【小田原市早川】川縁にある取り残された集落「早川河川敷集落」
こちらは小田原市内にある早川漁港です。
相模湾に面した小田原は古くから様々な魚が水揚げされる漁師町でした。名物のかまぼこも漁師町ならでは。冷蔵技術の無かったころは鮮魚のままでは箱根の宿場まで魚を運べないため練り物に加工して輸送したのが由来なんだそう。
水揚げ量で一番多いのがイワシ、次いでそうだカツオ、アジなどの近海魚なんだそう。
相模湾は静岡の駿河湾、富山の富山湾とともに日本三大深湾と呼ばれており、海岸近くでも漁をするのに十分な水深があるところで、定置網漁が盛んなんだそう。小田原で水揚げされる魚の97%が定置網で漁獲されているんだとか。
かつてはブリが日本一の水揚げ量だったそうですが現在はあまり獲れなくなっています。水質の変化がその理由なんだとか。
相模湾が漁場となった理由はプランクトンが豊富で魚が集まるから。栄養素が川から流れてくるためそれによりプランクトンが豊富となり魚が育つようです。しかし相模湾に流れる川の護岸工事などによってそのサイクルが壊れかけているようです。
このような現象は江戸前でも起きているようです。かつては河川に垂れ流しだったため有機物がそのまま東京湾に流れていました。泳ぐのには汚いけど、魚が育つ環境としては適している。海苔が育つのも栄養素があるからのようです。しかし護岸工事や下水道の配備により多摩川から栄養素が流れなくなったことで東京湾は魚が少なくなったんだとか。
早川港の近くにある早川。なんとなく多摩川に似た感じ。この辺りはちょうど多摩川の河口あたりでしょうか。
早川は芦ノ湖とあたりを水源としており、長さは20kmほど。比較的短い河川で種別は二級河川です。ちなみに多摩川は一級河川なので似ても似つかないですね。
早川は河口から少し登った河川敷そばに、朝鮮集落があったんだとか。
なんか川崎っぽい。
川は人が生きる上で必要な水を提供し、作物を育てるのにも重要な役割を果たしています。また海の生物を育てるのに必要な栄養素を輩出し、人間にとって深くかかわってきました。
しかしひとたび河川が荒れれば家屋は流され命を奪われることになりかねません。洪水が起きないように堤防を作っても自然が相手では人の技術は非力なもの。毎年のように日本では洪水が起きています。
そのため河川のそばは比較的地価が安いのでしょう。そのような場所には市営住宅が作りやすいです。規模感は違えど川崎も多摩川沿いに市営住宅があります。リバーサイドで景色はよいですが、洪水が起きると大変な場所なのでしょう。
こちらの市営住宅は新規募集はしていません。こちらの市営住宅は1958年に建てられたそうなので築66年。現在住んでいる人がいなくなれば建て替えるのでしょう。
イメージする市営住宅と少し様子が異なります。なんか住宅の裏手に小屋がいくつもあるんです。倉庫っぽい雰囲気で自作小屋っぽいです。なんとなく違法建築っぽい感じがします。なんか川崎っぽい。
早川の対岸に来ました。こちらには西湘バイパスが通っています。ここから箱根新道を通り三島方面に行けます。高架の上は頻繁に通ってましたが、高架下に来たのははじめてです。
こちら韓国人会館と書かれた建物があります。こちらは民団の施設で湘南西部支部のようです。
なんか川崎っぽい。
西湘バイパスを通る際、必ず目に留まる韓国人会館。ずっと気になっていましたが早川沿いにあったんですね。
こちらには民団施設はありますが付近がコリアンタウンってわけでもなく焼肉店や韓国料理店はありません。おそらく終戦後に河川敷に住むしかない状態だったのではないでしょうか。
こちらは早川の河川敷です。この辺りではヤマメやサクラマスが獲れるんだそう。多摩川だったら奥多摩のあたりまで行かなければなりませんが、早川なら河口から1km程度しか登ってない位置で渓流にいる魚が釣れるそうです。
川下にはJR線と東海道がある。なんとなく川崎の幸区にある戸手のあたりに近いかと思ったんですが釣れる魚が違ったようです。多摩川のあのあたりは汽水域なのでシーバスやボラとかですが、早川はヤマメ。まったく似ても似つかない。
なんか川崎っぽい。
河川敷にへばりつくようにトタンで出来た建物があります。雰囲気が戸手四丁目っぽいところ。かつては爪弾きにされた朝鮮の人や引揚者で身寄りのない人が河川敷に住みだしたのかもしれませんが、それらの情報は不確か。
戦後の河川敷はどこも似たような感じでここも静岡の安倍川にあった河川敷スラムと同じなのかもしれませんね。
路線価を調べたところ民団の建物前は路線価が記載されていましたがこの小屋がある地域は何も書かれていませんでした。道はありますがおそらく私道、もしくは道ではない国の土地。
コンクリ―トで舗装されたところもあれば土のところもあり。都市ガスが通ってないのかプロパンガスのボンベがあります。電柱があるため電気は通っているようです。どのような成り立ちでここに集落ができたのかはわかりませんが、仮に悪意による占有だったとしてもすでに時効取得済みなのでしょう。
かつてはこのような街並みを都心の郊外でも見れたのですが都市開発により道は舗装され消えてなくなりました。昭和の頃の雰囲気が味わえます。車が通れる道ではないため再建築はできません。接道義務は1950年に法律で定められているため70年前からこの状態のはずですが、その割には建物は古くなさそうです。
川沿いって洪水のリスクがありますが、その不安がなければよい環境です。今の時代は「ウォーターフロント」で重宝される地域。豊洲のあたりは高級住宅地となりました。つまり早川のこの辺りも高級住宅地になるポテンシャルを持ってるんです。箱根登山鉄道の箱根板橋駅までは500mなので駅まで遠くありません。小田原駅までは2.5kmなので遠いですが自転車があれば通える距離です。釣りが趣味なら海も川も目の前にあるしバイクや車が趣味の人は峠が目の前にある。温泉も近くてご飯も美味しい。
そして一応神奈川県。小田原、アリなんじゃないでしょうか。
西湘バイパスの橋の下、早川の河川敷そばの川縁にある取り残された集落「早川河川敷集落」。少し特殊な環境ですが川崎の河川敷集落とは違いました。川崎とは似ても似つかない場所です。川沿いで静かな場所、西湘バイパスがあるので暴走族が通るくらい。
なんか川崎っぽい。