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ネコの多い衰退する小田原の夜の街「宮小路花街跡」

ネコの多い衰退する小田原の夜の街「宮小路花街跡」

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本日は小田原に来ております。

こちらは小田原市内にある観光施設「小田原宿なりわい交流館」です。小田原は江戸から数えて9番目の宿場町で小田原城の城下町。この辺りは海のそばでかつては魚市場があったんだそう。
このなりわい交流館も昭和7年に建てられた網問屋を再利用しているようです。

現在もこのあたりにはかまぼこ屋や干物を扱う店があります。街道沿いにある街なので歩きながら店を探索するのはよさそうな場所です。

小田原はいわゆる漁師町。金回りの良い漁師町では歓楽街が発展するもの。この辺りはかつては栄えていたそうです。

こちらは小田原の総鎮守とされている松原神社です。入り口右手には「縣社松原神社」と書かれてありますが「縣」の字が書けなかったみたいになっています。雰囲気でぐちゃぐちゃって書いてあるみたい。よめねーし。

創建時期は不明ですが12世紀ころに創建されたとされているようです。御祭神は日本武尊、素戔男尊、倉稲魂命。ご利益は厄除け、家内安瀬、商売繁盛、交通安全等々。そのほか「運がよくなる」ってご利益もあるようです。開運や勝負運がよくなるんだとか。これはこのあと小田原競輪場に行くしかないですね!

松原神社にある玉垣です。神社の玉垣には料亭や妓楼の名前をよく見かけます。こちらの神社も例にならって料亭の名前が書いてあります。

トルコ。これはトルコ留学生に怒られる玉垣。かつてはそういった店もあったのでしょう。

松原神社があるのは旧東海道のそば。
そのため少し駅から離れた場所にありマンションが立ち並ぶ普通の住宅地ですが、飲み屋が結構あります。

この辺りは松原神社の門前のため宮小路とよばれかつては花街だったそうです。神社の玉垣に料亭の名が連なるように、このあたりは料亭が軒を連ねていました。

こちらが花街となったのは江戸末期から。箱根に客足を取られ収益があげられない小田原は幕府にお願いして歓楽街を整備しました。小田原の遊郭のもととなった飯盛り女の設置もその頃でした。つまり宮小路は遊郭と同時期にできた「呑む打つ買う」の呑むができる街でした。しかも明治以降は近くにあった遊郭「初音新地」まで出張芸妓もしていたそうで、遊郭では「呑む打つ買う」の呑むと買うができる画期的システムだったようです。

こちらは宮小路の西側にある西海子小路ってところで別荘地となっています。相模湾に面した神奈川県の海沿いは冬でも比較的暖かく別荘を建てるのは最適な場所です。小田原城の南側にあるこの地域はかつては武家屋敷が集まるところでしたが廃藩置県後、鉄道敷設に伴いリゾート地開発が行われました。伊藤博文など政財界人や文化人、文豪などが集まるエリアとなっており、近くにあった宮小路はそういった人たちが利用したのでしょう。伊藤博文だって地方に来たらちょっとくらいハメ外したはずです。このように宮小路は政財界人が多く集まる小田原の銀座となりました。

神社の裏手の方が飲み屋街となっています。味の路と書かれた看板。飲食店が多く集まる飲食店街と思いきやその実態はフィリピンパブがあるスナック街。

花街として盛り上がったのは高度経済成長期まで。平成に入ってからも花街としては生き残るもキャバレーなどに押され見る影もない状態だったのでしょう。現在はその姿はなく華やかな花街の末路は飲み屋街でよく見かける東南アジアの国旗を掲げる店が集まる地域となりました。

キャバレーだったところはキャバクラへ。そしてガールズバーを経てコンカフェへ。このように変化していくものですが、その流れに乗れなかった店は淘汰されるようです。こちらにはキャバレーがあったようですがそれもなくなりました。

この手の街にはカタギじゃない人たちも出入りするし、おしぼりや植木鉢のリースをするシノギスポットです。でも暴力団排除に取り組む小田原市。そういった組織は出入りできないようになっているのでしょう。

こちらは青物町商店街です。かつては青果を販売する露店が集まる地域だったようですが明治になり花街向けの店舗が軒を連ねたようです。寿司屋やうなぎ屋など、ちょっと高めのお店があり、アフターや同伴で使われていたのでしょう。芸妓は格式高いといえど、やってることはキャバクラ嬢とほぼ同じ。花街がいつの間にかキャバレーが集まる歓楽街に変わっていくのは世の理なのでしょう。

明治以降は花街を支えた青物横丁でしたが、花街がなくなった今は厳しい状況のようです。いまは観光客を対象としているのでしょうが、それもまだ難しいようです。

こちらにはネコの里親募集の張り紙があります。小田原は漁師町です。漁師町にはネコがつきもの。町内には多くのネコがいるようです。

町内を巡っている際にネコを見かけました。その多くは耳が欠けてる「サクラネコ」。

地域住民に愛されている地域ネコなのでしょう。部外者が来るようなところではないため私が近づくと逃げてしまいますがかわいい子猫ちゃんです。

これはかわいい子猫ちゃん。

セクシーキャットの入り口前にいるセクシーキャット。これは狙ってるとしか思えない。餌もあげてるんでネコが集まるのでしょう。実際はここに集まるのは“エサに群がる”オスの獣ですが。

かつては特殊浴場だったところが転身したそうで熟女専門のヘルス店となっているようです。

お風呂付きって書いてある通り当時はソープだったようです。
宮小路にはここ以外にもホテヘルやサロン的な店もあったようですが、それらは10年ほど前に消えてなくなりました。また町内にラブホテルもあったようですがそれも閉店しました。

こちらには旅館があった模様です。この辺りには宿泊施設があり、その宿泊施設に派遣するデリバリー店もあったようです。しかしそれらはなくなってしまいました。

駅から遠い歓楽街は続けるのが難しい状態になっています。飲酒運転罰則強化により駅から離れた飲み屋街は廃れていくのでしょう。代行タクシーって手段もありますが、その費用を払ってまで飲みに行くまででもなく、感染症によりライフスタイルに変化がありました。呑み助は変わらず飲み歩くのでしょうが、ライト層は外で飲む頻度が減っているのでしょう。とくに異性が接客する店舗は利用者が年々減少傾向にあります。

宮小路はかなり厳しい環境に立たされているようです。看板はあるものの営業しているかは不明。おそらく常連で成り立っているのでしょうが、その常連も高齢となっています。新陳代謝しないようではいつかは消えてなくなるのでしょうね。

かつて花街だった宮小路、だいぶ廃れていますがまだスナック街として生き残っています。これらを後世に残すためには皆様の協力が必要です。宮小路の存続のため、ちょっと行ってみてはいかがでしょう。

私はこれより、ネコと戯れます。

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