出しスナック的なお店が軒を連ねていたそうです。

記した通りススキノは明治の頃に遊郭ではなくなりました。しかし公娼でなくなっただけであり、売春行為はその後も行われていたのです。

現在は札幌東急REIホテルが建っておりますが、このあたりは私娼窟だったそうです。このあたりには満州などからの引揚者がツブ貝を焼いたものを売るツブ焼き屋台というのがあったんだそう。でもツブ貝だけじゃ商売になりません。ツブ焼きと一緒に売春の仲介もしていたそうで、それが屋台団地と呼ばれるようになったんだとか。

その屋台団地があったであろう場所に銅像が飾ってあります。こういういわくつきの場所にはこのような銅像がたってるものです。慰霊碑とか供養碑とかそういったものなのでしょう。

何書いてあるか読めませんでした。

屋台団地は一時は200軒ぐらい軒を連ねていたそうで、飛田新地に匹敵するレベルだったようです。売春防止法施行後、一時解体することになりましたが場所を移転し屋台団地は営業をしていたそうで、その移転先がこの五条新町というところ。

移転先はもう一か所あり南7条西4丁目でススキノ会館があるあたりです。

摘発に遭いつつも屋台団地は営業を続け1972年の札幌オリンピックの時には外国人選手も使用していたそうです。外国人だってツブ貝食べて女を抱けるんだったらそりゃ行きますよね。しかし1981年にはすべてのお店が閉店。ススキノに屋台団地はなくなりました。

ツブ貝食べたかったな。

現在の五條新町は飲食店と居酒屋がメインですね。
焼肉居酒屋の店名が「アガシ(訳:お嬢さん)」なのでもしかしたら現代のツブ焼屋台の可能性があります。

まぁ今の時代屋台団地なんて業務形態はリスクでしかないですからね。未だに飛田新地みたいなところが営業出来ているのが謎です。個人的にはああいうのを後世に残してほしいですが、あれは違法でないとするのはちょっと無理があると思うんです。でも風情があって良いですよね。

屋台小屋はもうないそうです。でもどこかに令和の屋台小屋があるはず!それを探さなければなりませんね。

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